まずは,明白な論点から述べておこう.私たちはいまなおパンデミック下にある.そのため,被雇用者・自営業者・企業の支援策を継続すべきだ.また,遅ればせとはいえ,財務大臣は疾病手当も大幅に増額すべきだ.政府の対コロナウイルス戦略の成否は,そうした支援がなければ自宅にこもることもかなわない人たちに自宅にこもってもらうようはからえるかどうかにかかっている.
以下に述べることは,「政府の戦略がうまく機能して NHS の危機や都市封鎖の再来はない」という想定にもとづいている.政府の後押しを受けたメディア報道に触れて受ける印象とはちがって,政府の戦略が計画どおりうまく機能するかどうかはまったく不透明だ.また,ここで私が提案している話は,保守党の財務大臣がおそらく実行できるものであって,私自身が財務大臣だったら通すだろう予算案とはちがう.あとで述べる理由から,私だったら通すだろう予算案は現実にならないだろう.
全体的なマクロ経済の文脈は,いまのところ非常にわかりやすい.大学にいる経済学者の大半も IMF や OECD も,景気後退から抜け出るために財政刺激策(i.e. 減税または政府支出増加)を用いたうえで景気後退が終わったあとのインフレ制御に金融政策を用いるのに賛成している.それはつまり,今回の予算はとにかくバランスのとれた景気回復を確実にすることに専心すべきであって財政再建を目論むべきではない,ということだ.大きな景気後退から「景気回復」がなされた最近の事例は,2010年にさかのぼる.当時,ジョージ・オズボーンは赤字削減を優先すべきだと考えていた.その結果は,災厄だった.下のチャートに見てとれるとおりだ.
グローバル金融危機のあと,トレンド GDP が 5% 下がると財務省は推計した.2010年までに,GDP は緊縮前のトレンドを 10% 下回り,2013年には,そのギャップは 14% にまで開いた.もちろん,緊縮だけがその理由ではない:大半の先進国で生産性は徐々に低下していたし,イギリスは金融危機で手ひどい打撃を受けた.だが,この時期に GDP と実質賃金があれほど下がり EU離脱の打撃がくる前に回復しそびれた主な理由が緊縮ではないというのは,信憑性に欠ける.
今回の景気後退のあとは経済の回復に専心する必要がある.だが,そこで大事なのはバランスのとれた回復を心がけることだ.政府がインセンティブを与えるまでもなく,〔パンデミックが収束して経済が活発に回り始めたら〕その機会を利用して,パンデミックのあいだに積み上がった貯金のいくらかを大半の消費者たちは使いはじめる見込みは大きいと私は見ている.そうなるかどうかは,コロナウイルスの新規感染がどう推移していくかと,人々の心理に大きく左右される.この夏の感染者数が昨年夏と同様の水準にまで下がれば,ワクチン接種でもたらされるさらなる感染防止により,パンデミック下ではできなかった普段の活動を増やしていく機会を利用する人々は多いだろう.これは,「繰り越し消費」と呼べるだろう.だが,秋になって感染者数がふたたび増えはじめれば,繰り越し消費も短期で終わるかもしれない.
ようするに,大半の消費者たちにとって,消費の決め手となるのは,なんらかの減税よりもパンデミックを収束させる戦略の成否なのだ.秋に感染者が増えていくリスクがあるために,外食に助成金をさらに出したところで,悪手になってしまう.それはつまるところ,減税を(全般的な減税であれ特定項目の減税であれ)議題にのせるべきではないということだ.また,〔パンデミックで打撃を受けた住宅市場への刺激策としてリシ・スナック財務大臣が導入した〕印紙土地税免除 (stamp duty holiday) を延長する必要もない.印紙土地税免除は住宅価格を間違った方向に動かしてしまう.だが,控除額を引き上げないというかたちでの増税はダメな考えだ.それは,経済の回復ではなく赤字に関心を絞っているからだ.
消費の立ち直りには,非常に重要な例外がある.それは,所得分布の最下層 20% の世帯だ.この階層の世帯は,パンデミックのあいだに貯蓄が増えるどころか減っている.これは彼ら本人の落ち度ではなく,パンデミックが彼らの仕事を直撃した結果であり,給付制度の仕組みの結果なのだ.パンデミックのあいだ人々を支援すべきだという原則に財務大臣は同意しているものの,その支援を必要としている人々こそが誰よりも支援を受けていない.
〔所得最下層が取り残されることのない〕誰もがもれなく参加するバランスのとれた回復が必要だとすれば,財務大臣は給付制度を用いてこの最下層を助けるべきだ.それはつまり,最低限でも,ユニバーサル・クレジットの給付増額を永続的なものにするということであり,さらには,過去10年間になされた給付の実質的削減も巻きなおすべきだということだ.さらに,パンデミック下で仕事にあぶれた人々にできるだけ早期に仕事にもどってもらうインセンティブを提供するのも理にかなっている.福祉に関する世論は大いに変化してきているから,これらはいずれも人々の支持を得るはずだ.だが,財務大臣はやるべきことの多くをやろうとしないだろう.なぜなら,彼は赤字を懸念しているからだ.
以上の話は,所得階層だけではなく経済の各セクターにも同じように当てはまる.経済の回復期に公共部門の賃金に上限をもうけるのはダメな考えで,却下すべきだ.この一年にわたって自らの命を危険にさらしながらこれほど職務に励んできた医師・看護師に感謝のお金を払うべき理由は非常に強い.
