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タイラー・コーエン 「嘘とコミュニケーション媒体」(2004年2月13日)

●Tyler Cowen, “You lie more over the phone”(Marginal Revolution, February 13, 2004)


メール(電子メール)でやり取りする場合よりも電話でやり取りする場合の方が嘘が出やすい。その理由は? メールはやり取りの記録が残るためだ。相手にその記録を辿られて嘘が見つかってしまうのではないかと心配になってしまうのだ。

コーネル大学の教授であるジェフ・ハンコック(Jeff Hancock)は30名の学生(被験者)を集めて1週間の間に交わされた会話(対話)の記録を日記に記しておくようにお願いした。1週間の間に誰かと会話(最低でも10分は続いた会話)を交わした回数はどのくらいか、どのような手段(コミュニケーション媒体)を使ってやり取りしたか、相手に嘘をついた回数はどのくらいか。そういった情報を日記に記してもらったのだ。

ハンコックは被験者たちの日記の記録をもとにしてコミュニケーション媒体ごとの嘘率1を計算した。その結果、メールを使ったやり取りでの嘘率は14%、インスタントメッセージ(IM)を使ったやり取りでの嘘率は21%、対面での会話での嘘率は27%であることが判明した。そして嘘率が一番高かったのが電話を使ったやり取り(電話越しの会話)であり、その値は37%。

嘘の多さよ! 全文はこちら2

  1. 訳注;例えば、1週間の間に誰かと面と向かって(対面で)会話をした回数が100回であり、そのうち15回の会話で何かしらの嘘をついたとしたら、(対面での会話での)嘘率は15%ということになる。 []
  2. 訳注;この研究結果に興味がある向きは次のTEDトーク(日本語字幕付き)もご覧になられるといいかもしれない。 ●「ジェフ・ハンコック:嘘つき達の未来」 []

タイラー・コーエン 「相手が嘘をついているかどうかを見抜く方法」(2004年8月22日)

●Tyler Cowen, “How to spot a liar”(Marginal Revolution, August 22, 2004)


数多くの被験者を集めた実験を通じて嘘つきが取りがちな行動パターンがいくつか明らかになっている。嘘つきは正直者に比べると会話の最中に体(腕や手や指)を動かすこともまばたきすることも少ない傾向にある。さらには、(嘘つきは正直者に比べて)声も緊張味を帯びていて甲高くなりがちだという。少し前に口にした発言を覚えておこう。話に矛盾がないように気を付けよう。嘘つきが会話の最中に体を動かすことが少ないのも発言の途中で口を閉ざす(一呼吸置く)ことが多いのもそのような余分な努力が必要となるためかもしれない。嘘つきは正直者に比べると言い間違いをすることも少なく、話を戻して言い忘れていたことや不正確だった細部について語り直すことも滅多にないという〔太字での強調はこちらで加えたもの〕。

「嘘つきが語る話はあまりにうまく出来過ぎているんですね」。そう語るのはベラ・デパウロ(Bella DePaulo)氏。カリフォルニア大学サンタバーバラ校で社会心理学を研究する学者であり、「欺瞞」研究の分野における展望論文をいくつも物している人物だ。

嘘つきは相手を騙している最中に恐れや罪悪感(といったマイナスの感情)、場合によっては喜び(といったプラスの感情)を感じている可能性があり、そのような感情が顔の表情の変化を引き起こすこともあり得ることだ。しかしながら、表情の変化はあまりに微妙であり、そのため周囲の人間はそれに気付かずに見過ごしてしまう可能性がある。カリフォルニア大学サンフランシスコ校の元教授であるポール・エクマン(Paul Ekman)は(嘘つきの顔に表れる)そのような一瞬の表情の変化を「微表情」(microexpressions)と名付けている。表情の(微妙な)変化はジェスチャーや声のトーン、会話のパターンと同じくらい相手が嘘をついているかどうかを見抜く上で大事なヒントになるとはエクマンの弁だ。

相手の嘘をいとも容易く見破る超人的な能力の持ち主も(ごく一握りではあるが)いるそうだ。

モーリン・オサリヴァン(サンフランシスコ大学の元教授)が語るところによると、連邦捜査官や法医学心理学者といったプロの中にはごく少数ではあるが相手の嘘を見破る上でずば抜けた能力を発揮する人物がいるという。「そのような能力の持ち主には一人か二人は出くわしますね」とオサリヴァンは語る。

