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ジャック・ブギョン, ヤン・ミシュク 『ギグ・エコノミー神話の解体にむけて』 (2016年11月28日)

Jacques Bughin, Jan Mischke,”Exploding myths about the gig economy“, (VOX, 28 November 2016)


 

『ギグ・エコノミー』 とは、新しいデジタルなプラットフォームであるUberやAirbnbから収入を得ている者も含んだ、独立的労働者層 [independent workforce] をさす。本稿は合衆国・英国・ドイツ・スウェーデン・フランス・スペインからの回答者8千名を対象としたサーベイを活用し、この比較的新しく、また賛否両論有る経済領域にまつわる俗説の解体をめざすものである。既存の統計データがギグ・エコノミーの規模を著しく過小評価している事、独立的労働を行っている者の30%は自ら選んでそうしているのではない事などが明らかになった。

今日 『ギグ・エコノミー』 を話題に挙げれば、まさに百人百様といった反応が返ってくるだろう。懐疑派はそれを大したことのない、担ぎ上げの過ぎた労働者部門と見るが、他方で議論の反対陣営にいる者達は、人々の身過ぎ世過ぎの在り方を一変する可能性を秘めた、巨大で、しかもなお成長を続ける一勢力だと考えている。これらの相反する見解に、公の統計データからの支援は無い。データが古いのが通例で、現在進行中の経済シフトを把捉できていないからだ。さらに不味いことに、信頼できるデータの缺欠から、ギグ・エコノミーが広がる経済不安に対する解決策であるのか、それともその原因なのか、この点をめぐる論争の過熱化が生じている。

公平を期して申し添えると、非従来型労働者層を計測しようにも、これが中々容易でないのだ。UberやAirbnbなどのデジタルプラットフォームは、従来型の稼ぎ手でありながら副業として非従来型の労働に従事している者の存在と相俟って、事態をいよいよ錯綜させている。最近の研究からはこの辺りの事情がよく覗われる。一定のベンチマークを基準とするかぎり、ギグ・エコノミーが労働市場の一角を占める勢力であるのは確かなようだ。例えば、15歳から24歳のヨーロッパ人では、2人に1人がパートタイム又は臨時単位での労働を行っている (European Parliament 2016)。ブルッキングス研究所の或る調査も、過去十年間で独立的労働者の数が明らかに急増している旨を示す実証データを確認している (Brookings 2016)。しかしギグ・エコノミーの重要性を割り引かせるような発見も存る。Resolution Foundationによる近時のレポートでは、季節に起因する差異分を考慮してしまうと、複数職を兼業する労働者の比率にしても、英国では1990年代中頃での5%周辺をピークに、現在では記録的低さに達していることを明らかにしている  (Resolution Foundation 2016)。

McKinsey Global Instituteにおいて、我々はこうしたデータの空隙の補填を試みた。合衆国およびヨーロッパを通して見た独立的労働者層の計測にフォーカスを置き、合衆国・英国・ドイツ・スウェーデン・フランス・スペインからの8千名を超える回答者を対象とした大規模調査を実施した (McKingsey Global Institute 2016)。我々の発見は独立的労働者にまつわる俗説解体の一助となるかもしれない。

先ず第一に、独立的労働者には共通した3つの決定的特徴が有るので、これを認識しておくことが重要である: すなわち独立的労働者は高度の自律性をもち; タスク・任務・売上単位で収入を得; 依頼主ないし顧客との職務関係は短期的である。独立的労働者は労働力の提供、商品の販売、資産の賃貸を行う者達であり、eBayやEtsyといったプラットフォームで活動するセラーや、Airbnbを使って部屋を賃貸する小型貸家主 [micro-landowner]、さらにはフリーランスの医師・弁護士・ウェブデザイナー・ライターなどもここに含まれる。この定義に基づくかぎり、独立的労働者の数は諸政府の統計データが示すところを相当上回ることが分かった。本研究では、労働年齢人口層の20%-30%に独立的労働者として働いた経験が有ると結論付けている。これを合衆国および15のコアEU諸国に外挿すると、その数は優に1億6200万人に昇り、15のコアEU諸国のみでその内の9400万人を占める。政府統計ではこれの半数ほどの頭数になっており、独立的労働者層は合衆国では労働年齢人口層のたった11%、EU-15では14%とされている。この違いは先ずもって、これら非従来型労働者層の半数超がパートタイムで独立的労働に従事しており、また近年ギグ・エコノミーが成長してきたのは確かだとはいえ、依然として本研究における独立的労働者の15%、或いは2400万人ほどの規模を占めるに過ぎないという事実に由来する。この2400万人中、約900万人- 僅かに40%に届かない程度 – は自らの独立的労働にあたって専らデジタルプラットフォームのみを利用しているが、他方で60%超はデジタル・非デジタル手段を相織り交ぜつつ仕事を行っている。

既存の研究 – 例えばオーストリアにフォーカスを合わせた (Huws and Joyce 2016) など – と異なり、我々は人々が独立的労働に従事している理由の解明にも踏み込んでいる。そこでの発見は驚くべきものだった。独立的労働者の大多数である約70%は、専業/副業を問わず、自ら好んで独立的労働に従事しているのであり、従来型の職業が通例提示するところより大きな自律性と柔軟性を選好したのだと答えたのである。さらにこのグループ内の多数派はじっさいにも臨時的副業者 [casual earners] であり、他の収入源を補完するために独立的労働を行っている。臨時的副業者は学生・退職者・介護者などが典型で、彼らは労働をそれ以外の責務や活動と両立させているが、従来型の労働に従事している者の一部もここに含まれ、自らの収入を補完している。またこうした区分は諸大陸を見渡しても比較的安定している。例として合衆国とヨーロッパを対比してみよう (Figure 1)。

図1. 独立的労働者の4区分

デジタル専業独立的労働者対非デジタル独立的労働者での下位サンプルを比較すると、自ら好んで独立的になっている者はデジタル労働者のほうでさらに多くなる (78%) が、本業的収入源として独立的労働に依存する傾向は僅かに弱まる。ギグ・エコノミーはじっさいに自己雇用 [self-employment] を増加させているようだ。

図2. 非デジタル対デジタル専業でみた、独立的稼ぎ手の分布

独立的に労働することを選択した人達は相対的に高い水準の満足度を報告しているが、それは相対的に高い労働柔軟性のみによるものではない。自らの仕事に強く献身している者の数は従来型の定職保持者よりも多く、さらに自分が自分のボスであるという境遇を享受し、典型的な九時五時労働者よりも広い創発性の余地を楽しんでいる者もこちらのほうが多い。全体的に言って、こうした人達は自らの所得水準に対する満足度が相対的に高く、所得保証や給付金などの論点についても従来型労働者と同程度の満足度を報告している。

残念ながら、それでもなお、独立的に働くほか無いが為にそうしている30%の独立的労働者が残る。少数派ではあるとはいえ、独立的労働者層と典型的に結び付けて考えられる傾向が強いのはこちらの労働者のほうである。このグループはさらに2つのカテゴリに分割できる – 独立的労働から本業的収入を得ているが本当は従来型職業のほうを選好している者、そして財政的に行き詰まっており、副業などしたくないのだが収支の帳尻を合わせるためにそれを強いられている者、である。

独立的労働者の特徴の殆どは本研究の対象となったヨーロッパ15ヶ国で共通していることを突き止めたが、それでも幾つか違いも観察された。スケールの此端に位置するのがスウェーデン・米国であり、独立的労働を好んで選択した者が74%、止むを得ずそうしている者が26%。その対端に位置するスペインでは58%が自ら好んで、42%が止むを得ず、とのことだった。独立的労働者の割合が最も高かったのはギリシア・イタリア・ポルトガル・スペインで、所得は相対的に低く、経済成長率も常態的に貧弱である。これら諸国では、労働者層の大体15%から20%が自己雇用、ないし臨時的雇用に従事している。ギリシア・スペイン・ポルトガル・オランダを含む一部ヨーロッパ諸国では、臨時的労働者の四分の三超は非自発的なものである。

本研究による発見は政策画定者や企業そして個人に対しても重大な示唆をもっている。先ず今日となっては、従来型職業に従事する労働者にフォーカスを合わせるばかりでは、政策画定者は最善を尽くしたとは言えないこと。独立的労働者はもはや無視して置くにはあまりに大きな存在となった。続いて、政策画定者には最新、かつ、より包括的なデータの収集を通し、独立的労働者の追跡作業を改善させる必要があること。さらに、政策画定者は従来型雇用を選好している独立的労働者のために雇用機会を拡大させなくてはならないこと。最後に、政策画定者に対し、労働者保護・給付金・所得保証における格差への取り組みを求める圧力はこれから強まってくるだろうこと。

企業においても、従来型被雇用者と独立的労働者の混合編成を効率的に運用する制度および手続きの練り上げを求める競争圧力と直面するだろう。そして技術者の間でも、個人と賃金労働との間を繋ぐ新たな手法を発見すべく、イノベーション競争が始まるはずだ。また個人も適応への圧力に直面するだろう。独立的労働者は非従来型雇用の孕むリスクと困難、とりわけ所得不安定期間を掻い潜りつつ、自己を自ら運営する小事業と見做す思考法を身に着け、継続的改善と技能開発の術を見い出してゆかねばなるまい。

だが経済的利点もおそらく相当在るはずだ。本研究は、変わりつつある労働者層が抱える課題の一部との取り組みを通し、より幸福で、より満足度が高く、しかもより能率的な労働者層を広く社会に生み出しうる力を我々がもっていることを示した。そして、そうした可能性には取り組むだけの価値が有るのだ。

参考文献

Brookings (2016) Tracking the gig economy, October.

European Parliament (2016) Precarious employment in Europe, Part 1: Patterns, trends, and policy strategy, July.

Huws, U and S Joyce (2016) “Crowd Working Survey: Character of Austria’s gig economy revealed for the first time”, University of Hertfordshire and Ipsos MORI, in association with the Foundation for European Progressive Studies, UNI Europa and AK Wien.

The McKinsey Global Institute (2016) Independent Work: Choice, Necessity and the Gig Economy, October.

Resolution Foundation (2016) Double take: Workers with multiple jobs and reforms to National Insurance, November.

ノラ・ルスティック 『アメリカの選挙: 高まる平等の問題でもある』 (2016年11月29日)

Nora Lustig, “Elections in America: It is also about rising equalit” (VOX, 29 November 2016)


 

自分達は置き去りにされているとの感情を抱く人達の斯くも多くが、それでも合衆国選挙ではグローバルエリートの一員たる人物に票を投じたのは、いったい何故なのか? 所得や財産の格差拡大ではなく、寧ろアフリカ系アメリカ人・女性・ゲイコミュニティに対する平等の高まりこそが、大きな不公平感を醸成しているのかもしれない、本稿はそう主張する。よりいっそうの水平的平等 [horizontal equity] を擁護してゆくならば、我々はそれがあらゆる人達から歓迎されている、それが無理なら少なくとも容認されている状況の確保にも努めなくてはならない。

2016年11月のヨーロッパ訪問の中で、オバマ大統領は次の様な発言をしている: 「いま我々が世間に目を向けると、グローバルエリートや財力の有る企業の遵奉するルールはどうも一般とそれとはそもそも全く異なっているらしく見える。税金逃れ、法の抜け穴の悪用 … 正義が蔑ろにされているとの強い感覚を醸成しているのはこれである」(Obama 2016)。

そうすると、こうした不正義の犠牲者達のなかから斯くも多くの者達が、まさにそのような一般と異なるルールを遵奉するグローバルエリートの一員たる人物に票を投じたのは、一体全体、何故なのだろうか? トランプ次期大統領を支持した投票者の大多数を苦境に押し遣っていたのは、合衆国におけるトップ1%が過去数十年間の経済的収穫の大半をまんまと我が物にしてきたからではなく、逆説的なことに、平等の高まりのためだった、などという事は在り得るのだろうか? 強まる不公平と憤りと無力の感覚を醸成しているのは、所得や財産の格差ではなく、寧ろ次の3つの領域にみられる平等の高まりなのかもしれない: すなわち、アフリカ系アメリカ人エリートの躍進・女性の権利の向上・ゲイコミュニティには自らに対する法的に平等な処遇を要求する権利を有するとの認定だ。以上が私の仮説となる1

先ず、幾つかの事実を確認しておこう:

  • 2005-2013年に掛けて、「黒人世帯で最大の成長が見られた所得階層は、20万ドル超の収入を得ている世帯で、138%の成長となっている。これに対して人口全体における成長は74%と対照的だった」(Nielsen 2015)。もちろん、黒人内部での格差も極端なものだ。たとえばPew Researchの或る研究は、黒人世帯の35%は所得が負、ないし正味にしてゼロとなっていることを明らかにしている。しかし他方でNielsenは、黒人の富豪と推定される者の数は1960年代における25人から、今日での3万5千人にまで増加した旨を報告している。またアフリカ系アメリカ人エリートは自ら抱する富豪の数を大きく増やしたばかりでなく、二期に亘って活躍した大統領一名をも世に送り出したのだった。
  • 今や女性は合衆国労働者のほぼ半数を構成する (10月時点で49.9%)。ペプシコ・アーチャーダニエルズミッドランド・WLゴアといった一部の世界最大手企業を経営しているのも女性である。合衆国では女性が大学における学位のほぼ60%を取得している。専門職労働者で多数派を占めるのも彼女達だ (Economist, 2009)。
  • オーバーフェル対ホッジス [Obergefell v. Hodges] で合衆国最高裁判所は、2015年6月26日、右の如く判事した: 「婚姻の権利は個人の自由に内在的な基本的権利であり、従って憲法修正第14条の規定するデュープロセスおよび平等保護条項の下、同性カップルも当該権利ならびに当該自由を剥奪されてはならない」。その結果として、同性婚は全ての州で適法となった。

これら3つの現象が映し出すのは、社会学者が水平的不平等と呼ぶものの凋落である: 水平的不平等とは、性別・人種・民族・信仰・性的指向の別に沿った体系的不遇処置をさす。今日では黒人がエリートに成り、女性が権力を掌握し、ゲイコミュニティが社会的認容を得また実際に認容される、といった可能性もますます高まってきているのだ。

水平的平等の高まりが、経済の変容から置き去りにされた人達や、自らのアイデンティティや価値観の中核がモラルやノルムの暴走的変容によりもはや寛恕し難いまでに脅かされていると認識する人達のあいだに、不幸感や絶望感を醸成している旨を示す兆候は幾つも存在する2。ここではその顕著な例を2つ挙げよう:

  • 1999年から2013年に掛けて見られた高卒以下の中年白人男性および女性の死亡率の上昇が、薬物およびアルコール中毒・自殺・慢性的肝臓疾患・肝硬変に起因していた事実の発覚 (Case and Deaton 2015);
  • 同事実が 「過去数十年に亘り観察されてきた黒人やヒスパニック系民の健康ならびに厚生の漸進的向上、および同グループの間に見られる未来に対する楽観的態度の色濃さと、鋭い対照を為す」(Graham and Pinto 2016) との発見。GrahamとPintoの研究は、貧困な黒人が高度の楽観的態度をもっている傾向は貧困な白人そのそれよりも3倍も高いことを明らかにしている。

さらに、水平的平等の高まりに脅かされているとの感覚を抱いている人達ほど共和党に、特にトランプに票を投ずる傾向が高かった旨を示す実証データも存在する:

  • トランプ支持者がアフリカ系アメリカ人を 『犯罪者』『非知性的』『怠け者』『暴力的』 と形容する傾向は、予備選挙で共和党の競合候補者を推した人達や、民主党候補者のヒラリー・クリントンを支持した人達よりも高かった (Flitter and Kahn 2016)。
  • 女性に敵対的な投票者ほど、トランプを支持する傾向が高かった (Wayne et al. 2016)。
  • 共和党員の三分の二が、但し、民主党員の三分の一も、同性婚に反対している (Pew Research Center 2015)。
  • トランプは婚姻の平等の一貫した反対者である (Human Rights Campaign 2016)。

以上が真実ならば、我々の内で水平的平等の強化を望ましいと考える者は、さらなる進歩が、こんな進歩は何としても食い止めなければならぬとか – もっと不味いことに – 逆転させなければならぬと感じている人達から、よし歓迎されずとも、少なくとも容認はされている状況を確保するために、何らかの活路を見出さねばならない。もし何か1つ政策を選べと言われるのなら、大学を金銭的に誰もの手の届く場所にすることを挙げよう。意見調査の数々、研究に次ぐ研究、その何れにおいても、教育水準が高いほど、人々は合衆国における水平的平等を歓迎するようになっているのだ。

参考文献

Case, A and A Deaton (2015), ‘Rising morbidity and mortality in midlife among white non-hispanic Americans in the 21st century’. Proceedings of the National Academy of Sciences 112 (49) (November): pp. 15078–15083. .

