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エウジェニオ・プロト, アルド・ラスティチーニ, アンディス・ソフィアノス「社会はなぜ協力するのか」(2018年1月19日)

Eugenio Proto, Aldo Rustichini, Andis Sofianos, “Why societies cooperate“, (VOX, 19 January 2018)


協力行動を生み出す性質としては次の3つがよく挙げられる – 優しい気性・優れた規範性・知能。本稿ではあるラボ実験の結果を報告する。この実験ではさまざまなプレイヤー集団が協力の学習から利益を得ている。本実験をとおし、知能こそが、社会的に結束した協力的な社会にとっての第一義的条件であるという考え方への、非常に強力な裏付けが得られた。他者にたいする温かな感受性や優れた規範性には、小さく一過性の効果しか存在しないのである。

社会交流において、協力行動を決定付けるもの、あるいは我々をして自分自身だけでなく、我々の隣人にも便益のある形で活動することを可能にするものは何か? こうした隣人は、同国人でもあれば、この同じ惑星で共に生きる人でもあろう。「気になりますよ」 との言葉ばかりでなく、自分自身とともに他の人の生活も良くするような我々の行動を誘い出すのは、一体何なのか?

換言すれば、我々を実際的な (effective) 社会的動物にするものは何か?

経済学者をはじめとする社会科学者は数多くの説明を提示してきた。協力は温かな感受性に由来するのかもしれない。そうであるなら他者へ思い遣りは我々に寛大かつ協力的な行動を動機づけるものとなり得る。この議論によると、結束力のある社会とは、優しく寛大な感受性が我々の活動を触発している社会なのである (Dawes and Thaler 1988, Isaac and Walker 1988, Fehr and Gaechter 2000, Fehr and Schmidt 1999, Falk et al. 2008, 等々)。

他方、優れた規範性と制度こそが社会的に有用な行動の大枠を提示するという説も存在する。この解釈によると、調和ある社会は、一貫して守られる優れた規範性と信頼 (Putman 1994, Coleman 1988, among others)、あるいは過去より受け継がれ現在うまく機能している制度に、その基礎をもつことになる (Acemoglu et al. 2001, 等々)。

最後に、洞察力に富む利己心が我々を導き、良き市民たらしめている可能性もある。この説によると、社会に協力が生まれるのは、人々が自らの活動の社会的帰結を予測しうるほどには賢い時、となる。ここでいう社会的帰結には他者にとっての帰結も含まれる。

最近の論文 (Proto et al., 近刊) で、我々はこれら3つの説を実験により検証した。結果、知能こそが社会的に結束した協力的な社会にとっての第一義的条件であるという考え方への、非常に強力な裏付けが得られた。温かな感受性や優れた規範性も一定の効果を持つが、それは一過性かつ小さなものである。

優しい気性・優れた規範性・知能

本実験は幾つかのゲームに依拠している。ゲームは一定のルール群からなるもので、これらルール群は2名の人物にたいし一定の利得を割り当てるものだが、その利得はプレイヤー双方の選択に掛かっている。このゲームは複数回繰り返されるので、これら2名のプレイヤーは互いに再び顔を合わせると知っていることになる。この繰り返しがあるので、各プレイヤーはそれまでの回に相手プレイヤーが取った行為に応じた対応をすることが可能となる。

本研究における繰り返しには無作為終了 (random termination) を採用しており、その頻度は実験者によってコントロールされている。続行確率が高いほど社会交流も長くなる。またこれら繰り返しゲームは非ゼロサムゲームである。換言すれば、協力的な – 相互に便益のある – 行動の余地が残されている。とはいえ自己中心的な、相互に損害を及ぼす行動についても同上だ。これは我々が実生活のなかで最も頻繁に経験する社会交流を反映したもので、大変重要な点である。

続いて2つの 「町 (cities)」、つまり被験者の集団を設定した。これら2つの集団は次の3つの特徴のうち1点で異なるものである: 優しい気性・優れた規範性・知能。我々が特に注目したのは、被験者が協力行動を選択した頻度であり、この頻度を協力率と呼ぶ。

我々は何種類かのゲームを調べた。はじめに取り上げたのは囚人のジレンマである。囚人のジレンマを一回限りのゲームとして行うならば、相手プレイヤーが何を選択するとしても、裏切り (相手プレイヤーと協力しない) のほうが利得は大きくなる。しかしゲームが無限回繰り替えされるならば、協力行為が各人にとって最適となる可能性がある。そのばあい両プレイヤーが全ての回に協力する均衡がうまれるかもしれないが、それは逸脱があるとその後に裏切りの均衡に逆行してしまう恐れがあるからだ。なお、この均衡において、現在の利得 (プレイヤー一名が裏切ったばあい、より大きくなる) と長期的利得 (こちらでは同プレイヤーが裏切ったばあい、より小さくなる) とのあいだのトレードオフがある点に注目されたい。

知能

知能の測定には、被験者のレーヴン漸進的マトリックステストにおける成績を利用した。一方の集団における被験者がもう一方の集団よりも高い知能をもっているように集団を設定すると、相対的に知能の高い側の集団は協力することを学習し、ほぼ完全な協力を達成することが確認された。相対的に知能の低い被験者からなる集団の側では、協力率が初期水準より低下している (図1)。

1 高/低-知能被験者集団が無作為終了型の繰り返し囚人のジレンマをプレイした時の協力率

: プレイヤーはレーヴン漸進的マトリックステストの結果を用いて集団に割り当てられている。

優しい気性

次に我々は、被験者の協調性 (agreeableness) 水準に従って2つの集団を設定した。この協調性というのは 「性格5因子 (Big 5)」 の1つであり、ポジティブな社会的傾向性 (信頼と寛大さ) の水準を計測したものである。図2にこれら2つの集団が無限回繰り返し囚人のジレンマをプレイした時の協力率を示した。これら2つの協調性集団には協力率にはっきりとした違いが存在しない。

図 2 高/低-協調性被験者集団が無作為終了型の繰り返し囚人のジレンマをプレイした時の協力率

: プレイヤーは性格5因子の1つに関する質問紙の結果を用いて集団に割り当てられている。

優れた規範性

最後に我々は、社会規範の遵奉水準の点で区別される集団を設定した。その特定にあたっては誠実性 (conscientiousness) を用いた。この誠実性は、秩序だっている・あてになるに・自己規律および良心性 (dutifulness) を示す といった傾向により定義されるもので、これも性格5因子の1つである。図3にこれら2つの被験者集団における協力率を示した。見られるように、高-誠実性集団は協力を増加させるというよりむしろ、低-誠実性集団とくらべ協力することを学習するのが遅くなっている。この結果が示唆するのは、社会規範の順守水準の相対的な高さは協力水準の相対的な高さの保証にならないことである。本分析が示唆するところ、こうした事態が生じた理由は、高度に誠実な被験者は自らの選択につきあまりに警戒的であるためだ。このことが完全な協力への収斂を遅らせたのである。

図 3 高/低-誠実性被験者集団が無作為終了型の繰り返し囚人のジレンマをプレイした時の協力率

: プレイヤーは性格5因子の1つに関する質問紙の結果を用いて集団に割り当てられている。

より単純なゲームにおける知能の影響

協力ないし協力することの学習にたいする知能の作用形態につき更なる知見を得るため、我々は2つの知能集団に、もっと単純な、現在の利得と長期的利得とのあいだに一切トレードオフが存在しないゲームを幾つかプレイしてもらった。1つ例を挙げれば、鹿狩りゲーム (stag hunt game) である。このゲームではプレイヤーは鹿と兎のいずれを狩るか決定しなくてはならない。鹿を狩るばあい、相手プレイヤーも鹿を狩るならば利得が高くなるが、相手プレイヤーが兎を狩るばあいの利得は低い。兎を狩るばあいは、相手プレイヤーの決断いかんに関わらず、中ほどだが確実な利得が得られる。

プレイヤーが一度きりしか顔を合わせないのならば、鹿を狩るのが最適となるのは、相手プレイヤーも鹿狩りを選ぶだろうと予想しているばあいのみである。しかしこのゲームが繰り替えされるばあい、ひとたび鹿狩りでの協調に至れば、両プレイヤーにとってもはや敢えて兎狩りを決定することの利益は長期的にも短期的にも存在しなくなる。図4に鹿狩りにおける協調率を示す – 見られるように、高/低-知能集団のあいだに然したる違いは無い。両集団は鹿狩りに協調することを素早く学習しており、その後自らの行動を変化させていない。男女の争い (Battle of the sexes) も短期と長期の利得のあいだにトレードオフが無いゲームだが、こちらでも同じ結果が得られている。

図 4 高/低-IQ被験者集団が不定回繰り返し鹿狩りゲームを別のラボセッションで行った時の、鹿狩りでの協調率

: プレイヤーはレーヴン漸進的マトリックステストの結果を用いて集団に割り当てられている。

目標無視

1つの仮説は、短期と長期の利得のあいだにトレードオフが存在しないゲームでは、知能が協力状況に及ぼす影響が小さくなる、というものだ。これはDuncan et al. (2008) によって明らかになった、相対的に低-知能の個人が非戦略的選択において見せる目標無視 (goal neglect) と似通った影響である。同研究において著者らは、知的な人ほどすでに選択された戦略をより一貫して適用する傾向があることを実験的に示した。我々の実験でも、短期的な目標が長期的目標と齟齬を来すようなゲームをプレイした時、自らの長期的目標を蔑ろにし、利得を減らす失敗をしてしまう個人が時折現れた。図6は被験者の犯した失敗を示すもので、知能を分位点ごとに分けて表示している。

図 5 繰り返し囚人のジレンマゲームにおける戦略の適用に際し被験者が犯した失敗(IQ分布分位点ごと)

: 「失敗 (errors)」 は、それまでの回に被験者が協力しているばあいの裏切りと定義した。

参考文献

Acemoglu, D, S Johnson and J A Robinson (2001), “The colonial origins of comparative development: An empirical investigation”, American Economic Review 91(5): 1369-1401.

Coleman, J S (1988), “Social Capital in the Creation of Human Capital”, American Journal of Sociology 94: S95-S120.

Dawes, R M and R Thaler (1988), ‘‘Cooperation’’, Journal of Economic Perspectives II: 187–197.

Duncan, J, A Parr, A Woolgar, R Thompson, P Bright, S Cox, S Bishop, and I Nimmo-Smith (2008), “Goal neglect and Spearman’s g: competing parts of a complex task”, Journal of Experimental Psychology: General 137(1): 131-148.

Falk, A, E Fehr, U Fischbacher (2008), “Testing theories of fairness—Intentions matter”, Games and Economic Behaviour 62(1): 287-303.

Fehr, E and K Schmidt (1999), “A theory of fairness, competition, and cooperation”, Quarterly Journal of Economics 114: 817–868.

Fehr, E and S Gaechter (2000), “Cooperation and Punishment in Public Goods Experiments”, American Economic Review 90(4): 980–994.

Isaac, M R and J M Walker (1988), ‘‘Group Size Effects in Public Goods Provision: The Voluntary Contribution Mechanism’’, Quarterly Journal of Economics 103(1): 179–199.

Proto, E, A Rustichini, A Sofianos (forthcoming), “Intelligence, Personality and Gains from Cooperation in Repeated Interactions“, Journal of Political Economy.

Putnam, R D (1994), Making Democracy Work: Civic Traditions in Modern Italy, Princeton University Press.

 

ジュリア・カジェ「メディア競争激化の帰結に関する新たな実証成果は教える 」(2017年12月23日)

Julia Cagé, “Lessons from new evidence on the consequences of increased media competition“, (VOX, 23 December 2017)


社会通念はいう。すなわち、メディア競争の激化をとおし市民はより多くを知るようになり、それにより民主制の働きが向上する、と。本稿はこの主張を、フランス地方紙の発行部数データを活用することで検証する試みである。結果、メディア競争の激化は、顧客奪取をひきおこし、地方紙による公の問題にかかわるニュース報道の減少につながることが判明した。またメディア競争の激化は、地方選挙の投票率にもネガティブな影響を及ぼす。競争はメディア環境の質の鍵だが、以上の研究結果はメディア競争の激化が必ずしも社会的に効率的なものではないことを浮き彫りにする。

連邦通信委員会 (FCC: Federal Communications Commission) はつい最近になって地方メディアの所有に関する規制を幾つも撤廃した。これら規制は42年ものあいだ合衆国に保たれてきたもので、今回の撤廃はメディア部門におけるさらなる統合に扉を開くこととなった。かくして、市民のあいだの情報周知状況にたいしメディア競争が及ぼす影響を解明することは、これまでに増して重要となっている。一方では、Hamilton (2004: 21) が強調するように、「ニュース市場をめぐる議論では、『便りが多いは良い便り (more news is better news)』 との方針が1つの公理として支持されているように見える」。競争には数多くの恩恵があるが、その中心に位置づけられるのがイデオロギー的多様性である (Gentzkow et al. 2014)。しかし他方でメディア産業は、高い固定費用と規模に対する収穫逓増を特徴とする。クオリティの高い情報を生み出す能力をめぐって同産業への懸念が高まるなか、一部には市場をとおして支え得る多様性は一定限度にすぎない主張する者もいる。

私は最近のワーキングペーパーのなかで、メディア競争の激化が、提供されるニュースの質と量、そして最終的には政治参加率にまで及ぼす影響を調査した (Cagé 2017)。その際、地方紙プレゼンス・新聞社のニュースルーム・コストと収入・1944-2014年のフランス政治関連投票率 を扱った独自データセットを構築した。本サンプルには287の地方日刊紙が含まれている。これらの新聞は一般情報紙にあたり、ソフトなニュースから (紙面のおよそ三分の二)、ハードなニュース (三分の一) まで提供している。平均すると、各紙で働くジャーナリストは59名。デジタル時代に突入してなお、フランスの地方日刊紙産業は重要な役割を担い続けている。2014年度における同産業の総収入は23億ユーロ; これは活字メディア産業の総収入のほぼ30%に匹敵する。その上、地方ニュースと公の問題に関するかぎり、地方紙は依然として最重要メディアの座に留まっているのだ。

地方ニュース市場におけるメディア競争激化の影響はいかなるものなのだろうか? 私は新聞社の参入の影響を推定するにあたり、ある年に参入が観察された郡と、そうした郡と似ているが同年に参入が観察されなかった郡との比較を試みた (本稿でいう 「郡 (counties)」 とは、フランス本土 (metropolitan France) における (départements) をさす)。図1は、各年度のネットでみて新聞の参入があった郡の数 (図1a)、および各年度のネットでみて新聞の撤退があった郡の数 (図1b) を示している。

図1a ネットでみて参入があった郡の数 (1944-2014)

図1b ネットでみて撤退があった郡の数 (1944-2014)

つづいて新聞一紙の参入が諸既存紙の発行部数をほぼ20%分も減少させることを明らかにした。換言すれば、仮に一定の市場拡大が観察された場合でも (該当郡における総発行部数が多少増加しても)、非常に強い顧客奪取効果がうまれるのである。図2にこの事情を図示する。

