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クリスチャン・ダストマン, ヘジン・ク, ドウォン・クァク 「なぜ男女別学校のほうが上手くゆくのか」(2017年9月28日)

Christian Dustmann, Hyejin Ku, Do Won Kwak, Why single-sex schools are more successful, (VOX, 28 September 2017)


これまで幾つかの研究で、男女別学校の生徒が男女共学校の生徒を上回る成績を収めていることが示されてきた。本稿はこの因果効果を細分化する試みである。そのさい利用したのは韓国政府のある政策で、これにより一部の男女別学校でいちどに一学年づつの男女共学化が行われた。学業成績は、男女共学となった学校の男子生徒については学級が男女別学に保たれていた場合でも低落した。女子生徒についてはクラスも男女共学になった場合のみ低落した。これら結果は、男女共学校が男子生徒と女子生徒におよぼす影響につき、異なるメカニズムが存在することを示唆する。

ここ数年、生徒の学業成績向上および諸般の性別格差の縮減をめざすために取り得る方策として多くの政策的関心を集めているのが、男女別学教育だ。男女別学教育の推進者の主張によると、男女別学環境には、生徒が異性に気を取られることを避け、また性別にかんする固定観念から苦痛をこうむる可能性を少なくするといった幾つか理由で、学業成績に好影響があるという。他方、男女共学教育の支援者の主張では、男女共学校の男子生徒のほうがよい成績を修めており、それはかれらが素行・学業成績ともにより優秀な女性のピアに取り巻かれているからだという。くわえて、男子生徒・女子生徒そうほうにとって、男女共学の環境はソーシャルスキル涵養の観点でもより好ましく、生徒に 「現実社会 (real world)」 にたいする準備をさせる意味でもより適切である、と主張されている。

こうした次第であれば、問題の鍵は、男女別学環境が生徒の学業成績を向上させるかではなく、その効果がどちらの性別にも共通しているのか、ここにあるといえよう。この点につき研究を進めるさい必要となるのは、男女共学校にたいする男女別学校のピアに、生徒を露出した場合の因果的影響の推定である。この影響の推定はきわめて困難である。その最たる理由は、生徒をさまざまな学校に選別するプロセスが内生的であるところにある。

研究課題および研究計画

われわれが最近の論文 (Dustmann et al. 2017) で取り上げたのは、まさにこの問題だ。われわれの研究の基礎となっているのはPark et al. (2013) である。同論文は韓国のソウルにおける割り振り政策を活用したものだ。ソウルの学生は、学区内部にある普通高校へと無作為に割り当てられていた。同著者らは単一クロスセクションデータ (1999年のもの) を用いて、男子生徒 (女子生徒) であって男子校 (女子高) に割り当てられた者の成績が、男女共学校における生徒のそれを上回っていることを示した。しかしながら、ソウルにおける既存の男女別学校および男女共学校は、生徒の性別以外にも、観測可能なもの観測不能なものそうほうを含む多様なインプットについて異なっているかもしれず、それが生徒の学業成績に作用することもあり得る。したがって、生徒が男女共学校ではなく男女別学校へと無作為に割り当てられたとしても、学校間でみられる生徒のアウトカムの違いが、生徒の性別のためである可能性と (生徒の性別構成からの直接効果)、観測可能なもの観測不能なものそうほうを含む学校由来インプットである可能性と (学校効果) があるのだ。またさらに、生徒の性別構成からの直接効果のほうは、男女共学校のピアにたいする学校 (school) レベルでの露出に由来する可能性と、学級 (classroom) レベルのそれに由来する可能性とがある。男女別学校または男女別学学級の新設を考えている政策画定者にとって鍵となるのは、男女共学学習環境にたいする男女別学学習環境への露出になんらかの直接の恩恵があるのか – 学校レベルであれ学級レベルであれ – という問題だ。

男女共学校にたいする男女別学校がもつ全体的な効果

われわれはこれら3つの異なるパラメータを特定している。そのさい国立大学入学試験にかんするある行政データが役に立った。これら試験は1996-2009期に韓国学制における12年生が受けたものだ。前述の選別問題に取り組むため、学区内における学校への生徒の無作為割当を、コホートごとに用いた – Park et al. (2013) に類似した手法だが、本研究では複数年度データを扱っている。これによりわれわれの次の第一の問題と取り組むことができるようになった:

  • (男女共学にたいする) 男女別学校での就学が生徒の学業成績におよぼす全体的な効果はいかなるものか?

因果的ではあるが、これは直接効果 (生徒の性別構成による) および学校効果 (男女別学校と男女共学校とのあいだの差異による) の合成物を示すものだ。

結果、男女別学校の生徒が男女共学校の生徒を成績において上回る旨を示す頑健な実証成果が得られた。その差は、男子生徒については標準偏差の5-10%分、女子生徒については標準偏差の4-7%分であり、(韓国語・英語・数学を含む) 諸科目をとおし、似通った推定値がでている。これはPark et al. (2013) で報告された結果とも軌を一にしている。これら効果は、ソウルにおいて (男女共学にたいする) 男女別学校での就学が試験の成績におよぼす因果的効果を計測するものだが、この全体的効果はそうした文脈に特定的であることも事実である。なぜかといえば、この全体的効果は、男女共学校にたいする男女別学校のピアへの露出と、男女別学校と男女共学校のあいだにある学校由来インプットの文脈特定的差異、これらを合成しているからだ。したがってこのパラメータは、ソウルで学ぶ生徒とその親にとって興味深いものだとしても、他の環境に一般化できるものではないのである。

直接効果

直接効果の分離をおこなうため、われわれは次の事実を利用した。すなわち、ソウルでは男女共学教育を厚遇する政府の政策のために、1990年代から2000年代にかけて男女共学タイプに変換した男女別学校が一部存在したのである。これにより、観測されておらず、かつ、時間不変的な (および観測され、かつ、時間変化的な) 学校の特徴を除去できるようになった。つまり、次の問題への取り組みが可能になったのである:

  •  (男女共学環境にたいする) 男女別学環境への露出には、学校および学級レベルで、いかなる直接効果があるのか?

ここでわれわれは (無作為学校割当と並行した) 学校タイプの変化を利用し、男女別学環境か男女共学環境のいずれかにたいし、学校レベル・学級レベルのそうほうで露出したコホートを比較した。結果、学校タイプが男女別学校から男女共学校へと変化すると男子生徒・女子生徒そうほうについて学業成績が悪化することが判明した。これは学校ごとの固定効果を前提としたものであり、したがって、(男女共学環境にたいする) 男女別学環境への学校・学級レベルでの露出がもたらす合成効果はポジティブなものであることが示唆される。

学校レベルでの露出にたいする学級レベルでの露出

最後に、われわれは韓国における普通高校が3つの学年 (10学年・11学年・12学年) から成り立っている事実、および学校タイプ変換がコホートレベルで実施された事実、これらに着目した。具体的には、男女共学体制に迎え入れられた最初のコホートは、3年ものあいだ、学級・学校レベルで両性入り混じったピアにたいし露出したのである。これより一学年上のコホート (the preceding cohort) は、学級レベルで両性入り混じったピアに露出することはないものの、学校レベルでは男女共学環境にたいし (またこの体制転換に由来した学校レベルのあらゆる変化にたいし) 高校生活3年のうちの残る2年間、露出したのだった。新たな男女共学環境にたいする学校レベルでの露出からこれら2つのコホートのうける影響が似通っているかぎりで、2つのコホートの学業成績の差異 (および非体制転換校においてこれに対応する差異) をとおし、次の最後の問いに答えることができる:

  • 学級レベルにおける (混性にたいする) 同性のピアへの露出のみから生ずる効果はいかなるものか?

われわれは韓国の高校がもつ多学年制という特徴、および生徒の性別のコホートレベルでの変換を利用した。結果、学級レベルでの (混成にたいする) 同性のピアへの露出が、女子生徒の学業成績に有意な正の影響をもたらすことが判明した。具体的には、同一コホートに属する女子学生の割合を100%から50%へと外生的に変化させると、語学にかんする女子生徒の学業成績は、スコア分布の標準偏差の8-15%分減少した。しかしながら男子生徒については、(混成にたいする) 同性のピアが自らのコホート内にいることの恩恵は小さく、かつ、統計的に有意でもない。前述の直接効果にかんするわれわれの発見をふまえると、この発見が示唆するのは、自校における女子生徒の存在は (たとえ同じコホートにはいない場合であっても)、男子生徒の意識を勉学から遠ざけるのだということである。たいする女子生徒のほうは、こうした撹乱効果にもそこまで脆弱ではないが、それでも学級レベルで男子生徒に露出した場合には不利益をこうむる。

まとめと議論

われわれの研究の主要成果は、混性にたいする同性のピアに学校・学級レベルで露出したさいの効果を合成したもの (先ほど直接効果と呼んだもの) が、女子生徒・男子生徒そうほうにとってポジティブなものである可能性が高いという発見である。しかしながら、その背後にあるメカニズムは異なっている。男子生徒にとっては、男女共学教育の不利益は、学校レベルでの男女共学環境への露出にもっぱら由来する。しかし女子生徒にかんしては、(同性にたいする) 混性のピアへの学級レベルでの露出こそが、男女共学教育の不利益を説明するものとなっている。

十代の男子生徒は、女子生徒とくらべ、男女共学環境に注意を削がれがちなのかもしれないが (Coleman 1961, Hill 2015)、それでも女子生徒のこうむる不利益のほうが大きくなる可能性もある。たとえば、破壊的行動 (disruptive behaviour) が増加する (Figlio 2007の考察)、教師の注意が能力の劣る生徒のほうに傾く ( Lavy et al. 2012の示唆) といった理由がこれだ。

参考文献

Coleman, J S (1961), The Adolescent Society, New York: FreePress.

Dustmann, C, H Ku and D W Kwak (2017), “Why are single-sex schools successful?”, CEPR, Discussion paper no DP12101.

Hill, A J (2015), “The girl next door: The effect of opposite gender friends on high school achievement”, American Economic Journal: Applied Economics 7(3): 147-177.

Figlio, D N (2007), “Boys named Sue: Disruptive children and their peers”, Education Finance and Policy 2(4): 376-394.

Lavy, V, M D Paserman and A Schlosser (2012), “Inside the black box of ability peer effects: Evidence from variation in the proportion of low achievers in the classroom”, Economic Journal 122(559): 208-237.

Park, H, J R Behrman and J Choi (2013), “Causal effects of single-sex schools on college entrance exams and college attendance: Random assignment in Seoul high schools”, Demography 50: 447–469.

 

ローラン・ブトン, パオラ・コンコーニ, フランシスコ・ピノ, マウリツィオ・ザナルディ 「銃と票: 無気力なるマジョリティにたいする強硬派マイノリティの勝利」(2017年10月6日)

Laurent Bouton, Paola Conconi, Francisco Pino, Maurizio Zanardi, Guns and votes: The victory of an intense minority against an apathetic majority , (VOX 06 October 2017)


合衆国市民のおよそ90%が支援しているのにもかかわらず、銃購入にたいするバックグラウンドチェック強化案は合衆国上院で廃案となった。「銃規制のパラドクス」 は、投票者のもつ選好の強さがさまざまな政策論点により異なるという事実、そしてそれにもかかわらず投票権者には雑多な政策論点に責任をもって取り組むべき政治家を選ぶのに、たった1つの票しか与えられていないという事実、これで説明できる可能性がある。これら特徴を取り込んだモデルは、合衆国議会上院の投票行動をうまく予測する。改選が近くなるほど上院議員は銃擁護の票を投じる傾向が高くなる。そして銃問題にかんして意見を翻すのは、民主党員のみである。

編集者注: 本稿は初め2013年12月に公表されたもの。最近の悲劇的事件を受けて、また新たに政策的関連性を得た。

2012年12月14日、コネティカット州ニュータウン市サンディ・フック小学校の銃撃事件で、児童20名および職員6名が殺害された。この悲劇を経て急激に高まった銃規制支持の世論にもとづき、オバマ大統領は新たな銃規制の導入形態にかんする直接的勧告案を提示するタスクフォースの編制を宣言、この 「国家を揺るがす銃暴力の蔓延」 に終止符を打とうとした。

一年が過ぎたが、合衆国議会はより厳格な規制の導入ができずにいる。広範な世論的支援があるにもかかわらず。The Economist で指摘されたように、「さらなる銃規制を求める動きが昨年10月のニュータウン市銃撃事件のすぐあと現れたとき、焦点があてられたのは次の3点だった: アサルトウェポン、高キャパシティマガジン、バックグラウンドチェックだ。しかし新たな銃規制法を求める熱気は急速に薄れてゆく。次第に明らかになってきたのは、アサルトウェポンおよび高キャパシティマガジン追放の運動が、法律制定に必要な票を得られそうにないという状況だ。銃規制推進派はバックグラウンドチェックシステムの強化を目指すほかなくなった。だが、結局それさえ高望みだったのだ」(The Economist 2012)。

2013年4月17日、銃展示会やオンラインでの私的な売買にたいするバックグラウンドチェックを要請する穏健な運動さえ、上院で廃案となった。これは驚くべき事態ではないか。そもそも当時とりおこなわれた世論調査は全て、合衆国市民のマジョリティが同施策を支持していると示していたのである1。オバマ大統領の言葉をきこう: 「90%が支持したものがそれでもなお実現しないなどという事態が、一体なぜ起こるのか?」

銃規制パラドクスの解明

合衆国議会議員のあいだにみられる銃規制支持への躊躇は、合衆国市民の大半がそれを支持している事実があるだけに、関連分野における長年の謎であった。Schuman and Presser (1978) はこの謎をさして 「銃規制のパラドクス」 との言葉を用いた。Goss (2006) の主張するように、1つの考え方としては、「アメリカ人の銃所有者は強硬派であり、よく組織されているだけでなく、候補者にその銃規制にたいするポジションだけを基準に反対票を投ずることを厭わないのだ」 という説明もありうる。銃所有者は 「強い動機をもつ、強硬派マイノリティを構成」 し、「相対的に無気力なマジョリティを圧倒」 しているのだ。

