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ジョナサン・ハイト「クルーグマンは間違ってないかな? 私たちは保守ではないし、キレてないですよ」(2016年2月24日)

Krugman is wrong? We are neither conservative nor outraged by Jonathan Haidt | Feb 24, 2016 |

※訳注:本エントリは、アメリカの経済学者であるポール・クルーグマンが、リベラル派とされている新聞ニューヨーク・タイムズの2016年1月4日付けで寄稿したコラムへの、ジョナサン・ハイトの反論である。
経済学者のノア・スミスを通じてハイトらの『ヘテロドクスアカデミー』の活動を知ったクルーグマンは、「ハイトらの活動は、アメリカ市民の間で保守政党である共和党の支持が上昇している現象を、アカデミアへ反映させようとしている保守反動運動であり、アカデミアに左派が多い事実への怒りの反応である」とハイトらを揶揄・批判している。
『ヘテロドクスアカデミー』とは、本エントリの著者である心理学者ジョナサン・ハイトらが主催し、大学の多様性を目指す組織である。2007年3月段階で、主催者のハイト自身による展望と目標等を記した記事の翻訳は本サイトのココで読むことが可能。

【付記】以下の投稿は2016年の2月に書かれたものです。しかし、2017年の1月の時点で、私たちのヘテロドクスアカデミーの政治的な多様性に変化がありましたのでこの付記を冒頭に加えます。
ヘテロドクスアカデミーはどの教授たちに対しても門戸を開いていたので、会員数は363名に達し、政治的なカテゴリー配置もとても良くなりました。おそらく私たちは今現在、とても政治的なバランスが取れており、大学群の中で多様性を持つ組織と言えるでしょう。以下はヘテロドクスアカデミー会員の申し込み時における分類表です。
ハイト構成員2
【本文:以下は2016年の2月24日に書かれた最初の投稿です】
「保守派は大学でのリベラル派1 の切れ味鋭い運動を見て怒り狂った」とポール・クルーグマンはヘテロドクスアカデミーに最近反応しました。これに、私は2つの理由で愉快に感じました。

1つ目に、私たちは怒っているのではなく、心配しているのです。そこには大きな違いがあります。感情は理性を歪ませてしまいます。それが故に、怒りの感情は、学問的良識において常にふさわしくありません。(ちなみに、読者を常に怒りの状態に囃し立てるような書き方をする学者には注意すべきでしょうね。)
クルーグマンが反応した、このページの論調2 は、ヘテロドクスアカデミーのどのページとも同じように、冷静かつ計算されたものとなっています。私たちは大学で多様な見解を失うことを心配しているのです。なぜなら、多様な見解を失うことは「[大学における]制度化された批判思想」を失うことを意味する事に他なりません。さらに政治的にオーソドックスな訓練によって産み出された研究の質が失われてしまうことも心配しています。つまり、私たちは大学内で[多様性の確保等]の状況を改善するために活動しているのです。

2つ目に、私たちは保守派ではなく、多様派なのです。少なくとも私たち自身はそう思っていますが、実際には確認していませんでした。ある内部会合で、私たち自身が何であるのかを簡単に定義できない気付きました。会員数はその時点で27名に達していたので、私たちの定義を探すのに良い機会だと考えました。簡単な匿名形式のWEBアンケートを作り、全ての会員に配布し25名の回答を得ましたので、以下に示します。

質問:「大統領選と下院選のときに、あなたはどちらの政党に普段は投票しますか?」
下記の図に示されている通り、私たちは二つの政党に分かれました。9名(36%)だけが、いつも共和党に投票しています。
典型的投票先

質問:「どのイデオロギーがあなたの総体的な政治的認識や自画像に近いですか?」
下記の図に示されている通り、私たちのなかでは「中道派ないし穏健派」(36%)が最も多く、次いで「リバタリアンないし古典的自由主義者」(32%)となりました。さらに私たちの中で3人(12%)が「進歩派ないし左派」と自称しています。5人(20%)だけが「保守派ないし右派」と自身を位置づけています。つまり、どのような視点から考慮しても、保守派は5分の1以上もおらず、「怒れる保守派」と位置づけることは困難でしょう。
政治的アイデンティティ

メンバーに社会問題について尋ねた時には、非常に左寄りの傾向が示されました。5人(20%)だけが右寄りな回答に留まっています。
社会問題

メンバーに経済問題について尋ねた時には、グラフは反転しました。4人(16%)だけが左寄りな回答を示しました3
経済問題

結論として、ヘテロドクスアカデミーはとてもヘテロドクス(異端)です。社会科学や人文科学や法学の組織で、私たちのような多様な視点を持っている組織はどのくらいあるのでしょうか?
続けると、複雑で政治的でもある公的な思想や信条に関して、注意深く考えている人はだれでしょうかね? 典型的な学問組織? それとも私たち? 私たちを選びましょうね。もしそうで無いのなら、それこそキレちゃいますよ。

※訳注:訳者による補足、註釈の文面は基本的に[]で囲っている。
※訳注:本エントリは、氏が全訳し、WARE_bluefieldが代理で投稿している。なお、☆氏の許可の元、書体等の一部文章を訂正している。訳注も基本的に☆氏によるものである。

  1. 訳注:原文ではLeftwardとあるので、日本語の用法を使ってリベラル派とした。 []
  2. 訳注:このページでハイトらは、アメリカではリベラル派の多いベビーブーマー世代が大学ポストで主流になることで教育に偏りが生じており、ブランクスレート説(人間の精神は白紙の状態で生まれ、いかなるイデオロギーでも書き込み事が可能とする政治・哲学・心理学的思想)の生徒への押し付けなどが起きているとしている。また、その状況を改善するために多様性に基づいた改善活動を提唱している。 []
  3. 訳注:ここで言われている「経済的に右寄り」とは、本来的な意味(市場に任せて、政府の介入を避ける)を指していると思われる。いわゆる日本における経済的政策のねじれを含んだ意味ではないことに注意。 []

ジョセフ・ヒース『反リベラリズムの解剖学』(2017年02月19日)

The anatomy of anti-liberalism
Posted by Joseph Heath on February 19, 2017 | Canada, multiculturalism

protest-masjid-toronto

金曜日(17日)、カナダ市民は、醜悪な見世物に直面させられた。トロントにあるモスクのすぐ外で、ムスリム系移民の停止と、カナダにおけるイスラム教の禁止を訴える抗議活動が行われたのだ。報道によると、抗議活動の参加者は、総計でわずか15人だったようだ。なので、わざわざ騒ぎ立てることではない。しかしながら、この件が、103号動議1 に関してウソを付き続けている、あるいは馬鹿騒ぎを続けている、カナダ保守党の構成員全員に、自制を促す事にはなるべきだろう。

この件にこれ以上言及する必要は感じないが、CBCラジオによる、抗議活動の参加者の1人である、女性へのインタビュー(オンラインでは聞けないようだ2 )は、グレートですよこいつはァ、という感じであった。多くの人が、党派性に縛られないリベラル3 な社会認識を共用している、との今日の一般的見解がある。この見解は、まったく実情にそぐわない事を、私は多くの事例から知っている。ただそれにしても、反リベラル的見解が、ここまで簡潔で要を得て意思表示されているのを、見聞きできることは滅多にない。インタビュアーが、女性に「あなた方の抗議活動と、シナゴーグ4 前で反ユダヤ主義の抗議活動を行っている人との、違いは何ですか?」と根源的な問いを行っている。女性の返答は、おおよそになるが「ユダヤ主義は邪悪じゃないが、イスラムは邪悪」だった。

完璧な返答だ。彼女らはもはや信教の自由すら認めていない。単純に宗教をひとつづつ見比べた後に、『善』と『邪悪』を判別し、『善』だけを認めよう、というわけである。誰か、ケリー・レイッチ5 に教えてやるべきだ。 移民を『選別』する、よりよい方法として『善』なる人と『邪悪』なる人を単純に分けた上で、『善』なる人だけを残すのである。邪悪に仕える人を除けば、この選別政策に反対する人なんていないだろう?

この件は、人は本当に『リベラリズム』をどの程度受け入れているか、どの程度自分のものにしているかどうか、を測定する良いテストとして出題されている。[反イスラームの]抗議者達の主張を聞いた時の、あなたの率直な反応が「馬鹿馬鹿しい。イスラム教は邪悪じゃない」のようなパターンだったら、あなたはインタビューに答えていた女性とだいたい同じくらいリベラルだ。もし反応が「馬鹿馬鹿しい。個人の自由に関する問題群が、『善悪』かどうかだけの皮相的な判定に収まるわけがないだろう」のようなパターンだったら、主流派エリートの見解へようこそ!

※※訳注
訳者による補足、註釈の文面は基本的に[]で囲っている。

  1. 訳注:去年のカナダでのモスク襲撃事件を受けて与党・自由党の議員によって提出された、人種・宗教差別を批判する国会動議。カナダ保守党は、言論の自由の見地等を理由にこの動議に反対している。このブログ記事で詳しい日本語による解説を読むことができる。 []
  2. 訳注:現時点では、CBCの報道記事でインタビュー動画を見ることが可能。 []
  3. 訳注:ここでのリベラルは、「他者への寛容」といった意味で使われていると思われる。 []
  4. 訳注:ユダヤ教の教会。正式には『会堂』と呼ばれる []
  5. 訳注:「『反カナダ的価値観』を持った移民を排斥すべきである」と唱えている、去年、ヒースが批判した、カナダ保守党の政治家。 []

ジョセフ・ヒース『トランプはいかに狂っているか その1(続くだろう…)』(2017年1月26日)

How Crazy is Trump? Part 1 (and counting…)
Posted by Joseph Heath on January 26, 2017 | economy, politics, Uncategorized
昨日、アンドリュー・コインは以下のように書いた

国家が、貿易赤字や貿易黒字を抱えていようとも、それは国の厚生にはわずかしか違いをもたらさない。これは一般常識であり、もちろん個別の国にも適応される。このように[貿易収支を過大視]して考えてしまうのは、ほんの初歩的な誤りなのだ…。

トランプと(その仲間達)は、国家間の貿易の目的は黒字を出す事にある、との考えをどこで仕入れてきたのだろう? おそらく、実業家であるが故に、仕入れてきたのだろう。トランプは、国の貿易収支と、企業の損得の計算を同一視しているのだ。よりありえるのが、会計と経済学を取り間違えている可能性である。経済学部の初年度生は皆、国民所得は、消費と投資と国家支出に、輸出と輸入の差額(すなわち貿易収支)を、総計した物であるという事を、教わっている。

初歩的な経済学理解にツッコむのは、滅多に報われないので、慈悲深くあろうとはしてるが…。

今日の午後になるが、メキシコとの国境に建設する壁の建設費用を、メキシコに払わせる為に、メキシコからの輸入品に20%の関税を課すことになるかもしれないと、トランプの大統領報道官が告知した。以上告知は、コインの2つの説、つまり『初歩的な誤り』か『会計と経済学のとり間違い』のどちらが当たっているだろう? 私の考えは、『初歩的な誤り』である。

多くの経済学者が疑うことなく鋭く指摘しているように、壁の建設費として、メキシコからの輸入品に関税を課すことは、アメリカ人が払う事に他ならない。以上は、常識なのだが…。

※※訳注
訳者による補足、註釈の文面は基本的に[]で囲っている。

ゲイリー・ハフバウワー, ウイジン・ジュン 『トランプの貿易政策を診断する』 (2016年9月29日)

Gary Hufbauer, Euijin Jun,”Evaluating Trump’s trade policies“, (VOX, 29 September 2016)


 

常軌を逸脱しかつ潜在的危険性をもった政策提案によりドナルド・トランプは安定して新聞の見出しを飾っている。WTO脱退を仄めかすかと思えば、貿易協定の再交渉、メキシコと中国からの輸入に対する関税賦課など、彼の提案は様々だ。本稿では、法的・経済的側面からこうした提案に考察を加えてゆく。古い時代のものにせよ近代のものにせよ、法令のなかには合衆国大統領に以上の様な政策の施行を許してしまう可能性をもつものが在り、そこから合衆国経済に極めてネガティブな影響が出ることも考えられる。

 

アメリカの投票権者にとって、合衆国大統領という地位がもつ権限の過小評価 – 或いはラディカルな政策の手綱を握るためのチェックアンドバランス機能の誇張 – は、取り返しのつかない過ちともなり得る。

共和党大統領候補者ドナルド・J・トランプはこれまでWTO脱退 (Mount 2016)・北米自由貿易協定 (NAFTA) の再交渉 (Needham 2016)・メキシコと中国からの輸入にそれぞれ35% / 45%の関税賦課 (Johnson 2016) を仄めかしては、新聞見出しを飾ってきた。しかしトランプにはこういった威嚇を合衆国議会の同意無しに実行する権限が有るのだろうか? 裁判所のほうでも彼にストップを掛けるのではないか?

答えは単純で、大統領となれば、トランプはそうした権限を保持することになるだろうし、司法府により彼の取った法的措置が頓挫する可能性も低いのだ (Hufbauer 2016)。前世紀を通し、合衆国議会は大統領に対し、貿易およびその他の形態の国際通商の制限に係る権限を大幅に委譲してきた。念の為付言すると、最も関連性の有る5つの法規 (表1にまとめた) は上記のようなものとは異なる目的を念頭に制定されたものである。しかしそうした法律も依然として法典に残存し、大統領なら誰でも援用できる状態に留まっている。スカーリア裁判官が訓辞したように、法規解釈における最大の導きは法律文言それ自体であって、その歴史的文脈や立法審議過程ではないのだ。

トランプの貿易威嚇が実行に移された場合、事業会社やさらには諸般の州からの法的異議申立てが数多打ち寄せて来るだろうが、彼の行動はそうした法廷闘争を生き延びる公算が高い。付け加えれば、合衆国議会による抗議であっても、圧倒的多数 [super-majorities] がトランプの拒否権を乗り越えて当該法規の修正をする場合のほかは、殆ど効果が無いだろう。

法規は老衰で斃れることはない。そして今や齢も一世紀という老齢の御爺さん法が、1917年敵対取引法 [Trading with the Enemy Act of 1917] である。TWEAは大統領に対し、戦時中、国際貿易および資金流動の一切を制限し、外国資産の凍結または差押を行う権限を与えるものである。同権限の強力さには唖然とするほかなく – なんと同措置は軍事敵相手に限られてはいないのだ1。TWEAがひとたび援用されれば、如何なる外国通商も危機を免れ得ない。

さらに、殊TWEAの趣旨に関する限り、諸般の合衆国議会宣言および決議 [Congressional declarations and resolutions 2] を通して、合衆国は第二次世界大戦いらい常時戦争状態に在ったといっても過言ではないが、平和が邪魔になれば、1977年国際緊急経済権限法 [International Emergency Economic Powers Act of 1977] が大統領に対し、国家的緊急事態が続くあいだ貿易と金融に制限を課すことを許す。大統領による緊急事態宣言は端的に裁判所から疑義を受けない。外交政策目的で経済制裁を課すためにIEEPAを援用するのが大統領達の間で慣例となっているが、だからといってこの法規を自らの通商目的のために援用することからトランプ大統領を阻止するものは何も無いのである。

表 1. 大統領が外国通商の統制に利用できる法規のまとめ

原註: FTA = free trade agreement; MFN = most favoured nation; NAFTA = North American Free Trade Agreement
出展: Hufbauer (2016).

