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エガートソン他「マイナス名目金利の金融政策」

Gauti Eggertsson, Ragnar Juelsrud, Ella Getz Wold” Monetary policy with negative nominal interest ratesVOX.EU, January 31, 2018

マイナス金利のマクロ経済上の役割について,経済学者の見解は分かれている。本稿では,預金金利の名目ゼロ下限のせいで,マイナスの政策金利がこれまでのところ家計や企業が直面している預金金利に対して非常に限られた影響しかもたらしておらず,またこの預金金利の下限が貸出金利への波及の減少も引き起こしているようである。マイナス金利にはしたがって総需要を刺激する効果はないように思われる。 [Read more…]

タイラー・コーエン「都市の分布、今昔」

[Tyler Cowen, “The distribution of cities, then and now,” Marginal Revolution, February 12, 2018]

今日の先進国では、こうして都市は歴史的に重要だった農業地域に散在している。この結果、こうした国々の内部では、リソースの地理的な分布の平等度合いが比較的に高くなっている。これと対照的に、今日の発展途上国では、都市はもっと沿岸部に集中している。沿岸部は、農業適正に比べて輸出条件がもっと優れている。

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ジョン・ダニエルソン 「暗号通貨が腑に落ちない」(2018年2月13日)

Jon Danielsson, “Cryptocurrencies don’t make sense“, (VOX, 13 February 2018)


どうも暗号通貨というものは、貨幣と投資の新しいより優れた姿だと想定されているらしい – 未来のやり方というわけだ。しかしながら本稿執筆者には、暗号通貨の趣旨がいまいち掴めない。既存の不換紙幣や優れた投資に幾らかでも勝るものだとは思えないのだ。

これまで私は暗号通貨の趣旨を理解しようと努めてきたが、成功していない。暗号通貨は喫緊の金融安定性問題ではないのかもしれない (den Haan et al. 2017) が、私にはそもそもが解らないのである。

そんな私にも分かる範囲でいうと、どうも暗号通貨はつぎの要素を組み合わせた何かなのだと想定される:

  • 一種の貨幣;
  • 投資;
  • プライバシーとセキュリティーとエフィシエンシーを提供してくれる何か;
  • 以上とは別の、新しくて魔法のようで神秘的な何か。愚かなためか、あるいは年をとりすぎたためか、これが私には理解できないのだが。

暗号通貨は貨幣なのか?

われわれは何のために貨幣を必要とするのか? ポイントは3つある:

  • 取引の円滑化;
  • 価値の貯蔵;
  • 最後の貸付 (lending of last resort).

ならば如何なる形の貨幣であれ、これら基準に照らして評価すべきだろう。

われわれは歴史の中で様々な物を貨幣として用いてきた。貝殻、煙草、銀、金。これらは皆、稀少な実物資産であって、その使用者たちにとっては価値があり、小型の物が入手可能だったので取引も容易に行えた。

だがもはやそうした貨幣を持つ国はいない。これに代えて現在われわれの用いているものが不換紙幣である。内在的な価値を一切持たない通貨。政府の印刷した紙きれ。その量は金融システムをとおして増幅されている。それが価値を有するのは何故か。ひとえに政府がそれに価値があることを保証するからである。

信用のある近代的中央銀行が発行した不換紙幣は、金といった実物資産に遥かに勝る。その理由としては、不換紙幣の供給は経済に最も良く資するように調整し得るのであり、ある種の自然資源の生産に支配されている訳ではないという点に負うところが少なくない。ところが暗号通貨の量はこれと同じように調整することができない。

もちろん、政府には不換紙幣を濫用しこれを過剰に印刷することへの誘惑がある。ちょうど不換紙幣の一番初めの創出者である中国の政府が13世紀に行ったように。もっと最近だと、1970年代のスタグフレーションも各国中央銀行が悪しき貨幣管理者だったために起きたのだった。

当時の各国政府は信用できないものだったので、幾人かの思想家が自由金融制度を提言した。たとえば1977年のハイエク。現在の暗号通貨の論争の先駆けをなす議論である。それでもなお、金融政策の進歩のおかげで結局われわれは1980年代までには比較的安定的な貨幣を手にすることとなった。

さて、暗号通貨は前述の貨幣の基準をどの程度満たしているのか?  その基準とは: 価値の貯蔵・取引の簡便・最後の貸付、この3点であった。

まず取引の用途に関して、暗号通貨は大幅に劣る。現金での取引にはコストが掛からないし、即時的である。電子取引は非常に安価に済み、これも即時的であり、如何なる額面でも行い得る。

ところがビットコインは取引に一時間以上も時間が掛かる。コストは最低でも25ドル。そして然程匿名的でもない。そう、たしかに暗号通貨の中にはもっと多くのエフィシエンシーやプライバシーを約束するものもある。しかし、よしそうであっても、ビットコインでさえ受領 (accept) してくれる人が見つかるまでに長い時間がかかる可能性があるなか、ましてや競合通貨を用いるとなれば必要となる時間はそれより遥かに長くなる。それに加え、暗号通貨で取引できる最大額など、不換紙幣で取引できる最大額とくらべれば、大人と子供だ。

では価値の貯蔵はどうか? 暗号通貨も不換紙幣もともに何ら内在的価値はない。重要なのは信頼性 – すなわち、時が経っても該当貨幣がその価値を保持してゆくだろうという期待である。

不換紙幣についていうと、各国中央銀行は年あたり2%の減少率でその価値を安定的に保つことにコミットしている。主要な中央銀行はトラッキングエラーを長い時間にわたり小さく保つことにかなり成功してきた。

ビットコインその他の暗号通貨はこの点で大きく劣る。これら通貨の価値はものの数日のスパンで倍化しあるいは半減する。自分の保有する暗号通貨は翌週もその価値を保つだろうなどと、およそ確実性をもって述べ得る者はいない。月や年のスパンについては言わずもがなである。暗号通貨を保有する者がいるなら、それは投機目的でそうしているのであって、価値の貯蔵のためではない。

かくして、危機の最中に金融機関にたいする流動性供給を行う最後の貸付 (LOLR) が置き去りにされる。これはウォルター・バジョットが1873年に著した1866年危機の分析この方、中央銀行の本質的機能の1つとなってきた。LORLが最後に用いられたのは2008年。無論、この先もいずれ再び必要とされるだろう。こうした融資枠 (facility) は、いずれの暗号通貨にも存在しない。

暗号通貨が貨幣であるとしても、それは既存の不換紙幣に遥かに劣るものである。

暗号通貨は投資か?