図2a 総発行部数 (1944-2014)

図2b 諸既存紙の発行部数 (1944-2014)

こういったネガティブな影響はどのように説明できるのだろうか? 次のような極端なシチュエーションを考えて見て欲しい。そこでは所与の市場における全ての消費者が同一の趣味趣向を持っている – 例えば、新聞のクオリティにたいする支払意思額や政治的選好について。すると新たな一紙がこの市場に参入すれば、その市場の半分を獲得し、唯一の既存紙として存在していた一紙の発行部数を半減させることになる。無論、現実においては、市民の趣味趣向は多様であるし、参入者は自らに固有の市場シェアを創出する。しかしそれも部分的な話だ。言い方を変えれば、メディア競争の激化は顧客奪取につながるのである。

顧客奪取効果は重要な含意をはらんでいる。私は競争の激化が諸既存紙の収入38-43%分の減少 (売上・広告の双方からの収入)、そしてさらに重要な点だが、諸既存紙で働くジャーナリスト数の19-35%分の減少につながることを明らかにした。ニュースルームサイズの落ち込みは、不均一性の低い郡では (すなわち、消費者が類似した選好を持っている郡) 50%にもなる。その上、このジャーナリスト数の減少は、ニュース市場レベルで見たジャーナリスト総数の全体的な増加によっても補償されていない。これは図3に示されている。このことはどうすれば説明がつくのか? 私の論文では、一種の 「切り替え効果 (switching effect)」 を裏付ける事例的な傍証を提示している。ある既存紙のニュースルームで働くジャーナリストの一部が、参入者のニュースルームに切り替えていたのである。

図3a 該当郡で働くジャーナリスト総数 (1944­–2014)

図3b 諸既存紙で働くジャーナリストの数 (1944–2014)

かくして、競争の下では、ニュースルームの平均サイズは独占時よりも小さくなる。同じジャーナリストでも、現在は様々な発行体で働くようになったことで、自らの活動を – 非効率的な形で – 水増しし、同じ様なニュース事件を報道している。ジャーナリストの数をもって一紙のクオリティを捉える優れた代理物と見做すことできるとすれば (Angelucci and Cagé 2016)、以上の事情は競争が情報クオリティを引き下げることを示唆する。

またさらに、このニュースクオリティの低下については追加的な実証成果も提示した。具体的にいうと、近年のデータ (2005-2012) を活用しつつ、新たな一紙の追加が、新聞サイズの16-53%の減少 [訳註1]、ハードニュースが占める割合の9-13%の減少、該当紙に掲載されたハードニュース量の25-32%の減少につながることを示した。換言すれば、競争の激化は地方紙による公の問題の報道の減少につながるのである。

そもそもニュース報道のこうした落ち込みを我々はなぜ気に掛ける必要があるのか? それは市民のあいだの情報周知水準が、民主制というものの活力の鍵を握っているからだ。第一に、メディアの監視は汚職削減の手掛かりになりうる (Ferraz and Finan 2008)。第二に、もし情報周知された投票権者ほど投票をおこなう傾向が高いならば、競争の激化は、情報クオリティにたいするそのネガティブな影響をとおし、政治参加率の低下につながってしまうだろう。競争が投票率に及ぼす効果を市長選挙において調査したところ、まさにそうした結果が得られた。新聞競争の激化が地方選挙の投票率にたいし頑健かつネガティブな影響を持っていることが明らかになったのである。新たな一紙の追加は、得票率をおよそ0.3%ポイント低下させる。

1970年代の終わり以降、フランス – そして大多数の西欧民主主義国 – では、地方選挙の投票率が継続的に低下している。ところで本研究成果は、これをその他のメディアに外挿したばあい、昨今観察されている政治参加率の歴史的な低下について、その相当部分が、直近数十年間にわたるメディア競争の大きな激化により説明できてしまう可能性があることを示唆するものとなっている。

当然だが、私の発見はメディア競争を緩和すべきことを示唆するものではない。すでに強調したように、競争はメディア環境水準の鍵を握っているが、その理由はわけても競争が多数性を確保してくれるところにある。とはいえ次の点を強調しておくことは重要だ。すなわち、メディア競争の激化は必ずしも社会的に効率的ではないのである。具体的にいうと、本研究結果は、一定の条件の下では、過剰競争から生じうる厚生上のロスを補償するため、政策的介入が必要となる可能性を示唆している。第一に、ある種のケースでは、競合紙間で共同業務協定を締結するよう働きかけ、事業運営を統合することが望ましくなるかもしれない。合衆国では歴史的に、メディア産業には幾つかの反トラスト規制の免除が認められてきた。その筆頭は1970年アメリカ新聞保存法 (American Newspaper Preservation Act) である。最近では、「ニュースメディア連合」(合衆国における最大の新聞産業団体) が合衆国議会にたいし、FacebookとGoogleとの交渉を加盟企業が集団的に行うための特例的な許可を獲得しようと画策している。こうした対応策はメディア部門の統合をこのうえさらに強化するよりも望ましいかもしれない。

第二に、本論文での研究結果は、1つの興味深い方策として、メディア組織をより厚遇する方向にその法的・財政的ステータスを発展させてゆく道も示唆している。ほとんどの国のメディア組織は非営利ステータスから恩恵を得ることを許可されていない。そこで私は、例えば、「非営利メディア組織」 ステータスの創出などを提案している (Cagé 2015)。代わって、ジャーナリスト向け税額控除の設定、あるいは一般情報メディアアウトレットにたいする他の形の独創的助成金の創出をとおし、ニュースエージェンシーの支援を強化してゆくというのも、この先のメディア多元性とクオリティの高い情報提供、この双方の確保を考えるうえで興味深い方向性だと思われる。

参考文献

Angelucci, C and J Cagé (2016), “Newspapers in times of low advertising revenues“, CEPR Discussion Paper 11414.

Cagé, J (2015), Sauver les médias: Capitalisme, financement participatif et démocratie, Seuil (English version: Saving the Media: Capitalism, Crowdfunding and Democracy, Harvard University Press, 2016).

Cagé, J (2017), “Media competition, information provision and political participation: Evidence from French local newspapers and elections, 1944-2014“, CEPR Discussion Paper 12198.

Ferraz, C and F Finan (2008), “Exposing corrupt politicians: The effects of Brazil’s publicly released audits on electoral outcomes”, Quarterly Journal of Economics 123(2): 703–746.

Gentzkow, M, J Shapiro and M Sinkinson (2014), “Competition and ideological diversity: Historical evidence from US newspapers”, American Economic Review 104(10): 3073–3114.

Hamilton, J (2004), All the News That’s Fit to Shell: How the Market Transforms Information Into News, Princeton University Press.


訳註1. 元論文には、新聞サイズ (the size of newspaper) というものを、(i)「一紙あたりの記事数」、(ii)「一紙あたりの総文字数」、(iii)「新聞第一面あたりの総文字数」 の3つの基準で計測したとの記述がある。そして新たな一紙の参入があると、(i) は42%、(ii)は53%、(iii) は16%、それぞれ減少するという。これが 「新聞サイズの16-53%の減少」 にあたるようである。論文p. 4、pp. 26-27を参照。

サミュエル・バッジ, マルティン・フィスバン, ムサイ・ゲブルセラシエ 「合衆国における個人主義と再分配への反対: フロンティアの文化的遺産」(2017年12月23日)

Samuel Bazzi, Martin Fiszbein, Mesay Gebresilasse, “Individualism and opposition to redistribution in the US: The cultural legacy of the frontier” (VOX, 23 December 2017)


再分配、そしてヘルスケア・銃規制・最低賃金・汚染管理といった領域における政府の介入。こうしたものに反対する人は、アメリカ人のほうがヨーロッパ人より多い。本稿では、アメリカに古くからある 「武骨な個人主義 (rugged individualism)」 の文化がフロンティアの歴史において根付いたものである旨を主張する。共和党への支持を個人レベルで考慮してもなお、フロンティアの歴史的経験が大きかった合衆国地域ほど、今日においても依然として再分配や政府による規制にたいする反対が強くなっている。

アメリカの投票権者の大きな割合が再分配に強く反対している。こうした人達はおそらく、増税ではなく福祉支出の切り下げのほうを選好する。過去40年間の所得格差と財産格差の急速な拡大を後目に、この再分配にたいする反対は安定を保ってきた (Ashok et al. 2015)。合衆国とヨーロッパにおける再分配政策と選好状況のあいだには 「世界ひとつ分の隔たり」 が存在するのである (Alesina and Glaeser 2004)。この論点は長らく政治経済学の一大テーマとなってきた (Alesina et al. 2016, Benabou and Tirole 2006, Picketty 1995)。

最近 New York Times に掲載された記事のなかでDavid Brooks (2017) が、アメリカの投票権者はなぜ自己の経済的利益に反する政策を支援するのかを問うている:

「…私の試論では、18-19世紀から説き起こすことになる。トランプ支持者の多くは、かつてアメリカのフロンティアの最前線だった地域に居住している。このフロンティアでの生活は、吹けば飛ぶような、危険の付き纏う、孤独で、仮借なき代物だった…節制と独立自尊は必要不可欠だった…彼らの見るところ、政府なるものはこの峻厳なる徳目を強化するものではない。それどころか、これを台無しにしてしまうのである」

我々は同意する。そして、合衆国における再分配への反対は、フロンティアの歴史において根付いたこの 「武骨な個人主義」 の一部であると主張する。

我々は最近の論文 (Bazzi et al. 2017) のなかで、アメリカのフロンティアは個人主義を涵養したとのテーゼを考察した。このテーゼは1893年にフレデリック・ジャクソン・ターナーによって初めて提起された。我々はこのフロンティアテーゼを地方レベル (subnational level) で検討し、それがはらむ文化と政治への長期的影響を特定することができた。歴史的に見ると、フロンティア地域には特異な人口と、相対的に強い個人主義が存在した。フロンティアの消滅から何十年も経つと、こうした人口学的な差異も姿を消すが、その文化的遺産は今もその脈絡を保っている。歴史的に見てフロンティアであった時間が相対的に長かった地域では、今日においても個人主義と再分配への反対が相対的に広く見られるのである。

アメリカ史におけるフロンティア

合衆国初期の歴史は、西へと向かう急速な拡張の歴史であった。19世紀後半になるまで、合衆国の領土は広大な空き地を抱えていた。定住が始まった地域とまだ定住が始まっていない地域を分かつフロンティアは、アメリカ文化に強い影響を及ぼし、武骨な個人主義 – 個人主義そして政府介入への反対の特異な混合体 – の発達を促した。

我々の研究では、歴史データとならんで近代的なGIS手法を用いることで、フロンティアの位置特定とその継時的な変容の追跡を行った。歴史的資料に倣い、人口密度が平方マイル毎に2人に満たない水準に落ち込む境界線を見つける度、それをフロンティアラインと定義した。続いてフロンティア地域の定義だが、これはフロンティアラインから100キロメートル以内にある地域で、人口密度が平方マイル毎に6人に満たないものとした。

図1 1790年および1890年の人口密度とフロンティアライン

フロンティア人口には幾つかの特異な性質があった。これら人口には、男性で、婚姻適齢期にあり、文字が読めず、外国生まれ、といった人達がアンバランスに多かったのである。くわえて彼らはかなり高度な個人主義を持っていた。ここでいう個人主義とは、珍しい子供の名前の普及 (prevalence) により把捉したものである。Twenge et al. (2010) の考案したこの独創的な測定方法の背後にあるのは、個人主義タイプの人間は多くの場合平凡な名前を避け (ジョンやサラといった名前が少なくなる)、代わりに珍しい名前 (ルーファスやルシンダといった名前が多くなる) を選びたがるとの考え方で、前者は周囲に溶け込みたいとの欲望を、後者はなんとか目立ちたいとの欲望を、それぞれ反映している。この方法は次に挙げるような個人主義の社会心理学的な定義にも合致する: すなわち、自己利益の第一義性・独立自尊の強調・社会規範ではなく個人的態度に基づいた行動制御である。

人口学的特徴と個人主義に関する差異は、フロンティアを定義づける二大性質 – 人口密度の低さと孤立性 – の双方と結び付いている。しかしフロンティアの違いは統計的に現れる違いに留まらない。それは定質的にも判然たる社会タイプだった。このことは例えば、低い人口密度において観察される男女比率と珍しい名前に関しての構造変化に見て取れる。

図2 フロンティアにおいて歪みが見られる男女比率と個人主義

出典: Bazzi et al. (2017).

フロンティアがもたらしたもの、それは機会と危難の類稀なる組み合わせだった。土地その他の自然資源の潤沢さは、適切に利用すれば、多くの利潤機会を生み出した。他方、フロンティア定住者の恃むところは、己をおいて他になかった。彼らは幾多の危難に直面した。旱魃・吹雪・疫病・収穫不振・野生動物襲来・ネイティブアメリカンとの紛争、などである。

こうした条件は次の3つの作用をとおしてフロンティアの特異な文化的性質を育んだ:

  • 選択的移住: フロンティア地域に惹き寄せられたのは、過酷な条件のもとで伸し上がってゆくだけの意思と能力をもった人達だった。我々は、アメリカ人ネイティブのなかでも、個人主義タイプの人間 – 子供に付けられた珍しい名前で代理 – はフロンティアに移住する傾向が相対的に高かったことを明らかにすることができた。
  • 個人主義の適応アドバンテージ: 独立自尊は防衛のためにも生活条件の改善のためにも重要だった。個人主義と結び付いた革新性は新奇で不確かな条件に対処するうえで有用だった。個人主義タイプの人間は、フロンティアにおいて相対的に高い社会経済的地位と残留傾向をもっていた。
  • 再分配反対の選好: 土地の潤沢性と遠隔性は、努力による社会的上昇の期待をうみだした。これは再分配にたいする敵意を醸成するものだろう。フロンティアでは、土地格差が相対的に小さく、高い財産蓄積率があり、また社会移動も盛んだった。

フロンティア地域が個人主義的タイプの人間を惹き寄せる一方、フロンティア特有の自然・社会条件も個人主義を涵養した。こうした作用力は相補的かつ相互強化的なものだった。例えば、フロンティアで個人主義が持っていた相対的に大きい適応アドバンテージは、個人主義者の選択的移住の増加を誘発しただろう。他方、個人主義者によるフロンティアへの選択的移住は、この特質のアドバンテージを強めたはずだ。個人主義者からなる社会では、集産主義的規範の価値は限られているのである。

フロンティアが文化と政治に及ぼした長期的影響

フロンティアにおける高度の個人主義は消え去っていてもおかしくはないのだが、実際はそうならなかった。というより、フロンティアの経験こそが文化の長期的展開を形成してきた。フロンティア地域における初期定住者が文化的展開の条件を確立してしまったのである。数多くの均衡点そして経路依存性が存在するなか、この形成期が1つの決定的な分岐点となり、フロンティアの経験は末永く保たれる遺産をあとに残すこととなった。

フロンティア経験の長期的影響を検討するにあたり、我々は合衆国の各地域について1790年から1890年にかけてフロンティアにあった年数を測定した。フロンティア条件への露出の長さは、フロンティアにおいて武骨な個人主義が大いに栄えるに至った3つのメカニズムの射程を決定付けた。別の言い方をすれば、総フロンティア経験 こそが各地域におけるフロンティア文化の刷り込み強度を決定付けたのである。

図3 総フロンティア経験

出典: Bazzi et al. (2017).

