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ノア・スミス「泥壕としての膨大な文献」

[Noah Smith, “Vast literatures as mud moats,” Noahpinion, May 16, 2017]

mud

どういうわけか,学術文献はよく「膨大な」と言われる(このフレーズは1世紀以上もさかのぼる).ただ,どうやらどんな話題について語っていようと,きまって誰かがひょっこりやってきてわざわざこう教えてくれる――その話題については,すでに「膨大な文献」がありましてね.このフレーズは,議論を打ち切る役目を果たしていることが多い.「膨大な文献がありますよ」ということは,ようするに,なにごとかについて語る前に,その話題についていろんな人たちがこれまでに書いてきたとてつもない分量の文章を読んでこなくちゃいけないと要求されているわけだ.膨大な文献を読み通すとなればそれはもう何時間もかかるのだから,この言い分は相当な時間と労力を要求していることになる.その膨大な文献とやらば40本の論文だとしたら,論文1本ごとに1時間かかるとして,ただ議論に参加するだけのコストとして1週間まるまる費やすフルタイムの仕事を要求しているわけだ.
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ジョセフ・ヒース「なぜ炭素税は非常に低価格なのだろう?」(2016年07月30日)

Why are carbon taxes so low?
Posted by Joseph Heath on July 30, 2016 | environment, public policy

カナダの環境大臣キャサリン・マッケンナは、国内炭素価格の予測値を年末までに決めると最近告知した。大変歓迎すべきニュースだ。炭素価格付け政策に関して、基礎の理論的根拠の衆知化に、多く時間を費やしてきた(ココココココそしてココ)私にとって、本件は想定しうる限り、ほぼ勝利に近づいたと言えるだろう。事が成る事を、そうここに願う!

炭素価格付け政策に関して過去に執筆に当ててきた時間のほとんどで、私は政策の最も基礎的な特徴について説明するのに腐心してきた。([人や政府機関等が]共同で行動する際の問題は何かであるのかとか、価格付け制度はどのように作用するのかとか、なぜ[炭素だけでない]全ての財に課税してはいけないのか、等々である。)このエントリは、まずは右派の読者、その内で特に気候変動問題に関して何もすべきでないと、なんとなく思っている人を想定させてもらっている。相対的にではあるが、左派や環境保護論者への説明――『気候変動問題』において、『価格付け』がなぜ適正な政策基準であるかといった説明――にはあまり時間を割いていない。(詳しく知りたい場合は、ココココ [訳注:本サイトでの邦訳版はココ]を参照して欲しい)。
(一般的な議論において、我々が[公共政策としてなんらかの財に]『価格付け』を扱わねばならない場合や、環境政策で「義務を課すような」アプローチを選好する場合、ずっとお勧めしているのが、ジョン・ブレイスウェイトの論文『有害な企業活動を規制する際の経済学上の限界について』である)。

炭素価格付けの政策に関しては、あまり言及されていない論点だが、非常に妥当な疑問がある。炭素価格付けを支持する主流派は、炭素1トン当たり米ドルでおおよそ30ドルの税金を課すべきとする見解を示している。(この『炭素1トン当たり』という単位基準は、あらゆる温室効果ガスを測定する時に一般的に使われる単位だ)。このことで、ガソリン価格は1リットル当たりおよそ10セント上昇する事になる。明白な疑問が生じる。たったこれだけのガソリン価格の上昇で、気候変動問題への効果的な解決策になるのだろうか、と。

この疑問を議論する際のパターンの1つに、[炭素価格等の財の]限界余地による価格変更で、[経済主体の]行動に影響を与える考えが理解できないままに議論を続けてしまう事例がある(この件は個人的にはココで議論済みである)。ひとまずこの価格の変更余地の議論に関しては脇に置いておいて、今派生している事実をだけを検討してみたい。2年前になるが、邪悪なるハーパー政権下において、ガソリン価格がリッター当たり1.2ドルに高騰した事がある。今現在、ガソリン価格はリッター当たり1ドルだ(ここオハイオ州では)。よって、リッター当たり1.1ドルにガソリン価格を上昇させるような措置は、環境にとってのユートピアに至るのだろうか? 本当に気候変動が大きな脅威であると結論付けるのなら、ガソリン価格はリッター当たり3ドルか4ドルになると考えるべきではないだろうか?

疑問をわかりやすく言い換えるなら、「炭素税は提案される場合や、ブリティッシュコロンビア州のような管轄区域で採用された時、なぜこんなに『安く』設定されているのだろう?」となる。(ここでEcofiscal Commission1 による、カナダの州ごとの炭素政策の厳密な比較を参照することができる)。

以上[リッター当たり3ドルか4ドルになるべきではないのか]は非常に重要な質問だ。やや込み入ってはいるが、1つの納得が行く答えがある。(厳密には「1つ」というより集合的な答えになるが…)。技術的だが、あまり知られていない答えは、炭素1トン当たり30ドル(正確には33ドルほど)が、『SCC:”social cost of carbon”(炭素の社会的費用)』による最適見積もり価格との結果が出たのである。SCCとは、炭素1トンの排出によって、経済にどれだけ負の効果を与えるのかを示す数値である。つまり[SCCに応じた炭素税を課すことで]、排出炭素1トン当たりを適応範囲とした炭素価格で「外部性を内部化」させることが可能になる。つまりは、化石燃料由来の民間使用のエネルギーコストを、おおよその社会的コストとして同一化させることができるのである。2

しかしながら(これは本当に大きな「しかしながら」なのだが)、この社会的コストの計算は、我々の様々な社会活動の成果を膨大な仮説・仮定した上での数値化に基いているのだ。以下にこの件での、私のいくつかの考察を、簡単に箇条書きして示させてもらった。示したのは、我々の炭素の排出の痕跡を、最大限可能な限り減少させる、私が支持する様々な手段である。
(ついでに、気候変動問題に関しては、議論が非常に複雑化してしまっていることで、様々な論者が相互理解から遠い状態でやり取りしてることに気づいたのである。なので、泥沼に陥っている議論基盤を、共通な議論が行われるように、簡単な概略図を示させてもらったつもりでもある。)