われわれは最近の論文 (Bouton et al. 2013) で、このアイデアの定式化を試みつつ、選挙に関連したさまざまなインセンティブが政治家に銃擁護のスタンスを取らせ、選挙民の中のいちマイノリティの利益に沿うよう突き動かしていることを示す実証データを提示した。われわれが提案する理論モデルは、政治家がおこなう第一義的 (primary) および第二義的 (secondary) な政策論点にかんする投票をとらえたものである。前者は、投票権者のマジョリティが相対的に多くの関心をむけている論点をさし、公共支出の水準などがこれにあたる。後者は銃規制の把捉をめざすもの – すなわち、なんらかのマイノリティ集団が相対的に強い関心をむけている論点だ。ところで、現職政治家の第二義的政策論点にかんする選択方針については、マイノリティのほうがより多くの情報をもっている可能性がある。こうした状況のなか、市民には雑多な政策論点に自らに代わり責任をもって取り組むべき議員を選択するのに、たった1つの票しか与えられていない。そうなると政治家は第二義的政策論点につきこうしたマイノリティに阿る態度をとりながらも、マジョリティの支持を大幅に失わずに済む可能性がある。本モデルは次の3つの検証可能な予測結果を出している:

  • 一、任期終了を間近に控えた政治家は、自らの政策的選択が改選の見込みにおよぼす影響が大きいほど、銃擁護のスタンスを取る傾向が高くなる。
  • 二、銃規制にかんし 「翻意」 する政治家は、銃規制に好意的であり、かつ、改選を気に掛けている者のみである。こうした政治家は、自らの政策選好と改選   意図とのあいだの葛藤に直面するためだ。
  • 三、選挙が近づこうが、銃規制に反対し、かつ/または、改選を気に掛けていない、政治家の投票行動にはなんら影響がない。

合衆国議会上院における投票行動

以上の予測の妥当性を評価すべく、われわれは1993-2010年期間において上院でおこなわれた銃規制にかんする投票の決定因子を検証した。合衆国議会上院のズレ構造 (staggered structure) – 議員は6年任期だが、三分の一の議員が2年ごとに改選される – は、選挙の近さが銃規制立法にたいする政治家の投票行動に作用するのかを検証するための擬似実験的環境を与えてくれる。この構造のおかげで、所与の投票について、3つの異なる 「世代」 – すなわち、異なる時期に改選される層 – に属する上院議員の行動が比較可能になる。

モデル予測と軌を一にする、次の3つの主要結果が得られている:

  • 一、上院議員の最古参世代 (すなわち、2年以内に改選をむかえる者) は、それ以前の2世代よりも銃擁護の投票をする可能性が高い。

影響は相当大きく、また計量経済学的方法論やサンプルにする投票事例をさまざまに変えてみても、また上院議員の銃規制にたいする投票行動を駆動しているその他要素を考慮した多様な調整要素を組み入れても、頑健性を保った。

  • 二、民主党の上院議員のみが銃規制にかんして翻意する – 任期最後の2年間になると、これら議員が銃擁護の投票する確率は、15.3%から18.9%増加する。
  • 三、選挙が近づいても、改選を気に掛けていない上院議員の投票行動にはなんら影響がない。気に掛けていないというのは、リタイアするつもりなのか、議席確保がかなり確実であるか、その何れかである。

銃規制投票の決定因子にかんする本研究結果は、世論の圧倒的な支援があったにもかかわらず、ニュータウン市での悲劇を経ても合衆国議会がより厳格な規制を導入しなかった理由を解明する手掛かりになる。われわれの実証的モデルは、直近の4月のバックグラウンドチェックにかんするManchin–Toomey修正案が上院で廃案となることをじっさいに予測した2

まとめ

間接民主主義国では、政策選択が選挙民マジョリティの欲するところから逸脱する場合がままある:

  1. 投票権者はさまざまな政策論点で選好の強さが異なる; また
  2. 投票権者には、雑多な論点に自らの代わりに責任をもって取り組むべき代表者を選出するために、たった1つの票しか与えられていない。

言わずもがなだが、ロビー集団による財政的圧力が、政治家の選択とマジョリティの選好とのあいだの対応性の欠如を助長している可能性はある。じっさいわれわれの実証成果では、銃権利ロビーからより大きな選挙キャンペーン的貢献を享受している上院議員ほど、銃擁護のスタンスを取る傾向もより高くなることが確認された。しかしながら、このロビー集団による財政的圧力も、選挙の近さが上院議員の投票行動におよぼす銃擁護的影響までは説明できない – 個々の上院議員がその任期をとおして獲得する支援分を調整したあとでさえ、これら議員は改選が近づくと銃擁護の投票をおこなう傾向が高まることが判明しているのだ。したがって、NRAのような銃権利ロビーの力は、かれらの財布の中身だけでなく、こうしたロビー団体のメンバーが単一争点のみにこだわる投票権者である事実にも負うところがあるようである3

総論的には、一緒くたにされた雑多な政策論点を解きほぐしてゆく市民のイニシアチブが、市民の選好と政策アウトカムのあいだの対応性を向上させる手掛かりとなりうる (Besley and Coate 2008)4。各論的には、合衆国諸州のなかでも、一般市民が投票で新立法の可決/否決を決定できるところでならば、より厳格な銃規制を導入できるかもしれない5。とはいえ、市民イニシアチブの場合であれ、投票権者の選好の強さは重要だ。たとえば、イチシアティブの組織には金と時間そうほうで非常にコストが掛かるが、銃規制にたいし強硬に反対する市民ほどそうしたコストを厭わない傾向があるかもしれない。くわえて、銃規制肯定派の市民ほど投票コスト (例: 時間を割いて有権者登録する・仕事の予定を組み直す・投票所に足を運ぶ・候補者情報を収集するなど) を厭わないかもしれない。かくして強硬派マイノリティは、無気力なるマジョリティにたいする優位をなお保ちうるのである。

参考文献

Besley, T and S Coate (2008), “Issue Unbundling via Citizens’ Initiatives”, Quarterly Journal of Political Science, 3: 379–397.

Bouton, L, P Conconi, F J Pino, and M Zanardi (2013), “Guns and Votes”, CEPR Discussion Paper 9726.

The Economist (2013), “Over before it began”, 24 April.

Goss, K A (2006), Disarmed: The Missing Movement for Gun Control in America, Princeton University Press.

Schuman, H and S Presser (1978), “Attitude Measurement and the Gun Control Paradox”, The Public Opinion Quarterly, 4: 427–438.

1 たとえば、2013年4月にとりおこなわれたABC News–Washington Postの世論調査は、回答者の86%が銃展示会やオンラインでの銃売買にたいするバックグラウンドチェックを支持していると示した。2013年1月にとりおこなわれたCBS News–New York Timesの世論調査によると、92%の合衆国市民が全面的バックグラウンドチェックを支持していたという。

2 1993–2010年期間にかんする推定値にもとづき、われわれは99人中93名の上院議員について、2013年4月14日のマンチン–トゥーミー修正案にたいする投票を正しく予測した。ただし、多数党院内総務ハリー・リードは除く。かれは、幾つかの手続き上の理由から、本修正案にたいし反対票を投じたためだ。合衆国議会上院では、議事妨害をのりこえて法案を先に進めるために必要な60票が得られなかった。われわれの予測した票差 (51-48) は、実際のもの (53-46) にきわめて近いものとなっている。ただし、ここでもハリー・リードは除いた。

3 Slateに掲載されたある記事が指摘するように、「NRAは大方から本国における最も強力なロビー集団だと見做されている。財源はどちらかといえば控えめといったところでメンバーもちょうど4百万人程度なのだが。[…] NRAはほとんど銃規制の論点のみに専念しているため、かれらの指導層はその立法関連の目的を徹底的に追求できる体制になっている。おそらく最も重要な点だが、NRAはそのメンバーの多くが組織そのものと同じくらい一点集中型の考えをしている。世論調査では、相対的に多くのアメリカ人が銃規制の緩和よりその強化に好意的である旨がしばしば示されるが、銃権利推進派はこの論点における反対陣営とくらべ、一点集中型である可能性がはるかに高いのだ」(Slate, 29 June 2012)。

4 直接イニシアチブ (direct initiative) の手続きは、市民が立法案や憲法修正の形をとる請願を提出することを可能にする。この請願が十分な世論の支持を獲得した場合、その施策はそのまま投票に直行する段取りとなる。そのさい初めに立法府に法案を提出しておく必要はない。

5 たとえば、「イニシアチブ594」 としても知られる 「銃購入に関する全面的バックグラウンドチェックを求めるワシントン州イニシアチブ (Washington Universal Background Checks for Gun Purchases Initiative)」。本イニシアチブがワシントン州で2014年11月4日の投票用紙に記載されるかもしれない。本施策が投票権者により可決された場合、ワシントン州で銃を購入する全ての人を対象とするバックグラウンドチェックが要請されるようになる – これには私的な取引をとおして購入する者も含まれる。

 

リヴァイ・ボクセル 「インターネット・ソーシャルメディア・政治分極化」 (2017年10月1日)

Levi Boxell, “The internet, social media, and political polarisation” (VOX, 01 October 2017)


インターネットは、近年の政治の分極化について相当な汚名を着せられてきた。合衆国のデータを用いつつ本稿が主張するのは、政治分極化の強まりという少なくとも1970年代まで遡れる一般動向について、インターネットはじつのところ何ら重要な役割を果たしてこなかったこと、これである。本研究結果は、都合のよい物語をとおした説明にとどまらない視点をもつことの重要性、そして政治的気分をうみだす諸要因をより深く理解することの必要性を照らし出す。

合衆国選挙民のあいだで近年政治の分極化が進んでいる旨を示唆する文献が増えている (例: Abramowitz and Saunders 2008, Iyengar et al. 2012)。1994年、政党支持者 (party affiliates) のおよそ20%が反対政党について 「強く不支持 (very unfavourable)」 の見解をもっていた。2016年までに、この数字は55%超に高まり、現在も減速の兆しは全くみられない (Pew Research 2016)。1994年から2014年にかけて、政治ポリシーにかんする質問群をとおし強固に一貫したイデオロギー的見解をもつアメリカ人の割合は、2倍以上に膨らんだ – すなわち10%から20%超に増加した (Pew Research 2014)。

政治分極化にたいする関心のほうも空前の高まりをみせている。Google Trendsが示すところでは、合衆国における政治分極化に関連した検索の件数は2016年の11月、2004年のモニター開始以降のいずれの選挙月をも上回るものとなった1。Gentzkow (2016) も、1950年から2008年にかけてのGoogle Books Ngram Viewerデータにおける政治分極化への言及について、同様の結果を得ている。

政治分極化の強まりの説明としてよく引用される仮説の1つは、インターネットとソーシャルメディアを主たる要因とするものだ。Cass Sunstein (2007) の次のような言葉は、この議論の標準型を示している:

インターネットのおかげで甚だしく容易になったのは自分の見解の後押しとなる膨大な資料を渉猟し … [なおかつ] それと反対の趣旨をいう資料のいっさいを排除することだ … このセルフ-ソーティングがもたらす重要な帰結に、飛び地の過激主義 (enclave extremism) とでも呼びうるものがある。同好の士からなる飛び地にゆき着いた人々は、通例そこからさらに極端な地点に向かってゆくものだ

よく知られたEli Pariser (2011) や Cass Sunstein (2001, 2009, 2017) の著作は、インターネットが 「フィルターバブル」 ないし 「エコーチャンバー」 の役割をはたすというこの考えについて詳説したものだ。

個人は、インターネット上で同好の士的な情報源をじじつ見い出しており、またソーシャルメディア上でも同好の士的な個人と繋がる傾向が比較的強いこと、これについては強固な実証データが存在する。既存研究は、政治ブログ上でのリンク (Adamic and Glance 2005)、ウェブサイト訪問 (Gentzkow and Shapiro 2011)、Twitter上の政治的リツイート (Conover et al. 2011)、ソーシャルメディア上の記事シェア・クリック (An et al. 2014, Bakshy et al. 2014, Flaxman et al. 2016)、Twitter上の政治的同類性 (Colleoni et al. 2014, Gruzd and Roy 2014, Halberstam and Knight 2016) などにおける住み分け (segregation) を明らかにしてきた。

図1 メディアと交流形態でみたイデオロギー的住み分け

出典: Gentzkow and Shapiro (2011).

しかしながら、オフラインの情報源とオンラインの情報源を比較する段になると、諸研究はどちらにも同程度の分節化レベルを見い出している。図1はGentzkow and Shapiro (2011) から取ったものだが、ウェブサイト訪問にかんする分節化をみると、これは全国紙にかんする分節化ほどではないが、地方紙にかんする分節化よりも激しいといった具合になっている。Halberstam and Knight (2016) もTwitter上の政治ネットワークを調べて、Twitter上の政治ネットワークとオフラインの政治ネットワークの分節化が同程度であることを明らかにしている。なお付言しておくと、インターネット上の情報源にかんする分節化はたしかに示唆的であるが、これはインターネットが分極化を促したという命題の必要条件でもなければ十分条件でもないのである。

図2 標準化した政治分極化の指標の動向 (1972–2016)

出典: Boxell et al. (近刊).

