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ラルス・クリステンセン 「ハイエク、ピノチェト、シシ将軍」(2013年7月12日)

●Lars Christensen, “A Hayekian coup in Egypt?”(The Market Monetarist, July 12, 2013)


(おことわり:今回のエントリーは金融政策とは一切無関係のネタを扱っている。その点ご注意いただきたい)

チリの独裁者であるアウグスト・ピノチェト(Augosto Pinicohet)に関するハイエクの見解をめぐってブログ界で非常に興味深い――ハイエクのファンにとっては不愉快なところのある――論争がしばらく前から継続中だ。事の始まりはおよそ1年前(2012年の7月)に書かれたコリィ・ロビン(Corey Robin)――保守派やリバタリアン陣営の思想家に対してかねてより左派寄りの観点から批判を加えている論者――によるこちらのブログエントリー。「フリードリヒ・ハイエクはアウグスト・ピノチェト率いる血なまぐさい体制の熱烈な支持者だった」。コリィはそう述べている。

白状しなければならないが、コリィのエントリーを(1年前に)はじめて読んだ時はきちんとした証拠に裏付けられた説得力のある主張だと感じたものだ。ハイエクの長年のファンを自認している身としては愉快とは言えないものの確かにそう思わされたのだ。その後、かれこれ1年間にわたりコリィの主張をめぐってブログ界で断続的に論争が繰り広げられ、私もその論争を追ってはいた。とは言え、じっくりと腰を据えて論争の様子を眺めていたわけでもなければ、論争の過程で持ち上がってきた個々の争点のすべてに対して自分なりの意見を固める努力をしてきたわけでもない。

コリィに対してはリバタリアンの面々から数多くの批判が寄せられている。そのうちの一人がケビン・ヴァリエ(Kevin Vallier)であり、彼による最新の(コリィに対する)反論(“Hayek and Pinochet, A Discussion Deferred For Now”)がBleeding Heart Libertariansブログに投稿されたばかりだ。ピーター・ベッキー(Pete Boettke)もこちらの大変優れたエントリーで関連する話題を取り上げている。

この論争には数多くの学者が参戦しているが、残念なことにこれまでのところは誰も論争のまとめ役を買って出てはくれていないようだ。いや、私がその役目を引き受けようというのではない。正直なところ、誰が正しくて誰が間違っているのかと問われても私は何の意見も持ち合わせていないのだ。それならなぜわざわざこの論争を取り上げたのかという話になるが、ハイエクとピノチェトの関係にまつわる論争はエジプトで現在進行中の出来事(シシ将軍率いる軍事クーデター)と密接な関わりがあるように感じられ、そのことについて少々触れておきたいと思ったのだ。 [Read more…]

サイモン・レン=ルイス「経済学者:イデオロギー過剰,経験則過少」

[Simon Wren-Lewis, “Economists: too much ideology, too little craft,” Mainly Macro, October 9, 2017]

昨日、ポール・クルーグマンがこんな議論を書いている——金融危機をふまえて新たな経済学思想が必要だという考えはまちがっているけれど、ビッグマネーや政治的右派に好都合な影響力あるイカレた考えにつながったのだという。ポールが言っていることには賛成する部分も多いけれど、付け加えたい点もある。いま考えていることは、ちょうどいまダニ・ロドリックの新著『貿易を率直に語れば』を読んでいる真っ最中なことに強く影響されている(この本については、できれば後日もっと語りたい)。
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タイラー・コーエン 「ハイエクとピノチェト」(2013年6月26日)

●Tyler Cowen, “On the Hayek-Pinochet connection”(Marginal Revolution, June 26, 2013)