1.「将来の人類はより豊かになるのである」
環境保護論者は、経済成長がどれくらい力強く、成長によって将来世代がどのくらい利益を得る事になるのかを、見極めることにしばしば失敗している。気候変動のダメージは、幾何学関数的に正確とまでいかないまでも、数十年間かけて段階的に増加する。一方で、経済成長は、毎年、指数関数的に増加する。なので発展途上国の過去の成長率を検討し、社会や経済や政治制度の要素が適正に整備されると想定すれば、現行の予測では、10年以内に[途上国の]1人当たりのGDPが2倍になる可能性があるのだ。これは、気候変動政策に関して以下の2つの帰結を産むことになる。

1つ目に、現役世代が、気候変動の沈静化・改良コストの一部を将来世代に繰り延べる事が適正であると見出すのが可能になる。なぜなら、人類が将来においては、この問題にを向き合うためにはるか多くのリソースを持つと予測できるからだ。(さらには、今より豊かになる事で、[気候変動等の政策の]負担が、経済厚生に与える影響も少なくなるだろう。たとえ、気候変動が、年代を経るにつれ悪化したとしても、[人類]の経済状況は、(最も可能性が高い予測に基づけば)それより早く改善する。なので、いくつかの政策行動を遅らせるのは合理的なのだ。例示すると、京都議定書が交渉されていた1996年には、中国経済は今のたった1/4に過ぎなかった。京都議定書交渉時に、中国は条約義務からの免除を求めて、以下のように主張している。
「1996年の今、我々は貧しい。なのになぜ、我々はこの義務を課せられねばならないのだ? 20年後には我々は4倍豊かになっている、その時には、非常に容易に[温暖化緩和の]義務を履行することができる」。過去を振り返ると、この議論は妥当と見なすことが可能だ。そしてもちろん、発展途上国の人達は、今も同様の主張を行う妥当性を保持している。

2つ目に、経済成長にマイナスの影響を与えるような政策を行うには、その政策の機会費用を正統化する為に、将来世代への巨大な便益が提供されている必要性を見出さねばないということである。例えば、もし中国の平均寿命や乳幼児死亡数を仮想数値化し、GDPとの相互関係を考えてみてほしい。そして、将来を見積もれば、あなたは成長率の低下を予測することができるだろう。今、大胆で徹底的な炭素排出量の減少政策(例えば、新規の火力発電所の建設停止処置等)を採用すれば、経済成長率の低下を招くかもしれない。この大胆で徹底的な炭素排出量の減少政策を実行することは、全世界での平均寿命を低下や、乳幼児死亡数の減少の鈍化を推察されることになる。なので、この[大胆な炭素削減]政策を実行することは、一定の人を「殺害する」事になるだろう。一方で、この政策を実行し、気候変動を沈静化することで、別の多数の人を「救う」事にもなる。つまりは、極端な気象変動や、穀物の不作による悪影響を減らす事になるわけである。どれだけの量の人を「救う」事で、概算で最低限どれだけの量の人を「殺害する」事になるべきかによって、気候変動に関する政策は正統化されねばならない。不幸にも、気候変動の沈静化の恩恵はそれほど大きくないのだ、発展途上国における経済成長と比較した時には。
(これはもちろん、先進国には正しくない。先進国における成長はさして違いを産まない。しかし、気候変動はグローバルな問題なので、大きな絵図を見る必要がある。)

2.「技術変化」
気候変動を巡っては、政策の「終結点」をどう想定するかでしばしば意見が異なっており、水面下での対立となっている。一部の人々は、気候変動政策を、水路への水銀廃棄のような平凡な汚染問題と同一視するような見解を保持している。以上の見解に立った場合、対処方法は、「汚染してはいけない」と謳う法案を通す事になる。すると企業は、[汚染物を廃棄する]インセンティブを抱えたままに、廃棄を止める事になる。なぜなら、[廃棄する事は]違法であり、罰金等で脅かされているからである。以上を[気候変動政策に]適応するには、「私の見解」では非現実的だ。端的な理由として、気候変動のグローバルな性質と、国際的な[法や罰則の]強制施行体制の不可能性を理由に挙げることができる。全ての化石燃料は地中に単に手付かずの状態で眠っており、これは驚嘆すべきありえない安価なエネルギー源なのだ。なのでこういった状況下では、世界中の国が皆、この安価なエネルギー源に依存し続けるだろう。個人的には全くもって信じられない状況だが…。なので他の多くの人達と同じく、「負の外部性」を単純に修正し、「負の外部性」が作り出した「価格の歪み」を取り除き、それから政府と市場参加者が共に努力し、技術的な解決策を模索するように至るような政策を、「終結点」と私も考えている。この技術的解決策によって、化石燃料を燃やす事による水面下のインセンティブを取り除く事になるだろう。

以上観点に立つと、[気候変動の]基礎的な問題は、(外部性によって)化石燃料が安すぎる事にある。これはエネルギー研究への顕著な投資不足を産んでいる。緑のエネルギーは、褐色のエネルギーと競争することができていないのだ。なぜなら後者は、(気候変動を犠牲に払って)暗黙下の助成を受けているからである。20世紀の電子機器分野における、我々が経験した技術的イノベーションの発達度合いを考えてみて欲しい。そして次に、エネルギーシステムの技術的イノベーションの発達度合い(実質的にゼロである。我々は未だに19世紀に有力だった技術を使用しているのだ)と、比較検討してみて欲しい。炭素消費ゼロのエネルギー源を発見できる可能性を楽観視できるはずだ。この世界には、結局のところエネルギーが満ちているのである。常時、地球は15000テラワット以上の太陽エネルギーを受け取っている。常時の、人類使用の総エネルギーは、おおよそ17テラワットである。おまけに、人類使用のエネルギーの大部分は、人類が直接太陽から補足したものではない。それは植物によって、何百万年も前に補足され変換された太陽エネルギーなのだ。我々は、今より良い方法を行うことができるはずだ!