Cowen, T (2016), ‘What the hell is going on?’ Marginal Revolution, 25 May. .

Economist (2009) “Female power”, 30 December.

Flitter, E, and C Kahn (2016), “Exclusive: Trump supporters more likely to view blacks negatively – Reuters/Ipsos poll”, Reuters. .

Graham, C and S Pinto (2016), “Unhappiness in America: Desperation in white towns, resilience and diversity in the cities”, The Brookings Institution. .

Human Rights Campaign (2016), “Donald Trump: Opposes nationwide marriage equality“.

Nielsen (2015), ‘Increasingly Affluent, Educated and Diverse: African-American Consumers’.

Obama, B (2016), “Remarks at Stavros Niarchos Foundation Cultural Center in Athens, Greece”, The White House Office of the Press Secretary.

Pew Research Center (2015), ‘Support for Same-Sex Marriage at Record High, but Key Segments Remain Opposed’.

Supreme Court of the United States (2015). ‘No. 14–556. Obergefell v Hodges’. https://www.supremecourt.gov/opinions/14pdf/14-556_3204.pdf.

Wayne, C, N Valentino, and M Oceno (2016), ‘How sexism drives support for Donald Trump’. Washington Post.

原註

[1] ブログ Marginal Revolution の執筆者であるタイラー・コーエンも以前女性に対する態度との関連で類似の推理を披露している。

[2] アメリカ人の三分の一は、自らの宗教的信念とホモセクシュアリティとの間には多くの衝突点があると感じている。このグループでは、同性婚に対する反対は支持派を2対1以上の差を付けて上回る。

 

ミチェル・ホフマン, ジャンマルコ・レオン, マリア・ロンバルディ 『義務投票・投票率・政府支出: オーストリアからの実証データ』 (2016年10月30日)

Mitchell Hoffman, Gianmarco León, María Lombardi  “Compulsory voting, turnout, and government spending: Evidence from Austria“, (VOX, 30 October 2016)


 

近年、先進民主主義諸国では選挙参加率の低下が続いている。本稿は、義務投票が政府政策に及ぼす影響を検討することで、投票率の増加が公共政策の変化に直結するのか、この点を見極めようという試みである。オーストリアの実証データの活用を通し、義務投票は政府支出に然したる影響を与えるものではないこと、但し、歴史的に投票率が低い国では異なった結果が生ずる可能性があることが分かった。

選挙は民主主義の要である。しかし先進民主主義諸国の選挙参加率は過去50年に亘り着実に減少を続けており (図1)、Brexitレファランダムや最近コロンビアで執り行われた和平合意をめぐるレファレンダムなどの重要な選挙での記録的な低投票率に達した。Lipjart (1997) の示唆する様に、投票に現れない者に対する政府の処遇が不十分なものになってしまうのであれば、下降線を辿る投票率には政治過程に歪を引き起こす恐れが有る。事実、民族的マイノリティ・移民・貧困層はEUや合衆国における不投票者を過剰に代表しているとの由がこれまでに報告されている (例: Timpone 1998, Gallego 2007, Linz et al. 2007)。有権者と実際に投票に現れる者とのいびつな分布図は、配分的帰結にも広範な影響を及ぼしかねない。こうした問題意識が後押しとなり、投票率および選挙民構成の変化が公共政策に如何なる影響を及ぼすかを研究対象とする文献群が政治学および経済学で新たに成長してきた。例えばMiller (2008) は、20世紀初頭の合衆国における女性への参政権付与が、女性から比例逸脱的に選好される公共財である政府保険支出の増加に繋がったことを明らかにしている。同じ様に、より最近の研究でブラジルにおける電子投票システム導入の影響を調べたFujiwara (2015) では、シンプルで直感的に利用できる投票ステーションの導入が、ともかく事実上、文字の読めない投票権者への参政権付与の役割を果たし、これが保険支出の増加ならびに小児死亡率の減少に繋がったことが判明した。

図1 OECD諸国における平均投票率, 1950-2016

原註: 図は国際民主化選挙支援機構 [International Idea] からのデータを活用して著者が作成したもので、1950-2016年の各十年間にOECD諸国で執り行われた全ての任意投票選挙の平均投票率 (登録済み投票者における%で表示) を示している。オーストリア・カナダ・チェコ共和国・デンマーク・エストニア・フィンランド・フランス・ドイツ・ハンガリー・アイスランド・アイルランド・イスラエル・イタリア・日本・オランダ・ニュージーランド・ノルウェイ・ポーランド・スロバキア・スロベニア・スペイン・スウェーデン・スイス・トルコ・英国における議員選挙、およびフランス・韓国・合衆国における大統領選挙が対象である。なお合衆国はこれら諸国中で唯一、義務的有権者登録も自動的有権者登録も採っていない国であり、したがって投票年齢に達した人口層に対する投票者の%を投票率としている。

諸政府は投票率の引き上げに利用し得る様々な政策ツールを保持しており、例えば投票所数を増やす、代理投票ないしは不在者投票 [mail voting] 等々がこれに当たる。選挙参加率の低落に抗してよく用いられる方法に投票の義務化がある。現在のところ、何らかの投票義務を課す法律を持つ国は世界で18ヶ国 (図2を参照)。なお過去50年の間に義務投票 [CV] を執り行った経験のある国だとその数はさらに増加する (International Ideaを参照)。バラク・オバマ大統領すら2015年5月に合衆国における義務投票の導入を提案しており、「もし全ての人が投票すればその影響は革新的と言ってよいものになる。金の力に対抗するのにこれより有効なものはないだろう。全ての人が投票する、それだけでこの国の政治版図は一新する。投票を行わない傾向が有るのは若い人達、所得の低い人達であり、移民層やマイノリティ層にかなり強く偏っている…一部の人がこうした人達を投票から遠ざけようとするのには理由がある」  (CNN 2015) と論じたのだった。

スイス・ブラジル・オーストラリアといった互いに相異なる多様な国々における幾つか研究を通して、不投票に対する罰金がほんの僅かであったり、罰則執行水準が貧弱であっても、選挙参加率は義務投票下で有意に向上することがこれまでに判明している (Funk 2007, De Leon and Rizzi 2014, Fowler 2013)。しかしながら、Miller (2008) やFujiwara (2015) の研究で分析された諸政策と違って、義務投票が故に選挙一般への参加に誘導された投票権者の選好が、任意投票時における平均的投票権者の選好と有意に異なると考えるべき理由はアプリオリには存在しないのである。よって、義務投票を用いた投票率の向上が公共政策の変化に繋がるかどうかは定かでない。新たな論文で我々が取り組んだのはこの問題だ (Hoffman et al. 2016)。

図2  義務投票制をもつ世界の国々

出展: International Idea.

オーストリアにおける義務投票制と政府支出

その他数多くの国々と同じく、オーストリアでも投票への参加には社会経済的格差が見られ、貧しい人は富裕層よりも投票に足を運ばない傾向がある。高い選挙参加率を確保する為、オーストリア9州は第二次世界大戦終結以降、諸般の義務投票関連法律を設けてきた。興味を惹くのは、これら法律が様々に異なる時点で様々に異なるタイプの選挙に関して変転を辿ってきた点だ (図3)。投票棄権の妥当な理由を提示できなかった不投票者に対して罰金を科す責務を負うのは諸々の地方当局だが、実際にそうした罰金賦課を執行することは稀であり、不投票のエクスキューズもかなり広く、例えば病気・仕事上の都合・『その他の已むに已まれぬ事情』 といった程度でも容認してきた。ともかく事実上は、投票を怠ったことに対する懲罰の執行は極めて手緩いものだったのである。義務投票関連法律の在り方は様々な時期・州・選挙タイプ毎にバラツキが有り、おかげでこうした法律が投票率や選挙結果、またいっそう重要な公共政策といった要素に及ぼした影響を研究するには絶好の環境となった。

図3 オーストリアにおける義務投票制、1949-2010

原註: 棒線は、それぞれの州で義務投票による選挙が行われていた時期を示す。

議会選挙・大統領選挙・州選挙に関する行政データを活用し、我々は先ず投票率の比較を行った。義務投票関連法律の有る州・無い州の間、つづいて1949-2010年期間で義務投票関連法律を改変した諸州内部で、それぞれ投票率を比較したところ、義務投票制が投票率をおよそ10%増加させていたことが判明した。さらに、義務投票という制度は無関心層投票権者を投票所に引っ張り出すことで投票率を増加させる可能性があるとの仮説とも整合的な点だが、義務投票制が無効票の占める割合の上昇にも繋がっていたことも分かった。とはいえ、その推定値は極めて小さい。具体的に言うと、義務投票のために投票に動員された者10人につき、無効票1票を投ずる者は僅かに1.5人から3人だ。こうした結果は一連の頑健性チェックを経ても維持された。例えば、因果性の向きは逆方向で、州は投票率の低下に対処するために義務投票制を導入したのではないかといった懸念も在る訳である。本論文は、こうした懸念も本件には当て嵌まらなそうだと示している、つまり過去あるいは未来における義務投票制は現在の投票率と関連性していないのである。加えて、1992年における連邦レベルでの義務投票制廃止に州政府は全く影響力を持たなかったが、同廃止の効果に考察を限定しても、本結果は維持されることも我々は確認している。

1980-2012年の州支出内訳データを活用し、我々は義務投票関連法律が州レベルの支出に及ぼした影響を分析した。面白いことに、州固有ファクター・国家規模の年度固有ファクター・州レベルの支出トレンド分を調整してしまうと、義務投票関連法律の変化は州レベルの支出水準・構成の有意な変化に繋がるものではなかったと判明している。とりわけ、州レベルの支出額にせよ、行政支出・福祉支出・インフラ支出に対するそうした予算の割当比率にせよ、義務投票制の導入・廃止に伴う有意な変化は見られなかったことが本実証結果から明らかになっている。支出カテゴリをさらに細分化した場合であってもこのゼロ効果が持続していること、義務投票関連法律の改変はそれに先立つトレンドによって引き起こされているのではなさそうなこと、さらに州政府の主導によらない義務投票関連法律改変の一事例 (1992年における連邦レベルでの義務投票制廃止事例) を考察した場合でもなお同効果が存続することも、我々は明らかにしている。

義務投票が投票率に相当の影響を及ぼしながらも政策結果には全く影響しなかったのは一体どうしてなのか?

この問いに対する答えを求め、我々は義務投票が国民議会選挙ならびに州選挙の結果に変化を生み出したかどうかを調べた。観察されたゼロ効果の説明としては、義務投票制が故に投票に現れる人達の政治的選択が、平均的に見ると、任意投票制時に投票を行っていた者のそれと類似しており、したがって選挙結果に変化は生じないのだ、という説が在り得る。他には、中位投票者の選好に変化があり選挙結果に影響を及ぼすのであっても、コミットメント問題ないしエージェンシー問題のために政府支出に依然として影響が無いのだという説明も考え得る。これは第一の説と整合的な点だが、議会選挙と州選挙のどちらについても義務投票は右翼・左翼政党の得票率に全く影響を及ぼさないことが分かっている。さらに、政治的供給 [political supply] からの反応も全く無いようである – つまり公職獲得に向け選挙活動を行う政党数にも、勝利政党の付けた得票差やその得票率にも変化は無いのだ。

本論文の最後で、我々は以上の結果の背景に在るメカニズムにも光を当てている。1986年度および2003年度オーストリア社会調査 [Austrian Social Survey] からの個人レベルデータを活用しつつ、義務投票関連法律と投票者特徴の相互関係に注目することで、義務投票導入のために選挙民の構成がどの様に変化したかを調査した。(この2つの調査年度の間に位置する) 1992年に3つの州で見られた議会選挙における義務投票制の廃止事例を利用し、我々は義務投票が女性と低所得層の間で比較的大きな影響を持ったことを示す実証データを確認した。影響は政治への関心が薄い層、支持政党の無い層、情報量が相対的に不足している層 (これは新聞購読の習慣で代理した) でも比較的大きいようである。こうした結果は示唆的ではあるが、義務投票制の導入ないし廃止のために投票したり投票棄権したりする者は政策や政党に関して強い選好を持っておらず (平均的に言って)、したがって選挙結果に然したる影響をもたない或いは全く持たないとの説とも整合的である。付け加えれば、こうした投票権者の支援政党決定が政策に無反応であるなら、政党側にもこの様な投票権者の選好に合った政策を形成するインセンティブは無いかもしれない。

示唆

本結果は、義務投票という制度で投票率が向上するとしても、政府支出にまで有意な影響が出るとは限らないことを示す実証データを提供するものとなった。勿論、こうした結果はオーストリア固有のものである。とはいえ我々はこの結果は高い投票率を持つその他の先進民主主義諸国、例えばドイツやスカンディナビア諸国などにもかなり関連していると考えている。ただ、合衆国をはじめとする投票率の低いその他諸国に対してこの結果がどの様に外挿 [extrapolate] されるかとなると、こちらはそれほど明白とは言えない。

参考文型

CNN (2015), “Obama: Maybe it’s time for mandatory voting”, 19 March.

De Leon, F L L, and R Rizzi (2014), “A Test Tor the Rational Ignorance Hypothesis: Evidence from a Natural Experiment in Brazil”, American Economic Journal: Economic Policy 6 (4), 380-398.

Fowler, A (2013), “Electoral and Policy Consequences of Voter Turnout: Evidence from Compulsory Voting in Australia”, Quarterly Journal of Political Science 8 (2), 159-182.

Fujiwara, T (2015), “Voting Technology, Political Responsiveness, and Infant Health: Evidence from Brazil”, Econometrica 83 (2), 423-464.

Funk, P (2007), “Is There an Expressive Function of Law? An Empirical Analysis of Voting Laws with Symbolic Fines”, American Law and Economics Review 9 (1), 135-159.

Gallego, A (2007), “Unequal Political Participation in Europe”, International Journal of Sociology 37 (4), 10-25.

