ニック・ロウ「会計の恒等式と無自覚に現状維持を想定してしまうクセ」(2019年5月14日)

[Nick Rowe, “Accounting Identities and the Implicit Theory of Inertia,” Worthwhile Canadian Initiative, May 14, 2019]

動物は肉食動物と非肉食動物にわけられる:つまり,「動物=肉食+非肉食」だ.だから,羊たちの島にオオカミを何頭か放り込むと,その島にすむ動物の数は増えるよ.


この論証がおかしそうな理由はすぐにわかる.「オオカミが羊を食べちゃうでしょうに.」 でも,オオカミと羊についてそういう事実を知らなかったら,この論証はすごくもっともらしく聞こえるはずだ.でも,「動物 = 肉食 + 非肉食」の恒等式は,世界についてまるっきりなんにも伝えてくれない.この式は,定義により正しい会計の恒等式だ.この式が伝えてくれることはただひとつ,世界をどんな風にわけるのを選んだかってこと,それだけだ.そして,世界をあれこれにわける方法なら無限にたくさんある.

さて,さらに2つの例をみてもらおう:

#1: GDP=消費+投資+政府支出+輸出-輸入.したがって,政府支出を増やすと GDP は増える.

#2: GDP=消費+貯蓄+租税.したがって,税を増やすと GDP は増える.

きっと,1つ目の例よりも2つ目の例の方が,ずっとなっとくしにくく感じられたんじゃないかと思う.1つ目の例はこれまでに目にしたことがあるだろうけど,2つ目の例は見たことがなかったんじゃないだろうか.でも,この2つはどちらもひとしく正しい会計の恒等式で,「したがって」に続く結論はどちらも同じくらいすっとこどっこいだ.

どの会計恒等式を書くかは純粋に恣意的な選択なのに,どうして選んだ式によって世界についての考え方がちがってきたりするんだろう?

これを名付けて「無自覚な現状維持理論」と呼ぼう:「そうはならない」と考えるべきまっとうな理由を知らされないかぎり,他の要因が変わってもある要因が現状のまま続くと想定してしまいがちだ.オオカミが増えると羊の数は減ってしまう理由を説明する責任は他人にあって,まっとうな理由を教えてもらわないかぎり,オオカミが何頭いようと羊の数は現状のままだ(あるいはいまの速さで増加または減少し続ける)と想定する.現状維持の想定を克服するには,しっかりした論証の力が必要になる.そのせいで,あの会計恒等式ではなくこの会計恒等式を選んで世界をあの集合ではなくこの集合でわけると,みんなが無自覚に現状維持を想定する傾向につけこんで,自分に都合よく議論を誘導できてしまう.

かなしいことに,会計恒等式を書いて世界を他でもなくしかじかのかたちにわけるとき,たぶらかされるのは他人だけじゃない.自分までたぶらかされてしまう.

あれこれの変数を書き付けたときから,理論構築ははじまるんだ.

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