以上観点より、炭素価格付け政策の最終目標は、大量の炭素[排出]の減少を実現させることではない。価格の歪みを訂正することなのだ。人間の創意工夫の方向を、この問題の解決に大きく比重するように導くにある。

3.「カナダは行うべき鎮静・削減の大部分を行っていない」
持続可能なレベルでの1人当たりの炭素排出量を概算すると、炭素2トンとなる。(もちろん、全世界人口に左右される数値である)。知っての通り、カナダでは今のところは、炭素排出量は1人当たり約20トンとなっている。(しかしながら、アルバータ州とサスカチュワン州では、平均して1人当たり80トンないしそれ以上を排出しており、我が国の排出量の平均値を嵩上げすることになっている)。ともかく、カナダの排出量が現実に1人当たり2トンまで低下するシナリオは、見込みもなさそうだし、望ましくもない。我々は、北方の国であり3 、裕福な工業国でもあるので、自身で炭素を削減するより、他国と排出量の削減で取引を行う事が効果的である可能性が常にありえる。ただ、今のカナダは、排出権取引を行うには適正ではない4 。炭素価格が設定されていなくても、[炭素の]限界削減費用がゼロだったりマイナスですらある、経済分野(例えば照明分野)も存在する5 。なので、炭素税の導入意図は、低吊りの果実を摘み取るようなものなのである6

ただもちろろん、炭素税の導入は、我々の1人当たりの炭素排出量を2トンまで引き下げる事を意図した政策ではない。さらには、我々には、炭素税を導入する道徳的要求は必要とされていない。道徳的要求とは、「我々は生成する排出量の全ての費用を支払わねばならない」との見解である。理想的な政策体制下において、温暖な気候に暮らす多くの人達は、十全に炭素を排出しても[排出枠に]2トンも必要としなくなる(屋内暖房を必要としないこと等で)。一方で、我々は[理想的な政策体制下でも2トン]より多くの炭素排出が必要になる。よって、我々は温暖地の人達から[炭素排出]スペースを「買う」事ができる。7 (言い換えるなら、我々は名目上のノルマを超過した時、その影響を賠償しても良いのである)

4.『将来世代を助けるためのその他の多くの方法』
気候変動問題だけを特別視しない事は何よりも重要である。つまりは、多くの政策課題から、気候変動だけを切り離して見てしまってはならないということだ。例えば、人によっては、「気候変動の公平性」の観点から、第一義的かつ最優先されるべき再分配上の公平的命題であるかのように言及している。豊かな世界が貧しい世界を傷つけているからだ、と。この手の主張における気候変動の沈静化は、公平性の命題として提示されている――「我々は貧しい世界に何らかの借りがある」とのように。しかしながら、気候変動の緩慢さ(現行の政策の実行と、その政策の影響の享受に80年のラグがある)を考えれば、我々が採用するであろう(いかなる政策も)、公平性の命題からは、大変非効率的なものとなるだろう。例示するに、バングラディッシュが、海面上昇によって被る被害は、非常に不当であり、これを改善するために、我々は大胆で徹底的な炭素減少プログラムを採用せねばならないと、人によっては主張するかもしれない。しかしながらこれが何を意味するのを考えてみようではないか。80年後にバングラディッシュの人々に利益をもたらすために、カナダが文字通り何十億ドルもの大胆な炭素削減政策に予算を当てるとしよう。カナダの政策とは別途に、現行の成長率を考えれば、バングラディッシュの平均的市民は80年後には今の6倍豊かになっている。遠い未来の人々を助けなければいけないという思想[に基づいた政策]は、現世界が直面している公平性の命題への対応としては最善な方法と思えない場合があるのだ。バングラディッシュの人々を助ける、もっと良い方法はないだろうか?
(想定すべきは、[カナダ]連邦政府により表明されているカナダの先住民の生活環境改善のための処置である。[この政策処置]の最初の便益が得られるようになるのは、おそらく22世紀の初頭になるだろう。)
[途上国の]人々の助ける、より良い方法が存在するはずであると、単純に考える事は可能だ。今だと、純粋な再分配はどうだろう? あるいは、安全な飲料性が確実に確保できるようにするのは? この一連の文脈下で「命題」を見てみれば、すぐにでも人は、[途上国の]人々を助ける多くの異なった政策手段が存在することに気づき始めるはすだ。そして、気候変動の沈静化は、[途上国への処方箋として]特効薬でない事も自明である、と。マラリア撲滅研究への投資なんてのはどうだろう?

ただここで、ビヨン・ロンボルグの路線、「気候変動と闘う代わりに、我々は他の多くの政策課題に取り組まねばならない」のような主張を取らない事は明示しておきたい。私が単に言いたいのは、政策空間には、多くの競合する選択肢があり、どれを行うのが最適なのかには不確実性が存在するとのことである。しかしながら、我々が確信を持てる事の1つが「正しい炭素価格はゼロでない」という事実だ。化石燃料の消費(その他の極少数の[人為的]減少)に起因する、空気・大気への外部性が存在する限り、我々はそれを内部化しないといけないのだ。そしてその時に見出される炭素価格は、SCCによる最新の推定値に基づいたものになる。以上事実により、我々は、[温暖化沈静化政策に]なんらかのチップを置くことができるのだ。将来世代を最善化するようななんらかの政策を具体的に決定せずとも。8

5.「現役世代への適正な優遇」
最後に、最も賛否両論ある問題がある。我々は、将来世代よりも、今日生きている人々をどの程度まで優遇するのを表明する事が許されているのだろうか、ということである。[世代間の利益配分問題に関して]、我々が実行可能で、せねばならない事を検討した、長い論文を書いた事がある。(論文収録雑誌はココ、論文だけだとココ)。私が考えるに、我々が最適に現役世代への『優遇』を実行できないのは、人々を魅了するいくつかの種類の見解があり、それらは高い道徳的見解に見えるからなのだ。しかしながら、[高い道徳的見解を]考え過ぎることは、総合的にクレイジーな結論に至ることになる。今を生きる人や現役世代と、将来世代に、平等な道徳性を負荷してしまう事の大きな問題は、将来世代は、現役世代より遥かに人口が多いことにある。今存在している人々(ないし、今を生きる人)に対して、なんらかの「優遇」を表面するのを拒否する事は、あらゆる種類の不条理なシナリオの生成をも可能にしてしまう。こうした[過度の道徳的見解を]想定をしてしまうと、今存在する人々以上に、存在していない[将来の]人々への優遇が常時継続して続く事になる。(なぜなら将来世代は非常に多勢だからなのだ)。このことは、結果的に、採用された政策の便益を、現役世代でない人達が得続ける不条理に至ることになる。