全文はこちら(pdf)だ。

タイラー・コーエン 「ジェラール・ドブリュー」(2005年1月6日、2006年7月4日)/「ライオネル・マッケンジー」(2010年10月12日)/「『Finding Equilibrium』 ~「競争均衡の存在」を一番最初に証明したのは誰?~」(2014年8月11日)

●Tyler Cowen, “Gerard Debreu has passed away”(Marginal Revolution, January 6, 2005)/“It is also Gerard Debreu’s birthday”(Marginal Revolution, July 4, 2006)


カリフォルニア大学バークレー校の元教授であり、需要と供給に関する画期的な業績でノーベル経済学賞を受賞した経済学者のジェラール・ドブリューが(2004年)12月31日にパリで亡くなった。享年83歳。死因は明かされていない。

ドブリューはカリフォルニア大学バークレー校で30年以上にわたって学生の指導にあたった。ドブリューがノーベル経済学賞を手にしたのは1983年。需要と供給の一致をもたらす価格の働きを明らかにした理論的な業績が評価されての受賞だった。

全文はこちら。ニューヨーク・タイムズ紙に掲載された訃報記事はこちらだ。

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Theory of Value』(邦訳『価値の理論-経済均衡の公理的分析』)のことはご記憶だろうか? わずか128ページの格調高い一冊。一般均衡理論をものの見事にまとめ上げた一冊。著者であるドブリューの略歴はこちらだ。ドブリュー本人による経歴の説明はこちら。ドブリューのウィキペディアのページはこちら

かつて本人自ら語っていたことだが、ドブリューはプルーストの感化を受けているらしい。人間社会の組織に及ぼす効果の面で「時間」(という次元)は「空間」(という次元)とどのくらい似ているのだろうか?(「時間」を「空間」と同じような次元の一つと見なしてもいいものだろうか? 「時間」を「空間」と同じような次元の一つと見なしたとしたら1どのようなことが言えるだろうか?) ドブリューはそのような問いを設定した上で(アローやハーヴィッツ、ワルドらの助力を得て)競争均衡の存在証明に取り組んだのだ。

ところで、娘のヤナのもとに無事手荷物が届いたそうだ2。ドブリューのモデルも昨夜に比べるといくらか現実的に感じられるような気がする3

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●Tyler Cowen, “Lionel W. McKenzie has passed away at 91”(Marginal Revolution, October 12, 2010)


ライオネル・マッケンジー(Lionel W. McKenzie)が(2010年10月12日に)亡くなった。享年91歳。マッケンジーのウィキペディアのページはこちら。マッケンジーの略歴についてはこちらも参照されたい。

マッケンジーは競争均衡(一般均衡)の存在証明に貢献した最も重要な人物の一人だが、それだけにとどまらずターンパイク定理の精緻化にも大きく貢献した学者の一人だ。マッケンジーはロチェスター大学で何十年にもわたって学生の指導にあたったが、ロチェスター大学に経済学の大学院課程(修士・博士課程)が設置されたのは彼の働きかけのおかげである。マッケンジーの教え子(の院生)には日本人が数多くおり、その関係でマッケンジーの名前は日本で特によく知られている。彼の手になる“Demand theory without a utility index”は経済学の標準的な理論の多くが「効用」に関する特殊な仮定に頼らずとも成り立つことを示した論文であり、古典としての地位を確立するに至っている。マッケンジーはCGE(計算可能な一般均衡)モデルのアイデアを早くから唱えており、貿易理論の分野でも権威ある論文の数々を残している。マッケンジーのその他の業績についてはGoogle Scholarでの検索結果を参照されたい。

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●Tyler Cowen, “*Finding Equilibrium*”(Marginal Revolution, August 11, 2014)


つい先日のことになるが、『Finding Equilibrium』が出版された。著者はティル・デュッペ(Till Düppe)とロイ・ウェイントロープ(E. Roy Weintruab)の二人。副題は「アロー&ドブリュー&マッケンジーと科学上の功績をめぐる問題」4。個人的にお気に入りの一冊だ。経済学上の重要な定理の数々が発見されるに至るまでの内幕が暴かれており、特に(複数の学者による定理の証明の)同時発見に伴う問題に目が向けられている。副題に挙がっている三人の中で一番不遇な扱いを受けているのはマッケンジーだ。どうやらマッケンジーはマタイ効果の被害者となってしまったようだ。