最近の論文で私は共著者らとともにインターネットと政治分極化の関係を調査している。そのさい 「全米選挙研究 (American National Election Studies)」 のサーベイデータを用いることで、オンライン情報へのアクセスで異なる人口学的諸集団をとおしてみた分極化動向の比較をおこなった (Boxell et al. 近刊)。研究における発見が個々の政治分極化基準によって左右される程度を減らすため、我々はこれまで関連文献で用いられてきた8つの基準をもとにあらたに1つの標準化指標を作成した。なおこれまでの尺度とは、Abramowitz and Saunders (2008) のイデオロギー整合性の尺度、Mason (2015) の党派的ソーティングの尺度などをさす。図2には、我々の指標の1972年から2016年にかけての動向を示した (1996年に値が1となるように標準化した)。本期間をとおし分極化には安定した上向きの動きがみられる反面、インターネットの勃興に対応する変節点を示す兆候はまったく確認できない。1996年以前の動向だけみても、政治的分極化の説明においてインターネットが果たし得る役割は限られていそうだ。

くわえて図3が示すように、分極化は1996年から2016年にかけて高齢者 (65+および75+の年齢層) のほうが青年 (18-39の年齢層) よりも急激に進行した。さらに、予測インターネットアクセスを計る尺度として人種や教育といったその他の人口学的変数を取り入れたより包摂的なものを用いた場合、1996年においてインターネットアクセスを享受していた可能性が最も低い人口学的諸集団のほうが、1996年においてインターネットアクセスを享受していた可能性が最も高い人口学的諸集団よりも、大きな分極化の変化を被っていたことが確認できた。

図3 さまざまな年齢層の政治分極化 (1996-2016)

出典: Boxell et al. (近刊).

インターネットないしソーシャルメディアへの直接的なアクセスが政治分極化の主要要因であるとすれば、予想される動向はこれと正反対になるはずだ。高齢者 (65+) が選挙キャンペーンにかんする2016年のニュースをオンラインで視聴していた可能性は、青年 (18-39) のおよそ半分であり、ソーシャルメディアを利用していた可能性はさらに少ない。それにもかかわらず、最大の政治分極化を被ったのはこの相対的年長者の層なのだ。これら事実を念頭におけば、諸年齢層にわたるインターネットアクセスへの反応の大きな不均一性、あるいは諸年齢層にわたる相当な波及効果を考慮しないまま、インターネットないしソーシャルメディアが現在みられる政治分極化の主要要因であるとする物語を作り上げることはできなさそうだ。

以上の発見は、インターネットないしソーシャルメディアが政治分極化に及ぼす影響を否定し去るものではない。事実、インターネットが僅かながら影響をもつ可能性を示す実証データも存在する。Lelkes et al. (2017) は恐らくは外生的だと思われる管路敷設権立法 (right-of-way legistlation) の変化を援用しつつ、ブロードバンドの普及が対象カウンティにおける感情的分極化 (affective polarisation) を一定程度強めたとの主張をしている。ただ同著者らは 「我々は、ブロードバンドが党派的反感の強まりを引き起こした唯一の原因などと主張するものではない。あるいは主要な原因ですらないかもしれない … 感情的分極化は少なくともインターネット利用が始まる二十年前には強まり始めていた」 と述べ、自らの発見を穏当なものにとどめている。またこれら研究結果は、諸年齢層にわたる感情的分極化の違いを説明するものでもない。

ところで、2016年の選挙結果をインターネットおよびソーシャルメディアの責めに帰すよく似た物語がある。選挙後、ヒラリー・クリントン氏は、自身の敗北の一因はフェイクニュースとFacebookだったと仄めかした。我々の論文では、人口学的諸集団にわたり投票率を比較することで、2016年の選挙にインターネットが及ぼした影響についても調査している。ドナルド・トランプ氏がインターネット利用性向の相対的に高い人口学的諸集団から獲得した票の比率が、以前の大統領達よりも大きかった旨を示す実証データはまったく確認されなかった。じっさいのところ、我々の点推定値はそれと正反対の構図を示唆している – トランプ氏はインターネット利用性向の高い人や実際のインターネット利用者のあいだでは比較的振るわなかったようなのだ。トランプ氏の支持者に占めるソーシャルメディア利用者の割合、および人口学的諸集団をとおしてみた投票率の違いを調べたHampton and Hargittai (2016) も同様の結論に至っている。

今日の合衆国には諸政治集団のあいだに相当な断裂がさまざま存在し、しかもこれら断裂が埋まってゆく気配もみえない。政治分極化やポピュリスト的な大統領候補の席巻を理解しようと試みるさい、インターネットやソーシャルメディアをやり玉に挙げたくなる気持ちも分からなくはない。しかしながら、人口学的諸集団にわたる基本動向は、どちらの現象を説明するにしてもインターネットが大きな役割を与えるような物語を支持するものとはなっていない。メディア消費は従来型メディアを離れこうした新たなプラットフォームに向かうシフトを続けており、我々もまたこれらプラットフォームの利用形態およびその政治領域への影響を注視し続けてゆく必要がある。だが、前述の結論を覆す新たな実証データが現れるまでは、FacebookフィードやGoogle検索に代わる何かがあれば我々の直面している政治問題が解決されるなどと考えるべきではない。

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Endnotes脚注

[1] See https://trends.google.com/trends/explore?date=all&geo=US&q=%2Fm%2F02shm1 を参照

ダグ・バンダーワーケン, ヤツェク・ローター, ブライス・ングエリファク 『フットボールにおける反則行為への出場停止処分の影響: プレミアリーグの事例研究 』 (2017年2月9日)

Doug VanDerwerken, Jacek Rothert, Brice Nguelifack, “The impact of suspension rules on fouls in football: Case study from the Premier League” (VOX, 09 February 2017)


 

殆どのフットボールリーグでは、イエローカードを一定数累積した選手に対し出場停止処分が課されるようになっている。本稿では、イングリッシュプレミアリーグにおいて選手達が犯した反則行為 [fouls] 数にこのルールがどの様な影響を及ぼしているのか論述する。出場停止処分上限に差し掛かった選手達は、シーズン開幕時と比べ反則行為数が33%も少なくなる。またシーズン開幕後初試合においても、出場停止ルールの抑制効果により反則行為数が15%減少している。

フットボール試合の最中の違反行為のうち深刻なものは、反則選手に対するイエローカード提示を以て罰される。ともにボールを我が物にしようとするフットボール選手二名が衝突するような時、一方の選手が、あまりに無謀なため相手選手を負傷させてしまう例も比較的多いだろうし、行き過ぎたフィジカルが行使される場合もあるだろう。さらに、審判に対する不服申立てや意図的にプレイを遅らせるなどの不適切な振舞を通し、自らのチームがアンフェアなアドバンテージを得るよう画策する選手もいるかもしれない。

イエローカード一枚のみでは試合中に罰則を課すまでには至らないとはいえ、それは当該選手の懲戒記録に響いてくる。そのため、ここから執拗な違反行為者に対する付随的影響が生ずる可能性がある。例えばイングリッシュプレミアリーグでは、或る選手が8月のシーズン開幕から12月31日までの間にイエローカードを五枚受領した場合、同選手は五枚目のイエローカードを受領した次の試合について、出場停止処分を受ける。4月の第二日曜日より前にトータルで十枚のイエローカードを累積した選手は、十枚目のカード受領に続く2試合の出場停止となる。もしシーズン末までに十五枚のカードを受領したら、即座に3試合分の出場停止となる。

フットボールに関しては詳細な統計が利用可能となっており、その斐あって様々な研究者がカードの試合への影響や (Ridder et al. 1994, Bar-Eli et al. 2006)、どの様なファクターがチームのカード受領確率に作用しているのか (del Corral et al. 2010) を研究している。

今回の研究 (VanDerwerken et al. 2016) では、前記プレミアリーグの2011-2012年シーズンにおける、試合レベル、プレイヤー毎の統計値を利用し、出場停止ルールが選手達の反則行為行動に及ぼす影響を調べた。

我々が調査したのは、選手達の反則行為は出場停止上限が近づくにつれが少なくなってゆくのか、出場停止上限に近い選手達はイエローカードを受領する傾向が小さくなるのか、そして出場停止ルールが存在しない場合反則行為が為される数は変わってくるのか、これらの点である。

初めの2つの問いに対しては一般的な計量経済学手法を用いて回答を与え、最後の問いと取り組むにあたっては、最適なイエローカード累積を扱う構造モデルを構築した。

前記プレミアリーグにおける出場停止制度の類型は数多くのフットボールトーナメントで利用されている。これらはみな処罰を先送りする体制 [delayed punishment schemes] を取っており、合衆国における一部の州の所謂 『三振制 [three strikes]』 法制に類似する。同法制は執拗な違反者に対し厳罰を課すもの (Greenwood et al. 1994, Zimring et al. 1999)。個人の行動にこうした制度が及ぼす影響を分析する際には、ツーストライク状態にある個人による犯罪活動の減少のみを計測しないようにすることが重要 (Shepherd 2002) である。もしそうしてしまうと、同法制の真の影響が過小評価されてしまう。というのは、潜在的違反者全てに行動を変化させた可能性が有るからだ。我々のケースでは、出場停止ルールがただ存在するだけで、選手達は出場停止上限に近づくのを嫌うため、第一試合にしてすでに攻撃的なプレーが抑制される訳である。

結局のところ

先ず最初に、現行ルールのもとでイエローカード累積が反則行為数に及ぼす影響を実証的に検討した。ポワソン回帰1を用いて反則行為数の予測を行うが、その際にはペナルティカード累積の効果を分離するため、反則行動への影響が疑われるその他の変数を調整している。例えば、我々は選手に対する固定効果の影響も取り入れている。これは内在的な攻撃性レベルやポジションまた競技熱といった属性を組入れたものである。さらにインターセプト数やタックル成功数またドリブル失敗数といった、試合レベルでのパフォーマンス変数も取り入れた。最後に、累積上限到達までの時間、試合会場 (ホームかアウェイか)、出場停止処分の深刻性、および試合終了時の得点差についても調整を行った。

以上全ての潜在的影響源の分を修正すると、予想通り、イエローカードの累積は反則行動を減少させていた。イエローカードあと一枚で一試合出場停止処分となる様な時、選手の反則行為は、イエローカードあと二枚で出場停止の場合と比べると12%、あと五枚の場合 (例えばシーズン開幕時など) と比べると33%、少ないのである。反則行為数の減少は選手が2試合出場停止処分に直面した時さらに大きくなる。下の図1には反則行為の推定期待数を、出場停止処分までイエローカードあと何枚かの関数として示してある。

さらに、所与の試合において選手が何らかのカード一枚 (イエローカード、ないしより深刻なレッドカード。後者は試合からの即刻退場と自動的な出場停止処分を意味する) を受領する確率も、ロジスティック回帰を用いて予測した。驚くには当たらないが、同確率は該当選手が累積上限に近づくにつれ減少した。例えば、イエローカードあと二枚で二試合出場停止処分となり、次試合でのカード一枚受領確率が10%であるような選手を仮定したとしても、この仮定的選手があと一枚で同出場停止処分になる状況に陥れば、イエローカード一枚を受領する確率は低くなる (3%) ことになる。イエローカードあと二枚で一試合出場停止処分となる場合、同選手のカード一枚受領確率は25%に上昇することになる2

一つひとつの試合を大事に

出場停止ルールが無かったとしたら、選手達の反則行動はどれ位増えていたのだろうか? 素朴に考えれば、該当シーズン中未だ一枚もイエローカード累積が無い選手一名の犯した反則行為数につき期待値を算出し、それを全試合に関する選手あたり反則行為数期待値と見做すという形でこの問いに答えられそうである。しかしこの手法はルーカス批判を (Lucas 1976) を無視している。我々の推定値は出場停止ルールの在る環境において得取された。こうした環境にあっては、選手達の反則行為はシーズン初試合において既に少なくなっているかもしれない。何故なら早い時期にイエローカード一枚を受領すると、後に出場停止処分を受ける確率が高まるからだ。

そこで我々は最適イエローカード累積に関する動学構造モデルを開発し、この 『ファーストストライクの恐怖』(Shepherd 2002) に取り組んだ。本モデルは標準的な動学プログラミングモデルであり、次の様な特徴を持っている。まず累積イエローカード数を状態変数とした。選手は試合開始時に自らの努力量を選択する。努力量が多いほど選手の所属するチームがその試合に勝利する確率も高まる。活動量はさらにイエローカード一枚の受領確率も高める。均衡状態において、選手はイエローカード五枚で出場停止処分となる旨を知悉したうえで、このトレードオフを衡量しなくてはならない。本モデルは幾つかのパラメータに依拠しているが、その中には我々のデータからカリブレート可能なものもあれば、これが不可能なものもある。カリブレート可能なものについては、イエローカード五枚の上限に差し掛かった選手に関わる反則行為数の減少が、モデルにおいてもデータ中のそれと同一になるようにしている。その他のパラメータ値にはアドホックな当て嵌めが必要となった。

以上の下準備ののち、本モデルから出場停止ルールを取り除く反実仮想実験を行った。実験中の選手達は、一試合中にイエローカード一枚を受領したところで将来の出場停止処分には何ら影響が無いことを知悉しており、初期の試合でもプレイを調整する必要がない。我々の選択したパラメータ値を利用したかぎりでは、前記プレミアリーグにおける出場停止ルールの存在により第一試合における反則行為期待数が約15% (ファーストストライクの恐怖に関する我々の推定値) 減少させていることが判明している。シーズン期間全体では、同出場停止ルールにより期待反則行為数が33%も引き下げられている。図1にはさらに、一試合中に選手一名が犯す期待反則行為数を、同選手はイエローカードあと何枚で出場停止となるかとの観点からみた関数とし、我々の理論モデルの予測値を示している。

図1

本モデルのおかげで、審判の厳しさをはじめとする様々なファクターが出場停止ルールにどの様な影響を与えているのか分析する手立てが得られた。審判があまりに甘い場合、出場停止ルールにはあまり痛みが感じられない。選手達は自分がイエローカードを突き付けられることはあまりないと知悉しているからだ。審判があまりに厳格な場合も、出場停止ルールにはあまり痛みが無い – 少々攻撃的といった程度のプレイにしてすでにイエローカードが出されるなら、選手は、何れにせよイエローカードを受領するはめになるのだろうと、目下の試合のみにフォーカスする可能性もあるのだ。

