ノア・スミス「インフレ退治に価格統制は悪手だよ」(2022年1月1日)

[Noah Smith, “Why price controls are a bad tool for fighting inflation,” Noahpinion, January 1, 2022]

価格統制にも使いどころはあるけれど,インフレ退治で出番はないよ.

経済学者の Isabella Weber が『ガーディアン』紙に書いた論説が論議を呼んでる.インフレ退治のために価格統制を使うべしというのが彼女の主張だ.論説にはこう書かれてる:

物価を押し上げている要因のなかでも決定的に重要なもののひとつが,いまだにおおよそ見過ごされている.その要因とは,利潤の爆発的な増加だ.(…)市場で力のある大企業は供給面の各種問題を好機に利用して価格を引き上げて棚ぼた式の利潤をあげている.今月,FBB は〔金融政策を〕タカ派寄りに変えた.だが,金融刺激策を削減しても,サプライチェーンの問題は片付かない.いま私達の必要なのはそれではなく,戦略的な価格統制をめぐる真剣な論議だ.

パンデミックが世の中に広まっているかぎり〔供給不足の〕各種ボトルネックは続くだろう.価格統制をすれば,そうしたボトルネックに対応するための時間を稼げる.また,経済の回復力・気候変動の緩和・炭素排出量の差し引きゼロ(カーボンニュートラル)に向けた公共投資を動かすのに必要な金融の安定をはかるうえでも,戦略的な価格統制は役に立つ.インフレが自然に治まるのを待つコストは高くつく.

このアイディアを気に入らない理由を解説して,ポール・クルーグマンが短い連続ツイートをしている:

ぼくの考えだと――たぶん,きっと――需要が〔サービスよりも耐久財の方に〕偏っていたのが元にもどってきて,サプライチェーンの調整が進むにつれて,インフレはおさまってくる.価格統制をやると,その調整がめちゃめちゃになる.ダメな考えがなんでも右派からやってくるわけじゃないね.[元ツイート

すると,ステファニー・ケルトン(MMT を提唱する人たちのなかでも指折りに有名な人物)がこれを反駁する文章を書いた.ケルトンによれば,この文章は経済学者ジェイムズ・ガルブレイスの主張を代弁しているんだそうだ.この一件で,「価格統制こそ MMT がインフレ退治に主に使う政策なんだ」ってことを疑わなくてよくなりそうだ.でも,価格統制を提唱してるのは MMT の人たちだけじゃない――ルーズベルト・インスティテュートの J.W. Mason と Lauren Melodia も,インフレ退治に使える政策をいくつか並べていて,そこに価格統制も含めてる:

みんなが消費を後回しにできない基本的な必需品の価格が――住宅・食力・医療の価格が――急速に上昇しているときには,価格が上がる速度を制限したり価格に上限を設けたりするルールの採用が必要かもしれない.(…)危機や国の緊急事態においては,経済の全体にわたる価格規制をしく権力を政府は用いて,多岐にわたる財やサービスで物価上昇に上限をもうけてた事例がある.経済の全体にわたる価格規制が現代のアメリカ合衆国で必要とされることはありそうにないものの,特定の財・サービスの価格上昇に制限をかける対応を政府がとれる場合は多くある.

この件では,ぼくはクルーグマン側に組みしてる――価格統制がいつでもダメだとは思わない(戦時には有用だし,すごく歪んでる特定の市場では有用だ)けれど,インフレ退治のツールとしてはすごくダメだ.ただ,価格統制のアイディアがそんなにダメだとぼくが考える理由を,クルーグマンはうまくつかまえられていないように思う.ぼくの見るところ,インフレ政策としての価格統制がもたらす本当の危険には,次の3つがある:

A) 価格統制によって金融政策について送られるシグナル
B) 各種の不足によってインフレがいっそう悪化する可能性
C) 代替の通貨によってインフレがいっそう悪化する可能性

価格統制:単純な理論

マクロ経済学についてなにかひとつ知るべきことがあるとすれば,それはこれだ:「説得力ある証拠はほんとのほんとにすごく手に入りにくいから,みんな理論をすごく頼るはめになってるし,たくさん仮定をおいてる.」 価格統制もそこは同じだ.なので,価格統制がいいのかわるいのかを示す証拠はこれですよって見せられはしない.経済の仕組みがどうなってると自分たちが思ってるのかについて,考えなきゃいけない.

ともあれ.