暗号通貨は不換紙幣とそろって 「ポンジ・スキーム」 と呼ばれてきた。「ポンジ・スキーム」 は、既存投資家への支払が新規投資をもってなされる投資、と定義される。暗号通貨も不換紙幣もこの定義に当て嵌まらない。

しかし、そもそも暗号通貨は投資なのだろうか? それは投資という語で何を言わんとするかによる。

株式や債券の価値は、適切な形で現在価値に割り引いた将来所得を反映している。暗号通貨や不換紙幣はそうではない。こちらには何ら内在的価値がない。こちらの価値を生みだすのは、まず稀少性、そしてマイニング費用または政府の約束である。とはいえマイニングは埋没費用であって、将来所得の約束ではない。

暗号通貨が価値を保つ理由は、現在われわれがそれに認めているのと同じ価値、あるいはそれを上回る価値を、将来他の人も認めるとわれわれが期待しているからに他ならない。ちょうど切手の蒐集と同じだ。切手の価値はどこから生まれるのか。それは稀少性、そして将来の投資家は現在のわれわれより大きな価格をそれに与えるだろうという期待、この2つからである。

暗号通貨が投資であるとしても、それは株式や債券とは形態が異なる。それは切手の蒐集も投資であるというのと同じ意味での投資なのである。

しかしながら、よしそうだとしても、大抵の人は少額を除き不換紙幣を直接に価値の貯蔵に用いてない。最も控えめにいって、不換紙幣は銀行口座や国債の形で保持することができ、こちらは利子が付くのである。政府そのものと同じくらい安全な投資。一定の安定した利率におけるこの様なリスク無しに近い貸付の可能性。これが暗号通貨には無い。

だから暗号通貨が投資だとしても、それは不換紙幣や株式や債券よりも、切手や籤引券に近いものである。

信用性

不換紙幣の内在的価値は政府と貨幣管理を担う中央銀行の信用性に裏付けられている。

各国中央銀行は独立的でありかつ相当な政治的庇護を与えられているが、これは不換紙幣の信用性の確保にとって本質的である。ベネズエラをはじめ、金融政策の直近の動向を無視している国は、そのために痛い目をこうむっている。

中央銀行の独立性・政治的庇護・運営手腕の評判、これが鍵だ。連邦準備制度の現議長であるジェローム・パウエルは、官僚的組織の一員としては世界最大の権力を握っている。合衆国統合参謀本部議長であるジョセフ・ダンフォード海兵隊大将の兵器庫の中には核兵器が収められているかもしれないが、それでもかれはトランプ大統領に従う立場にある。ジェローム・パウエルは違う。

各国中央銀行にたいするわれわれの信頼はフリードリヒ・ハイエクが前述の論文を記してから相当に高まってきたが、あるいはもっと高くなっているはずだったのかもしれない。とはいえ、私は不換紙幣の詳細なパフォーマンス統計を数十年間も遡って、これをダウンロードすることもできる。貨幣供給量も知っているし、これまで実施されてきた政策ツールも知っているのだから、そこから自分の見解を決めることも可能だ。暗号通貨やその他の活動に関する統計の情報は遥かに確保し難く、その歴史もずっと短い。

ユーロとドルの価値はECBやFedの信用性に支えられている。暗号通貨において、それは素性の知れぬ何らかの実体や手続きの信用性なのである。

どの暗号通貨とくらべても、私は先進経済国の中央銀行のほうを遥かに強く信頼している。

プライバシーとセキュリティー

かくしてプライバシーとセキュリティーが置き去りになる。

現金は100%匿名である。しかし一定の窃盗のリスクに曝されている。電子取引は匿名ではないが、より安全である。

一部の暗号通貨は匿名性を約束しているが、最も良く知られているビットコインは違う。ごく一部のユーザーしか持っていないような技能を用いて自分の足跡をじつに注意深く隠蔽しないかぎり、違う。その理由は、ビットコインチェーン上の取引記録が変更や削除できず、したがって検索可能なものになっているからだ。

ところで、暗号通貨投資家から窃盗の通報が無い日は無いのである。一番良いのは、自分のプライベートキーは外部から物理的に遮断したそれ用の使い捨て的ラップトップに保存するようにすることで、助言としてはこれに尽きる。

現金と電子マネーもまた窃盗の危険に曝されている。それでもなお、現金取引にはプライベートキーなど全く不要だし、電子現金 (electronic cash) 取引もキーの重要性はずっと小さい。われわれを保護してくれる多層セキュリティーが存在するのである。専門家ではないユーザーが用いるばあいであっても不換紙幣は、そうした人が基本的な警戒を怠らないかぎり、非常に安全なのである。

私はオンラインバンキングならば外部から物理的に遮断したそれ用の使い捨て的ラップトップに頼らなくともかなり安心感を持てる。

暗号通貨が窃盗の危険を免れ得るのは、入念な警戒を怠らぬ専門家が用いたばあいだけだ。われわれが暗号通貨に手を出したために被害者となる可能性は、現金や電子マネーとくらべ遥かに高い。

だから…

暗号通貨は大抵の不換紙幣や投資に劣る。しかもプライバシーやセキュリティーも提供しない。

私がこれを暗号通貨の唱道者に言うと、かれらは通常つぎの2通りの反応を見せる – つまり、私は暗号通貨を理解していない、あるいは暗号通貨には私が見過ごしている新しくて素晴らしい性質がある、ということになる。

私に分からないことは沢山あるが、暗号通貨の仕組みを理解するためにはこれまで一定の努力を注いできたつもりだ。しかしながら、全ての仕組みを知悉して、つまり全てのオタク的な技術的詳細を把握して、そのうえでなお、それが何を意味しているのか見当もつかないということもある。

例として人間の存在をあげよう。物理学や化学や生理学の全てを知り尽くし、分子や臓器が働く仕組みを理解することは可能だが、それでもなお私は一個人についてはこれっぽっちも知りはしないのである。

暗号通貨も同じだ。仕組みの詳細を知ること即ちその経済機能の理解ではない。

暗号通貨は一種の宗教あるいはカルトにより近いのであって、合理的な経済現象ではない。それは自らの起源神話さえ持っている。正体の掴めないサトシ・ナカモト。

読者諸氏からの啓蒙を待ちつつ。

参考文献

Bagehot, W (1873) “Lombard Street: A Description of the Money Market“.

den Haan, W, M Ellison, E Ilzetzki, M McMahon, R Reis, (2017) “Economists relaxed about Bitcoin: New CFM-CEPR expert survey on cryptocurrencies, the financial system, and economic policy“, VoxEU.org, 21 December.

Hayek, F A (1977), “Free-Market Monetary System“.

