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スコット・サムナー 「『1Q84』と『サタンタンゴ』と ~超大作を讃えて~」(2012年2月12日)

●Scott Sumner, “Satantango”(TheMoneyIllusion, February 12, 2012)


今回はいつもとは一風変わった話題を取り上げるとしよう。ここ最近ずっと大いに頭を悩ませている疑問がある。「小説や映画の長さって一体どうやって決まってくるのだろうか?」という疑問がそれだ。大抵の小説は分量にして200~500ページくらいで大抵の映画は尺にして2時間くらいというのが相場だ。映画の尺に関しては映画館側の事情――夕食後に2回は上演できるくらいの尺が好ましい――がいくらか関係しているのだろうと推測できるが、しかしそれですべて説明がつくわけではないようにも思う。というのも、「アートフィルム」(前衛映画)にしたって大体2時間くらいの尺に収まっているからだ。小説が原作となっているアートフィルムでさえもそうなっているのだ。普通の分量の小説を圧縮せずにそのまま映像化しようと思ったら(それもアートフィルムのテンポで映像化しようと思ったら)5~10時間くらいの尺になるはずなのに。 [Read more…]

タイラー・コーエン 「大部の本が抱える難点とは?」(2007年5月1日)

●Tyler Cowen, “What’s wrong with long books?”(Marginal Revolution, May 1, 2007)


「後ろめたく思っていることがあります。(トルストイ作の)『アンナ・カレーニナ』に目を通したことがないんです。その理由というのはあまりに長すぎるからです。600ページある本を一冊読むよりは300ページの本を二冊読む方を選んでしまう性質なんです」。

全文はこちらだが、『白鯨』を筆頭に数々の古典を切り刻んで圧縮しようとする(縮約版の発行に前向きな)出版業界の最近の潮流について詳しく紹介されている。ちなみにだが、もちろんと言うべきか、カルロス・フエンテス作の『Terra Nostra』(邦訳『テラ・ノストラ』)(785ページもある大著)は(持ってはいるが)まだ読んでいない。それはなぜ? 大部の本には良書が多いという事実を否定する人はいないだろう。それなのになぜ私は『テラ・ノストラ』を未だ読まずに放置しているのだろうか? モジリアニ=ミラー定理の説くところによると、パイをどう切り分けようとも結果に違いはない(パイの総価値は変わらない)はずじゃなかったか? それなら『アンナ・カレーニナ』(なり『テラ・ノストラ』なり)を細かく切り分けて複数の小冊子に分割しちゃえばいいんじゃなかろうか? 数ヶ月前にエリック・アンブラー(Eric Ambler)の5つの作品を一冊にまとめた小説集を買ったのだが、持ち運びしやすいように作品ごとに5つに切り分けてやったものだ。

毎度のごとく、この問題(「大部の本が敬遠されがち(あるいは読まれずに放置されがち)なのはなぜ?」という問い)との絡みで私なりに思い付く仮説をいくつか述べさせてもらうとしよう。

1. (好きな分量だけ容易に取り外し(切り分け)ができる)着脱式の本が(出版物の世界における)今後の潮流となるに違いない。今はまだ機が熟していないだけに過ぎない。

2. ブログのエントリーは着脱式の本の一種だ。

3. 多くの人は本を読むことそれ自体が楽しみなわけではなく本を読み終えること――本を読み終えることに伴う満足感(達成感)――を楽しみにしている。

4. 多くの人は本を読むことそれ自体が楽しみなわけではなく本を読み始めることを楽しみにしている。本の1ページ目を開いて読書に取り掛かるというのは買い物に出かけるのといくらか似ているところがあるが、読み進めていくうちにすぐにもアンニュイな気分(倦怠感)に襲われることになる。未来の本には(読者を飽きさせないように)章ごとに新しい商品を試しているかのような感覚に読者を誘う工夫が盛り込まれることだろう(今でも既にそうなってる?)。(ブログに備わる真の魅力というのは「次もまた何か目新しい話題が知れるに違いない」という期待を読者に抱かせ続けるところにあったりするのだろうか? 本ブログのアーカイブ(過去のエントリー)を念入りに読み返しているという読者はどのくらいいるだろうか? 今でも十分通用するし質的にも申し分ないエントリーだらけなんだけれど)。