コリィ・ロビン(Corey Robin)が「ハイエクとピノチェトの交わり」をテーマに長文のブログエントリーを物している。その一部を引用しておこう。

ハイエクはチリの独裁者(ピノチェト)の求めに応じた。自分の秘書に頼んで執筆中の本の草稿の一部をピノチェトのもとに届けさせたのである。ピノチェトの手に渡ったのは後に『Law, Legislation and Liberty』の第3巻(邦訳『法と立法と自由 Ⅲ』)の第17章―― “A Model Constitution”(「立憲政体のモデル」)――として結実することになった箇所である。その中では「国家緊急権」(“Emergency Powers”)についても一節が割かれているが、そこでは自由社会の「長期的な存続」が危ぶまれるような場合に限っての一時的な独裁が擁護されている。「長期」というのはどうとでも取れる曖昧な表現だが、ハイエクが「自由社会」というのを自由民主主義(liberal democracy)という意味では使っていないことははっきりしている。「自由社会」という表現にはもう少し特殊で癖のある意味が込められている。「政府による強制的な権力(権限)が行使される範囲が正しい振る舞いにまつわる一般的なルール(universal rules of just conduct)の執行の分野だけに限定されており、政府による強制的な権力が具体的な目的を達成するためには利用できないようになっている」社会、それがすなわちハイエクが考える「自由社会」である。「政府による強制的な権力が具体的な目的を達成するためには利用できないようになっている」という最後のフレーズにはあれやこれやの数多の役割が担わされることになる。例えば、富の分配のあり方を一定方向に誘導するために政策的に富の再分配を図ることは「具体的な目的を達成」しようとする行為に含まれることになる。つまり、自由社会への脅威となるのは外敵(他国との戦争)や内戦だけに限られるわけではないかもしれず、さらには(自由社会への)脅威はすぐそこに差し迫っているわけでもないかもしれない。『法と立法と自由』のその他の箇所ではっきりと述べられているように、国内でゆっくりと進行する社会民主主義化(福祉国家化)に向けた制度改革もまた自由社会への脅威となる可能性があるとハイエクは考えたのだ。グンナー・ミュルダールジョン・ケネス・ガルブレイスが抱いているビジョンが現実化されようものなら、「・・・(略)・・・何らかの独裁権力によってしか打破し得ないような経済構造のガチガチの硬直化」が招かれてしまうだろう。ハイエクはそう書いている。

ピノチェト体制(および南アフリカのアパルトヘイト体制)を非難する国際的なメディアのキャンペーンにはいくらか不公平なところがある。そのような印象を胸に抱いてチリを去ったハイエクはピノチェトを非難する国際的なキャンペーンに反撃を加える仕事に取り掛かったのだった。

ハイエクは人権団体によるピノチェト体制への批判に対する反論文をすぐさま書き上げ、その文章を(ドイツの日刊紙である)フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥングに持ち込んで紙上に掲載してもらえないかと働きかけた。しかしながら、市場経済重視の立場であるこの日刊紙の編集者はハイエクの申し出を断った。その文章を掲載してしまえばハイエクを「第2のシュトラウス」にしてしまうかもしれないと恐れたためである(1977年にチリを訪問してピノチェトとも面会したドイツの右派(保守派)の政治家であるフランツ・ヨーゼフ・シュトラウスはピノチェトを擁護する見解を述べたためにドイツ社会民主党だけではなくドイツキリスト教民主同盟の側からも総攻撃を受けていた)。 掲載を拒否されたことに激昂したハイエク。シュトラウスが「チリの現体制を支持する見解を述べたために非難を浴びているのだとすれば、彼のその勇気を讃えてしかるべきではないか」との言葉を添えてフランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥングとは金輪際関わらないと言い渡したのだった。

上で引用したのはほんの一部であり、他にも内容盛りだくさんの中身となっている。

ブライアン・カプラン 「針の穴にラクダを通して進ぜよう ~『高邁な意図』に魅せられた知識人たち?~」(2004年7月28日)

●Bryan Caplan, “The Eye of the Needle”(Marginal Revolution, July 28, 2004)


「政治学や社会学の分野で一問一答形式のクイズを5題出すとすれば、私ならそのうちの1題は『スターリニズムが知識人に対して訴求力を持ったのはなぜ?』というものにすることだろう」。少し前にコーエンがそう書いている〔拙訳はこちら〕が、コーエンの問いかけ(「スターリニズムが知識人に対して訴求力を持ったのはなぜ?」)への答えを突き止める上でこれほど手掛かりになりそうなのはそうそうないんじゃないかと思われる発言がある。1936年から1938年までの間に駐ソ大使を務めたジョゼフ・デイビーズ(Joseph Davies)の日記の記述がそれだ(彼の日記は後に『Mission to Moscow』として一冊の本にまとめられている)。

デイビーズはスターリンによる大規模な残虐行為の非を率直に認めている一方で、スターリンが抱いていたキリスト教じみた「高邁な意図」を讃えている。嘘なんかじゃない。彼自身の言葉を引こう。