  1. 訳注;物理的にはまったく同じ財でもその財が存在する「時間」と「空間」(場所)が違えば別々の財と見なす、という意味。「北海道にあるリンゴ」と「福岡にあるリンゴ」は別々の財であり、「2016年4月1日に北海道にあるリンゴ」と「2017年4月1日に北海道にあるリンゴ」もまた別々の財、といったようなこと。 []
  2. 訳注;航空会社の手違いで預けた手荷物が到着空港に届かず、空港で足止めを食っていたらしい。 []
  3. 訳注;同じ手荷物でも「在り処」(場所)が違えば別物、といったことが言いたいものと思われる。 []
  4. 訳注;この本の書評としては(どちらも英語になってしまうが)例えばこちらこちらも参考になるだろう。 []

タイラー・コーエン 「コウルズ委員会に集いし傑物の面々 ~クープマンスからマーコウィッツまで~」(2008年5月4日)

●Tyler Cowen, “What do I think of the Cowles Commission?”(Marginal Revolution, May 4, 2008)


つい先ほど投稿したエントリー〔拙訳はこちら〕のコメント欄でAngry at the Marginから次のような質問を頂戴した。

「コウルズ委員会流の経済学」と貴殿もその流れを汲む「ジョージ・メイソン流の経済学」とは正反対の方向を志向しているように思えるのですが、それだからこそ最後の引用箇所で名前が挙がっている面々について貴殿がどう評価なさっているのか興味があります。誰もが主流派として成功を収めた人物ですが、そのことからさらに一歩踏み込んでどう評価されているのかお聞かせ願いたいところです。

それでは早速一人ずつ順に取り上げていくとしよう。

1. チャリング・クープマンス(Tjalling Koopmans):オペレーションズ・リサーチ(OR)の父」であり、ノーベル経済学賞を受賞して当然の人物だ(仮に「ノーベル数学賞」があったとすればクープマンスには経済学賞よりは数学賞の方が合っているかもしれない)。クープマンスは今もなお交通経済学(交通管理学)の中核に位置する最適経路選択に関する業績も残しており、さらには量子化学の礎の一部を築いた人物でもある。クープマンスは私の内部に息づく「オーストリアン(オーストリア学派)の心」には訴えかけてはこないが、畏怖すべき知識人の一人であることは間違いない。第二次世界大戦でのアメリカの勝利に力を貸してくれた人物でもある。偉大なるチャリング・クープマンスに敬礼!

2. ケネス・アロー(Kenneth J. Arrow):アローの名声は今ではサミュエルソンのそれを遥かに凌駕するに至っている。さらには、サミュエルソンに比べると哲学的な面も強い。さて、何から取り上げたらいいだろうか? アローはどの解説者よりも「アローの不可能性定理」を深く理解しており、さらには「医療経済学の父」でもある。これだけでも偉大すぎるほどだが、それでも彼がこれまでに成し遂げた貢献の10分の1くらいにしかならないだろう。アローと親交のある人々が揃って口にするところによると、彼ほどの博識家は見たことがないとのことだ。

3. ジェラール・ドブリュー(Gerard Debreu):「一般均衡理論の父」であり、(かつてドブリュー自身がインタビューで語っていたように)「『時間』の哲学者」という意味でマルセル・プルーストの正統なる後継者でもある。ドブリューは経済学の世界に公理主義(できるだけ少ない公理から一連の結論を演繹しようと志す立場)のアプローチを持ち込んだわけだが、そのようなアプローチの真味は二流の模倣者の手によるよりも一流のスターの手によってこそ存分に発揮される。言うまでもないだろうが、ドブリューは正真正銘のスターだ。ドブリューは「経済SF(サイエンス・フィクション)の父」とも言えるのではないかというのが私の考えだ(否定(侮蔑)的な意味でそう形容しているわけではない)。

4. ジェームズ・トービン(James Tobin):トービンは最も奥の深いケインジアンの一人。そう悟ったのは15年くらい前のことだ。トービンは(計量経済学のツールの一つである)トービット・モデル(Tobit model)の考案者でもあり、現代ポートフォリオ理論(MPT)の礎を築いた人物でもある。トービンと私はお互いに住んでいる知的世界は異なるが、それはさておきトービンはノーベル賞を何度も受賞してもおかしくないだけの業績を残している学者であることは間違いない。