Hodler, R, S Luechinger, and A Stutzer (2015), “The Effects of Voting Costs on the Democratic Process and Public Finances”, American Economic Journal: Economic Policy 7 (1), 141-171.

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ゲイリー・ハフバウワー, ウイジン・ジュン 『トランプの貿易政策を診断する』 (2016年9月29日)

Gary Hufbauer, Euijin Jun,”Evaluating Trump’s trade policies“, (VOX, 29 September 2016)


 

常軌を逸脱しかつ潜在的危険性をもった政策提案によりドナルド・トランプは安定して新聞の見出しを飾っている。WTO脱退を仄めかすかと思えば、貿易協定の再交渉、メキシコと中国からの輸入に対する関税賦課など、彼の提案は様々だ。本稿では、法的・経済的側面からこうした提案に考察を加えてゆく。古い時代のものにせよ近代のものにせよ、法令のなかには合衆国大統領に以上の様な政策の施行を許してしまう可能性をもつものが在り、そこから合衆国経済に極めてネガティブな影響が出ることも考えられる。

 

アメリカの投票権者にとって、合衆国大統領という地位がもつ権限の過小評価 – 或いはラディカルな政策の手綱を握るためのチェックアンドバランス機能の誇張 – は、取り返しのつかない過ちともなり得る。

共和党大統領候補者ドナルド・J・トランプはこれまでWTO脱退 (Mount 2016)・北米自由貿易協定 (NAFTA) の再交渉 (Needham 2016)・メキシコと中国からの輸入にそれぞれ35% / 45%の関税賦課 (Johnson 2016) を仄めかしては、新聞見出しを飾ってきた。しかしトランプにはこういった威嚇を合衆国議会の同意無しに実行する権限が有るのだろうか? 裁判所のほうでも彼にストップを掛けるのではないか?

答えは単純で、大統領となれば、トランプはそうした権限を保持することになるだろうし、司法府により彼の取った法的措置が頓挫する可能性も低いのだ (Hufbauer 2016)。前世紀を通し、合衆国議会は大統領に対し、貿易およびその他の形態の国際通商の制限に係る権限を大幅に委譲してきた。念の為付言すると、最も関連性の有る5つの法規 (表1にまとめた) は上記のようなものとは異なる目的を念頭に制定されたものである。しかしそうした法律も依然として法典に残存し、大統領なら誰でも援用できる状態に留まっている。スカーリア裁判官が訓辞したように、法規解釈における最大の導きは法律文言それ自体であって、その歴史的文脈や立法審議過程ではないのだ。

トランプの貿易威嚇が実行に移された場合、事業会社やさらには諸般の州からの法的異議申立てが数多打ち寄せて来るだろうが、彼の行動はそうした法廷闘争を生き延びる公算が高い。付け加えれば、合衆国議会による抗議であっても、圧倒的多数 [super-majorities] がトランプの拒否権を乗り越えて当該法規の修正をする場合のほかは、殆ど効果が無いだろう。

法規は老衰で斃れることはない。そして今や齢も一世紀という老齢の御爺さん法が、1917年敵対取引法 [Trading with the Enemy Act of 1917] である。TWEAは大統領に対し、戦時中、国際貿易および資金流動の一切を制限し、外国資産の凍結または差押を行う権限を与えるものである。同権限の強力さには唖然とするほかなく – なんと同措置は軍事敵相手に限られてはいないのだ1。TWEAがひとたび援用されれば、如何なる外国通商も危機を免れ得ない。

さらに、殊TWEAの趣旨に関する限り、諸般の合衆国議会宣言および決議 [Congressional declarations and resolutions 2] を通して、合衆国は第二次世界大戦いらい常時戦争状態に在ったといっても過言ではないが、平和が邪魔になれば、1977年国際緊急経済権限法 [International Emergency Economic Powers Act of 1977] が大統領に対し、国家的緊急事態が続くあいだ貿易と金融に制限を課すことを許す。大統領による緊急事態宣言は端的に裁判所から疑義を受けない。外交政策目的で経済制裁を課すためにIEEPAを援用するのが大統領達の間で慣例となっているが、だからといってこの法規を自らの通商目的のために援用することからトランプ大統領を阻止するものは何も無いのである。

表 1. 大統領が外国通商の統制に利用できる法規のまとめ

原註: FTA = free trade agreement; MFN = most favoured nation; NAFTA = North American Free Trade Agreement
出展: Hufbauer (2016).

NAFTAには、書面による6ヵ月の事前通知をカナダ・メキシコに送付したのち同協定から脱退することをトランプに許す規定が在る。そうなれば合衆国議会と協議したうえで、彼は互恵性の不十分を主張し、メキシコに35%の関税を課すことが可能となる – 或いは国家的緊急事態を宣言したうえでIEEPAを援用するというのも在り得るが、こちらも結果は同様である。大統領トランプは同じ様にその他の自由貿易協定も破棄し得る。最も破局的なケースでは、WTOから脱退し、合衆国の最恵国関税をスムート・ホーリー法時代の水準に引き戻してしまうケースさえ起こり得るが、これは大恐慌 [Great Depression] 以来絶えてなかったことだ。

トランプもこうした措置はあまりに苛烈だと感じるかもしれないが、そうした場合はもう少し制約の有る冷戦時代の3法規を利用できる。第一の法規 [1962年通商拡大法] (232条(b)) は国防に対する危機が明らかとなった場合に輸入制限を課すことを大統領に許すものである。第二の法規 [1974年通商法] (122条) は合衆国の大統領に、巨額かつ深刻な国際収支赤字に対処するため、150日の間、全て若しくは一部の国に対し、最大15%の関税、若しくは量的制限の賦課を許す。第三の法規 [同法] (301条) は外国が合衆国の通商に不公正な形で制限を加えていると発覚した場合に、大統領が貿易措置などの報復的措置を実行すること許すもの。

合衆国の貿易措置によって被害を受けた場合、貿易相手国はトランプの行動に異議を申立て、WTOを通した補償を請求するだろう。しかし貿易相手国はWTOでの立証を待つまでもなく、端的に合衆国の輸出・知的財産権・投資筋を標的とした報復措置に打って出るかもしれない。

Noland et al. (2016) はトランプの提案する貿易政策が合衆国に及ぼす経済的影響を、3つの相異なるシナリオをスケッチしながら推定している。同研究はムーディーズ・アナリティックスに依拠しつつ、特に短期的経済ショックの評価を行うもので、メキシコ (35%) 並びに中国 (45%) といった合衆国関税障壁の劇的引上げから生ずる、GDP・雇用率・民間消費・部門/州/群レベルでみたその他数値の変化が算出されている。

第一シナリオは全面的貿易戦争であり、トランプの新関税を受けたメキシコ及び中国は、合衆国輸出に対する同等の関税を以て応酬する。第二シナリオは非対称的貿易戦争で、中国は合衆国からの特定の財・サービス輸出に対し報復措置を取り、メキシコのほうでは全ての合衆国輸出に最恵国関税を課す。第三シナリオは貿易戦争未遂であり、合衆国関税が一年間のみ一方的に賦課され、メキシコおよび中国も同じ期間だけ報復措置を取る。

図1 ベースライン状況・全面的貿易戦争・貿易戦争未遂シナリオ時の合衆国GDP予想, 2015-2026

全面的貿易戦争シナリオでは、合衆国のGDP成長率に十年間に亘る相当な減速が見られる (図1を参照)。合衆国経済が最も厳しい打撃を受けるのは2019年で、この年に消費は2.9%、投資は9.5%も落ち込み、失業率は8.4%に達する。2019年の民間部門雇用ではほぼ480万近く職が無くなるが、これはベースライン状況の民間部門雇用を5%以上も下回る。最も強く影響を受けるのは高速ドライブおよびギア製造部門であり、雇用は10.2%も落ち込む (表3を参照)。しかしながら、絶対的雇用喪失数の観点から言うと、卸売および小売貿易・レストラン・ヘルスケアなどの部門で最も多く労働者が切り捨てられている。州レベルの影響の観点では、ワシントン州が最も強烈な打撃を被り5%の雇用喪失となり、これにカリフォルニア州・マサチューセッツ州・ミシガン州が続く (地図1を参照)。郡のなかで最も強烈な打撃を受けるのはロサンゼルス郡で176,000の雇用喪失、これにコック郡 (シカゴ州) における91,000の雇用喪失が続く。

表 2. 全面的貿易戦争および貿易戦争未遂の結果として生ずる一部マクロ経済変数の変化予想, 2017-2026

出展: Noland et al  (2016).

表3. 全面的貿易戦争によって最も被害を受けると予想される部門

出展: Noland et al (2016)

非対称的貿易戦争シナリオでは、中国は合衆国からの航空機輸入 (ボーイング機) を取止め、合衆国企業から購入するサービスを減らし、合衆国大豆の輸入に終止符を打つものと想定されている。中国の航空機購入取止めは179,000の合衆国雇用喪失を引き起こす可能性が有り、とりわけシアトル市-タコマ市-エバレット市の連なりやウィチタ市などの都市部への影響が懸念される。中国による合衆国企業サービス購入の減少のほうも85,000の合衆国雇用喪失を引き起こしかねず、その場合ロサンゼルス郡が最大の被害を受ける。中国の大豆輸入取止めは、ミシシッピ州・ミズーリ州・テネシー州・アーカンソー州の田園地帯における雇用を崩壊させる恐れがある。

地図 1. 州毎に見た民間部門雇用喪失パーセンテージ

出展: Noland et al (2016)

貿易戦争未遂シナリオとなると、経済的ダメージも幾分和らぐ。考え得る3つのアウトカムとしては、サプライチェーンの中断・金融市場の混乱・消費財の枯渇が挙げられる。合衆国民間部門雇用はこのシナリオでは一時的に130万の雇用喪失を被ることになる。

以上のシナリオを考慮すると、旧来および近代の諸法規がトランプ大統領に合衆国経済を織り成す国際的要素を、合衆国議会の同意を何ら要せずしかも裁判所からの有効な異議申立てもないままに、破棄することを許してしまう恐れがあり、これは全く悩ましいかぎりである。現在の大統領選キャンペーンを見る限り、合衆国議会は外国通商規制に関して自らが有する合衆国憲法上の権限の投げ売りを改め、適切な修正案を以て前述の諸法規の効力を狭めてゆくべきだろう。

参考文献

Hufbauer, G C (2016) “Could a President Trump shackle imports?” In Assessing trade agendas in the US Presidential campaign, PIIE Briefing 16-6, Washington: Peterson Institute for International Institute, September.

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Needham, V (2016) “Trump says he will renegotiate or withdraw from NAFTA”, The Hill, 28 June.

Noland, M, S Robinson and T Moran (2016) “Impact of Clinton’s and Trump’s trade proposals” in Assessing trade agendas in the US Presidential campaign, PIIE Briefing 16-6, Washington: Peterson Institute for International Institute, September.

原註

[1] フランクリン・ルーズベルトは銀行業務休止 [a bank holiday] の宣言を行う際に、リンドン・ジョンソンは対外直接投資の制限に、またリチャード・ニクソンは10%の輸入課徴金賦課に、それぞれTWEAを利用しており、当該大統領権限範囲はこうした例を以て知ることができる。

[2] 合衆国議会の対イラク・アフガニスタン戦争決議は今現在有効であり、裁判所はTWEA援用の目的に関しては行政部門のシリア・イェメン・その他標的に対する軍事行動を以て十分と見做すかもしれない。

 

ダロン・アセモグル, パスカル・レストレポ 『人間と機械の競争: 成長・要素分配率・職への示唆』 (2016年7月5日)

Daron Acemoglu, Pascual Restrepo, “The race between machines and humans: Implications for growth, factor shares and jobs” (VOX, 05 July 2016)


歴史に名を残す多くの経済学者も、技術進歩が労働市場に不可逆的損失を及ぼすだろうと予言した点では誤っていたことが今では明らかになっている。本稿では1970年から2007年の間に現れた新たなタイプの技能職に関する実証データを利用して、労働市場が、これまでのところは、資本による職の置換に常に順応してきたことを示す。機械による職のオートメイト化、対するは労働者が担う複雑な新タスクの創出。この2つの競り合いが均衡しているかぎり、労働市場が大きく衰退することは無いだろう。新たな技術の性質とそれが将来イノベーションの潜在的可能性に及ぼす影響は、労働の安定性に重要な意義をもっている。

デジタル技術・人工知能・ロボット工学による技術的不就労が世を覆い尽くす、といった懸念がいまや世を覆い尽くしている。最近の多様な労働市場トレンドは、合衆国における労働市場参加率の低下をはじめ、賃金格差や資本が国家所得に占める割合の上昇に至る幅広いものだが、これがいま 『新たな常識』 の先駆けだと目されている (例: Brynjolfsson and McAfee 2012, Akst 2014, Autor 2015, Karabarbounis and Neiman 2014, Oberfield and Raval 2014)。技術的不就労をめぐるこの種のよくある議論が抱える大きな瑕疵は、新技術の影響が今回これまでとは異なったものになるだろうと予測すべき明確な理由が実は全く存在しないところに在る。過去この方、新技術がそれ程の雇用縮減の蔓延を生みだした例はないのだ。

新技術がこれほど破局的なものになると予言されたのは何も今回に限った話ではない。1930年、ジョン・メイナード・ケインズは次のように述べた:

「私達はいま或る新たな病に掛かりつつあるのです。その病の名を耳にしたことのない読者も中にはいましょうが、これから数年のうちにその内実を嫌と言う程きかされることになるだろうもの – そう、技術的失業です」(Keynes 1930)

1965年、経済史家のロバート・ハイルブローナーはこう断言して憚らなかった:

「機械が社会をこのまま侵略し続け、ますます多くの社会的職務を担うようになるその暁には、人間的労働 – 少なくとも現在の我々が考えるような 『労働』 に関して言えば – 他でもないこの人間的労働こそが徐々に無用の長物と化す」 (Akst 2014での引用)

著名な経済学者であるワシリー・レオンチェフもまた同様に新しい機械のもつ意義について悲観的であった。馬を無用の長物に変えた20世紀初頭の技術とのアナロジーを用いつつ彼は未来の展望を述べる:

「労働はいよいよその重要性を失ってゆくだろう…ますます多くの労働者が機械に置換されるだろう。新たな産業が職を求める全て者に雇用を提供できるとは思えない」(Leontief 1952)

では、いま挙げた様なこれまでの不吉な予言が過去において現実のものとならなかったのは何故なのか? また、今回はこれまでとは違うはずだというのなら、それはどうしてなのか?