NAFTAには、書面による6ヵ月の事前通知をカナダ・メキシコに送付したのち同協定から脱退することをトランプに許す規定が在る。そうなれば合衆国議会と協議したうえで、彼は互恵性の不十分を主張し、メキシコに35%の関税を課すことが可能となる – 或いは国家的緊急事態を宣言したうえでIEEPAを援用するというのも在り得るが、こちらも結果は同様である。大統領トランプは同じ様にその他の自由貿易協定も破棄し得る。最も破局的なケースでは、WTOから脱退し、合衆国の最恵国関税をスムート・ホーリー法時代の水準に引き戻してしまうケースさえ起こり得るが、これは大恐慌 [Great Depression] 以来絶えてなかったことだ。

トランプもこうした措置はあまりに苛烈だと感じるかもしれないが、そうした場合はもう少し制約の有る冷戦時代の3法規を利用できる。第一の法規 [1962年通商拡大法] (232条(b)) は国防に対する危機が明らかとなった場合に輸入制限を課すことを大統領に許すものである。第二の法規 [1974年通商法] (122条) は合衆国の大統領に、巨額かつ深刻な国際収支赤字に対処するため、150日の間、全て若しくは一部の国に対し、最大15%の関税、若しくは量的制限の賦課を許す。第三の法規 [同法] (301条) は外国が合衆国の通商に不公正な形で制限を加えていると発覚した場合に、大統領が貿易措置などの報復的措置を実行すること許すもの。

合衆国の貿易措置によって被害を受けた場合、貿易相手国はトランプの行動に異議を申立て、WTOを通した補償を請求するだろう。しかし貿易相手国はWTOでの立証を待つまでもなく、端的に合衆国の輸出・知的財産権・投資筋を標的とした報復措置に打って出るかもしれない。

Noland et al. (2016) はトランプの提案する貿易政策が合衆国に及ぼす経済的影響を、3つの相異なるシナリオをスケッチしながら推定している。同研究はムーディーズ・アナリティックスに依拠しつつ、特に短期的経済ショックの評価を行うもので、メキシコ (35%) 並びに中国 (45%) といった合衆国関税障壁の劇的引上げから生ずる、GDP・雇用率・民間消費・部門/州/群レベルでみたその他数値の変化が算出されている。

第一シナリオは全面的貿易戦争であり、トランプの新関税を受けたメキシコ及び中国は、合衆国輸出に対する同等の関税を以て応酬する。第二シナリオは非対称的貿易戦争で、中国は合衆国からの特定の財・サービス輸出に対し報復措置を取り、メキシコのほうでは全ての合衆国輸出に最恵国関税を課す。第三シナリオは貿易戦争未遂であり、合衆国関税が一年間のみ一方的に賦課され、メキシコおよび中国も同じ期間だけ報復措置を取る。

図1 ベースライン状況・全面的貿易戦争・貿易戦争未遂シナリオ時の合衆国GDP予想, 2015-2026

全面的貿易戦争シナリオでは、合衆国のGDP成長率に十年間に亘る相当な減速が見られる (図1を参照)。合衆国経済が最も厳しい打撃を受けるのは2019年で、この年に消費は2.9%、投資は9.5%も落ち込み、失業率は8.4%に達する。2019年の民間部門雇用ではほぼ480万近く職が無くなるが、これはベースライン状況の民間部門雇用を5%以上も下回る。最も強く影響を受けるのは高速ドライブおよびギア製造部門であり、雇用は10.2%も落ち込む (表3を参照)。しかしながら、絶対的雇用喪失数の観点から言うと、卸売および小売貿易・レストラン・ヘルスケアなどの部門で最も多く労働者が切り捨てられている。州レベルの影響の観点では、ワシントン州が最も強烈な打撃を被り5%の雇用喪失となり、これにカリフォルニア州・マサチューセッツ州・ミシガン州が続く (地図1を参照)。郡のなかで最も強烈な打撃を受けるのはロサンゼルス郡で176,000の雇用喪失、これにコック郡 (シカゴ州) における91,000の雇用喪失が続く。

表 2. 全面的貿易戦争および貿易戦争未遂の結果として生ずる一部マクロ経済変数の変化予想, 2017-2026

出展: Noland et al  (2016).

表3. 全面的貿易戦争によって最も被害を受けると予想される部門

出展: Noland et al (2016)

非対称的貿易戦争シナリオでは、中国は合衆国からの航空機輸入 (ボーイング機) を取止め、合衆国企業から購入するサービスを減らし、合衆国大豆の輸入に終止符を打つものと想定されている。中国の航空機購入取止めは179,000の合衆国雇用喪失を引き起こす可能性が有り、とりわけシアトル市-タコマ市-エバレット市の連なりやウィチタ市などの都市部への影響が懸念される。中国による合衆国企業サービス購入の減少のほうも85,000の合衆国雇用喪失を引き起こしかねず、その場合ロサンゼルス郡が最大の被害を受ける。中国の大豆輸入取止めは、ミシシッピ州・ミズーリ州・テネシー州・アーカンソー州の田園地帯における雇用を崩壊させる恐れがある。

地図 1. 州毎に見た民間部門雇用喪失パーセンテージ

出展: Noland et al (2016)

貿易戦争未遂シナリオとなると、経済的ダメージも幾分和らぐ。考え得る3つのアウトカムとしては、サプライチェーンの中断・金融市場の混乱・消費財の枯渇が挙げられる。合衆国民間部門雇用はこのシナリオでは一時的に130万の雇用喪失を被ることになる。

以上のシナリオを考慮すると、旧来および近代の諸法規がトランプ大統領に合衆国経済を織り成す国際的要素を、合衆国議会の同意を何ら要せずしかも裁判所からの有効な異議申立てもないままに、破棄することを許してしまう恐れがあり、これは全く悩ましいかぎりである。現在の大統領選キャンペーンを見る限り、合衆国議会は外国通商規制に関して自らが有する合衆国憲法上の権限の投げ売りを改め、適切な修正案を以て前述の諸法規の効力を狭めてゆくべきだろう。

参考文献

Hufbauer, G C (2016) “Could a President Trump shackle imports?” In Assessing trade agendas in the US Presidential campaign, PIIE Briefing 16-6, Washington: Peterson Institute for International Institute, September.

Johnson, S (2016) “Trump’s tariff proposal would gut US export jobs”, Boston Globe, 26 June.

Mount, I (2016) “Donald Trump says it might be time for the US to quit the WTO”, Fortune, 25 July.

Needham, V (2016) “Trump says he will renegotiate or withdraw from NAFTA”, The Hill, 28 June.

Noland, M, S Robinson and T Moran (2016) “Impact of Clinton’s and Trump’s trade proposals” in Assessing trade agendas in the US Presidential campaign, PIIE Briefing 16-6, Washington: Peterson Institute for International Institute, September.

原註

[1] フランクリン・ルーズベルトは銀行業務休止 [a bank holiday] の宣言を行う際に、リンドン・ジョンソンは対外直接投資の制限に、またリチャード・ニクソンは10%の輸入課徴金賦課に、それぞれTWEAを利用しており、当該大統領権限範囲はこうした例を以て知ることができる。

[2] 合衆国議会の対イラク・アフガニスタン戦争決議は今現在有効であり、裁判所はTWEA援用の目的に関しては行政部門のシリア・イェメン・その他標的に対する軍事行動を以て十分と見做すかもしれない。

 

シャルル・アンジェルーチ, ジュリア・カジェ 『新聞広告の衰退: 新聞読者にバッドニュース 』 (2016年8月26日)

Charles Angelucci, Julia Cagé , “The newspaper ad collapse: Bad news for readers” (VOX, 26 August 2016)


広告主は新聞に見切りを付け始めている。本稿では、1968年にテレビが印刷メディアに与えたインパクトを援用しつつ、広告収入の低下は新聞のクオリティの低下につながるものであることを主張する。極端な場合、こうした事態は一般大衆のもつ情報量の低下に帰結しかねない。

2015年はおそらく新聞産業にとって大不況以来の最悪の年となった。Pew Research Center (2016) によれば、上場企業に関する合衆国広告収入総計 (印刷媒体およびデジタル双方含む) は8%近い低落をみせたという。

我々は最近の論文 (Angelucci and Cagé 2016) で、広告収入衰退からくる影響が新聞の価格選択やクオリティ選択にどういったインパクトを与えるのか調査した。こうした選択が重要なのは、それが諸個人がどれだけの情報量をもっているかを決定付ける一因となるからだが、このことはさらに投票率・政治的問責可能性・社会規範にも影響してくる (Ferraz and Finan 2008, Jensen and Oster 2009, Gentzkow, Shapiro and Sinkinson 2011)。

具体的には、新たな広告プラットフォームの登場によって生じた、広告主が新聞読者の関心を購うために出してもよいと考える支払許容額の低落からくる影響の分析を試みた。2015年にはすでにGoogleとFacebookは600億ドルのオンライン広告市場のほぼ2分の3を手中にしていた。こうした広告収入のソーシャルメディアへのシフトが、新聞広告収入衰退の一因となっている。

我々はこうしたショックのインパクトを調査すべく、新聞社が読者にコンテンツを販売しつつ他方で読者の関心を広告主に販売する仕組みの単純なモデルを構築した。すると、読者の関心に対する広告主の支払許容額の減少が、新聞の自己コンテンツクオリティ減少を誘発していることが明らかとなったのである。広告主の読者関心に対する支払許容額減少は、低価格を通した読者への 『助成』 減少につながり、これは読者側の価格に上向きの圧力をもたらすが、さらにはクオリティ に対する 『助成』 (こちらにも読者を惹き付ける役割がある) の減少にもつながる。読者がクオリティに対する十分な感度をもっているならばつねに、広告収入の低落は、読者に対しクオリティ低下を補償するための購読価格の減少につながる。さらに我々は、広告主の支払許容額の減少が、新聞社に読者間で価格差別をさせるインセンティブを増加させることを明らかにしている: 新聞は購読価格の引き下げに加え、新聞の売店価格の引き上げも行うのである。

言うまでもなく、新聞社の価格選択およびクオリティ選択の決定には幾つものファクターが関わっており、それには費用・消費者選好・市場構造も含まれる。加えてインターネットの登場は、市場競争や消費性向に関して、広範な影響をもった変化をあまた生みだした。一つ例を挙げると、Reuters Institute Digital News Report (2016) は、消費者の半数からニュースソースとしてソーシャルメディアを毎週利用しているとの報告があったと伝えている。結果として、新聞読者の関心に対する広告主の支払許容額の減少と、新聞社の価格選択ならびにクオリティ選択の間の因果関係を実証的に確立することは、一口に言って難しい。

こうした事態にもじつは1つの前例がある: TV広告が新聞のビジネスモデルに与えたインパクトがそれだ。そこで我々は1960年から1974年に掛けての諸般のフランス新聞を対象としたデータセットを構築したうえで、1968年に始まったフランスのテレビ広告の導入に対し 『差分の差分』 分析を施した。この導入は、新聞の広告収入への依存度のみを専らシフトさせる外生的ショックにつながったのだった。

広告収入の影響は日刊地方紙よりも日刊全国紙のほうに深刻な作用したものと我々は想定している。当時のテレビで放送されていた広告と、新聞に掲載されていた広告を見比べれば、この想定の裏付けが得られる。全国紙ではブランド広告への依存度が高くなっていたが、こうしたブランドの企業主はテレビの方にも広告を出したがるだろうと考えられる。他方、地方紙に掲載される広告は地方的性質なもののほうが多い。同ショックの大きさを示そう。フランスの広告市場全体は、1967年から1974年に掛けて拡大していた。それにもかかわらず、全国紙の広告収入はテレビ広告の導入のあと減少したのである。これとは対照的に、地方紙の広告収入は同期間中に増加をみせた (図1)。

図1  メディアアウトレット毎にみた広告収入 (1967年・1974年)

テレビ広告導入のために、全国紙では地方紙との比較において、17%もの広告収入減少につながった。この広告収入の落ち込みは、購読価格の平均値を売店価格で除したものと定義される 『価格比率』 12%の減少につながったが、この減少は全て、購読者が徴収される価格の減少に由来するものである。全国紙は地方紙との比較において、使用ジャーナリスト数を11%も減らしたうえ、ニュース報道に充てられた紙面 (『記事スペース (newshole)』) のほうも7%減少した。こうした統計データがクオリティの尺度となると想定する限り、全国紙は広告収入の低下に自己コンテンツのクオリティを引き下げることで対応したのだと結論できる。さらにこうした価格とコンテンツに関する変化は、全新聞読者中に購読者が占める割合の22%もの増加につながっている。

本発見には21世紀のニュースメディアに対するさまざまな示唆が含まれていると我々は考えている。メディアアウトレットの多くは依然として最適価格方針を発見すべく実験を続けている。我々のモデルは、読者間で価格差別を行うための1手段として採用される購読制度の背後にあるロジックは、オンラインでも引き続き存在するはずだと示唆する。2010年以来、ますます多くのオンラインメディアが専ら広告主の出資のみを頼りとするモデルを打ち捨て、ペイウォール制度の導入に移っており、また購読者に無制限のアクセス権を提供する一方で、個別の話題のみを購入する読者からは高い料金を徴収するという選択をするところも多くなっている。我々はさらに、近年では、購読価格平均を売店価格で除した比率に減少がみられてきたことも明らかにしている。

図2  合衆国の7紙についての年度平均価格比率 (2008-2014年)

本分析では、ニュース購読者に対する広告主の支払許容額の減少が – その原因が何であれ – メディアアウトレットのもつクオリティ投資に対するインセンティブを低下させることを取上げた。広告収入が落ち込むのと歩を同じくして、合衆国における新聞ジャーナリストの数も減少してきている (図3)。もし広告収入が低落を続けるのならば、メディアアウトレットレベルでの情報クオリティも減少しかねないのである。このリスクは近年みられている広告ブロックテクノロジーの成長のためにさらに高まっている(Reuters Institute Digital News Report, 2016)。

図3 新聞広告収入 (ドル) および合衆国のジャーナリスト数 (1980-2015年)

この先広告が新聞クオリティの助成をしなくなるのならば、諸般の政策的介入案の有効性を調査するさらなる研究がもとめられよう。

参考文献

Angelucci, Charles and Julia Cagé (2016) “Newspapers in Times of Low Advertising Revenues,” CEPR Discussion Paper No. 11414.