ドイツもソビエトロシアも全体主義国家であるという点では同じだ。どちらの国も現実主義的であり、強権的で冷酷な手法に訴えて国を治めようとしている点でも同じだ。しかし、違いも一つある。黒色と白色の違いと同じくらいはっきりとしている違いだ。その違いを簡潔に説明しようとするとこんな感じになるだろう。仮にマルクスやレーニン、あるいはスターリンがキリスト教の教義(カトリックでもプロテスタントでもどちらでも構わない)を深く信奉していたとしたら、そしてその結果としてロシアの地での共産主義の実験がキリスト教の教義に根差すかたちで試みられていたとしたら、おそらく次のように高らかに謳いあげられていたことだろう。我々は「キリストの福音」の中で説かれている「友愛」と「慈善」という二つの理想をこの世に実現すべく試みているのであり、そういう意味で我々の試みはキリスト教流の利他主義の実践に励んでいる歴史上でも最も偉大な例の一つなのだ、と。・・・(略)・・・ドイツとソビエトロシアの違いを簡単に説明すると以上のようになる。共産主義国のソビエトであれば兄弟たる人類に奉仕するという目的を追求するためにキリスト教と共同戦線を張れる可能性がある。しかし、ナチスドイツとでは無理だろう。というのも、共産主義の理想とするところでは国家は消滅する可能性がある――人類がみな兄弟となるところまで行き着けば国家は最早必要でなくなる可能性がある――が、ナチスの理想とするところはそれとは真逆だからだ。ナチスにとっては国家1こそが何よりも上位にくる究極の目的なのだ。(1941年7月7日付けの日記)

解放の神学」の登場がもっと早まっていたらどうなっていたことか・・・とほっと胸を撫で下ろすところだ。というのも、キリスト教マルクス主義は(知識人だけにとどまらず)一般庶民に対して遥かに強力な訴求力を持っただろうからだ。

  1. 訳注;ドイツ民族による「民族共同体」の形成 []

タイラー・コーエン 「20世紀最高の詩人と言えば誰?」(2004年7月12日)/「全体主義体制の興味深き『協力者』と言えば誰?」(2010年8月19日)

●Tyler Cowen, “The greatest poet of the twentieth century?”(Marginal Revolution, July 12, 2004)


今は亡きパブロ・ネルーダ(Pablo Neruda)の名前を(20世紀最高の詩人と呼ぶに値する)候補に挙げたとしても馬鹿げてはいないだろう(イェイツだとかウォレス・スティーヴンズだとかも強力なライバルだ。リルケも忘れてはいけない。個人的にはおそらくリルケを一番に推すだろう)。ちなみに、今日(2004年7月12日)はネルーダの(生きれていれば)100歳の誕生日にあたる日だ。ネルーダに対する評価はこちらの記事をご覧になられたい。こちらのページ1で英訳されたネルーダの詩が三作品ほど鑑賞できるが、(大抵の詩について言えることだが)詩というのは別の言語にはうまく翻訳できないものだ。ネルーダの(翻訳されたものよりもずっと優れている)オリジナルの(スペイン語で書かれている)詩のコレクションはこちらのページをご覧になられたい。 [Read more…]

  1. 訳注;リンク切れ。代わりにこちらをご覧になられたい。 []

サイモン・レン=ルイス「金融政策が学ぶべき教訓」

[Simon Wren-Lewis, “The lesson monetary policy needs to learn,” Mainly Macro, October 17, 2017]

先日,ピーターソン研究所で開かれたカンファレンス「マクロ経済政策再考」について,当然ポストを書かなくてはと思っていたけれど,最近になって,その仕事は Martin Sandbu にまかせる方が効率がいいのに気づいた.たいていの場合には意見が一致しているし,私より Sandbu の方がうまくやってくれてる.おかげで,意見が合わないめずらしい論点や,さらに議論を展開させたい論点にしぼって文章を書ける.
[Read more…]

タイラー・コーエン 「スターリン、シェイクスピア、ターザン」(2003年9月20日)/「トランプ時代におけるシェイクスピア」(2017年6月21日)

●Tyler Cowen, “Stalin, Shakespeare, and Tarzan” (Marginal Revolution, September 20, 2003)


ドミートリイ・ショスタコーヴィチ(Dmitri Shostakovich)が回想しているところによると、スターリンはシェイクスピアの戯曲の(ソ連国内での)上演をやむなく禁じたというが、その理由は『マクベス』や『ハムレット』、そして『リア王』に潜んでいる政治的な意味合いをよくよく理解していたためだという。