 

贾瑞雪, 下松真之, ダーヴィド・セイム 「中国では誰がトップ政治家になるのか?」(2013年8月20日)

Ruixue Jia, Masayuki Kudamatsu, David Seim, “Who becomes a top politician in China?“, (VOX, 20 August 2013)


経済と政治におけるパワーとは裏腹に、中国における指導者選出過程の詳しい実態は謎に包まれている。中国指導者の選出過程に関する新たな研究を提示する本稿では、中国共産党が (独裁政権につきものの) 忠誠的だが能力の無い指導者の選出を – 職務転換 (job rotation) および昇進の党内システムをとおして – 回避してきたことを示唆する。これまで同システムは、公務就任者のペアが共に働くことをとおして信頼構築を行うことを助け、これによりトップ政治家が信用できる部下のあいだから最も有能な人物を抜擢できるようにしてきたのである。

2012年11月、中国では新たな国家政治指導部が中国共産党中央委員会総書記・習近平のもと職務に就任した。ところで同年のそれにさきだつ時期には、来る新政権指導部の候補者として有望視されていた薄熙来が、党から除名されている。

民主的選挙が存在しない環境で中国政治家が辿ったかくも異なる運命。これをいかに説明すべきか? 人口最多国であり、国際政治においてもいよいよ影響力を増す中国だが、それにもかかわらず、彼の国のトップ政治家が候補者のプールからいかなる過程をへて選出されているのかについて、我々はほとんど知るところがない。過去数十年間の目を見張る経済パフォーマンスは、この問題の重要性をいや増すばかりである。これまでのところ中国では、経済成長を触発するような人物、あるいは少なくとも中国経済の発展の妨げとはならない人物が統治者として選ばれてきたが、同国の非民主的政治システムはどのような形でそうした選出を行ってきたのだろうか?

中国における政治家選出を取り上げたこれまでのアカデミックな研究は2つの陣営に分かれる。一方では、Li and Zhou (2005) などの学者が中国の省指導者 – 北京で将来トップ政治職に就く可能性のある候補者のプール – の昇進の決定因子を精査したうえで、省の経済成長が省指導者の昇進チャンスとポジティブに結び付いていることを明らかにしている。こうした実証成果の示唆するところでは、中国におけるトップ政治家の選出は、能力主義に基づいているのである。他方、Shih et al. (2012) はこの能力主義説への反証を提示しつつ、公務就任者のなかでも、トップ指導者とのコネクションがある者ほど中国共産党の階層組織においてより高い序列を与えられていることを明らかにし、縁故主義が選出過程で鍵を握る決定因子の1つである旨を示している。

新研究: 社会的コネクションと申し分なき経歴

われわれの最近の研究 (Jia et al 2013) はこれら2つの対立する見解の仲立ちを試みるものである。中国政治家の経歴データを1993-2009年にかけての経済統計値と併せて分析した結果、中国のトップ政治家となっているのは、1つ前の世代のトップ政治家と社会的コネクションがあり、かつ、比較的序列の低い政治職を担当していた時の業績が卓越していた人物であることが判明した。

現職トップ指導者との社会的コネクションのみでは、政治家として十分な業績がないかぎり、輝かしい将来は保証されない。トップ政治家層とのコネクションがなければ、政治の仕事で卓越していてもそれだけで彼らの一員として迎えられるかは定かでない。換言すれば、社会的コネクションと業績は、中国における政治的昇進の決定因子として相互補完的に働いているのである。

本研究では中国政治家のあいだの社会的コネクションを測定するにあたり、公にされているCVを用いている。ある政治家のペアが、かつて中国政府または中国共産党の同じ部門で同じ時期に一緒に働いていたばあい、このペアをコネクション有りとしてコード化した。よく知られた話だが、二人の前総書記・江沢民と胡錦涛はともに、ひとたび中国の指導者と成り果せるやそれぞれ自らの以前の同僚達を昇進させている。事実、我々のデータでもこれらコネクションが把捉されている: すなわち、上海市政府で形成された江沢民のコネクション、中国共産主義青年団 (Communist Youth League) で形成された胡錦涛のコネクションである。こうしたデータを用いて、各政治家につき中国共産党中央政治局常務委員会 (Politburo Standing Committee) メンバーのいずれかとコネクションが有るか無いかを測定した。なお同委員会は中国共産党における最高意思決定機関にあたり、中国のトップ政治家職への昇進を管轄する。

政治家の業績を測定するにあたっては、関連文献に倣い、中国31省 (31 provinces of China) の政治的指導者にフォーカスを絞っている (ここでいう省には、チベットなど5つの自治区、および上海など4つの市もふくまれる)。これら政治家については、かれらが担当する省の経済成長をもってその業績とすることができる。過去二十年間にわたる北京のトップ政治家は、その多くが省政府の運営を担った経験を持っている。事実、習近平は福建省と浙江省で、胡錦涛は貴州省とチベット自治区で、江沢民は上海市で、それぞれかつて指導者を務めている。中国における単独与党としての中国共産党の正当性がひとえに経済成長の達成に掛かっている点に鑑みれば、省のGDP成長こそが多々あるなかでも省指導者の業績の指標として最も重要になってくるのも想像に難くない。

そこで我々は、1993-2009年期間を対象に、社会的コネクションと省の経済成長が省指導者の昇進とどう結び付いているのかを分析することにした。図1に示すのが本研究の鍵たる発見である。横軸は、各省に内在的な差異 (例: 沿岸省では誰が運営にあたるばあいでも成長が比較的早い) および各年に内在的な差異 (例: 1997年のアジア金融危機以降は経済成長が国全体で減速した) を考慮したのちの、相対的な経済成長業績を表示している。数字の1は三分位の最下位、2は中間、3は最高位をさす。各グループにつき昇進率をプロットしたが、こちらも各省と各年度の差異の条件下での値である。右の縦軸にある0は、該当昇進率が平均値であることを意味する。実線は中国共産党中央政治局常務委員会とのコネクションの有る省指導者の昇進率を表示している; 点線はそうしたコネクションの無い者である。

図 1. 中国の省指導者の昇進にかかるコネクションと業績の相補関係

コネクションが有る者と無い者の差は業績で三分位トップに属す者のあいだでは極めて鮮やかである。現職トップ指導者とのコネクションが無いばあい、このグループに属する者でも昇進チャンスは経済成長業績で劣る者とほぼ同等になる。しかしコネクションが有る者のあいだでは、このグループに属する者が北京のトップ政治職に昇進する可能性は、業績で下位2グループに属する者を相当に上回っている。図が示すように、コネクションが有って業績トップ三分位に属する者の昇進率は、それ以外の者よりも約9%ポイント高い。平均昇進率がおよそ7%ポイントなので、この差はかなり大きい。