なので、炭素税が低価格である理由の大部分は、SCCの計算によって、適正な割引率9 が適応され――そのことで、他の全ての公的投資や支出プログラムは割引率に応じた実際上の行動に至り――これによって、現役世代への「適正な優遇」の測定結果も表明されることになるのである。

結論:「なぜ炭素価格は非常に低価格なんだろうか?」
理由は、気候変動に関するコスト―それは何を行っても、何も行わなわなくとも―は、少なくとも200年間に渡って拡散する。なので、我々は、今すぐこれら負担を穏健な[政策]割当以上に引き受ける義務はないという、複数の理由からなのである。

※訳注:以下は、本エントリのコメント欄で行われた、気候変動の専門家と思われるサム・タイラー氏とヒースとのやり取りである。

サム・タイラー:2016年07月31日の投稿

私は、全面的に『炭素価格付け政策』に賛成してますし、さらに[現行の]与えられた条件下では、[この問題で]正しい方向へ向かう唯一の方法であると考えています。ただ、このエントリは、いくつかの件で若干のどっち付かずの要素がありますし、議論のいくつかには大きな欠陥があるように思えます。

まず最初に。特定の炭素価格を決定する際に、重要視し可能とあなたが導出している『割引率』に不信感があります。実際、被害要素の数値化の仮定において、[あなたの導出した]『割引率』は、炭素価格を設定する際に、単一の決定要因に顕著に依存しています。『割引率』には異なる試算があり、一般的には『スターン価格』と、『ノードハウス価格』の違いとして説明されています。この2つの価格は、大きく異なった数値仮定となっています。さらには、ノードハウスの率は、ネイティブアメリカンがマンハッタン島を24ドルで[オランダ人に]売却した事実を彷彿させます。つまり島を売った部族にとっては、その時点では「良い取引」だったのです。特定の『割引率』を支持するには、強い説得力がある論拠が必要になります。しかし、深く納得できるような見解の表明をほぼ見ることができていません。

また、あなたは「[経済及びエネルギー]消費の最大化」を争点化し主たる論拠として表明しているようですが、[この問題に取り組む]他の人によっては「リスクマネジメント/保険買い取り」として争点化する事をより重要視しているかもしれません。あなたは、経済と気候をスムーズな変動システムとして扱っており(このあなたの仮定や数値入力に依存する限り)成長を通じて人を豊かにするために、炭素は排出しても、最終的には理にかなうことになるでしょう。このあなたの見解は、気候システムが強い非線形的なシステムであり、極めて急速に状態変化を起こしてしまうという強固な地質学的な証拠を無視しているように思えます。現状、我々は、極端なまでに限定された温度領域においてでしか、大規模な集約的農業(一つの事例です)が行えない、との確定事実しか持っていないのです。だから、想定できる甚大な状況を避けるに、我々は、誇大なまでのリスクプレミアムを支払わねばならないかもしれません。例えば、気温3-4℃の上昇はなんらかの[甚大な]危険性を産む可能性があります。気候変動による被害要素[の設定]は”fat tail(太った尻尾)”10 になっている可能性があります。[気候変動による被害要素の設定によっては]あなたが想定しているリスク因子を相当大幅に改定してしまう可能性です。気候変動がシリアの崩壊の要因となったかもしれないと、いくつかの分析は示しています。この事実は、少なくとも、物事を慎重に考えねばならないことになるでしょう。

エネルギーに関して、[地球の常時受取太陽エネルギーと、使用化石燃料の比率である]15000対15の比率は、表層的な楽観主義として喧伝されているだけであり、精査に耐える事実ではありません。[地球が常時受け取っている太陽エネルギーの数値]から、海面、山間部、農業エリア、雲による反射を差し引く事を始めてみれば、あっという間に桁が減り、比率が圧縮されていくでしょう。それこそが緻密な比率です。現実的な数字を適用すると、必要な太陽光発電パネルの面積は、非常に巨大な国々のサイズに等しくなってしまいますから、この引き算は簡単な作業ではないでしょう。追記するに、電力に由来する炭素排出量はおおよその20%にすぎません。他の工業過程(鉄鋼の生成や、ハーバー・ボッシュ法)はおそらく簡単に代用できません。土地利用変化や農業からの炭素排出は言うまでもないでしょう。物理学をバックグラウンドに持ち、エネルギー分野で働くことに少なからず時間を費やしている我が身から見れば、たしかにこの分野には多くの希望的観測があります。ご指摘の通り、太陽エネルギーは膨大です。そして我々は吹き荒れる風を存分に浴びて生きています。しかしながら、これらは、本質的に低品質のエネルギー源なのです。これらは、断続的で、拡散しやすく、低い温度状態にあります。対照的に、石炭や石油や天然ガスは、ずば抜けて優秀なエネルギー運搬手段なのです。容易に保存でき、エネルギー密度が高く、要求に応じて利用可能です。現役世代の再生可能エネルギーと貯蔵技術は、[化石燃料からは]はるかに後方にあります。なので、すぐに追いつけるとの自明性を見出すのは、非常に困難です。さらに、再生核融合研究は数十年に渡って金銭を浪費しており、現役世代の核エネルギーは狂気じみて高価で不人気なものとなっています。なので、これら[核エネルギー]をグローバルに[現役]世代で大規模に共有するのも、非現実的に思えます。

他にも沢山の未解決な問題があります。中国は今も急速に石炭生産量を増やしています。中国が石炭を使用する際の、石炭火力発電所を半分にする方法を想定するのは非常に困難です。イギリスは、天然ガスの採掘をさらに増やすようにジワジワと近接しています。なぜなら我々英国はライトが消える前に何かする必要にかられているからです11 。そして、アメリカ合衆国はすぐにでも大量の老朽化している発電所を建て替えねばなりません。その上、これら老朽資産は完全に減価償却されるようです。低炭素代替社会を目指す説得力がある変更処置のシグナルがなければ、様々な国が炭素集約型インフラの建設に持続的に数十年間も従事する危険性を孕むことになるでしょう。