こんな話もある。

ドミートリイ・ショスタコーヴィチは次のように証言している。「スターリンは映画が好きだった。『グレート・ワルツ』――(オーストリアの作曲家である)ヨハン・シュトラウス二世の半生を描いた映画――なんかは何回も、それこそ何十回も見返していたものだ。・・・(略)・・・スターリンはターザン物の映画も好きだった。ターザンが出てくる映画はすべて欠かさずチェックしていたものだ」。

ターザンはソ連の一般市民の間でも人気があり、ターザンの姿を真似た「若者たちのカルト集団」まで出没したという。どうやらソ連の指導者たちは(野獣に育てられた)「ジャングルの王」に潜んでいる政治的な意味合いには気分を害されることはなかったようだ。

以上のエピソードはすべてデビッド・コート(David Caute)の新作である『The Dancer Defects: The Struggle for Cultural Supremacy during the Cold War』に依るものだ。

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●Tyler Cowen, “Shakespeare in an age of Trump is a little disconcerting”Marginal Revolution, June 21, 2017)


ブルームバーグで連載しているコラムで「トランプ時代におけるシェイクスピア」というテーマで一本書き上げたばかりだ。ほんの一部になるが引用しておこう。

(シェイクスピアの作品に出てくるキャラクターで言うと)トランプは王(支配者)よりかは愚者や道化の面々に似ているところがあるんじゃないかというのが私の考えだ。『リア王』の場合だとエドガーだ。エドガーは変装して王の前に現れると王に対して敵についての警告を与える。ここで「愚者」(fool)という表現を文字通りに解釈しないよう注意してもらいたい。シェイクスピアの作品に出てくる「愚者」たちに共通して備わっている特徴がいくつかある。その中でも筆頭に挙げられるのは、行動と行動の合間のふとした隙にこれまで誰一人として口に出して表現しようとは思いもしなかった感情を咄嗟に言葉にするところだ。Twitterでのトランプなんかまさにそうじゃないか。(トランプがTwitterに投稿した)“covfefe”という発言なんて劇中で叫ばれるセリフとしてはそんなにおかしくはないんじゃないだろうか?

もう一丁引用しておこう。

将来の展望に話を移すとしよう。トランプ政権の今後の成り行きを占う上でどんなことに注目したらいいだろうか? シェイクスピアの作品はそのことについてどんなヒントを投げかけてくれるだろうか? 小手調べに思い付くことをいくつか列挙してみるとしよう。

血は水よりも濃い。それはそうかもしれないが、権力闘争のために家族の絆が思いの外容易く引き裂かれる可能性もある。
・権力は手放されるか手元に保持されるかのどちらかしかあり得ない。
・権力を誰に継承するかを決める時には正当性だとか生まれた順番だとかに重きを置きすぎてはいけない。
・恋(愛)は盲目(恋は予測不可能な事態を巻き起こしかねない)。
・カオス(混乱)には上限などというものはない。

是非とも全文に目を通されたい。

タイラー・コーエン 「シェイクスピアの『狡猾な穀物商人』としての一面」(2013年4月2日)

●Tyler Cowen, “William Shakespeare, grain hoarder”(Marginal Revolution, April 2, 2013)


「エイボンの詩人」(ことウィリアム・シェイクスピア)の生涯に関する新事実が近頃いくつか発見されたようだ。

『コリオレイナス』をはじめとした数々の戯曲で虐げられた人々の肩を持ったエイボンの詩人。そんな彼もプライベートでは一転して狡猾な人物として振る舞った。イギリスの研究チームの調査結果によると、シェイクスピアは穀物の買い占めと転売を通じて飢饉時に一儲けしたばかりか、脱税にも手を染めたというのだ。

ウィリアム・シェイクスピアは食糧が不足気味のタイミングを狙って高値で転売することを目的として大麦の粒や実、麦芽といった穀物を不法に買い占め、何度も罰金を科せられた。それだけではなく、脱税の疑いで危うく刑務所送りにされるところだった。(イギリスの)ウェールズにあるアベリストウィス大学の研究チームが裁判所や税務署に残されている当時の記録を調べたところ、そのような事実が明らかになったのだ。

穀物の転売を通じて手に入った儲けは土地の購入資金に回されたという。その結果、シェイクスピアはウォリックシャー州でも有数の大地主の一人となったのであった。

・・・(中略)・・・

どうやらシェイクスピアは自らの実体験を参考にしながら『コリオレイナス』を書き上げたようだ。『コリオレイナス』は1600年代初頭版の(上位1%の富裕層への富の集中に抗議する)Occupy運動(ウォール街占拠運動)を描いた悲劇という側面を持っているが、その中でシェイクスピアは市民の一人に次のように語らせている。