そして我々は、総フロンティア経験が相対的に強い水準における武骨な個人主義の持続につながったことを明らかにした。フロンティアにあった時間が相対的に長い郡では、次のような状況が依然として観察される:

  • フロンティア消滅以降も数世代にわたって個人主義が相対的に強い。これは20世紀中葉に見られた珍しい名前と、1990年代初頭におけるサーベイ調査にたいする回答に反映されている。
  • 再分配と公的支出にたいする反対が相対的に強い。これは政府の介入に関する異なる考え方を把捉した直近20年の様々なサーベイ調査をとおして測定されている。
  • 2010年における財産税が相対的に低い。これは地域公共財への資金供給にとって重要な政策アウトカムである。
  • 2000年以降の大統領選挙において共和党支持が相対的に強い。
  • 政府による継続的な規制にたいする反対が相対的に強い; これについては、アフォーダブル・ケア・アクト (ACA)、最低賃金の上昇、アサルトライフルの禁止、二酸化炭素排出規制の4つを取り上げた。
図4 総フロンティア経験と共和党への投票
出典: Bazzi et al. (2017).

共和党への支持は、再分配と大きな政府にたいする反対の、大よその代理物として使用できる。こうしたテーマは同党の政策綱領群に顕著であり、政治的二極化の激化のためにいよいよ顕出的になってきた。これは、歴史的なフロンティア経験と現代における共和党支持との結び付きが、2000年代に強まった理由を説明するものなのかもしれない。とくに2016年の選挙ではフロンティアの遺産がとりわけ色濃く見られた。

我々が考察の対象とした政府による4つの継続的規制は、フロンティアの文化的遺産についてさらなる洞察を与えてくれる。これら4つの政策は今日の党派的議論を生み出しているものだが、これはフロンティアにおける生活の歴史的性質に関連付けることができる。例えば、運不運ではなく努力をとおした社会的上昇への堅い信仰は、最低賃金の上昇やACAにたいする反対を生み出しているかもしれない。同様に、自己防衛の必要性は銃規制への反対に勢いを与えているかもしれず、「明白な天命」 なる概念が汚染規制への反対につながっている可能性もある。興味深いことに、共和党支持に関する個人レベルデータを考慮してなお、歴史的なフロンティア経験が相対的に強かった地区に住む人のあいだでは、こうした規制にたいする反対が今日においても相対的に強いのである。

「一歩、また一歩と、アメリカ的に」

合衆国とヨーロッパのあいだで、個人主義と租税再分配にたいする反対について態度を比較する試みは、多くの関心を集めてきた。我々の研究はアメリカ史におけるフロンティアの重要性を確証するものとなった。1893年、F J ターナーはこう述べている。最初期において 「大西洋沿岸…はヨーロッパのフロンティアであった」 が、「フロンティアの漸進はヨーロッパの影響から着実に遠ざかってゆく運動を意味した」 のであって、結局のところ 「西へと進むなかで、フロンティアは、一歩、また一歩と、アメリカ的になっていった」 のである。

合衆国における再分配への反対は、拡大する格差を目の当たりにしてなお脈絡を保っているが、本稿で述べた幾つのかの根因は、この反対を説明しうるものかもしれない。政府の介入にたいする反対と激化を続ける政治的二極化は、現在の出来事にたいする反応のみならず、古くからアメリカ文化の一部をなしてきたある種の態度をも映し出している可能性がある。

参考文献

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フィリップ・ノヴォクメト, トマ・ピケティ, ガブリエル・ザックマン 「ソヴィエトから寡頭制へ: ロシアの格差と財産 1905-2016」(2017年11月9日)

Filip Novokmet, Thomas Piketty, “Gabriel Zucman, From Soviets to oligarchs: Inequality and property in Russia, 1905-2016“, (VOX, 09 November 2017)


 

1990-1991年のソヴィエト連邦崩壊以降、ロシアは経済的にも政治的にも劇的な変貌を遂げた。だが、そこから所得と財産の分配にどのような帰結が生じたかについては十分に実証・解明されていないのが現状である。本稿は、諸般の利用可能なデータ資料を結合し、ロシアにおける所得と財産の集積・分配について、ソヴィエト時代から今日に至るまでの一貫した時系列を提示しようという試みである。

ソヴィエト連邦崩壊以降、ロシアは経済的にも政治的にも劇的な変貌を遂げた。この類まれなる出来事のために、ロシアの事例研究は格差研究アジェンダにおける喫緊の課題のひとつとなっている。ソヴィエトの平等主義的なイデオロギーの破綻、市場経済への 「ビックバン」 的な移行、あるいは所謂 「寡頭制」 の出現といったエピソード (Guriev and Rachinsky 2005) の枚挙に暇ないロシアにおける格差パターンを紐解けば、格差の力学において政治・制度機関・イデオロギーがはたす役割の解明に、新たな展望が開けてくるかもしれないのだ。同時に近年の格差拡大は、収斂論的言説の文脈で、包摂的成長の可能性に目配りをしつつ考察してゆく必要もある。

われわれの最近の論文は、格差の測定と、既存の資料群の結合をとおしロシアにおける格差の軌跡を歴史的・国際比較的な展望に位置付ける手法の説明にフォーカスしたものである (Novokmet et al. 2017)1。結果、公式の格差推定値はロシアにおける所得の局在を大幅に過小評価するものであることが判明した。論文ではさらに、ポスト-ソヴィエト期のロシアにおける私有財産・公有財産・国有財産 (private, public, and national wealth) をとらえた完全なバランスシートとしては初となるものを提示した。ここにはオフショア財産の推定値も含まれている。なお同論文は、諸国間で比較可能な分布統計の作成をめざすより大きなプロジェクトの一部をなす (Alvaredo et al. 2016)。

ロシアにおける私有財産の勃興

1990年から2015年にかけて発生した大変化といえば、もちろん共産主義から資本主義への移行、すなわち公有財産から私有財産への移行だ。1990年、ネットの国有財産は国民所得の400%を僅かに上回っていた。その内訳は、ネットの公有財産が約300% (およそ四分の三)、ネットの私有財産が100%を少し上回る程度 (四分の一) となる。2015年、この比率は基本的に逆転している: ネットの国有財産は国民所得の450%に達し、その内訳は、ネットの私有財産が350%超を占め、公有財産は100%未満となっている (図1)。公有財産の劇的な落ち込みは、1990年から1995年にかけての数年間のうちに起きたもので、続いて所謂 「ショック療法」 とバウチャー方式の民営化が行われた。

図1 1990-2015年のロシアにおける公有財産と私有財産 (国民所得の%で表示)

私有財産の勃興にさいして住宅が担った決定的な役割の発見が、ここでひとつの鍵となる (図2)。私有住宅は、国民所得の50%に満たない1990年当時の水準から出発し、2008-2009年には国民所得の250%に増加、その後2015年になると国民所得の約200%に減少した。この上昇は、住宅私有化による大規模な移転に由来する数量効果、そして不動産価格の上昇が誘発した価格効果、これら双方の結果だった2

だがとりわけ印象的なのは、ロシアの家計が所有する金融資産について記録されている水準が非常に低いものとなっている点である。家計の金融資産は1990-2015年期間をとおし、つねに国民所得の70-80%を下回る水準にあった。それどころか、国民所得の50%に満たないことさえしばしばだった。事実上、ロシア企業の民営化が家計金融資産の有意な長期的上昇にまったくつながらなかったかの如くである。もっとも、最初期に発生した金融資産の減退は想定内のものだった。それはソヴィエト時代の貯蓄が1990年代初頭のハイパーインフレーションにより、文字通り真っさらにされた時期にあたる。またもっと一般的な話として、1990年代のカオス的な貨幣・政治状況のさなかにあっては、市場価値でみた家計金融資産が1990年代の中ごろから後半になるまでずっと相対的に低く留まっていたとしても驚くにはあたらない、との立論も可能だろう。したがって理解が比較的難しいのは、こうした極端に低い価格がその後もしぶとく生き延びたこと、具体的にいえば1998年から2008年にかけてロシア株式市場ブームが発生していたのにもかかわらずそうなったこと、この点なのだ。

この矛盾については、極一部のロシア家計が、オフショア財産、すなわちオフショアセンターにある記録されていない金融資産を、極めて大量に保有している事実によりもっぱら説明される、というのがわれわれの見解である。具体的にいえば、1990-2015年期間のきわめて大きな貿易黒字 – もっぱら石油とガスの輸出が牽引 – と、比較的限られていたネットの対外資産蓄積とのあいだに、大きなギャップが存在するのである。われわれのベンチマーク指標の推定値によると、オフショア財産は1990年から2015年にかけて徐々に増加し、2015年までに国民所得の約75%、すなわちロシア家計のもつ金融資産で記録されているものとほぼ同額を占めるようになる。つまり、富裕なロシア人が国外 – 英国・スイス・キプロス・その他類似のオフショアセンター – に保有する金融資産は、ロシア国内でロシア全人口が保有する金融資産に匹敵するのである。さらにいえば、富裕なロシア人がオフショアに保有する財産は、ネットの外貨準備として公式に示されている値の約3倍にもなる。

図2 ロシアにおける私有財産の上昇 1990-2015 (国民所得の%で表示)

国際的に比較すると、ロシアにおける財産総計の変転は – 中国や旧共産主義国のそれと同じく – 1970-1980年代以降すべての発展国で実証されてきた一般傾向が極端化したケースと見做しうる。こうした一般傾向のなかでも特筆すべきは、やはり国民所得にたいする私有財産の一般的な上昇であり、これに付随した公的所有の凋落である (Piketty and Zucman 2014, Piketty 2014)。ロシアでは、私有財産が国民所得にたいして尋常ならぬ増加をみているが、その比率は2015年時点で 「たったの」 350-400%程度の大きさであり、これは中国や西欧諸国の水準とくらべると目だって小さい (図3を参照)。ロシアの私有財産におけるオフショア財産に関する我々の推定値を組み入れなければ、ギャップはこのうえさらに大きくなるだろう点も強調しておこう。くわえて、ロシアの私有財産の増加は、国有財産 – 私有財産と公有財産の合計 – が国民所得にたいしてほとんど増加していない (1990年の400%から、2015年の450%になった程度) という意味で、ほぼ公有財産のみを対価に購われた (図1)。これと対照的なのが中国の国有財産で、こちらは2015年までに国民所得の700%に達している。

図3 私有財産の上昇: ロシア vs. 中国および富裕国 (私有財産、家計) (国民所得の%で表示)

ロシアにおける所得格差の拡大

われわれは、国民経済計算・サーベイ調査・長者番付・財政データを結合することで、新たな所得分布時系列を構築した。管見の及ぶかぎり、ロシアの国民所得税表を利用しつつ公式のサーベイ調査準拠格差推定値を修正する試みとしては、これが初のものである。結果、サーベイ調査が1990年以降の格差の上昇を大幅に過小評価していることが判明した。われわれのベンチマーク指標にもとづく推定値によれば、トップ10%の所得シェアは、1990-1991年の25%未満から、2015年までに45%超に上昇している。またトップ1%の所得シェアも、同移行開始時における5%未満から、およそ20-25%に上昇した (サーベイ調査の示唆するところではおよそ10%)。次の点もここで指摘しておく価値があるだろう。すなわち、この尋常ならぬ上昇はボトム50%の所得シェアの大規模な暴落と同時に起きていたのである。こちらのシェアは、1990-1991年における全所得の約30%から、1990年中ごろには10%未満に下落、その後徐々に回復し2015年までに約18%となった。

われわれのベンチマーク推定値に従うと、1989-2016年期間を全体として考慮した場合、成人ひとりあたり平均でみた国民所得は41%分増加していたことになる。つまり一年あたり1.3%だ。先ほど言及したように、所得集団の違いによりそれが経験してきた成長も大きく異なる。ボトム50%の所得層ではきわめて小さな成長の恩恵しかなく、あるいは負の成長を被った場合もあるほどだが、ミドル40%には、相対的に慎ましくはあるが正の成長があり、トップ10%ともなるときわめて大きな成長率を享受している (図4を参照)。

図4 パーセンタイルごとにみた1989-2016年のロシアにおける累積実質成長

長期的に見ると、ロシアにおける所得格差の変転は、20世紀をとおし西欧で観察された長期にわたるU字型パターンが極端化したものに見える (図5)。所得格差はツァーリ時代のロシアにおいて大きかったが、その後ソヴィエト期をとおして非常に低い水準に落ち、最後にソヴィエト連邦崩壊をへてふたたび非常に高い水準に舞い戻った。トップの所得シェアはいまや合衆国で観測されている水準に近い (あるいはそれを上回る)。他方、ロシアにおける格差の拡大は中国や東ヨーロッパのその他の旧共産主義国とくらべてもかなり激しかった4。図6には共産主義崩壊後にみられたトップ1%所得シェアを、ポーランド・ハンガリー・チェコ共和国と比較したものだが、ロシアのそれが他国から顕著に分岐していることが見て取れる5。

図5 トップ10%の所得シェア: ロシア vs. 合衆国およびフランス

図6 トップ1%の所得シェア: ロシア vs. 東欧諸国

まとめると、われわれの新たな発見はロシアにおける極端な格差水準、そしてレントに依拠した資源への長期的な集中を浮き彫りにした – これは持続可能な発展・成長を作るのにうってつけの材料ではないだろう。とはいえ、データへのアクセスと金融的透明性の問題でロシアにおける格差の力学を適切に分析することがきわめて難しくなっている点は、ここで強調しておきたい。われわれはもっとも信憑性のある手法を用いつつ、現存する諸般のデータ資料を結合するために出来るかぎりのことをした。しかし利用可能な生データの質はとても十分とはいえない水準に留まっている。本研究は目下進行中のプロジェクトであり、したがって将来より洗練された方法が構想され、より優れたデータ資料が (願わくば) 利用可能となれば、本稿で報告したロシアの時系列データが改良されるだろうことは疑いない。

参考文献

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Zucman, G (2015), The Hidden Wealth of Nations. Chicago: University of Chicago Press

原注

(1) 本方法論はすでに、合衆国 (Saez and Zucman 2016, Piketty et al. 2016)、フランス (Garbinti et al. 2016, 2017)、中国 (Piketty et al. 2017) における実用例がある。

(2) 住宅私有化の分配的効果については Yemtsov 2008を参照。

(3) 年間キャピタルフライトに関する本推定値は、国際収支におけるネットの誤差遺漏、および資本移転アウトフローの合計として算出したものである。そのうえで、年度あたりのキャピタルフライトを、収益率 (rates of return) に関するいくつかの仮定を置きつつ累計した。オフショア財産の重要性一般についてはZucman (2015) を参照。