我々の最近の取組みはこれらの問いに答えようとするものだ (Acemoglu and Restrepo 2016)。我々の手法は2つの中核的考えに依拠している。一つ目は、殆どの時代で、それまで労働が担っていた職務が機械化およびオートメイト化されるというプロセスが絶え間なく進行しつつも、他方では時を同じくして労働の担う新たな雇用機会も創出されているのだ、という考え。二つ目は、新たな雇用機会は専ら、新しくしかもより複雑な、労働が資本に対し比較優位をもつような職務の登場に由来する、という考えである。斯くしてレオンティフ問題に対する我々の解答は見出された – 人間労働と馬の違いだが、人間には新しく、しかもより複雑な活動で比較優位が有るのである。馬にはそれが無かった。

こういった複雑な新タスクの重要性を見事に例証するのが第二次産業革命期を通してみられた技術的・組織的変化で、そこでは鉄道による駅馬車の置換、蒸気船による帆船の置換、クレーン機器による手作業港湾労働者の置換のみならず、新たな労働集約的タスクもまた観察されていたのである。こうした新たなタスクは、エンジニア・機械技師・修理工・車掌や近代的な経営者・金融業者など、新たな技術の導入と運用に関わりをもつ人達からなる新たな階層の担う職を創出したのだった (例: Landes 1969, Chandler 1977, Mokyr 1990)。

複雑な新タスクの重要性は近年の合衆国労働市場の動向からも確認できる。雇用関連の諸数値は、既存の労働集約的職種のオートメイト化だけでなく、新たな業種の隆盛も記録しており、エンジニアリングやプログラミング職をはじめオーディオヴィジュアル専門職・役員秘書・データアドミニストレータ/データアナリスト・ミーティングプランナー・コンピュータサポート専門職など幅広い。じっさい、過去30年を通して、新タスクおよび新役職は合衆国の雇用成長に大きな割合を占めてきた。我々はこの事実を実証するにあたり、新たな役職 – これら役職では労働者はより従来的な職種で雇用されている者と比べて相対的に新しいタスクを取り行っている – が各業種内部に占めるシェアを計測したLin (2011) のデータを利用した。2000年には、コンピュータソフト開発者 (当時100万人の雇用を生み出していた業種である) として雇用されている労働者の約70%が新役職に就いていた。同様に、1990年には放射線技師が、また1980年には経営アナリストが、それぞれ新役職であった。

図1  十年間での雇用成長率に対し330業種について各十年開始時の新役職シェアをプロットしたもの

原註: 1980年から1990年までのデータ (濃い青)、1990年から2000年 (青)、2000年から2007年 (薄い青、10年変化に再スケール化)
出典: Acemoglu and Restrepo (2016)

図1は、1980年以降の何れの十年間をみても、より新しい役職をもった業種ほど雇用成長率が大きかったことが示されている。同回帰直線は、各十年間の始まり時点で新役職の10%分多い業種は続く10年の間に5.05%早い成長を遂げていることを示している (標準誤差 = 1.3%)。1980年から2007年までに、合衆国における総雇用数は17.5%成長した。この成長の約半分 (8.84%) は、新役職をもたないベンチマークカテゴリに対する、新役職をもつ業種における追加的雇用成長によって説明される。

これら2つの重要要素は、先進国経済における近代的労働市場の動向が、次の2つの技術的動力の競り合いによって特徴付けられるものと捉えるべきことを示唆する: すなわち一方には機械によるオートメイト化が在り、他方には人間による複雑な新タスク創出が在る、という構図となっているのだ。オートメイト化というのが、他の事情に変わりがなければ、労働から職を奪い去る進行中のプロセスであるのは確かだが、複雑な新タスクの創出もまた進行中のプロセスであり、こちらは労働が担う新たな職を生み出すものなのだ。第一の動力が第二の動力を追い越すのなら、国家所得に労働が占めるシェアの減退および技術的不就労が生じてくるだろう。第二の動力が第一の動力を追い越すならば、その真逆が起きるだろう – 国家所得に労働が占めるシェアは増加し、雇用率も高まるだろう。タスクに基づく我々の枠組みはさらに、技術改良と相応しGDPを上昇させるものだとはいえ、オートメイト化には労働者が国家所得に占めるシェアのみならず、彼らの実質賃金をも引き下げてしまう可能性が有ることを示している。この最後の研究結果は、新技術が賃金に及ぼす影響をめぐる諸問題の1つの中核を解明するさいに関わってくる。というのも、一般的にいってこの点は既存のモデル (そこでは技術更新はつねに賃金を上昇させるものとされる) と上手く馴染まないものなのである。

我々の理論フレームワークから見ると、ケインズやレオンチェフを含み、過去の状況を体現しているようにみえる評者が結局のところ正しくなかった理由は、機械対人間の競争における第二の動力があらゆる面で第一の動力の等価物となっていたからだ、となる。未来に目を向けると、新技術の波及が労働に終末をもたらすか否かという点も同じく、この第二の動力が第一の動力の早まった足並みに付いて行けるかどうかに掛かってくるだろう。

しかしこのフレームワークを用いつつ、オートメイト化と複雑な新タスクの創出の進展率を外生的のままにしておくのは不十分だと言わざるを得ない。同フレームワークが上記の動力の働きを解明するうえで役に立つのは確かだが、それはまた1つの同じくらい深遠なる問いを提起する: すなわち、過去においてこれら2つの動力が結局均衡していたのは何故なのか? 今日の技術進歩から同様の結果を予測すべき理由は何もないのだろうか?

いっそう根源的なこの問いに答えるため、我々は本フレームワークの完全版を構築したのだが、そこではオートメイト化と複雑新タスク創出の進展率は内生化され、これら2つの活動の何れであれより利潤の上がる方に反応するようになっている。例えば、資本が安価になればなるほどオートメイト化の利潤が高まり、これが相対的に出費の嵩む労働を安価になった資本で置換する動きに繋がる、といった具合だ。本モデルのこの内生的技術バージョンでは、こうした利潤性の高まりがさらなるオートメイト化の引き金となる。本理論構造は2つの互いに関連した理由から有用だと言える。一つ目は、安定化要因として働く動力の特定に役立つ点 – つまり、ひとたびオートメイト化が新たな労働集約的タスクを上回るや、新タスク創出の加速を誘発するような経済的動力が現れてくるはずだ。二つ目は、我々が現在目の当たりにしている新たなオートメイト技術の奔流が自己修正を行わず、したがって労働の展望に対し長期的にみて悪影響をもたらすことになるのはどの様な状況なのかを画定するのに役立つ点もある。

本モデルにおいて安定化要因となる動力は 『価格効果』 に由来する。オートメイト化には労働への支払いを減少させる傾向が有るので、さらなるオートメイト化との比較で、複雑新タスク創出の利潤性を上昇させることにもなる。この安定化動力は、急速なオートメイト化も未来のイノベーション創出や多種多様な研究開発に役立つ技術が不変に保たれている環境で生ずる限りは、自己修正的に働く傾向が有ることを示唆している。経済は窮極的にはこれらオートメイト技術が登場する前の状況に帰還することになるだろう。もしそうなら、新たな技術を前にした労働者が現在被っている苦境が在るにせよ、労働の未来はそれほど暗澹たるものではないのかもしれない。とはいえこの安定化動力は、あらゆる種類の変化が必ず自らの進行方向を逆転させるとまでは示唆しない。変化したのが未来のイノベーションを創出する為のテクノロジーであった場合、とりわけオートメイト化関連のイノベーションが新タスクの創出よりも容易となった場合には、我々がいま目にしている新たなオートメイト化技術の波及も、労働展望の悪化を伴った新たな長期的均衡状態へと経済が安定してゆく過程の第一段階に過ぎないだろう。全体的に言って、技術的不就労の増加をめぐる懸念の正しさがこの先どれほど証明されるのかは、いま我々が直面しているのが新たなオートメイト化技術の急速な発見期であるのか、それとも未来の技術を生産する我々の能力の根源的なシフトであるのか、この点に掛かっている。

我々はまた本理論構造から得られる市場均衡の効率性に関しての新たな示唆にも光を当てている。外生的技術というものを取り入れたモデルが、市場支配力をもつ企業   (典型的には新製品や新技術を市場に導入した企業がこれに該当する) の押し付ける独占的マークアップに由来する非効率性の様々な要因を備えていることは良く知られている。こうした良く知られた非効率性の原因に加え、我々は新たなタイプの非効率性を特定しているが、これは行き過ぎたオートメイト化や創出される新技術があまりに少な過ぎるといった状況に繋がるものである。こうした非効率性が生じるのは、オートメイト化というのが企業の賃金支払い節約を可能とするものであるために、高賃金に反応するからである。労働者への賃金支払い増化の一部がレント分である時 (例: 効率賃金または労働市場摩擦によって生じた準レント)、社会計画者が望ましく考えるところを超えたオートメイト化が進行することになるだろう。そして技術は労働の置換に向かう非効率的なバイアスを帯びて来る。

最後に我々は本フレームワークを利用し、格差にオートメイト化が及ぼす影響を調査した。異なる労働者ならば異なる量の技能を保持しているという時には、オートメイト化と新タスク創出はともに格差の拡大に繋がり得る – 前者の場合、低技能者ほど機械との競争がより重く圧し掛かってくる為で; 後者の場合、複雑な新タスクにおいては高技能者労働者の方が低技能労働者よりも多くの比較優位を手にするからである。しかしながら、継時的に見たとき、タスクが規格化され、低技能労働によっても容易に取り行われるようになるのならその限りで (例えばAcemoglu et al. 2010での議論の様に)、複雑な新タスクの導入はこうした労働者にも高技能労働者と並んで恩恵をもたらすことを我々は明らかにしている。この規格化プロセスの進行速度に依るが、経済がオートメイト化技術のもつこうした格差効果に対し自己修正的に働く強い力を生み出す場合も、或いは在るかもしれない。

我々は今回の論文を、資本と労働に対し異なった作用をする多様な技術変化の体系的調査に向けた第一歩と位置付けているが、この路線で殊に有望であるように見受けられる研究領域が幾つか在る。第一に、効率性への影響、およびこれが労働市場の不完全性 (労働の機会費用と賃金のあいだに歪 [wedge] を発生させるものである) とどの様な相互作用するのか、という点についてのより体系的な研究が、この先の重要な取組み領域となる。第二に、複雑性分布の様々な部分でオートメイト化が進む種々のタスクに対するより細やかな分析も重要な研究領域であり、殊に近い未来にはオートメイト化が低技能労働者のみならず高技能労働者に対してもますます大きな影響を振るうようになる旨を伝える多くの実証データに照らせば、なおのことだ。第三に、オートメイト化および新タスク創出能力に関わる技術には産業間で大きな差が在るだろうから (例: Polanyi 1966, Autor et al. 2003)、こうした差がどの程度制約的要因になってくるのかの調査が必要だ。最後に、そして極めて重要な点だが、オートメイト化とロボット工学が雇用に及ぼす作用についての実証研究データが、大いに必要とされている。実際、急速なオートメイト化が本当に複雑新タスク創出の誘発要因として機能するのかこそ、取りも直さず本論で展開したフレームワークにさらなる実証的内実を与えるにあたっての最重要点なのだ。

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原註                                                                                 

[1] 1980年・1990年・2000年のデータは合衆国国勢調査による。2007年のデータはアメリカン・コミュニティ・サーベイから。Acemoglu and Restrepo (2016) の補遺B [Appendix B] に本データおよび我々が用いたサンプルに関するさらなるデータを示した。そこでは図1に描出した関係性の頑健性についても詳述している。

 

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暴力の管理・法律の執行・租税の徴収・経済活動の規制・公共サービスの提供。数多くの貧困国ではこうした領域における国家的能力の欠乏が1つの大問題になっている。本稿ではコロンビアの事例を取上げ、何よりも先ず軍事的目標を優先するものであるトップダウン式国家建設戦略の効率性の評価を試みる。この種の国家建設アプローチでは国家的能力のその他重要側面の育成に失敗する可能性が有るばかりか、発展初期段階にあるこうした能力に悪影響を及ぼしかねない。

今日多くの国で国家的能力の欠乏が1つの大問題になっている。例えば暴力の管理・法律の執行・租税の徴収・経済活動の規制・公共サービスの提供などを行う能力がここに含まれる。貧困国の多くではこうした面の不備が其処彼処にまで蔓延しているが、Fearon and Latin (2003) の主張によればこうした事態こそが内戦の根本的原因なのだという。とはいえ、その潜在的便益にも関わらず、上述の諸能力開発は尋常ならぬ難しさの様で、多くの国が恒常的にその国家的弱体性を顕にしている。

社会がこうした困難を乗り越え、首尾よく国家の強化を成し遂げるにはどの様な道筋が在り得るのだろうか? またWeber (1946) が国家の 『あれ無ければこれ無し』 たる条件と見做したところの領土内における暴力の正統的独占だが、国家は如何にしてこれを確立し得るのか? こうした目的へのアプローチとしては、先ず非国家武装アクターの消去と国家的支配の確保をめざす軍事的戦略に集中するというのが自然に思いつくだろう。『国家第一 [state first]』 または 『保安第一 [security first]』 的見解と呼ばれることもあるこのアプローチは、当然トップダウン式 (一般的に言って、社会の側からの合意や参加は存在しない) であり、ピョートル大帝やルイ14世またケマル・アタテュルクそして朴正煕といった強力な指導者による国家建築計画の歴史的な例を以て描き出されてきた (例: Huntington 1968, Fukuyama 2001, 2014)。この見解はアカデミックな領域に留まるどころか、近年のアフガニスタン・イラクに対する合衆国の侵攻にあたっての指導原理となるまでに至っており、数多の国際的開発ガイドラインの導きとなっている  (Grävingholt et al. 2012, World Bank 2012)。

トップダウン式アプローチはしかし、通例一面的であり、何よりも先ず軍事的目標を優先するものである。最近の論文で我々は、こうしたアプローチが相当深刻な負の帰結を生み出しかねないことを主張している  (Acemoglu et al. 2016)。それだけでなく、同アプローチでは国家的能力のその他重要側面を育成できない可能性があるばかりか、発展初期段階にあるそうした能力に悪影響を及ぼしかねないのである。

我々は、2002年におけるアルバロ・ウリベの大統領選出以降、コロンビア国内の暴力の国家的独占確立をめざして行われた取組みの帰結を研究対象とした。ウリベ大統領は古典的なトップダウン式国家建築計画の定式に則り、非国家的武装アクター、とりわけ左翼ゲリラとの闘争に焦点を合わせた。彼の 『民主的保安政策 [Democratic Security Policy]』 は次の2つの主柱で構成されている: すなわち軍隊規模の拡張、そして軍隊側の対ゲリラ戦闘へのインセンティブ増進である。Human Rights Watch (2015) の或るレポートは、2002年以後のインセンティブ導入を 「戦闘における殺人を、休暇や昇進また勲章そして訓練コースさらに上官からの称賛等々の賞与を以て褒賞するもの」(p. 29) と描写している。

図1 セメスター毎の虚偽検知数
事例数および死者数, 1988-2011

原註: 1988年の第一セメスターと2011年の第二セメスターの間の期間における虚偽検知数。事例数 [cases] は虚偽検知を生んだ出来事の総数であり、死者数 [casualities] はそうした出来事で殺害された者の総数である。何れの場合も、生の数値から算出した三セメスター移動平均を示している。
出展: Acemoglu et al. (2016), CINEPのデータに基づく。

こうした強化インセンティブの主たる帰結は 『虚偽検知数』 の急増だった。これは軍隊が民間人を殺害したうえで、こうした民間人をゲリラ戦闘部隊であるとする虚偽の描写を行った場合である。図1に示すのがこうした事例であり、虚偽検知を生んだ事件と、そうした出来事で殺害された者の数の双方を明らかにしている。虚偽検知はコロンビアではかなり前から存在していたのだが、ウリベ大統領による国家建築計画を経て大幅に増加し、その後メディアによって2008年の民間人殺害水準が公にされたことを受け政策が穏健化されるまで、この数字が減少することは無かった。図2には領土内における虚偽検知の分布が示されており、ここから同慣行は国土全体に蔓延したものであって、一部の不良軍事部隊のために生じたものではないことが明らかに読み取れる。