コネクションの有る省指導者は成長の著しい省に割り当てられているのではないか、あるいはそう疑われる方もいるかもしれない。図1の棒グラフは、省指導者であってコネクションが有る者の度数分布を示すものだが、これら人物は3つの成長カテゴリに分かれる (左の縦軸は、コネクションの無い者をふくむ全ての省指導者にたいする比率を表示)。図が表すところでは、コネクションが有ることは必ずしも高い経済成長を含意していない。たしかに省指導者は、コネクションの有る者も無い者も、観測可能な特性につき幾つもの側面で異なる。だがしかし、こうした差異では、図1に観察される相関パターンが説明されない。最も重要な点だが、過去および未来の中国共産党中央政治局常務委員会メンバーとコネクションが有る者についても、同委員会現職メンバーがかつて働いていた政府部門で自らも働いていたがその時期が異なる者とのコネクションが有る者についても、同様の昇進パターンは見られない。こうしたコネクションではなく、意思決定権力を現在持っている人物と共に働いたことがある事実、これこそが違いを生むのである。

図1の考え得るもう1つの説明は、省の経済成長自体が実質的なコネクションを表すものなのだというものである。我々の研究では、省指導者がかつて中国共産党中央政治局常務委員会メンバーと共に働いたことがあるか、この点しか観察していない。だが、共に働いたことは必ずしも関係の良さを含意しない。実際にコネクションの有る者だけは昇進を約束されているのだが、そのことを粉飾するためこうした人達は中央政府から省経済推進の支援を受けている、というのが実態なのかもしれない。しかしながら、こと観測可能なコネクション強度 (共に働いた年の数、年齢の差) に関するかぎり、実証データはこの可能性を支持しない。つまり、コネクションの有る政治家が統治する省の経済成長は、こうしたコネクション強度の尺度によって然程異ならないのである。

残る問題は、中国でのトップ政治家選出においてコネクションと業績の相補性が見られる理由である。我々の主張では、これはコネクションがトップ政治家にたいする部下の忠誠を醸成する役割を果たしているためだ。中央政府を効率的に運営するため、北京のトップ政治家は、業績によって才覚が証明されている人物を昇進させることを好むだろう。他方でトップ政治家に好ましいのは、自らの政治生命の危険とならない人物でもあるはずだ。社会的コネクションはこの後者を確保するものかもしれない。かくして、コネクションが有る者のあいだに限っては、業績が昇進アウトカムを予告するのである。コネクションと業績の相補性は、省指導者であって、コネクションの有る中国共産党中央政治局常務委員会メンバーが自らよりかなり年長である者について、相対的に強くなっている。1990年代以降、中国は10年毎に最高政治指導部の世代刷新を経験している (最後の刷新は2012年)。同世代の政治家は中国におけるより高位の職を獲得すべく競争関係にあるが、異なる世代の公務就任者のあいだにはそうした関係がない。そこからの帰結として、省指導者がコネクションの有るトップ指導者のなかでもより年長の者にたいしより多くの忠誠を表すというのは、ありそうなことである。

コネクション

非民主主義国の統治者は、高官に就くべき公務就任者を選出する際、しばしば有能性と忠誠心のトレードオフに直面する (Egorov and Sonin 2011)。有能な政治家では現職指導者の権力が危うくなると見込まれるならば、忠誠的だが無能な公務就任者のほうが好まれることとなり、結果として独裁政権下においても統治の質は落ちる。本研究が示唆するのは、まさに中国がこのような罠を回避するのに用いてきた方法なのかもしれない。中国共産党内部の職務転換と昇進のシステムは、公務就任者のペアが共に働くことをとおして信頼醸成を行うことを助け、これによりトップ政治家がこうしたコネクションの有り、信用できる部下のプールから、最も有能な人物を選び出すことを可能にしているのだ。

参考文献

Egorov, Georgy, and Konstantin Sonin (2011), “Dictators and Their Viziers: Endogenizing the Loyalty–competence Trade-off”, Journal of the European Economic Association 9(5), 903-930.

Jia, Ruixue, Masayuki Kudamatsu and David Seim (2013), “Complementary Roles of Connections and Performance in the Political Selection in China”, CEPR Discussion Paper, no 9523.

Li, Hongbin, and Li-An Zhou (2005), “Political Turnover and Economic Performance: the Incentive Role of Personnel Control in China”, Journal of Public Economics 89(9-10), 1743-1762.

Shih, Victor, Christoper Adolph and Mingxing Liu (2012), “Getting Ahead in the Communist Party: Explaining the Advancement of Central Committee Members in China”, American Political Science Review 106, 166-187.

 

 

タイラー・コーエン「ポルノを検閲すべき?」

[Tyler Cowen, “Should we censor porn?Marginal Revolution, February 12, 2018]

1971年に、アーヴィン・クリストル〔ネオコンの元祖みたいな人〕は「すべき」と言った。今日では、ロス・ダウサット〔ニューヨークタイムズのコラムニスト〕が「すべき」と言っている。「一目見ればそれとわかる」〔という直感だのみの〕定義でのポルノが社会にとってプラスマイナス差し引きした正味でマイナスになるという考え方にはぼくも共感を覚える(アレックスはちがう)。ポルノのおかげで性生活がたのしくなるひとたちがいるとしてもだ。とはいえ、ポルノを検閲する魅力的な方法は思いつかない。
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バスカー&シムコ―「バーコードの普及と経済効果」

Emek Basker, Timothy S. Simcoe “Upstream, downstream: Diffusion and economic impacts of the universal product codeVOX.EU, January 18, 2018

1990年代と2000年代におけるアメリカの小売業の急速な成長は,ICTによって加速させられた。本稿では,ユニバーサル・プロダクトコード1 とスキャナーの採用を地理的に見ることで,バーコードがそうした成長の主要な原動力の一つであったことを示す。バーコードを採用した企業は10%多く従業員を雇用し,より幅の広い製品を提供し,国外から調達する可能性が高かった。 [Read more…]

  1. 訳注;アメリカで用いられている製品コードの規格。UPC []

タイラー・コーエン「科学・技術・工学・数学教育における男女平等の逆説」

[Tyler Cowen, “The Gender-Equality Paradox in Science, Technology, Engineering, and Mathematics Education,” Marginal Revolution, February 16, 2018]

――というのが Gjisbert Shoet & David C. Geary の新論文だ。アブストラクトは以下のとおり。最後の一文がたぶん最重要だろう:
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タイラー・コーエン 「チョコレートの大ブーム期」(2016年7月14日)/「チョコレート版大停滞の時代の終わり?」(2017年9月10日)