ジョセフ・ヒース:2016年07月31日の投稿

思慮深いコメントに感謝します、サム。

あなたの最初の指摘ポイントに関して。私のエントリの「理由」の1~5のうち、1と5が、あなたの指摘している社会的『割引率』を決定する際の理由となっており、特に1が最重要です。なので、私は『割引率』の一義的な特徴を提示しただけです。私は、このことだけ[を根拠にする事]で『割引率』を導出したのではありません。

あなたの2つ目の指摘ポイントに関して。気候変動問題に、外部性の社会コストを計算するよりも、『保険』観点のアプローチを優先させても、得るべきものは何もありません。『保険』は、似たようなリスクに直面している多くの人々による、リソース/基金のプール作成の同意に基づいた『協定』です。この『協定』によって、損失を被った人は、『補償』が利用可能になります。これは、気候[変動]の件には適応できません。なぜなら、[地球は]惑星単位では1つだけしか存在しないからです。なので、誰であれ何であれ「プールする領域」は存在しません。よって、炭素削減に伴う費用を、保険買い取り政策と類似して考えるアイデアは、私には適正に思えません。我々が現に行う事は、炭素削減に取り組んでいる時に、有害な気候変動の可能性を減らす事にあるのです。具現化している確実な大惨事シナリオの可能性を減らす事です。(保険とは異なり、今不確実に起こっている事態からの損失に保険をかけても[大惨事の]可能性を減少させることはできないのです)。ここにおいて問題になっているのが、最適なリスク削減の一種です。例えば、今確実に起っている大惨事の可能性を減らす為に、どこまで政策を拡張すれば、どのくらい道理にかなっているのか、といったことになります。私が考える限り、以上を包括した計算数値は、SCCの決定に基づいたコスト・ベネフィット計算数値と同じとなるでしょう。なので、2つのアプローチ(最適な[エネルギー]消費と保険を比べる事)にどのような違いがあるのかは、私には意味がないと思うのです。

サム・タイラー:2016年8月1日の投稿

ジョー。

私は、あなたの『割引率』の導出方法に関しては、理解していましたよ。私が単に考えているのは、炭素価格においてなんらかの『率』を選択する際に、巨大な過敏性が見出される事を、非常に深刻に考慮する必要があるという事です。なぜなら、[過敏性を考慮の入れない方法では]、あなたが好むように、炭素価格の計算は簡単になってしまいます。特に『率』は、様々なパラメータに応じる極僅かな仮定によっても、影響を受ける事が見出されています。我々がなんらかの『率』を決める際の「不確実性」や、『計算式』を決める際の確率分布的な形の「不確実性」は共に巨大な影響を持ちます。つまりは「太った尻尾」の支配が始まるのです12 。これは、安い炭素価格を導いていた仮定群等などを帳消しにしかねません。低い炭素価格が、必ずしも簡単であるとは、私にはまったく現実的だと思えないのです。

ハッキリさせましょう。ゼロの『割引率』は、なんらかの異常な状況に導く可能性がある事に、完全に同意します。この件で、私が支持する最近の事例はこのリンク先にあります。

上記に従って、将来において皆が豊かになる(おそらく正しい)であろう論拠に関して。自然が生み出す気候変動による多量のダメージの蓄積という別の事実も存在します。この多量のダメージのうちの一部は、生態系の安定性への影響として、我々には感じられる事になるでしょう。[このダメージの]一部は、生物多様性の減少としても我々には感じられるかもしれません。私の知る限り、以上の[生態系への影響]事象のどれも、炭素価格の数値化においては、必要な考慮事項として補足されていないのです。これらによって、どんな仮定であったとしても、意味の有る価格付けとなっていないと思われます。可能な限り経済的に中立な方法を取ったしても、多くの[生態系]が失われる事になると、私にはまだ思われるのです。自然資本アプローチのようなものがあるとも認識していますが、これらは未発達であり、生態系の多くが非線形で急速な状態変化受けることを考慮すると、価格[付け制度]は、この[自然の非線形な]挙動を補足するには不十分なメカニズムではないでしょうか?

[前回の投稿で]私が保険と消費を対立させた論拠を提示したのは、あなたとのコンセプトの違いを強調することを試みたのです。しかしながら、議論構築においてベストな方法ではなかったかもしれません。私が理解する限り、我々は最適な炭素価格を算出するのに、様々な平均的な予測に基づいた価格を使用する傾向にあります。しかしながら、人は保険を購入する際、その動機として、早すぎる死亡、家屋の火災のような、人生の生活結果において可能性が最も低い最悪の出来事を改善するのを優先しています。人は、これらリスクに保険をかける際、予測以上の損失を支払う事に明らかに満足しています。(もし、もし保険産業が存在しない場合は、誰も利益を上げる事はありません)。一般的に人は、最悪の結果を避ける為に、顕著なまでの保険料を支払う用意があるように思えるのです。なので、[行うべき]政策は、予想価格の最大化ではなく、最悪の結果を避ける事に焦点を絞るべきなのだ、という論拠がおそらく導かれるでしょう。