競争的な需要と供給の基本理論では,価格に上限をつけると不足が生じると考える.下のグラフを見てほしい.人々が欲しがってる量と,その品目の価格に政府が上限をつけたときに人々が手に入れる量との,理論的なギャップを示してある:

ここでの基本的な論理は,込み入っていない.あるとき,「これから牛乳をめっちゃ安くするからね」と政府が宣言する.すると,「すっげー! 牛乳がめっちゃやすーい!」って牛乳を買いにみんながお店におしよせる.棚はからっぽになって,牛乳はどこにもなくなる.遅れて店に駆けつけた人たちは,ひとつも牛乳を見つけられなくって,ご立腹になる.おしまい.

でも,この完全競争モデルは,現実の記述としてはダメな場合がよくある.最低賃金の件で見たように日本語記事〕,価格統制によって市場があまり歪められないこともある.そういう場合には,考えるべきモデルは独占モデルの方に近くなる.経済のどこかに独占力があるとき,価格に上限をかけると,目論見どおりにあるべき方へと価格が動いて,不足がいっそう悪化するどころか逆に不足が緩和することもありうる.それをグラフにすると,こんな感じだ〔※訳者にはこのグラフがよくわかりませんでした.〕:

インフレの原因に企業利潤を Weber が引き合いに出すとき,あるいは,インフレは企業の「強欲」のせいだとホワイトハウスの報道官 Jen Psaki が語るとき,おそらく,この種の独占力を彼らは思い浮かべてる.(追記: この説明に冷や水をかけるいい記事を Joey Politano が書いてる).独占があると,財はいっそう高くつくようになり,人々が消費できる量に制限がかかる.穏やかな価格上限をかけると,財はそれほど高くならない一方で,その財をもっと潤沢にできる場合がある.というわけで,価格統制がいつでもダメダメってことはない.

でも,インフレの話をしてるときに,これってなにか理にかなうんだろうか? さっきの図にあるような独占モデルは静的な長期均衡モデルだ.変化の速さについては多くを語っていない.供給の各種ボトルネックによって,1年で独占力が大きく変わるなんてことは,おそらくありそうにない.言い方を変えると,Matt Bruenig が指摘しているように,いま力の強い企業が価格をつり上げるんだったら,とっくの昔にそうしていそうなものだ.企業が価格をつり上げやすくなっているのだとしても,きっとそれは企業がいきなり力をたくさんつけたからじゃないだろう.

じゃあ,単純なマクロ経済モデルで考えてみよう――つまり,総需要と総供給で考えよう.静的な量ではなく変化率を示す経済成長とインフレをグラフの軸にとる.いろんな市場に独占力がたっぷりある経済では,そうした市場の供給曲線の傾きがもっと急になるかもしれないと考えられる.そして,供給曲線が急になると,総供給も急になるかもしれない.すると,インフレはいっそう高くなりやすい.グラフはこんな具合になるはずだ:

「でも,経済の仕組みがこうなっているんだとしたら,いまみたいな状況でいろんな市場の価格統制をやればインフレは下がりそうなものじゃない?」 ――それはおそらくちがう.少しもどって,独占モデルを見てみよう.価格上限によって,供給曲線は変化しない.だから,いろんな企業それぞれの供給曲線を総合して総供給曲線ができあがるのであれば,価格統制によって総供給曲線は変化しそうにない.

なんでかって言うと,思い出してほしい――それぞれの市場に独占がある場合にすら,だからってマクロ経済の全体が独占市場みたいにふるまうわけじゃないんだよ.総生産に独占力をふるう企業はひとつもない.だから,マクロ経済で見て,価格統制がインフレを引き下げるのは,景気後退を引き起こすコストをともなうときにかぎられる見込みが大きい:

そんなのはロクでもないアイディアでしょ.たしかにインフレは鎮まるだろうけど,大勢の人たちを仕事から追いやるはめになる.そうしたいんだったら,金融政策を使ったっていい.

でも,インフレと引き換えに大勢を失業させるべきじゃない.そんな値打ちなんてない.インフレを 2% に押し下げるためにいまポール・ボルカー〔インフレ退治で有名な元 FRB 議長〕を召喚する値打ちがないのと同様だ.インフレがインフレを呼ぶ状況にならないかぎり,インフレの害は小さなものでしかない.それに,FRB はインフレ予想にフタをかぶせつづけているように思える:

というわけで,もしかすると,ガソリンみたいにすごく象徴的なモノの価格統制をやったり大衆人気ねらいで「わるい強欲企業」に非難を浴びせたりすれば政治的に有利に働くとバイデン政権は考えるかもしれない.でも,単純な理論で考えると,インフレを 2% にまで下げるためだけに経済全体にまたがる価格統制をやっても,それが引き起こす打撃に見合わないだろうと見当がつく.