バランスのとれた回復には,消費だけでなく投資の増加も必要となる.法人税が投資におよぼす影響は非常に不確実だが,おそらく,法人税を引き上げると投資と海外直接投資 (FDI) がある程度まで抑制されるだろう.そのため,今回の予算案で法人税を引き上げると公表する理由はないように思える.まして,法人税を引き上げる動機が赤字削減になるなら,なおさらだ.(人々の予想はものを言う.だから,1~2年ほど引き上げを延期しても投資への影響に大したちがいは生じない.) 法人税の引き上げに意味があるのは,経済が回復しきったときだ.だが,〔「2年後に引き上げますよ」と人々に伝えたりして〕それを予期させたりあらかじめ公表しておいたりすべきでない経済学的な強い理由がある.[1]
また,バランスのとれた回復には民間の支出と並んで公共支出の追加も関わってくる.回復局面では,大半の公共サービスへの需要は減らない.海外援助を削減すべきでない強い理由がある.地方自治体も含めて公共部門の特定部分の追加資金を増やすべき強い理由もある.回復局面では,地方税の増税もよい考えではない.地方税増税などを回避できるように地方自治体に資金を与えるかどうかは,中央政府しだいだ.
最後に,これも大事な点だが,公共投資を〔GDPの〕 3% までに制限するキャップは,ゴミ箱行きにすべきだ.経済を環境にやさしくしやすくする公共投資が差し迫って必要とされているのが,ほかでもなく実質金利が歴史的な低水準となっている時期だったのは,信じられないほど幸運なことだ.この好機を利用せず,炭素使用を効果的に減らしたり洪水などから私たちを守ってくれる公共投資を考えうるかぎりすべてせずにいるのは,犯罪的ですらある.社会的なリターンが大きいプロジェクトを阻む公共投資の上限をかけ続けるのは,どんな時期であっても意味をなさない.まして,今日の状況ではまったく意味がない.
財政政策による経済刺激はいつまで続けるべきだろうか? ここでカギとなるのは,産出ギャップに関するきわめて不確実な推測などではなく,短期金利とインフレ率がどうなっているかだ.できるかぎりの経済回復を成し遂げたと確認がもてたとき,財政政策担当者は,中央銀行にマクロ経済安定化政策のバトンを渡さなくてはいけない.
インフレ率だけに注目するのは妥当でない.なぜなら,金融政策はインフレ率を目標値に維持するよう設計されているからだ.金利だけに注目するのも妥当でない.なぜなら,「中立」金利がどのくらいなのかほんのわずかしかわかっていないからだ.そこで,インフレ予測値が 2% を超えると予想され,しかもイングランド銀行のベースレートが 2% を超えるまで,刺激策を継続するよう私は提案する.つまり,短期金利とインフレ予測値が 2% を超えるまで財政再建に手をつけないということだ.
私が提示した案のような予算を保守党政権も立てられるはずだが,現政権はやらないだろう.理由は単純明快だ.国民の多くは,「財政再建」と聞けば,文脈がどうであろうと責任ある行動を取ることをいまだに連想している.2010年以降の愚行を彼らは学んでいない.メディアの多くが学んでいないからだ.大きな国際的経済組織〔IMF など〕は景気の回復期に財政を発動させる必要があることを理解しているかもしれないが,メディアは理解していないのだ.
イギリス経済にこれほどの打撃をもたらした政党が有権者の目には経済運営で他党にまさっていると映っている理由の一端は,そこにある.1979年以降を振り返ると,1980年代にはサッチャー政権下で失業率は高くなり,メージャー政権下では(景気後退を誘発する)欠陥品の欧州為替相場システム (ERM) 導入から暗黒の水曜日〔ポンド危機〕にいたり,キャメロン政権下では緊縮,ジョンソン政権下では EU離脱が行われた.グローバル金融危機がイギリスに波及するまで,労働党政権下での経済成長は力強く安定していて,アクシデントに見舞われることもなかった.労働党が下さざるを得なかった大きな決断はユーロ導入だ.これを労働党はうまくやりくりし,正しい決断を下した.過去の証拠を見ると,労働党の経済運営は保守党よりもはるかにすぐれている:労働党政権下の安定と堅調な成長,保守党政権下でのカオス〔という対照がある〕.
今回の予算案で,経済に打撃を与えかねない増税をしないよう求めた点で,労働党は正しかった.経済の回復は期待外れになるかもしれない.そのとき,労働党は財務大臣を糺す必要がある.それを脇におくと,保守党が経済面の能力〔に関する世論〕でとっているリードを挽回する絶好の機会を労働党は逸してしまった.EU離脱について語りたがらなかったからだ.だが,選挙はまだまだ先のことで,それまでの間に,せめて,メディアや有権者の誤解ではなく経済学での合意にもとづいて自分たちの経済面での姿勢をかためておくことなら,労働党にはできる.
原註 [1] この点について左派は労働党を大いに批判してきた.このナンセンスは,労働党を保守党よりも右寄りにしてしまう.追加の刺激策(とくに投資を促進する刺激策)と法人税引き上げを組み合わせようとする立場は完璧に尊敬に値するが,論争が経済学での共通見解とメディアマクロ(「赤字を懸念すべきだ」)の対立になりそうなときには,これは〔国民にとって〕わかりにくい.水曜に発表されたスナック財務大臣の経済刺激策が不十分なものになっているとき,法人税引き上げを求める主張はいっそうやりにくい.
”,財務大臣はなるべきことの多く” > やるべき
”ほかでも,なく実質金利が”
”メディアの多くが学んでいないかれあだ” >からだ
”労働党政権かでの経済成長は力” >政権下
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