Ferraz, Claudio and Frederico Finan (2008) “Exposing Corrupt Politicians: The Effects of Brazil’s Publicly Released Audits on Electoral Outcomes”, The Quarterly Journal of Economic, 123(2): 703-745.

Gentzkow, Matthew, Jesse Shapiro, and Michael Sinkinson (2011) “The Effect of Newspaper Entry and Exit on Electoral Politics,” American Economic Review, 101(7): 2980-3018.

Jensen, Robert and Emily Oster (2009) “The Power of TV: Cable Television and Women’s Status in India,” Quarterly Journal of Economics.

Pew Research Center (2016) State of the News Media 2016.

Reuters Institute (2016) Reuters Institute Digital News Report 2016

 

トーケ S. アイト, ガブリエル・レオン, ラファエル・フランク, ピーター S. イェンセン 『民主主義と革命危機: 新たな実証成果』 (2015年1月8日)

Toke S. Aidt, Gabriel Leon, Raphael Franck, Peter S. Jensen, “Democracy and the threat of revolution: New evidence” (VOX, 08 January 2015)


民主化に際しては、革命の危機というものが中軸的役割を果たすのだと示唆する理論がいくつか存在する。本稿はこの仮説を裏付ける新たな実証成果を提供するものである。本稿執筆にあたっては19世紀のヨーロッパ、20世紀末前後のアフリカ、1832年の英国での大改革といった場面でみられた民主主義への移行に関するデータを利用した。我々は、歴史中一貫して、抜き差しならぬ革命危機がその機先を制しようとする民主主義的改革の引き金となっていたことを明らかにした。

革命危機仮説

2010年から2012年まで続いたアラブの春の間に北アフリカや中東を席巻した暴力的抗議活動の波は、長らく盤石の体制を保っていた幾つかの専制政治国の崩壊と時を同じくしていたが、これら専制政治国のうち首尾よく存続を果たしたところでは、大衆勢力の鎮静化をねらった一連の政治改革・再配分政策が足早に施行されていたのだった。そこから一と半世紀を遡った西ヨーロッパにおいても何やら似た様な事態が起きる。1848年、フランスでまたドイツ各地で諸革命が勃発すると、それに続く様にしてデンマークやルクセンブルクまたベルギーそしてオランダでは民主的改革が見られたのだ。

こういったエピソードは 「革命や暴動およびその他の暴力的抗議活動は民主的変革の引き金と成り得る」 との仮説の信憑性を高めるものである。同仮説が魅力的なのは、それが参政権拡張にまつわる謎、つまり、「政治権力をはじめ多くの場合経済的リソースをも独占している既存専制権力が、自分達とは異なる目的をもった人口層に対し、広く自らの権力を共有してゆく事に同意するのは何故なのか」 という謎を解いてくれるからだ。革命危機仮説は特にAcemogluとRobinson (2000, 2006) またBoix (2003) の労作を通して展開されてきたのであるが、その示唆にしたがえば、ひとたび成功すれば自らの権力基盤全体を根絶やしにするだろう革命の抜き差しならぬ危機と直面した時、専制勢力はその様な行動に出るのだろう、という事になる。この見方を取れば、今日のアラブ世界における専制勢力や150年前の西ヨーロッパの諸君主がみせた対応は、抜き差しならぬ革命危機の機先を制する為の反応だったのだといえる。

とはいえ、皆が皆この解釈に納得している訳ではない。例えばRoger Congleton (2010, p. 15) は1830年から1930年の間に起きた諸般の民主的改革を論ずるなかで次の様に主張している: 「実質的に全てのケース [国] において、リベラル改革の採用にあたって改正に関する既存の憲法的規則が用いられた。どのケース [国] においても、リベラル改革の全てに大規模反乱が先行していたなどという事は無く、そのうえ殆どのケースでは、一見してすぐそれと分かる様な改革を生み出せなかった大規模デモの例で溢れているのだ」

民主化は多面的プロセスなのだから、民主主義の淵源に関してこの革命危機仮説とその他の説が当てはまる領域を画定する事こそが課題と成る。そこで、革命危機仮説がどこまで民主主義への移行を説明し得るのかを確定してゆく算段となるが、これは次の2つの理由の為に困難なものと成っている。

 

  • 第一に、問題と成るのは革命の危機であって、これは定量化が難しい。
  • 第二に、観測された社会的抗議活動をその背景に在る危機の代理物として用いるなら、同危機が民主化を引き起こすのか、それともその2つとも何か別の要因から生じているのか、この点を確定するのは難しい。

我々は一連の論文で (AidtとJensen 2014, Aidtと Leon forthcoming近刊, AidtとFranck 2013, forthcoming近刊) 歴史上のデータ並びに近年のデータまた種々の識別戦略を用いて上記の問題と取組んできたが、これらの研究成果をはじめ、Przeworski (2009) の先行研究やDorschとMaarek (2015) の最近研究から炙り出される状況は明らかだ。即ち:

  • 革命危機は確かに民主化原動力の1つなのである

革命危機の新たな実証成果

タイトルに挙げた問題に解答を与えようとすれば、理想的には民主主義への移行例全てを含んだ集合を対象とした研究を行ってゆくべきだろう。だがこれは不可能なので、研究者として我々は、特定期間、特定国家、さらには具体的な改革にまで研究の焦点を絞ってゆかざるを得ないが、こういった特定の対象を数多く研究することでも、暴力・暴動・革命と民主化の間に在る繋がりに関して非常に多くを学ぶ事ができるのである。我々がこれまで研究に取組んできた 『事例』 は次の3つ。即ち: 『長い19世紀』 におけるヨーロッパ、20世紀末前後のサブサハラ-アフリカ、そして1830年代の英国、これである。

各々の事例において、そこでの既存支配勢力に対し、彼らの握る権力を脅かすに足る実効的な反抗行為を実施しようとする際に関係してくる 『集合行為問題』 が目下のところ解決されている事を見せつける役割を果たした客観的観測可能な出来事が具体的に存在する。そこで我々は、既存支配勢力がこうした出来事に対しどの様な反応を見せたのか、とりわけ、彼らが民主的改革を採用したのかどうかを調査した。勿論、これだけではこの2つの事柄の間の因果関係を確立するまでには至らず、各々の事例においてコンテキストを踏まえた識別戦略が必要となる。

体制不満に関する情報の国際的伝播は、危機認識の違いを把捉する1つの方法である。Kurt Weyland (2014, p. 120) は1848年におけるヨーロッパの諸革命について論ずる中でデンマークの事例を取り上げ、このロジックの例示としている: 「デンマーク国王には、到来しつつあった不満の波を見定めるのに [プロイセン国王よりも] 多くの時間が有ったし、非常に高く付いたウィーン (3月13-15日) やベルリン (3月18-19日) での衝突について知る事もできた。そこで3月21日になるとデンマーク国王は暴力の機先を制するべく、彼の宮殿の外に集まった群衆に対しこういった変革 [リベラル民主主義的憲法] を申し出たのだ」。我々はAidtとJensen (2014) のなかで民主化第一波 (1820-1938) の渦中に在ったヨーロッパ諸国のパネルデータを対象とする研究を行ったが、そこでは 「近隣諸国における実際の革命が、その他の国君主や潜在的革命家に対し、状況がどれだけ危機的であるかを伝えるシグナルの役割を果たした」という考えを精査し、この様な革命的事件と参政権改革の間に頑健な関係性が存在する事を明らかにしている。なおこの関係性は、革命の中心地に言語的または地理的に近しい国について強くなる。

  • 我々の推定値は、ヨーロッパの何処かで革命が1つ勃発した場合、近隣諸国で参政権改革が1つ起きる可能性が75%上昇するという関係があったことを明らかにしている。

1990年から2007年に掛けてサブ-サハラアフリカで起きた民主的変革を対象とした我々の研究は、革命危機と民主化の繋がりが、ヨーロッパにおける民主化第一波に固有のものではなかった事を証明している (AidtとLeon, 近刊)。同研究では、国内の暴動に関するデータを用いて体制不満の程度の定量化を試みた。暴動と政変を引き起こす原因は多岐に亘るから、暴動が民主的変革に及ぼす真の影響を明らかにする為に操作変数法を利用している。我々はBrücknerとCiccone (2011)、BurkeとLeigh (2010) およびFranck (近刊) に倣い、天候ショック (干ばつ) を政治行動に対する操作変数とした。干ばつが暴動に繋がるかもしれないというのには多くの理由が在る; 例えば、一時的な所得の減少することで権力への反抗にまつわる機会費用は低減するし、干ばつは農村地帯を困窮させるので都市部への移住が続いて生じるが、これは既に存在している緊張状態を加速させ、過密状態を悪化させるものである、等々。そして我々は、干ばつが暴動に及ぼす影響の結果として民主的変革の確率が16.7パーセント点上昇する事を明らかにしている。

ヨーロッパ及びアフリカにおける民主化を対象とした我々の研究は諸国のクロスセクションデータを継時的に調べたものだったが、『1832年大改革法』 の研究では英国の民主的変革における一大事件に焦点を置いている (AidtとFranck 2013, 近刊)。田園地帯での反乱 – 所謂スイング暴動 – の地理的伝播を精査したのだが、同反乱は『非改革議会』の下で行われた選挙としては最後のものである1830年と1831年の選挙の間に当たる時期に勃発したものであった。そこで我々は、或る選挙区の極近辺で勃発した暴動が、大改革法を承認する1831年の議会において職務を果たすことになる改革に好意的な政治家一名をその選挙区が選出する確率に対し、如何なる影響を及ぼしたのか推定を試みた。勿論、地域暴動と、改革に対し好意的な政治家の当選の間にみられる相関はどれも、多数のファクターから生じていた可能性が在る。そこで我々は、地域的社会相互作用効果を媒介に既存の道路ネットワーク沿って暴動が拡散した事実を精査する事で、地域暴動への曝され方に関する外生的差異の分離を目指した。我々の操作変数とマッチング推定値の示唆するところでは、スイング動乱が無ければ、改革に友好的だった2政党も下院で過半数を獲得する事はなかったようである。そしてこの過半数無しには、同改革プロセスは十中八九押し留められていただろう。

結論

革命危機はAcemogluとRobinsonが一連の論文や、書籍The Economic Origins of Dictatorship and Democracyのなかで展開した民主化理論において基軸的役割をもっている。同理論は民主化が歴史の機運を決する分節点において勃発することを強調するものであるが、我々の実証成果はこの見解の裏付けとなった。しかしながら、我々の研究にせよ、革命危機説それ自体にせよ、工業化・都市化・所得増加・国際貿易・格差といった背景に在って、ゆっくりと歩みを進める経済プロセスと、民主化へのきっかけが織り成す複雑な相互作用が重要であることを否定し去ろうというものではない。他国における革命・地域暴動との直面・干ばつが誘発した抗議活動などといった 『革命ショック』 が一押しとなり一国をして限界線を踏み越えさせ、支配勢力を民主的改革の施行へと向かわせる場合もあるだろう。しかしそれも背景に在る経済的ファンダメンタルズがその限界線に『近接』している状態が在って初めて生じ得るのである。

 

参考文献

Acemoglu, D and J A Robinson (2000), “Why Did the West Extend the Franchise? Democracy, Inequality, and Growth in Historical Perspective”, Quarterly Journal of Economics, 115(4), 1167-1199.

Acemoglu, D and J A Robinson (2006), Economic Origins of Dictatorship and Democracy, Cambridge: Cambridge University Press.

Aidt, T S and R Franck (2013), “How to Get the Snowball Rolling and Extend the Franchise: Voting on the Great Reform Act of 1832”, Public Choice 155 (3), 229-250.

Aidt, T S and P S Jensen (2014), “Workers of the World, Unite! Franchise Extensions and the Threat of Revolution in Europe, 1820-1938”, European Economic Review, 72, 52-75.

Aidt, T S and G Leon (forthcoming), “The Democratic Window of Opportunity: Evidence from Riots in sub-Saharan Africa”, Journal of Conflict Resolution.

Aidt, T S and R Franck (forthcoming), “Democratization under the Threat of Revolution: Evidence from the Great Reform Act of 1832”, Econometrica.

Boix, C (2003), Democracy and Redistribution, Cambridge: Cambridge University Press.

Brückner, M and A Ciccone (2011), “Rain and the Democratic Window of Opportunity”, Econometrica, 79 (3), 923-947.

Burke, P J and A Leigh (2010), “Do Output Contractions Trigger Democratic Change?”, American Economic Journal: Macroeconomics, 2, 124-157.

Congleton, R D (2011), Perfecting Parliament, Cambridge: Cambridge University Press.

Dorsch, M T and P Maarek (2015), “Inefficient Predation and Political Transitions”, European Journal of Political Economy, 37, 37-48.

Franck, R (forthcoming), “The Political Consequences of Income Shocks: Explaining the Consolidation of Democracy in France”, Review of Economics and Statistics.

Przeworski, A (2009), “Conquered or Granted? A History of Suffrage Extensions,” British Journal of Political Science, 39, 291-321.

Weyland, K (2014), Making Waves. Democratic Contention in Europe and Latin America since the Revolutions of 1848, Cambridge: Cambridge University Press.