試合レベルでの統計値の利用可能性が高まってきた所に、シンプルな経済理論が組み合わさり、フットボールにおいて出場停止ルールが攻撃的プレイに及ぼしている影響の定量化が可能となった。より一般的に言えば、先送りされた処罰に個人がどの様に応答するか、この点に関する知見が得られたのであるが、これはプロスポーツ以外の研究領域にも新たな洞察をもたらすものだ。

参考文献

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原註

[1] ポワソン回帰は最小二乗法に似たものだが、前者ではカウント値が正規分布ではなくポワソン分布に従うものと想定されている。

[2] 本分析の副産物として、アウェイに対するホームでのプレイには、ペナルティカード受領確率に、僅かではあるが認識可能な影響が有ることも明らかになった。我々の実施シナリオでは、ホームでのプレイは選手のカード受領確率を10%から8%に引き下げる。その存在が疑われる潜伏変数分を修正すると、この緩やかな減少の大部分は選手の行動ではなく審判に帰するのが合理的な様で、他の研究者 (例えば Dawson et al. 2007 and Nevill et al. 2002) が明らかにしてきた所を裏付けている。

 

ダロン・アセモグル, ジェームズ・ロビンソン 『植民地主義の経済的影響』 (2017年1月30日)

Daron Acemoglu, James Robinson, “The economic impact of colonialism” (VOX, 30 January 2017)


 

 今日の世界に観察される巨大な経済格差は、膨大な歴史過程を経て実現した経路依存的アウトカムであるが、そうした歴史過程の中でも一際重要なものに、ヨーロッパの植民地主義がある。最近のVoxebookから抜粋した本稿では、植民地主義が幾つかの根源的、しかし不均一な形で近代の格差を形成してきた、その経緯を検討する。

本稿の初出はVox eBook 『歴史に掛かる経済と政治の長影 (The Long Economic and Political Shadow of History)』 一巻。同書はこちらからダウンロード可能。

今日の世界に観察される巨大な経済格差は、一朝一夜にして出現した訳でないことは当然としても、前世紀に生じたものでもない。経済格差は膨大な歴史過程を経て実現した経路依存的アウトカムであるが、そうした歴史過程の中でも一際重要なものに、ヨーロッパの植民地主義がある。我々の来し方を500年ほど辿る、つまり植民計画の揺籃期にまで遡るなら、貧困国と富裕国との間にも然したる格差は無く差異も僅かである様が確認できる (恐らく差は4倍ほど)。現在はどうか。世界の最富裕国と最貧困国を比較すると、その差はいまや40倍を超える。さて、植民地主義はこの辺りの事情にどの様に関与していたのだろうか?

我々はサイモン・ジョンソンとの共同研究を通し、植民地主義が幾つかの根源的、しかし不均一な形で、近代の格差を形成してきた事を明らかにしてきた。ヨーロッパの地において、アメリカ大陸の発見や、そのアメリカ大陸にはじまりアジア、アフリカへと続く大々的な植民地計画の登場が制度的・経済的発展を刺激する潜在的契機となり、斯くして後に産業革命として結実する諸々を始動させるに至ったのである (Acemoglu et al. 2005)。しかしその影響の在り方はヨーロッパ内部の制度的差異により掣肘されていた。予てから君主に対する抵抗が議会や社会に優位を与えていた英国などの地では、アメリカ大陸の発見は商業・産業集団にいっそうの権勢をもたらすに至った。こうした集団はアメリカ大陸や、間もなくアジアからも、新たな経済機会を享受することができた。その結果が経済成長である。他方、初期段階における政治制度や権力バランスの異なるスペインなどの地では、その結果も異なった。これらの国では君主が社会や商業また経済機会を支配しており、結果として、政治制度は弱体化、経済も衰退した。『共産党宣言』 でマルクスとエンゲルスが述べた如く,

「アメリカの発見が、喜望峰の迂回が、新興ブルジョア階級に新たな足場を切り開いた」 のだった

それは事実であったが、一定の条件下でのみ当て嵌まる事実であった。別の条件下では、同発見はブルジョア階級の立遅れに繋がった。結果から見れば、ヨーロッパの中には植民地主義により経済発展が加速した地域もあれば、逆にこれが停滞した地域もあったのである。

しかしながら植民地主義の影響は植民活動を行った社会の発展に留まってはいなかった。言わずもがなではあるが、植民地主義は植民地化された社会にも影響を及ぼしたのである。我々の研究 (Acemoglu et al. 2001, 2002) は、この点でも、またや、不均一な影響が見られたことを明らかにしている。これは植民地主義が様々な地で相異なる種類の社会を生み出すに至った為である。とりわけ植民地主義が世界の様々な地に残した制度的遺産は千差万別であり、経済発展の帰趨は著しく散開している。その原因は、種々のヨーロッパ列強がそれぞれ異なる制度を移植した – 換言すれば、北アメリカの成功はそれが継承した英国の制度に負うものであって、他方ラテンアメリカはスペインの制度を継承したが故に失敗した – からではない。実際の所、実証データは相異なる植民地宗主国の持っていた意図や戦略が極めて似通っていた様を示す (Acemoglu and Robinson 2012)。アウトカムが著しく異なったのは、植民地における初期段階条件にバラツキがあった為だ。例えば先住民の稠密な人口集団があったラテンアメリカでは、こうした人々の搾取を拠所にした植民地社会を建設することができた。そうした人口集団が存在しなかった北アメリカに、その様な社会は在り得べくもなかった。尤も、初めの英国植民者はそうした社会の建設を目指していたのだが。こうした状況に応え、初期の北アメリカ社会は全く別の方向に進んで行く: ヴァージニア会社といった初期の植民ベンチャー企業は、ヨーロッパ人の関心を惹き付け、開けたフロンティアをめざし走り去る彼らを引き留める必要を認識し、そこでこうした人達に対し労働と投資のインセンティブを与えることが必要になった。これを達成した制度、例えば政治的権利や土地利用権だが、こうした制度には植民宗主国におけるそれとの比較においてさえラディカルな差異が見られる。ラテンアメリカ類似地域、例えば南アフリカ・ケニア・ジンバブエなどを発見した際の英国植民者は、我々が 『収奪的制度 [extractive institutions]』 の名で呼ぶ諸々の敷設に掛けては万事抜かりなく、また大いに関心を寄せていた。この収奪的制度というものは先住民の管理と地代の収奪をその基盤とする。Acemoglu and Robinson (2012) では、人口集団の大半からインセンティブと機会を剥奪するこの収奪的制度が、貧困と関連している旨を論じている。今日アフリカにおけるこの種の社会がラテンアメリカ諸国と同じ程度の格差を抱えているのも、偶然ではないのである。

形成された社会のタイプに関わっていたのは諸先住民集団の稠密性だけではない。Acemoglu et al. (2001) で我々が明らかにした様に、潜在的なヨーロッパ入植者の直面する疾病環境も重要だった。北アメリカの植民地化を鼓舞したのは何か、それは比較的恵まれた疾病環境であった。これがヨーロッパ移住を保全する制度創設戦略を促進したのである。西アフリカにおいて収奪的制度の創出を鼓舞したのは何か、それは西アフリカが 『白人の墓場』 であったという事実だった。これが 『包摂的経済制度 [inclusive institutions]』 タイプの創設を遠ざけたが、これこそ北アメリカにおける定住と発展を促した制度にほかならない。こうした包摂的制度は、収奪的制度と対照的に、膨大な人口集団へのインセンティブと機会を、確かに創出した。

植民地社会の相違の一原因として疾病環境に注目したのは、この種の社会が持つ性質の相違の源泉として、この点が唯一のものであるとか、さらには主要な原因であると考えたからでさえない。或る具体的な科学的理由が在ったからだ: ヨーロッパ人にとっての疾病環境、したがって特定植民地への移住性向に影響力を持った歴史的要因も、それ自体は今日における経済的発展の相違の重要な源泉ではない、これを主張する為だった。よりテクニカルな表現をするなら、これはヨーロッパ人定住者死亡率の歴史的な計測値が、経済的制度からの (一人あたり所得として計測した) 経済発展への因果的影響を推定する操作変数として利用できる可能性を意味する。このアプローチの主要な問題は、歴史上ヨーロッパ人死亡率に影響を持ったファクターが持続的なもので、今日における所得にも、例えば健康度や期待余命への影響を介して、影響を持っている可能性がある点だ。とはいえ、これが杞憂かもしれない理由が幾つか存在する。一、植民地におけるヨーロッパ人死亡率に係る我々の計測値は200年ほども前の、近代的医学の確立、熱帯病の理解解明以前のものである。二、これらは熱帯病に免疫の無いヨーロッパ人が直面した死亡率の測定値であるが、こうした死亡率は先住民が今日直面している死亡率とは極めて性質が異なる。そしてこれらの国々の現在の経済発展に関係が有るのは後者のほうだと推察される。念には念を、我々はマラリア感染リスクや平均余命など、様々な近代的健康測定手法を用いた計量経済学的調整に対しても本研究結果が頑健である旨も明らかにした。

斯くして、ヨーロッパ内部の発展に不均一な影響をもたらしたのとまさに同じ様に、つまり英国などの地では経済促進的に、スペインでは経済停滞的に働いた様に、この植民地主義なるものは植民地においても非常に不均一な効果をもたらしたのである。北アメリカをはじめとする一部の地における植民地主義は、大本の植民宗主国におけるものより遥かに包摂的な制度を備えた社会を生み出し、同地域に現在みられる大いなる繁栄の種を蒔いた。ラテンアメリカ・アフリカ・南アジアなどその他の地では、植民地主義は極めて貧弱な長期的発展アウトカムに帰着する収奪的制度を生み出した。

植民地主義が一定の文脈では発展にポジティブな影響を持った事実は、そこに先住民の人口集団や社会への破滅的かつネガティブな影響が無かった事を意味しない。実際そうした影響が在ったのである。

近世・近代における植民地主義が不均一な影響を持った由は、他にも数多くの実証データから信憑性を得ている。例えばPutnam (1994) は、ノルマン人による南イタリアの征服こそ、同地域における 『社会資本』 の欠乏をもたらした物、すなわち信頼や協調能力の欠けた社会に帰着した相互連帯的生活 [associational life] 缺欠の元凶だったのではないかと問う。だがノルマン人はイングランドも植民地化しているが、こちらは後に産業革命を産み出す一社会の誕生に繋がったのだった。この様にノルマン人の植民活動も不均一な影響を持ったのである。

植民地主義が社会の発展に大きな意味を持ったのは、それが様々な社会における制度を形成したからである。しかしそうした影響を及ぼしたものは他にも沢山あったし、少なくとも近世・近代においては、植民地主義から首尾よく逃げ果せた地もかなり存在する。幾つか例を挙げれば、中国・イラン・日本・ネパール・タイなどがこれに当るが、こうした国々の間でも発展アウトカムにはかなりのバラツキが有る。ヨーロッパ内部の巨大な差異は言わずもがなだ。こうした訳で、その他のファクターと比較したときヨーロッパの植民地主義は、定量的に見て、どの程度重要だったのか、この点に疑問が生ずる。Acemoglu et al. (2001) では、同論文の推定値に従うと経済的制度の差異は世界の一人あたり所得の差異のおよそ3分の2を占めると算定している。他方Acemoglu et al. (2002) も独自に、歴史的に見た定住者死亡率、および1500年時点での先住民人口密度が、今日の世界における経済制度のバラツキの約30%を説明する旨を明らかにしている。歴史上1500年時点に見られた都市化も植民地社会の性質のバラツキを説明する力を持っているのだが、その分を加算するならバラツキの50%超が説明されてしまう。これが事実だとすると、今日の世界における格差の3分の1は、様々な社会にヨーロッパ植民地主義が及ぼした一様ならぬ影響を以て説明できる。かなりの大きさではないか。

植民地主義が植民地における歴代の制度を形成したというのは、事に依れば至極当然なのかもしれない。例えば1570年代のペルーでは、スペイン人総督フランシスコ・デ・トレドによりポトシ銀山の採掘に係る強制労働の大規模体制が確立された。しかしこの体制、ポトシミタ制度 [Potosí mita] も、ペルーとボリビアが独立する1820年代に入り、廃止される。この種の制度、さらに敷衍するなら世界中で植民地権力が創設した制度一般が、今日の発展にも影響を及ぼしているのだとの主張、これは即ち、植民地主義が右制度を直接存続させるか、さもなければ経路依存的な遺産を残すか、そのいずれかの形を取って、これら社会の政治経済に及ぼした影響の在り方についての主張に他ならない。諸般の先住民に課された強制労働は少なくとも1952年のボリビア革命までは直接存続していたが、『ポンゲアヘ [pongueaje]』 の名で知られる体制が廃止されたのはこの時である。Acemoglu and Robinson (2012, Chapters 11 and 12) およびDell (2010) ではより一般的に、以上の様な事態を発生させた可能性の有るメカニズムを数多く検討している。

最後になるが、本実証成果が新たな比較発展理論に向けた重要な示唆を持っている点にも言及して置く価値が有る。長期的な発展パターンは地理的差異により専ら説明されるとの趣旨が一部から主張されている。これに反し、我々は、ひとたび制度の役割を考慮に入れるや、地理的ファクターは発展アウトカムと何ら相関を見せなくなる事を明らかにした。例えば、不羈性 [latitude] と地理との間には一定の相関が在るといった事実は、因果的関係を示すものではない。右の事情はヨーロッパ植民地主義の生み出した或る種の型の制度群が不羈性と相関していたという事実によって惹起されたに過ぎない。この点を考慮に入れるや、地理的変数は何ら因果的働きを持たなくなる。他方、文化的差異こそ最強の発展推進力であるとの主張も存在する。しかし我々が幾つかの手法で計測した限りでは、文化的差異の働きは全く確認されなかった。第一に、様々な人口集団における宗教的構成。第二に、我々の強調してきた所でもあるが、植民地権力のアイデンティティ。第三に、一国の人口にヨーロッパ人の末裔が占める割合。合衆国やカナダがヨーロッパ人で溢れているのは確かだが、我々の主張ではこれはこれらの国が優れた制度を備えていた事実に由来するアウトカムである。ヨーロッパ人の末裔たる人々が今日有する数的支配性が発展を牽引している訳ではない。

参考文献

Acemoglu, D, S Johnson and J A Robinson (2001), “The Colonial Origins of Comparative Development: An Empirical Investigation”, American Economic Review, 91, 1369-1401.