「やつら〔為政者たち〕がおれら〔市民〕のことを気にかけてるだって? そんなわきゃない。こちとら腹が減って死にそうだってのに、やつらの倉には穀物がわんさと溢れてるじゃないか。金貸しに都合のいい布告を出して高利貸しの連中の便宜を図るかと思えば、金持ちに都合が悪いようにできている法律であればそれがどんなに立派なものであろうと次から次へと廃止する。その一方で、おれたち貧乏人をしぼりあげて抑えつけるために過酷な法律が次から次へと繰り出される始末。」

全文はこちら

アダム・スミスが(食糧不足時に高値で転売することを目的とした)穀物の買い占めは大抵の場合は公共の利益になると主張したことはよく知られているところだ1。この話題(シェイクスピアの生涯に関する新事実)は他にも多くの記事で取り上げられているが、中でもこちらの優れた記事では次のような面白いエピソードもあわせて紹介されている。

シェイクスピアの亡骸はストラトフォード=アポン=エイヴォンにあるホーリー・トリニティ教会に埋葬されているが、その墓の近くに建立された記念碑にそのこと〔シェイクスピアは自らのことを作家であるよりも前に「良き父親」、「良き夫」、「良き市民」であると自認していた2、ということ〕がよく表現されていると(シェイクスピアの生涯に関する新事実を発見したイギリスの研究チームの一員である)ジェーン・アーチャーは語る。シェイクスピアは1616年に亡くなっているが、その直後に建立された一番最初の記念碑のすぐ近くには穀物の入った麻袋を抱えたシェイクスピアの胸像が据えられていた。しかしながら、その胸像は18世紀に入って新たに作り直されることになった。房のついたクッションの上に座り右手には羽根ペンを持つシェイクスピアという「作家らしい」見た目の胸像に作り直されたのである。

アーチャーらの論文の草稿を探しているのだが今のところは見つけられないでいる3

  1. 訳注;この点については詳しくは『国富論』の第4編第5章の余論(「穀物貿易および穀物法にかんする余論」)を参照されたい(大河内一男監訳『国富論』(中公文庫)だと第2巻の232ページ以降)。 []
  2. 訳注;シェイクスピアが穀物を買い占めたのは金儲けをしようとの魂胆からだけではなく、凶作に見舞われても自分の家族や近所に住む人々が餓えないでも済むよう備えるためという目的もあった(つまりは、「良き父親」、「良き夫」、「良き市民」としての務めを果たそうとの思いから出た行動でもあった)らしい。 []
  3. 訳注;公開講座用に準備された論文はこちら(pdf)、ジャーナル掲載版はこちら。 []

リヴァイ・ボクセル 「インターネット・ソーシャルメディア・政治分極化」 (2017年10月1日)

Levi Boxell, “The internet, social media, and political polarisation” (VOX, 01 October 2017)


インターネットは、近年の政治の分極化について相当な汚名を着せられてきた。合衆国のデータを用いつつ本稿が主張するのは、政治分極化の強まりという少なくとも1970年代まで遡れる一般動向について、インターネットはじつのところ何ら重要な役割を果たしてこなかったこと、これである。本研究結果は、都合のよい物語をとおした説明にとどまらない視点をもつことの重要性、そして政治的気分をうみだす諸要因をより深く理解することの必要性を照らし出す。

合衆国選挙民のあいだで近年政治の分極化が進んでいる旨を示唆する文献が増えている (例: Abramowitz and Saunders 2008, Iyengar et al. 2012)。1994年、政党支持者 (party affiliates) のおよそ20%が反対政党について 「強く不支持 (very unfavourable)」 の見解をもっていた。2016年までに、この数字は55%超に高まり、現在も減速の兆しは全くみられない (Pew Research 2016)。1994年から2014年にかけて、政治ポリシーにかんする質問群をとおし強固に一貫したイデオロギー的見解をもつアメリカ人の割合は、2倍以上に膨らんだ – すなわち10%から20%超に増加した (Pew Research 2014)。

政治分極化にたいする関心のほうも空前の高まりをみせている。Google Trendsが示すところでは、合衆国における政治分極化に関連した検索の件数は2016年の11月、2004年のモニター開始以降のいずれの選挙月をも上回るものとなった1。Gentzkow (2016) も、1950年から2008年にかけてのGoogle Books Ngram Viewerデータにおける政治分極化への言及について、同様の結果を得ている。