ところで、トマス・ピンチョンの(1000ページを超える)新作(『Against the Day』)を読み終えて黙想にふけっている読書子がいるようだ。その姿に対する冷ややかなコメントはこちら。私も『Against the Day』(邦訳『逆光』)のページを(あくまでもゆったりとしたペースで)繰り始めたばかりだが、今のところは楽しめている。

過去にも今回と同じ話題について私見を述べたことがある。こちらのエントリーがそれだ。ところで、今日の私は昔の私を否定するような言動に出ているように思われるのだが、本ブログのアーカイブを読み通した読者であればそれが一体何を指しているのかすっかり了解済みに違いない。

タイラー・コーエン 「多くの本はくどすぎる?」(2008年7月29日)

●Tyler Cowen, “Are books overwritten?”(Marginal Revolution, July 29, 2008)


・・・(略)・・・とは言え、だ。インターネット上で長時間過ごすのが日課になってからというもの――2002年あたりからだ――、それまでは大して気にもかけていなかったことが気になって気になって仕方なくなっている。「本であれ雑誌の記事であれ何でこんなにもくどくどと長ったらしいのだろうか?」と気になって仕方ないのだ。例えば、シーモア・ハーシュ(Seymour Hersh)が書く記事なんてどうだろうか? 疑いもなく彼は一流の記者だ。しかし、彼の記事を半分の分量に縮めたとしても内容面で何も損なわれはしないだろう。ハーシュをいびりたいわけじゃない。ハーシュが書く記事だけにとどらまず雑誌に掲載されている記事の3分の2はその分量を3分の1くらい(あるいはそれ以上)削っても内容的に大差ないように私には思われるのだ。雑誌の記事だけじゃない。多くの本に関しても同様だ。

・・・とケヴィン・ドラム(Kevin Drum)が述べている(全文はこちら)。多くの読者は心を静める(リラックスする)ためにくどくどと長たらしい本を必要としているんじゃないかというのが私の見立てだ。ラジオから流れてくる単調で心地よいDJの声に身を委ねるのと同じように。

読者の皆さんにお聞きしたいが、多くの本はくどすぎる(無駄に長い)というドラムの意見についてどう思われるだろうか? 賛成? それとも反対? コメント欄で思うところを述べてもらえたら幸いだ。遠慮なんかしないでくどすぎると思う作品の名前を具体的に挙げてもらっても構わない。私のイチオシのロック歌手であるHillelが諸君のコメントを参考にしてまたもや曲を作ってくれるらしいぞ。曲が出来上がり次第リンクを貼るつもりだ1。曲の質は諸君のコメントの質次第(by Hillel)とのことだ。詩的たれ! 音を浮かべよ! お望みならば、くどくあれ!

  1. 訳注;完成した曲はこちら。 []

レヴィ・ボクセル「インターネット,ソーシャルメディア,政治的二極化」(2017年10月)

[Levi Boxell, “The internet, social media, and political polarisation,” VoxEU, Oct.1, 2017.]

これまで,政治的二極化が近年になって高まっているのはインターネットのせいだと多大な非難が向けられてきた.だが,政治的二極化が全体的に高まる傾向は少なくとも70年代までさかのぼり,そこにインターネットはなんら有意な役割を果たしていないことをこのコラムでは論じよう.使用するのはアメリカのデータだ.さまざまな研究結果を見ていくと,わかりやすい物語による説明に安んじずにもっと奥深く見通すことの重要さが際立ってくる.政治的な感情を押し動かす要因をもっと深く理解することが重要なのだ.
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サイモン・レン=ルイス 「名目賃金は実質賃金とちがう――それがイギリスで重要な理由は」(2018年5月30日)

[Simon Wren-Lewis, “Nominal wages are not real wages, and why it matters in the UK,” Mainly Macro, May 30, 2018]

この記事は,先日のクリス・ディロウのツイートを敷衍したものだ.この件についてもっと書いておく値打ちはあると思う.ここには,左翼・右翼を問わず広く誤解された問題が映し出されているからだ.次のグラフを見てもらおう.1948年からの総所得のうち,従業員報酬が占める割合と企業利益が占める割合を示してある.あくまでイギリスについてのグラフであることに留意してほしい.アメリカでは事情が異なる.