※訳注:訳者による補足、註釈の文面は基本的に[]で囲っている。

  1. 訳注:カナダの環境に関する調査を行っているNPO法人 []
  2. 訳注:SCCに関しては、ココで日本語での詳しい解説を読むことが可能。 []
  3. 訳注:寒冷地は暖房等で一般的に炭素排出量が地球上の他地域より多くなる事が多いため、排出量が世界平均より多くなることが認められている事が多い。 []
  4. 訳注:今のカナダは炭素税の導入等で、自国内で炭素排出量を削減する余地があるとヒースは考えている為、排出権取引を行う状況にないと考えての文章と思われる。 []
  5. 訳注:照明をLEDに切り替える事等は、炭素排出量を減らしつつ、経済的にも利得がある事を指していると思われる。 []
  6. 訳注:炭素税は簡単に導入でき、簡単に小規模の排出削減の蓄積を実現できる、を意味する文章と思われる。 []
  7. 訳注:排出権取引のこと []
  8. 訳注:炭素価格や炭素税を設定すれば、具体的な温暖化対策を想定せずとも、経済主体は半ば自動的に炭素削減の為の行動を取り始めることを可能となる。つまり政策内容いかんに関わらず、炭素削減を目的にした政策に踏み出すことが可能となる(つまりチップを置くことができる)、との意味の言い回しと思われる。 []
  9. 訳注:炭素価格を設定する際の、世代間の負担割合や経済成長を根拠にした「率・レート」のこと。日本語ではココ等で解説を読むことが可能。 []
  10. 訳注:統計グラフ等が太った尾のように横に広がっている状態、つまり正規分布とは違い、不確実性が多く予見が困難な状態。 []
  11. 訳注:イギリスは、規格電圧が高く、照明インフラが高コストになっている事実への言及と思われる。 []
  12. 訳注:上でも説明したが『太った尻尾』とは、統計グラフが左右に大きく分布してしまう現象を指しており、不確実性が大きくなり初期リスクを大きく見積もる可能性が高くなることである。 []

スコット・サムナー「言語と失業の件の追記」

[Scott Sumner, “A follow-up on language and unemployment,” MoneyIllusion, May 3, 2017]

前記事に Vaidas Urba がこんなコメントをつけてくれた:

もう1つデータポイントを増やしてみよう――ドイツ語が主流をしめるイタリアの南チロル自治州 (アルト・アディジェ自治州)はこの地図では青くなっている.

http://names.mongabay.com/ancestry/st-German.html
これをきっけかに,この問題に関わる他の証拠について疑問がわいてきた.そこで,ドイツ系の祖先をもつ住人が占める割合を州べつに調べてみた.上位10州はこうなってる:
[Read more…]

スコット・サムナー「言語と失業」

[Scott Sumner, “Language and unemployment,” Money Illusion, May 2, 2017]

地図はぼくの好物だ.先日,ランディ・オルセンがヨーロッパの失業を示すおもしろい地図にリンクを貼っていた:

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この地図を見る前から,フランスよりドイツの方が失業率が低いのは知っていた.そしてやっぱり,失業率は両国の境界で劇的な変化を見せている――ライン川流域がそれだ.
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タイラー・コーエン「1万語あたりに -ly 副詞がでてくる回数」

[Tyler Cowen, “Number of -ly adverbs per 10,000 words,” Marginal Revolution, May 17, 2017]

ヘミングウェイ: 80回
トウェイン: 81回
メルヴィル: 126回
オースティン: 128回
J.K.ローリング: 140回
E.L.ジェイムズ: 155回

ネタ元は,ベン・ブラットのおもしろい新著『ナボコフのお気に入り単語は「藤色」』.ヘミングウェイ作品で -ly で終わる副詞の生起率がいちばん高いのは死後出版となったTrue at Fist Light で,ヘミングウェイ作品で最低の駄作と考えられている.同じパターンはフォークナーやスタインベックにも見られる.つまり,いちばん評価の高い作品は -ly 副詞の生起率が相対的に低い.調査された著名作家たちのなかでは,D.H.ロレンスがこの規則性のいちばん明白な例外となっているようだ.
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タイラー・コーエン「イギリスで産業革命が起きなかったとしたら他の産業革命までどれくらいかかっただろう?」

[Tyler Cowen, “How long until another Industrial Revolution would have taken place?” Marginal Revolution, May 9, 2017]

こう仮定してみよう.どういうわけか,イギリスが産業革命の好機をのがしたか(しなくていい戦争で負けたとか),あるいはそもそも産業革命を起こす状況にいたらなかったとする(メキシコ湾流がなかったとか).その世界では,いったいいつ産業革命が起きただろうか? お忘れなきように――中国の宋はなんらかの突破口を開くのに比較的に近いところまで行ったけれど,産業革命を起こすにはいたらなかった.ローマ帝国についても同じことを言う評論家たちがいる.
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ジョセフ・ヒース「一線を越えたカナダ保守党」(2015年10月5日)

Conservative Party Moves Beyond the Pale” by Joseph Heath

現代民主主義政治にとって最も重要な概念のひとつは「妥当な不一致」である。我々のほとんどがある程度まで賛同する道義や価値観でも、それらがぶつかり合うような場合どちらを優先すべきなのかはっきりしないものが多くある。公共の利益は個人の自由より優先されるべきか。社会的平等を進めるためには公益の損失はどこまでなら許容されるのか。これらは現代政治の妥当な不一致の範囲にあると定義される論点の類だ。政党が左右のスペクトルのどこに位置するかが決まる主要な特徴は、これらの問題に異なる解決策を提示するところである。右派は個人の自由を、左派は平等を強調し、中道派は厚生の最大化を焦点にしている。これはそのまま社会における政府の役割についての異なる複数の見解につながっている。

基本的な原則は大まかに同意されているのだから、ここでいう不一致は「妥当」である。実際、自由民主主義社会ではそれが土台になっており、不一致のほうがより強調されている。例えば、個人の自由は重要だと思う。私も自由は大好きだ。ただ、一部の人々が主張するほど重要だと私は考えていない。だから、例えばアメリカで個人の武器所有の権利を守るために、あんなにも大勢のアメリカ人が銃による大量殺人事件に耐えているのを、不思議に思う。私から見れば、武器所有の自由を行使することで厚生が犠牲になるというのなら、その自由には価値がない。同時に、銃所有の合法性を否定したくはないし、受け入れられないとして社会から排外したくもない。武器所有の自由は(政治哲学でいうところの)リベラルと認識できる見解だ。ただ、個人の自由の名のもとに快く受け入れられるトレードオフの幅を考えると、どちらかというと極端な見解だ。だから私は銃所有の自由に反対する立場で議論するし、カナダで反対派が多数を占めることを喜ぶが、人々が賛成の立場を取って議論するのを悪い行いだとは考えないし、賛成派支持者を賛成の立場を取っているからといって悪人だとも考えない。