(4) 社会主義政権期およびその後の移行期における東ヨーロッパの所得格差に関しては、数多くの研究がなされている (例: Atkinson and Micklewright 1992, Milanović 1998, Milanović and Ersado 2010, Flemming and Micklewright 2000など)。

(5) ポスト-共産主義期のロシアと中央ヨーロッパ諸国にみられた分岐的な格差パターンの底にある主因としては、制度的分岐 (たとえば後者の事例においてヨーロッパ連合がはたした 「制度的アンカー」 など) が挙げられることが多い (例: Berglof and Bolton 2002, Roland 2000)。

マーク・ハリソン 「ソヴィエト経済 1917-1991: 在りし日日、亡きあと」(2017年11月7日)

Mark Harrison,  The Soviet economy, 1917-1991: Its life and afterlife,  (VOX, 07 November 2017)


ソヴィエト時代のロシアが特異であったのは、経済成長でも人的開発でもなく、国力形成における経済の使用形態のためだった。1917年ボリシェヴィキ革命の百周年を記念する本稿では、女子教育と児童生存率上昇が多くの市民に機会向上をもたらしたのはたしかだとしても、ソヴィエトロシアは、そこで生まれ、育ち、年老いてゆく者にとって、過酷で不公平な環境であったことを示す。ソヴィエトの経済体制は大量生産 (mass production)・大規模陸軍 (mass armies) の時代に構想された。その時代はすでに過ぎ去ったが、ソヴィエト経済の思想はいまも脈をとどめている – 古き日への郷愁とナショナリズムに支えられながら。

1980年代、ソヴィエト連邦が 「ロケットで武装したヴォルタ川上流 (Upper Volta with rockets)」 と形容されていたことは有名だ1。しかしこれは現在 「ブルキナ・ファソ」 の名で知られる国の歴史と文化を不当に軽視するものだった。またソヴィエト連邦にたいしてもあまり親切な言い方ではなかった – 国土の大きさと豊かさにおいてブルキナ・ファソとはまさに桁違いであったこの国にたいしては。とはいえ、そこには幾許かの真実もあった: ソヴィエト連邦の軍事能力はその経済規模との比例を逸していたのだ。

図1に示すのは、「一国が、影響力を自ら行使し、また影響力に対抗する目的で有する能力 (the ability of a nation to exercise and resist influence)」 を把捉するために政治学者が考案した標準的な尺度と、諸大国の関係である。この尺度によると、ソヴィエト連邦は1970年代にはすでに世界に冠たる大国と化していたことになる。だがその経済の生産高は合衆国における実質GDPの半分にも届いていなかった。人口規模は同程度であり、それが分布する領土のほうは遥かに広大だったのにもかかわらず。

図1 国力の合成指標でみた、国際システムにおける諸大国 1913-1987 (一部年度のみ)。

出典: The National Material Capabilities (ver. 4.0) のデータセット。Singer et al (1972) に解説。http://www.correlatesofwar.org/ で閲覧可能 (2016年1月7日アクセス)。

原注: 国力の合成指標は、一国が国際システムに占める相対的なウェイトを各時点において捉えた次の6個の尺度を合成したもの: 総人口・都市部人口・鉄鋼生産・エネルギー消費・兵員数・軍事出費。1918年に消滅したオーストリア-ハンガリー帝国はここでは省略している。

 

図2はソヴィエト連邦の一人あたり実質生産量に関する経済アウトカムを比較したものである。いくつかの世界的基準からみて、1913年のロシアにおける経済は平均的なものだった – 合衆国には大きな後れをとるものの、ヴォルタ川上流と比べれば遥かに進んでいる。一世紀ののち、すなわち2008年のグローバル危機が勃発するころはどうかといえば、ロシア経済はここでも平均的な位置にいたのである。

図2  一人あたり実質GDP (1885 – 2008): 合衆国・ロシア/ソヴィエト連邦・世界の比較 (国際ドル・1990年物価)

出典: 合衆国と世界に関するデータはAngus Maddison at http://www.ggdc.net/maddison; ロシア (1913年までのロシア帝国時代、ソ連、つづいて前ソ連諸国) に関するデータはMarkevich and Harrison (2011) から。

 

その間の期間に多くの事件が起きている。まずボリシェヴィキ革命 – 2017年11月7日はその百周年にあたる – が、ヴェネズエラ型の混沌に陥る。その後、経済は回復し、世界平均に復帰、そして数十年間にわたりそれを上回り続けた。しかし今振り返れば、ソヴィエトのシステムがもたらした効果というのが、もっぱら継続的な動員をとおして産出量水準を引き上げるものだったことが分かる。底にある生産性成長率は引き上げられず、ソヴィエト経済がアメリカの諸水準に収束することはいちども無かった。

ソヴィエトにおける軍事力 (power) と生産性とのあいだの不釣合いな関係は、そうした結果を仄めかすものだった。現在われわれは、全ての国が比較優位をもっていると学生に教えている。ソヴィエト経済の比較優位は世界の軍事手段生産にあった。ここに反映されているのは、ボリシェヴィキ革命において、そしてその後の政策施行ならびに制度設定において、指導者の役割をはたし権力を掌握した者達の思想である (Harrison 2017a)。

その出発から、ボリシェヴィキには崇拝と服従の対象たるふたつの経済構造モデルがあった。すなわちドイツとアメリカのモデルである:

  • ドイツモデルは近代的な戦時経済に関するものであり、ヴァルター・ラーテナウとエーリッヒ・ルーデンドルフが1915年と1916年に実施している。この戦時経済では、大規模な戦闘と大量の自己犠牲のために必要となる動員、そして固定価格での日用品配給が行われた。
  • アメリカモデルはヘンリー・フォードが始めフレデリック・ウィンスロー・テイラーが世に知らしめたモデルをさし、中央統制されたヒエラルキー的管理のもと行われる、規格化された日用品の大量生産からなる。

これらふたつのモデルを合わせたものが、西欧諸国の教科書が描き出すところの 「ソヴィエト型経済」 において鍵を握るいくつかの原理を与える。

ソヴィエトの経済制度は1917年から1934年にかけての期間に形成された (Davies 1994)。これら年度において特徴的なのは激しい政治的・社会的紛争、そして市場構造と消費者選択の領域を変化させた幾つかのUターンだ。このUターンは、もしかするとソヴィエト経済の発展にはひとつのみならずほかにも道があったのではないかという考えに、一定の信憑性を与えている。詰まるところ 「種々の共産主義」 は、今日においても死に絶えてはいないのである – 中国をはじめ、キューバそして北朝鮮にいたるまで。

この変化にもかかわらず、1917年以降にもソヴィエトの政策にはいくつかの重要な継続性があった。もっとも明らかなのは、中央集権的な一党独裁であった。独裁者のあいだでは、彼らの自己利益認識を形成する信念と、その利益の増進にかかる最善の方法とが共有されていた。すなわち彼らは世界を本質的に悪意に満ちたものと見做していたのである。そして自らの国は一個の砦であるが、あまたの敵に包囲されたうえ無数のスパイが跋扈しているのだと。そこで彼らは戦争がない時には、戦争の準備に邁進したのである。

この経済体制において彼らは、人員の選別と指令、国家の供給網の保護、情報の流通と検閲をめざし、権威主義的国家としての機能を築き上げた。これは1917年に始まる単線的プロセスであり、いくつかの政策的な揺れを後目に、背後で黙々と進行をつづけた (Harrison 2017b)。

ソヴィエトの支配者は、国境を越えて、近隣諸国を転覆させ、最終的にはそのほとんどに共産主義体制を押し付けた。周辺国を同盟者として確保したのちにも、ソヴィエトの支配者は 「革命の成果の防衛」 との名目を掲げこれらの国々にひとたびならず侵攻した。彼らの対決的行動は、彼らの信念の正しさを裏付けるかのような証拠を絶え間なく生成した。

国内経済体制としては、ソヴィエトの政策は資源の分配を大幅に変化させることで消費を抑制し、金融産業や軍事計画のための資金調達をおこなった。そのひとつの成果が巨大な軍事産業であり、これは軍用品の大量生産にむけた組織構造をもっていた。図3が示唆するように、伝統的な部門では施設の多くが設置されたのは1930年代だった。第二次世界大戦が勃発した時、ソヴィエト連邦は、世界の武器輸出二大国のうちのひとつとして、すでにドイツに並ぶ勢力をもっていた (Davies et al. 準備中)。核兵器・宇宙ミサイル・無線機器といった新たな部門は、この戦争のあいだと後に加わったものである。

図3 ソヴィエトの国防産業 (1917-1987): 部門ごとにみた生産・研究・設計に関する施設数

出典: Dexter and Rodionov (2017).

ソヴィエト国家は個人財産の大半を収用した。また雇用関係からの賃金所得を、それまでのロシアと比べても、その後のロシアと比べても、より公平に分配していたように見える。このことはNovokmet et al. (2017) による新たなデータを示す図4に示唆されている。

しかし所得データは共産主義体制における消費格差に関してはあまり良い基準ではないかもしれない。消費財とサービスの分配は、品不足と特権に特徴づけられていた。ソヴィエトの成人はみな一定額の所得をあてにできたが、所得は財とサービスへのアクセスを決定するものではなかったのである – それは政治的・社会的地位に掛かっていた。

ソヴィエトの商店の前に立ち並ぶ人々の列はかつてよく目にした映像だが、ここに描き出されているのは、金はあるのに特権がないため – あるいは待たずに済ますのに必要なコネがないため – 自分の番がくるまで待たなければ金を使うことが出来ない人々の姿だ。

図4 所得シェア 1905 – 2016 (一部年度のみ): 下から50%および下から90%

出典: Novokmet et al. (2017).

注意しておきたいのは、ソヴィエト時代には、成人に配分されていない所得のシェアがそれ以前と比べても、それ以後と比べても、遥かに大きかった点だ。なお個人所得データはもっぱら労働賃金の配分に基づき、ほとんどの郊外世帯は除外されている。

ソヴィエト体制のもと、数百万人もの生活が、周期的な飢饉、大量粛清の数々、そして社会の隅々にまでゆきわたった間断なき抑圧のために、損なわれ、あるいは失われた。他方、これと同じシステムのもとで、これとは別の数百万人の生活は高進した。その受益者は人口学的区分を用いればもっとも容易に特定できる。

恩恵があったひとつの集団は、若年層の女性だった。国力の増進をめざしたボリシェヴィキは、潜在的資源として女性に目を付けたが、識字能力と教育の欠如が足枷となっていた。大衆教育は、女性の前に事務労働の世界を開いた。そして彼女らを田畑や工場での労苦から解放し、他人に誇れる生活を営むことを可能にした。

例えば、1970年までに、政府行政および企業運営における全被用者の60%超を女性が占めるようになった (TsSU 1973: 348, 445)。もっとも、キャリアを通じて女性は職業上の住み分け (job segregation) と直面し続けた。ガラスの天井、そして賃金労働と家庭内労働の 「ダブルシフト」 である。それでもなお、女性の生活の変化は目を見張るものだった。

ふたつめの受益者集団は児童である。革命以前には、6人に1人の児童が5歳になる前に命を落とした。ソヴィエト支配初期における動乱の数年でさらに悪化したが、その後この比率は劇的な向上をむかえる。その主因となったのは、公共衛生施策、感染管理、そして分娩ならびに外科手術における殺菌消毒といった、単純だが強力な諸施策だった。

図5が示すように、1950年代までには、出生時平均余命は30歳未満から60歳超に上昇していた。以後、向上は止み、一時は逆行することさえあった。

図5 出生時および諸年齢時でみた、ロシア人男性の平均余命 1896/97 – 1989 (国勢調査年度)

出典: Goskomstat Rossii 1998: 167-168.

図5はさらに第三の集団、すなわち恩恵をまったく得られなかった集団も示唆する。それは中年の男性 (女性) だった。ソヴィエト連邦は非感染的疾病および変性疾患に関する新しい学知を用いることはほとんどなかった。大人のソヴィエト市民は喫煙し、適切なレベルを超えて飲酒し、呼吸する空気も汚れていたため、臓器疾患や癌で早死にした。1890年代から1980年代にかけて、40歳以上の男女の平均余命はほとんど変化していない。

ソヴィエト経済とは、世界戦争と20世紀初頭の思想と科学技術の産物であった。それが生まれてから死ぬまでのあいだには、他の多くの国々も同様のあるいはより大きな社会的・経済的進展をみた。しかもより多くの合意と、より少ない暴力をもって。いま百周年をむかえるソヴィエト経済。われわれはその存在を忘れてはならないが、その死を嘆くにはあたらない。

参考文献

Davies, R W (1994), “Changing Economic Systems: An Overview.” in R W Davies, M Harrison and S G Wheatcroft (eds), The Economic Transformation of the Soviet Union, 1913-1945, Cambridge: Cambridge University Press, pp. 1-23.

Davies, R W, M Harrison, O Khlevniuk, and S G Wheatcroft (in preparation), The Industrialisation of Soviet Russia, vol. 7. The Soviet Economy and the Approach of War, 1937-1939. Basingstoke: Palgrave.

Dexter, K, and I Rodionov (2017), “The Factories, Research and Design Establishments of the Soviet Defence Industry: A Guide: Ver. 18”, University of Warwick, Department of Economics.

Goskomstat Rossii (1997), Naselenie Rossii za 100 let (1897-1997). Statisticheskii sbornik, Moscow.

Harrison, M (2017a), “The Soviet Economy, 1917-1991: Its Life and Afterlife,” The Independent Review 22(2): 199-206.

Harrison, M (2017b), “Foundations of the Soviet Command Economy, 1917 to 1941,” in S Pons and S Smith (eds), The Cambridge History of Communism, vol. 1: World Revolution and Socialism in One Country, Cambridge: Cambridge University Press, pp. 327-347.

Markevich, A, and M Harrison (2011), “Great War, Civil War, and Recovery: Russia’s National Income, 1913 to 1928”, Journal of Economic History 71(3): 672-703.

Novokmet, F, T Piketty, and G Zucman (2017), “From Soviets to Oligarchs: Inequality and Property in Russia, 1905-2016”, WID.world working paper no. 2017/09.

Singer, J D, S Bremer, and J Stuckey (1972), “Capability Distribution, Uncertainty, and Major Power War, 1820-1965”, in B Russett (ed.), Peace, War, and Numbers, Beverly Hills: Sage, pp. 19-48.

TsSU (1972), Narodnoe khoziaistvo SSSR. 1922-1972. Iubileinyi statisticheskii sbornik. Moscow: Statistika.