政治分極化の強まりの説明としてよく引用される仮説の1つは、インターネットとソーシャルメディアを主たる要因とするものだ。Cass Sunstein (2007) の次のような言葉は、この議論の標準型を示している:

インターネットのおかげで甚だしく容易になったのは自分の見解の後押しとなる膨大な資料を渉猟し … [なおかつ] それと反対の趣旨をいう資料のいっさいを排除することだ … このセルフ-ソーティングがもたらす重要な帰結に、飛び地の過激主義 (enclave extremism) とでも呼びうるものがある。同好の士からなる飛び地にゆき着いた人々は、通例そこからさらに極端な地点に向かってゆくものだ

よく知られたEli Pariser (2011) や Cass Sunstein (2001, 2009, 2017) の著作は、インターネットが 「フィルターバブル」 ないし 「エコーチャンバー」 の役割をはたすというこの考えについて詳説したものだ。

個人は、インターネット上で同好の士的な情報源をじじつ見い出しており、またソーシャルメディア上でも同好の士的な個人と繋がる傾向が比較的強いこと、これについては強固な実証データが存在する。既存研究は、政治ブログ上でのリンク (Adamic and Glance 2005)、ウェブサイト訪問 (Gentzkow and Shapiro 2011)、Twitter上の政治的リツイート (Conover et al. 2011)、ソーシャルメディア上の記事シェア・クリック (An et al. 2014, Bakshy et al. 2014, Flaxman et al. 2016)、Twitter上の政治的同類性 (Colleoni et al. 2014, Gruzd and Roy 2014, Halberstam and Knight 2016) などにおける住み分け (segregation) を明らかにしてきた。

図1 メディアと相互作用タイプでみたイデオロギー的住み分け

出典: Gentzkow and Shapiro (2011).

しかしながら、オフラインの情報源とオンラインの情報源を比較する段になると、諸研究はどちらにも同程度の分節化レベルを見い出している。図1はGentzkow and Shapiro (2011) から取ったものだが、ウェブサイト訪問にかんする分節化をみると、これは全国紙にかんする分節化ほどではないが、地方紙にかんする分節化よりも激しいといった具合になっている。Halberstam and Knight (2016) もTwitter上の政治ネットワークを調べて、Twitter上の政治ネットワークとオフラインの政治ネットワークの分節化が同程度であることを明らかにしている。なお付言しておくと、インターネット上の情報源にかんする分節化はたしかに示唆的であるが、これはインターネットが分極化を促したという命題の必要条件でもなければ十分条件でもないのである。

図2 標準化した政治分極化の指標の動向 (1972–2016)

出典: Boxell et al. (近刊).

最近の論文で私は共著者らとともにインターネットと政治分極化の関係を調査している。そのさい 「全米選挙研究 (American National Election Studies)」 のサーベイデータを用いることで、オンライン情報へのアクセスで異なる人口学的諸集団をとおしてみた分極化動向の比較をおこなった (Boxell et al. 近刊)。研究における発見が個々の政治分極化基準によって左右される程度を減らすため、我々はこれまで関連文献で用いられてきた8つの基準をもとにあらたに1つの標準化指標を作成した。なおこれまでの尺度とは、Abramowitz and Saunders (2008) のイデオロギー整合性の尺度、Mason (2015) の党派的ソーティングの尺度などをさす。図2には、我々の指標の1972年から2016年にかけての動向を示した (1996年に値が1となるように標準化した)。本期間をとおし分極化には安定した上向きの動きがみられる反面、インターネットの勃興に対応する変節点を示す兆候はまったく確認できない。1996年以前の動向だけみても、政治的分極化の説明においてインターネットが果たし得る役割は限られていそうだ。

くわえて図3が示すように、分極化は1996年から2016年にかけて高齢者 (65+および75+の年齢層) のほうが青年 (18-39の年齢層) よりも急激に進行した。さらに、予測インターネットアクセスを計る尺度として人種や教育といったその他の人口学的変数を取り入れたより包摂的なものを用いた場合、1996年においてインターネットアクセスを享受していた可能性が最も低い人口学的諸集団のほうが、1996年においてインターネットアクセスを享受していた可能性が最も高い人口学的諸集団よりも、大きな分極化の変化を被っていたことが確認できた。

図3 さまざまな年齢層の政治分極化 (1996-2016)

出典: Boxell et al. (近刊).