5. フランコ・モジリアーニ(Franco Modigliani)
:モジリアーニもノーベル賞を何度も受賞してもおかしくないだけの業績を残している学者の一人だ。「モジリアーニ=ミラー定理」(この定理からは企業が保有する資産を(企業価値には一切の影響を与えることなしに)好きなように細かく切り分けられる可能性が示唆されることになる)で受賞、「(消費の)ライフサイクル仮説」でまた受賞といったようにだ。流動性選好に関する1944年の論文でもさらに受賞。そう言ってもいいかもしれない。「流動性選好」という概念だけでは例外的なケース(流動性選好(貨幣需要)の利子弾力性が無限大になるケース)を除けばケインジアン流のモデルを導き出すには十分ではない。モジリアーニの1944年の論文ではそのような可能性が示唆されているわけだが、残念ながらこの論文は現代版「流動性の罠」を提唱する論者たちには無視されたままのようだ。

6. ハーバート・サイモン(Herbert Simon):「限定合理性」のアイデアや行動経済学が経済学界を席巻したのはつい最近がはじめてというわけではない。サイモンがその前例を作っているのだ。人間の計算能力や神経学、人工知能といった方面におけるサイモンの洞察は効果的なかたちではまだ主流派の内部に取り込まれてはいない。というわけで、サイモンの影響力が強まるのはこれからだと言えそうだ。

7. ローレンス・クライン(Lawrence Klein):クライン流のマクロ計量経済モデルのファン(支持者)かと問われると「イエス(ファンです)」とは言えない。クラインの業績にじっくりと向き合ったことがないことは認めておかねばならないだろう。

8. トリグヴェ・ホーヴェルモ(Trygve Haavelmo):ホーヴェルモは計量経済学の分野における識別問題の解決に取り組んだパイオニア(草分け)の一人だ。彼がいなければスティーヴン・レヴィットも「ヤバい経済学」も存在し得なかった可能性があるわけだ。ホーヴェルモがノーベル賞を受賞したのはスカンジナビア(ノルウェー)出身だからというわけではないのだ1

9. ハリー・マーコウィッツ(Harry Markowitz):「現代ポートフォリオ理論の父」。これだけでもう十分だろう。

アメージング! そう思わないだろうか? とは言え、不満な面もある。全体的な印象として理論偏重であり知識の広さや現実世界の出来事(経験)が軽視されているように感じるのだ。だからといって誰もが尊敬すべき人物であることに変わりはない。上のリストの中で私が最も影響を受けた人物といえば断然アローとサイモンの二人だ。ついでながら言っておくと、「ジョージ・メイソン流の経済学」も時にはいつもとは違う道に足を踏み入れることもあるのだ。ただし、上のリストに話を限ると、サイモンを除く面々は主流派の経済学者によって既に「掘り尽くされて」しまっている面がある。そのことを踏まえると、みんなして「コウルズ委員会流の経済学」の後を追う必要はないように思えるのだ。

  1. 訳注;受賞者を選考するスウェーデン王立科学アカデミーが身内びいき(同郷のよしみ)でホーヴェルモを選んだわけではない(ホーヴェルモはノーベル賞を受賞して当然なだけの業績を残している)、という意味。 []

タイラー・コーエン 「コウルズ財団の経済学モノグラフシリーズ」(2008年5月4日)

●Tyler Cowen, “The Cowles Foundation Monographs in Economics”(Marginal Revolution, May 4, 2008)


