[Simon Wren-Lewis, “Bill Mitchell’s fantasy about Labour’s fiscal rule,” Mainly Macro, June 14, 2019]
MMT論者の一部が労働党の財政信認ルール (FCR) に行っている突拍子もない攻撃について,前回の記事でとりあげた.あの記事は経済学者でない人たちに向けた文章だったので,ビル・ミッチェルが財政ルールについて広めている幻想に紙幅を無駄に割いたり読者を退屈させたりしたくはなかった.ただ,そういう幻想の1つが Twitter のレスで何度も送られてくるので,ここでまとめておきたい.
その幻想とは,イングランド銀行にはどういうわけがノックアウトのタイミングを決められるというものだ.ノックアウトとは,財政信認ルールが棚上げされて,経済を景気後退から脱出させるのに必要なだけの財政刺激策を打てるときを指す.ノックアウトの引き金が引かれるのは,金利が下限に達したときだ.この時点で,残される金融政策はどれも非伝統的な政策ばかりとなる.こうした政策は,財政政策ほど信頼性がない.そのため,ここで全面的な財政刺激策に向かうのは理にかなっている.
この単純なルールを一部の人たちがどうねじ曲げたか.イングランド銀行はノックアウトの引き金をひくタイミングを自ら決められると彼らは言うのだ.現実には,財政ルールにそんなものはない.イングランド銀行は,金利の下限がどこにあるのかをあらかじめ公表しておくので,景気後退が生じてイングランド銀行がこの下限まで金利を引き下げるまでになれば,ノックアウトが始動される.これは単純明快だ.ただし,もちろん,このルールが MMT ではないからといって嫌っていれば話は別だ.
MMT論者は,どんな風にこの財政ルールをねじ曲げて「ノックアウトをイングランド銀行が決められる」と言っているのだろうか.これを理解してもらうには,イングランド銀行を悪者にしたおとぎ話をこしらえなくてはいけない.イングランド銀行は景気後退を終わらせるべくありとあらゆる手を打たねばならない決まりになっているのに,このおとぎ話ではそれに終わらない使命がイングランド銀行に与えられている.その使命とは,緊縮の押しつけだ.さて,この邪悪なるイングランド銀行がなにをしでかすかというと,あらかじめ金利下限は X だと公表しておきながら,いざ深刻な景気後退が生じると金利を X + 0.25% までしか引き下げずにそこで終わらせてしまうのだそうだ.イングランド銀行はありとあらゆる非伝統的な金融刺激策を打ちながらも,金利はこの X + 0.25% まで引き下げてそれ以下には断じて下げようとしない.なぜなら,とにかくイングランド銀行はどんなものであろうと財政刺激策は望まないからだ.
このおとぎ話が成り立つには,金利を設定する金融政策委員会 (MPC) の委員9名全員が財務大臣や国民を欺くべく共謀しなくてはならない.現実には,金融政策委員会の委員は別にどこかの秘密結社の団員だったりはしない――それに,委員のうち4名は外部の人々だ.委員会は,「現実の金利下限は X です」と国民に公表しなくてはならないし,議会のさまざまな委員会に「深刻な景気後退が生じて失業率は急速に上昇する一方,産出は減少している状況ではございますが,しかじかの理由で金利は X まで切り下げられていないのです」と説明しなくてはいけない.
イングランド銀行内部出身者と外部出身者どちらであれ,過去と現在の金融政策委員会のメンバーたちを私はビル・ミッチェルよりも大勢知っていると思う.与えられた責務を彼らがいかに深刻に受け止めているか,私はつねづね感銘を受けている.マーヴィン・キングのように個々人としては財政政策についていろんな考えをもっているかもしれないが,そうした個人的見解を理由にして彼らが経済を損なうべく共謀する余地はまったくない.私が会ったことのある委員の大半は,深刻な景気後退に際して財政政策がなしうる貢献についてかなり肯定的だ.だから,かりに共謀できるとしても,そもそもこの点について彼らが世間を欺きたがるわけがない.
とはいえ,この話はいったん脇に置くとしよう.どちらにしても,MMT 論者のなかには「こういうことを言うレン=ルイスはやはりエリート層の身内なのだ」とか「レンルイスは信じられないほど単純素朴だ」とか,そういうことを言うだろう.かりに,こういう陰謀がなされたと仮定しよう.金融政策委員会の各メンバーは「金利はまだ下限に達していません」ときっぱり断定する一方で,急速に失業率が上がり産出が減少するさなかにも関わらず金利を下限まで下げずにおくべき理由をなにかでっちあげたとする.こういうことが起きたとして,そのとき,労働党の財務大臣はどんなことをするだろうか?
非党派の報道の多くといっしょに,財務大臣はなにが起きているのか調べるだろう.景気後退のさなかにも関わらず金融政策委員会はなにやら怪しげな動機からまっとうな理由もなく故意に金利を据え置きにしているのを知るだろう.財務大臣は,一時的な(5年未満の)財政刺激策をまずは試すだろう.財政信認ルールのもとでは,〔伝統的金融政策が使えなくなったときの〕最終手段としてでなくても,財務大臣は財政政策を自由に行える.その後もまだ数ヶ月にわたって景気後退が続いても金利が据え置かれていたなら,外野から見ていたどんな人間でもそう考えるように,財務大臣はこう結論を下すだろう――「金利はすでに下限にあったのだな.」 そこで,財務大臣は財政信任ルールの最終手段を発動して,当初の財政刺激策をさらに拡大するだろう.ひとたび景気後退が終熄したとき,現行の金融政策の枠組みはおおよそそのまま維持されるものか,私は疑わしく思う.これもまた,金融政策委員のメンバーたちの誰一人としてこのおとぎ話にのらないだろう理由となる.
MMT論者たちのなかには,「この〔金利が下限に達した〕状況で財務大臣が〔財政刺激策の拡大という〕最終手段を発動したら政治的な攻撃を受けてしまうだろう」と反論する人たちもいる.保守党系の新聞は例外として,失業率が高まりつつある景気後退のさなかにそうした攻撃がそんなになされるか,私はあやしく思う.ただ,ここで MMT 論者がメディアの反応を論拠に持ち出してもいいと考えているのはなんとも皮肉だとは思う.まるで,財務大臣が MMT を採用したときには,メディアの反応は賞賛一色にでもなるとでも思っているかのようだ.「金融政策委員会を廃止しましょう」「税収はべつに政府支出の助けにはなりませんよ」という主張が大方のジャーナリストたちにどう受け止められるか,想像してみてほしい.メディアに叩かれるかもしれないという点で言えば,似たようなものなのだ.
〔MMT系ブログの〕Mike Norman Economics は,私が前に書いた記事をとりあげてこう言っている.レン=ルイスに比べてビル・ミッチェルはまるで別格なんだそうだ.ここで想定したおとぎ話を語っているという点では,なるほど別格だろう.左派の一部には論争にふけったりおとぎ話をつくりあげて労働党の政策を悪しく言う人々もいるが,その一方で,幸いなことに,やがては現実のネオリベラリズムをひっくり返す政府の転換の準備を進める真面目な仕事に取り組んでいる人々もいる.