図2 虚偽検知数
居住者100,000人あたりの総処刑数

原註: 地方自治体単位で全サンプル期間 (2000-2010) を通して見た虚偽検知数 (100,000人あたり)
出展: Acemoglu et al (2006), CINEP (虚偽検知数) および DANE (人口) のデータに基づく

(Holmström and Milgrom 1991におけるマルチタスクフレームワークの考えに倣った) 単純な理論を用いれば、インセンティブ構造と、国家的能力のその他側面、またトップダウン式かつ一面的な国家建築計画活動から生じた意図せざる結果との関係の明晰化もやり易くなる。同理論からは我々にも検証可能な幾つかの予測が得られる。

  • 一、軍人側のゲリラ殺害へのインセンティブ増強は、虚偽検知数と本物のゲリラの殺害数 (これを 『真正検知』 と呼んでいる) 双方に繋がるエージェント活動の増加をもたらす。
  • 二、この効果は、キャリアへの関心がより強いものである大佐階級 [colonels] が率いる隊ではより顕著になる (大佐から大将 [general] への昇格は大半の軍隊において難しくなっており、コロンビアも例に漏れない)。
  • 三、地方司法機関のもつ、軍事部隊およびその司令官らの取調べ、並びに答責可能性の維持に係る権限が弱い地方自治体ほど、虚偽検知への影響は顕著になる。極めて重要な点だが、司法機関の弱さは虚偽検知数に影響するが、真正検知数には必ずしも影響しない。

さて、一番最後の非対称性も含み、以上の予測は我々のデータとも整合的であることが分かった。これら発見は国家建築における一面的アプローチの負の帰結を浮き彫りにしている。機関化の遅れた地区において真正検知および虚偽検知の数に非対称的な反応が見られる事からも、今回記録された事態は真正のゲリラに対する攻撃の過程で生じた不可避の付随的損害で片付くものではなく、民間人を殺害したうえでこれをゲリラ戦闘員であったと装うよう方向付けられた軍事部隊による、組織ぐるみの行動であったのだという我々の解釈は裏付けを得ている。

この点はさらに、近年増えてきた、司法部またメディアによる調査からの事例研究的実証データとも軌を一にしている。国連特別報告官のフィリップ・オールストンは 「結果を見せよ」 という圧力とそれに応ずる行為に対する褒賞が虚偽検知の一因であると、専門家から – 軍内部の専門家からも – 指摘されているとの見識を述べているが、同氏に対し或る兵士が、自らの所属する隊が殺害行為1件を遂行した場合15日間の休暇以て褒賞されていたというその実態を説明している: 「大事な祝日が近づけば兵士達はなんとか休暇を 『稼いでおこう』 としたものです、と彼は述べたのだった」(Alston 2010, p. 11)。別の兵士で、2007年から2008年の間に優に25件もの虚偽検知事件の発生を目撃した者がいるが、同人物は2005年政府指令第29号 [government Directive 29 of 2005] を引きつつ、同指令が殺害行為または軍需資材に対し約束している金銭的褒賞を請求するために、軍人員は民間人を殺害したうえで彼らに武器を 『植え付け』 ていたと述べている。

我々の提示する実証データはさらに、コロンビアが採用したトップダウン式国家建築戦略は単に人類の悲劇をもたらすばかりか、それが意図する目的との関連でも逆効果となる可能性が在ることを示している。ここで今一度、ゲリラ殺害への強いインセンティブに直面した国家エージェントを想像されたい。司法機関の水準が劣るほど、民間人殺害しておきながら事無きを得るのも容易になると考えられるが、そうした状況下では国家エージェント側で地方司法機構の弱体化を図る行動を起こす場合も考え得る。事実、経験的実証データは大佐階級が指揮する部隊が高い割合を占める地区で司法機関の水準に悪影響が出ていること、またこちらはさらに逆説的だが、こうした地区では保安水準も悪化している (民間人に対する、ゲリラによる攻撃と準軍事部隊による攻撃の双方が増加している) ことを指し示している。

コロンビアにおけるトップダウン式の、一面的国家建築計画は、したがってそれが達成しようと掲げている目的との関連でさえ反生産的なのだ。同計画はその進行過程で国家的能力におけるその他の側面を弱体化させただけでなく、恐らくは国家の正統性と自らに対する承認から生ずる力を台無しにしてしまったのであるが、こうした承認の力こそ実は国家的能力の中心を占めるものかもしれないのだ (その理論的考察についてはAcemoglu 2005、コロンビアの事例についてはIsacson 2012を参照)。今回の分析から得られる主要な教訓は、たとえ暴力の正統的独占の達成を目指す場合であっても、国家の多様な側面における諸機関を同時的に築き上げる取組みが決定的に重要であり、また問責可能性の欠けたまま、そして司法府といった国家機関が脆弱な時節に採用された強化インセンティブは、極めて捻くれた振舞いを見せ得ることである。

同様に捻くれた意図せざる結果の発生を予感させるトップダウン式の一面的国家建築活動には、他にも数多くの例が在る。例えばペルーとグアテマラでは、紛争後の真実和解委員会によって民間人殺害の拡大が記録されている。同委員会の報告によれば、ペルーでのこうした殺人は、トップダウン式の保安第一論理がその誘因となっているという: 「軍事的アプローチに特権を付与することで、対反乱分子戦略における主要目標の1つとして武装蜂起の人員・同調者・協力者の抹消が挙げられ、権限の有る司法当局の下で裁判を受けさせるためにこうした人物を捕縛するという目標すらも措いて優先された」(Comisión de la Verdad y la Reconciliación 2003, p. 146)。グアテマラの同委員会も我々の研究と似た結論に至っており、次の様に論述する:

「軍事化が刑事免責の支柱と化したのだ。軍事化はさらに、広い意味で国家機関を弱体化させることでそうした機関が効率的に機能するための能力を損なわせ、結局それが正統性を喪失する一端を担った」(Comisión para el Esclarecimiento Histórico 1999, p. 28).

同論述の結びは次の様になっている: 「司法制度は、そもそも本国における多くの地区では武装扮装が起こる前にも不在だったのだが、司法部門がこの支配的な国家保安モデルからの要求に屈服してからはなお一層弱体化が進んだ」(p. 36)。

こうした問題はラテンアメリカの外でも無関係ではない。国家が喪失していた暴力の独占をトップダウン式に再創出しようというソマリア・アフガニスタン・イラクにおける試みはみな、ここ数十年のあいだに裏目に出たように思える。我々の一般的アプローチの視点から展望するのなら、この様な事態が生じた一因として、そうした試みが保安軍に対し反抗者や反乱分子との戦闘に向けた強力なインセンティブを創出しようとしながらも、関連機関や地域住民からの支持を築き上げる為の努力の多くを欠くものだったためだとも言い得よう。

ここでアンナ・カレーニナの冒頭を飾るトルストイの有名な一文がふと思い浮かぶ: 「幸福な家庭はみな似ている; しかし不幸な家庭には全てそれぞれの不幸がある」。上手に事を運ぶため数多くの要素が手を携えて進む必要がある時には、失敗は多種多様な形で生じ得る。国家建築というのは – ちょうど関係構築と同じ様に – そもそもそう容易いものではない。それを成功させようと思うなら、人は実に数多くの側面と取組んでゆかなければならない、この1点だけは明らかなようだ。

参考文献

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Acemoglu, D, L Fergusson, J A Robinson, D Romero and J F Vargas (2016) “The Perils of Top-Down Statebuilding: Evidence from Colombia’s ‘False Positives’,” NBER Working Paper No. 22617.

Alston, P (2010) “Report of the Special Rapporteur on extrajudicial, summary or arbitrary executions,” Mission to Colombia, United Nations, Human Rights Council.

Besley, T and T Persson (2011) Pillars of Prosperity, Princeton: Princeton University Press.

Comisión de la Verdad y la Reconciliación (2003), Informe Final, Tomo VI: Sección cuarta: los crímenes y violaciones de los derechos humanos. Available at http://www.cverdad.org.pe/ifinal/index.php

Comisión para el Esclarecimiento Histórico (1999), Memory of Silence: Report of the Commission for Historical Clarification: Conclusions and Recommendations, Available at http://www.aaas.org/sites/default/files/migrate/uploads/mos en.pdf.

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Fukuyama, F (2011) The Origins of Political Order: From Prehuman Times to the French Revolution, New York: Farrar, Straus and Giroux.

Fukuyama, F (2014) Political Order and Political Decay: From the Industrial Revolution to the Globalization of Democracy, New York: Farrar, Straus and Giroux.

Grävingholt, J, J Leininger and C von Haldenwang (2012) “Effective statebuilding? A review of evaluations of international statebuilding support in fragile contexts,” Available at http://www.oecd.org/derec/denmark/effective_statebuilding.pdf

Holmström, B and P Milgrom (1991) “Multitask Principal-Agent Analyses: Incentive Contracts, Asset Ownership, and Job Design,” Journal of Law, Economics and Organization, 7(0), 24-52.

Human Rights Watch (2015) “On Their Watch: Evidence of Senior Army Officers’ Responsibility for False Positive Killings in Colombia,” Available at https://www.hrw.org/report/2015/06/24/their-watch/evidence-senior-army-officers-responsibility-false-positive-killings

Huntington, S P (1968) Political Order in Changing Societies, New Haven: Yale University Press.

Isacson, A (2012) “Consolidating Consolidation,” Washington Office on Latin America, Available at http://www.wola.org/files/ConsolidatingConsolidation.pdf. Last accessed March 7, 2016.

Weber, M (1946) “Politics as a Vocation,” in From Max Weber: Essays in Sociology, translated and edited by H.H. Gerth and C. Wright Mills, New York: Oxford University Press.

World Bank (2012) “Guidance for Supporting State Building in Fragile and Conflict-Affected
States: A Tool-Kit,” Available at http://siteresources.worldbank.org/PUBLICSECTORANDGOVERNANCE/Resources/ 285741-1343934891414/8787489-1347032641376/SBATGuidance.pdf 

 

フリア・ルイス・ポズエロ, エイミー・スリポウィッツ, ギエルモ・ブレチン 『民主主義は経済成長を生み出すものではない』 (2016年9月30日)

Julia Ruiz Pozuelo, Amy Slipowitz, Guillermo Vuletin,”Democracy does not cause growth” (VOX, 30 September 2016)


 

民主主義は経済的繁栄をもたらすのか。この点をめぐる議論は古く、その起源は数千年もの昔にまで遡る。近年の実証研究成果は、民主化が経済的成長に対し相当のポジティブな影響を及ぼす旨を示唆するが、そうした研究結果は内生性や逆の因果関係によって生じている可能性が在る。本稿では、民主主義の専門家らを対象とした調査から新たに得たデータを活用し、この内生性問題の解決を試みる。民主主義と経済成長の間に見られる正の関係は、経済的混乱が民主的支配の登場を引き起こすという流れの反映しているのであって、民主主義が経済成長を生み出す流れを反映するものではない。

果たして民主主義はいっそうの経済的繁栄・経済的成長を生み出すものなのだろうか? この問いは、社会により多くの政治的・経済的利得をもたらす統治形態をめぐってプラトンやアリストテレスが戦わせた議論にまで遡るほど古いものだ。しかしながら、二千年を超える時を経た今でも、民主主義 (それ自体) が本当にその他の専制的統治形態よりも大きな経済成長をもたらすものなのかについて、ハッキリとした定見は無いようである。

そこでこの重要な問いに対する回答の模索も、一種実証的性格を帯びた取組みに変わり、一方では、国家間の比較に依拠した研究によって経済成長に対する民主主義の関連性が疑問視されるに至った (Sirowy and Inkeles 1990, Przeworski and Limongi 1993, Helliwell 1994, Barro 1996, Tavares and Wacziarg 2001)。ところが他方でパネルデータに依拠するより最近の研究には、民主主義は経済成長に相当な効果を及ぼすとの趣旨の理論を支持する傾向が実際に見られるのである (Rodrik and Wacziarg 2005, Papaioannuo and Siourounis 2008, Persson and Tabellini 2009, Acemoglu et al. 2014)。

実際こうした新たな研究にも肯んじ得る所が有り、図1は所謂 『第三波』 に当たる民主化、および1990年代初頭の共産主義崩壊に続く民主化の時期に見られた民主主義への移行事例38件について、そうした実証的規則性を描き出している1。民主主義への移行後は、平均年間一人あたり成長率におよそ半パーセンテージポイントほど上昇が見られるのだ。赤線が描き出す様に、民主化後の成長は統計的に言って移行前の水準より大きくなっている (前後でそれぞれ-0.44%・-0.01%)。一見些末に見えるが、この差から生ずる複合効果によって、こうした国家群がOECD諸国の所得水準に収束してゆく際に必要とする時間は三分の一も減少する。ということで、どうやら図1に描き出された実証成果は、額面的数値で評価する限り民主主義が経済成長に相当な影響を及ぼすことを示しているようだ。

図1. 民主主義移行前後での一人あたり実質GDP成長

原註: 本図は、年毎に平均値調整済みの [yearly-demeaned] (即ち、国家成長率からその年の平均成長率を引いた) 一人あたり平均実質GDPの変転を、民主主義移行以前の10年 (影無部分) ・以降の10年 (影有部分) に亘り描き出したもの。赤線は民主化前後での平均成長率を描き出している (平均値のこうした差異は5%水準で統計的に有意である)。

以上の実証成果が在るにも関わらず、政治学研究からは広く、内生性 (即ち逆の因果関係) 問題がここで作用している可能性と、民主主義移行事例の多くでは経済的混乱がその惹起あるいは促進の発端となっている点が指摘されている (O’Donnell 1973, Linz 1978, Cavarozzi 1992, Remmer 1993, Gasiorowski 1995, Haggard and Kaufmann 1995)。こうした見解によると、図1に描き出された様な、民主主義移行以前の低い (しかも負の!) 成長率も、貧弱な経済状況が専制政権の終焉を加速あるいは触発したことを示唆するものとなろう。例えば、1970年代のオイルショックや、それと関連した国際的資金貸出の拡大、およびその後の債務危機と、この一連の流れを1980年代のラテンアメリカにおける民主化波及の起源として指摘する学者の数は多い。

換言すれば、図1で描き出された民主化と経済成長の正の関係は、民主主義がさらなる経済成長を引き起しているのだ (近年の経済研究が打ち出す説) とも、経済的混乱が民主的支配を引き起こしているのだ (政治学研究の領域で広く支持されている説) とも、或いはある程度まではその両方なのだとも、つまり何れの事態を反映するものだとも言えるのである。こうした因果関係を撚り解く試みは容易いものではないが、民主主義が経済成長に及ぼす影響の解明が極めて重要であることに変わりはない。

我々の最近の研究はこの難問への1つの挑戦である (Ruiz Pozuelo et al. 2016)。内生性問題の解決に向け我々は、民主主義の専門家165名を対象とする新たな世界規模の調査に基づいた、今までにない識別戦略を提案している。概要を掻い摘めば、本研究は、それぞれの国で民主主義勃興を生み出した背景的諸力について尋ねる、一連のカテゴリー式・自由回答式質問に対し、こうした専門家が与えた回答を活用したものである。この手法に基づき民主主義移行は、経済的混乱と関連した原因によって生じたもの – これを 『内生的』 と呼ぶことにしよう – と、(経済成長に対して) より 『外生的』 性格の強い理由を原因とするものに分類される。後者に分類される例としては、とりわけ専制的指導者の死去や政治的/制度的主張を挙げておこう2