●Tyler Cowen, “The Great Chocolate Boom”(Marginal Revolution, July 14, 2016)


世界全体のカカオ豆の生産活動を襲った劇的なショックの例としては1880年代以降の「チョコレートの大ブーム」(“The Great Chocolate Boom”)――チョコレートの大衆向け市場の急速な発展――に勝るものはない。その間(1880年代から1914年にかけての「チョコレートの大ブーム期」)に西洋世界におけるチョコレートの消費量はコーヒーや紅茶の消費量を上回るペースで増える一方で、その価格はコーヒーや紅茶の価格に比べると安定を保っていたのである。・・・(略)・・・1870年から1897年までの間にカカオ豆の世界全体での輸入量は9倍も増えている。その一方で、同期間に紅茶の世界全体での輸入量はどれだけ増えたかというと2倍、コーヒーに関しては50%増にとどまっている。・・・(略)・・・イギリスでは1870年から1910年までの間にカカオ豆の一人当たりの消費量は6倍近くも増えたが、紅茶に関しては一人当たりの消費量の伸びは2倍に満たず、コーヒーに至っては一人当たりの消費量は半減している。

以上はつい最近出版されたばかりの優れた一冊である(自学用に買い求めた)『The Economics of Chocolate』(編者はマラ・スクイッチャリーニ(Mara P. Squicciarini)とヨハン・スウィネン(Johan Swinnen)の二人)に収録されているウィリアム・クラレンス=スミス(William G. Clarence-Smith)の論文の一部を引用したものだ。

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●Tyler Cowen, “Is the Great Chocolate Stagnation over?”(Marginal Revolution, September 10, 2017)


チョコレート版大停滞(チョコレートの分野における技術革新の鈍化)の時代はまだ続くというのが私の意見だが、「いや、チョコレート版大停滞の時代は終わった」という意見もあるようだ。

1930年にホワイトチョコレートが開発されてからというもの、チョコレートの分野ではイノベーションが一切起きていない(新種が開発されていない)。それはそれでいいではないかと肯定的な意見もあることだろう。『美女と野獣』に登場するコグスワースの有名なセリフに倣うと、「下手にいじくるな」(“if ain’t baroque, don’t fix it”)というわけだ。

しかしながら、Netflixにかじりつきながらムシャムシャできるチョコレート風のクリーミーな新種のお菓子を開発する努力は地道に続けられていたようだ。

スイスに本社を置くバリー・カレボー社――高品質のカカオとチョコレートの製造を手掛ける世界有数のメーカーであり、カカオの年間生産量は180万トン、年間の売上高は100億ドル近くに上る――で働く研究員の長年にわたる努力の成果が実って遂に新種のチョコレートの開発に漕ぎ着けたというニュースが飛び込んできた。新種のチョコレートの名は「ルビー」(Ruby)。ルビーカカオ豆を原料とする(見ていると朗らかな気分にさせられる)ミレニアルピンク色のチョコレート。着色料も添加物も使われていないが、ベリーのようなフルーティーな酸味がするという。

「ルビーチョコレートは(ミルクチョコ、ホワイトチョコ、ビターチョコに次ぐ)第四のチョコレートです。強烈な感激を伴う味覚体験を約束してくれることでしょう」。バリー・カレボー社の代理人は上海での初披露の際にルビーチョコレートについてそのように語っている。

全文はこちら(偉大なるSamir Varma経由で知ったもの)。

ビル・ミッチェル「赤字財政支出 101 – Part 3」(2009年3月2日)

Bill Mitchell, “Deficit spending 101 – Part 3“, Bill Mitchell – billy blog, March 2, 2009.

Part 1 の翻訳はこちら

Part 2 の翻訳はこちら

 

この記事は財政赤字101のPart 3だ。このシリーズは、財政赤字を恐れるべきではない理由の説明のために書いている。この記事では、銀行システムにおける財政赤字の影響を考察することを通じて、「財政赤字が政府借入需要を増やし、金利を引き上げる」という既存の神話を蹴散らすつもりだ。この二つの議論には関係がある。重要な結論は、(a)財政赤字は金利に対して下落圧力をかける動態を持つ、ということと(b)政府債務発行は政府支出の”資金調達”をするものではない、ということだ。そうではなく、債務発行は、(オーストラリア中央銀行(RBA)の目標金利維持志向としての)金融政策をサポートするために行われるものだ。

 Deficits 101 Part 1 (訳注:邦訳はこちら)では、政府と非政府部門の間の垂直関係と、そこでの経済内の金融純資産の出入りについて描写した図を提示した。こうした政府-非政府部門間垂直取引は一体どのようなもので、それを理解することが経済理解にどう重要なのだろうか? こうしたことをつなぎ合わせる手助けになる関連図として、以下のものを提示しておこう(私の最も最近の著書であるFull Employment Abandoned: Shifting sands and policy failuresからの引用)。画像はクリックして別ウィンドウで見てもらって、ここから先のテキストについては印刷して読んでもらった方が良いかもしれない。

金融的垂直関係・水平関係

この図は、政府と非政府部門の本質的な関係を垂直的に示したPart 1のに、さらなる詳細を加えたものだ。

最初に垂直面に注目すると、納税義務が、通貨(currency)の垂直的・外生的な構成部分の最下部となっているのがわかるはずだ。統合政府(財務省+オーストラリア中央銀行)は垂直連鎖のトップにあたる。なぜなら、統合政府は通貨の独占的発行者であるからだ。グラフの中間セクションは民間(非政府)部門に占められている。民間部門は財・サービスを国家貨幣単位と交換し、納税し、残余(会計的には政府赤字支出にあたる)を蓄積させる。蓄積形態は、流通現金、準備預金(商業銀行がオーストラリア中央銀行に対して保有する)、政府(財務省)債券、証券(オーストラリア中央銀行を通じて提供された銀行預金)といった形を取る。

納税に用いられた通貨単位(the currency units)は、支払プロセスにおいて消費(破壊)される。国民政府は任意に紙幣を発行するか、オーストラリア中央銀行に会計情報を発行することが出来るので、納税が政府に対して支出余力を追加(還流)させたりすることはない。

政府の二つの部門(財務省と中央銀行)は非政府部門の金融資産ストック蓄積及び資産構成に影響を与える。(財務省が司る)政府赤字は、民間部門における金融資産ストック累積量を決定する。そして中央銀行は、こうしたストックの組成を、紙幣や硬貨(現金)、ないし(交換尻決済に用いる)準備預金、および政府債券の中で組み替える。