コウルズ財団から発行されている経済学モノグラフシリーズの収録作品がこちらからすべて無料でダウンロード可能だ(Division of LaborブログおよびMichael Greinecker経由で知る)。このシリーズの中で一番有名な著書はケネス・アロー(Kenneth Arrow)の『Social Choice and Individual Values』(邦訳『社会的選択と個人的評価』)だろうが、その他にも数多くの古典が名を連ねている。(シリーズに収録されている著書の)全部が全部一般読者にもお薦めできるわけではないとしてもその「当たり率」の高さには驚かされるばかりだ。コウルズ財団(ないしはコウルズ委員会)の概要についてはウィキペディア〔日本語版ウィキペディアはこちら〕を参照されたい(ところで、”Cowles”の発音は”coals”(石炭の複数形)と同じらしい)が、もっと詳しい背景説明が欲しいという場合は(HETウェブサイト内における)こちらのページ〔山形浩生氏による翻訳はこちら〕をご覧になられるといいだろう(名立たる経済学者の面々を撮影した写真へのリンクも貼られている)。コウルズ財団の公式のホームページはこちらだが、既に有益な情報源を紹介してしまったので屋上屋を架す感があることは否めない。HETウェブサイト内(のつい先ほど紹介したページ)の次の文章はコウルズ財団の手っ取り早い説明としていいかもしれない。

コウルズ委員会と関わりのある人物の中にはコウルズ委員会在籍中に手掛けた研究が評価されてノーベル経済学賞を授与された学者が数多くいる。具体的にその名前を挙げると、チャリング・クープマンスケネス・アロージェラール・ドブリュージェームズ・トービンフランコ・モジリアーニハーバート・サイモンローレンス・クライントリグヴェ・ホーヴェルモ、そしてハリー・マーコウィッツである。

タイラー・コーエン 「過去50年間における経済学上の一番のブレイクスルー(画期的な成果)は何?」(2004年9月14日)/「半世紀前(1958年)に公刊された最も偉大な経済学の論文といえば?」(2008年6月17日)

●Tyler Cowen, “What is the biggest breakthrough in economics over the last fifty years?”(Marginal Revolution, September 14, 2004)


過去50年間における経済学上の一番のブレイクスルーは何だろうか? ノーベル経済学賞受賞者の面々の回答はこちら1をご覧になられたいが、例えばミルトン・フリードマンは「インフレーションは貨幣的な現象である」というアイデアが広く受容されるに至ったことをその候補に挙げており、バーノン・スミスはハイエクの業績に言及している。

私見を述べさせてもらうと、(過去50年間における経済学上の一番のブレイクスルーは)「インセンティブ」というアイデアの厳密にして首尾一貫した(多方面に及ぶ)応用、ということになるだろう。公共選択論「革命」しかり、プリンシパル=エージェント理論しかり、「法と経済学」(の大部分)しかり。計画経済の破綻にしてもそうだ(pdf)と個人的には主張したいところだ(計画経済が抱える問題としては「知識」の問題よりも「インセンティブ」の問題の方が重要度が高いというのが私の考えだ)。インセンティブの基本的な発想はアダム・スミスやアリストテレスにまで遡れるというのは確かだが、1950年以降のアメリカン・エコノミック・レビュー(AER)誌を順を追って試しに紐解いてみたらどれほど遠くまでやってきたか(「インセンティブ」への理解がどれほど深まりを見せているか)がわかることだろう。

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●Tyler Cowen, “Best economics paper of 1958”(Marginal Revolution, June 17, 2008)


レオナルド・モナステリオが次のように問いかけている

出版(公刊)されてから今年(2008年)で50周年を迎える(経済学の分野の)本ないしは論文の中で「これこそ真っ先に讃えるべき偉業」と呼べる業績はどれになるだろうか? (計量経済史を専門とする)私が選ぶとすればもちろんあの論文だ。そう。「クリオメトリックス(計量経済史)革命」の端緒を開いたコンラッド&メイヤー論文だ(Alfred H. Conrad and John R. Meyer, “The Economics of Slavery in the Ante Bellum South”, The Journal of Political Economy, Vol. 66, No. 2 (Apr., 1958), pp. 95-130)。ライバルとなり得る候補は何かあるだろうか?

ライバルの筆頭として挙げるべきは「資本構成の無関連命題」(いわゆる「モジリアーニ=ミラー定理」)を提唱したモジリアーニ&ミラー論文(AER誌に掲載)とサミュエルソンの「世代重複モデル」論文(JPE誌に掲載)だろう。個人的に順位をつけると、一位はモジリアーニ&ミラー論文、そして二位にコンラッド&メイヤー論文といきたいところだ。他に何か見逃していないだろうか? トーマス・シェリングのゲーム理論に関する有名な論文も公刊されたのは1958年だったような気もするが、どうだったろうか?