価格統制: もっと複雑な理論と,価格統制がこわい理由

ただ,政策を判断・決定するときに,いつでも総需要-総供給 (AD-AS) みたいな単純理論で間に合うわけじゃない.現実のマクロ経済には,総需要・総供給以外にたくさんの要因がある――予想・信念もあるし,調整問題もあるし,情報問題もあるし,その他ありとあらゆるややこしいことがからんでる.価格統制は,毎日目にするたぐいのことじゃない(ただ,歴史を振り返ってみると役に立つし,このあとすぐ歴史についても語ろう).なので,価格統制によってマクロ経済に奇妙で異例な影響が生じることはありうる.

ひとつの可能性を挙げれば,もし価格統制のせいで棚がすっからからんになったら――経済にはたらいてる独占力の量にうちかつほど十分に価格統制が強力だったらそうなる――みんなが買いだめに走ることになるはずだ.Martin Weizman が1991年に書いた論文「価格の歪みと不足の歪み,あるいは石鹸はどうしてこうなった?」(“Price Distortion and Shortage Deformation, or What Happened to the Soap?“) で,そうなる仕組みが説明されてる.この効果は,標準的な「経済学101」で説明される価格統制で不足が発生する理由では,うまく説明されない.

それに,物価管理〔がうまくいっている度合い〕をはかる数値としてのインフレ率について語るとき,買いだめはとりわけまずいことになりうる.買いだめによって需要はグンと増える(なにしろみんなが商品を買い込もうとするからね).すると,それによってインフレはいっそう高まって,政府はさらなる価格統制その他でこれに対処するはめになる.これはすごくまずい循環になってしまうだろう.買いだめで引き起こされる苦境や不公平にとどまらない,まずいことになる.価格統制によるインフレ・スパイラルの可能性は,これまでに経済学者たちの頭には思い浮かんではいる.でも,〔そうした状況を統計的に〕計測するのはすごくむずかしい.この手の状況が起こったとおぼしき事例についてときに逸話が語られるていどだ.

また,価格統制でインフレがいっそう高まりうるたんなる理論上の理由をいまの話は語っているけれど,それでおしまいじゃない.少なくとも一部の場合に,金融政策に関してみんなが信じていることによってインフレが決定されるという理論を多くの経済学者たちが考えている.政府が(とくに中央銀行が)インフレ退治にあまり本気じゃないとみんなが考えたら,将来のコスト増加を予期して,いま各種の価格を人々は引き上げる.すると,インフレの予想がほんとにインフレをもたらす自己成就の恐れが引き起こされる.1970年代の高インフレの最有力な説明が,これだ――石油ショックによって一部の品目で価格上昇が起きたのに FRB がこれに対処しなかったことで,「ああ,FRB はインフレをそんなに気にしてないんだな」とみんなが信じて,インフレの上方スパイラルが生じ,石油ショックそのもので引き起こされていただろう水準を超えるインフレがもたらされた.また,ハイパーインフレ(一国の経済にとってまぎれもなく破滅的なインフレ)がはじまる仕組みとして多くの経済学者たちが考えている筋書きにも,これはふくまれている.

というわけで,インフレ退治の主要ツールに価格統制が採用された場合に――ケルトンが提案しているとおりになった場合に――すごく危険なシグナルが送られかねない.価格統制が採用されたのをみた人々は,「政府は金融政策を使って任務に当たるつもりがないんだな」と信じてしまいかねない.去年の3月に書いた「インフレを心配すべき場合とは」で,こう書いておいた:

用心すべき重要警告サインは,他にもあると思う,政策担当者たちがインフレ管理の方法として価格統制について本気で語りはじめたら,そいつはすごくまずいサインだ.(…)もし,もはや FRB がインフレ防衛線の第一陣でないのがはっきりしたら,おそらくインフレがさらに進行する.

いまのところ,まだそんなものは見当たらない.バイデン政権は処方薬として価格統制を提案しているし,理解できることではあるけれど,インフレを説明する際に供給側にすごくこだわる一方で,需要側の説明をなおざりにしてる.でも,いまのところは,まだインフレ退治アプローチとして価格統制を使うアイディアにまで話は進んでいない.バイデンと政権の人たちがステファニー・ケルトンやジェイムズ・ガルブレイスや MMT の人らに耳を傾けているきざしはないし,もっと穏当なルーズベルト・インスティテュートに耳を傾けてるきざしすらない.