図2は、諸国を外生的民主化 (パネルA) と内生的民主化 (パネルB) に分割することで、図1を再構成したものである。

図2. 民主主義移行前後での一人あたり実質GDP: 外生的民主化vs.内生的民主化

原註:  図は、年毎に平均値調整済みの (即ち、国家成長率からその年の平均成長率を引いた) 一人あたり平均実質GDPの変転を、民主主義移行以前の10年 (影無部分) ・以降の10年 (影有部分) に亘り描き出したもの。パネルA・Bはそれぞれ、外生的民主主義移行・内生的民主主義移行についてこれら数値をプロットしたもの。赤線は民主化前後での平均成長率を描き出している (平均値のこうした差異はパネルAでは統計的に有意ではない。パネルBでは5%水準で統計的に有意である)。

図2の実証データによって、民主主義は成長を引き起こすものではないことが明らかになった。パネルAは 『外生的民主化』(即ち内生性問題に汚染されていない民主化) が何ら経済成長に影響を及ぼしていないことを示している。赤線に描き出される様に、民主主義前後の成長率は統計的に言って同一である。

同じ事の言い換えに過ぎないが、パネルBによって、民主主義が経済成長に及ぼす影響は 『外生的民主化』 のために生じていることも示されている。言葉を換えれば、民主主義と経済成長の間に一般に観察される正の関係は、政治システムが経済成長に及ぼす影響を推定しようとする際に、外生的民主主義移行事例を組入れる過ちのために生じているのである (これが翻っては恰も民主主義がさらなる成長を引き起こしているかのような虚偽の印象を与えている)。

結論

まとめると、憂慮される内生性問題に一歩立ち入った検証が示唆するところでは、誠に残念と言うほかないが、近年の研究成果とは裏腹に、民主主義は経済成長を束縛から解き放つ鍵ではないらしいことが明らかになった。

勿論、こうした因果的現実性は逆方向にも適用される。民主主義が経済成長を束縛から解き放つ鍵ではないらしいとしても、そこから専制的あるいは独裁的政体のほうが幾らかでもましだと結論するのは誤りだろう。言葉を換えれば、統治形態は経済繁栄について殆ど影響力をもたないのである。

参考文献

Acemoglu, D, S Naidu, P Restrepo and J A Robinson (2014) “Democracy does cause growth,” NBER Working Paper No. 20004.

Barro, R J (1996) “Determinants of economic growth: A cross-country empirical study,” NBER Working Paper No. 5698.

Cavarozzi, M (1992) “Beyond transitions to democracy in Latin America”, Journal Latin American Studies 24: 665-684.

Gasiorowski, M J (1995) “Economic crisis and political regime change: An event history analysis”, The American Political Science Review 89: 882-897.

Haggard, S and R R Kaufman (1995) The political economy of democratic transitions, Princeton University Press.

Helliwell, J F (1994) “Empirical linkages between democracy and economic growth”, NBER Working Paper No. 4066.

Linz, J (1978) The breakdown of democratic regimes: Crisis breakdown, & reequilibration, The John Hopkins University Press, Baltimore, MD.

O’Donnell, G (1973) Modernization and bureaucratic authoritarianism: Studies in South American politics, Institute of International Studies, California.

Papaioannou, E and G Siourounis (2008) “Democratisation and growth”, The Economic Journal 118: 1520-1551.

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Przeworski, A and F L Przeworski (1993) “Political regimes and economic growth”, The Journal of Economic Perspectives, 7: 51-69.

Remmer, K L (1993) “The process of democratization in Latin America”, Studies In Comparative International Development, 27: 3-24.

Rodrik, D and R Wacziarg (2005) “Do democratic transitions produce bad economic outcomes?”, American Economic Review, 95: 50-55.

Ruiz Pozuelo, J, A Slipowitz and G Vuletin (2016) “Democracy does not cause growth: The importance of endogeneity argument”, IDB Working Paper Series Nº IDB-WP-694, Inter-American Development Bank.

Sirowy, L and A Inkeles (1990) “The effects of democracy on economic growth and inequality: A review”, Studies In Comparative International Development, 25: 126-157.

Tavares, J and R Wacziarg (2001) “How democracy affects growth”, European Economic Review, 45: 1341-1378.

原注

[1] 民主化38事例リストに含まれるのは、アルゼンチン・ベナン・ボリビア・ブラジル・ブルガリア・カーボベルデ・チリ・クロアチア・チェコ共和国・ドミニカ共和国・エクアドル・エルサルバドル・エストニア・ガーナ・ギリシア・グレナダ・ガイアナ・ホンジュラス・ハンガリー・大韓民国・ラトヴィア・リトアニア・マリ・メキシコ・モンゴル・パナマ・ペルー・フィリピン・ポーランド・ポルトガル・スペイン・ルーマニア・サントメプリンシペ・セネガル・スロバキア共和国・スロベニア・南アフリカ・スペイン・ウルグアイ、以上である。

[2] 本手法のさらなる詳細については、こちらから我々の論文を参照されたい。

 

マシュー・ヴァインツィアル 『自然の運に由来する格差の世間的受容、および古典的利益基準課税説への後押し』 (2016年9月24日)

Matthew Weinzierl,”Popular acceptance of inequality due to brute luck and support for classical benefit-based taxation” (VOX, 24 September 2016)


 

格差是正をめざす課税政策は、純然たる運に由来する有利に対しては何人も権限を持たないものと想定している。しかし世間は、『自然の運 [brute luck]』 に由来する格差の完全な平等化に対しては概してこれを拒絶する態度を見せる。本稿では、これに代わる、利益基準の [benefit-based] 課税理論に対してはほぼ満場一致に近い世間的支持が存在することを主張する。最適租税政策を一種の経験的問題として処理するのならば、理論と現実のあいだのギャップを縮小する手助けになるかもしれない。

いまや世界中で、学者や政策画定者が経済格差をめぐる懸念に対する政策対応の画策に奔走している。そこで必要となるのは、広く受容されておりかつ柔軟性をもった政策分析枠組みであり、それは優先事項を設定したうえ、鍵となるトレードオフを取扱うものでなければならない。租税政策にはそうした枠組みが有る。半世紀近くもの間、最適租税の理論家はJames Mirrlees (1971) の労作を発展させ、潜在的な格差の原因なども含む、租税政策問題の多様な側面を取扱うための – またそれに応じた政策提言を為すための – 強力な理論装置を構築してきた。

しかし近年の研究により、こうした枠組みの中核的要素 – 即ち、同枠組みが想定している租税政策の目的 – が世間一般の見解、さらにはこれまでに確立されてきた政策的前例とも食い違っていることが明らかにされたのである。こうした研究は、既に大きいがいまだ拡大を止めない格差に対処するための受容可能な租税政策の特定を急ぐ経済学者に、彼らのアプローチに含まれているまさにこの側面を根源的に再考する必要が有ることを示唆している。幸いなことに、研究は経済学者が如何にしてこれを行うべきかについて、1つの道筋を示唆してもいる。

租税政策の現実性を点検する

理論的文献においては、租税政策の評価はそこから行き着く結果のみによって行われるが、近年の研究によって、その結果に至る過程についても人々は関心をもっていることが明らかにされた。こうした違いが格差への政策対応に対してもつ含みは極めて大きい。

標準的な最適課税モデルはJohn Harsanyi (1953, 1955) によって提起された議論、即ち、租税政策は個人の効用水準の総計 (或いは個人の効用水準に関するより複雑な関数) を最大化しなくてはならず、それはまた個人の税引後アウトカムに依拠しているのだという議論を踏襲している。そのため、個人が支払う税額と、その個人が得ている税引前の所得との関係は、租税政策の画策にあたって関連性をもたないことになる。つまりおよそ重要な事柄は、税引後の資源配分に尽きるという訳だ。

こうした場合、最適租税政策は意欲的に格差の相殺を試みることになる。格差存続の容認を正当化するのは、労働インセンティブ維持の必要と、余剰的労務 [extra effort] に対する報奨の要望のみである。

しかしながら、経済学者や政治学者また哲学者による近年の研究によって、こうした標準的モデルが人々の政策に対する判断の在り方を不十分にしか反映していないことが明らかにされた。人々は、税引前所得に対する一定の請求権を、個人に認めているようなのだ。以前私の研究 (Weinzierl 2014) では、世間に見られるJohn Stuart Mill’s (1871) の平等負担原則 [principle of equal sacrifice] への親近感を明らかにしたが、この原則は租税の評価は税引前所得と照らし合わせつつ行うべきであるとの旨を言うものだった。こうした親近感ならば既存政策に頑健に見られる特徴が説明できる。

関連した実証成果を得ている経済学者は他にもいる。Saez and Stancheva (2015) では分配に関わる選好について調査を行ったうえで次の様に結論した。即ち: 「可処分所得と支払われた租税額の双方が問題であって、したがって被験者は (可処分所得のみを問題とする) 純然たる功利主義者でもなければ、(支払租税額のみを問題とする) 純然たるリバタリアンでもないことを、実証データは明らかにしている」と。

Charité et al. (2015) は自らの調査結果を次の様な事態を示唆するものだと解釈している。即ち: 「個人は、社会計画者の立場に置かれるならば、他者の判断基準をちゃんと尊重するのである」 と。Lockwood and Weinzierl (2016) は前述の標準的モデルを利用して、政策が税引前資源に与えている暗黙の優先を定量化している。政治学者らによるScheve and Stasavage (2016) では、租税政策に関し、前世紀を通して諸般の発展国で、平等負担原則が傑出した役割を果たしてきたことを示す数々の実証データが提示されている。

これらの発見は全て、哲学者両人によるMurphy and Nagel (2002) で観察された合衆国大衆に散見される 『通俗的リバタリアニズム [everyday libertarianism]』 を裏付けるものだった。こうした判断は税引前所得に対し道義的重要性を置いている。

もし人々が、部分的にであっても、税引前所得への権限を認められているのであれば、最適租税理論はもはや以前ほど意欲的に格差を相殺しようとはしないだろう。代わって租税は、飽くまでもこうした権限の尊重に努める形で、政府活動の資金を集める方向に専念するようになるだろう。

自然の運と経済格差

税引前所得に関する学問的および世間的見解の間に在るギャップは、何によれば説明できるだろうか? その手掛かりは、運に対する我々の態度に在るかもしれない。

個人は自分の税引前所得に対して何ら道義的請求権をもたないという見解は、自らの支配下にない外在的要因に由来する有利に対しては何人たりとも権限をもたないのだという倫理的想定に依拠している。Cohen (2011) などの哲学者はこの様な外在的要因を指して 『自然の運 [brute luck]』 と呼ぶ。(例えば生まれつきの能力・幼少期の家庭環境・早期教育など) 自然の運が個人の経済ステータスとの関連でもつ重要性に鑑みれば、こうした想定は税引前所得に対する道義的請求権の拒絶に直接帰結するものである。

しかし大半の人が、個人は自らの税引前所得に対し一定の権利をもっているのだと考えているのであれば、これは自然の運に関する今挙げた様な理屈を同じく大半の人が拒絶するということになるのだろうか? 単刀直入に言えば、イエスだ。新たな論文で私は、この自然の運に関する理屈に対し世間が見せる態度を、合衆国の調査回答者数百名に対し、図1で挙げた状況を一考してもらうことで引き出す試みをしている (Weinzierl 2016b)。

図 1. 適正なコインを用いたコイントス

[訳註: 次の様なシチュエーションを想像して下さい。

2人の人物が次の様な申出をされました。

先ず、適正なコインを使いコイン投げを行い、2人の内のどちらかを人物A、どちらかを人物Bとします。但し、このコイン投げの結果は、両人物が本申出を拒否するか承諾するかを意思決定するまでは秘密にされます。

両人物が本申出を拒否した場合は、コイン投げの結果を明かしたうえで、人物Aは$600を、人物Bは$300をそれぞれ受領します。

両人物が本申出を承諾した場合は、コイン投げの結果を明かしたうえで、人物Aは$60,000を、人物Bは$30,000をそれぞれ受領します。その代わりに、人物Aと人物Bは、総計$18,000分の費用を支払わなくてはなりません。人物Aと人物Bのそれぞれが本費用の一部を支払うこともできます; 両人物の内どちらか一方が全費用を支払い、もう一方は何も支払わないことも在り得ます; さらに両人物の内どちらか一方が$18,000を超える額を支払うことも可能で、この場合、超過分の金額はもう一方の人物に与えられることになるでしょう。

さて、両当事者が本申出を承諾した場合、どういった結果が最も望ましいとあなたは考えますか? 初めのテキストボックスに、人物Aが支払うべきだとあなたが考える数値を入力して下さい (-12000から60000までの数値を入力し、$やコンマは使用しないで下さい)。残る3つのテキストボックスは自動で入力され、人物Bが幾ら支払わなくてはなるのか、また人物Aおよび人物Bが最終的に手にする額を表示します。初めのテキストボックスへ試しに幾つか数字を入力し、結果がどの様に変わるかを確認してみると、流れが理解しやすくなるでしょう。]

 

この様な仮想的シチュエーションでは標準的な最適租税政策は結果の完全平等化をハッキリと推奨する。人物Aは$24,000を支払うべきである、何故ならコイン投げにおける自然の運は、幸運なる同人物が大きな額を保持することを許容すべき如何なる理由も提供しないからである。

ところがである。回答者の平等主義度はそういった水準をかなり下回るものだったのだ。図2に回答状況を示す:

図 2.  人物Aは幾ら支払うべきか?