脚注

[1] このフレーズは1987年に、当時 The Daily Telegraph のモスクワ特派員を務めていたクサン・スマイリーが造り出したもののようである; http://www.russialist.org/archives/3059.html##6を参照 (2017年9月28日アクセス)。

 

クリスチャン・ダストマン, ヘジン・ク, ドウォン・クァク 「なぜ男女別学校のほうが上手くゆくのか」(2017年9月28日)

Christian Dustmann, Hyejin Ku, Do Won Kwak, Why single-sex schools are more successful, (VOX, 28 September 2017)


これまで幾つかの研究で、男女別学校の生徒が男女共学校の生徒を上回る成績を収めていることが示されてきた。本稿はこの因果効果を細分化する試みである。そのさい利用したのは韓国政府のある政策で、これにより一部の男女別学校でいちどに一学年づつの男女共学化が行われた。学業成績は、男女共学となった学校の男子生徒については学級が男女別学に保たれていた場合でも低落した。女子生徒についてはクラスも男女共学になった場合のみ低落した。これら結果は、男女共学校が男子生徒と女子生徒におよぼす影響につき、異なるメカニズムが存在することを示唆する。

ここ数年、生徒の学業成績向上および諸般の性別格差の縮減をめざすために取り得る方策として多くの政策的関心を集めているのが、男女別学教育だ。男女別学教育の推進者の主張によると、男女別学環境には、生徒が異性に気を取られることを避け、また性別にかんする固定観念から苦痛をこうむる可能性を少なくするといった幾つか理由で、学業成績に好影響があるという。他方、男女共学教育の支援者の主張では、男女共学校の男子生徒のほうがよい成績を修めており、それはかれらが素行・学業成績ともにより優秀な女性のピアに取り巻かれているからだという。くわえて、男子生徒・女子生徒そうほうにとって、男女共学の環境はソーシャルスキル涵養の観点でもより好ましく、生徒に 「現実社会 (real world)」 にたいする準備をさせる意味でもより適切である、と主張されている。

こうした次第であれば、問題の鍵は、男女別学環境が生徒の学業成績を向上させるかではなく、その効果がどちらの性別にも共通しているのか、ここにあるといえよう。この点につき研究を進めるさい必要となるのは、男女共学校にたいする男女別学校のピアに、生徒を露出した場合の因果的影響の推定である。この影響の推定はきわめて困難である。その最たる理由は、生徒をさまざまな学校に選別するプロセスが内生的であるところにある。

研究課題および研究計画

われわれが最近の論文 (Dustmann et al. 2017) で取り上げたのは、まさにこの問題だ。われわれの研究の基礎となっているのはPark et al. (2013) である。同論文は韓国のソウルにおける割り振り政策を活用したものだ。ソウルの学生は、学区内部にある普通高校へと無作為に割り当てられていた。同著者らは単一クロスセクションデータ (1999年のもの) を用いて、男子生徒 (女子生徒) であって男子校 (女子高) に割り当てられた者の成績が、男女共学校における生徒のそれを上回っていることを示した。しかしながら、ソウルにおける既存の男女別学校および男女共学校は、生徒の性別以外にも、観測可能なもの観測不能なものそうほうを含む多様なインプットについて異なっているかもしれず、それが生徒の学業成績に作用することもあり得る。したがって、生徒が男女共学校ではなく男女別学校へと無作為に割り当てられたとしても、学校間でみられる生徒のアウトカムの違いが、生徒の性別のためである可能性と (生徒の性別構成からの直接効果)、観測可能なもの観測不能なものそうほうを含む学校由来インプットである可能性と (学校効果) があるのだ。またさらに、生徒の性別構成からの直接効果のほうは、男女共学校のピアにたいする学校 (school) レベルでの露出に由来する可能性と、学級 (classroom) レベルのそれに由来する可能性とがある。男女別学校または男女別学学級の新設を考えている政策画定者にとって鍵となるのは、男女共学学習環境にたいする男女別学学習環境への露出になんらかの直接の恩恵があるのか – 学校レベルであれ学級レベルであれ – という問題だ。

男女共学校にたいする男女別学校がもつ全体的な効果

われわれはこれら3つの異なるパラメータを特定している。そのさい国立大学入学試験にかんするある行政データが役に立った。これら試験は1996-2009期に韓国学制における12年生が受けたものだ。前述の選別問題に取り組むため、学区内における学校への生徒の無作為割当を、コホートごとに用いた – Park et al. (2013) に類似した手法だが、本研究では複数年度データを扱っている。これによりわれわれの次の第一の問題と取り組むことができるようになった:

  • (男女共学にたいする) 男女別学校での就学が生徒の学業成績におよぼす全体的な効果はいかなるものか?

因果的ではあるが、これは直接効果 (生徒の性別構成による) および学校効果 (男女別学校と男女共学校とのあいだの差異による) の合成物を示すものだ。

結果、男女別学校の生徒が男女共学校の生徒を成績において上回る旨を示す頑健な実証成果が得られた。その差は、男子生徒については標準偏差の5-10%分、女子生徒については標準偏差の4-7%分であり、(韓国語・英語・数学を含む) 諸科目をとおし、似通った推定値がでている。これはPark et al. (2013) で報告された結果とも軌を一にしている。これら効果は、ソウルにおいて (男女共学にたいする) 男女別学校での就学が試験の成績におよぼす因果的効果を計測するものだが、この全体的効果はそうした文脈に特定的であることも事実である。なぜかといえば、この全体的効果は、男女共学校にたいする男女別学校のピアへの露出と、男女別学校と男女共学校のあいだにある学校由来インプットの文脈特定的差異、これらを合成しているからだ。したがってこのパラメータは、ソウルで学ぶ生徒とその親にとって興味深いものだとしても、他の環境に一般化できるものではないのである。

直接効果

直接効果の分離をおこなうため、われわれは次の事実を利用した。すなわち、ソウルでは男女共学教育を厚遇する政府の政策のために、1990年代から2000年代にかけて男女共学タイプに変換した男女別学校が一部存在したのである。これにより、観測されておらず、かつ、時間不変的な (および観測され、かつ、時間変化的な) 学校の特徴を除去できるようになった。つまり、次の問題への取り組みが可能になったのである:

  •  (男女共学環境にたいする) 男女別学環境への露出には、学校および学級レベルで、いかなる直接効果があるのか?

ここでわれわれは (無作為学校割当と並行した) 学校タイプの変化を利用し、男女別学環境か男女共学環境のいずれかにたいし、学校レベル・学級レベルのそうほうで露出したコホートを比較した。結果、学校タイプが男女別学校から男女共学校へと変化すると男子生徒・女子生徒そうほうについて学業成績が悪化することが判明した。これは学校ごとの固定効果を前提としたものであり、したがって、(男女共学環境にたいする) 男女別学環境への学校・学級レベルでの露出がもたらす合成効果はポジティブなものであることが示唆される。

学校レベルでの露出にたいする学級レベルでの露出

最後に、われわれは韓国における普通高校が3つの学年 (10学年・11学年・12学年) から成り立っている事実、および学校タイプ変換がコホートレベルで実施された事実、これらに着目した。具体的には、男女共学体制に迎え入れられた最初のコホートは、3年ものあいだ、学級・学校レベルで両性入り混じったピアにたいし露出したのである。これより一学年上のコホート (the preceding cohort) は、学級レベルで両性入り混じったピアに露出することはないものの、学校レベルでは男女共学環境にたいし (またこの体制転換に由来した学校レベルのあらゆる変化にたいし) 高校生活3年のうちの残る2年間、露出したのだった。新たな男女共学環境にたいする学校レベルでの露出からこれら2つのコホートのうける影響が似通っているかぎりで、2つのコホートの学業成績の差異 (および非体制転換校においてこれに対応する差異) をとおし、次の最後の問いに答えることができる:

  • 学級レベルにおける (混性にたいする) 同性のピアへの露出のみから生ずる効果はいかなるものか?

われわれは韓国の高校がもつ多学年制という特徴、および生徒の性別のコホートレベルでの変換を利用した。結果、学級レベルでの (混成にたいする) 同性のピアへの露出が、女子生徒の学業成績に有意な正の影響をもたらすことが判明した。具体的には、同一コホートに属する女子学生の割合を100%から50%へと外生的に変化させると、語学にかんする女子生徒の学業成績は、スコア分布の標準偏差の8-15%分減少した。しかしながら男子生徒については、(混成にたいする) 同性のピアが自らのコホート内にいることの恩恵は小さく、かつ、統計的に有意でもない。前述の直接効果にかんするわれわれの発見をふまえると、この発見が示唆するのは、自校における女子生徒の存在は (たとえ同じコホートにはいない場合であっても)、男子生徒の意識を勉学から遠ざけるのだということである。たいする女子生徒のほうは、こうした撹乱効果にもそこまで脆弱ではないが、それでも学級レベルで男子生徒に露出した場合には不利益をこうむる。

まとめと議論

われわれの研究の主要成果は、混性にたいする同性のピアに学校・学級レベルで露出したさいの効果を合成したもの (先ほど直接効果と呼んだもの) が、女子生徒・男子生徒そうほうにとってポジティブなものである可能性が高いという発見である。しかしながら、その背後にあるメカニズムは異なっている。男子生徒にとっては、男女共学教育の不利益は、学校レベルでの男女共学環境への露出にもっぱら由来する。しかし女子生徒にかんしては、(同性にたいする) 混性のピアへの学級レベルでの露出こそが、男女共学教育の不利益を説明するものとなっている。

十代の男子生徒は、女子生徒とくらべ、男女共学環境に注意を削がれがちなのかもしれないが (Coleman 1961, Hill 2015)、それでも女子生徒のこうむる不利益のほうが大きくなる可能性もある。たとえば、破壊的行動 (disruptive behaviour) が増加する (Figlio 2007の考察)、教師の注意が能力の劣る生徒のほうに傾く ( Lavy et al. 2012の示唆) といった理由がこれだ。

参考文献

Coleman, J S (1961), The Adolescent Society, New York: FreePress.

Dustmann, C, H Ku and D W Kwak (2017), “Why are single-sex schools successful?”, CEPR, Discussion paper no DP12101.

Hill, A J (2015), “The girl next door: The effect of opposite gender friends on high school achievement”, American Economic Journal: Applied Economics 7(3): 147-177.

Figlio, D N (2007), “Boys named Sue: Disruptive children and their peers”, Education Finance and Policy 2(4): 376-394.

Lavy, V, M D Paserman and A Schlosser (2012), “Inside the black box of ability peer effects: Evidence from variation in the proportion of low achievers in the classroom”, Economic Journal 122(559): 208-237.

Park, H, J R Behrman and J Choi (2013), “Causal effects of single-sex schools on college entrance exams and college attendance: Random assignment in Seoul high schools”, Demography 50: 447–469.

 

ローラン・ブトン, パオラ・コンコーニ, フランシスコ・ピノ, マウリツィオ・ザナルディ 「銃と票: 無気力なるマジョリティにたいする強硬派マイノリティの勝利」(2017年10月6日)

Laurent Bouton, Paola Conconi, Francisco Pino, Maurizio Zanardi, Guns and votes: The victory of an intense minority against an apathetic majority , (VOX 06 October 2017)


合衆国市民のおよそ90%が支援しているのにもかかわらず、銃購入にたいするバックグラウンドチェック強化案は合衆国上院で廃案となった。「銃規制のパラドクス」 は、投票者のもつ選好の強さがさまざまな政策論点により異なるという事実、そしてそれにもかかわらず投票権者には雑多な政策論点に責任をもって取り組むべき政治家を選ぶのに、たった1つの票しか与えられていないという事実、これで説明できる可能性がある。これら特徴を取り込んだモデルは、合衆国議会上院の投票行動をうまく予測する。改選が近くなるほど上院議員は銃擁護の票を投じる傾向が高くなる。そして銃問題にかんして意見を翻すのは、民主党員のみである。

編集者注: 本稿は初め2013年12月に公表されたもの。最近の悲劇的事件を受けて、また新たに政策的関連性を得た。

2012年12月14日、コネティカット州ニュータウン市サンディ・フック小学校の銃撃事件で、児童20名および職員6名が殺害された。この悲劇を経て急激に高まった銃規制支持の世論にもとづき、オバマ大統領は新たな銃規制の導入形態にかんする直接的勧告案を提示するタスクフォースの編制を宣言、この 「国家を揺るがす銃暴力の蔓延」 に終止符を打とうとした。

一年が過ぎたが、合衆国議会はより厳格な規制の導入ができずにいる。広範な世論的支援があるにもかかわらず。The Economist で指摘されたように、「さらなる銃規制を求める動きが昨年10月のニュータウン市銃撃事件のすぐあと現れたとき、焦点があてられたのは次の3点だった: アサルトウェポン、高キャパシティマガジン、バックグラウンドチェックだ。しかし新たな銃規制法を求める熱気は急速に薄れてゆく。次第に明らかになってきたのは、アサルトウェポンおよび高キャパシティマガジン追放の運動が、法律制定に必要な票を得られそうにないという状況だ。銃規制推進派はバックグラウンドチェックシステムの強化を目指すほかなくなった。だが、結局それさえ高望みだったのだ」(The Economist 2012)。

2013年4月17日、銃展示会やオンラインでの私的な売買にたいするバックグラウンドチェックを要請する穏健な運動さえ、上院で廃案となった。これは驚くべき事態ではないか。そもそも当時とりおこなわれた世論調査は全て、合衆国市民のマジョリティが同施策を支持していると示していたのである1。オバマ大統領の言葉をきこう: 「90%が支持したものがそれでもなお実現しないなどという事態が、一体なぜ起こるのか?」

銃規制パラドクスの解明

合衆国議会議員のあいだにみられる銃規制支持への躊躇は、合衆国市民の大半がそれを支持している事実があるだけに、関連分野における長年の謎であった。Schuman and Presser (1978) はこの謎をさして 「銃規制のパラドクス」 との言葉を用いた。Goss (2006) の主張するように、1つの考え方としては、「アメリカ人の銃所有者は強硬派であり、よく組織されているだけでなく、候補者にその銃規制にたいするポジションだけを基準に反対票を投ずることを厭わないのだ」 という説明もありうる。銃所有者は 「強い動機をもつ、強硬派マイノリティを構成」 し、「相対的に無気力なマジョリティを圧倒」 しているのだ。

われわれは最近の論文 (Bouton et al. 2013) で、このアイデアの定式化を試みつつ、選挙に関連したさまざまなインセンティブが政治家に銃擁護のスタンスを取らせ、選挙民の中のいちマイノリティの利益に沿うよう突き動かしていることを示す実証データを提示した。われわれが提案する理論モデルは、政治家がおこなう第一義的 (primary) および第二義的 (secondary) な政策論点にかんする投票をとらえたものである。前者は、投票権者のマジョリティが相対的に多くの関心をむけている論点をさし、公共支出の水準などがこれにあたる。後者は銃規制の把捉をめざすもの – すなわち、なんらかのマイノリティ集団が相対的に強い関心をむけている論点だ。ところで、現職政治家の第二義的政策論点にかんする選択方針については、マイノリティのほうがより多くの情報をもっている可能性がある。こうした状況のなか、市民には雑多な政策論点に自らに代わり責任をもって取り組むべき議員を選択するのに、たった1つの票しか与えられていない。そうなると政治家は第二義的政策論点につきこうしたマイノリティに阿る態度をとりながらも、マジョリティの支持を大幅に失わずに済む可能性がある。本モデルは次の3つの検証可能な予測結果を出している:

  • 一、任期終了を間近に控えた政治家は、自らの政策的選択が改選の見込みにおよぼす影響が大きいほど、銃擁護のスタンスを取る傾向が高くなる。
  • 二、銃規制にかんし 「翻意」 する政治家は、銃規制に好意的であり、かつ、改選を気に掛けている者のみである。こうした政治家は、自らの政策選好と改選   意図とのあいだの葛藤に直面するためだ。
  • 三、選挙が近づこうが、銃規制に反対し、かつ/または、改選を気に掛けていない、政治家の投票行動にはなんら影響がない。

合衆国議会上院における投票行動

以上の予測の妥当性を評価すべく、われわれは1993-2010年期間において上院でおこなわれた銃規制にかんする投票の決定因子を検証した。合衆国議会上院のズレ構造 (staggered structure) – 議員は6年任期だが、三分の一の議員が2年ごとに改選される – は、選挙の近さが銃規制立法にたいする政治家の投票行動に作用するのかを検証するための擬似実験的環境を与えてくれる。この構造のおかげで、所与の投票について、3つの異なる 「世代」 – すなわち、異なる時期に改選される層 – に属する上院議員の行動が比較可能になる。

モデル予測と軌を一にする、次の3つの主要結果が得られている:

  • 一、上院議員の最古参世代 (すなわち、2年以内に改選をむかえる者) は、それ以前の2世代よりも銃擁護の投票をする可能性が高い。

影響は相当大きく、また計量経済学的方法論やサンプルにする投票事例をさまざまに変えてみても、また上院議員の銃規制にたいする投票行動を駆動しているその他要素を考慮した多様な調整要素を組み入れても、頑健性を保った。

  • 二、民主党の上院議員のみが銃規制にかんして翻意する – 任期最後の2年間になると、これら議員が銃擁護の投票する確率は、15.3%から18.9%増加する。
  • 三、選挙が近づいても、改選を気に掛けていない上院議員の投票行動にはなんら影響がない。気に掛けていないというのは、リタイアするつもりなのか、議席確保がかなり確実であるか、その何れかである。

銃規制投票の決定因子にかんする本研究結果は、世論の圧倒的な支援があったにもかかわらず、ニュータウン市での悲劇を経ても合衆国議会がより厳格な規制を導入しなかった理由を解明する手掛かりになる。われわれの実証的モデルは、直近の4月のバックグラウンドチェックにかんするManchin–Toomey修正案が上院で廃案となることをじっさいに予測した2

まとめ

間接民主主義国では、政策選択が選挙民マジョリティの欲するところから逸脱する場合がままある:

  1. 投票権者はさまざまな政策論点で選好の強さが異なる; また
  2. 投票権者には、雑多な論点に自らの代わりに責任をもって取り組むべき代表者を選出するために、たった1つの票しか与えられていない。

言わずもがなだが、ロビー集団による財政的圧力が、政治家の選択とマジョリティの選好とのあいだの対応性の欠如を助長している可能性はある。じっさいわれわれの実証成果では、銃権利ロビーからより大きな選挙キャンペーン的貢献を享受している上院議員ほど、銃擁護のスタンスを取る傾向もより高くなることが確認された。しかしながら、このロビー集団による財政的圧力も、選挙の近さが上院議員の投票行動におよぼす銃擁護的影響までは説明できない – 個々の上院議員がその任期をとおして獲得する支援分を調整したあとでさえ、これら議員は改選が近づくと銃擁護の投票をおこなう傾向が高まることが判明しているのだ。したがって、NRAのような銃権利ロビーの力は、かれらの財布の中身だけでなく、こうしたロビー団体のメンバーが単一争点のみにこだわる投票権者である事実にも負うところがあるようである3

総論的には、一緒くたにされた雑多な政策論点を解きほぐしてゆく市民のイニシアチブが、市民の選好と政策アウトカムのあいだの対応性を向上させる手掛かりとなりうる (Besley and Coate 2008)4。各論的には、合衆国諸州のなかでも、一般市民が投票で新立法の可決/否決を決定できるところでならば、より厳格な銃規制を導入できるかもしれない5。とはいえ、市民イニシアチブの場合であれ、投票権者の選好の強さは重要だ。たとえば、イチシアティブの組織には金と時間そうほうで非常にコストが掛かるが、銃規制にたいし強硬に反対する市民ほどそうしたコストを厭わない傾向があるかもしれない。くわえて、銃規制肯定派の市民ほど投票コスト (例: 時間を割いて有権者登録する・仕事の予定を組み直す・投票所に足を運ぶ・候補者情報を収集するなど) を厭わないかもしれない。かくして強硬派マイノリティは、無気力なるマジョリティにたいする優位をなお保ちうるのである。

参考文献

Besley, T and S Coate (2008), “Issue Unbundling via Citizens’ Initiatives”, Quarterly Journal of Political Science, 3: 379–397.

Bouton, L, P Conconi, F J Pino, and M Zanardi (2013), “Guns and Votes”, CEPR Discussion Paper 9726.

The Economist (2013), “Over before it began”, 24 April.

Goss, K A (2006), Disarmed: The Missing Movement for Gun Control in America, Princeton University Press.

Schuman, H and S Presser (1978), “Attitude Measurement and the Gun Control Paradox”, The Public Opinion Quarterly, 4: 427–438.

1 たとえば、2013年4月にとりおこなわれたABC News–Washington Postの世論調査は、回答者の86%が銃展示会やオンラインでの銃売買にたいするバックグラウンドチェックを支持していると示した。2013年1月にとりおこなわれたCBS News–New York Timesの世論調査によると、92%の合衆国市民が全面的バックグラウンドチェックを支持していたという。

2 1993–2010年期間にかんする推定値にもとづき、われわれは99人中93名の上院議員について、2013年4月14日のマンチン–トゥーミー修正案にたいする投票を正しく予測した。ただし、多数党院内総務ハリー・リードは除く。かれは、幾つかの手続き上の理由から、本修正案にたいし反対票を投じたためだ。合衆国議会上院では、議事妨害をのりこえて法案を先に進めるために必要な60票が得られなかった。われわれの予測した票差 (51-48) は、実際のもの (53-46) にきわめて近いものとなっている。ただし、ここでもハリー・リードは除いた。

3 Slateに掲載されたある記事が指摘するように、「NRAは大方から本国における最も強力なロビー集団だと見做されている。財源はどちらかといえば控えめといったところでメンバーもちょうど4百万人程度なのだが。[…] NRAはほとんど銃規制の論点のみに専念しているため、かれらの指導層はその立法関連の目的を徹底的に追求できる体制になっている。おそらく最も重要な点だが、NRAはそのメンバーの多くが組織そのものと同じくらい一点集中型の考えをしている。世論調査では、相対的に多くのアメリカ人が銃規制の緩和よりその強化に好意的である旨がしばしば示されるが、銃権利推進派はこの論点における反対陣営とくらべ、一点集中型である可能性がはるかに高いのだ」(Slate, 29 June 2012)。

4 直接イニシアチブ (direct initiative) の手続きは、市民が立法案や憲法修正の形をとる請願を提出することを可能にする。この請願が十分な世論の支持を獲得した場合、その施策はそのまま投票に直行する段取りとなる。そのさい初めに立法府に法案を提出しておく必要はない。

5 たとえば、「イニシアチブ594」 としても知られる 「銃購入に関する全面的バックグラウンドチェックを求めるワシントン州イニシアチブ (Washington Universal Background Checks for Gun Purchases Initiative)」。本イニシアチブがワシントン州で2014年11月4日の投票用紙に記載されるかもしれない。本施策が投票権者により可決された場合、ワシントン州で銃を購入する全ての人を対象とするバックグラウンドチェックが要請されるようになる – これには私的な取引をとおして購入する者も含まれる。

 

リヴァイ・ボクセル 「インターネット・ソーシャルメディア・政治分極化」 (2017年10月1日)

Levi Boxell, “The internet, social media, and political polarisation” (VOX, 01 October 2017)


インターネットは、近年の政治の分極化について相当な汚名を着せられてきた。合衆国のデータを用いつつ本稿が主張するのは、政治分極化の強まりという少なくとも1970年代まで遡れる一般動向について、インターネットはじつのところ何ら重要な役割を果たしてこなかったこと、これである。本研究結果は、都合のよい物語をとおした説明にとどまらない視点をもつことの重要性、そして政治的気分をうみだす諸要因をより深く理解することの必要性を照らし出す。

合衆国選挙民のあいだで近年政治の分極化が進んでいる旨を示唆する文献が増えている (例: Abramowitz and Saunders 2008, Iyengar et al. 2012)。1994年、政党支持者 (party affiliates) のおよそ20%が反対政党について 「強く不支持 (very unfavourable)」 の見解をもっていた。2016年までに、この数字は55%超に高まり、現在も減速の兆しは全くみられない (Pew Research 2016)。1994年から2014年にかけて、政治ポリシーにかんする質問群をとおし強固に一貫したイデオロギー的見解をもつアメリカ人の割合は、2倍以上に膨らんだ – すなわち10%から20%超に増加した (Pew Research 2014)。

政治分極化にたいする関心のほうも空前の高まりをみせている。Google Trendsが示すところでは、合衆国における政治分極化に関連した検索の件数は2016年の11月、2004年のモニター開始以降のいずれの選挙月をも上回るものとなった1。Gentzkow (2016) も、1950年から2008年にかけてのGoogle Books Ngram Viewerデータにおける政治分極化への言及について、同様の結果を得ている。

政治分極化の強まりの説明としてよく引用される仮説の1つは、インターネットとソーシャルメディアを主たる要因とするものだ。Cass Sunstein (2007) の次のような言葉は、この議論の標準型を示している:

インターネットのおかげで甚だしく容易になったのは自分の見解の後押しとなる膨大な資料を渉猟し … [なおかつ] それと反対の趣旨をいう資料のいっさいを排除することだ … このセルフ-ソーティングがもたらす重要な帰結に、飛び地の過激主義 (enclave extremism) とでも呼びうるものがある。同好の士からなる飛び地にゆき着いた人々は、通例そこからさらに極端な地点に向かってゆくものだ

よく知られたEli Pariser (2011) や Cass Sunstein (2001, 2009, 2017) の著作は、インターネットが 「フィルターバブル」 ないし 「エコーチャンバー」 の役割をはたすというこの考えについて詳説したものだ。

個人は、インターネット上で同好の士的な情報源をじじつ見い出しており、またソーシャルメディア上でも同好の士的な個人と繋がる傾向が比較的強いこと、これについては強固な実証データが存在する。既存研究は、政治ブログ上でのリンク (Adamic and Glance 2005)、ウェブサイト訪問 (Gentzkow and Shapiro 2011)、Twitter上の政治的リツイート (Conover et al. 2011)、ソーシャルメディア上の記事シェア・クリック (An et al. 2014, Bakshy et al. 2014, Flaxman et al. 2016)、Twitter上の政治的同類性 (Colleoni et al. 2014, Gruzd and Roy 2014, Halberstam and Knight 2016) などにおける住み分け (segregation) を明らかにしてきた。

図1 メディアと交流形態でみたイデオロギー的住み分け

出典: Gentzkow and Shapiro (2011).

しかしながら、オフラインの情報源とオンラインの情報源を比較する段になると、諸研究はどちらにも同程度の分節化レベルを見い出している。図1はGentzkow and Shapiro (2011) から取ったものだが、ウェブサイト訪問にかんする分節化をみると、これは全国紙にかんする分節化ほどではないが、地方紙にかんする分節化よりも激しいといった具合になっている。Halberstam and Knight (2016) もTwitter上の政治ネットワークを調べて、Twitter上の政治ネットワークとオフラインの政治ネットワークの分節化が同程度であることを明らかにしている。なお付言しておくと、インターネット上の情報源にかんする分節化はたしかに示唆的であるが、これはインターネットが分極化を促したという命題の必要条件でもなければ十分条件でもないのである。

図2 標準化した政治分極化の指標の動向 (1972–2016)

出典: Boxell et al. (近刊).

最近の論文で私は共著者らとともにインターネットと政治分極化の関係を調査している。そのさい 「全米選挙研究 (American National Election Studies)」 のサーベイデータを用いることで、オンライン情報へのアクセスで異なる人口学的諸集団をとおしてみた分極化動向の比較をおこなった (Boxell et al. 近刊)。研究における発見が個々の政治分極化基準によって左右される程度を減らすため、我々はこれまで関連文献で用いられてきた8つの基準をもとにあらたに1つの標準化指標を作成した。なおこれまでの尺度とは、Abramowitz and Saunders (2008) のイデオロギー整合性の尺度、Mason (2015) の党派的ソーティングの尺度などをさす。図2には、我々の指標の1972年から2016年にかけての動向を示した (1996年に値が1となるように標準化した)。本期間をとおし分極化には安定した上向きの動きがみられる反面、インターネットの勃興に対応する変節点を示す兆候はまったく確認できない。1996年以前の動向だけみても、政治的分極化の説明においてインターネットが果たし得る役割は限られていそうだ。

くわえて図3が示すように、分極化は1996年から2016年にかけて高齢者 (65+および75+の年齢層) のほうが青年 (18-39の年齢層) よりも急激に進行した。さらに、予測インターネットアクセスを計る尺度として人種や教育といったその他の人口学的変数を取り入れたより包摂的なものを用いた場合、1996年においてインターネットアクセスを享受していた可能性が最も低い人口学的諸集団のほうが、1996年においてインターネットアクセスを享受していた可能性が最も高い人口学的諸集団よりも、大きな分極化の変化を被っていたことが確認できた。

図3 さまざまな年齢層の政治分極化 (1996-2016)

出典: Boxell et al. (近刊).