 

ヴァウテ・デン・ハーン, マーティン・エリソン, イーサン・イルゼツキ, マイケル・マクマホン, リカード・レイス 『Brexitと経済学専門家: アカデミックな経済学者は投票者や政策画定者と疎遠になっているのか?』 (2016年8月12日)

Wouter den Haan, Martin Ellison, Ethan Ilzetzki, Michael McMahon, Ricardo Reis “Brexit and the economics profession: Are academic economists out of touch with voters and politicians” (VOX, 12 August 2016)


EUメンバーシップをめぐる英国レファランダムの結果は経済学専門家にとって深い自己省察の機会となった。経済学専門家のあいだではBrexit支持の投票がネガティブな経済的帰結を予測する点でほぼ見解の一致があったのである。本稿では、専門家を対象として2016年6月に行われたCentre for Macroeconomicsの調査を紹介する。これはレファランダムの結果に対し経済議論が果たした役割について、またアカデミックな経済学の研究成果 – ならびに専門家全体としての見解 – の伝達の在り方に関して制度的変革が必要であるか否かを問うものだった。意見は割れたが、制度変革を支持しない回答者であってもその多くは、アカデミックなマクロ経済学コミュニティと政策画定者ならびに広く世間一般との関係には幾つも考慮すべき問題が在ると見ている。

英国のEU離脱というレファランダム決定を経て、これから政策画定者は英国でもEUでも幾つかの困難な選択を迎えることになるだろう。こうした選択は、些末とは言い難くしかも後々まで影響の長引く結果をもたらす可能性が高いが、マクロ経済学者ならばこれに対してマクロ経済学的見地から助言が可能である。しかしここで幾つかの問いが浮上する。そしてそれは、関連諸国のニーズを正しく把握しようとするさいにマクロ経済学者に何ができるのかを尋ねるだけでなく、どうすればマクロ経済学の専門家全体としての立場を政策画定者と広く社会一般に対し効率的に知らしめることが出来るのかという点にも及ぶものである。

というのもレファランダム以前の段階で、専門家のあいだにはBrexit支持投票からのネガティブな経済的帰結についてほぼ一致した見解があったのだ1。もちろん経済議論のほかにも重要な論点は数多く在るし、また選挙やレファランダムの結果というものは極めて把握し難いのが通例である。しかし一部から、そもそも経済論議もエコノミストがどの程度自分の見解に自信をもっていたのかも、投票者や政策画定者には届いていなかった、という主張がでてきたのである。

たとえば英国財政研究所 (IFS) のディレクターを務めるポール・ジョンソンは、こうした意思伝達失敗の責任は専門家自身にあると主張しており2、次の3つの根拠を挙げる:

  • 一、専門家は基本的な経済学の概念を伝達できていなかった。ジョンソンはBrexitレファランダムに係る議論との関連で、為替レートが下落すれば英国市民は豊かになるとか、一国経済における雇用数は一定で変わらないといった謬見の存在に言及している。
  • 二、『全体としての迅速性・敏捷性・喫緊の重要問題に専念する姿勢の欠如』 も指摘される。
  • 三、リーダーシップの欠如。とりわけエコノミストの見解を伝達する役割が、個人や、英国財政研究所 (IFS)・Centre for Economic Performance (CEP)・Centre for Macroeconomics (CFM)・国立経済社会研究所 (NIESR) といった機関に一任されてしまっている。

明白なのは、経済学専門家全体が何らかの重要な知見を効率的かつ明確に開示する必要があるとの確信に至った場合でさえ、それに対応して本格的に行動を起こすためのスキルとリソースを備えた (権威有る) 機関が存在しないことだ。このようなとき先ず頭に浮かぶ機関に王立経済学会 [Royal Economic Society: RES] があるが、これは現在のところそうした任務を遂行するような体制をもっていない。実際、RESのホームページを訪問してもBrexitへの言及など殆ど見当たらないのである3 。同様の事はCentre for Economic Policy Research (CEPR) にも当てはまる。同機関がここVoxのサイトでBrexitに関心を注いできたのは事実だが、一組織として関連討議に参加したことはなかった。これら組織が前述の問いに答える一機関としての立場を採用しない1つの理由は、それがさまざまな研究者の包括的ネットワークとして機能しているものだからだ。

サイモン・レン-ルイスは示唆する。「全体としての声をもてなかったことは確かだが、今回は書簡や世論調査がその埋め合わせとなった。… そしてそもそもの始まりから、Brexitの長期的コストは、平均的世帯にとってのコストという観点から示されていたのだ」。問題の一部は 『政治コメンテーターの間に広く見られた経済学に関する (そして今回のケースではさらにヨーロッパに関する) 知識の欠如』 に在ると彼は見る4。ポール・ジョンソンの批判についても 「気候変動について十分に警告しなかったと言って科学者を非難するのに似ている」 と付言している。

だが、問題は意思伝達 (だけ) ではない可能性もある。エコノミストが、典型的に英国市民の間で直面される問題と疎遠であるだけの可能性もあるのだ。アカデミックなマクロ経済学者の殆どはイングランド銀行や英国財務省と頻繁に遣り取りをしているが、ジョセフ・ラウントリー財団など、個人やコミュニティレベルで経験される社会問題ともっと直接的に取組んでいる機関とはそれほど頻繁な交流がない。そうすると問題は、経済学専門家が近代経済の恩恵を受けている階級の一員と見做されているというだけでなく、それとは別の階級の一員でもある – つまりEUメンバーシップから殊更に恩恵を受ける特権階級の一員であるということなのかもしれない。

今回紹介する最新のCFM調査では、経済学専門家には何らかの変革が必要なのか – とりわけエコノミストの見解をもっと効率的に伝達し、かつ可能ならば専門家全体としての見解を表明するために、(少なくとも) 或る種の制度変革が必要なのではないかとの問いに焦点が置かれている5

別の分野では、権威有る機関が重要問題と関連して一般の注目を得ようとするのも決して珍しいことではない。例えば、王立看護協会は最近、資金援助削減およびそこから国民の健康に対して見込まれるネガティブな結果を警告する声明を出した6。こうした声明は報道機関によって広く取り上げられている。付け加えれば、報道機関は通例こうした声明をそのまま報告しつつも、しばしば追加的な背景情報も供給する。エコノミストの見解もまたメディアで報じられているが、そうした場面では、反対意見をもつ専門家がほとんどいない場合であっても、反論とセットになっているのが普通だ。

経済学専門家に関する制度変革?

さて1つ目の質問では、経済学専門家に関して 『何らかの』 制度的変革を真剣に考えるべきかが問われる。具体的な提案の無いままこうした質問に答えるのが難しいことは我々も理解している。また何らかの変革が必要だと考えるパネルメンバーであっても、どの様な変革が望ましいのかについては違いがでてくることだろう。したがって本調査で我々が明らかにしたいのは、専門家らは何らかの実体的な変革を真剣に目指すべきだと考えているのか、或いはそうではないのかという点のみである。

質問1: 経済学専門家には政策画定者ならびに広く社会一般とより効率的な意思疎通を行う能力およびエコノミストが統一見解を持っている時にはそれを明らかにする能力を向上させるような制度改革が必要である、という意見に同意しますか?; また、我々は協働の取組みを通じてこうした改善の実現支援を行う為のリーダーシップを導入する必要が有る、という意見に同意しますか?

41名のパネルメンバーがこの質問に答え、その内44%が同意または強く同意、7%が同意も反対もしない、49%が反対または強く反対という結果になった。自己評価による自信度でウエイト付けを行うと、均衡点は同意の方にシフト: 48%が同意または強く同意、46%が反対または強く反対、となる。

意見は割れたようだが、それでも同調査による質問の結果は次の2つの理由から注目に値する。

  • 一、補足コメントに示されているが、専門家に関して 「制度的変革…またリーダーシップの導入が必要」 とは考えないパネルメンバーであってもその多くは、アカデミックなマクロ経済学コミュニティと政策画定者ならびに広く世間一般との関係に問題が在ることを指摘している。
  • 二、ほぼ半数のパネルメンバーが、専門家の組織形態に関して何らかの実体的な変革の検討が必要なくらい問題は深刻あると考えていることは示唆的である。

本サマリーでは先ず、専門家が直面している問題だとパネルメンバーが伝えるものの幾つかを再検討するところから始めてゆく。続いて、専門家に関する変革は望ましくないか実現不可能であるとする理由が幾つか出されているので、その検討を行う。調査回答検討の最後に、何らかの変革が必要であるとする側から出されている幾つかの提案を取り上げ、筆を置くことになる。

或る種の経済問題はそれが多くの人にとって重要な意味をもっているのにもかかわらず、アカデミックな人員から十分な関心を受けていないと主張するコメントが幾つか出ている。チャールズ・ビーン (ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス: LSE) はこう書いている。「アカデミックなエコノミストは政策画定者や一般大衆の懸念ともっとしっかりと取組む必要がある。申し添えれば、一般的に言って経済学専門家はこの点に関してここ30年間退行を続けている」。レイ・バレル (ブルネル大学) は 「経済学専門家は政策的助言を軽視している」 と指摘する。具体例として配分問題や地域問題を、とりわけ貿易や移民との関連で挙げている。社会的結束や政治的安定性の問題についても話は及ぶ。

ニコラス・オルトン (LSE) は 「経済学専門家は民族紛争が経済成長に及ぼす影響についてなら喜び勇んで討論します。それがアフリカでの話ならば。しかしそういった議論も英国に関しては一切タブー、或いは経済問題ではないとして退けられてしまう」 と述べている。マーティン・エリソン (オックスフォード大学) は 「我々経済学者は貧困について、配分問題について、地域問題等々についても、金融委市場の監督や為替レートの値についてと同じくらい広長舌を振るわなくてはならないのです」 と言い添える。

一連の限られたトピックに活動が集中する理由を経済学専門家は幾つか挙げている。アンドリュー・スコット (ロンドン・ビジネス・スクール) はこう述べる。「我々経済学者は、独自の語法を練り上げつつ、自己増殖を続ける問題リストを展開しています。その結果として、我々の言う事にせよ、その言い方にせよ話題にせよ、もっと広い世間一般を煩わせている問題群から遊離してしまっている。専門家の多くがそうであるように、我々も内輪で語らう方を好み、喜んで独自の語法と概念を駆使しながら、そうした言葉を理解しないと言って他人を責める。或る意味、今回の調査もその新たな一例なのです。専門家以外、誰がこの結果に目を向けるというのでしょう?」。

レイ・バレル (ブルネル大学) は訴える。「我々の直面するインセンティブに変革が必要だ。昇進は研究成果の公刊とREF [Research Excellence Framework: 大学研究評価制度] 査定に掛かっているが、政策関連の成果物はあまり高く評価されていない。こういった現状が続く限り、我々の取組みが日の目を見ることはないだろう」。同様に、パニコス・デミトリアデス (レスター大学) もこう書き記す。「エコノミストがもっと実情と連関をもつようになるとしたら、先ずトップ学術誌が [支配的パラダイムに異議を唱える論文に対し] もっとオープンになるしかないだろう」。

確かに、経済専門家がいま或る種の問題に直面しており、そこに改善の余地も幾つか在るという点についてはコンセンサスが在るように見えるが、どういった対応が適切であるのかについては全くコンセンサスが無い。とりわけ、アカデミックなエコノミストの見解を代表するための制度やリーダーシップないし協働の取組みという案には強い反論がある。

繰り返し浮上する議論に、学問の独立の重要性がある。リカード・レイス (LSE) は書き記す。「知識人として、我々はやはり独立的に考え議論する時こそ良い仕事ができるものですが、こうした考えや議論が合わさって、特定の政策的選択肢に対し強力な異論を唱える場合もまたあるでしょう。… 何が 『共通の見解』 なのかを決定する 『リーダー』 の任用が、科学的探究の息を詰まらせ、窮極的には学問の自由を害する働きをすることも考え得るのです」。関連した議論がパトリック・ミンフォード (カーディフ大学) からも提出されている。彼の言葉を引こう。「通常、各陣営がどれだけの頭数をもっていたかを数え上げても、どちらが正しいのかは決まらない。これは凡そ科学の名を冠する全ての領域に当てはまる鉄則である」。

何らかの変革が必要であるという命題に同意するパネルメンバーのあいだでも、どうすれば変革を引き起こせるのか、とりわけRESの強化やリーダーシップの導入によってそれが達成できるのかについては、疑念が在る。しかし一部パネルメンバーからは具体的提案が出ている。ティム・ベスリー (LSE) はこう書き記す。「いま振り返ると、英国財務省は、幅広い領域から名の有る経済学専門家を抜擢して専門家団を立ち上げ、彼ら専門家に対しレファランダム前の段階で実証データの検討を進めるよう依頼すべきだった – こうした制度的対応案ならば私は支持したい。… LSE成長委員会は、長期的な経済実証データおよび問題群を検討する常設委員会の設立を推奨していた。同委員会は政府から独立的で、長期的政策画定にさいし幅広く助言を提供する能力を備えたものだった。… こうした専門家団が在ったなら、先ほど私が述べたような役割を果たしてくれたことだろう」。

サイモン・レン-ルイスはさらに、我々に必要なのは 「アカデミックなエコノミスト全員を対象とする (『花形』だけでない) 『定期的調査』で、核心問題に関するエコノミストの見解を明らかにすることだ」 と付け加えている。

最後に、一部パネルメンバーからメディアが経済問題を報ずるやり方に関しても改善の余地が在るとの主張が出ている点にも触れておかねばなるまい。デビッド・ベル (スターリング大学) は 「報道機関に自らの発言への説明責任をもっともたせる為のメカニズムが導入されること、またBBC憲章の見直しを通して、同放送局があらゆる議論には反対と賛成の両陣営が存在するとの印象を与える (したがって暗黙裡に両者を等しくウエイト付ける) のに終始するのではなく、専門のエコノミストのあいだにみられる議論のバランスを反映させるようになること」 を希望するという。

経済議論がレファランダムに及ぼした影響

次に挙げる一連の質問では、パネルメンバーに対し諸般の経済議論がレファランダムの結果に関してどれだけの重要性をもったかが問われた。彼ら専門家がこの問題に非常に関心を寄せており、また同時に注意深い観察者であるのも確かだろうが、本パネルメンバーは投票者が或る一定の投票行動を取る理由の解明を専門とする者ではない点を、我々は強調しておかなくてはならない。したがって我々は本調査を通して新たな領域に立ち入ることとなる。とはいえ、かなりの確信をもって提示されることも多かった諸般の経済議論が実際に何らかの役割を果たしたのかどうか、専門家に見解を尋ねてみるのは至極自然に思える。

質問 2: 英国の投票者が経済学専門家のほぼ一致した助言に反する投票をした理由について、何が最も有力だと思いますか?