この筋書では、75%を超える回答者がアウトカムの完全平等化をしようとしなかった。設定の詳細を変化させると、この割合は50%から95%の間で変化する。回答者の大きな割合、或いは幾つかの場合ではその殆どが、こうした自然の運から生じた格差の平等化を拒絶している。この結果は諸般の人口動態的集団・政治的見解を通して保持された。これは、なぜ社会が個人に対し税引前所得への一定の道義的請求権を認めているのかという疑問に、単純明快な説明を与えてくれる。

2016年の大統領選キャンペーンが見せる格差に対する関心はこれら発見によく当て嵌まる。一部候補者は 『不公平システム』 や、相応の 『フェアなシェア』 を支払わない富裕な個人ならびに企業を非難している。しかし決定的に重要な点だが、不公平システム或いは租税回避に由来する利得は不正な行為に由るものであって、自然の運に由るものではない。そうした利得は謂わば、適正コインでなく、不正コインを使ったコイン投げに由来するものなのである。

課税に関する利益基準的見解

大半の人が標準モデルの挙げる税引前所得や自然の運に関する見解には与しないというのならば、彼らはどの様に租税政策を評価しているのだろうか? 1つの答えは、近代的な最適租税理論が発展するかなり以前の段階に見られた租税関連の学問的蓄積にいまひとたび我々を連れ戻す。

以前の論文で私は、古典的利益基準課税 (CBBT) と呼ばれる原理の再考察を試みた Weinzierl (2016a)。CBBTとは、Musgrave (1959) がアダム・スミスによる課税の第一原理に与えた名称だが、課税についての政治的修辞法において長い歴史をもっており、例えばバラク・オバマもこれを用いたのだった。CBBTの下では租税は、個人が政府の活動から、経済機会の向上を通して得る利益にしたがって割当てられる。

ここでの文脈と関連させて言えば、CBBTがもつ重要な特徴は次の2つである。第一に、CBBTは税引後アウトカムを無視し、最適性を税引前所得と租税との間の関係から定義する。第二に、CBBTの下では、運の良い個人ほど支払う租税も増えるだろうが、そうした運の一部を保持することが許されると考えられる。CBBTは前述の諸発見を説明する原理となるかもしれない。

私は調査回答者に図1で示した仮想的シチュエーションにおける自らの選択の説明を1つ選んでもらうことで、CBBTの可能性を探った。第一の選択肢は伝統的なアプローチにおける再配分の理屈を、第二の選択肢はCBBTの理屈を、それぞれ捉えたものである。

図3. 回答者が自らの選択を説明する

[訳註: 一部の人は、ちょうどあなたがした様に、人物Aは人物Bよりも多くを支払わなくてはならないというアウトカムを選択するようです。ここではそうした人の選択の背後に在る理由を2つ紹介します。以下に挙げる2つの理由を注意深く読み、少し考えて見てから、どちらの理由のほうにより強く同意できるかを選択して下さい。

人物Aは、人物Bより多くの額を最終的に手にするだけの事を何もしていない、そしてドルを沢山持っている者にとっては1ドルの価値は低下する、したがって人物Aは人物Bより多くの額を支払うべきだ。

人物Aのほうに人物Bよりも多くの利得が有るのは、両人物が本申出を承諾した場合のことである、そして支払い額は各人物が受けた利益の多寡と連動しているべきである、したがって人物Aは人物Bよりも多くの額を支払うべきだ。]

本質問への回答では、71%の回答者がCBBTの理屈のほうを選好し、この傾向は諸般の人口動態的また政治的グループを通して一貫していた。追加質問では90%超がCBBT支持を表明している。CBBTへの支持はほぼ満場一致に近いようだ。運に由来する格差の平等化に抵抗を見せる傾向が強い回答者ほど、CBBTを支持する傾向が強い。こうした結果は、アメリカ人の多く、恐らくはその大半が、標準的理論の想定とは根本的に異なるやり方で租税政策を判断していることを示唆している。

より一般的な教訓

こうした事柄は、『実証的最適課税 [positive optimal taxation]』 と私が名付けている租税理論への新たなアプローチ、これを発展させてゆく為の初めの一歩である。このアプローチは標準的最適租税分析を、課税の目標を経験的問題として処理することによって修正し、さらに様々なソース – 意見調査・政治的修辞法・頑健な政策的特徴分析を含む – を利用しつつ、租税理論に関しての標準理論と圧倒的現実との間のギャップに光を当て、また、政策に関する世間的見解をより上手く描き出すような、新たな租税目的 – そしてその背後に在る哲学的原理 – を特定し、これを租税理論でも取扱うようにする。この補完的アプローチが、租税政策に関する理論と現実とのギャップを縮める手助けとなって、経済格差に対する世間的支持に裏付けられた強力な政策対応を生み出すこととなれば幸いである。

参考文献

Charité, J., R. Fisman, and I. Kuziemko (2015), “Reference Points and Redistributive Preferences: Experimental Evidence,” NBER Working Paper 21009.

Cohen, G. A. (2011), On the Currency of Egalitarian Justice, and Other Essays in Political Philosophy, Princeton University Press.

Harsanyi, J. C. (1953), “Cardinal Utility in Welfare Economics and in the Theory of Risk-Taking,” Journal of Political Economy 61(5): 434-435.

Harsanyi, J. C. (1955), “Cardinal Welfare, Individualistic Ethics, and Interpersonal Comparisons of Utility,” Journal of Political Economy 63(4): 309-321.

Lockwood, B B. and M. Weinzierl (2016), “Positive and normative judgments implicit in US tax policy, and the costs of unequal growth and recessions.” Journal of Monetary Economics 77: 30-47.

Mankiw, N. G., and M. Weinzierl (2010), “The optimal taxation of height: A case study of utilitarian income redistribution,” American Economic Journal: Economic Policy 2(1): 155-176.

Mill, J. S. (1871), Principles of Political Economy, Oxford University Press.

Mirrlees, J. A. (1971), “An Exploration in the Theory of Optimal Income Taxation,” Review of Economic Studies 38: 175-208.

Murphy, L. and T. Nagel (2002), The Myth of Ownership, Oxford University Press.

Musgrave, R. A. (1959), The Theory of Public Finance, McGraw-Hill.

Saez, E., and S. Stantcheva (2016), “Generalized social marginal welfare weights for optimal tax theory.” The American Economic Review 106(1): 24-45.

Scheve, K. and D. Stasavage (2016), Taxing the Rich: A History of Fiscal Fairness in the United States and Europe, Princeton University Press.

Smith, A. (1776), An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations.

Weinzierl, M. (2014), “The Promise of Positive Optimal Taxation: Normative Diversity and a role for Equal Sacrifice,” Journal of Public Economics, 118.

Weinzierl, M. (2016a), “Revisiting the Classical View of Benefit Based Taxation,” Economic Journal, forthcoming.

Weinzierl, M. (2016b), “Popular Acceptance of Inequality due to Brute Luck and Support for Classical Benefit-Based Taxation,” NBER Working Paper 22462.

 

ビクター・ゲイ, ダニエル・ヒックス, エステファニア・サンタクル-バスート 『言語がジェンダー規範について教えること』 (2016年9月10日)

Victor Gay, Daniel Hicks, Estefania Santacreu-Vasut, “What languages can teach us about gender norms of behaviour,” (VOX, 10 September 2016)


 

実証データは、多様な形式におけるジェンダー格差が、ジェンダーを区別する言語をもつ国において多くみられることを示唆している。しかしこうした傾向が生ずるのは単なる見かけに過ぎない可能性もある。というのは、言語とそのほかの文化的制度は歴史を通して共進化 [co-evolved] してきたものだからだ。本稿では、疫学的手法を用いてその他の文化的影響から分離したうえでも、言語は重要性を見せるのかについて、直接的実証データを提示する。発見は、ジェンダー役割が如何に形成、恒常化されてきたのか、そして窮極的には、どうすればそれを変えることが出来るのか、これらの点に示唆を与えるものとなった。

言語を、それ自体として研究に値する重要な文化的特性であると考える研究経済学者がますます増えている。近年の研究により、諸言語の文法構造とその話者の経済行動との間に見られる幾つもの興味深い相関関係が記録されており、その中には例えば、未来時制の存在と個人の異時間点の意思決定行動とのあいだに見られる相関関係をはじめ、性別に基づく文法上のジェンダーの存在と、家庭・職場・政治の領域におけるジェンダー格差とのあいだに見られる相関関係などが含まれている (Givati and Troiano 2012, Malaksvian 2015, Hicks et al. 2015)。

だが、ここで重要な疑問が浮上する。諸言語が行動に関するその他の文化的規範と伴に共進化してきたものならば、尤も実際そうなのだが、こうした相関関係も見かけだけの擬似的なものであったり (Roberts et al 2015)、或いは制度的環境 [institutional environment] 自体に依存したものである (Gay et al 2016a) ことも考え得るからだ。諸言語の研究を通して学び得る事柄は、実際のところどれ程存在するのだろうか? 今回明らかになったその答えを述べれば、実に多くの事柄が存在する、となる。

近時の研究で我々は、疫学的手法を活用した言語研究を試みている。元来生物学の領域で遺伝的要因の役割を環境的影響から分離するために利用されていた疫学的手法だが、社会科学の分野では通例、特定の文化的要因が及ぼす影響の分離を目指して行われる、共通の制度環境下にある諸般の移民人口層の研究をさし、近年では本手法をジェンダー役割の形成・恒常化といった文化的行動規範研究に採用する例も幾つか現れている (Fernández and Fogli 2009, Fernández 2011, Blau et al. 2011)。

移民が国から国へと渡り歩く際にはその身に染み付いた文化の一定側面を保ちつつも、母国における外部的影響の多くから脱してゆくものなので、研究者は疫学的手法の活用を通し、特定の文化的特徴群の関数として行動を研究することができ、多くの形態の擬似的的相関関係を軽減できる。我々は先ず、この戦略を取入れた幾つかの研究プロジェクトを取上げ、ジェンダー格差を引き起こす背景因子の1つに光を当てよう。

Case 1. ジェンダー規範の形成と恒常化: 移民の家庭内行動にみる実証データ

一般的に女性のほうが男性よりも多くの家事を行っているが、この傾向は国や時代によってその程度を極めて大きく変える。何故だろうか?

我々は合衆国における時間の使い方調査データを活用し、性別に基づく文法的区別に依拠した言語が支配的となっている国を出自とする女性移民について、その家事負担割合がとりわけ大きくなっていることを明らかにした (Hicks et al. 2015)。言語の文法が性別に基づく文法的区別を多く取り入れているほど、女性に伸し掛かる負担が大きくなるのである。この様にして生じたギャップは相当大きく、女性の負担する家事の9%増加、男性の負担する家事の28%減少に相当する (爾余の移民世帯と比較した場合の数値。なお、非移民世帯と比較するのなら、こちらの移民世帯にしても歪度は高い)。

さらに付け加えると、こうした世帯における分業状態には、既成観念的なジェンダー役割に沿って、例えば男性が自動車メンテナンスと家屋修復を行い、女性のほうは料理や掃除により多くの時間を割当てるといった形態が顕著に見られる。面白いのは、こうした行動傾向が一人暮らしをしている個人の間にも存在する点で、婚姻関係における交渉力や専門化がこの結び付きを生じさせているのではないことを示唆している。

しかし本当に言語そのものがここで何らかの役割を果たしているのだろうか。この点を解き明かすため我々は、移民を [移民先国への] 到着時年齢にしたがって区分したうえ、この区別に基づき同一の国から他の国へと渡った個人を比較した。ところで、個人が言語習得に最も優れた能力を発揮するのは人生初期の時点であると数多くの研究者が明らかにしている。ということは、後年の到着者は英語ではなく母語を話す見込みが高くなると考えられる。

図1は、女性のジェンダー有標言語話者が負担する家事について、その他の女性移民との比較における追加的格差を示したものだ (分単位で日毎に表示)。ジェンダー役割の鮮明な歪みが、8歳あるいはそれ以降に移民してきた個人の行動に出現しており、これは言語習得の臨界期に関する実証データとも整合的である (Bleakley and Chen 2010)。

図1 移民時の年齢毎に見た家事におけるジェンダーバイアス

この傾向は男女両性の行動から生じている。図2には1日あたりの家事総計を示した。ジェンダー有標言語話者の内部では、女性が家事に充てる時間が多くなっているだけでなく、さらに男性がこれに充てる時間のほうも少なくなっている。

図2 ジェンダー・ジェンダー化言語 (GA)・移住時年齢毎に見た家事分担 (信頼区間付きの回帰調整済み平均値)

面白いことに、移住後の経過時間はこの関係の緩和に殆ど為すところが無いことが分かっている (図3)。これは、一度習得されたジェンダー役割は一生のあいだ恒常化すると示唆している。

図3 移住後の経過時間毎にみた家事におけるジェンダーバイアス

こうした傾向が、言語と相関関係をもつ、移住以前に存在したその他の文化的影響によって惹起されていることは在り得るだろうか? もちろん在り得るだろう。尤も本調査結果からは、その他如何なる影響であっても同じ様な形で人生サイクルを通して作用していなくてはおかしいことが示唆される。ジェンダー化言語のみがこうした規範を下支えしているのかという点を脇に置いても、前述の発見から我々は別の事柄を経験的に学ぶことができる。つまり、行動に関するジェンダー規範は人生早期に形成され、いちど発達すれば、心身に深く根付いてしまうものなのだと。

Case 2. 移民の労働市場行動にみる実証データ

Hicks et al. (2015) では言語を利用しつつ、個人のジェンダーアイデンティティ形成の厳密なパターン、すなわち発達の時期と、その恒常化に関して新たな実証データを提示している。しかし、ジェンダー役割が固定化する人生初期には人々に影響を与える得る要因が数多く存在するために、同論文著者らもこうした規範を厳密に何らかの単一な原因に帰結するまでには至っていない。そこで我々は、言語をその他の要素から分離するため、今ひとたび疫学的手法を活用し、職場に見られる一連の対抗的ジェンダー規範群の研究を試みた。

Gay et al. (2016c) で我々は、詳細な合衆国国勢調査記録を活用し、出自国を同じくし出自に類似の祖先 [ancestry] をもちながらも、自ら話す言語の構造のほうは様々に異なっているような移民について、その労働市場アウトカムの比較を行った。結果、こうして同一出身国をもち、同一の民族集団を出自とする移民を対象とした固定効果分析を通して観察されるバラツキに考察を限定した場合でも、言語を区別基準として我々が観測したジェンダーギャップは依然として保たれたのである。

こうしたギャップは大きく、合衆国への女性移民の間でも、性別に基づく文法上のジェンダー区別を行う言語話者では、該当年度を通した労働市場参加・労働時間・労働週数が有意に低くなっている。労働市場参加に関して言えば、平均的移民を考慮する場合、差分の大きさは約11%ポイントになる。

本分析により確かになったのは、多くのジェンダー役割は言語中のジェンダーへの露出に帰し得るものではないことである。代わって、言語と労働市場アウトカムとの間の相関関係の少なくとも3分の2がその他の文化的影響力から生じており、言語的構造からの直接的影響に帰結し得る部分は最大でも3分の1しか残らないことが分かった。

Case 3. 歴史的展望

Hicks et al. (2015) とGay et al. (2016c) で我々は、近代の移民人口層に見られる世帯労働および労働市場に関わる選択を調査したのだったが、時の流れとともにジェンダー格差には顕著な変化が現れており、これは合衆国とその他諸外国の両方について当てはまる。例を挙げれば、合衆国への移民の間に見られる労働市場参加率のギャップは20世紀を通して相当縮まってきた (Figure 4)。

図4 合衆国への移民の労働市場参加率 (1910年から現代まで)

我々はGay et al. (2016b) でこの点にさらなる考察を加えているが、その際には1910年から現代までの歴史的な国勢調査データを活用した。殊更興味を惹くのは、この期間を通して、合衆国への移民のプールに変転が見られた点である。20世紀初頭、最大規模の移民の波はヨーロッパに端を発していたが、時代とともに移民の出所はアジアやラテンアメリカに移行していった。

移民プールの構成および合衆国労働市場での機会の変化は、言語におけるジェンダーとジェンダー格差との関係にどの様な影響をもったのだろうか? その答えは図5に示されている通りで、出自国固定効果を考慮した後でもなお、影響は驚くほど僅かだったのである。

Figure 5図5 合衆国への移民の間に見られる言語構造および労働市場参加率におけるジェンダーギャップとの間の相関関係

こうして我々は、1910年から現代に至る全期間を通し、性別に基づくジェンダーを備えた1言語の使用が、女性の労働市場参加率低下と結び付いていることを示す実証成果を得た。これらの調査結果は、言語とジェンダー役割との間に観測された関係が顕著な頑健性をもつことを示唆している。

結論

我々は2012年のVox論考で、言語は経済を形成するのかという実に興味深い問いの探求にあたっては、移民の研究がこの先実り多い道筋となるのではないかと結んで筆を置いたが (Gay et al. 2012)、今回の研究はまさに、言語というものが人間の行動に関する実に多くの事柄を教える力をもっていることを示唆するものとなっている。

第一に、言語的差異はジェンダー規範の形成・恒常化などに関わる新たな実証データを発見する際に利用し得るものである。第二に、言語におけるジェンダーとジェンダー格差の間に観察された結び付きには20世紀の流れを通して顕著な一定性が見られるので、言語は1つの文化的指標として、我々にジェンダー役割の起源と恒常化について教える極めて重要な役割を果たす可能性を秘めている。最後に疫学的手法だが、これにより言語の影響を国家出自要因の影響から分離することが可能となる。本研究による暫定的実証成果は、ジェンダー役割の大部分がその他の文化的および環境的影響に帰し得るものである一方、直接的な言語の役割もまた看過すべからざるものであると示唆している。

この先の言語と経済学の研究は、言語構造の差異の起源に関する説明をさらに発展させ、疫学的手法を取入れつつ言語が持つジェンダー以外の要素の分析も行ってゆく必要がある。Galor et al. (2016) による近年の研究は、こうした方向に向けての目覚ましい一歩だ。実験的手法もまた、この新興分野についてさらなる洞察を与えてくれるはずだ。

参考文献

Blau, F D, L M Kahn and K L Papps (2011) “Gender, source country characteristics, and labor market assimilation among immigrants”, The Review of Economics and Statistics, 93.1: 43-58.