インターネットないしソーシャルメディアへの直接的なアクセスが政治分極化の主要要因であるとすれば、予想される動向はこれと正反対になるはずだ。高齢者 (65+) が選挙キャンペーンにかんする2016年のニュースをオンラインで視聴していた可能性は、青年 (18-39) のおよそ半分であり、ソーシャルメディアを利用していた可能性はさらに少ない。それにもかかわらず、最大の政治分極化を被ったのはこの相対的年長者の層なのだ。これら事実を念頭におけば、諸年齢層にわたるインターネットアクセスへの反応の大きな不均一性、あるいは諸年齢層にわたる相当な波及効果を考慮しないまま、インターネットないしソーシャルメディアが現在みられる政治分極化の主要要因であるとする物語を作り上げることはできなさそうだ。

以上の発見は、インターネットないしソーシャルメディアが政治分極化に及ぼす影響を否定し去るものではない。事実、インターネットが僅かながら影響をもつ可能性を示す実証データも存在する。Lelkes et al. (2017) は恐らくは外生的だと思われる管路敷設権立法 (right-of-way legistlation) の変化を援用しつつ、ブロードバンドの普及が対象カウンティにおける感情的分極化 (affective polarisation) を一定程度強めたとの主張をしている。ただ同著者らは 「我々は、ブロードバンドが党派的反感の強まりを引き起こした唯一の原因などと主張するものではない。あるいは主要な原因ですらないかもしれない … 感情的分極化は少なくともインターネット利用が始まる二十年前には強まり始めていた」 と述べ、自らの発見を穏当なものにとどめている。またこれら研究結果は、諸年齢層にわたる感情的分極化の違いを説明するものでもない。

ところで、2016年の選挙結果をインターネットおよびソーシャルメディアの責めに帰すよく似た物語がある。選挙後、ヒラリー・クリントン氏は、自身の敗北の一因はフェイクニュースとFacebookだったと仄めかした。我々の論文では、人口学的諸集団にわたり投票率を比較することで、2016年の選挙にインターネットが及ぼした影響についても調査している。ドナルド・トランプ氏がインターネット利用性向の相対的に高い人口学的諸集団から獲得した票の比率が、以前の大統領達よりも大きかった旨を示す実証データはまったく確認されなかった。じっさいのところ、我々の点推定値はそれと正反対の構図を示唆している – トランプ氏はインターネット利用性向の高い人や実際のインターネット利用者のあいだでは比較的振るわなかったようなのだ。トランプ氏の支持者に占めるソーシャルメディア利用者の割合、および人口学的諸集団をとおしてみた投票率の違いを調べたHampton and Hargittai (2016) も同様の結論に至っている。

今日の合衆国には諸政治集団のあいだに相当な断裂がさまざま存在し、しかもこれら断裂が埋まってゆく気配もみえない。政治分極化やポピュリスト的な大統領候補の席巻を理解しようと試みるさい、インターネットやソーシャルメディアをやり玉に挙げたくなる気持ちも分からなくはない。しかしながら、人口学的諸集団にわたる基本動向は、どちらの現象を説明するにしてもインターネットが大きな役割を与えるような物語を支持するものとはなっていない。メディア消費は従来型メディアを離れこうした新たなプラットフォームに向かうシフトを続けており、我々もまたこれらプラットフォームの利用形態およびその政治領域への影響を注視し続けてゆく必要がある。だが、前述の結論を覆す新たな実証データが現れるまでは、FacebookフィードやGoogle検索に代わる何かがあれば我々の直面している政治問題が解決されるなどと考えるべきではない。

参考文献

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Adamic, L A and N Glance (2005), “The political blogosphere and the 2004 US election: Divided they blog”, Proceedings of the 3rd International Workshop on Link Discovery: 36–43.

An, J, D Quercia and J Crowcroft (2014), “Partisan sharing; Facebook evidence and societal consequences”, Proceedings of the Second ACM Conference on Online Social Networks: 13–24.

Bakshy, E, I Rosenn, C Marlow and L Adamic (2012), “The role of social networks in information diffusion”, Proceedings of the 21st International Conference on World Wide Web: 519–528.

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Flaxman, S, S Goel and J M Rao (2016), “Filter bubbles, echo chambers, and online news consumption”, Public Opinion Quarterly 80(S1): 298–320.

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Gentzkow, M and J M Shapiro (2011), “Ideological segregation online and offline”, Quarterly Journal of Economics, 126(4): 1799–1839.

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Halberstam, Y and B Knight (2016), “Homiphily, group size, and the diffusion of political information in social networks: Evidence from Twitter”, Journal of Public Economics 143: 73–88.

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Lelkes, Y, G Sood and S Iyengar (2017), “The hostile audience: The effect of access to broadband internet on partisan affect”, American Journal of Political Science 61(1): 5–20.

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Sunstein, C R (2001), Republic.com, Princeton, NJ: Princeton University Press.

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Sunstein, C R (2009), Republic.com 2.0, Princeton, NJ: Princeton University Press.

Sunstein, C R (2017), #Republic: Divided democracy in the age of social media, Princeton, NJ: Princeton University Press.

Endnotes脚注

[1] See https://trends.google.com/trends/explore?date=all&geo=US&q=%2Fm%2F02shm1 を参照

ダグ・バンダーワーケン, ヤツェク・ローター, ブライス・ングエリファク 『フットボールにおける反則行為への出場停止処分の影響: プレミアリーグの事例研究 』 (2017年2月9日)

Doug VanDerwerken, Jacek Rothert, Brice Nguelifack, “The impact of suspension rules on fouls in football: Case study from the Premier League” (VOX, 09 February 2017)


 

殆どのフットボールリーグでは、イエローカードを一定数累積した選手に対し出場停止処分が課されるようになっている。本稿では、イングリッシュプレミアリーグにおいて選手達が犯した反則行為 [fouls] 数にこのルールがどの様な影響を及ぼしているのか論述する。出場停止処分上限に差し掛かった選手達は、シーズン開幕時と比べ反則行為数が33%も少なくなる。またシーズン開幕後初試合においても、出場停止ルールの抑制効果により反則行為数が15%減少している。

フットボール試合の最中の違反行為のうち深刻なものは、反則選手に対するイエローカード提示を以て罰される。ともにボールを我が物にしようとするフットボール選手二名が衝突するような時、一方の選手が、あまりに無謀なため相手選手を負傷させてしまう例も比較的多いだろうし、行き過ぎたフィジカルが行使される場合もあるだろう。さらに、審判に対する不服申立てや意図的にプレイを遅らせるなどの不適切な振舞を通し、自らのチームがアンフェアなアドバンテージを得るよう画策する選手もいるかもしれない。

イエローカード一枚のみでは試合中に罰則を課すまでには至らないとはいえ、それは当該選手の懲戒記録に響いてくる。そのため、ここから執拗な違反行為者に対する付随的影響が生ずる可能性がある。例えばイングリッシュプレミアリーグでは、或る選手が8月のシーズン開幕から12月31日までの間にイエローカードを五枚受領した場合、同選手は五枚目のイエローカードを受領した次の試合について、出場停止処分を受ける。4月の第二日曜日より前にトータルで十枚のイエローカードを累積した選手は、十枚目のカード受領に続く2試合の出場停止となる。もしシーズン末までに十五枚のカードを受領したら、即座に3試合分の出場停止となる。

フットボールに関しては詳細な統計が利用可能となっており、その斐あって様々な研究者がカードの試合への影響や (Ridder et al. 1994, Bar-Eli et al. 2006)、どの様なファクターがチームのカード受領確率に作用しているのか (del Corral et al. 2010) を研究している。

今回の研究 (VanDerwerken et al. 2016) では、前記プレミアリーグの2011-2012年シーズンにおける、試合レベル、プレイヤー毎の統計値を利用し、出場停止ルールが選手達の反則行為行動に及ぼす影響を調べた。

我々が調査したのは、選手達の反則行為は出場停止上限が近づくにつれが少なくなってゆくのか、出場停止上限に近い選手達はイエローカードを受領する傾向が小さくなるのか、そして出場停止ルールが存在しない場合反則行為が為される数は変わってくるのか、これらの点である。

初めの2つの問いに対しては一般的な計量経済学手法を用いて回答を与え、最後の問いと取り組むにあたっては、最適なイエローカード累積を扱う構造モデルを構築した。

前記プレミアリーグにおける出場停止制度の類型は数多くのフットボールトーナメントで利用されている。これらはみな処罰を先送りする体制 [delayed punishment schemes] を取っており、合衆国における一部の州の所謂 『三振制 [three strikes]』 法制に類似する。同法制は執拗な違反者に対し厳罰を課すもの (Greenwood et al. 1994, Zimring et al. 1999)。個人の行動にこうした制度が及ぼす影響を分析する際には、ツーストライク状態にある個人による犯罪活動の減少のみを計測しないようにすることが重要 (Shepherd 2002) である。もしそうしてしまうと、同法制の真の影響が過小評価されてしまう。というのは、潜在的違反者全てに行動を変化させた可能性が有るからだ。我々のケースでは、出場停止ルールがただ存在するだけで、選手達は出場停止上限に近づくのを嫌うため、第一試合にしてすでに攻撃的なプレーが抑制される訳である。

結局のところ

先ず最初に、現行ルールのもとでイエローカード累積が反則行為数に及ぼす影響を実証的に検討した。ポワソン回帰1を用いて反則行為数の予測を行うが、その際にはペナルティカード累積の効果を分離するため、反則行動への影響が疑われるその他の変数を調整している。例えば、我々は選手に対する固定効果の影響も取り入れている。これは内在的な攻撃性レベルやポジションまた競技熱といった属性を組入れたものである。さらにインターセプト数やタックル成功数またドリブル失敗数といった、試合レベルでのパフォーマンス変数も取り入れた。最後に、累積上限到達までの時間、試合会場 (ホームかアウェイか)、出場停止処分の深刻性、および試合終了時の得点差についても調整を行った。

以上全ての潜在的影響源の分を修正すると、予想通り、イエローカードの累積は反則行動を減少させていた。イエローカードあと一枚で一試合出場停止処分となる様な時、選手の反則行為は、イエローカードあと二枚で出場停止の場合と比べると12%、あと五枚の場合 (例えばシーズン開幕時など) と比べると33%、少ないのである。反則行為数の減少は選手が2試合出場停止処分に直面した時さらに大きくなる。下の図1には反則行為の推定期待数を、出場停止処分までイエローカードあと何枚かの関数として示してある。

さらに、所与の試合において選手が何らかのカード一枚 (イエローカード、ないしより深刻なレッドカード。後者は試合からの即刻退場と自動的な出場停止処分を意味する) を受領する確率も、ロジスティック回帰を用いて予測した。驚くには当たらないが、同確率は該当選手が累積上限に近づくにつれ減少した。例えば、イエローカードあと二枚で二試合出場停止処分となり、次試合でのカード一枚受領確率が10%であるような選手を仮定したとしても、この仮定的選手があと一枚で同出場停止処分になる状況に陥れば、イエローカード一枚を受領する確率は低くなる (3%) ことになる。イエローカードあと二枚で一試合出場停止処分となる場合、同選手のカード一枚受領確率は25%に上昇することになる2

一つひとつの試合を大事に

出場停止ルールが無かったとしたら、選手達の反則行動はどれ位増えていたのだろうか? 素朴に考えれば、該当シーズン中未だ一枚もイエローカード累積が無い選手一名の犯した反則行為数につき期待値を算出し、それを全試合に関する選手あたり反則行為数期待値と見做すという形でこの問いに答えられそうである。しかしこの手法はルーカス批判を (Lucas 1976) を無視している。我々の推定値は出場停止ルールの在る環境において得取された。こうした環境にあっては、選手達の反則行為はシーズン初試合において既に少なくなっているかもしれない。何故なら早い時期にイエローカード一枚を受領すると、後に出場停止処分を受ける確率が高まるからだ。

そこで我々は最適イエローカード累積に関する動学構造モデルを開発し、この 『ファーストストライクの恐怖』(Shepherd 2002) に取り組んだ。本モデルは標準的な動学プログラミングモデルであり、次の様な特徴を持っている。まず累積イエローカード数を状態変数とした。選手は試合開始時に自らの努力量を選択する。努力量が多いほど選手の所属するチームがその試合に勝利する確率も高まる。活動量はさらにイエローカード一枚の受領確率も高める。均衡状態において、選手はイエローカード五枚で出場停止処分となる旨を知悉したうえで、このトレードオフを衡量しなくてはならない。本モデルは幾つかのパラメータに依拠しているが、その中には我々のデータからカリブレート可能なものもあれば、これが不可能なものもある。カリブレート可能なものについては、イエローカード五枚の上限に差し掛かった選手に関わる反則行為数の減少が、モデルにおいてもデータ中のそれと同一になるようにしている。その他のパラメータ値にはアドホックな当て嵌めが必要となった。

以上の下準備ののち、本モデルから出場停止ルールを取り除く反実仮想実験を行った。実験中の選手達は、一試合中にイエローカード一枚を受領したところで将来の出場停止処分には何ら影響が無いことを知悉しており、初期の試合でもプレイを調整する必要がない。我々の選択したパラメータ値を利用したかぎりでは、前記プレミアリーグにおける出場停止ルールの存在により第一試合における反則行為期待数が約15% (ファーストストライクの恐怖に関する我々の推定値) 減少させていることが判明している。シーズン期間全体では、同出場停止ルールにより期待反則行為数が33%も引き下げられている。図1にはさらに、一試合中に選手一名が犯す期待反則行為数を、同選手はイエローカードあと何枚で出場停止となるかとの観点からみた関数とし、我々の理論モデルの予測値を示している。

図1

本モデルのおかげで、審判の厳しさをはじめとする様々なファクターが出場停止ルールにどの様な影響を与えているのか分析する手立てが得られた。審判があまりに甘い場合、出場停止ルールにはあまり痛みが感じられない。選手達は自分がイエローカードを突き付けられることはあまりないと知悉しているからだ。審判があまりに厳格な場合も、出場停止ルールにはあまり痛みが無い – 少々攻撃的といった程度のプレイにしてすでにイエローカードが出されるなら、選手は、何れにせよイエローカードを受領するはめになるのだろうと、目下の試合のみにフォーカスする可能性もあるのだ。

試合レベルでの統計値の利用可能性が高まってきた所に、シンプルな経済理論が組み合わさり、フットボールにおいて出場停止ルールが攻撃的プレイに及ぼしている影響の定量化が可能となった。より一般的に言えば、先送りされた処罰に個人がどの様に応答するか、この点に関する知見が得られたのであるが、これはプロスポーツ以外の研究領域にも新たな洞察をもたらすものだ。

参考文献

Bar-Eli, M, G Tenenbaum and S Geister (2006), “Consequence of Players’ Dismissal in Professional Football: A Crisis-Related Analysis of Group-Size Effects”, Journal of Sport Sciences, 24:1083–1094.

del Corral J, J Prieto-Rodriguez and R Simmons (2010), “The Effect of Incentives on Sabotage: The Case of Spanish Football”, Journal of the American Statistical Association, 11:243–260.

Dawson, P, S Dobson, J Goddard and J Wilson (2007), “Are football referees really biased and inconsistent? Evidence on the incidence of disciplinary sanction in the English Premier League”, Journal of the Royal Statistical Society – Series A, 170(1):231–250.

Greenwood, P, C Rydell, A Abrahamse, J Caulkins, J Chiesa, K Model and S Klein (1994), “Three Strikes and You’re Out: Estimated Benefits and Costs of California’s New Mandatory- Sentencing Law”, Technical Report MR-509-RC, RAND Corporation.

Lucas, R (1976), “Econometric Policy Evaluation: A Critique”, Carnegie-Rochester Conference Series on Public Policy, 1(1):19–46.

Nevill, A, N Balmer and A Williams (2002), “The influence of crowd noise and experience upon refereeing decisions in football”, Psychology of Sport and Exercise, 3(4):261–272.

Ridder, G, J S Cramer and P Hopstaken (1994), “Down to Ten: Estimating the Effect of a Red Card in Football”, Journal of the American Statistical Association, 89:1124–1127.

Shepherd, J (2002), “Fear of the First Strike: The Full Deterrent Effect of California’s Two and Three-Strikes Legislation”, Journal of Legal Studies, 31:159–201.

VanDerwerken, D N, J Rothert and B M Nguelifack (2016), “Does the Threat of Suspension Curb Dangerous Behavior in Football? A Case Study From the Premier League”, Journal of Sports Economics, OnlineFirst. DOI:10.1177/1527002516674761.