戦後のアメリカ経済学が成し遂げた功績はあっぱれと言うしかない。第二次世界大戦を前にして多くの思想家たち(フリードマン、サミュエルソン、シェリング等々)は実社会での経験を積みながら世の大問題(big problems)と取り組むことが求められた。それと同時に、定量的なものの見方が勢いを強め、テクニカルな分析手法の開発が進められることになった。かといって「狭く深く」への道まっしぐらだったというわけではなく、知識の広さもある程度は尊重されていたのだ。

  1. 訳注;リンク切れ []

アレックス・タバロック 「バーナンキ議長が大暴露 ~紙幣なんてただの紙切れに過ぎないんです~」(2010年2月17日)/タイラー・コーエン 「『ジ・オニオン』の記事を真に受けた例 ~うそはうそであると見抜ける人でないと・・・~」(2012年9月30日)

●Alex Tabarrok, “The Dangers of Common Knowledge”(Marginal Revolution, February 17, 2010)


【ワシントン】今週に入ってアメリカ経済はその機能を完全に停止するに至った。そのきっかけはベン・バーナンキFRB議長(2010年当時)による「『貨幣』という存在の根源にまつわる」思いもよらない発言にある。貨幣なんていうのは無価値な存在であり、社会的に構築された幻想に過ぎない。バーナンキ議長の発言をきっかけにアメリカ国民はそう気付かされたのだ。

・・・(略)・・・「現段階では政策金利を引き上げる予定はありませんが、もちろん状況に応じて適切に対応するつもりです。具体的にどういう状況かといいますとですね、・・ええと、・・・」。そこまで言い及ぶとバーナンキ議長はしばらく口をつぐみ、用意してきた原稿に目を落とした。そして何もかも信じられないといった様子で頭を左右に振りつつゆっくりと語り始めた。「ご理解されていますかね? 気にする必要なんて無いんですよ。こいつ、いわゆる『お金』と呼ばれてるこいつですがね、こいつには何の重要性もないんですよ」。 

両目をクワッと大きく見開いたバーナンキ議長は自分の財布の中から紙幣を取り出し、ゆっくりと目の前に掲げた。そしてこう続けたのである。「幻想に過ぎないんですよ。こいつらを見てください。何の変哲もないただの紙切れに数字が書き込まれているだけです。何の価値もないんですよ」。

その場に居合わせた目撃者の証言によると、上院財政委員会の面々は雷に打たれたような衝撃を受け、しばらく口を開くこともできなかったそうだ。その静寂を破ったのはオリン・ハッチ上院議員(ユタ州選出の上院議員。共和党所属)の叫び声。「何てことだ! 議長の言う通りだ。何もかもが幻影なんだ。お金にしても経済にしてもすべてがまやかしなんだ」。

それから間もなくして議事堂には金切り声が響き渡ることになった。その場にいた上院議員にメディア関係者を加えた面々が一目散に出口に向けて駆け出したのだ。誰もいなくなった議事堂にはビリビリに破れた紙幣があちこちに残されていたという。

と、『ジ・オニオン』が報じている。全文はこちらだ。

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●Tyler Cowen, “Fooled by satire”(Marginal Revolution, September 30, 2012)


「バラク・オバマとマフムード・アフマディーネジャード(イラン大統領)が選挙で争ったとしたらどちらに票を投じるかを尋ねたところ、アメリカ国内の田舎に暮らす白人の大半がアフマディーネジャードに票を投じると答えた」。『ジ・オニオン』が拵(こしら)えたそのような架空の調査結果をイランの通信社が事実として報じた。

『ジ・オニオン』の偽記事を一言一句違わずにそっくりそのまま報じたのはイランの半国営通信社Farsの英語版サイト。

『ジ・オニオン』の記事ではアフマディーネジャードとなら一緒に野球の試合を見に行ってもいいと語る架空の人物(ウェストバージニア在住のデール・スウィデルスク氏)が拵えられているが、Farsの英語版サイトではその架空の人物の発言――「アフマディーネジャードは国防というものを真剣に考えています。オバマはゲイのデモ隊が国防問題に口出しするのを容認していましたが、アフマディーネジャードならそんなこと絶対に許さないでしょうからね」――もそっくりそのまま引用されている。

全文はこちらだ。

タイラー・コーエン 「紋切型辞典」(2010年7月9日)

●Tyler Cowen, “Dictionary of Received Ideas”(Marginal Revolution, July 9, 2010)