Acemoglu, D, S Johnson and J A Robinson (2002), “Reversal of Fortune: Geography and Institutions in the Making of the Modern World Income Distribution”, Quarterly Journal of Economics, 118, 1231-1294.

Acemoglu, D, S Johnson and J A Robinson (2005), “The Rise of Europe: Atlantic Trade, Institutional Change and Economic Growth”, American Economic Review, 95, 546-579.

Acemoglu, D and J Robinson (2012), Why Nations Fail, New York: New York.

Dell, M (2010), “The Persistent Effects of Peru’s Mining Mita”, Econometrica, 78, 1863-1903.

Putnam, R H (with R Leonardi and R Y Nanetti ) (1994) Making Democracy Work, Princeton: Princeton University Press.

 

ジョバンニ・ファッキーニ, ヨタム・マルガリート, 中田啓之 『移民移入に対する世間の反感を情報キャンペーンで迎え撃つ』 (2017年1月9日)

Giovanni Facchini, Yotam Margalit, Hiroyuki Nakata,”Countering public opposition to immigration with information campaigns” (VOX, 09 January 2017)


 

諸般の極右政党が世界中で相当な選挙成果を挙げる近時の状況、その一端を担っているのが強硬な反移民移入レトリックである。本稿では、移民移入の良い面に関する情報への露出を通しこうした世間の敵対感情を緩和できないか、この点を見定めるべく日本で実施された或る実験の結果を紹介する。結果、この種の情報露出を通し、個人の移民移入支持傾向が43%から72%ほど上昇する事が判明した。移民移入に対する敵対感情の払拭をめざす政策画定者にとって、情報キャンペーンは極めて有望な道であるようだ。

移民移入は依然として移住先となった多くの国の政治討論における重要問題である。諸般の極右政党は強硬な反移民移入レトリックを駆使し、オーストリア (Halla et al 2016)、フランス、ドイツ (Otto and Steinhardt 2014)、オランダ、スイス (Rydgren 2008) などの国で相当の選挙成果を挙げている。移入民に対するあからさまな敵意や人種主義を顕示する行為のみならず暴力行為までもが急激に増加しており、数多くの公的調査で移民移入に対する懸念の高まりと異例なレベルの反感が示されている。こうした反対に何を以て臨むべきか? その答えは恐らく人々の移民移入に関する見解がどの程度生理的なものであるのかに依存する – つまり問題は、多くの場合変化を容れ難い強固な皮膚感覚にどの程度根付いているのか、この点に掛かっている。換言すれば、移民移入から見込まれる経済的・社会的便益に係る情報への露出を通し、世間の敵対感情を緩和することは可能なのか? 最近の論文で我々は、日本における大規模な全国的実験を実施し、この問題に挑んだ (Facchini et al 2016)。本実験結果は、情報への露出が移民移入問題に対する態度の変容をめざすにあたり実際に有効となり得ること、しかもその効果は短い期間に留まらないことを示しており、反移民移入感情の緩和を図る大規模情報キャンペーン採用の有望性が示唆されている。

実験設定

本研究のフォーカスを置いた日本は、低出生率・人口の急激な高齢化・幾つかの経済部門における切実な労働力不足の結果、人口動態・経済面で相当な困難に直面している。それにもかかわらずこれまで日本政府は移入民に対する門戸開放には頑なに抵抗してきたが、そうした背景の少なくとも一部を成していたのが世間からの広い反感であった。

今回の実験は同国民を代表するサンプル個人9千名を用いて実施された。狙いとなるのは、移民移入から潜在的に見込まれる経済・社会的便益にまつわる情報に個人を露出することが、移民移入政策に対する世間の選好のシフトに繋がるのかの検証である。社会的望ましさによるバイアス [social desirability bias] ないし 『要求効果 [demand effects]』 を回避するため、回答者には本研究が対移民移入態度にフォーカスしたものである旨を伝えていない。その代わりに、参加者には日本の高校における読解力試験に用いられているテキストの続用可能性を判断してもらう旨を告知した (一定の課題取組水準を確保するため、回答者には幾つかの側面からテキストを評価してもらう段取りとなっている)。参加者に配布した2つのテキストはともにおよそ200字のレポートで、短い新聞記事の様に読める体裁になっている。第一の記事は或る日本人画家の生前の体験を綴ったもので、全ての参加者に割り当てられた。その上で、対照グループに対しては、第二の記事として冥王星についての最近の諸発見を扱ったものを一つ読んでもらった; 処置グループに対しては、これに代え、日本における社会経済的問題を論じた第二の記事を一つ読んでもらったが、こちらではこうした問題との取組みにあたって移民移入が手助けとなる可能性が取上げられている。

以上の情報への露出が参加者の移民移入政策に対する態度に何らかの影響を及ぼしたかを見定めるため、サンプルの3分の2に対しては読解を終えた時点で、移民移入問題も含む政策問題に関する一連の質問に回答してもらった。サンプルの残る3分の1にあたる参加者 (3千名の回答者) にはこうした質問を表示していない [not prompted with those questions]。それに代え、これら参加者には読解評価を終えて10-12日経過してから同サーベイへの協力を依頼した。

同情報処置は大きく4つのグループに分類される。第一グループには人口動態的処置への露出が行われた。これはこの先数十年間でさらに深刻化すると予想されている相当の人口減少に対する関心を呼び起こそうというものである。この介入では、移民移入が人口縮減問題を軽減する可能性について、回答者に思いを馳せてもらう事が目標となる。第二の処置グループは労働市場枯渇にフォーカスしたもので、重要経済部門における労働者の過小がもたらす負の影響、そしてなぜ移民移入がこうした状況打開の手掛かりとなるのかを取上げている。第三グループは比較検討処置への露出を行う。同処置には日本への移住の相対的な規模を他のOECD諸国におけるそれと比較検討した情報などが含まれる。他の富裕な国々の社会に浸透している規範への協調性を引き出すことにより、移民移入の妥当な水準に関する日本人回答者の見解に影響を及ぼし得るか、この点を明らかにしようとしたのである。

最後の第四処置は、人口の高齢化とその帰結に関連し、移民移入が果たし得る役割に注目したもの。この問題の日本における顕著性を考慮し、3つのサブグループを設け、同現象の持つ次の3つの異なる側面への関心を呼び起こす工夫をした: すなわち、年金システムの維持可能性・長期的なケア提供業者の必要性拡大・医療システムの資金不足である。これら何れのケースにおいても、移民移入が問題の軽微化のための考え得る道として取り上げられている。

以上論じた処置に加え、さらに情報がどの様に伝達されていたか、すなわち統計情報の要約という形で伝達されたのか、それとも特定個人 (典型例) 談の一部という形で伝達されたのか、この点にも踏み込んだ。

上記処置が回答者の持つ移民移入に関する見解に及ぼした影響を見定めるにあたって、次の3つの質問を行った。1つ目の質問では移民移入政策に関する一般的な選好について (『もっと移入民を』 指標); 次の質問では短期的移住 [temporary migration] について (『短期ビサ [temporary visa]』 指標); そして第三の質問では移入者数増加を求める請願への署名に回答者がどの程度意欲的か (『請願』 指標)、それぞれ尋ねた。見易さの考慮から回答には二値化を施しており、1は移民移入賛成に傾くスタンスを示す。

結果

下の図1に掲載されているものがベースライン結果になる。各処置の効果を報告し、対照グループを参照に付した。

図1 情報処置の政策スタンスへの影響 (棒線は95%信頼区間)

結果は極めて印象的である。先ず、最上部のパネルをご覧頂きたい – 本分析 [1] の示す所では、非-処置サンプル中の個人だと、移民移入レベルの増加を支持する者は同集団中たった29%に過ぎない。しかし移民移入の経済的便益の幾つかに関わる情報提供した場合では、個人の意見に、大幅かつ有意な正の効果が確認されている。これは全ての処置に当て嵌まる。効果の範囲は12%から21%ポイントで、これは何らかの情報処置に露出した個人は、対照グループ中の個人と比べ、移民移入を支持する傾向が43-72%も高くなっている事を意味する。

短期的移住への態度についても類似のパターンが観察されている (中央パネル)。こちらでは、ベースライン支持率が比較的高く、37%だった。しかしここでも確認された情報処置効果は全てのケースで正の値を取りかつ有意であり、7から15%ポイントの範囲を取っている。ベースライン支持率から18-42%も増加したことになる。

最下部パネルでは、処置テキスト読了後の個人が、政府に対し日本への移民移入を増加するよう求める請願の署名に応諾する傾向を高めたかどうかを報告している。請願署名の際、参加者は詳細な個人情報の開示を要求される。したがってこの 『比較的コストの高い』 基準において引き出された支持レベルが、厳密に態度のみに関わる質問の場合より低水準であったのも驚くには当たらない。それでも、移民移入の潜在的便益に関する情報を取得していることが、積極的に政治過程に参加する意欲にも影響を及ぼしている事が確認されている。これは4つの処置のうち3つの高齢化問題に関するもの、および人口動態的処置に露出した個人にとりわけ当て嵌まる。相対的にみれば、効果はここでもかなり大きく、ベースラインから39-53%の増加に相当する。

果たしてこうした影響は時間が経っても持続するだろうか? 図2では読解力調査直後にインタビューした参加者および10-12日後にインタービューした参加者に見られた処置効果を比較している。両パネルから明らかな様に、長期的な効果は短期的効果よりも一貫して小さいが、それでも処置効果は引き続き移民移入への一般的態度に大幅かつ有意な影響を及ぼしている (左パネル)。準-行動的な [quasi-behavioural] アウトカム (請願) に関わる回答は、依然として正の値であるが、時を経るにつれ弱化、統計的有意性を喪失している。

図2 短期的 vs 長期的効果 (棒線は95%信頼区間)

最後に、情報の伝達形式に重要性は見られたか? 説得力 [persuasion] を扱った多くの研究では、統計用語を駆使して提示するよりも典型例 (例: 個人談) を通して提示するほうが主張は有効になるのか、その如何をめぐって議論が展開されてきた。この問題に一考を加えるべく、論点の幾つかを2つの異なる手法で提示している: すなわち一方は個人談として、他方は無味乾燥な統計的解説として、それぞれ提示した。図3に報告されているのが同分析結果 – 労働力不足および長期的ケアの必要に関わるもの – である。同図が示す様に、明瞭なパターンは全く見られない。第一のケースでは典型例によって僅かにではあるが相対的に大きな効果が得られたが、第二のケースではその逆の結果が生じている。

図3 統計値 vs 典型例に基づく主張の効果 (棒線は95%信頼区間)

結論

政治家や組織が寛大な移民移入政策に傾倒していると見られるのを躊躇している現状、世間が移民移入から潜在的に見込まれる社会的・経済的便益について知る機会は稀である。本研究結果はこうした潜在的便益への露出が、同問題に関し人々が抱いている見解の形成に相当の影響を及ぼし得ることを示唆している。したがって、移民移入に対する敵対感情の軽減に関心を寄せる政策画定者にとっては、マス大衆に狙いを定めた情報キャンペーンが1つの有望路線となりそうだ。

論文で論じた幾つかの理由から、情報が世間の移民移入に対する態度に及ぼす影響の検証に際し、日本はその上限と下限のどちらに相当するものとも見做し得る。どちらの説が正しいのか、それは究極的には実証問題である。その回答の提示を進める為にも、その他の先進国における類似研究の実施が待たれる。

参考文献

Facchini, G, Y Margalit and H Nakata (2016) “Countering public opposition to immigration: The impact of information campaigns”, CEPR, Discussion paper 11709.

Halla, M, A F Wagner and J Zweimüller (2017) “Immigration and voting for the far right”, Journal of the European Economic Association, forthcoming.

Otto, A and M F Steinhardt (2014) “Immigration and electoral outcomes: Evidence from city districts in Hamburg”, Regional Science and Urban Economics, 45: 67-79.

Rydgren, J (2008) “Immigration sceptics, xenophobes or racists? Radical right-wing voting in six West European countries”, European Journal of Political Research, 47: 737-765.