Zimring, F, S Kamin and G Hawkins (1999). Crime and Punishment in California: The Impact of Three Strikes and You’re Out. Institute of Government Studies Press, University of California, Berkeley.

原註

[1] ポワソン回帰は最小二乗法に似たものだが、前者ではカウント値が正規分布ではなくポワソン分布に従うものと想定されている。

[2] 本分析の副産物として、アウェイに対するホームでのプレイには、ペナルティカード受領確率に、僅かではあるが認識可能な影響が有ることも明らかになった。我々の実施シナリオでは、ホームでのプレイは選手のカード受領確率を10%から8%に引き下げる。その存在が疑われる潜伏変数分を修正すると、この緩やかな減少の大部分は選手の行動ではなく審判に帰するのが合理的な様で、他の研究者 (例えば Dawson et al. 2007 and Nevill et al. 2002) が明らかにしてきた所を裏付けている。

 

ダロン・アセモグル, ジェームズ・ロビンソン 『植民地主義の経済的影響』 (2017年1月30日)

Daron Acemoglu, James Robinson, “The economic impact of colonialism” (VOX, 30 January 2017)


 

 今日の世界に観察される巨大な経済格差は、膨大な歴史過程を経て実現した経路依存的アウトカムであるが、そうした歴史過程の中でも一際重要なものに、ヨーロッパの植民地主義がある。最近のVoxebookから抜粋した本稿では、植民地主義が幾つかの根源的、しかし不均一な形で近代の格差を形成してきた、その経緯を検討する。

本稿の初出はVox eBook 『歴史に掛かる経済と政治の長影 (The Long Economic and Political Shadow of History)』 一巻。同書はこちらからダウンロード可能。

今日の世界に観察される巨大な経済格差は、一朝一夜にして出現した訳でないことは当然としても、前世紀に生じたものでもない。経済格差は膨大な歴史過程を経て実現した経路依存的アウトカムであるが、そうした歴史過程の中でも一際重要なものに、ヨーロッパの植民地主義がある。我々の来し方を500年ほど辿る、つまり植民計画の揺籃期にまで遡るなら、貧困国と富裕国との間にも然したる格差は無く差異も僅かである様が確認できる (恐らく差は4倍ほど)。現在はどうか。世界の最富裕国と最貧困国を比較すると、その差はいまや40倍を超える。さて、植民地主義はこの辺りの事情にどの様に関与していたのだろうか?

我々はサイモン・ジョンソンとの共同研究を通し、植民地主義が幾つかの根源的、しかし不均一な形で、近代の格差を形成してきた事を明らかにしてきた。ヨーロッパの地において、アメリカ大陸の発見や、そのアメリカ大陸にはじまりアジア、アフリカへと続く大々的な植民地計画の登場が制度的・経済的発展を刺激する潜在的契機となり、斯くして後に産業革命として結実する諸々を始動させるに至ったのである (Acemoglu et al. 2005)。しかしその影響の在り方はヨーロッパ内部の制度的差異により掣肘されていた。予てから君主に対する抵抗が議会や社会に優位を与えていた英国などの地では、アメリカ大陸の発見は商業・産業集団にいっそうの権勢をもたらすに至った。こうした集団はアメリカ大陸や、間もなくアジアからも、新たな経済機会を享受することができた。その結果が経済成長である。他方、初期段階における政治制度や権力バランスの異なるスペインなどの地では、その結果も異なった。これらの国では君主が社会や商業また経済機会を支配しており、結果として、政治制度は弱体化、経済も衰退した。『共産党宣言』 でマルクスとエンゲルスが述べた如く,

「アメリカの発見が、喜望峰の迂回が、新興ブルジョア階級に新たな足場を切り開いた」 のだった

それは事実であったが、一定の条件下でのみ当て嵌まる事実であった。別の条件下では、同発見はブルジョア階級の立遅れに繋がった。結果から見れば、ヨーロッパの中には植民地主義により経済発展が加速した地域もあれば、逆にこれが停滞した地域もあったのである。

しかしながら植民地主義の影響は植民活動を行った社会の発展に留まってはいなかった。言わずもがなではあるが、植民地主義は植民地化された社会にも影響を及ぼしたのである。我々の研究 (Acemoglu et al. 2001, 2002) は、この点でも、またや、不均一な影響が見られたことを明らかにしている。これは植民地主義が様々な地で相異なる種類の社会を生み出すに至った為である。とりわけ植民地主義が世界の様々な地に残した制度的遺産は千差万別であり、経済発展の帰趨は著しく散開している。その原因は、種々のヨーロッパ列強がそれぞれ異なる制度を移植した – 換言すれば、北アメリカの成功はそれが継承した英国の制度に負うものであって、他方ラテンアメリカはスペインの制度を継承したが故に失敗した – からではない。実際の所、実証データは相異なる植民地宗主国の持っていた意図や戦略が極めて似通っていた様を示す (Acemoglu and Robinson 2012)。アウトカムが著しく異なったのは、植民地における初期段階条件にバラツキがあった為だ。例えば先住民の稠密な人口集団があったラテンアメリカでは、こうした人々の搾取を拠所にした植民地社会を建設することができた。そうした人口集団が存在しなかった北アメリカに、その様な社会は在り得べくもなかった。尤も、初めの英国植民者はそうした社会の建設を目指していたのだが。こうした状況に応え、初期の北アメリカ社会は全く別の方向に進んで行く: ヴァージニア会社といった初期の植民ベンチャー企業は、ヨーロッパ人の関心を惹き付け、開けたフロンティアをめざし走り去る彼らを引き留める必要を認識し、そこでこうした人達に対し労働と投資のインセンティブを与えることが必要になった。これを達成した制度、例えば政治的権利や土地利用権だが、こうした制度には植民宗主国におけるそれとの比較においてさえラディカルな差異が見られる。ラテンアメリカ類似地域、例えば南アフリカ・ケニア・ジンバブエなどを発見した際の英国植民者は、我々が 『収奪的制度 [extractive institutions]』 の名で呼ぶ諸々の敷設に掛けては万事抜かりなく、また大いに関心を寄せていた。この収奪的制度というものは先住民の管理と地代の収奪をその基盤とする。Acemoglu and Robinson (2012) では、人口集団の大半からインセンティブと機会を剥奪するこの収奪的制度が、貧困と関連している旨を論じている。今日アフリカにおけるこの種の社会がラテンアメリカ諸国と同じ程度の格差を抱えているのも、偶然ではないのである。

形成された社会のタイプに関わっていたのは諸先住民集団の稠密性だけではない。Acemoglu et al. (2001) で我々が明らかにした様に、潜在的なヨーロッパ入植者の直面する疾病環境も重要だった。北アメリカの植民地化を鼓舞したのは何か、それは比較的恵まれた疾病環境であった。これがヨーロッパ移住を保全する制度創設戦略を促進したのである。西アフリカにおいて収奪的制度の創出を鼓舞したのは何か、それは西アフリカが 『白人の墓場』 であったという事実だった。これが 『包摂的経済制度 [inclusive institutions]』 タイプの創設を遠ざけたが、これこそ北アメリカにおける定住と発展を促した制度にほかならない。こうした包摂的制度は、収奪的制度と対照的に、膨大な人口集団へのインセンティブと機会を、確かに創出した。

植民地社会の相違の一原因として疾病環境に注目したのは、この種の社会が持つ性質の相違の源泉として、この点が唯一のものであるとか、さらには主要な原因であると考えたからでさえない。或る具体的な科学的理由が在ったからだ: ヨーロッパ人にとっての疾病環境、したがって特定植民地への移住性向に影響力を持った歴史的要因も、それ自体は今日における経済的発展の相違の重要な源泉ではない、これを主張する為だった。よりテクニカルな表現をするなら、これはヨーロッパ人定住者死亡率の歴史的な計測値が、経済的制度からの (一人あたり所得として計測した) 経済発展への因果的影響を推定する操作変数として利用できる可能性を意味する。このアプローチの主要な問題は、歴史上ヨーロッパ人死亡率に影響を持ったファクターが持続的なもので、今日における所得にも、例えば健康度や期待余命への影響を介して、影響を持っている可能性がある点だ。とはいえ、これが杞憂かもしれない理由が幾つか存在する。一、植民地におけるヨーロッパ人死亡率に係る我々の計測値は200年ほども前の、近代的医学の確立、熱帯病の理解解明以前のものである。二、これらは熱帯病に免疫の無いヨーロッパ人が直面した死亡率の測定値であるが、こうした死亡率は先住民が今日直面している死亡率とは極めて性質が異なる。そしてこれらの国々の現在の経済発展に関係が有るのは後者のほうだと推察される。念には念を、我々はマラリア感染リスクや平均余命など、様々な近代的健康測定手法を用いた計量経済学的調整に対しても本研究結果が頑健である旨も明らかにした。

斯くして、ヨーロッパ内部の発展に不均一な影響をもたらしたのとまさに同じ様に、つまり英国などの地では経済促進的に、スペインでは経済停滞的に働いた様に、この植民地主義なるものは植民地においても非常に不均一な効果をもたらしたのである。北アメリカをはじめとする一部の地における植民地主義は、大本の植民宗主国におけるものより遥かに包摂的な制度を備えた社会を生み出し、同地域に現在みられる大いなる繁栄の種を蒔いた。ラテンアメリカ・アフリカ・南アジアなどその他の地では、植民地主義は極めて貧弱な長期的発展アウトカムに帰着する収奪的制度を生み出した。

植民地主義が一定の文脈では発展にポジティブな影響を持った事実は、そこに先住民の人口集団や社会への破滅的かつネガティブな影響が無かった事を意味しない。実際そうした影響が在ったのである。

近世・近代における植民地主義が不均一な影響を持った由は、他にも数多くの実証データから信憑性を得ている。例えばPutnam (1994) は、ノルマン人による南イタリアの征服こそ、同地域における 『社会資本』 の欠乏をもたらした物、すなわち信頼や協調能力の欠けた社会に帰着した相互連帯的生活 [associational life] 缺欠の元凶だったのではないかと問う。だがノルマン人はイングランドも植民地化しているが、こちらは後に産業革命を産み出す一社会の誕生に繋がったのだった。この様にノルマン人の植民活動も不均一な影響を持ったのである。

植民地主義が社会の発展に大きな意味を持ったのは、それが様々な社会における制度を形成したからである。しかしそうした影響を及ぼしたものは他にも沢山あったし、少なくとも近世・近代においては、植民地主義から首尾よく逃げ果せた地もかなり存在する。幾つか例を挙げれば、中国・イラン・日本・ネパール・タイなどがこれに当るが、こうした国々の間でも発展アウトカムにはかなりのバラツキが有る。ヨーロッパ内部の巨大な差異は言わずもがなだ。こうした訳で、その他のファクターと比較したときヨーロッパの植民地主義は、定量的に見て、どの程度重要だったのか、この点に疑問が生ずる。Acemoglu et al. (2001) では、同論文の推定値に従うと経済的制度の差異は世界の一人あたり所得の差異のおよそ3分の2を占めると算定している。他方Acemoglu et al. (2002) も独自に、歴史的に見た定住者死亡率、および1500年時点での先住民人口密度が、今日の世界における経済制度のバラツキの約30%を説明する旨を明らかにしている。歴史上1500年時点に見られた都市化も植民地社会の性質のバラツキを説明する力を持っているのだが、その分を加算するならバラツキの50%超が説明されてしまう。これが事実だとすると、今日の世界における格差の3分の1は、様々な社会にヨーロッパ植民地主義が及ぼした一様ならぬ影響を以て説明できる。かなりの大きさではないか。

植民地主義が植民地における歴代の制度を形成したというのは、事に依れば至極当然なのかもしれない。例えば1570年代のペルーでは、スペイン人総督フランシスコ・デ・トレドによりポトシ銀山の採掘に係る強制労働の大規模体制が確立された。しかしこの体制、ポトシミタ制度 [Potosí mita] も、ペルーとボリビアが独立する1820年代に入り、廃止される。この種の制度、さらに敷衍するなら世界中で植民地権力が創設した制度一般が、今日の発展にも影響を及ぼしているのだとの主張、これは即ち、植民地主義が右制度を直接存続させるか、さもなければ経路依存的な遺産を残すか、そのいずれかの形を取って、これら社会の政治経済に及ぼした影響の在り方についての主張に他ならない。諸般の先住民に課された強制労働は少なくとも1952年のボリビア革命までは直接存続していたが、『ポンゲアヘ [pongueaje]』 の名で知られる体制が廃止されたのはこの時である。Acemoglu and Robinson (2012, Chapters 11 and 12) およびDell (2010) ではより一般的に、以上の様な事態を発生させた可能性の有るメカニズムを数多く検討している。

最後になるが、本実証成果が新たな比較発展理論に向けた重要な示唆を持っている点にも言及して置く価値が有る。長期的な発展パターンは地理的差異により専ら説明されるとの趣旨が一部から主張されている。これに反し、我々は、ひとたび制度の役割を考慮に入れるや、地理的ファクターは発展アウトカムと何ら相関を見せなくなる事を明らかにした。例えば、不羈性 [latitude] と地理との間には一定の相関が在るといった事実は、因果的関係を示すものではない。右の事情はヨーロッパ植民地主義の生み出した或る種の型の制度群が不羈性と相関していたという事実によって惹起されたに過ぎない。この点を考慮に入れるや、地理的変数は何ら因果的働きを持たなくなる。他方、文化的差異こそ最強の発展推進力であるとの主張も存在する。しかし我々が幾つかの手法で計測した限りでは、文化的差異の働きは全く確認されなかった。第一に、様々な人口集団における宗教的構成。第二に、我々の強調してきた所でもあるが、植民地権力のアイデンティティ。第三に、一国の人口にヨーロッパ人の末裔が占める割合。合衆国やカナダがヨーロッパ人で溢れているのは確かだが、我々の主張ではこれはこれらの国が優れた制度を備えていた事実に由来するアウトカムである。ヨーロッパ人の末裔たる人々が今日有する数的支配性が発展を牽引している訳ではない。

参考文献

Acemoglu, D, S Johnson and J A Robinson (2001), “The Colonial Origins of Comparative Development: An Empirical Investigation”, American Economic Review, 91, 1369-1401.

Acemoglu, D, S Johnson and J A Robinson (2002), “Reversal of Fortune: Geography and Institutions in the Making of the Modern World Income Distribution”, Quarterly Journal of Economics, 118, 1231-1294.

Acemoglu, D, S Johnson and J A Robinson (2005), “The Rise of Europe: Atlantic Trade, Institutional Change and Economic Growth”, American Economic Review, 95, 546-579.

Acemoglu, D and J Robinson (2012), Why Nations Fail, New York: New York.

Dell, M (2010), “The Persistent Effects of Peru’s Mining Mita”, Econometrica, 78, 1863-1903.

Putnam, R H (with R Leonardi and R Y Nanetti ) (1994) Making Democracy Work, Princeton: Princeton University Press.