1) 投票者は経済外の理由からEU離脱の選択をした;

2) 投票者は提示された経済議論を信用していなかったから (理由としては、例えば投票者にとっては反対意見を付したマクロ経済学者の議論の方が腑に落ちるものだった、或いは投票者にはそもそもエコノミスト一般に対する信用が乏しい等) ;

3) 投票者はエコノミストのもつ選好が自分達の選好から乖離していると考えている (予測されたネガティブな経済的帰結からも自分個人が影響を受けることはないだろうと投票者が考えていた場合も含む);

4) 同コンセンサスに至った理由をエコノミストは十分に明確な言葉を以て説明しなかったから; 或いは

5) 投票者はエコノミストのあいだにほぼ一致した見解が在ったことを知らなかった。

質問3から質問7では、今挙げた5つの可能性それぞれについて、それがBrexitという結果の 『重要な』 原因だったと思うかを尋ねた。

質問2も41名のパネルメンバーから回答を得た。多数派の54%は、英国の投票者が経済外の議論の方を重要視したことがBrexit支持投票をもたらした最有力原因だと考えている。投票者はエコノミストの選好が自分たちの選好と異なると認識していたとの見解も、Brexit支持投票の最有力原因として、22%という些末とは言い難い支持を得た。

これに対応するフォローアップ質問では、71%という大多数が (但し、『同意でも反対でもない』 を除外している) この不一致が実際に重要な役割を果たした旨を示唆している。関連論点は政治学者のマシュー・グッドウィンと オリバー・ヒースによる研究でも指摘されている: 「Brexit支持投票は謂わば 『置き去りにされた』 諸社会集団によって担われた。不安と悲観と疎外の感覚がこうした社会集団を1つに結び付けており、ブリュッセルにせよウェストミンスターにせよエリート層も自分達と同じ価値観をもっていて、自分達の利害関心を代弁してくれて、急速な社会・経済・文化的変化に対し自分達の抱える恐怖に対し我が事の様に共感してくれる、などと考えている者はそこにいない7」。

68%の多数派 (『同意でも反対でもない』 を除外) は、投票者は提示された経済議論を信用していなかったと考えている。補足コメントのおかげで、パネルメンバーがそう考える理由にも様々あることが明らかになっている。とりわけ、エコノミストの知見を広く世間一般に伝達するやり方について何らかの深刻な過ちがあったのかという点について、コンセンサスは全く無かった。

イーサン・イルゼツキ (LSE) は書き記す。「エコノミストはBrexitのコストについて非常に明朗に論じました。一般の人でもこうしたコストについて知らなかった者は殆どいなかったはずですし、また彼らも警告事項を大方信用していたと思います。この辺りことはメディアで非常に取り上げられましたので、Brexit支持陣営は守勢に追い込まれることになりました。我々経済学者のメッセージが一般の人に届いていないと感じたのなら、マイケル・ゴーブも 『専門家』 への攻撃や、エコノミストとナチ科学者との対比にまで手を染めることはなかったでしょう。Brexit推進者は専ら国家的プライド (『独立記念日』) や移民問題に訴えるキャンペーンを意識的に展開していましたが、それは経済的な費用対便益の文脈で戦っては不利だと知っていたからです」。

これとは対照的にデイビッド・コブハム (ヘリオット・ワット大学) は述べる。 「投票者は提示された経済議論を信用していなかった。それは部分的には非経済学者に対する我々の説明が下手だったことに原因がある。だから投票者はおそらく、エコノミストの見解の幅など殆ど見当が付かなかっただろう (こちらは部分的にBBCが 『バランス』 を取る義務を感じていたことが原因だった)」。

メディアが経済議論を紹介する仕方を問題とする者は他にもいる。モーテン・レイブン (ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン: UCL) のコメントを引こう: 「報道機関は論議状況を歪曲していた。BBCはその一例だが、Brexitを支持するたった1%の少数派エコノミストに対し、その他99%と同じ長さの放映時間を与えていたのである」。とはいえ、ほぼ一致した見解の存在を知らなかったことが重要ファクターだったと考えるパネルメンバーは30%に満たないし (『同意も反対もしない』 者を除いた場合)、それがBrexit支持投票をもたらした最有力原因だとする者は5%に満たない。

仮に、本パネルメンバーによる主要な査定が正鵠を射ているとしよう。すると、今回のレファランダムは専ら経済学以外の事柄に掛かるものだったのであり、エコノミストは経済議論が果たした役割についてさほど思い悩む必要はないのだと結論したくなるかもしれない。だから提示された経済議論が曖昧な所無くしかも公正に伝えられていなかった可能性についても気にする必要はない、と。

しかしもし、英国投票者の相当部分はエコノミストによって公に示された意見など 『彼らの様な人達』 にとって利益のある事柄を反映しているだけで、典型人の、あるいは/さらには、国全体の為になるのは何かという問題にフォーカスを置いた客観的研究とは関係ないと思っている、そうパネルメンバーが考え、それがほんとうに正鵠を射ているのであれば、アカデミックなコミュニティはこの事態を重く受け止めるべきであり、これは論を俟たない。

1つの案として、広い領域から代表者を選出し、非党派的な委員会を設立するというものが挙げられよう。こうした代表者ならば重要だと考えられる研究課題群の概要作成も可能なはずだ。そうして大学の側でこれら課題の進展にあたって代表者にどれだけ働きがあったかを重点的に評価することも出来るだろう。

さらなるインセンティブとして、政府資金援助 – これは例えば大学研究評価制度 (REF) によって決定するとして – を、こうした優先事案と関連した研究でどれほどの成果を収めているかに部分的に依拠させることもできるだろう。独立した審査体によるREFの見直しがちょうど公刊となったが、同案はここで推奨されている大衆関与や大衆理解へのインパクトを重視すべきとの意見とも整合的である8

原註

[1] https://mainlymacro.blogspot.co.uk/2016/05/economists-say-no-to-brexit.htmlhttp://cfmsurvey.org/surveys/brexit-potential-financial-catastrophe-and-long-term-consequences-uk-financial-sectorから閲覧可能な6月のCFM調査も参照。合衆国の主要エコノミストを対象とした最近の調査では、Brexitの投票結果が英国経済に (またその他EU諸国に) 長期的にもネガティブな帰結をもたらすと考える者が大多数だった。http://www.igmchicago.org/igm-economic-experts-panel/poll-results?SurveyID=SV_429IHJQVpBV1cnbを参照。

[2] http://www.ifs.org.uk/publications/8339を参照。

[3] 尤も、RESの2016年度年次会合の本会議でもBrexitについて討論が行われた。Voxに討論の概要がまとめられている: http://www.voxeu.org/article/royal-economic-society-s-panel-brexit

[4] https://mainlymacro.blogspot.co.uk/2016/07/economists-brexit-and-media-epilogue.htmlを参照。

[5] 全調査結果はhttp://www.cfmsurvey.orgから閲覧可能。

[6] https://www.theguardian.com/society/2016/jun/18/government-reckless-axing-student-nurse-fundingを参照。

[7] http://www.matthewjgoodwin.org/uploads/6/4/0/2/64026337/political_quarterly_version_1_9.pdfを参照。

[8] https://www.gov.uk/government/publications/research-excellence-framework-reviewで閲覧可能。

デビット・マイルズ 『Brexitのリアル: 離脱のコストと投票者の動機についてエコノミストにわかる事』 (2016年8月3日)

David Miles “Brexit realism: What economists know about costs and voter motives“, (VOX, 03 August 2016)


Brexitレファランダムは、EU離脱には多大な経済的コストが伴いそうだということを英国民に感得させられなかったエコノミストの失敗だった、そう考える人もいる。本稿では次の2点を指摘しつつ、もっと細やかな見解を主張したい。第一に、問題のコストについて、本当にコンセンサスなど在るのか、この点が疑問に付される。確かに主だった推定値は全て負の値をとっていたが、その数値はどちらかと言えば小さなものから、ほぼ10%近くに至るまでと幅広く – これをコンセンサスと言うのはかなり無理筋に思える。付け加えれば肝心のそのメカニズム – つまりBrexitの生産性成長へのインパクト – というのはエコノミストが本当の意味で理解しているものではない。第二に、合理的な投票者が同コストをEUの決定からより大きな独立性を得る為の容認可能な代償として受入れるという場合も考えられること。エコノミストは、こうした選択をした投票者は無知であるとか非合理的であるとか或いは経済的素養を欠いているとか、そういった事を教える者ではない。

編集者注: 本稿は初めVoxEUのebook 『Brexit Beckons: Thinking ahead by leading economists』 中の1章として刊行された。同ebookこちらから無料でダウンロード可能。

エコノミストのコミュニティはいま或る種の苦悩を抱えている。Brexitは多大な経済的コストを生じさせるものだという、一部からは圧倒的コンセンサスとさえ見做されているこの命題を、英国の投票権者に感得させることに失敗したという感覚が彼らを責め苛んでいるのだ。The Times (2016年6月28日) に宛てた思慮深い書簡のなかで英国財政研究所 [Institute for Fiscal Studies (IFS)] のディレクターであるポール・ジョンソン氏は次のように述べている: 「…明らかなのは、エコノミスト達の警告が多くの人から理解も信用もされていなかったことです。ですから我々エコノミストはいま、何故そういった事態が起きたのか、何故我々の間でほぼ一致をみた見解が彼らに届かなかったのか、これを己に問うてみる必要が有ります」。

Brexitレファランダムを受けCentre for Macroeconomicsがアカデミックなエコノミストの見解をしらべて行った最新調査では、次のような質問が為されている:

  • 「経済学専門家には政策画定者ならびに広く社会一般とより効率的な意思疎通を行う能力およびエコノミストが統一見解を持っている時にはそれを明らかにする能力を向上させるような制度改革が必要である、という意見に同意しますか?」
  • 「我々は協働の取組みを通じてこうした改善の実現支援を行う為のリーダーシップを導入する必要が有る、という意見に同意しますか?」

コンセンサスは在ったか?

しかし英国のEU離脱にまつわるコストにコンセンサスなど本当に存在するのだろうか? 中央推定値周辺に或る種のコンセンサスが在るとしても、そうした推定値の不確かさや、不確実性の大きさについて、見解の一致は在るのだろうか? そして仮にエコノミストの統一見解というのが過去には在ったとしても、それが無視されたというのは本当にそれほど明らかなのか?

レファランダムを間近に控えた時期に公刊されたIFSのレポートBrexit and the UK’s Public Financesには、BrexitがGDPに及ぼす長期的インパクトに関する諸推定値の包括的要約が掲載された (Emmerson et al. 2016)。同レポートの表3.1 (下の表1はそれを再掲載したもの) に2030年度のGDPへの影響の推定値が示されているが、その数値は数パーセントのコストにはじまりほぼ10%に至るまで幅広い。殆ど全ての推定値が負の影響を伝えているという意味でなら、確かにこれを以てコンセンサスが在るとも言えよう。しかし諸推定値間の差は非常に大きいので、これを 『統一見解』 とするのは無理が有る。

我々は肝心な経済決定因子を把握していない – 生産性成長

その原因となっているファクターの1つに、GDPに長期的悪影響を及ぼす可能性の有るメカニズムが十分には把握されていないことがある。決定的ファクターの1つ – と言うよりまさに決定的ファクターそのものであるのはほぼ間違い無いのだが – は、英国がEU外部に置かれる結果として、これから先、生産性がどのように変化してくるか、これなのだ。その経路の1要素をなすのは先ずBrexitと外国直接投資の関係、次に外国直接投資と生産性の関係だが – どちらも決して容易に予測できるものではない。

表1 Brexitのインパクトに関する諸研究のIFSによる要約

原注: a [左列下から3行目の “Oxford Economics”] について: 穏健な政策シナリオをもったFTAが中央推定値とされている; 範囲は 『リベラルな関税同盟』(-0.1) から 『ポピュリスト的MFN [最恵国待遇] シナリオ』(-3.9) まで; b [右列最下行の “Budget, trade”] について: 規制のインパクトは個別に査定されている。なお、推定値は2030年度のGDPへの影響を表すもの。
出典: Emmerson et al. (2016).

より一般的な話になるが、何が近年の英国労働生産性を動かしてきたのかについて、エコノミストの理解は極めて乏しい。2007-2008年の金融破綻以降の期間をみると、英国の労働生産性はすでに、同金融破綻の間際に予期されていた所から恐らく15%かそれを超える程度低い水準に達している。イングランド銀行は何千ものエコノミスト時間を出動し、この凋落の原因解明に向けた活動に充ててきた。が、破綻から8年も経過し、多くの経済指標 (例: 失業率、銀行資金調達ストレスや信用供与能力) が一見したところ通常といってよい状態にまで回復した現在になっても、生産性がこれほど貧弱に留まっている理由は、平たく言えば依然として謎のままなのだ。

Brexitの長期的コストにとって唯一無二の重要性をもつ決定因子 – 即ち生産性へのインパクト – だが、金融破綻後の英国一人当たり産出量の変転を目の当たりにしたあとは我々エコノミストとしてもやはり、その予測に些か自信を持ち難くなっている。

貿易関連のインパクトは比較的推定し易い

Brexitに由来するGDPへの悪影響であっても、純粋に貿易関連的側面に限れば比較的信憑性の有る推測ができるかもしれない。そしてこの領域で働いている経済メカニズムはもっと直観的なものである: つまり、貿易の減少が専門化の減少を意味するのなら、国はより多くの資源を自らが比較優位を持っていない領域に注ぎ込むことになる訳だ。経済の開放性が生産性と繋がっていることを示す実証研究データは非常に多い。そしてこうした実証データの中には極めて目を惹くものがある – 例えば北朝鮮と韓国を見て欲しい。実際のところ、開放性を相当程度落とした経済への退行は、所得に対し極めて有害に働くものとなる可能性が圧倒的に高いのだ。とはいえこうした観測が、EU外部に置かれた英国の先行きに対しどれ程の関連性をもっているのかは、全く明らかではない。

何れにせよ、Brexitの純粋に貿易のみに関する影響 (つまり、時を経る中で現れてくる生産性成長への潜在的悪影響を脇に置いた場合) は、むしろ小さく推定されることが多い。Centre for Economic Performanceによる或る研究は2030年度のGDPに対する貿易の影響をGDPの1.3%から2.6%の間に位置付けている (Dhingra et al. 2016)。GDPの1-3%を些事に過ぎないと片付ける人はいない。しかしこういった数値を見る際には文脈の考慮が大事である – 現在の英国GDPは、2008年金融破綻以前の時期において同国の経済トレンドだと思われていたものが持続していた場合とくらべると、ほぼ20%も低くなっているのだ。

投票者が経済的推定値を無視していることを我々エコノミストが知っているというのは本当か?