つい最近刊行が始まったばかりの雑誌である『The Point』(第2号、2010年冬)にジャスティン・エヴァンズ(Justin Evans)が特集記事を寄稿している。そのタイトルは「紋切型辞典」(Dictionary of Received Ideas)1。アンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』と少し似たところがあるが、今年に入ってこれまでに読んだ中で一番笑えた記事だ。一例を引用しておこう。

経済学:何もかも余すところなく説明する学問

経済:全く理解不能な対象

次も好きだ。

債務: i) 公的債務2 — 許しがたい過ち

民間債務3 — 経済を牽引する役割を果たすもの

ii) 公的債務 — 経済を牽引する役割を果たすもの

民間債務 — (社会的な)セーフティーネットに綻(ほころ)びが生じている結果として累積するもの

念のために注意しておくと、経済学方面の話は(エヴァンズの「紋切型辞典」の)メインの話題ではないということは付け加えておこう。大半の雑誌――とりわけ妙に芸術作品を気取っていたり衒学的だったりする雑誌――は読んでいて退屈することが多いのだが、『The Point』は半分ほど立ち読みした感じでは好感触だ。定期購読を申し込もうかと思っているところだ。

  1. 訳注;このタイトルはフローベールの同名の書からとられている。 []
  2. 訳注;政府が背負う借金 []
  3. 訳注;家計や企業といった民間の経済主体が背負う借金 []

タイラー・コーエン 「『お金』の使い方を学ぶサル」(2005年6月8日)

●Tyler Cowen, “Dubner and Levitt on monkey monies”(Marginal Revolution, June 8, 2005)


サルに「お金」の使い方を教えることはどうやら可能なようだ。ダブナー&レヴィットの『ヤバい経済学』コンビがサルを被験者とする興味深い実験結果を紹介している。

・・・(略)・・・オマキザルたちは「お金」というものを本当に理解してると言えるんだろうか? それともオマキザルたちの食欲が凄すぎてたまたまそう見えちゃってる(「お金」の何たるかを理解しているように見える)だけに過ぎないんだろうか?

どうやら前者が正しいらしいことを示唆するいくつかの事実がある。おやつにキュウリを使った実験でのことだ。キュウリはサイコロ状に切って出す予定だったのだが、リサーチアシスタントを務めた大学院生の一人がキュウリをついいつもの感じで円形にスライスしてしまったのだ。キュウリのスライスを手に取った一匹のオマキザルが一口かじったかと思うと研究者のところまで走ってやってきた。これ(円形に切られたキュウリのスライス)でもっと甘いおやつが「買える」? そう確認しにきたのだ。円形にスライスされたキュウリのかたちが(キース・チェン(研究者の名前)がかつての実験で「お金」として渡した)銀色の円盤とあまりにそっくりだったので「これも『お金』に違いない」と思ってしまったようなのだ。

(オマキザルたちが「お金」の何たるかを理解していることを仄めかす)別の証拠は「盗み」だ。ロウリー・サントス(研究者の名前)はオマキザルたちが「お金」を貯める姿を一度として目にしたことはなかったが、実験の最中に(お金の)円盤を一つか二つ「盗む」ことがあるのには気付いていた。オマキザルは全部で7匹いて750立方フィートくらいの檻(生活用の檻)の中で共同生活しており、その隣に実験の時に使う小さな檻があった。ある時のことだ。一匹のオマキザルがいつものように実験用の檻に入れられたのだが、檻の中に入るやいなやお盆の上にある円盤を一つ残らずかき集めた。何をするかと思ったら他のみんながいるデカい(生活用の)檻目掛けて円盤を残らず放り投げ、空飛ぶ円盤を追って大急ぎで駆け出したのだ。「脱獄」と「銀行強盗」の合わせ技というわけだが、待っていたのはてんやわんやの大騒ぎ。(人間の)研究者たちも急いで生活用の檻に走り寄ったが、食べ物の賄賂と引き換えにやっとのことで円盤を返してもらえたのだった。「盗み」をすれば賄賂をもらえるということでその後「盗み」はさらに加速する一方となった。