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タイラー・コーエン 「本は最後まで読まなくたっていい」(2009年7月24日)

●Tyler Cowen, “When to stop reading a book”(Marginal Revolution, July 24, 2009)


ケリー・ジェーン・トーランス(Kelly Jane Torrance)が非常に優れた記事を書いている。小生のコメントも掲載されているが、その一部を引用しておくとしよう。

「友達付き合いとか結婚とかいう対人関係に由来しているのでしょうが、誰もが『コミットメント』(約束・義務の履行、他者を含めた何らかの対象に対する積極的な関与)をよしとする考えを知らず知らずのうちに身に付けているようです。私もそのこと自体は結構なことだと思います」とコーエン氏。しかしながら、その考え(コミットメントをよしとする考え)を生命のない物体(本)にまで適用しようとすべきじゃない1とも付け加える。

とは言え、コーエン氏を本に何の愛着も持たない人物と見なすのは間違いだ――彼は一日に一冊以上の本を読破するのを日課とする(それに複数の本の「つまみ食い」もプラスされる)「本の虫」だ――。彼が言いたいのは時間(という稀少な資源)をできるだけ有効に活用するにはいかにすべきかということなのだ。

「本に対してもテレビ番組に対するのといくらか同じように向き合うべきなんでしょうね。つまらないと感じたシリーズ物の番組を途中で観るのをやめたところで心を痛める人なんていないでしょうからね」とコーエン氏。

もう一丁引用しよう。

「読んでいる最中の本がまごうことなきダメ本だと気付いたらその段階でさっさと捨てちゃいます」とコーエン氏。「何で捨てるのよ」と夫人に咎められるかもしれない。しかし、ダメ本を捨てる(この世から抹殺する)ことで社会奉仕に身を捧げているのだとコーエン氏は指摘する。「私がその本を捨てなければ他の誰かがその本を読む羽目になってしまうかもしれませんからね」。その「他の誰か」というのが仮に「一旦読み始めた本は最後まで読み通す義務がある」と考える貫徹型の人物(数多くいる中の一人)だったとしたら、コーエン氏の行いは他人を害する行為ということになりそうだ。

アレクサンドル・デュマの『三銃士』もジョン・ドス・パソスの『U・S・A』も最後まで読み通せなかったと語るコーエン氏。気に入らない本を途中で読むのを断念することには他にもそれなりに有用な機能が備わっていると付け加える。少数のベストセラーが席巻する市場になかなか割って入ることができないと嘆く新進気鋭の作家陣の声を紹介した上でコーエン氏は語る。「気に入らない本を途中で投げ出すという行為は出版市場の効率性を高めている面があるんです。というのも、(「一旦読み始めた本は最後まで読み通す義務がある」という考えに縛られずに気に入らなければ途中で読むのをやめてすぐさま別の本に手を伸ばすように心掛ける結果として)一冊でも多くの本が物色されるようになれば、それに伴って一人でも多くの作家にチャンスが与えられることになるわけですからね」。

  1. 訳注;「一旦読み始めた本は最後まで読み通す義務がある」なんて考えは捨てよ、という意味。 []

タイラー・コーエン 「本ってどのあたりまで読んでる? ちゃんと最後まで読んでる?」(2016年3月16日)/「最後まで読まれたベストセラー、途中で放棄されたベストセラー」(2014年7月5日)

●Tyler Cowen, “How much do readers read?”(Marginal Revolution, March 16, 2016)


Jellybooks社が調査対象として選んだ200冊近くに及ぶ本のうちで読者の過半数が読了した(最後まで読み終えた)例はどのくらいの数に上ったかというと半数(100冊)にも満たなかった。大半の読者はかなり早い段階で読むのをやめてしまう傾向にあるようだ。女性は50~100ページあたりで読むのをやめ、男性は30~50ページあたりで読むのをやめる。全般的にそのような傾向が見出されたという。Jellybooks社が調査対象として選んだ本のうちで読者の75%(4分の3)以上が読了した例というのは全体の5%(10冊)に過ぎず、6割(120冊)の本は読破率(読者のうちでその本を読了した人の割合)25~50%1という結果に終わったとのこと。とりわけビジネス書の読破率はびっくりするほど低かったという。