しかし想像力を働かせ、BrexitがGDPに及ぼす長期的影響に関するこの些か幅の広い中央推定値を脇に置き、さらにこうした中央推定値のいずれに関しても当てはまる巨大な不確実性にも目を瞑り、ただエコノミストの間には影響について1つのコンセンサスが在った、そしてそのコンセンサスとはBrexitは所得に対して極めて有害に働くというものだった、そういう見解に従ってみよう。さて、そうしたコンセンサスが (実際に存在していた限りでの話だが) 離脱に票を投じた人達から無視されたことを示す証拠とは、一体どんなものなのか? 思うに我々はエコノミストとして、この点に関して如何に無知であるか、それについて飽くまで現実的になるべきだろう。

1つ明らかな事が在る。合理的な投票権者ならば、EU離脱に経済的コストが伴うだろうことを認容したうえでなお、英国が限定的な発言権しかもたない或る種のEU決定を受け入れなくて済むようにする為の代償としてなら認容可能であると考える場合も在り得るだろう。そしてこの種の決定は明らかに実在する – 欧州司法裁判所の判決や金融規制に関する法令をはじめ (例: 銀行分野での上限平準化 [maximum harmonisation] に基づき資本規制を創設する奇妙な決定、或いはボーナスに関するEU規制)、人々の入国権を認容する過程に関してもそうで、こうした人々に市民権を付与するかどうかを決定するのは他のEU諸国なのだ。

エコノミストは、こうした決定に拘束されるのを避ける方を価値有りとし、その代わり数パーセント分所得が減少する可能性を容認する人が無知であるのか、非合理的であるのか、或いは経済的素養を欠いているのかについて、語るべき言葉を殆どもたない。久しきに亘り多くの欧州委員会出身者が 『絶えず緻密化する連合』 の望ましさ、さらにはその必要性を、念仏の如く唱えてきた。エコノミストは確かにあなたに模範解答を教える。しかしそれは飽くまで次の問いに向けたものである。すなわち、「そういった事態を避けるのに、私はどのくらいの代償を支払う必要があるのか?」、と。

そして、この至極曖昧な 『絶え間なく緻密化する連合』 なるコンセプトがこのさき損害をもたらしかねないにしても、そのリスクの回避には前述の代償を支払うだけの価値は無いというのが、たまたま私の考えだった、それだけのことだ。とはいえ私は、他の見解をもっていた人達は無知なのか、さもなければ酔っぱらっていたのだろうとか、そんな風には思っていない。そうした投票のもたらす経済的帰結を理解していれば彼らだって別の票を投じたに違いない、という考え方は正しくないのである。

参考文献

Dhingra, S., G. Ottaviano, T. Sampson and J. Van Reenen (2016), “The consequences of Brexit for UK trade and living standards”, Brexit Analysis No. 2, London: Centre for Economic Performance.

Emmerson, C., P. Johnson, I. Mitchell and D. Phillips (2016), Brexit and the UK’s Public Finances, London: Institute for Fiscal Studies.

 

 

デイヴィッド・ヴァインズ 『英国の未来への希望: Brexit後のEU残留』 (2016年7月16日)

David Vine, “Hope for the UK’s future: Remaining within the EU after Brexit“, (VOX, 15 July 2016)


EUメンバーシップをめぐる英国レファランダムの結果として何が起こるのであれ、英国政治の内部者、英国官庁の内部者が、いま巨大な課題に直面していることに変わりはない。本稿では、彼らの熱心な取組みが、事に依れば本当に英国がEUの1加盟国に留まるという結果に繋がるかもしれない理由を示唆する。またこの可能性を閉ざさずに置きたいと思う人に向けて、4つの部分から成る行動計画を詳述する。

本稿は、英国が最終的に欧州連合の1加盟国に残留する可能性を真剣に受け止めるものである。

これから起こるのが何であれ、英国政治の内部者、また英国市官庁の内部者が、いま巨大な課題に直面していることに変わりはない。本稿では、彼らの熱心な取組みが、事に依れば本当に英国がEU1加盟国に留まるという結果に繋がるかもしれない理由を示唆する。続いて私は1つの行動計画を詳述するが、これはこの可能性を閉ざさずに置きたいと思う人に向けたもので、4つの部分から成る。

先ず我々がどのような過程を辿り現状に至ったのかを理解しておくことが重要だ。あのレファランダム投票はEU反対の投票ではなかった。それはロンドンに対する公然たる侮蔑の表現だった; それは本国でポスト-サッチャー期、ポスト-ブレア期にみられた経済体制に対する反意、結果の不平等と機会の不平等とが急激に拡大した同経済体制に対する反意を示す投票だったのだ。2008年のグローバル危機以降、英国におけるマクロ経済的対応政策 – 緊縮政策 – は、富裕でもなければ、危機を招いたのでもない人達に、大きな犠牲を強いてきたが、その一方で危機を招いた張本人である富裕層は痛い目をみることなく無事やり過ごした。またそれ以前の段階で既に、労働市場の規制緩和があって前者の脆弱性は高まっていた; そしてそれはロンドン成長三角地帯への機会偏在化の進行と歩を同じくしていた。あまり豊かでないこれらの人達は何時の間にか自分が緊縮的世界に放り込まれていることに気付くが、そこで待ち受けていたのは技能・冒険心・企業家精神を兼ね備えた東欧からの移民に由来する厳しい労働競争だった。こうした移民は長らく一種の脅威であるかと思われてきた – そして現実の脅威と成って既に久しい。離脱票はこの事実の1つの帰結だった、私はそう考えている。

『EUに残留せよ』 行動計画は次の4つの部分からなる: マクロ経済政策画定にあたって一種のニューディール政策を採用する; 英国内部の労働市場規制を練り上げ、労働力の自由な移動に関する欧州原則と整合的な形で移民に対処する; どうすれば他のEU加盟国と交渉し、我々とこれら加盟国の双方が必要としている諸々の事柄の達成を目指してゆくにはどうすれば良いか、その方法を模索する; 英国民の前に、離脱の投票をした人達の要求も満足させるような諸改革のパッケージを提示する。

マクロ経済政策画定におけるニューディール: 緊縮の終わり

先ず第一に、国内マクロ経済政策の画定において一種の 『ニューディール政策』 に着手するのは可能であるし、当然そうすべきであることを述べる。

1933年に公務就任となるや、ルーズベルト大統領は世界恐慌と闘うべく自らのニューディール政策に着手した。例えば、テネシー川流域開発公社が設立されたのも、同恐慌の影響を特に被った地域における経済発展を可能とするという目的の為だった。このニューディール政策はケインズ主義的プロジェクト – 公的資金の支出を増やせ – だったが、その眼目は一種の集団的目標の感覚を与えるような諸般のプロジェクトにあった; ニューディール政策にはこの目的を後押しする多くの改革が相伴っていたのである。ルーズベルトが取った政策行動は全ての市民に対し、自らが抱える問題を、皆と一丸となっての行動を通して解決するチャンスを与えたのだ。1945年には英国でも労働党が同様のビジョンを提示し、これはベヴァレッジ型福祉国家と国民保健サービスにまとまった。これと同じ頃、(私の出身国でもある) オーストラリアでは、一大戦後復興プロジェクトによって軍役から戻った50万人超の人々がその後二年以内に再び仕事に就いた。小さなこの国にしてみれば膨大な数字だが、しかもこれは多くの移民、大人数の避難民と両立していたのである。こうして彼らは自分達全ての為の新たな国の立ち上げに着手したのだった。

これに似た何か、同じく大々的に取り行われる何かが、いま本国にも必要なのだ。

この種の行動は – 現在に至るまで – 財政緊縮というマクロ経済政策によって阻まれてきた。しかし新たな政府の発足とともに、この政策もついに死に絶えたのである。

いまや免職の憂き目をみた財務大臣ジョージ・オズボーンだが、彼はその職を解かれるに先立つ時点で既に、2020年までに政府財政を黒字に復帰させるという自らの目標を打ち捨て、自身の目玉戦略を無軌道にも放棄している。スピーチの中で彼は述べているが、レファランダム投票の影響に鑑みれば、政府は 「今十年期末までの黒字達成に関しては現実的になる」 べきだという。彼の行動は全く 『無軌道』 と形容できる、自らの行動を弁じて辛うじて提示できた唯一の理由が、『現実的になる』 だというのだから。しかし 『現実的になる』 というのは理由になっていない。そして、何れにせよ、彼はいまや職を去ってしまったのである。

この新たな世界で我々が問わねばならないのは、どれほどの早さでならば財政状況を黒字に戻すのが 『現実的』 となるのか、である。 この問いに対する答えを得るには、先ず次のもっと焦点を定めた問いに対する答えを得ておくことが求められる: 即ち、どの程度までなら公債を容認できるのか? 勿論、マーティン・ウルフをはじめ多くの者が述べてきた様に、実質金利がマイナスの時には、インフラ投資実行の際にも費用はかなり少なく済むし、公共支出の増加は、種々の資産 – 道路、空港、学校、病院、等々 – を創出するので、その資産をつかって生み出された公債を差し引くことも出来る。それでもなお、限界は在る。何処まで行ったら行き過ぎになるのか? 英国経済がさらなる負債の余地を残しているのは明らかだと私は思う。ラインハートとロゴフがその著作This Time is Different [邦訳: 『国家は破綻する――金融危機の800年』] に記した恐怖譚を受けてもまだ考えは変わっていない。しかしこの論点は研究されて然るべきものでありながら、本国に関してはこれまで適切な研究がされていない。こういった研究の欠缺は一種のスキャンダルである。本国オックスフォード大学のサイモン・レン・ルイス [Simon Wren Lewis] などなら、この論点に関して見事な研究をしてくれそうなものなのに。

しかし我々はどの様なニューディールを必要としているのか?

北部パワーハウス案は取り得る手段の1例だ。このプロジェクトならば北部イングランド、とりわけマンチェスター・リバプール・リーズ・シェフィールド・ニューカッスルといった核都市 [core cities] における経済成長の加速も実際に可能だろう。それを通して、ロンドンや南東部から離れた地域の成長に拠点を設けてくれるはずだ。こういったプロジェクトは北部中小企業の在り方にあらゆる点で変化をもたらすだろう; そうなればこれら企業が南に200マイルも隔てた地域にインフラ支援を求める必要もなくなるはずだ。

こうした可能性は本国の至る所に見出せるが、それはとりわけ経済的展望の極めて暗い地域に当てはまる: デヴォンやコーンウォールをはじめ、ウェールズバレー、またスコットランドとの国境直下に位置する北東部の離れた地域がこれだ。考え得る取組みの例を無作為に挙げれば、ニューカッスルからエディンバラに至るA1の整備がある; もし実現すればスコットランドとイングランドを繋ぐ第二の中央分離帯付高速道路が、常時渋滞状態のM6の他に誕生することになるだろう。例は他にも沢山在る; まだまだ多くの家屋 – および学校 – が必要なのだが、これをロンドンから離れた地域に建設することは可能であるし、当然そうすべきだ。

これら地域における公共サービスの削減は情け容赦の無いものであり、その為にロンドンに対する疎外感が極めて大きく高まっている。こういった流れを逆転させることは可能だ – そして当然そうすべきである。また教育システムはこれら地域の恵まれない若者に対しより良い機会を提供し、福祉給付への依存から抜け出す道を与えなくてはならない; 詰まるところ給付削減という鞭の一辺倒だったこれまでのやり方ではなく、謂わばニンジンを眼前にかざす形になる。これら地域に住む若者は – 十全の訓練を受けられた場合であっても – 価値ある仕事を求めて南に行くだけの余裕が文字通り無いのだ。そして彼らが其処まで何とか辿りついても、こんどは技能をもった移民によって求職者の列から追い落とされてしまう。

何が為し得るのか。その考え方の1つにバーネットフォーミュラの拡張が在るだろう。これは北部アイルランド・スコットランド・ウェールズ、またイングランド内部における幾つかの不遇地域に対し、公共支出を割当てる際に利用されるものである。

しかし最善の公的インフラプロジェクト群に移行する為に我々は何をすべきなのか? どんなプロジェクトを選択すべきか? 如何にしてニューディールの感覚を創り出すのか?