生活用の檻の中でてんやわんやの大騒ぎが続いている最中にちょっとした出来事が起こった。オマキザルたちは「お金」の何たるかを理解しているに違いないとチェンが確信するに至った出来事だ。「お金」とそれ以外を分ける一番の特徴はおそらく「代替可能性」(fungibility)だろう。つまりは、「お金」は食べ物だけじゃなくてそれ以外のあらゆるものを買うのにも使えるわけだが、檻の中で大騒ぎが続いている最中にチェンは視界の隅で「お金」のその特徴(代替可能性)をまざまざと知らしめる光景を捉えた。後になって「いや、そんなはずはない」と否定しようとしたものの、チェンも心の奥底ではわかっていた。「あれは現実なのだ」、と。チェンが目撃したもの、それはサルの歴史上でおそらくはじめて観測された「売春」の光景――オスのサルがメスのサルに(お金の)円盤を渡し、その後に男女の営みがおっぱじまった光景――だったのだ(オマキザルたちが「お金」の何たるかを理解しているに違いないことを裏付ける証拠がもう一つある。事が終わった直後のことだ。メスのサルが「稼いだ円盤」を持ってチェンのところまでやってきてぶどうと交換してくれと願い出たのだ)。

全文はこちらだ。

タイラー・コーエン 「狡猾なケリー ~水の中の『経済人』?~」(2009年11月4日)

●Tyler Cowen, “Dolphin markets in everything, Gresham’s Law edition”(Marginal Revolution, November 4, 2009)


実に面白い話だ。

ケリー(イルカの名前。メス)は他のイルカたちよりもさらにもう一歩先を行っている。誰か(人間)がプールに紙を投げ入れるとそれを口でくわえて下に潜り、プールの底にある岩の下に隠しておくのだ。そしてトレーナーの姿が見えるとプールの底にある岩のところまで潜っていき、 先ほど隠しておいた紙の一部を噛み切ってトレーナーに渡すのだ。トレーナーから(紙切れと引き換えに)ご褒美として魚を与えられると、ケリーは再び下に潜っていく。岩の下に隠しておいた紙の一部を噛み切って再びトレーナーに渡すためだ。めでたく魚をもう一匹頂戴すると、再び下に潜っていき・・・ということが何度も繰り返されることになる。ケリーのこの行動は実に興味深いものだ。というのも、ケリーは「未来」という感覚を備えていて楽しみを先延ばししていることがこの行動から示唆されるからである。また、ケリーはトレーナーに渡す紙のサイズの大小にかかわらずもらえる報酬(魚)の量は同じということも経験を通じて学んだようだ。その結果として岩の下に隠してある紙をそのまますべてトレーナーに渡すのではなくわざわざ小さく噛み切って持っていき、できるだけたくさんの魚を頂戴しようとしているわけなのだ。人間がケリーを訓練しているというよりもケリーが人間を訓練している面があるわけだ。

ケリーの狡猾さはそれだけにとどまらない。ある日のことだ。一羽のカモメがケリーのいるプールに飛び込んできた。そのカモメをすかさず捕まえるケリー。トレーナーがやってくるのを待ち構え、トレーナーが姿を現すと捕まえたカモメを差し出す。ケリーが捕まえたカモメは体が大きく、ご褒美の魚もそれに応じてたくさんもらえた。この経験をきっかけにケリーには新しい考えが浮かんだようだ。その考えが実行に移されたのは次の食事タイムの時だ。ケリーは食事の魚をすべて平らげずに一匹だけ残しておき、その魚をプールの底にある岩の下――紙を隠しておいたのと同じ場所――に隠しておいた。そしてトレーナーが近くにいないタイミングを見計らってその(岩の下に隠しておいた)魚をプールの表面まで口でくわえて持って行き、カモメを誘い出す餌に使ったのだ。カモメを捕まえて(トレーナーからご褒美として)大量の魚をゲットしようと企んだわけだ。ケリーはこの旨みのある戦略をすっかり体得すると自分の子供にもそのやり方を伝授し、その妙技はそこからさらに他のイルカたちにも伝わっていく。その結果イルカたちの間では「カモメ釣り」が流行のゲームとなるに至ったのだった。

全文はこちらだ。この話題を教えてくれたDavid Curranに感謝。

ところで、イルカ界におけるバイメタリズム(複本位制)にはどんな展開が待っているだろうか? どうなるかはおわかりだろう1

  1. 訳注;「グレシャムの法則」が発動して「悪貨が良貨を駆逐する」。 []