モノを安くするのは結構.でも,インフレでほんとに大事なのはそこじゃないよ.
〔アメリカでの〕インフレが永続的なものなのか一時的なものなのかをめぐる論争が続いてる.論争の軸になっているのは,このところの物価水準上昇が全般的上昇なのか,それとも,木材や自動車などごく一握りの品目の上昇なのかって点だ(これが全般的な上昇だとしたら,いま政府が経済にお金を注ぎ込みすぎているのだと多くの人は考えてる.他方で,一握りの品目だけが上昇してるのだとしたら,おそらくはパンデミック後の各種供給ボトルネックが生じてるだけなんだろう).この論争での掛け金は,すごく高くつくかもしれない.いまみんながいるのが70年代型の状況だとしたら,FRB は金利を引き上げる必要があるし,議会は赤字支出を削減する必要が出てくる.そうなれば,バイデンの社会変革的な経済運営が台無しになるかもしれない.でも,いまのインフレがほんのいっときの上昇にすぎないとしたら,そうした削減はとてつもない失敗になってしまう.
さて,インフレは加速してるんだろうか,してないんだろうか? もちろん,自動車やコンピュータチップや家賃みたいにいま値上がりしてるモノをぜんぶ除外してしまえば,大して「インフレ」を示さない物価指標が残る.でも,それって,「欠点にはすべて目をつぶっていただいたうえで,今回の芝居のご感想はいかがでしたかな?」と聞くのとちょっと似てる.というわけで,首尾一貫して考えるには,毎月毎月の同じ指標を頼りにするべきだ.すると,インフレが加速してるようなしてないようなこういう見取り図が得られる.
さて,こうした数値は「前年同時期に比べた変化」を表している.去年という,すごく異様な年を基準に計算してるわけだ.そこで,月々の物価変動を年率換算すると,最近の数字はこんな感じになる:
こうしてみると,中央値は少しばかり上昇してる一方で,他のあらゆる数値は下がってきてるみたいだね.
そんなわけで,こういう数字を見て茶葉占いをするのは,ちょっとばかり厳しい.個人的には,「一時的インフレだ」って説明の方がいいように思ってるけれど,その説に強く入れ込んでいるわけじゃない.1~2ヶ月ほど様子を見るべきだと思う.とくに,デルタ株で急激に経済状況が変化しているなかでは,そうだろう.
また,インフレについて人々が本当に心配していることを認識するのが肝心だ.そうした懸念が来年の投票で表明される見込みが十分あることも考えておいてしかるべきだろう.消費者の感情は低下してきている.これも,デルタ株のせいだけではないかもしれない.人々は総じてインフレをきらう.おそらく,自分たちの賃金がなかなか物価上昇に追いついてくれないと感じてるからだろう.実際,その点に関して世間は間違っていないようだ.労働需要は旺盛で経済のそこらじゅうで労働不足が語られているしドルの見た賃金だって上がっているにもかかわらず,インフレ調整してみると,実質賃金は下がってきてたりする:
これはいいことじゃない.インフレが一時的な急上昇したときに名目賃金が追いついていけてない理由を,経済学者たちはもっと考えるべきだ.でも,その一方で,物価上昇の期間を終わらせる方法について,FRB とバイデン政権はいま考えておく必要がある.
FRB はまだこれに手をつけていない.いま起きているのは一時的な上昇だといまも考えていると,パウエル議長と仲間たちは発言している.そして,バイデンはといえば,自分の経済政策がインフレ解決策であるように見せようと試みている:
インフレ懸念は誇張されているし,短期で終わるという考えをバイデンは変えていない.その一方で,物価上昇に関する国民の恐れを認識していることを世間に示しつつ,みずからの政府支出計画が物価上昇への対応にもっとも適していると主張している(…)
水曜の演説で,バイデンは多岐にわたる主要な経済政策について述べた――独占の打破から育児助成金・教育基金にわたる様々な政策を,労働階級の家庭にとって「なにより大きなコストを押し下げる」ための方策の一環として,バイデンは提示した.
これまでずっと,一般家庭の金銭的負担を和らげるものとしてみずからの経済計画の一部をバイデン政権は売り込んできた.その一方で,インフレ論争に直接挑むべく政権が強調点を変えたことで,新しい政治的・経済的な現実の事情に合わせて政権がどう調整したか,くっきりと浮かび上がってくる.
物価上昇は民主党にとって政治的な向かい風になり得るのをうかがわせる世論調査データをホワイトハウスの高官たちは注視してきた.とりわけ,インフレを懸念する傾向がはるかに強い年配の有権者たちのあいだで民主党が不利になり得るかもしれない点に関心を寄せているという.この件について承知している2人の人物が,匿名を条件に〔おそらく党内の〕私的会話について語った.