この問いに対し、オーストラリアは1つの答えを提供してくれるかもしれない。1980年代から1990年代早期に掛けて存立していたオーストラリアのホーク=キーティング労働党政権は – いまではそのラディカリズムが高く評価されている政権だが – その発足時にキャンベラで国家経済サミットを招集している。同大会でお偉方歴々と、有力者からそうでない者まで様々な市井の人々とが一堂に会すと、群衆は一致団結し、国民経済政策画定について一種のコンセンサス形成を成し遂げたのだった。同大会を通じて、公の目標を共有しているという感覚が生まれたのは確実だ。このオーストラリアの事例は倣うに足るものかもしれない。

労働力の自由な移動に制限を課すという可能性

第二に、我々は本国における移民の取り扱いを変更することが、それにもかかわらず、EUの掲げる労働力の自由な移動という原則との軋轢回避を可能にするかもしれないという理路をもっと良く理解しておく必要が有る。単一欧州市場への継続的アクセスは同原則の尊重をその条件としているのだから、この点の理解は重要だ。

労働者の自由な移動はEUの基本原則である; 欧州連合の機能に関する条約第45条に規定され、EU関連の派生法と欧州司法裁判所判例がこれを発展させてきた。EU各国の市民には次の権限が付与されている: 別のEU加盟国に職を求めること、就労許可の必要なくその地で労働すること、同目的の為にその地に在住すること、雇用が終了した後にも引き続きその地に滞留すること、雇用へのアクセスや労働条件およびその他全ての社会的ならびに税制上の優遇措置に関して当該国の国民と同等の待遇を享受すること。

それにもかかわらず、過去に目を向ければ、現状とは異なる事態が生じていた可能性も考えられる。先ず1つ目。もし英国政府が2010年の時点で緊縮政策を中断し、極めて低い金利で借入を行い、主にロンドン三角地帯から離れた地域における家屋・学校・病院・道路の建築に画策していたのならば、本国に到来しつつあった多くの移民の受入れもずっと容易に為し得ただろう。2つ目。他の欧州諸国が新たなEU加盟国との関係で維持してきた種類の労働移動制限ならば我々も維持し得たはずである。EU拡大の殆どのケースで種々の移行措置が採られてきたし、ごく最近、2003年・2005年時における直近の加盟条約の際にもこれが採られた。こういった手段のおかげで加盟国はまだEUに加盟したばかりの国から来た労働者のもつ、別の国に自由に移動しそこで労働する権利に対し、一時的に制限を課すことができたのだが、英国もこの手段を2011年まで継続できたはずだ。これら2政策を採っていた場合、両者合わせて考えれば、より迅速な復興という結果が生まれていたかもしれない – 需要は底上げされていたのだから。さらには、移民の数も幾らか少なく済み、したがって国内の恵まれない住人にとって機会の感覚はずっと大きかったかもしれない。そしてこうした連携政策が施行されていれば、依然として本国に向かって来ていた移民もずっと温かく迎えられていただろう。政策へのこうしたアプローチにはもっと早い段階で全国生活賃金 [national living wage] の賦課が相伴っていた可能性があるし、また当然そうなっているべきだったが、それが大規模労働下請け業者の行っている、非常な低賃金での、大規模輸入労働者雇用を締め出す形になったかもしれない。この慣行こそ新たな加盟国の登場以来我々が絶え間なく目の当たりにしてきたものであり、労働市場の下端における労働条件を事実上切り崩してきた当の動向だった。いま述べたことが為されていたのなら、本稿冒頭で詳述したような忌むべき顛末も、その多くが回避できたはずだ。

英国とEUとの関係交渉を外部から、或いはEU内部に残留しつつ進めてゆくのか、いずれの形になるにせよ、いま述べた様な事をこの先我々は為し得るだろうか? それは不可能ではないように思える。同条約には既に、『深刻な労働市場の混乱』 の文脈で、一種の防衛手段として、加盟国が労働力の自由な移動に対し制限を課すことを許すセーフガード条項が存在する。 ルーマニアからの労働者との関連で、2011年にスペインが導入を許可された制限はその一例である。同条約におけるこの様なセーフガード条項の存在は、労働力の自由な移動という原則を絶対的権利から条件付権利へと、具体的事情に従って移行させるのに都合が良い。なお、その実施は裁量に依ることとなる。そうすると問題は、英国の状況に鑑みて、今後こうした裁量が可能となり得るか、という問いに変わる。この問いに対する明確な答えはまだ無い。

こうした方面での変化はそれが如何なるものであれ、おいそれと実現できるものではないだろう。確かにヨーロッパの経済学者のなかには既に管理移民 [managed migration] という案を議論し始めた者もいる。例えば2週間と数日ほど前には、リスボン近郊に位置するシントラでECBが開催したジャクソンホールでのそれを思わせる年次会談でも、一部の経済学者がこうした提案を出していた。しかし、反対の声もまた強そうなのだ。現行の非管理的なEU移民政策はいまとなっては変え難い一種の政治的均衡となっているとも考えられる。こうした変化をもたらそうとするあらゆる試みは2つの種類の反対と衝突することになろう。中央および東部EU諸国にしてみれば騙されたような気持がするはずだ、外国で働く機会というのはこれらの国の市民が熱望する数多の事柄のなかでも中心的なものなのだから。そしてEU15諸国の方も労働力の自由な移動への変更に対してはそれが如何なるものであれ原則問題として反対する公算が高い、何故かと言えばこの自由はオリジナルのローマ条約において規定され、その後も – 現在までは – 議論の俎上に乗ることが全くなかったからだ。いま述べた全ての事情を斟酌してなお、ヨーロッパ内部にこの方面へ動きが現れてくるのは不可避だと私は考えている。この点については本稿の後の方で議論したい。

ヨーロッパのパートナー達が何を求めているのかを理解する

第三に、我々はこの一大ヨーロッパプロジェクトがいま深刻な危機に陥っており、ヨーロッパのパートナー達は我々に助けを求めているのだということを認識する必要が有る。

規則執行に対するドイツの執心、これにブリュッセルへの権力集中をめざすフランスの断固たる意志が合わさって、ヨーロッパ内部における政治過程はますます同意を得難いものになり、ヨーロッパプロジェクトに対する支持も減退を進めている。これによって危機に晒されるのがヨーロッパ内部の継続的協働であるが、それは本稿の扱う経済問題に限らず、外交政策や司法問題また保安ならびに国防の領域にも及ぶ。この協働はじつに多くの困難辛苦の末、75年もの極めて重要な取組みを経てはじめて打ち立てられたのち、現在になって危機に瀕しているのだ。

私自身、最近シントラでのECB大会で3日間を過ごした際、この危機を直接目にする機会をもった。同会議では、ドイツの 『リーダーシップ』 が、フランスからの常軌を逸した後押しが随伴する時には殊に、ポルトガルの様な国に対して如何に抑圧的になってきたか、また彼らの様な国民に対しても如何に抑圧的になってきたか、ポルトガルの年配欧州議会議員らが私に詳説してくれたのだった。同議員らが私に言うには、英国の公務員、また政治家は、ポルトガルの様な国の議員にとっても、またこれら南ヨーロッパ諸国のめざす目標にとっても、この難しい状況にあってこれまで大きな支えとなっていたのだという。我々はいま、こうした人々を裏切るという危険を冒しつつあるのだ。

議論を経済問題における協働に限定しても、現在危機に晒されている事案が3つ在る。

1つ目の一大ヨーロッパ経済プロジェクト、欧州経済通貨同盟 [European Monetary Union] はいま深刻な危機に瀕している – それは周知の通り。今後10年を通した多大な努力が無くては、順調に機能するEMUの創出など – それどころかEMUを崩壊から防ぐことさえ叶わないだろう。そこでヨーロッパには何らかの形の銀行同盟、何らかの形の財政損失保険 [fiscal insurance]、そしてマクロ経済政策画定にあたっての新たなルール群を見つけ出す必要が出てくるはずだ。これら全てが合わされば、現在EMU加盟国がヨーロッパの南端周辺に位置する諸国に課している負担は、ユーロゾーン全体に適切なやり方で分散される。私自身、ヨーロッパの通貨同盟の不適切運営の中でしでかされた深刻な失策や、こういった不適切運営がグローバルな経済システムに押し付けている負担 (英国でも、同国から遠く離れた国々でも) について、また同不適切運用が改善可能であることについては、詳細に論じてきた。私の他にも多くの経済学者がこれについて論じている。この論点に関して整理すべき点は沢山あるが、どれも英国に直結した問題である。

2つ目の一大ヨーロッパ経済プロジェクト – 労働力の自由な移動 – もまた厳しい重圧に喘いでいる。それも英国だけでなく、EU全体で。私の考えでは、同プロジェクトもまた、続く10年の間に、その他27のEU加盟国との関連で、つまり単に英国との関連でではなく、修正される必要がでてくる。英国に限らず、ヨーロッパでは多くの分析者がどうすればこれが可能となるのかの検討をすでに慎重に進めている。そこには先に述べた様な例外規定の変更や、労働市場規制などの利用も含まれている。ビサ無し渡航や迅速なパスポート手続きが人の移動に関して今後も存続するだろうことは確かだ。しかし私は、自動的に認められる労働と定住の権利に制限が課されてくるのは不可避だと考えている。同様にして、福祉と給付・健康サービスの提供・避難民保護の問題などの統制という繊細な取り扱いを要する論点はみな、結局部分的にはもとの国家的統制に帰着することになるだろう。上手く改革を遂げれば、新たに生まれたEUにも旅行や労働また勉学で行き交う人々が依然として相当数みられるだろう。しかしそうであっても、こういった流動に対し一定の国家的政治的統制を保持したいという欲求を満たしてやらねばなるまい – また満たしてやることになるだろう。私は上で既に、この種の変更に対する反対がどれほど強いものとなり得るかについて述べた。そのうえでなお、変更は為されるだろうと考える。この点についても、英国に直接の関係性をもった数多くの整理すべき論点が在る。

3つ目の一大ヨーロッパ経済プロジェクト – 単一市場 – は喫緊の危難に瀕している訳ではない。しかし同プロジェクトは不完全なものである。財からサービスまでの単一市場の拡張というのは、困難ではあるがそれが為されれば英国のサービス提供業者に多大な見返りがあるだろう課題だ。但し、それは拡張が適切に為された場合の話だろう。ここでも乗り越えるべき壁は相当高いのである。

ヨーロッパで多くの思慮深い人々がいま次に何を為すべきか思案している。去年発行された所謂 『Five Presidents Report』 ではこの先取り得る1つの道筋に関しての見解が展開されている。しかし私の見解では、ヨーロッパ権力の中央集権化をこの先取り得る唯一の道筋としている為に、この見解は深刻な誤りを抱えたものだと言わざるを得ない。同レポートをめぐる議論は – 特に先ほど取り上げた3つの論点が関わる場面で – ヨーロッパの未来、そして英国の未来に、極めて大きな重要性をもってくると見込まれる。

こうした議論では英国の関与が肝となるが、それはただ英国にとってだけではなく、ヨーロッパ連合の一員であるその他27加盟国全てにとって当てはまる。過去には英国のヨーロッパへの関与が不十分であった時期が幾つかあった: ナポレオン戦争に至る流れのなか、英国は自らの帝国に没頭していた; 第一次世界大戦勃発直前にも、英国は北アイルランドに没頭していた。その顛末は、これら何れのケースでも、喜ばしいものではなかった。英国がEUの将来設計、そしてその改革の場面との関与を保つことは、ヨーロッパにとって必須事項なのだ。

EUに残留しつつより満足できる成果を達成する

最後に、これまでに挙げた3点は、全て合わせると、英国がEU加盟国として残留する道筋を実際に指し示しているのかもしれないことを我々は理解しておく必要が有る。

この主張を支持する私の議論は、これから順を追って説明するように、4段階からなる。

一。明確な計画も、そういった計画に対する残余のヨーロッパ諸国の暗黙の同意も無いまま第50条の援用に飛びつけば破滅的事態が生ずるだろうと私は考えている。Gus O’Donnellが10日前に我々を確信させてくれたのは、そういった早計を一つとして見逃さず確実に回避し、必要な計画作成を慎重かつ専門的知見から、節度をもってやり遂げるだけの力が、高度な訓練を受けた専門家集団である英国官庁には有るということだ。

二。こういった慎重な計画作成を続けるうちに、もしEUから離脱するならば、一方で単一市場へのメンバーシップを危殆化しながら、他方で労働力の移動に関しても満足のゆく結果を得られそうにないことの認識に至るだろう。これが熟慮の末到達した私の見解である。つまり私の考えでは、Brexitの交渉はそれがどの様なものであれ、慎重に推し進めた場合であってもなお、本国の情勢を現状よりかなり悪化させる結果に向かうことになる。EU離脱の意思決定をした後で、英国がEEA協定への加入に前向きになるとは考え難い、英国にしてみれば同協定はEUメンバーシップと比べて遥かに見劣りするものだ。そしてスイス型の取決めも致命的だ。従って残る選択肢はカナダ型FTA、或いはその他のFTAとなるが、こちらには労働力の自由な移動も金融サービスへのパスポーティング制度も無い。こうした場合、基本的に、(農業生産物を抜いた) 財の自由貿易領域と、(金融サービスのアクセスやヨーロッパにおけるルール策定へのアクセスを抜いた) サービスの部分的自由貿易領域という結果になるだろう。私の目にはこれはあまり魅力的に見えない、また英国民にとって魅力的なものになるかと言えば、それも疑わしい。こうした交渉はそれが如何なるものであれ、離脱に票を投じた人達が、実際にEUを離脱してみたらそれが自分自身の経済的政治的先行きに深刻なダメージを与えるものであったと気付きはじめた時、後悔と痛苦に終わる非常に現実的な恐れが在る。たとえ真摯かつ慎重に事を進めても同じことだ。

三。これまでの2段階の結果として、英国政治の中核に位置する者、また同じく英国官庁に所属する者には、彼らも望んでいるだろう、この国をEU内部に留め置き、しかも、離脱よりも優れた結果をこの国にもたらしてくれるような、そんな交渉結果を実現する為の一連の計画を練り上げる必要がついに出てくると私は考えている。しかし私はまた、こうした計画はそれが如何なるものであれ、我々は離脱すべきだとの票を投じた人達の目標を尊重する必要があるとも考えている。こうした目標が生じた事情については本稿の冒頭で詳述した。

四。こうした残留という結果の可能性を生き延びさせる為には、交渉結果をレファランダムに掛ける約束を取り付けたうえで、本国がEUの1加盟国に残留した場合に生じ得る事態に関し思慮に思慮を重ねた代替的案も併せて提示された状態がハッキリと確保されるまでは、第50条の援用を避けるべきだと私は考えている。

英国一般国民に向けたEU残留の可能性についての提案はそれが如何なるものであれ – 離脱の票を投じた人達にアピールする所ももつ様に設計したうえで -、次の4つの事項を兼ね備える必要が出てくる。