Bleakley, H and A Chin (2010) “Age at arrival, English proficiency, and social assimilation among US immigrants”, Am Econ J: Appl Econ, 2(1): 165–192.

Chen, K M (2013) “The effect of language on economic behaviour: Evidence from savings rates, health behaviours, and retirement assets”, American Economic Review, 103(2): 690-731.

Fernández, R (2011) “Does culture matter?” in Handbook of Social Economics, 481-510.

Fernandez, R and A Fogli (2009) “Culture: An empirical investigation of beliefs, work, and fertility”, American Economic Journal: Macroeconomics, 1.1: 146-177.

Galor, O, Ö Özak and A Sarid (2016) “Geographical origins and economic consequences of language structures”, Available at SSRN.

Gay, V, E Santacreu-Vasut and A Shoham (2012), “Does language shape our economy? Female/male grammatical distinctions and gender economics”, VoxEU.org, 29 August.

Gay, V, D Hicks and E Santacreu-Vasut (2016a) “Migration as a window into the coevolution between language and behaviour”, in The evolution of language: Proceedings of the 11th international conference.

Gay, V, D Hicks and E Santacreu-Vasut (2016b) “Language and gender roles among immigrants to the US: A historical perspective” in Studi di Genere: Il Mondo Femminile in un Percorso Interdisciplinare, R Edicusano and P Paoloni (eds).

Gay, V, D Hicks, E Santacreu-Vasut and A Shoham (2016c) “Decomposing culture: Can gendered language influence women’s economic engagement?” Fox School of Business, Research Paper No 15-046.

Givati, Y and U Troiano (2012) “Law, economics, and culture: Theory of mandated benefits and evidence from maternity leave policies”, Journal of Law and Economics, 55.2: 339-364.

Hicks, D, E Santacreu-Vasut and A Shoham (2015) “Does mother tongue make for women’s work? Linguistics, household labor, and gender identity”, Journal of Economic Behaviour & Organization, 110: 19-44.

Roberts, S G, J Winters and K Chen (2015) “Future tense and economic decisions: Controlling for cultural evolution”, PloS One, 10.7: e0132145.

 

キンバリー・シャーフ, サラ・スミス 「ピアトゥーピアファンドレイジングと慈善寄付における 『関係性利他主義』」 (2016年9月16日)

Kimberley Scharf, Sarah Smith, “Peer-to-peer fundraising and ‘relational altruism’ in charitable giving” (VOX, 16 September 2016)


ピアトゥーピア (P2P) ファンドレイジング – 慈善団体に代わって活動を執り行い、寄付を促す – の台頭はオンラインソーシャルネットワークの成長と並行しているが、オンライン寄付行動を促すインセンティブについては依然として理解が乏しい状況が続いている。本稿では、個人がFacebook上の友人に対し紹介したP2Pファンドレイジングプロジェクトの大規模サンプルを取上げ、そこに見られた寄付行動を考察を加える。結果、友人数と寄付額のあいだに負の相関関係が在ることが明らかとなった。同発見は 『関係性利他主義 [relational altruism]』 の存在を示唆する。つまり寄付者は資金を募っている人物を慮るが故に寄付行動を取るのである。

慈善団体は長らく支援者に依存しつつスポンサー付きイベントを通して資金調達を行ってきた。しかし近年、『ピアトゥーピア (P2P) ファンドレイジング』 – 即ち、慈善活動支援者が仲間内で寄付を募るもので、こうした仲間達は慈善活動支援者が個人的に執り行う何らかの活動 (例: マラソン出場) の 『スポンサーに成る』 ことを依頼される – の広まりが見られている。個人ファンドレイザーはオンラインのファンドレイジングプラットフォームを利用してファンドレイジング用の個人ページを設置し、Facebook等のオンライン上のソーシャルグループから寄付を募ることが出来る。これにより、手軽に友人・家族・同僚に対し寄付を呼び掛け、こうして集めた寄付を自ら選択した慈善活動に充当することが可能となる。例えば最大規模のP2PプラットフォームであるJustGivingでは、2001年以来、2400万人もの人が様々な目標の支援に向け慈善活動資金を募っている。

インターネットは、一部の人に寄付行動への社会的伝染機会を数多く提供している (Lacatera et al. 2016)。寄付者は自らが支援している慈善活動についてインフォーマルな形で友人に話すことができ、さらには実例の提供や活動の奨励を通して、自らの所属するソーシャルグループのメンバーにも自分の例に倣うよう動機付けを行い得るのである (Scharf 2014での議論にある様に)。ところが、寄付行動の伝播はそれほど容易にはいかないことが実証研究により明らかにされている。近年の実証研究論文の1つであるCastillo et al. (2014) は、新種のフィールド実験をGlobalGivingとの連携で行い、オンラインソーシャルネットワークでのファンドレイジングに対する個人のインセンティブを調査するものだったが、同研究者により、自らが寄付を行った直後に、その寄付先の慈善活動に対する支援をFacebook上の友人に呼び掛ける機会を活用した寄付者は、少数派に過ぎなかったことが明らかになった。Facebookウォールに投稿した者 (この機会を与えられた者の7%) のほうが、友人一名に対しメッセージを送信した者 (2%) よりも多く; 文言の拡散を促すための (該当慈善活動に対する寄付額が増加するという形を取った) インセンティブは当該機会の活用率を高めたが、$5という寄付額増加最大値を提示した場合でも、Facebookウォールに投稿した者はわずか19%に留まった。さらに、該当慈善活動支援を目的とした友人向けのメッセージには極めて小さな効果しかみられなかったのだ –  何らかの寄付に結びついたメッセージは (Facebookの全ウォール投稿のうち) たったの1.2%である。これは別の論文だがLacatera et al. (2016) も同様の結論に至っている。

ということで、寄付者は自分の寄付行為について友人達に話すのを厭うようであるし、友人達のほうもこうしたインフォーマルな依頼に対してはかなり反応が薄いのである。しかしP2Pファンドレイジングを行うページはもう一つ別の、より強力なパンチを隠していた。最近の論文で我々は、様々な人達がFacebookを通じて友人達に寄付を呼び掛けているJustGiving上の35,000を超えるファンドレイジングページをサンプルとし、これに考察を加えた (Scharf and Smith 2016)。その結果、ほぼ99%近くが少なくとも寄付を1回受けていたことが明らかになっている。Facebook上の友人数の平均 (332) を基準に計測した場合、平均的な規模のソーシャルグループでは、平均15回の寄付が行われていた。単純な呼び掛けと比較したときのP2Pファンドレイジングの重要な差異は、こちらではファンドレイザーが何らかの非常に手間暇の掛かる活動 (最も良く見られるのはマラソンへの参加) に取組んでいる点、そして友人達の寄付が可視的である点が挙げられる。

慈善団体の願いは、P2Pファンドレイジングが単なる寄付に終わるのではなく、ファンドレイザーのソーシャルグループを通して新たな支援者を生み出すことである。しかしながら、P2P寄付者の多くにとっての中心的動機は、ファンドレイザーその人との個人的な繋がりであって、新たに目覚めた慈善活動への愛ではないかもしれない。ファンドレイザー側には慈善活動にも、自らが募ることのできる金額にも関心が有るが、寄付者側は専らファンドレイザーその人にしか関心が無いかもしれないのである。こうした動機のことを我々は 『関係性利他主義 [relational altruism]』 と呼んでいる – 慈善活動の為に、さてどうやって資金集めをしたものかと慮っている人物を慮って寄付する、といった動機である。

表1は寄付行動におけるこの関係性利他主義の裏付けとなる実証データを提示している。慈善活動の目標や任務といったものが高い順位を得ているのは確かだが、寄付者にとっては 『ファンドレイザーとの個人的繋がり』 もまたどれだけの寄付を行うかを決定するうえでの重要ファクターなのだ。第二の実証データは、こちらは実際の行動に基くものだが、ファンドレイザーの属するソーシャルグループの規模 (Facebook上の友人数を基準に測定) と、寄付者の寄付額との間に存在する極めて鮮烈な負の関係である。下の図1にそれをプロットした。ファンドレイザーのもつ友人数が – したがって潜在的寄付者数が – 増加するにつれ、各人が行う寄付の額は減少する。我々の推定値が示唆するところでは、Facebook上の友人数の分布で10パーセンタイルから50パーセンタイルへの上昇は、平均寄付額15%分の減少と結びついており – これはかなりの効果だといえる。これら研究結果は各慈善活動固有の効果を組入れても頑健性を保った、- 要するに、同一の慈善活動に関して募金を呼び掛けているファンドレイザー達を比較すると、大きなソーシャルグループをもつファンドレイザーほど少額の寄付を引き付けるようになるのである。

表1. 寄付額を決定するうえで重要なファクターはどれか?

原註: これらの回答はオンライン寄付プラットフォーム利用者を対象に2012年に執り行われた調査に依る。同質問に係るサンプルは、何らかのファンドレイザーにスポンサー支援をした経験が当時すでに有った17,989名の人達から構成されていた。さらなる情報はPayne et al (2012) を参照。

寄付額と友人数の間に在るこの負の関係は、単なる古典的なフリーライダーのインセンティブ – 共通目標に対する貢献量は貢献者の数が増加するにつれ落ち込む傾向が有るのだという考え – の帰結では片付けられない。同一の慈善活動のために募金を呼び掛けているファンドレイザーは数多く存在するので、問題となる慈善財への貢献者数は、ファンドレイジングページ1つに集まった寄付者の数と同じにはならはない。したがって、背後で作用していたのが標準的なフリーライダーのインセンティブのみならば、各ファンドレイザーがもつ友人数自体は、寄付額になんら影響をもたないはずなのだ。

さらに、この負の関係に関する他幾つかの説明も退けることが出来る。同関係は、多くのページが掲げているファンドレイジング目標額には依存していないようである (即ち、寄付者は単純に設定された目標額を潜在的寄付者数で除している訳ではなさそうなのだ)。というのは同関係はこうした目標額を掲げていないページに関しても当てはまるからである。また、平均値を引き下げてしまう大規模なソーシャルグループにおける限界的な追加寄付者が問題だというわけでもない – この関係は1つのページに対する全ての個人寄付に当てはまることが明らかになっているのである (つまり、1つのページに対する第一寄付、第二寄付、第三寄付の全てについて、ソーシャルグループの規模が大きいほどその額は小さくなっているのだ)。

他方で寄付行動への 関係性利他主義という動機ならば、寄付額と友人数の間に見られる負の関係に合理的説明を与えることができる。寄付者の関心がファンドレイザーその人に在って、他方そのファンドレイザーのほうでは自らの活動を通してどれだけの資金を確保できるのかに関心が有るという状況では、各ファンドレイザーが集めた額は、一種の局地的公共財 [local public good] に成る。そうであるなら、規模の大きなソーシャルグループではフリーライディングが生じてくるにせよ、肝心の公共財は個人のファンドレイザーによって集められた額なのであって、何らかの目標に対し全体としてどれだけの慈善的供給が為されたかではないのだ [訳註1]。この説明は我々の観察した寄付行動パターンとも整合性が有る – 報告されたP2P寄付行動に関する動機に関しても然り。

図1. ページ毎にみた (寄付額の) 対数平均 [ln]

以上全ての事柄はP2Pファンドレイジングに関して如何なる意味をもってくるだろうか? ファンドレイザーに対する示唆として、ファンドレイジングの成功は大規模なソーシャルグループを持っているか否かには依らないという点が1つ挙げられる。我々のサンプルでは、小規模ソーシャルグループを持つ者でも、何千というFacebook上の友人を持つ者とまさに同じくらい多くの額を集めることが出来ている。第二の示唆は、こちらは慈善団体に対するものだが、P2Pファンドレイジングは資金収集手段としては効果的手段と成り得るが、長期的支援者を集める目的に関してはそうではないかもしれない点だ。関係性利他主義を動機とする寄付者が関心を持っているのは、ファンドレイザーその人であって、その人の目標ではない。自らのファンドレイジング活動からより長期的な温情効果 [glow] を生み出してゆくことを望むのなら、慈善団体はよりいっそうの努力を重ね、繊細な社会関係を育んでゆかねばならないだろう。

参考文献

Castillo, M, R Petrie and C Wardell (2014) “Fundraising through online social networks: A field experiment on peer-to-peer solicitation”, Journal of Public Economics, 114: 29-35.

Lacatera, N, M Macis and A Mele (2016) “Viral altruism? Charitable giving and social contagion in online networks”, Sociological Science, 3: 202-238.

Payne, A, K Scharf and S Smith (2016) “Online fundraising: The perfect ask?” Forthcoming in Social Economics, MIT press, Massachusetts.

Scharf, K (2014) “Private provision of public goods and information diffusion in social groups”, International Economic Review, 55: 1019-1042.

Scharf, K and S Smith (2016) “Relational altruism and giving in social groups”, Journal of Public Economics, 141: 1-10.

 


訳註1. ファンドレイザーが自らの募金活動の成果から、[善い行いをした満足感という意味での] 『温情効果 [a warm glow]』 を得る一方、そのファンドレイザーを支援したソーシャルグループメンバー達も成功に喜ぶ彼を見て心温まる思いがするということらしい。こうした心地良い感覚を享受できるのはそのソーシャルグループ内部者に限られるという意味で、慈善活動の目的とは別の、 “局地的” 公共財が問題となる。下に元論文から関連個所を挙げる。

“この負の相関を説明できるかもしれない別のモデルは次の様なものだ。つまり、ファンドレイザーは自らが調達した募金から 『温情効果』 を得る一方、ファンドレイザーの属するソーシャルグループメンバー達は当該ファンドレイザーに対し利他的であるような場合だが、これによりファンドレイジングの成功は同ソーシャルグループにとっての ‘局地的’ 公共財に成り変わる…。

(An alternative specification that could explain the negative correlation is one where fundraisers experience “warm glow” from the donations they raise, and where the members of the fundraisers’ social group are altruistic towards the fundraiser, which makes fundraising success a “local” public good to the social group…)”