上で示した図では、ストック累積が、我々が「非政府部門のブリキ小屋」(Non-government Tin Shed)と名付けた不換紙幣・準備預金・政府債券の蓄積によってなされるということを示している。「キャンベラのどこかに備蓄地域があって、国民政府がそこにすべての余剰物資を後の利用のために備蓄しているのだ」という大衆の思い込みを解除するために、「ブリキ小屋」(Tin shed)というアナロジーを用いている――それは過去の政府体制における重大主張だったのだ。実際には、そこに備蓄などない。なぜなら、余剰のある限り、購買力は永久に損なわれているからだ。しかし、非政府部門は確かに金融システムのいたるところで「ブリキ小屋」を所有している。

政府部門から非政府部門へ流れるあらゆる支出は、非政府部門に現金・準備預金・債券の形で残っている税負債(the taxation liabilities)を取り上げるものではない。したがって、「ブリキ小屋」に積み上げられている金融資産の蓄積は、累積財政赤字を反映したものであるということが分かる。

垂直の線の一番下は税で、ごみ箱に繋げることで、何かをファイナンスしているのではないことを強調している。税は民間部門の金融収支を減じるが、何ら政府のプラスになるわけではない――その減少分は請求されるものの、どこかへ流れるわけではないのだ。

このように、不換紙幣発行政府による自国通貨貯蓄というコンセプトは、不適切な代物なのだ。

政府が蓄積資産の購入に純支出を用いることもあるかもしれない(例えば、金の余剰分を買い入れたり、オーストラリアの場合なら、オーストラリア未来基金に貯蓄されている民間部門の金融資産を買い入れたり)が、そうした行為は、政府による財政黒字形成(支出を上回る徴税)によって未来のための資金が貯蔵される、ということを意味するものではない。こうした考えは誤りだ。つまるところ、債券売却は、流動性の除去になるのだが、同時に流動性の解体を生じることになるのである。

民間信用市場は(水平矢印で描写されたような)関係を表し、商業銀行、企業、家計(海外含む)による信用レバレッジ活動が行われている。多くのポストケインジアン系経済学者は、これを内生的貨幣循環として考察している。垂直取引との決定的な違いは、水平取引では金融純資産を創造しないということだ――全ての資産創造は同量の負債と一致するので、取引全体ではプラスマイナスゼロになる。このことが示す含意については、政府純支出が流動性に与える影響と、債券発行の役割について考える際にすぐに触れよう。

別の重要なポイントとしては、民間のレバレッジ活動は、全体ではプラスマイナスゼロなので、「ブリキ小屋」の話における通貨(currency)・準備預金・政府債券の役割を担えないという点がある。標準的な教科書には大抵逆のことが書いてあるが、商業銀行は信用を生み出す際に準備預金を必要とはしない。

中央銀行は銀行システム内の流動性を管理することを通じて、短期金利をその時点の金融政策を決めている公式目標に合致させる。こうした目的を達成するため、中央銀行は(a)日常的な資金需給を管理するためにインターバンク市場(例えば、アメリカではフェデラルファンド市場)に介入し、(b)商業銀行から金融資産を現価で購入し、(c)緊急資金を求める銀行にペナルティ的貸出金利を課している。実際、ほとんどの流動性管理は(a)を通じて達成されている。要するに、中央銀行のオペレーションは、準備預金・現金・証券の組成を変更することを通じてシステム運用上のファクターを埋め合わせるものであり、非政府部門の金融純資産を変化させないのである。

金融市場では商業銀行(及びその他の金融仲介機関)は法定準備を満たしたり他の商業目的上の資金獲得を行うために、短期金融商品を相互に取引する。図に従えばこうした取引はすべて水平的なもので、全体ではプラスマイナスゼロになる。

商業銀行は中央銀行に準備預金口座を保持することで、準備預金を管理し、手形交換決済を円滑に行っている。中央銀行は、貸出金利(公定歩合)の設定に加えて、商業銀行が中央銀行に対して保有している準備預金へのサポート金利も設定している。オーストラリア、カナダ、ユーロ圏といった多くの国々では、超過準備に既定金利が支払われる(例えば、オーストラリア中央銀行では、余剰為替決済勘定にかかるオーバーナイト金利に比してより低い25ベーシスポイントの超過準備付利を支払っている)。他の国、例えば日本では、超過準備に付利を行わず、過剰な流動性がそこに留まっていれば、政府による債券売却(あるいは増税)がない限りは、短期金利をゼロまで引き下げることになる(2006年半ばまでの日本のように)。こうしたサポート金利は、経済において金利の底になる。

短期的ないし運用上の目標金利は、現在の金融政策スタンスを示すものだが、中央銀行によって公定歩合とサポート金利の間に設定されることになる。こうした構造は事実上、短期金利が流動性変動と共に変化できる範囲としての回廊(corridor)ないし幅(spread)を作り出す。このspreadこそが中央銀行が日常業務で管理しているものだ。

ほとんどの国では、商業銀行は、ある特定期間の累積で、中央銀行に対する準備預金保有をプラスに保たなければならないと法律で定められている。商業銀行は各日の終わりに準備預金口座の状態を査定する必要がある。準備預金口座が赤字なら、中央銀行から公定歩合で必要資金を借入することが出来る。一方、超過準備を持つ銀行は、何の行動も起こさない場合は、オーバーナイト資金に対する現在の市場金利を下回るサポート金利の稼得に直面する。明らかなことだが、この場合銀行は超過資金を市場金利でほかの銀行に貸し出した方が利益が出る。超過準備を抱えた銀行同士の(慣習に則った)競争によって、短期金利(オーバーナイト金利)には下落圧力がかかり、全体的な流動性の状態に基づいてインターバンク金利は、オペレーション上の目標金利より低い水準まで低下することになる。システム内の流動性が全体で見て過剰である場合、こうした競争が金利をサポート金利まで引き下げるのだ。

資金市場における短期資金需要は、インターバンク金利に対して逆向きに動く。というのは、インターバンク金利が高くなると、予想不足量を他の銀行から借りようとする銀行が減るからだ(準備預金量予想の失敗をカバーするために、中央銀行から末日に資金を借りるはめになるリスクと比較して、の話ではあるが)。公開市場オペレーションを通じた流動性管理のための主要な手段は、政府債務の売買である。オーバーナイト資金市場における競争的圧力によってインターバンク金利が望ましい目標金利より低くなってしまう場合、中央銀行は政府債務売却によって流動性を取り除く。このような公開市場介入はオーバーナイト金利を引き上げる。重要なポイントだが、債務発行は、金利維持を実現するために作られた金融政策手段だと位置付けられているのである。こうした理解は、債務発行が財政の一側面であり、赤字財政支出の資金調達のために必要なものだと主張するオーソドックスな理論と全く以て対照的なものである。