原註

[1] さらなる詳細はFacchini et al. (2016) の第五セクションを参照。

 

マルティナ・ビョルクマン・ニクヴィスト, ルチア・コルノ, ダミエン・デ・ワルク, ヤコブ・スヴェンソン 『より安全な性行動へのインセンティブ: HIV予防おける籤引活用』 (2017年1月7日)

Martina Björkman Nyqvist, Lucia Corno, Damien de Walque, Jakob Svensson “Incentivising safer sexual behaviour: Using lotteries to prevent HIV “,  (VOX, 07 January 2017)


従来型HIV/AIDS教育キャンペーンは新規感染抑制に関して完璧な有効性を誇ってきたとは言えない。背景的原因としては、感染の大半がこと性行動に関してはリスクテイクを厭わない様な個人の間で生じているのに、キャンペーンではこうした人達を特に重点的にターゲットにしてこなかった可能性が考えられる。本稿ではレソト王国で行われた新型HIV予防介入試験を紹介する。これは以上の様な個人をターゲットに定め、より安全な実践へのインセンティブを付与するために籤引を利用したものである。処置グループのHIV新規感染件数 [HIV incidence] はトライアル期間を経て5分の1を超える低減を見せた。実施面・費用面での利点も併せて考えると、こうした結果は以上の様な介入がHIVとの闘いにおいて計り知れない価値を持つと判明する可能性を示唆する。

20年以上に亘る意識向上キャンペーンを後目に、HIV/AIDSは依然として数多くの世界の国々で主要健康問題の位置を占めている。とりわけ、3700万人もの人々がHIV感染者として生活し、推定では2015年だけで新たに140万件ものHIV感染が発生しているというアフリカでは問題はなお深刻である (UNAIDS 2016)。HIV感染の主要経路となっているのが安全性考慮の無い性行動だ。したがって情報提供と教育キャンペーンを基盤とした従来型の行動変化プログラムが、エピデミックに抵抗するための主要方策として久しく用いられ続けてきたのも驚くには当たらない。だが残念ながら、こうしたタイプのキャンペーンには予期されたほどHIV/AIDSエピデミック波及を押し止める効果が無いことが既に証明されている (Bertrand et al. 2006, Napierala Mavedzenge et al. 2010)。

これら実証成果を目の当たりにすれば当然、「では自衛の方法を知悉し、HIV/AIDSの深刻な帰結が周知されているのなら、なぜリスキーな性行動を継続する人達がいるのだろう?」 との疑問が浮かぼう。これに対しては、感染の大半はリスク忌避度が最も低い個人 – つまり性行動に関してはリスクテイクを厭わないような個人 – のあいだで生じているのに、現行の情報提供キャンペーンはこの人達を特に重点的にターゲットにしてこなかったのだ、という回答が考えられる。

HIV予防へのインセンティブとしての籤引

最近の論文で我々は、リスク愛好的であり、したがってHIV感染リスクが最も高いと推測される人達に特にアピールするようなHIV予防介入手法をデザインしている  (Björkman Nyqvist et al. 2016)。具体的には、籤引を利用し、レソト王国におけるHIV感染抑制をめざす金銭的インセンティブプログラムをデザインした – 籤の期待支払額は比較的小さいが、性感染症 (sexually transmitted infection: STI) テストで陰性の反応がでれば高額を得られる仕組みになっている。

他の面では通常の金銭的インセンティブプログラムと変わらないギャンブルの導入には、少なくとも2つの利点が有る。先ず第一に、籤により、同プログラムは金銭的リスクを厭わない個人に対しては相対的に強い魅力を持つ様になる。もし金銭的リスクテイクを厭わない性質がその他のリスキーな行動、例えば喫煙・薬物・リスキーな性交渉などと相関しているのならば、籤のインセンティブによりHIV感染のリスクが高い人達をもっと上手にターゲットにできるはずである。

第二に、心理学や行動経済学の領域で、人間は小さいパーセンテージを過大評価しがちであり、したがって保証された小さな報酬よりも、大きな報酬につながるかもしれない小さなチャンスのほうを選好する傾向が有る旨を示す実証成果がますます確認されている事が挙げられる (Kahneman and Tversky 1979, Kahneman 2011, Barberis 2013)。仮にそれが正しいのなら、ギャンブル (籤引) 参加において認識される利益は、確実性をもって一定の期待利益を与えるインセンティブプログラムからの利益よりも高くなり、また同じ理屈で、籤を活用すれば予算を一定にしたままでも、従来型の条件付現金給付 (conditional cash transfer: CCT) と比べてより強い行動変化へのインセンティブを設定することも可能となるかもしれない。

本研究は無作為化平行グループ間試験 [parallel group randomised trial] に基づいて行われた。そこでは次の3つの個別グループを設定している: 対照グループ (N= 1208) および2組の処置グループ (低額籤引グループの859人、および高額籤引グループの962人) である。無作為選出で低額籤引グループに割り当てられた参加者は4ヶ月毎に500ロチ/南アフリカランド [500 malotis/South African rands]、およそ$50の価値に相当する賞の籤引に挑戦する資格が与えられる。高額グループの個人にはその2倍に当たる額の賞を勝ち取る資格が与えられた。

処置グループの個人は、籤引の前の週に受けたテストで2つの治療可能なSTI (梅毒 [syphilis] および膣トリコモナス症 [trichomoniasis]) に陰性の結果がでたならば、籤を1枚与えられる。村落レベルでの籤引が4ヶ月毎に開催され、各村落で籤引当選者が4名づつ選出される。

処置グループ中の個人で前述した2つのSTIの何れかに陽性のテスト結果が出た者は籤を貰えない。しかしこうした個人も引き続き研究参加者に留まることができるので、無料で提供される治療を受けてその後もSTI陰性を維持していた場合には、その後開催される籤引の資格を得られる。対照グループへと無作為に割り当てられた参加者には籤を貰う資格が与えられないが、その他の点では研究の手順に対照グループと処置グループとで違いは無い。STI陽性のテスト結果が出た全ての者に (グループを問わず) カウンセリングと無料のSTI治療を提供、HIV陽性のテスト結果が出た個人はAIDS治療を行っている公的診療所に紹介し、適切なフォローアップを図った。

全体的に言って、籤引インセンティブはHIV症例、すなわちベースライン時点でHIV陰性であった参加者の間のHIV新規感染率抑制に相当な影響をみせた。2年のトライアル期間を通して、HIV新規感染率は2.5%ポイント、換言すれば21.4%低減された。こうしてトライアル終了時には処置グループプールのHIV感染者数 [HIV prevalence] は対照グループと比べて3.4%ポイント低いものとなった。我々の知る限り、性行動の変化に着目したHIV予防介入 (治療介入に対する) であって、HIV新規感染件数の著しい削減 – あらゆるHIV予防介入の究極目標 – に繋がることが実証されたのはこれが初めてである。

リスク愛好者は籤引を好んでいるのか?

我々はさらに進んで、リスキーなギャンブルに対する価値認識に基づき、リスクに対する選好を有する個人のほうがリスク忌避的個人よりも、行動変化を条件とする高額ではあるが不確実なリターンが見込まれる介入スキームに反応する傾向が強いのか、この点を調べた。参加者のリスク選好は、ベースラインアンケートでのリスク忌避に関する仮定的設問を通して計測した – 62%の参加者は籤引参加ではなく、籤の期待値に満たなくとも固定額のほうを選好すると報告しており (したがってリスク忌避的)、残る38%がリスク愛好的となる。ベースライン時点で、リスク忌避的個人とリスク愛好的個人の人口統計学的・社会経済的特性は類似していたが、リスク愛好的参加者が安全対策をした性行為を実行している旨を報告する傾向は相対的に低く、HIVやSTI陽性の傾向は相対的に高かった。

では、リスク愛好的個人は籤引プログラムに対しリスク忌避的個人と異なる反応を見せたのだろうか? 本研究結果によれば、実際に反応は異なっていたようだ。HIV新規感染件数はリスク愛好的個人のほうが対照グループにおけるリスク忌避的個人よりも12.3%ポイント高かった。しかしながら、リスク愛好者の間のHIV新規感染件数は処置グループのほうが12.2%ポイント、対照グループのリスク忌避的個人と比べて低かった – このサブグループにおける効果量は58%となる。リスク忌避的参加者に対する処置効果は然したるものでなく、点推定で0近傍、したがって対照グループとの比較において介入プールで観察されたHIV新規感染件数の減少がリスク選好的個人の行動変化のみによって生じた可能性は消去できない。

籤引インセンティブの実用的利点

本発見は、相対的にHIV感染リスクが高いグループをターゲットする際に籤引が活用できる可能性を示唆する実証成果をもたらした。最もリスクが高い層の個人をターゲットできるばかりでなく、籤引の活用には、以上の様なプログラムの規模拡大を検討する場合重要となってくる幾つかの実用的利点も有る。第一に、籤引プログラムの運用費は従来型CCTプログラムよりも低く抑えられると見込まれる。何故なら当たり籤を引いた者にのみ支払をすればよいからである。第二に、実験参加者の一部のみをテストすればよい様な籤引システムも考えられるが、その場合、トータルで掛かる費用に相当な割合を占める検査費用の削減も望み得る。レソト王国における実験のリサーチ計画書ではプロジェクト参加者全てに検査を提供することが要件となっていたが、行動変化へのインセンティブは、一定の条件下では、籤引当選者のみが検査を受ける、或いはSTIスクリーニングも籤の結果に依存させる様にしても、変わらず保たれるだろう。最後に重要な点だが、今回の実験で調べた籤引インセンティブの影響はあくまで特定アウトカム関するものだったが、本調査結果は、他のタイプのプログラムや分野でも、よりリスクの低い行動に対する需要の強化をねらって籤引が上手く活用できないか、この点を探求する調査研究に道を開くものとなっている。

参考文献

Barberis, N C (2013) “Thirty years of prospect theory in economics: A review and assessment”, Journal of Economic Perspectives, 27(1): 173–196.

Bertrand J R, K O’Reilly, J Denison, R Anhang, M Sweat (2006) “Systematic review of the effectiveness of mass communication programs to change HIV/AIDS-related behaviours in developing countries”, Health Education and Research, 21: 567–597.

Björkman Nyqvist, M, L Corno, D de Walque and J Svensson (2016) “Incentivizing safer sexual behaviour: Evidence from a randomized controlled trial on HIV prevention”, CEPR Discussion Paper No. 11542.

Kahneman, D (2011) Thinking, fast and slow, New York: Farrar, Straus, and Giroux.

Kahneman, D and A Tversky (1979) “Prospect theory: An analysis of decision under risk”, Econometrica, 47(2): 63–91.

Napierala Mavedzenge, S, A Doyle, D Ross (2010) “HIV prevention in young people in sub-Saharan Africa: A systematic view”, February (accessed November 9, 2010).

UNAIDS (2016) “Fact Sheet 2016”, www.unaids.org, Geneva, Switzerland.

 

ピエール・カユック, オリヴィエ・シャルロ, フランク・マレルブ, エレーヌ・バンガルム, エムリーヌ・リモン 『臨時雇用への課税: 善き意図されど思わしからぬ結果』 (2017年1月5日)

Pierre Cahuc, Olivier Charlot, Franck Malherbet, Hélène Benghalem, Emeline Limon, “Taxation of temporary jobs Good intentions but bad outcomes“, (VOX, 05 January 2017)


 

フランスやスペインを初めとする様々な国で労働力の相当部分を担っている臨時雇用契約だが、これは高い離職率・雇用不安定性にも繋がりかねない。本稿では、雇用者に雇用継続期間の引き延ばしを促す目的で臨時雇用契約への租税賦課を試みる政府諸政策の影響を診断する。こうした政策からは、平均雇用継続期間の減少・雇用創出の低下という形で労働市場に負の影響が生ずる。在職期間の短い時期に生じた離職に係る契約終了費用を無しにしたオープンエンド契約の導入のほうが効率的である可能性がある。

短期的な臨時雇用の広まりは、厳格な雇用保護法制を敷く諸国、別けてもフランス・イタリア・ポルトガル・スペインなどの国々で重要な問題となっている。これら諸国では、オープンエンド契約が通常の雇用契約形態となっているが、これに定まった就労期間は無い。しかしオープンエンド契約への違反は雇用者にとって高くつき、複雑な手続きを履行したうえで解雇補償金 [severance payments] を提供しなければならなくなっている。他方、雇用の期待継続期間が短い場合、雇用者は契約終了日 [termination date] の定めを置く臨時雇用契約を結ぶことも許される。

ところが、法的規範により雇用者は労働者に対し臨時雇用契約の契約終了日まで対償を支払うことが要求されているとはいえ、契約終了日の解雇費用に関してはお役所的な規定が全く存在しないのが実情である。そこで臨時雇用契約の規制を通し、雇用の安定と、期待継続期間の短い雇用に就いている労働者が直面する不確実性の削減が目指されている。しかしながら、こうした規制が成功しているかには疑問がある – 臨時雇用契約はフランス・イタリア・ポルトガル・スペインにおける雇用の流れの大半を担っているからだ。その背景には雇用者によるオープンエンド契約の回避が在る。こうした臨時雇用契約の大半は継続期間が非常に短い。例えば図1に示す様に、フランスでは臨時雇用契約のほぼ50%が一ヶ月に満たない長さとなっている。

図1. 臨時雇用流入に係る臨時雇用契約継続期間の累積密度 (2010-2012期、フランス)

こうした状況に鑑み、雇用者に対し、臨時的契約に代えて、在職期間の短い時期に生じた離職に係る解雇費用の無い (ないし微小な) オープンエンド契約締結を許すことにより離職率の低減や雇用の育成が望めるのではないかとの議論が展開されてきた (Bentolila et al. 2010, OECD 2014, Dolado et al. 2015)。しかしこうしたタイプの構造改革は着手が難しく、幾つかのヨーロッパ諸国は雇用者に雇用期間の引き延ばしを促す目的で臨時的契約への課税を敢行している。継続期間の短い臨時的契約はフランスでは2013年以降、ポルトガルでは2014年以降、スペインでは2009年以降、特に重点的なターゲットとなり、イタリアに至っては2012年以降全ての臨時的契約が課税対象となった1。些事に留まらぬ影響を及ぼしているのにもかかわらず、管見の及ぶ限りこの様な政策の顛末については殆ど何も知られていない。