・・・とアレクサンドラ・アルター(Alexandra Alter)&カール・ラッセル(Karl Russell)の二人がニューヨーク・タイムズ紙に連名で記事を執筆している。ナイスなグラフ付きだ。ちなみに、調査対象となっているのは紙の本ではなくて電子書籍なのでその点はご注意を。

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●Tyler Cowen, “What is the summer’s most read and most unread bestseller?”(Marginal Revolution, July 5, 2014)


その本をKindleで読んだユーザーがどの箇所にマーカーを引いたか。そしてその中でも多数のユーザーがマーカーを引いた箇所はどこか。Amazonではその本の中でマーカーが引かれた数(ハイライト数)の多い順上位5箇所を「ポピュラーハイライト」としてまとめてその情報を公開しているが、「ポピュラーハイライト」の散らばり具合(本のどのあたりに散らばっているか)を調べることでその本が果たして最後まで読まれたかどうかを窺い知る手がかりを得ることができる。さて、それでは今年度(2014年度)の第一位に輝いた作品(2014年度のベストセラーの中で最後まで読まれた率が一番高い作品)は何かというと、ドナ・タート(Donna Tartt)の『The Goldfinch』(邦訳『ゴールドフィンチ』)。「ポピュラーハイライト(マーカーが引かれた数が多い順の上位5箇所)は終わりの20ページに集中している」とのことだが、このことは多くの読者が『ゴールドフィンチ』を最後まで読み通した可能性が高いことを仄めかしている(ちなみにだが、私もとりあえず最後まで読んだ。内容はさっさと忘れてしまっても構わないとは思うけれど)。「今年度(2014年度)のベストセラーの中で最後まで読まれた率が高い作品」のグランプリは『ゴールドフィンチ』に決まりというわけだ(今年のベストセラーすべてが調査対象となっているわけではないようなので言い切ることはできないが)。 翻ってダニエル・カーネマンの『Thinking, Fast and Slow』(邦訳『ファスト&スロー』)だとかスティーヴン・ホーキンズの『A Brief History of Time』(邦訳『ホーキング、宇宙を語る』)だとかは途中で放棄された率が高いようでランキングの下位に位置している。最下位(ある意味第一位?)は本ブログでもここ最近頻繁に話題に上がっている本だが、どの作品だかわかるだろうか? 全部で700ページあるあの本だが、「ポピュラーハイライトのうちで最後尾のページは何ページかというと26ページ」2とのことだ3

詳しくはジョーダン・エレンバーグ(Jordan Ellenberg)がウォール・ストリート・ジャーナル紙に寄稿しているこちらの記事を参照されたい4

  1. 訳注;読破率25%というのは読者のうち4人に1人がその本を読み終えた(読破率50%というのは読者のうち2人に1人がその本を読み終えた)、という意味。 []
  2. 訳注;26ページまでの間でポピュラーハイライト(マーカーが引かれた数が多い順の上位5箇所)がすべて出揃う格好になっている、という意味。 []
  3. 訳注;答えはトマ・ピケティの『Capital in the Twenty-First Century』(邦訳『21世紀の資本』)。 []
  4. 訳注;同じ話題を紹介している記事として英文であればこちら、日本語であればこちらなんかもあわせて参照されるといいだろう。 []

ビル・ミッチェル「ケインズに先駆けて大恐慌から日本を救った男、高橋是清」(2015年11月17日)

[Bill Michel,  Takahashi Korekiyo was before Keynes and saved Japan from the Great Depression,“ billy blog, Novenber 17, 2015]

このエントリーは、以前に明示的財政ファイナンス(OMF)について書いた一連のエントリーに追加された第二部のエントリーだ。前英国金融サービス機構長官のアデア・ターナーは、2015年11月5日から6日に掛けて、ワシントンで開かれたIMF主催の第十六回ジャック・ポラック年次研究会議で新しい論文–The Case for Monetary Finance – An Essentially Political Issue–をちょうど出した。その論文では明示的財政ファイナンスが提唱されていたが、私はその内容受け入れられない。それについては明日書くだろう (それはPart2になるが、二つの記事は必ずしもつながってないだろう)。 [Read more…]