インターネットないしソーシャルメディアへの直接的なアクセスが政治分極化の主要要因であるとすれば、予想される動向はこれと正反対になるはずだ。高齢者 (65+) が選挙キャンペーンにかんする2016年のニュースをオンラインで視聴していた可能性は、青年 (18-39) のおよそ半分であり、ソーシャルメディアを利用していた可能性はさらに少ない。それにもかかわらず、最大の政治分極化を被ったのはこの相対的年長者の層なのだ。これら事実を念頭におけば、諸年齢層にわたるインターネットアクセスへの反応の大きな不均一性、あるいは諸年齢層にわたる相当な波及効果を考慮しないまま、インターネットないしソーシャルメディアが現在みられる政治分極化の主要要因であるとする物語を作り上げることはできなさそうだ。

以上の発見は、インターネットないしソーシャルメディアが政治分極化に及ぼす影響を否定し去るものではない。事実、インターネットが僅かながら影響をもつ可能性を示す実証データも存在する。Lelkes et al. (2017) は恐らくは外生的だと思われる管路敷設権立法 (right-of-way legistlation) の変化を援用しつつ、ブロードバンドの普及が対象カウンティにおける感情的分極化 (affective polarisation) を一定程度強めたとの主張をしている。ただ同著者らは 「我々は、ブロードバンドが党派的反感の強まりを引き起こした唯一の原因などと主張するものではない。あるいは主要な原因ですらないかもしれない … 感情的分極化は少なくともインターネット利用が始まる二十年前には強まり始めていた」 と述べ、自らの発見を穏当なものにとどめている。またこれら研究結果は、諸年齢層にわたる感情的分極化の違いを説明するものでもない。

ところで、2016年の選挙結果をインターネットおよびソーシャルメディアの責めに帰すよく似た物語がある。選挙後、ヒラリー・クリントン氏は、自身の敗北の一因はフェイクニュースとFacebookだったと仄めかした。我々の論文では、人口学的諸集団にわたり投票率を比較することで、2016年の選挙にインターネットが及ぼした影響についても調査している。ドナルド・トランプ氏がインターネット利用性向の相対的に高い人口学的諸集団から獲得した票の比率が、以前の大統領達よりも大きかった旨を示す実証データはまったく確認されなかった。じっさいのところ、我々の点推定値はそれと正反対の構図を示唆している – トランプ氏はインターネット利用性向の高い人や実際のインターネット利用者のあいだでは比較的振るわなかったようなのだ。トランプ氏の支持者に占めるソーシャルメディア利用者の割合、および人口学的諸集団をとおしてみた投票率の違いを調べたHampton and Hargittai (2016) も同様の結論に至っている。

今日の合衆国には諸政治集団のあいだに相当な断裂がさまざま存在し、しかもこれら断裂が埋まってゆく気配もみえない。政治分極化やポピュリスト的な大統領候補の席巻を理解しようと試みるさい、インターネットやソーシャルメディアをやり玉に挙げたくなる気持ちも分からなくはない。しかしながら、人口学的諸集団にわたる基本動向は、どちらの現象を説明するにしてもインターネットが大きな役割を与えるような物語を支持するものとはなっていない。メディア消費は従来型メディアを離れこうした新たなプラットフォームに向かうシフトを続けており、我々もまたこれらプラットフォームの利用形態およびその政治領域への影響を注視し続けてゆく必要がある。だが、前述の結論を覆す新たな実証データが現れるまでは、FacebookフィードやGoogle検索に代わる何かがあれば我々の直面している政治問題が解決されるなどと考えるべきではない。

参考文献

Abramowitz, A I and K L Saunders (2008), “Is polarization a myth?”, The Journal of Politics 70(2): 542—555.

Adamic, L A and N Glance (2005), “The political blogosphere and the 2004 US election: Divided they blog”, Proceedings of the 3rd International Workshop on Link Discovery: 36–43.

An, J, D Quercia and J Crowcroft (2014), “Partisan sharing; Facebook evidence and societal consequences”, Proceedings of the Second ACM Conference on Online Social Networks: 13–24.

Bakshy, E, I Rosenn, C Marlow and L Adamic (2012), “The role of social networks in information diffusion”, Proceedings of the 21st International Conference on World Wide Web: 519–528.

Boxell, L, M Gentzkow and J M Shapiro (2017), “A note on internet use and the 2016 election outcome”, Working Paper.

Boxell, L, M Gentzkow and J M Shapiro (forthcoming), “Greater internet use is not associated with faster growth in political polarization among US demographic groups”, Proceedings of the National Academy of Sciences.