後にさらに発展させていくこうした議論における重要なポイントは、クラウディングアウトが神話であるということを暴くことだ。政府支出(財政赤字)は、中央銀行による流動性管理を考慮しない場合は、商業銀行が中央銀行に対して保有する(準備預金の)精算後差額で見て、超過準備(現金供給)を発生させることになる。我々はこれを「システム全体の余剰」と呼ぶ。この場合、商業銀行は、他の(資金不足の)銀行に貸し出して利益を得ようとしない限り、超過準備に支払われる低いサポート金利に甘んじることになる。事後的に生じる超過準備の押しつけ競争によって、オーバーナイト金利は下落圧力を受ける。しかし、そうした取引は水平取引であり、必然的に総和はプラスマイナスゼロなので、銀行間取引は、システム全体の余剰を解消できない。よって、もし中央銀行が現在の目標オーバーナイト金利を維持しようとするなら、流動性余剰を政府債務売却によって除去しなくてはならない。これは垂直取引だ。

 

神話としてのクラウディングアウト

我々は今、「通貨発行権のある政府(currency-issuing government)に金融的制約がある」という考えを永続化させようとする神話の存在を知っている。この神話は、マクロ経済政策における政府の行動主義に対抗する正統派経済学者の議論を支えているものだ。消滅させる必要のあるしぶとい神話は他にもある――「政府支出が金利影響を通じて民間支出をクラウディングアウトする」という神話だ。

これまで見てきたように、中央銀行は必要に応じてリスクフリー金利を管理するのであり、直接的な市場圧力に従属したりはしない。正統派経済学のアプローチでは、永続的財政赤字は国民貯蓄を減らし、金利を引き上げ、投資支出を引き下げると論じられる。2日前に私が書いた 7.30 Report transcriptという記事を思い起こしてほしい。不幸なことに、「財政赤字が債務発行を増やし金利を引き上げる」というロジックの提唱者は、金利がどのように設定されるか、及び債務発行が経済においてどのような役割を担っているかについて理解できていない。明らかのことだが、長期投資金利にとって好ましいかどうかは度外視して、中央銀行がゼロ金利を設定・維持することは可能である。

政府支出はどこからか資金調達しているわけではないし、また集められた税金がどこかに向かって支出されているわけでもない、ということを確認してきたが、それと同時に、政府純支出には流動性面での実体的な影響があるということも議論してきた。債券を購入する資金は、会計的には政府支出によって供給されるので、「政府支出が民間投資用の有限な貯蓄を制限してしまう」といった考えは無価値である。アメリカの金融エキスパートであるTom Nugentは以下のように要約している:

『政府赤字支出の全影響を織り込むと、連邦政府による財務省証券発行は、常に新規発行資金と等しいので、財政赤字拡大による金利上昇への警戒というのは、ほとんど意味がないということも分かる。全体での影響は常に織り込まれ、金利は連銀が常に操作することになる。日本について考えてみればよい。日本は有史以来最大の公的債務を抱えており、繰り返し格下げもされているが、日本の政府証券金利は0.001%なのだ! もし財政赤字が本当に金利上昇を起こすなら、とっくの昔に日本は破綻していないといけない!』

これまで説明してきた通り、連邦政府と民間部門の取引は、システム全体の収支バランスを変化させるだけだ。政府支出や、中央銀行による政府証券(財務省債券)購入は流動性を追加するし、租税や政府証券売却は流動性を除去する。こうした取引は日常的にシステム内の現金量に影響を与え、当該取引による公的部門からの資金流出入の水準に応じて各日におけるシステム全体の黒字(赤字)が決定することになる。システムにおける現金量は、中央銀行の金融政策に関する決定的な暗示である。中央銀行による公開市場オペレーション(債券売買)の決定を反映するものだからだ。

この議論の理解の手助けのため、別の図を用意した。新しいウィンドウで開き、印刷して参照すれば、これまでの議論が分かりやすくなるだろう。

政府のそれぞれの部門の機能は以下のように要約される:(a)財務省による財政政策は、各日における政府支出と租税として要約され、経済全体に対して黒字(政府支出G>租税T)か赤字(G<T)の影響を与える。(b)オーストラリア中央銀行は金利目標の設定を通じて金融政策を遂行する。オーストラリア中央銀行はまた、目標金利を維持するためにシステム全体の現金量を管理する。これは政府債務の売買によって、商業銀行の準備預金を変化させることで行われる。では、政府債務の発行は、政府支出の資金調達に用いられないのに、なぜ行われているのか? 要するにそれは、中央銀行による(特定のオーバーナイト金利の保持を目的とした)準備預金操作のために行われているのである。図のように、政府支出Gは準備預金を加え、租税Tは準備預金を除去する。したがって、各日においては、もしG>T(財政赤字)であれば、準備預金は全体で増加することになる。

特定の銀行が準備預金不足になることはあり得るが、全体で見た準備預金の総額は過剰である。オーストラリアでは、オーバーナイトで残存する準備預金には目標金利以下の付利しか発生しない(いくつかの国では、付利すらない)。したがって各日において商業銀行は不要な準備預金を処分したがる。準備預金の余剰のある銀行は超過準備をインターバンク市場で貸し出そうとする。一部の準備預金不足の銀行はそうした貸出を受け入れて準備預金を補い、オーストラリア銀行の貸出窓口(discount window)で割高な準備預金借入を強いられる事態を回避しようとする。

結局は、準備預金余剰の銀行が自身の超過準備を処分しようとする競争によって短期金利は下落する。しかし、もしあなたが上記で議論した水平取引(全体ではプラスマイナスゼロ!)を理解したなら、非政府銀行システムがそれ自体(インターバンク市場における貸借といった、商業銀行同士の水平取引の遂行)によって(財政赤字によって創造された)システム全体の超過準備を処分することができないということが分かるはずだ。

必要なのは垂直取引――政府と非政府部門の間の相互作用だ。示した図に見る通り、債券売却によって、銀行に対して超過準備を処分できる魅力的な有利子証券(政府債務)を提示することで、準備預金を除去することが出来る。

このように、債券売却(債務発行)によってオーストラリア中央銀行は現金システム内の超過準備を除去し、金利への下落圧力を縮小させることができる。そうすることで、金融政策のコントロールが保たれる。重要なことは:

・財政赤字は金利に対して下落圧力をもたらす;

・債券売却はオーストラリア中央銀行の目標金利水準に金利を維持させる;

 