しかしながら、妥当な不一致の範疇から外れる政治的立場というものがある。基本的なリベラルの原則または価値観と矛盾するという意味で、これは「一線を越える」行為である。例えば、自分が平等の重要性を軽視し、大きな格差にも耐えるつもりがあるからといって、市民の基本的な法的平等を認めないような人々は全く受け入れられない。これはいわば交渉余地のない原則だ。だからこそ社会的平等にすべての政党や政治参加している人々が同意している。そして政治家がその境界を越えたとき、例えば男性と女性は完全には平等ではないというようなことを発言したとき、人々はいつもよりひどく狼狽するのだ。

カナダ人はかなり穏健な人々だから、政治家も完全に一線を越えるようなことはそんなにしない。だからこそ3日前にクリス・アレクサンダー氏とケリー・レイッチ氏が、他にもいくつか議題はあったとはいえ、「野蛮な文化習慣」を王立カナダ騎馬警察1 に通報できる新しいホットラインについて発表するために記者会見を開いたとき、私は驚き、ぞっとし、仰天したのだ。カナダ連邦政治でこれほど軽蔑に値するものを今まで私は見たことがない。これはカナダ的価値観に対する正面からの攻撃なのか、見せ掛けのカナダ的価値観の「防衛」なのか。どちらがより酷いかわからないが。

この「ホットライン」がどれほど酷いことか本当にわからないひとのために、説明させてもらいたい。法的にも実用としても、これは二度手間だ。アレクサンダー氏が例としてあげたのは、名誉殺人、強制結婚(若すぎる少女の婚姻を含む)、女性器の切除、複婚だ。これらはカナダでは既に犯罪になっており(それどころか「Zero Tolerance for Barbaric Cultural Practices Act(野蛮な文化習慣に対して非寛容に対処することを宣言した法律)」2 によって犯罪と再定義される前から犯罪だった)、カナダにはクライムストッパー3 もいるし、犯罪を疑われる行為を匿名で通報するホットラインも既に存在する。なのになぜ「野蛮な文化習慣」専用ホットラインが必要なのだろうか?

もし法的または実用的な目的がないとしたら、何のためだろう?なぜそんなホットラインを作る必要が?

もっと具体的に言うと、隣人に複数の配偶者がいると疑われるとしよう(我々のように再婚を繰り返す人々とは違って)。クライムストッパーに電話すべきだろうか?それとも「野蛮な文化習慣」ホットラインに?或いは、隣で家庭内暴力が起こっていて妻が夫に殺されそうだと疑ったとしよう。これは「名誉殺人」に相当するだろうか?それとも普通の殺人?何をもとにそう決めるのだろうか?答えはみんな知っていると思う。「野蛮な文化習慣」ホットラインは有色人種を監視し通報するものであって、通常のクライムストッパーの番号は白人用になるのだ。

もしかしたら私は間違っているかもしれない。もしかしたらカナダ人はモルモン教徒をよく見張り始めて、「野蛮な文化習慣」と疑われる行為が見つかり次第「野蛮な文化習慣」ホットラインに通報するようになるかもしれない。私はそうは思わないが。ブリティッシュコロンビア州政府はバウンティフルにいる複婚のモルモン教徒4 を捜査すると決断するまでに23年も無駄にした。この話題にはたいした緊急性はないと思う、一夫多妻制を許可しているパキスタン、イラク、アフガニスタンなどのイスラム教国から大勢の移民や難民がカナダに来るようになるまでは。

さらに、「外出して酒を飲み酔っ払って帰宅して妻を殴る」(あるいは、飲酒による興奮状態であったことを刑事罰の減刑理由として叙情酌量を狙う)ことは「文化習慣」とは見なされないことを我々は誰でも知っている。しかし飲酒もせずアルコールの摂取を許容しない文化を持つイスラム教徒にとっては、そのように映るかもしれない。ここでいう「文化」とはもちろん、「古株」のカナダ人のものではなく、特定の少数派の文化のことを意味する。

結果的に、この政策の唯一可能な帰結というのは、カナダ人が民族や宗教をもとにお互いを差別するようになるということだ。このホットライン案を他にどのように解釈すればいいのか私にはわからない。加えて、同じ犯罪を犯したとしても、他の人々(例えばキリスト教徒やモルモン教徒)よりも特定の民族と宗教の人々(何よりもまずイスラム教徒)を監視するために追加的な投資が必要だと事実上提案されるのだ。これは主に選挙に有利になるために行われる。反対する者は誰でも野蛮な文化習慣に寛容であると笑われ、現在のケベックの不安定な空気を考えればそれはカナダ保守党を難しい立場に追いやることになるからだ。

私が考える限りでは、これは一線を越えている。本当に、「Zero Tolerance 法」においても今回の法案においても、カナダ保守党がやっていることはエルービルの市議会がやったこと5 と大差ない。そしてその陰湿さにおいてもっと酷い。これは政府が難民に酷い対応をしているということだけでなく、政府が普通のカナダ人にお互いに酷い仕打ちをし合うことを推奨していることになる。移民を疑い差別するように積極的に推進する政策に、国民から徴税した税金を使うと提案しているのだ。さらに悪いことに、この案は自滅的だ。なぜなら、少数派に汚名を着せることは彼らをカナダに溶け込ませるのをもっと難しくするし、カナダ的価値観をより受け入れにくくさせる。

個人的なメモだが、ケリー・レイッチ氏がこの酷い見世物に参加したのを、私は大変失望して見ていたといわざると得ない。私はいつも彼女の仕事を若干の関心を持って追っていた。彼女がクイーンズ大学で学部生をしていたときやトロント大学で研修医をしていた頃を知っている共通の友人がかなりいる。共通の友人のすべてが彼女を本質的には感じのいいまともなひとだと言った。たぶん彼女の唯一の大きな欠点は強烈な党派性の光としての存在だろうと付け加えて。彼女は私の選挙区の国会議員でもある。彼女が全国的舞台でこんな風に自分を不名誉に陥れるような行いをするのを見るのは ― 特にイスラム教徒恐怖症の弱みに付け込むのは、推測するに党本部がそうすることが票につながるといったのだろうが ― 恐ろしく悲しいし不快なものだった。