Colleoni, E, A Rozza and A Arvidsson (2014), “Echo chamber or public sphere? Predicting political orientation and measuring political homophily on Twitter using big data”, Journal of Communication, 64:317–332.

Conover, M D, J Ratkiewicz, M Francisco, B Goncalves, F Menczer and A Flammini (2011), “Political polarization on Twitter”, Fifth International AAAI Converence on Weblogs and Social Media.

Fiorina, M P, S J Abrams and J C Pope (2010), Culture war? The myth of polarized America, London: Longman Publishing.

Flaxman, S, S Goel and J M Rao (2016), “Filter bubbles, echo chambers, and online news consumption”, Public Opinion Quarterly 80(S1): 298–320.

Gentzkow, M (2016), “Polarization in 2016”, Toulouse Network for Information Technology Whitepaper.

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Endnotes脚注

[1] See https://trends.google.com/trends/explore?date=all&geo=US&q=%2Fm%2F02shm1 を参照

タイラー・コーエン 「シェイクスピアのお値段の変遷」(2005年9月17日)/ アレックス・タバロック 「セックスと暴力」(2004年7月12日)

●Tyler Cowen, “The changing value of Shakespeare”(Marginal Revolution, September 17, 2005)


ウィリアム・シェイクスピア全集の出版権の値段(オークションでの落札価格)の変遷は以下の通り。

1709年:200ポンドを大幅に下回る(と推測される)

1734年:675ポンド未満(と推測される)

1741年:1,630ポンド

1765年:3,462ポンド

1774年(永続的な著作権が失効した年):オークションの履歴なし

以上のデータはウィリアム・スト・クレア(William St. Clair)の『The Reading Nation in the Romantic Period』から転載したものだ。 印刷文化の勃興と商業革命を扱った本は数多いが、その仕事の徹底さにしてもデータ分析の詳細さにしても本書は類書のどれよりも抜きん出ている。驚異的な一冊だ。本書についての詳しい情報はこちらも参照されたい。本書を通じて学んだのだが、イギリスの初期の著作権法は書物(文学作品)の値段を高止まりさせる役割を果たし、そのために一般の人々は書物をなかなか入手できずにいたようだ。

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●Alex Tabarrok, “Sex and violence” (Marginal Revolution, July 12, 2004)


ポール・シーブライトの『The Company of Strangers』(邦訳『殺人ザルはいかにして経済に目覚めたか?』)では人類の進化の歴史に関するこれまでの研究の蓄積を踏まえた上で経済を支える様々な制度に検証のメスが入れられている。例えば、人類には暴力に駆り立てられる傾向が埋め込まれているが、その傾向と「分業」とはあまりに対照的だ。そのことを思うと「分業」が現実に可能となることの驚きもいや増すことになる。ジョン・マクミランの『Reinventing the Bazaar』(邦訳『市場を創る』)だとかスティーブン・ピンカーの『The Blank Slate』(邦訳『人間の本性を考える』)だとかで取り上げられている話題に通じているようであれば本書の内容の多くには目新しさは感じないだろうが、フレーズの選び方にしても他の文献からの引用にしても著者のシーブライトの才覚が光っている。例えば、以下の引用をご覧いただきたい。これまでに私はシーブライトのようにシェイクスピアを額面通りに受け取ったことは一度としてなかったものだ。

同じ種に属する同性のよそ者(何のつながりもない相手)を殺せば恋敵が減ることになる。この事実は暴力には性的興奮が伴いがちであることのもっともらしい説明になるように思われる。〔オスに備わる〕暴力的な傾向は残念ながら何らかの病を抱えたマイノリティーだけに見られる病理現象なのではなく・・・(略)・・・、また、オスの暴力的な傾向はメスに備わっている(決して普遍的とは言えないが、違いを生み出すに十分なだけの)傾向、すなわち、力比べの場面で相手を凌ぐ実力を見せたオスに性的な魅力を感じて惹きつけられる傾向にも支えられて長い時間を経て徐々に強められることにもなった。シェイクスピアはこのことをよくわかっていた。アジャンクールの戦いが迫る中、シェイクスピアは仲間の兵士を前にしたヘンリー五世に次のように語らせている。

 故国で今頃床に就いている紳士諸君は

 今ここに居合わせなかったことを口惜しく思うばかりか、

 男としての面目が潰される思いがして肩を落とすに違いない。

 ここにいる我々の仲間の誰かが聖クリスピンの祭日に戦った思い出を口にするたびに。