タイラー・コーエン 「電子書籍は紙の本に比べて内容が記憶に残りにくい?(その2)」(2014年8月20日)

●Tyler Cowen, “Do readers absorb less from a Kindle than from paper?”(Marginal Revolution, August 20, 2014)


アリソン・フラッド(Alison Flood)がガーディアン紙で次のように報じている

ミステリー小説をKindle(電子書籍)で読んだ読者はペーパーバック(紙の本)で読んだ読者に比べてあらすじ(物語の中で出来事が生起する順序)を記憶している度合いが「著しく」低かった。デジタル化が読書体験に及ぼす影響を探る(ヨーロッパ全域を対象とした)研究プロジェクトの一環として企てられた最新の研究でそのような結果が明らかになった。

件の研究結果は先月(2014年7月に)イタリアで開催されたカンファレンスの席上で発表されたが、近々論文としてまとめられる予定になっているとのこと。件の研究では総勢50名の被験者にエリザべス・ジョージ(Elizabeth George)作の28ページの短編小説が手渡された。被験者のうちの半数にはその作品をKindleで読んでもらい、残りの半数にはペーパーバック版で読んでもらったとのこと。そして被験者が物語の中に出てくる品や人物、物語の設定などについてどれだけ正確に覚えているかを後になってテストしたという。

研究チームのリーダーを務めたのはノルウェーのスタヴァンゲル大学に籍を置くアン・マンゲン(Anne Mangen)氏。マンゲン氏は以前にも短編小説を紙の本で読む場合とiPadで読む場合との違いを比較した研究を手掛けており、その時の研究を通じて「媒体の違いによって物語への熱中度をはじめとした感情面での反応に違いが見られる」可能性を一つの結論として得ていた。「紙の本で作品を読んだ読者はiPadで同じ作品を読んだ読者に比べて物語への共感や感情移入、熱中度などを測る指標で高い値を記録する傾向にあったんです」とマンゲン氏。

今回の研究では媒体の違いが作品の内容の記憶度に及ぼす影響に焦点が合わせられているが、物語の設定や登場人物に関しては電子書籍で読む場合と紙の本で読む場合とで記憶度に大きな違いは見られなかったという。しかしながら、物語の中で起きた出来事の順序をどれだけ正確に覚えているかという点になると媒体の違いによって結果に大きな違いが見られたとのこと。マンゲン氏は語る。「Kindleで作品を読んだ読者はペーパーバックで同じ作品を読んだ読者に比べてプロットの再現度を測る指標(物語の中で起きた14の出来事をどれだけ正確に順番通りに並べられたかを測る指標)で著しく低い値を記録する傾向にあったんです」。

「紙の本だとページをめくるという触覚面でのフィードバックが物語を心のうちで再構成する手助けをしてくれますが、Kindleで作品を読む場合には同じようにはいかないのかもしれません」とマンゲン氏は語る。

あくまでも暫定的な結論ではあるが、直感的にも頷けるし私なりの癖――情報を場所(空間)と結び付けて整理(記憶)する癖(「あの話って確かあの本のあのあたりに出てきたんだっけ?」)1――とも合致する結果ではある。

  1. 訳注;この点については本サイトで訳出されている次の記事も参照されたい。 ●タイラー・コーエン 「我は『ラムス主義者』なり ~空間、記憶、乱雑さ~」/「乱雑さの擁護」(2018年1月2日) []

ジョセフ・ヒース「少年とセックスと本とビデオゲーム」(2017年8月2日)

Boys, sex, books, video games
Posted by Joseph Heath on August 23, 2017 | gender

教育者のほとんどが気づいていることがある。それは我々の社会において男の子が本を読まなくなっていることだ。「文学の危機」とまで呼んでしまうのは少し大げさかもしれない。それでも、男の子が本を読まなくなっている現象は現在進行であり、問題でもある。私には12歳の男の子と13歳の女の子がいるので、親としてここ数年にかけて、この現象を注視してきた。おかげで文学の中でもYA(ヤングアダルト:若年層向け)文学分野で何か起こっているのかを、私の同世代の誰よりも精通することにもなったのである。よって以下、この分野におけるいくつかの観察事例だ。

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