さて,アメリカの家計が払うコストを下げるのは,間違いなくいいことだ.ぜひやるべきではある.でも,インフレ対策の政策って切り口で考えると,この手の方策に頼るのはいいことじゃない.インフレを生活費の観点で考える人は多いけれど,インフレを制限するときに大事なのは,消費者にとってモノを安くすることじゃないからだ.
ほんとに恐ろしいインフレといえば,ときおり南米諸国を見舞った制御の効かないスパイラルだ.おそらく,70年代序盤にアメリカが経験したのもそうだった.こういう恐ろしいインフレがなぜ起こるかというと,自動車や木材のコストのせいじゃなくって,予想のせいだ.いまの主要な理論ではこう考えられている――「FRBが(あるいは議会が)インフレを鎮める策をあまりやりそうにない」と企業がそろって判断すると,そうした企業はトレンドの先手を打つべく価格を上げ始め,これによってインフレ・スパイラルが自己成就的予言になる.
そこでなにが問題かというと,ヴォルカーが80年代序盤にやったようにインフレを叩き潰すのは,現実の経済に極度の痛手を与えてしまうってところだ.だから,当然ながら,政府はこれをやりたがらない.そのかわりに,政府は価格統制で物価上昇を制限しようと試みる.ニクソンはそうしたし,ラテンアメリカの多くの指導者たちが試みてきたのもこれだ.話せば長くなるけど,かいつまんで言うと,これはうまくいかない.総需要が高すぎるとき,全体の物価水準は〔価格統制をすり抜ける〕なんらかの道筋をみつけて上昇を続ける.そして,「それなら」と価格統制に倍がけしつづけると,お店の棚が空っぽになったり闇市場ができあがったりという惨状がうまれだす.こうして,実体経済は瓦解する.やるだけの値打ちがない.ハイパーインフレに苦しむよりは,ヴォルカーの景気後退みたいな短期的痛みを辛抱する方がマシだ.
ただ,アメリカ人が日々の生活必需品の一部を政府が肩代わりしたところで,インフレを抑えることにはならない.消費者が自分のサイフから支払う額を減らしても,実際に企業が支払われる金額が減るわけではない.たとえば,保育所に1000ドル支払っているとしよう.そこに政府がやってきて,月々500ドルの保育所バウチャーを渡してくれたとする.で,保育所をやってる企業はそれに合わせて価格を 1200ドルに上げる.こうして,月々に自分のサイフから支払う額はたった700ドルになった(よかったよかった).でも,保育所の価格は上昇してる.
消費者向けのいろんな財に政府が助成金を出せば,家庭にのしかかる金銭的な負担を軽くし,生活水準を上げ,格差を縮められる.でも,インフレ対策はどうかと言えば,そうした助成金を出しても,「政府は物価のスパイラルを容認するつもりだな」という企業の見込みを弱める役にはまったく立たない.それどころか,政府による助成金は企業が目の当たりにする物価を引き上げてしまう.はっきり言って,バイデンはこの件でみんなにたわごとを言ってる.
でも,企業が目の当たりにする物価を引き上げない供給側の政策は――関税の引き下げだとか,一家族向け住宅の土地規制の撤廃だとかは――インフレ対策の第一線を担う政策だと考えるべきじゃない.生産性を高めたりして,それ自体としてはいいことかもしれない.でも,必要とあれば需要を抑え込む用意が政治的指導層にあるんだと企業に信じさせる役には立たない.
バイデン政権・議会・パウエルの FRB にインフレを鎮める政治的意思がないんだと企業が判断したら,企業は予想のレジーム転換をおこしうる.そうなったら,ほんとに70年代の再来だ.そのときには,「インフレは自動車やコンピュータチップだけの問題か」なんて論議は空疎になる.共和党が政権に返り咲くだろう(とはいえ,あたらに再選されたトランプ大統領は状況をいっそう悪化させるだろうけど.FRB 議長には金利を低く抑えつづける人物を指名しつつ,ラテンアメリカの政治指導者みたいに価格統制でインフレ対策に励み出すだろう).アメリカ経済は落ち目になるだろう.やがて,痛みをともなうヴォルカー式の調整が必要になり,数百万人が仕事を失うだろう.
そんな結果は避けるべきだ.ぼくの見るところ,ここで要になってる役者は,FRB だ.消費者への助成金がインフレ対策になるとかいうバイデンのたわごとを,パウエルと仲間たちは買えない.「このインフレはおそらく一時的なもの」と彼らがまだ信じていたとしても,自分たちも「このインフレは一時だけだよ派」〔参照〕なんだという世間の認識をつくりだす余裕は,彼らにはない――議会の支出計画を支援したいからといって,「インフレはそのうち落ち着く」と教条的に主張する余裕は,彼らにはない.
いまインフレについて厳しい話を少しばかりしておけば,2年だか5年だか先にたくさん痛い目を見ないですませられる.転ばぬ先のなんとやらだ.