我々の研究では、Cahuc et al. (2016a) を手掛かりにしたシンプルなモデルにより、臨時的契約への課税が常に離職率の低減に繋がる訳ではない旨を示した (Cahuc et al. 2016b)。継続期間の短い契約に対する課税が、租税回避に役立つならばと、雇用者をして長い契約による短い契約の代替、また臨時的契約のオープンエンド契約への変更へと促すことは当然考えられる。臨時的契約がオープンエンド契約に変更された場合に税の還付があるのならば、この効果はさらに増強される。雇用不安定性の軽減にしても、継続期間の短い臨時的契約に対する租税の相対的な高さが、継続期間の長い臨時的契約およびオープンエンド契約に対する租税の相対的な低さにより相殺されるのならば、さらに強まるかもしれない。しかしながら、租税の引き上げには臨時的契約の継続期間に対する不利な影響も存在する。例えば、1ヶ月未満の契約に対する租税の引き上げとの対応で、7日間の契約が1ヶ月の契約に変更されるとは考え難いが、反対に契約期間を7日から6日に減らすことが最適な判断になるケースは生じ得る。何故なら雇用者側には臨時的契約の利潤性が低下した場合にその継続期間を減らすべきインセンティブが有るからである。よって、臨時的契約に対する租税引き上げは必ずしも雇用不安定性の軽減に繋がるものでは無い。雇用安定性・雇用率・厚生に対する影響は租税制度の在り方と現実的文脈とに依存するのだ。

フランスのデータに基く本モデルの推定を通し、多様な租税制度が雇用期間・失業率・失業者厚生に及ぼす影響を見定めるシミュレーションが可能となった。なお今回分析した何れの制度でも、臨時的契約からの税収は全雇用に対する一括補助金 [lump-sum subsidy] として諸企業に払い戻されている。

結果、臨時的契約への課税が労働市場に負の影響を及ぼしていたことが判明した。第一に、同課税は雇用の平均継続期間を低減させていた。よって臨時的契約への課税はその主目的、すなわち離職率の低減を果たしていないことになる。第二に、同課税により雇用創出が減少、失業率が増加、失業者厚生が低下していた。これとは別の契約継続期間に依拠した租税計画により労働市場のパフォーマンスが限界的に向上される可能性は否定できない。しかし今回の検討を通し、臨時的契約を対象とした租税からは、各々の労働市場が持つ個別具体的特徴に依る複雑な影響が生ずることが明らかにされた。結局の所、同政策ツールは合理的な信頼性水準をもって労働市場パフォーマンス向上をめざすのに適したものではなさそうだ。

この様な見地に立ち、在職期間の短い時期に生じた離職に係る契約終了費用を無しとしたオープンエンド契約の導入の顛末も続けて分析した。こうしたタイプの構造改革に類似するものとしてはイタリア雇用法 [Italian Job Act] が挙げられるが、同法により在職期間に伴って保護が強化されるオープンエンド契約が導入されている2。我々はこのタイプの改革のほうが臨時雇用への課税よりも適当であることを明らかにした。同タイプの改革は継続期間の短い雇用の継続期間の増加、雇用率の上昇、失業者厚生の向上をもたらすようだ。ここから、租税と規制とが複雑に入り組んだ、継続期間の短い臨時雇用契約に負荷を課すような制度は、在職期間の短い時期に生じた離職に係る解雇費用を無しとしたオープンエンド契約から成るシンプルな規制と比べ、雇用にとっても失業者にとっても非効率的かつ好ましからぬ様が伺われる。

参考文献

Bentolila, S, T Boeri and P Cahuc (2010), “Ending the Scourge of Dual Labour Markets in Europe”, VoxEU.org, 12 July.

Cahuc, P, O Charlot, and F Malherbet (2016a), “Explaining the Spread of Temporary Jobs and its Impact on Labor Turnover”, International Economic Review, 57(2), 533-572.

Cahuc, P, O Charlot, F Malherbet, H Benghalem, and E Limon (2016b) “Taxation of Temporary Jobs: Good Intentions With Bad Outcomes?”, CEPR Discussion Paper 11628.

Dolado, J, E Lalé, and N Siassi (2015), “Moving towards a Single Labour Contract: Transition vs. Steady State”, CEPR Discussion Paper 11030.

OECD (2014), Employment Outlook 2014.

原註

[1] より精確には、フランスの税は1ヶ月に満たない臨時的契約に対する総賃金 [gross wages] の3%、1ヶ月から3ヶ月の臨時的契約に対する総賃金の1.5%にそれぞれ相当する。同税は臨時的契約がオープンエンド契約に変更された場合、還付される。ポルトガルでは15日未満の臨時的契約に関する雇用者側の社会負担率が4%引き上げられた。スペインでは1997年以降、臨時的契約対する失業保険負担が恒久的契約に対するものよりも高くなっている。2009年からは、継続期間2週間未満の臨時的契約に対する補完的雇用者社会負担 – 総賃金の36%に相当 – も導入されている。イタリアでは、臨時的契約一切を対象とし、総賃金の1.4%に相当する租税が、2012年施行の改革以来、失業者手当の資金調達に利用されている。同税は臨時契約がオープンエンド契約に変更された場合、還付される。但し、還付額は直近6ヶ月間に支払った同税額を上限とする。

[2] イタリアの当該法律183/2014により、新規雇用に関して在職期間に伴い保護が強化される新しいオープンエンド契約 (contratto a tutele crescenti) が導入された。

 

チャールズ・マンスキー 『ポスト-トゥルースワールドの政策分析』 (2016年12月24日)

Charles Manski,”Policy analysis in a post-truth world“, (VOX, 24 December 2016)


 

政策アウトカムや経済情勢をズバリ予測・推定した値を目にせぬ日は無い; 他方、不確実性の表明は稀である。合衆国における新たな政権の幕開けが間近に迫る現在、これまでの政府政策分析における信用ならぬ確定性 [certitude] もあれよあれよという間に小さな問題に思えてくるだろう – この先我々を待ち受けている事柄を傍らにしては。信用ならぬ確定性を提示する分析であっても、その予測や推定が正しい可能性はあるが、ポスト-トゥルースワールドにおける分析は、明らかに誤った予測と推定を生み出す。

対象とする経済政策変化が如何なるものであれほぼ例外なく、その分析には如何ともし難い不確実性が付き纏っている。アラン・オーエルバッハ [Alan Auerbach] はこう言った: 「多くの場合不確実性はあまりに大きく、同じ人物が、実際に報告した推定値の二倍や半分にあたる数値を大真面目に報告していた可能性もあるほどだ」(Auerbach 1996)。真におっしゃる通り。過去5年に亘り、私は信用ならぬ確定性を提示する経済政策分析の横行を繰り返し批判してきた (Manski 2011a, 2011b, 2013, 2014 2015を参照)。別けても合衆国における政府公式の慣行には具体的な論評を加えている。政策アウトカムや経済情勢をズバリ示した予測値・推定値を目にせぬ日は無いが、不確実性の表明は稀である。ところが、裏付けの無い想定や限定的なデータに依拠した、危うい予測値や推定値もしばしば散見されるのである。したがって、どんぴしゃりの予測や推定を試みていても、そうした確定性に信憑性は無いのだ。

現在合衆国は新たな政権の幕開けを迎えようとしている。その政権を牽引する新たな大統領はというと、どうも事実と虚構を区別する能力ないし意思を欠いているようだ。政府の政策分析にこれまで見られてきた信用ならぬ確定性も、この先我々の前に待ち受ける事柄と比べては、あれよあれよという間に小さな問題と化してしまいそうなことが憂いでならない。信用ならぬ確定性の分析であっても、その予測や推定が正しい可能性はあるが、ポストトゥルースワールドにおける分析は、明らかに誤った予測と推定を生み出すのである。

私の懸念を理解して頂く為、先ず現在の慣行に対する私の批判の一部をここで再論しよう。政策アウトカム予測値に検討を加える中で、審議中の法案が孕む連邦債務への含意に関し、議会予算局 [Congressional Budget Office (CBO)] が提出する影響力の有る予測値、所謂『スコア [scores]』に対し注意喚起をしてきた。CBO職員は全身全霊職務に励む公務員であって、連邦法の複雑な変化から来る予算影響を予見することの難しさは十分承知している。ところが合衆国議会はその様なCBOに対し、10年先までの点予測を、不確実性の数値を付さずに立てるよう要請してきたのだった。

経済情勢に係る推定値の検討でも、合衆国経済分析局・労働統計局・国勢局調査局等々の主要連邦統計機関が公表する公式経済統計値の信用ならぬ確定性を確認してきた。こうした機関はGDP成長率・失業率・家計所得などの点推定値を、誤差測定値を併記せずに報告している。機関職員は公式統計値も標本誤差や非標本誤差 [sampling and non-sampling errors] からの悪影響を免れていないことを知悉している。それにもかかわらず、公式統計値の報告に際して、標本誤差測定は時たま、非標本誤差の数量化に至っては全く行わないのが予てからの慣行なのである。

信用ならぬ確定性がこのように常態化した原因の解明に向けた取り組みの過程で、分析者はインセンティブに反応しているのではないかと推理するのが自然だと一経済学者である私は考える様になった。政策画定者や世間の人々の多くが不確実性と向き合うことに抵抗しているので、分析者にも確定性を報告するインセンティブが有る訳である。巷には合衆国大統領リンドン・B.・ジョンソンに自らの予想の不確実性を委細説明しようとした或る経済学者の話が流布している。その経済学者は検討中の数量についてそれが取りそうな値の範囲 [a likely range of values] という形で予測を報告したらしい。それに対するジョンソンの返答は次の様なものだったそうだ: 「牧場 [Ranges] は牛のものだ。数値は1つ、よこしたまえ」

値が取り得る範囲など聞かされたくなかったジョンソン大統領にしても、その経済学者が信憑性ありと考える範囲内にある或る1つの数値、つまり範囲の中心値ならば恐らく聞きたがったと考えて間違いはあるまい。その経済学者もきっとジョンソンの要請をこんな風に解釈し、それに応じたものと予想する。同様に、政府でCBOスコアを弾き出している経済学者たちも一般に、こうしたスコアを以て問題の数量に関する自分達の考えの中心傾向 [central tendency] を表わしているつもりなのだろうと、安心して推理できる。推理を裏付ける経験的証拠は 『予想専門家調査 (Survey of Professional Forecasters)』 で確認できる。これは予想専門家パネルメンバーのGDP成長率およびインフレ率の点推定および確率的予測を開陳したものだが、同データを分析すると、点推定予測値が確率的予測値の平均値ないしメディアン値付近にあるのが通例となっていることが明らかになる。

この先の事を思うと、来るトランプ政権における政策分析実務には不安を抱かざるを得ない。この次期大統領と現実とを繋ぐ関係の希釈性について論じたものは既に相当な数に昇るので、そうした現象の実例をここで私が新たにお見せするには及ぶまい。それに代えて、ルース・マルクス [Ruth Marcus] の明晰かつ恐るべき文章を引用したいと思う。彼女が最近ワシントンポストの定期コラムに執筆した文章は次の様に始まる (Marcus 2016):

 「ではお迎えしましょう – 覚悟を決めて – ポストトゥルース大統領時代です。『事実とは如何ともし難いもの』 とは1770年のジョン・アダムスの言葉。ボストン虐殺事件で訴追された英国兵士を弁護してのことです。『故に、我々の願望が何を求めようと、我々の心証が何処に靡こうと、我々の情熱が何を命じようと、事実と証拠の有り様を改めるには能わぬ』。或いは、私達はそう考えていたのでした – 事実など歯牙にもかけず、確認された事実を突きつけてもものともしない或る男を大統領に選出するまでは」

続いてマルクスは、事実を尊重すべきインセンティブがトランプには無いと論ずる。彼女の言葉を引こう:

「ポストトゥルース時代の慣行 – 事実無根の主張に積み重なる事実無根の主張 – がドナルド・トランプにホワイトハウスへの道を切り開いたのです。トランプが事実無根の放言を重ねるほど、よくぞ臆せずありのままの真実 –  と、彼らが見る所のもの – を告げてくれたと、支援者はその数を増してゆきました」

新政権の政策分析に対する見解が如何なるものになるかついて、2つの点が危惧される。第一に、公式経済統計の公表を可能にしている定期的データ収集だが、これに充てられている資金が新政権において大幅にカットされるのではないかという点。もう1つは、連邦機関の職員を務める分析者、政治的中立性・誠実性に関して高い評価を得ている彼らに対し、発見事項をともかく大統領の見解に合わせて味付けせよとの圧力が掛かって来るのではないか、という点である。首尾一貫とした政策討議は、党利党略的統治環境のためにもう既に困難になっているのだが、基礎的事実さえも炎と金槌とでどうにでも打ち直せるものとホワイトハウスが見做すに至れば、もはや不可能となろう。

潜在的被害の軽減をめざす1つの建設的な道筋としては、連邦政府の外部に十全の情報に基づく実直な政策アウトカム予測値・経済情勢推定値の提供を行い得る研究センターないし統計機関を設立するというのが在るだろう。恐らく連邦準備理事会や合衆国議会はその為に必要となるものの一部を提供できるはずだが、諸般の非政府組織もその一部を担わねばならなくなると予想する。目下合衆国は必要な制度機構を欠いている。英国の 『財政問題研究会 [Institute for Fiscal Studies]』 などが適当な模範となるだろう。

十全の情報に基づく実直な政策分析の提供をどの様に画策するにせよ、不確実性を直視してこそ我々の生きる社会はいっそう優れたものになると、私は今なお信じている。紛糾を極めた政策討議の多くは、自ら確知せざる事柄を虚心に受け止めようとしない我々の態度がその一端だった。既に真実を知悉している、或いは真実など幾らでも操作し得るかの如く振舞うよりも、我々には学ぶべき事柄が依然として数多く存在するのだと認めてこそ、より良い状況が望み得よう。

参考文献

Auerbach, A (1996), “Dynamic Revenue Estimation”, Journal of Economic Perspectives 10: 141-157.

Engelberg, J, C Manski, and J Williams (2009), “Comparing the Point Predictions and Subjective Probability Distributions of Professional Forecasters”, Journal of Business and Economic Statistics 27: 30-41.