  1.  マクロ経済政策画定における一種のニューディール政策の形で未来への希望を提示すること。そこで中心となるのは上で詳述したような、公共事業計画と、緊縮政策撤廃に向けてのコミットメントである。
  2.  国内労働市場について、また移民に関するルールについて、一通りの改革案が含まれていること。後者は、何物にも掣肘されない労働力の自由な移動が本国のそれほど豊かでない人達に対し間違い無くもたらすダメージに制限を課すもの。
  3.  英国民に対し – 今までに無いやり方で – ヨーロッパ内単一市場の保持と強化に英国民の未来のどれほど多くが掛かっているのか、そして英国はこの強化において主要な役割を担う加盟国なのだということ、この点をもっとハッキリと明確にすること。
  4.  最後に、英国がEMUに加入しないこともハッキリさせる必要が有るだろう。本稿ではこの論点についてこれまで触れてこなかったが、どうも離脱に票を投じた人達がそうした選択をした背景には次の様な危惧事項が在ったのは確からしく、じっさい残留陣営もそれを十分に否定し去らなかった。つまり、英国が何らかの形でこの通貨同盟に吸収されるのではないかという危惧が在ったのだ。ヨーロッパがユーロゾーン内部のマクロ経済政策を漸く運営しはじめる – それもユーロゾーンにとっても、英国にとっても、また世界のその他の国々にとってもより良い形で -、これを確実にする為に、英国が一役果たすつもりでいること、これも併せて明確にする必要があるだろう。

この先のこうした道筋も、技術と慎重さえ在れば、自らの懸念に対処しようとして離脱の票を投じた英国国内の人達に対し、適切に提示できるはずだ。

この先のこうした道筋は他のヨーロッパの国々に対しても提示し得るだろう。それはこうした道筋が、これらの国々にとっても自らの懸念を解消するのに役に立つものであり、ただ英国が自国の懸念を解消するのに都合が良いというばかりではないからである。なお、こうした国々が何を懸念しているのかについては既に上で言及した。労働力の自由な移動をめぐるEUの原則についての再交渉がヨーロッパ内で始まるのならば、といってもまず間違いなく始まるのだが、英国の労働市場規制に関する改革、また移民の管理に関する改革が、同原則と両立する形で為し得るような結果を確保することがとりわけ不可欠となる。

こうした代替案の策定には知慮賢謀に長けたリーダーシップが求められるだろう。しかし必要なのはそうした計画なのであり、我々にはその策定にあたって十分過ぎる能力が有る、私はそう考えている。

 

 

ヴォルフガング・ケラー, ハーレー・ユーター 『Brexit以後のグローバル化と二極化』 (2016年7月5日)

Wolfgang Keller, Hâle Utar, “Globalisation and polarisation in the wake of Brexit” (VOX, 05 July 2016)


 

EUメンバーシップをめぐる最近の政情変化の一部はグローバル化へのますます強まる敵意が引き起こしたものである。本稿ではデンマークの実証データを利用しつつ、グローバル化は先進国における職の二極化を、より具体的には中間所得層の職の喪失を引き起こしているのか、この点の分析を試みる。激化する輸入競合は所得格差を広めてしまう可能性を孕んでいるが、また同時に高賃金雇用の全増加のうち相当部分を担うものでもある。政策画定者の任務は、こういった増加を市民の大多数が実感させることだ。

トニー・ブレア前首相は投票翌日に自らBrexitを評じて、離脱キャンペーン成功の鍵はそれが極左勢力 (銀行家に向けられた非難) と極右勢力 (移民に向けられた攻撃) の収束点となったことにあり、突き詰めればこういった事態はグローバル化への共有された敵意が原動力になっているのかもしれないとの見解を述べた。しかし6月24日のNew York Timesに掲載された同記事の読者らが即座に指摘したように、グローバル化そのものには、高所得国におけるグローバル化に相伴うかにみえる、中間層の崩落と広がる経済格差に対する反動ほどの影響力は無いのかもしれない。ともあれ、グローバル化が二極化を引き起こすというのは事実なのだろうか?

職の二極化 – 中間層の職の空洞化に低/高賃金職の増加が付随する現象 – は近年多くの高所得国で現実のものとなっている(Goosら2014)。同じこれらの国々には対外貿易の相当な増加も見られているが、これはとりわけ2000年代を通し中国からの輸入競合が激化するという形で現れた。輸入競合の為に生じた職と収入の損失は福祉国家に難問を突き付けるものだが、その損失と対になる増分が無いのならば勝者も敗者も無く、だから二極化も無いのであり、それゆえ社会の機能それ自体を根本的に揺るがす危難というのも存在しないのである。現在のところ、二極化の原因はコンピュータ化された機械やロボットが中間的賃金で働く労働者に取って代わっている為だと見られている (AutorとDorn 2013, Goosら2014, Michaelsら2014)。

我々の新たな論文では、企業とマッチングしている全労働者を扱う行政データを利用し、輸入競合が労働者に対し職種ハイエラルキーを上昇するか、それとも下降するかの何れかに進むよう促しており、その為にデンマークにおける職の二極化の相当部分を説明するものとなっていることを明らかにしている (KellerとUtar 2016)。デンマークの例が興味深いのは、同国における職の二極化およびグローバル化パターンがその他の高賃金国の典型をとなっているにとどまらず (図1はデンマークと合衆国における職の二極化を比較したもの)、次にレファランダムを通してEU離脱 (“Dexit”) を選ぶのはここだろうと言われている国のリストで同国が上位を占めているからでもある。

図1 デンマークにおける職の二極化の展望図

我々の分析の目立った特徴は、二極化の調査にあたってほぼ百万人に昇るデンマーク労働者を対象に、彼らが初めて就いた職から始め、その後に何らかの職種・企業・部門への移行があればそこまで追跡してゆくという手法を取った点にある。図2は1999年の時点で繊維部門・製造部門・サービス部門で雇用されていた労働者それぞれについて [訳注1]、2000-2009年期間にみられた雇用シェアの変化を描き出したもの。同図は1999年に何れかの製造業で雇用されていた労働者に関してはその雇用推移に強い二極化傾向が見られることを明らかにしているが、これはサービス部門労働者雇用推移と対照的になっており、サービス部門労働者の方には 『昇級』 ないし 『技能更新』 の傾向が見られる。低賃金国との輸入競合の激化は、サービス部門でよりも貿易可能性をもつ製造部門において一際猛威を振るっていることに鑑みれば、これは貿易の重要性を裏付けるとりあえず妥当な実証データだと言えるだろう。

図2 1999年時点で労働者がいた部門毎にみた2000年から2009年までの雇用シェア変化

中国の台頭は、デンマークなどの富裕国における製造業生産者の全てが大きな競合ショックとして実感しているが、これは繊維産業や衣服産業といった労働集約的な部門について特に当てはまる、というのはこれら部門では従来から低賃金国がもっていた比較優位に加えて、2001年の中国WTO加入を介しての輸入割当て (所謂『多角的繊維協定クオータ』) 削除という形をとった貿易自由化がさらに圧し掛かってきたからだ。図3はデンマークの繊維部門における機械操作者・組立作業者の動向を示している。なお、これら職種は典型的に中間的賃金を受け取る同産業において、重要な役割を担っているものである。

図3 貿易の影響に曝されたか/曝されなかったかでみた繊維機械操作者の推移

先ず初めに図上部に在る2つの線分だが、これは2001年以降に割当ての削除を受けたのと同じ8桁コード生産物を製造している企業で働く繊維機械操作者 (点線)、そしてこれに対し、同割当て削除に由来する輸入競合激化に曝されずに済んだ企業における繊維機械操作者 (実線) についての継続雇用確率 [cumulative employment probabilities] を示したものである。両線分は下に傾いており、1999年における機械操作者の全体集合に含まれる多くの者が続く10年の間に別の職種に移動したことを示唆している。しかしながら、割当て削除の影響に曝された企業で働く機械操作者の方ではその23%が2009年時にも依然として同一業種に留まっているのに対し、割当て削除の影響に曝された企業の機械操作者についてはたった15%という数字なっている点には注意されたい。この8%の差は基本的に、機械操作者という中間賃金雇用に対し輸入競合が及ぼしたネガティブな影響を表すものだといえる。

次に図の下方に位置する2つの線分だが、これは機械操作者が旅行案内者人・家事代理人・児童養護人・理容師・守衛といった個人サービス業また保護サービス業へと移行する累積確率を示している。図3は激化する輸入競合の影響に曝された機械操作者が他との釣り合いを崩す形で今あげたような職種へと移行していることを示しているが、そのような業種が典型的に低賃金である為に、輸入競合が賃金分布の下端における雇用増加の説明となる可能性が示唆されるのである。さらに輸入競合の激化には、他との釣り合いを崩す形で一部労働者を専門職や管理職といった高賃金職種へと押し上げる効果もみられる。

我々はこういった研究結果を操作変数法による分析を用いて経済全体についても確認し、輸入競合がデンマークにおける中間賃金職損失のほぼ5分の1、並んで低賃金雇用増加の相当部分を説明するものであることを明らかにした。重要な点だが、輸入競合の激化は本期間中のデンマークにおける高賃金雇用の10分の1の背後にあった原因であり、したがって中国との競争に由来するデンマーク雇用の二極化というのには明確な実証データが存在することになる。

我々はまた、技術変化とオフショアリングの双方が職の二極化に関する重要ファクターであることも明らかにしている。輸入競合とは対照的に、これらファクターは単独では説明因の役割を果たさない。オフショアリングが中間賃金労働者に職種ハイエラルキーを下降させる誘因となる一方、技術変化に由来する需要減少が有る職種の中間賃金労働者はこの職種ハイエラルキーを上昇してゆく傾向が有る。

デンマークは大方の国と比べると平等な所得分布をもち、これが同国の特徴となっているとはいえ、所得格差は近年拡大の一途を辿っている。回帰分析の結果に基づき、我々は中国に由来する輸入競合の激化は1999年から2009年のあいだのデンマークにおける収入格差拡大の16%を説明するものだと推定している。その大半は職種の変化に由来し、労働者に支払われる時給の変化に由来するものではない。貿易が誘因となった職の二極化傾向は諸部門間の移行の形をとって出現しているのだ。中間的賃金を支払う製造業職が失われているまさにその時、サービス部門労働者の方は雇用機会の高まりを見ている。低賃金雇用の増加は専らサービス部門にみられるが、他方で高賃金職の増加はサービス部門と製造部門に分かれている。したがって製造業の内部には職の二極化の傾向はみられない、何故なら製造業における低賃金職の雇用機会が無くなってきているからだ。

中間賃金雇用の衰退に繋がる輸入競合を傍らすれば、所得分布の中間に位置する労働者をターゲットにした教育政策の検討というのがごく自然に思い浮かぶ。職業教育というのは、正規教育と企業での企業実習を組合わせたものだが、長きに亘りヨーロッパにおける教育システムの一端を担ってきたばかりでなく、現在は合衆国などの国でも職の二極化への1つの対応として検討されている。職業教育は果たして中間賃金雇用損失の可能性を減らし、低賃金職に対する高賃金職獲得の見込みを相対的に高めてくれるだろうか?

3分の1を超えるデンマーク労働者が職業的学位を保持しているが、我々は3000を超える多種多様な職業的学位を見渡すと、労働者の業績に関して巨大な不均一性がみられることを実証している。溶接や工具制作といった製造業特化職業教育は中間賃金職を喪失する可能性を減らしてくれるが、高賃金職獲得の見込みを低賃金職のそれより高めるような効果は全く無いのだ。

対照的に、調剤師や財務管理者といったサービス業にフォーカスした職業教育は輸入競合に由来する低賃金職への移行リスクを削減する働きが有る。最後に、情報技術分野の職業教育は労働者の高賃金雇用への移行可能性を大きく向上させる。まとめると、高賃金所得プロファイルを目指す前向きの戦略は、技術関連の、コンピュータ志向サービス部門業種の職業教育にフォーカスを合わせたものとなる。

結論を述べると、グローバル化の影響に関する我々の発見は多義的なものとなった。確かに、グローバル化が輸入競合の激化という形で高所得国にける二極化と格差拡大の一因となっている旨を示す実証データは存在する。しかし同様に、グローバル化は物価の引き下げることで全てのひとの購買力増加に繋がるだけでなく、高賃金雇用増加の相当部分を – その10分の1を – 説明するものでもあるのだ。この先現実のものとなるかもしれない離脱 (DexitやNexitまたFrexitなどなど) との関連で述べれば、政策画定者の任務はこの増加を投票権者の大多数にまで実感させることにあると言える。

 

参考文献

Autor, D, and D Dorn (2013), “The Growth of Low-Skill Service Jobs and the Polarization of the US Labor Market”, American Economic Review, 103 (5), 1553-1597

Autor, D, D Dorn, and G Hanson (2013), “The China Syndrome: Local Labor Market Effects of Import Competition in the United States”, American Economic Review, 103 (6), 2121-2168

Autor, D, L F Katz, and M S Kearney (2006), “The Polarization of the U.S. Labor Market”, American Economic Review: Papers and Proceedings, 96 (2), 189-193

Ebenstein, A, A Harrison, M McMillan and S Phillips (2014), “Estimating the Impact of Trade and Offshoring on American Workers using the Current Population Surveys”, The Review of Economics and Statistics, 96 (3), 581-595

Goos, M, and A Manning (2007), “Lousy and Lovely Jobs: The Rising Polarization of Work in Britain”, The Review of Economics and Statistics, 89 (1), 118-133

Goos, M, A Manning, and A Salomons (2014), “Explaining Job Polarization: Routine-Biased Technological Change and Offshoring”, American Economic Review, 104 (8), 2509-2526

Keller, W, and H Utar (2016), “International Trade and Job Polarization: Evidence at the Worker-level”, CEPR Discussion Paper No. 11311

Michaels, G, A Natraj and J Van Reenen (2014), “Has ICT Polarized Skill Demand? Evidence From Eleven Countries Over Twenty-Five Years”, The Review of Economics and Statistics, 96 (1), 60-77

Pierce, J R, and P K Schott (2015), “The Surprisingly Swift Decline of U.S. Manufacturing Employment”, American Economic Review, forthcoming

Utar, H (2015), “Workers beneath the Floodgates: Impact of Low-Wage Import Competition and Workers’ Adjustment”, Bielefeld Working Papers in Economics and Management, No.12

Utar, H (2014), “When the Floodgates Open: “Northern” Firms’ Response to Removal of Trade Quotas on Chinese Goods”, American Economic Journal: Applied Economics, 6(4): 226-250


訳注1. 元論文では、繊維部門労働者が製造部門労働者の下部集合であると明示されている (“…and third, the subset of manufacturing workers who in 1999 were textile workers.”)。