このブログの読者は、私が通常は人々の動機に対して寛大な解釈におもむく傾向があるのをよく知っていると思う。そして保守派に対して寛大であろうと多大なる努力をしている。それは保守派に同意できない点が本当にたくさんあるので、寛大ではない方向に行きやすいというバイアスが私にはあるからだ。だからこそ、「合理的」政治理念の範疇から外れているという理由でカナダ保守党はまったく価値がないと決め付ける ― 多くの私の同僚たちがそうだが ― 傾向と激しく闘っている。また、私は私の出来ることで中道右派のカナダ保守党員を、カナダの右派に見られる極端なイデオロギーに流れ込むのを抑えるために、もっと声を上げるよう促している。しかしながら現時点で私は悩んでいる。現状に対する私の持てる最も寛大な解釈は、基本的に反イスラムカードを切れと言っている保守党が連れてきたオーストラリア人戦略家6 のせいだというものだ。なぜなら彼はこの国に住む必要がないのだから、この国がどうなろうと知ったことじゃない(まさか自分がジェニ・バーンズ氏7 を恋しく思うとは!)。これでもまだ疑いが晴れない。合理的な政治的立場の代表ではなくただの国家の癌としてのフランス政党国民戦線と同じ部類に、カナダ保守党を心の中で位置づけるべきではないかと心理的に思えてきさえする。今のところはカナダ人がまともであるという信頼を失わずにまだ抵抗しているが、ことの進展の仕方によっては考え直す必要が出てくるかもしれない。

しかし私には言えることがひとつだけある。金曜日の記者会見の後、カナダ保守政党は投票するには誰にとっても倫理的に許されない政党になったと私は見なしたということだ一週間前だったら、合理的な人々の間でもどこに投票するか一致しないことがありえると、まだ自分を納得させることができただろう。しかしもう無理だ。

追伸。おまけとして、幾分か学問的な思考でことの均衡を取ってみよう。ある種の攻撃を「ヘイトクライム」と分類することを支持する人々は、たぶん少し立ち止まって該当法令の批判者が何を言っているか考えてみるべきだろう。それはこうだ、犯罪を定義したり罰したりする際に犯意を超えた動機まで考慮に入れようとするのは良い考えではないと。

  1. 王立カナダ騎馬警察(Royal Canadian Mounted Police、略称RCMP)はカナダ連邦政府の警察である。 []
  2. 2015年に制定されたカナダ連邦法。複婚、強制結婚、16歳以下の婚姻などを禁止している。 []
  3. 多くはコミュニティやNGOが運営する組織で、犯罪行為を匿名で通報することができる。利点としては警察の犯罪捜査に直接的に関与しなくてよいこと、匿名性を維持できることなど。 []
  4. ふたりのモルモン教原理主義者が作った町である。2005年に一夫多妻制と性的虐待の疑いが持ち上がり、2007年に犯罪捜査が行われたが十分な証拠がないとして起訴するには至らなかった。 []
  5. 2007年、ケベック州エルービルの市議会は移民を対象とした行動規範を制定したが、これは移民に対する差別と偏見を生むとして国内外で批判を浴びた。 []
  6. リントン・コスビー。オーストラリア人選挙戦略家。オーストラリア連邦選挙でオーストラリア自由党を4度勝利に導いた。その後、英国、カナダ、ニュージーランド、スリランカなどで選挙戦略アドバイザーを歴任している。 []
  7. カナダ保守党政権下で広報部長や首相副補佐官などを勤め、オタワで最も影響力のある女性と呼ばれていた。 []

ノア・スミス「同質性にいざなうセイレーンの歌」(#8/完結)

[Noah Smith, “The siren song of homogeneity,” Noahpinion, April 30, 2017]

〔数回にわけて掲載しています.前回はこちら

白人国家の夢
The dream of a white nation

でも,そんなものをのぞんでいない人たちはどうだろう? オルト右翼や旅行者たちみたいに,べつにアメリカのいろんな人種がひとつにまとまろうと意を決するのを待ち望んでなんかいない人たちは? 多くの人たちは,同質な社会にいたる近道を行きたがっている――彼らが暮らしたいとのぞんでいる場所は,白人だけが住むのをゆるされた場所だ.彼らがのぞんでいるのは,半分記憶・半分空想の社会,1950年代の南カリフォルニアだ――通りは清潔で,きれいな芝生が広がり,信頼できる白人の隣人たちは通りすがりに帽子をかたむけて「やあ」と声をかけてくれる,そんな社会が彼らののぞみだ.そして,なんと,彼らはいまそんな社会になってほしいと思っている.
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ノア・スミス「同質性にいざなうセイレーンの歌」(#7)

[Noah Smith, “The siren song of homogeneity,” Noahpinion, April 30, 2017]

〔数回にわけて掲載しています.前回はこちら

代替理論: 「戦争 + 近接性 = 多様性」

でも,ひっきりなしに戦争が起きてるのはどういうことだろう? 大きな戦争が起きたときには,ほぼ決まって,少なくともそこそこの民族的なちがいが戦争当事者たちに見られる――イギリス vs. フランス,ドイツ vs. ロシア,フツ族 vs. ツチ族,日本 vs. 朝鮮.こうした小さなちがいがこれほどの信じがたい流血沙汰を引き起こしうるのだとしたら,アフリカ人とヨーロッパ人みたいにかけ離れた集団どうしだったらいったいどれほどの大惨事が引き起こされうるだろう!
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ノア・スミス「同質性にいざなうセイレーンの歌」(#6)

[Noah Smith, “The siren song of homogeneity,” Noahpinion, April 30, 2017]

〔数回にわけて掲載しています.前回はこちら

代替理論: 信頼が同質性を生じさせる

再定義や人種間・民族間の婚姻をとおして同質性はうみだせるのだと認識すると,同質性と信頼の相関が現れうる理由について,すぐさま代替理論が思い浮かぶ:信頼が高いところほど,時がたつにつれて同質的になっていくんじゃないか.
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