そして,さらに大事な点として,FRB そのものが価格統制の方にわずかでも動いてる様子はない.実際の具体的な政策手段――量的緩和の縮小や金利引き上げといった手段――とならんで,強力なフォワードガイダンスを使って,「自分らはインフレを気にかけていますよ」と市場を安心させている.インフレ予想もどうやら制御下にあるようだし,成長はなおも強固だし,FRB はこれまでのところ成功しているようだ.

ただ,インフレに対する第一防衛線に価格統制をたよる方に移行することで,防ごうとしてるインフレを逆に実現させてしまう可能性は,頭に入れておいて損はない.

価格統制: 歴史と証拠

理論の話はそんなところ.証拠からはどんなことがわかるだろう? 思い出そう.最低賃金みたいな政策について得られるほど説得力ある証拠は,マクロ経済学ではすごく手に入れにくい.マクロ経済でやることはありとあらゆることに影響するし,ありとあらゆることに影響される.だから,原因と結果を腑分けしたくても信じられないほど難しい.それでも,あれこれのささやかな知見をもとめて証拠や歴史の教訓に目を向けるのが大事だってことに変わりはない.

ざんねんながら,インフレをしずめる政策としての価格統制を慎重に検討した歴史研究はわずかしかない.おそらくは,「インフレはもう攻略済み」ってマクロ経済学で考えられてるために,近年これを研究しようって関心があまり強くないっていうざんねんな事実のせいだ.とはいえ,着目できる研究は,わずかながらもあるにはある.

世界銀行の Justin Damien Guenette が2020年に書いた論文では,途上国でなされた多種多様な価格統制体制の歴史を検討している.その結論は,こうだ――価格統制が経済成長と雇用に及ぼす影響は,マイナスらしい.

近年の研究で,経済学者の Diego Aparicio と Alberto Cavallo はアルゼンチンで品目を特定してなされた価格統制を検討している(アルゼンチンは伝統的にインフレが多くて,証拠を探すのに格好の国になってる.おそらくは,アルゼンチンがあんなに大勢のすぐれたマクロ経済学者を生み出してる理由もそこにあるんだろうね.) アルゼンチンでとられた3回の価格統制は,ルーズベルト・インスティテュートの人たちが推奨してもおかしくない統制と似てる.Aparicio と Cavallo によれば,アルゼンチンの価格統制はほんのわずかしか成し遂げていない一方で,害もそんなに出していない:

本研究の発見は次のとおりである.第一に,価格統制がインフレに及ぼす影響は小さく一時的で,価格統制が外されるとすぐにインフレが戻る.第二に,よくある考えに反して,価格統制された財は一貫して販売のために入手できる.第三に,価格統制を相殺するために企業はより高い価格で新しい製品種類を導入する.これによって,狭い製品カテゴリ内部の価格のばらつきは大きくなる.全体として,我々の研究結果からは,品目を特定した価格統制は〔個別の財ではない〕全体のインフレ率を下げるうえでもっと伝統的な形態の価格統制と同じく効果に乏しいことがわかる.

というわけで,これはいくらか心強い.少なくとも,ルーズベルト・インスティテュートが推奨しそうなタイプの,品目を絞った価格統制は悲惨なことにならないようだ.(とはいえ,アルゼンチンはすでにかなりどうかしてるマクロ政策をやっている点は覚えておいていい.アルゼンチンはそもそも人々の信認を失おうにもすでにそんなに信認がないのかもしれない.同じようなことを合衆国政府がやったら,もっと有害な効果があるかもしれない.)

もっとよく知られてる歴史上の例は,1971年にはじまったニクソンの価格統制だ.これは,1974年にジェラルド・フォードによって大半が打ち切られた.この価格統制について経済学者たちが語る標準的な筋書きは,Alan Blinder と William Newton の論文で提示されたやつだ.これによると,ニクソンの価格統制はインフレを一時的にちょっぴり抑制したものの,あとでいっそう大きなぶり返しを引き起こしただけに終わった.データもそんな感じに見える:

1973年にはすでに物価上昇が加速していた点に留意しよう.物価が上がれば上がるほど,しかじかの品目の価格統制はキツくなる(i.e. 生産者への打撃がいっそう強くなる)し,価格統制が引き起こしがちな品不足はいっそうひどくなる.なので,石油ショックにはじまるインフレは,ニクソンによる価格統制の裏を掻いてさらなるインフレを引き起こしたと考えられる.ちょうど,自国からのキャピタルフライトを止めようと自国通貨を〔変動相場ではなく〕固定にしても,キャピタルフライトの波がこれを打破してかえってキャピタルフライトがいっそう増える結果になりうるのと同じだ.