Manski, C (2011a), “Policy Analysis with Incredible Certitude”, The Economic Journal 121: F261-F289.

Manski, C (2011b), “Should official forecasts express uncertainty? The case of the CBO”, 22 November.

Manski, C (2013), Public Policy in an Uncertain World: Analysis and Decisions, Cambridge: Harvard University Press.

Manski, C (2014), “Facing up to uncertainty in official economic statistics”, VoxEU.org, 21 May.

Manski, C (2015), “Communicating Uncertainty in Official Economic Statistics: An Appraisal Fifty Years after Morgenstern”, Journal of Economic Literature 53: 631-653.

Marcus, R (2016), “Welcome to the Post-Truth Presidency,” Washington Post, 2 December.

 

チャールズ・カロミリス, マルク・フランドロウ, ルーク・ラーヴェ 『最後の貸し手の政治的基礎』 (2016年9月19日)

Charles Calomiris, Marc Flandreau, Luc Laeven,”Political foundations of the lender of last resort“, (VOX, 19 September 2016)


 

グローバル危機は諸般の中央銀行による 『最後の貸し手』 政策がどこまで許されるべきかをめぐって様々な懸念を引き起こした。本稿ではこれら政策が世界中でどのような発展を辿ってきたか、その歴史を繙いてゆく。最後の貸し手もまた政治権力の座の一つであり、そうした存在として、その創設は政治交渉の結果と見做されるべきものである。したがってこうした政策の採用傾向、並んでそこに付与する権限の取捨選択に関し、各国に差が在ったのも驚くには当たらない。

昨今のグローバル危機は、主要中央銀行をして前代未聞の規模での最後の貸し手 (LOLR) オペレーション採用に踏み切らせ、LOLR政策の射程と制約をめぐる議論を巻き起こした (グローバル危機に見られたこの種のオペレーションの俯瞰図としてはBindseil 2014を参照)。例えば、連邦準備制度・欧州中央銀行・イングランド銀行はそれぞれ諸銀行の支援にあたり、諸銀行のポジションを支え、流動性供給を拡大し、預金引出リスクを軽減すべく策定した種々の特別融資・資産買入を行っている。

だが、中央銀行がグローバル危機に際して行った諸銀行へのLOLR支援水準は一様でなく、またこうした支援の構造にしても各国で相異なっていた。興味深いのは、この種の違いがどの時代にも決して珍しいものではなかった点だ (LOLR機能の歴史的展開を早くに論じたものとしてはBordo 1990を参照; LOLR機能を現代的視点から診断したものとしてはBignon et al. 2012)。一つそうした違いの例を挙げると、西ヨーロッパではLOLRとしての活動権限を付与された中央銀行は19世紀までにはごくありふれたものとなっていたのだが、合衆国の中央銀行創設は1913年、カナダでは1935年、オーストラリアでは1959年になって初めて為されたのである。最後の頼りとしての融資のテクニカルな側面も国毎に異なり、その地の情勢や制度から色濃い影響を受けていた。所謂ヘアカットも含み、LOLR貸付の担保ルールは制度や時代の違いによりその姿を極めて顕著に変化させてきた。緊急融資を受ける資格が銀行のみに認められたケースもあれば、影響力を持った英国の例のように、ノンバンクにまで融資が拡大されたケースもあったのである。駄目押しとなるが、LOLR支援が貸付、ないし中央銀行のオペレーションに限定されないケースすらしばしばあった。信用保証・優先株・普通株投資を通した政府支援は、金融システムへの殊更深刻なショックに対応する流れでのLOLR支援に早くは19世紀後半にも観察されている。

最後の貸し手の歴史

我々は最近の論文 (Calomiris et al. 2016) では、LOLRが世界中でどの様な発展を辿ってきたか、その歴史を精査しつつ、政治と経済の相互作用がどの様にして世界中のLOLR構造および活動の多様な進化を生み出すに至ったのか、その経緯を探った。この種の差異は単に、LOLRが反応する経済ファンダメンタルズの違いを反映しているだけなのか、それとも中央銀行のオペレーション枠組みや政府支援を良しとする政治的支援状況の違いをも反映するものなのか?

我々はLOLRを定義し、短期債権請求の殺到を止めるのに必要な流動性ないし財務的健全性の供給を目的とする緊急貸付・保証・(優先株・普通株買入を含む) 資産買入の形を取った、中央銀行ないし政府による金融仲介機関への支援、とした。これら活動のおかげで、金融仲介機関は決済システムを介した取引サービスの供給、および資本市場へのアクセスを持たない借り手に対する信用供与を引き続き継続することが出来る。

我々の歴史的説明が示すのは、最後の貸し手の構造ならびに機能の差異はLOLR創設ならびに効果的なLOLR政策の採用に対する主要な政治障壁を反映したものであって、経済的差異のみでは説明し得ないことである。19世紀初頭の英国はまさにこうしたケースだが、当時イングランド銀行に種々の権限と責任を付与した制度改正は、相次ぐ銀行危機を経ると、侃々諤々、甲論乙駁といった議論の標的となった。続いて合衆国に目を向けると、LOLRの発展は政治的対立の結果先延ばしにされ、1913年に連邦準備制度が創設された時も、その構造および権限は制限立法により雁字搦めにされていた。連邦準備制度Fedの権限はメンバー銀行との、特定資産クラスを担保とする再割引・貸出に狭く限定されていたのである。これと対照的に、イングランド銀行では裁量の余地が広く認められていた。

カナダ・オーストラリアの経験も中央銀行設立過程の辿った独特の顛末をよく描き出しているが、そこには両国独自の政治史が反映されている。カナダにおける古典的自由主義的政治環境にあっては中央銀行も1935年になるまで忌避され続けていたし、1935年のカナダ銀行設立にしてもその背景にあったのは金融目標であって、LOLRの不備に起因する何らかの脆弱性の認識ではなかった。オーストラリアで一通りの権限を付与された中央銀行が創設されるのは1959年を待たねばならない。金と信用に関わる権限の適切な配分をめぐって長引いていた政局の鍔迫り合いが終に終局点に達した年だった。こちらはもっと最近の話になるが、ユーロ圏内部の政治権力配分を反映した諸般の制約が、同じくユーロ圏内部の銀行危機への対処にあたってECBが取り得るLOLR活動を画定・制限するさい重要な役割を果たした事は記憶に新しい。

LOLRもまた政治権力の座の一つであり、そうした存在として、その創設は政治交渉の結果と見做されるべきものである (Calomiris and Haber 2014)。したがってLOLR創設の傾向、並んでそれに付与する権限の取捨選択に関し、各国で差が在ったのも驚くには当たらない。LOLRはそもそも、担保付きでの融資を行うことで、さもなければ恐慌のあいだ自らの資金需要を工面できないような銀行に対し信用供与を行う権限と責務を持った存在として出発したのだった。しかしLOLRの法的権限は時代とともに様々な形で変貌を遂げる。

 

我々はこうした変化を、19世紀後半から20世紀後半に掛けて金融危機に対処すべく中央銀行や政府が採ったアプローチを時代を辿って追跡した。結果、諸般のLOLRの権限範囲に、担保付融資の一本槍から離れ、それ以外にも信用保証・優先株支援・その他メカニズムといった形式での支援も取り入れるアプローチに向かうシフトが確認された。このシフトの一部は、システミックな銀行危機に備えLOLR活動をより広範な介入手法を含むものに拡大する必要が関係したものであると我々は考えている。

LOLRのメカニズムおよび権限範囲は様々な政策ツールを取り入れを進め、これが情勢変化への対応に利用されてきたのだが、1980年代になるまでは、システミック危機を処理するにあたっては政策作成を以て対応しつつ、銀行債務全てを対象とした全面的保護政策についてはこれを避けるといった国が大半だった。LOLR支援が担保付融資以外にも様々なアプローチを取り込みながら進化してきたのは確かだとはいえ、歴史的に見れば支援は専らシステミック危機の処理に限定されていたし、支援供給が為される際にも、我々が 『バジョットの原則』 の名で呼ぶルールが遵守されていた。バジョットの原則はBagehot’s (1873) の論文に由来する: そこで中央銀行は、個別銀行の命運ではなく金融システムの健全性に専心することを推奨されたのだった。金融機関の破綻は、それが抜き差しならぬシステミックリスクと結び付いているのでなければ、許容されたのである。幾つかのシステミック危機事例のさなかには、LOLRも銀行システムの支援という自らの職務に不可欠な一要素として、一定のデフォルトリスクを引き受けることを厭わなかったが、それも飽くまで限られた範囲での話だった – こうした支援から生ずるリスクの大部分は、銀行全体が一体となって負担しなければならなかったのである。諸銀行がリスクシェアリングに関与することで、支援は自ずと選択的になるだろうという趨勢が固まった。

歴史的なLOLRは何か明示的なルールに従うものではなかったが、一般的に言ってその構造はバジョットの原則に忠実なものだったので、支援は財政やモラルハザードの点での負の帰結を最小限に抑えていた。英国やフランスを含む多くの国でのLOLRオペレーション構造は、財政への深刻な影響の予防を明示的に意図したものだったのである。効率的に介入にはLOLRによるリスクテイキングが必然的に伴うが、こうした介入は – 少なくとも事後的に、キャッシュフロー基準で計測する限りは – 結局吉と出て利益を生むのが通例だった、というのも支援は高い対価のもと、しかも飽くまで限られたリスクの下で提供され、流動性供給における中央銀行の独占的地位を存分に利用するものだったからだ。

第二次世界大戦後、とりわけ1970年代になると、寛大なセーフティネット保護制は常態と化し、さらには無制限の預金保護が (少なくとも事後的に) 提供される場合さえあった。無制限保護により預金者の損失リスクは根絶され、一定規模以上の銀行は全て、それが真のシステミックリスクを引き起こす恐れが有るか否かを問わず、破綻を免れることになる。一般的にこの種の保護政策は、預金保険と、納税者からの税収を使った政府によるアドホックな銀行救済 [bail-outs] の組合せを通して実現される。リスキーな銀行を預金引出という懲らしめから保護するやり方は銀行の信用の流れを円滑に保つ。これは選挙を控えた政治家にとっては格別の便益となりうるが、こうした類の保護政策には、リスクテイキングの増加、保護下にある銀行の長期的金融損失のために生ずる財政への巨大な潜在的影響、延いては保護が唆す金融危機による産出量損失、といった形での社会費用も付き纏う。

国家間比較

我々は40ヶ国に亘って1960年時の中央銀行融資に関する法律規定を詳細に比較検討し、その内12ヶ国については1960年から2010年までにLOLR立法が辿った遍歴の追跡も行った。中央銀行の持つLOLR権限の違いを幾つかの側面から計測し、こうした差異の説明として考え得る物は何か考察した。結果、LOLR法制に基づく権限範囲に各国で大きな差異が或ることが確認された。こうした権限は、恐慌への対応を除くと、継時的に見ても然したる変遷を辿っていない。1960年の時点でLOLRが相対的に多くの権限を備えていた国では – とりわけLOLRに債務保証の発行を許可していた国で著しいのだが – 1980年の時点で預金保証範囲の寛大さが相対的に低くなっていた。以上の発見はLOLR活動と預金者保護との間に何らかの代替性の存在を覗わせる。

本歴史分析が明らかにするのは、一般的に言って、LOLRの提供し得る支援タイプの決定に係る政府の手で確立された明確なルール、および支援提供形態を決定するプロセスが久しく欠乏してきたことである。現実には中央銀行および政府による支援は、事が起きてからのアドホックな対応を通して供給されてきた。

ルールが重要なのはそれが市場参加者のインセンティブに影響を与えることでモラルハザードを抑制しうる所からも明らかだ。支援は一定の状況に限って、それも事前に確立されたルールに即して供給されることになると銀行が知悉していれば、その事実は銀行がリスクを管理し、保護の無いリスクから自らを保護するために流動性と自己資本を維持するインセンティブを作り出す。加えて、市場参加者が政府や中央銀行側にシステミックリスクに対処する為のLOLR支援供給を行うコミットメントが有ると認識しているのならば、この支援の期待が市場参加者側の様々な期待に働きかけ、金融システムの安定化に資することも在り得る。

結語

最後に、LOLR機能は深刻なシステミックショックに柔軟かつ時宜を得た形で対応する必要と、支援の限界を画定する事前に確立されたルールを通してモラルハザードを軽減したいという欲求との間でバランスを取るべき旨を述べ、本稿を結びたい。しかしながら、適切なバランスの達成失敗がLOLR設計におけるリアリティの核心を反映していることもまた認めざるを得ない。つまり、LOLRは政治交渉の産物なのである。

原註: 本稿で示された見解は執筆者自身のものであり、これをECBの見解を反映するものと解してはならない。

参考文献

Bagehot, W. [1873] (1962), Lombard Street: A Description of the Money Market, Homewood, IL: Richard D. Irwin.

Bindseil, U. (2014), Monetary Policy Operations and the Financial System, Oxford: Oxford University Press.

Bignon, V., M. Flandreau, and S. Ugolini (2012), “Bagehot for Beginners: The Making of Lender-of-Last-Resort Operations in the Mid-Nineteenth Century.” The Economic History Review, 65, pp. 580–608.

Bordo, M. D., (1990), “The Lender of Last Resort: Alternative Views and Historical Experience,” Economic Review, Federal Reserve Bank of Richmond, January/February, pp. 18-29.

Calomiris, C. W., M. Flandreau, and L. Laeven (2016), “Political Foundations of the Lender of Last Resort: A Global Historical Narrative,” CEPR Discussion Paper No 11448.

Calomiris, C. W., and S. H. Haber (2014), Fragile By Design: The Political Origins of Banking Crises and Scarce Credit, Princeton: Princeton University Press.