以上より、債務マネタイゼーションというコンセプトは全く不合理だ。一旦オーバーナイト金利が設定されたら、中央銀行はその目標を維持するのに必要な流動性変化の分だけしか政府証券を取引しない。中央銀行は準備預金をコントロールできないので、債務マネタイゼーションは全く不可能だ。中央銀行が財務省から政府証券を購入し、同時に政府支出が増加した場合を想像してほしい。超過準備の存在によって、中央銀行が同量の政府証券の売却を強いられるか、オーバーナイト金利がサポート水準まで下落するのを看過するかのどちらかになる。金利設定型金融政策のロジックから鑑みると、これはマネタイゼーションというより、単に中央銀行が仲介者として働いたに過ぎないのだ。

究極的には(訳注:政府支出が十分以上に増加した場合)、民間主体はそれ以上の現金・債券の保有を拒絶するかもしれない。債務発行がなければ、金利は中央銀行の設定するサポート下限(ゼロかもしれない)まで下がることになるだろう。これも明らかなことだが、民間部門がミクロレベルで政府証券なしに不要な現金を解消したかったら、民間部門の消費レベルを引き上げるしかない。現在の租税構造においては、このことは全体での貯蓄需要を減らし、民間支出を拡張し、財政赤字を減らし、最終的には、貯蓄需要が低い水準であり続ける限り、民間雇用レベルの上昇と必要な財政赤字の低下という形でポートフォリオがリバランスすることになるだろう。政府にとって、実物の限界を超えて経済を拡大する動機がないことは明らかだ。政府支出がインフレを起こすかどうかは、名目需要増加を満たすような経済の実物産出拡張能力に依存している。財政赤字の大きさそれ自体で決定するのではない。

 

この記事の主要な結論についてまとめておこう。

・中央銀行は自身の政策志向に基づき短期金利を設定する。実務的には、(マクロ経済学の教科書でクラウディングアウトとして描かれている神話とは対照的に)財政赤字は金利に下落圧力をかける。中央銀行はこの圧力に対して、政府債券を売却することで対抗でき、これを行うと政府が国民から借入を行ったのと同じことになる。

・借入を行わない(訳注:国債売りオペを行わない)ことのペナルティとしては、その国の回廊(corridor)の底への金利下落が生じる。回廊の底は、中央銀行が準備預金付利を行わない場合は、ゼロである。例えば日本は、国民からの借入(訳注:国債売りオペ)以上の支出によって形成した財政赤字を通じて、何年もの間ゼロ金利政策を維持することが出来た。このことは、政府支出が国民からの借入から独立して政府支出が可能であることと、国民からの借入というのは政府支出より順番的には後に発生するのだ、ということも示すことになる。

・政府債務発行というのは、財政政策固有の行為というよりは、金融政策手段である。

・会計的観点から見ると、財政黒字が示すのは、政府が何を行ったかであり、何を受け取ったかではない。(訳注:財政黒字は単に民間の金融純資産の除去を行っただけであり、それを通じて政府が何かを獲得することはないということ)

 

端的に言うと、我々は「連邦政府の赤字創出は有害であり、将来世代に負債を残す」という考えを否認する必要があるのだ。政府はあるプラスの短期金利の維持を選択してきているし、現金システムから生じる金利下落圧力に対して債務発行を必要としている。このシリーズの次の記事であるDeficits 101 Part 4ではなぜ短期金利が(現在の日本やアメリカのように)ゼロあるいはその周辺に維持されるべきかについて議論するつもりだ。

 

タイラー・コーエン 「日本におけるバレンタインデーの一幕 ~恋愛資本主義を打倒せよ!~」(2015年2月13日)/「サウジアラビアにおけるバレンタインデーの一幕 ~異教徒の祝祭に浸ることは決して許さぬ!~」(2008年2月14日)

●Tyler Cowen, “The Valentine’s culture that is Japan against the romantic-industrial complex”(Marginal Revolution, February 13, 2015)


(2015年)2月14日に「革命的非モテ同盟」――非モテ男(女性にモテない日本男児)をメンバーとする革命同盟――によるデモの開催が予定されている。場所は東京の渋谷。若いカップルに人気のスポットだ。バレンタインデーおよびその根底に潜んでいる「恋愛資本主義による抑圧」への抵抗の声を上げるのがデモの目的だという。

「革命的非モテ同盟」――通称「革非同」――の誕生は2006年に遡る。そのきっかけは創設者である古澤克大氏が女性に告白して振られた後に家に戻って手に取った一冊の本にある。その本とは『共産党宣言』。『共産党宣言』を読んで「非モテとは階級問題なり」と開眼したというのだ。

革非同によるデモは2006年以降毎年のように決行されているが、いずれも日本において恋愛と結び付けられがちな記念日―――バレンタインデーやクリスマス、ホワイトデー等々――に狙いが定められている。

革非同が掲げるスローガンは日本独自のネット文化と旧来のマルクス主義を融合して出来上がったものだと言える。ネット文化を起源の一つに持つことはその言葉の選び方からも窺い知れる。一例を挙げると、革非同はいわゆる「リア充」に批判の矛先を向けることが多いが、「リア充」というのは2ちゃんねるに代表されるオンラインコミュニティでよく使われる造語だ。「リア充」というのは「リアル」と「充実」を組み合わせて出来た混成語であり、ネットの外の現実の日常生活が充実している連中という意味が込められている。

2月14日に開催予定のバレンタインデー粉砕デモに向けて革非同のウェブサイトに次のような声明が投稿されている。曰く、「チョコレート資本の陰謀に血塗られたバレンタインデーの季節が今年もやってまいりました。モテない人の明るい未来を築き上げるべく、非モテ同志の連帯を呼び掛けてきた革命的非モテ同盟が、バレンタインデー粉砕と恋愛資本主義反対を訴えるデモを開催いたします」。

過去のデモでは「セックスなんかいくらやったって無駄だ」との言葉が書かれたゼッケンを着用して「リア充爆発しろー! でもちょっと羨ましいぞー!」などといったキャッチフレーズを叫びながら練り歩いたという。

全文はこちら。ところで、革非同の公用車はメルセデス・ベンツC220らしい。

情報を寄せてくれたAndrea Castilloに感謝。

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●Tyler Cowen, “Valentine’s Day in Saudi Arabia”(Marginal Revolution, February 14, 2008)


サウジアラビアでは宗教警察である(イスラム教保守派の立場に立つ)勧善懲悪委員会(CPVPV)の面々が2月14日の数日前から商店の取り締まりパトロールを行うのが毎年の恒例となっている。赤いバラや赤い包装紙、ギフト箱やテディベア等々を店舗から撤去するように警告して回るのである。そしてバレンタインデーの前夜に店々を突然訪れて「愛の象徴」となり得る品物が置いてあるようなら根こそぎ没収していくのである。

全文はこちら。情報を寄せてくれたBZに感謝。