タイラー・コーエン 「我が子にいくら稼いでいるかを伝えるべき?」(2015年2月3日)

●Tyler Cowen, “Should you tell your children how much you make?”(Marginal Revolution, February 3, 2015)


ニューヨーク・タイムズ紙に掲載されたこちらの記事に注目が集まっている。メールであちこちに拡散されてもいるようだ。(件の記事の執筆者である)ロン・リーバー(Ron Lieber)の答えは「イエス」。親は我が子に自分の稼ぎ(年収の額)を伝えるべきだとのこと。リーバーの議論の筋を正確に追えているかどうか心許ないところはあるものの、とにかくそういう考えらしい。

私の答えは「ノー」だ。親は我が子に稼ぎ(年収の額)を伝えるべきじゃない。とは言え、我が家のお金事情について何らかの情報は伝えるべきだろう。例えば、あなたの稼ぎがそんなに多くないようであれば我が子には次のように伝えるべきだろう。「今はちょうど上に向かって駆け上っている最中なんだ。一生懸命働いてそのうち今より豊かな暮らしができるようになるから見ておいてくれよ」。そのように伝えておけば子供たちも少なくともびくつくことはないだろう。あなたが中流に位置するようならさっきの発言(「今はちょうど上に向かって駆け上っている最中なんだ。一生懸命働いてそのうち今より豊かな暮らしができるようになるから見ておいてくれよ」)をいくらかスケールアップして伝えたらいいだろう。我が子が自分よりも貧しそうなお友達をなじるために使える「クラブ(こん棒)」をわざわざ与えたくはない。親としてはそう思うことだろう。そのためにも年収の額を正確に教えるのではなく「建設的な曖昧さ」を含んだ答えをしておくのがいい。我が子に年収の額を正確に教えてしまうと「うちの稼ぎはいくらなんだぞ」と自慢して回るかもしれない。そうなると周囲(のお友達)に「負の外部性」が撒き散らされるだけではない。本人も大抵は後になってきまりが悪い思いをするものなのだ。

つまりは、我が子にはある程度幅を持たせたヒントを与えておくわけだ。そうしておけばやがて我が子が成長して「真実」(親の年収)を知る時がやってきたとしても、我が子はだまされたとも家の秘密を隠されていたとも感じないことだろう。「真実」が我が子に知られるまでは親たるあなたは立身出世の身近な「お手本」のような存在にもなれる。

あなたが金持ち(あるいは超金持ち)であるようなら我が子に次のように伝えたらいい。「そうだよ。うちは金持ちだよ。ただね、人生における成功はXによって測られるんだよ」。“X”にはあなたが我が子に伝えたいと思うことを入れたらいい。ただし現実的な範囲でだ。“X”は「友人の数(友人がどれだけいるか)」でもいいだろうし、「我が子の幸せ(我が子がどのくらい幸せを感じているか)」でもいいだろうし、「信心深さ」でもいいだろうし、「これまでに何冊の本を読破したか」でもいいだろう。「世界のためにどれだけ貢献したか」でもいい。“X”は一つに絞らずに折を見て別の“X”を次々に列挙して聞かせて最終的に色々な“X”が加重平均されるようにしたらいい。a) 我が子に偏執狂(一つのことしか目に入らない人間)と思われないようにするためにも、b) この世には重要な価値がたくさんあるということを我が子に伝えるためにも、c) (あなた自身は本音では「お金が一番大事」と思っていたとしても)人生で一番大事なのはお金じゃないということを我が子の脳裏に焼き付けるためにも、そうすべきだ。うまくやれば我が子にこちらの思い(a), b), c))が伝わる可能性は十分にある。

いつかは「真実」が我が子に知られるかもしれない可能性への備え、我が子への道徳教育、ピケティ流の議論をこねくり回して我が子をむやみに脅さない、我が子が馬鹿な真似をして笑いものにならないようにする、我が子が馬鹿な真似をして親の顔に泥を塗らないようにする。こういった一連の課題を同時にこなさなきゃならないわけだ。親たるあなたはある意味で中央銀行みたいなものだ。(「建設的な曖昧さ」に頼る中央銀行のように)「建設的な曖昧さ」に身を委ねて行けるところまで行くべし。

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