もっとうまくいった事例としては,第二次世界大戦中になされた戦時価格統制が挙げられる.戦時価格統制は,インフレを高まる結果にはならなかった.民間消費は減らなかったけれど,べつにそれは全体的な品不足のせいでもなかったし,景気の低迷のせいでもなかった.そうじゃなく,たんに政府が生産を大規模に軍需に振り向けていたんだ.それに,戦時中に金融政策の予想や買い込み行動が影響していたと考える理由はほぼない.なので,この事例を現在の状況に当てはめて考えるのは難しそうだ.

あとは,ほんとに悲惨なマクロ経済プログラムの重要な一環になったとおぼしき価格統制の事例もいくらかある.ひとつは,ベネズエラだ.関連する歴史と合わせて情報源がしっかりしてるブログ記事がある:

2003年に,主要な食品に価格上限が設定された.(ウゴ[・チャベス]は,いかなる食料品の密輸も許さないよう軍と警備隊を配置した.(…)だが,価格統制が敷かれると,食糧不足が起こった.各種の供給業者はもはや必要な各種財の輸入をまかなえなくなり,これが国内生産の負担を強めたためだ.(…)これを受けて闇市が増加し,エンジニアや弁護士ですら,国境をまたいでパスタやガソリンなどの財を密輸している.

チャベスはベネズエラ議会を説得して,2011年に「公平コスト・価格法」を成立させた.この法律により,インフレは「違法」になった.新たに創設された「公平コスト・価格監視局」には,卸売り・小売りのどちらの段階でも公平価格を確立させる権限が与えられていた.こうした価格統制に違反した企業は,罰金・差し押さえ・没収を受けることと定められていた.

これにともなって,歯磨き粉やトイレットペーパーといった生活必需品の買い占め騒動が起き,一度にトイレットペーパーを12パック(1パックあたり4ロール)を買い込む人々が続出した.こうした人々の動きで,スーパーマーケットからは品物が一掃された.押し寄せる人々に在庫担当者が割って入る間すらなかった.

2014年に,チャベスの後継者ニコラス・マドゥラによって「公平価格法案」が可決された.この法案では,30% を超える利ざやは禁止され,買いだめや過大な価格設定をした違反者には懲役刑が科されるよう決められていた.(…)マドゥラは,検査官・弁護士・軍の人員からなる調査チームを派遣して,「公正価格」を検査した.(…)ある日には,一日だけでおよそ331名の成人に聴取がなされた.(…)クリスマスの買い物シーズンには,規則に反する料金や投機的な利ざやや値札隠しを検査する厳格な方策がとられた.

――などなど.こんな調子でどんどん包括的かつ厳格に価格統制が実施されても,意図された効果はてんで現れなかった.チャベス政権のもとでインフレはだいたい 20%~30% で上がっていって,そのあとマドゥラのもとで爆発した

このところの世界史でも指折りに驚嘆すべきまぎれもない経済崩壊をベネズエラが経験した理由を考えると,このハイパーインフレはその大きな部分を占めてる.ベネズエラのたどった顛末は,世界滅亡モノ小説のジャンルに属す.

ベネズエラの価格統制が完全に失敗におわった事例を知れば,マクロ経済モデルに出てこない現実世界の要因がいろいろあるってことを思い出せる――たとえば,闇市がそうだ.アメリカで,厳格に包括的な価格統制を実施すれば,まちがいなく,統制をかいくぐろうとして人々は暗号通やダークウェブみたいな技術に目を向けるだろう.
ともあれ,このベネズエラの歴史ひとつをもって,「インフレ退治の政策として価格統制はぜったいにうまくいかない」というまったく隙のない決定的根拠だと言うつもりはない.というか,歴史の解釈は難しいし,理論にはあれこれの仮定がたくさんつきものだ.それに,ここ数十年というもの,マクロ経済学者たちはおおよそインフレ研究の課題をおろそかにしてきた(ただ,この状況はすぐにも変わるとぼくは予測してるけど).インフレ退治のツールとして価格統制がうまくいきっこないと確かにわかっているわけじゃない.

でも,そのうえで言うと,肯定と否定の証拠のバランスを見れば,このツールがインフレ退治に向かないように見えるのはまちがいない.はっきりとした短所が複数あるし,破滅的な結果につながりかねない短所もありうる.だからこそ,もっとはっきりするまでは――それは数十年後のことだろうし,それまでに慎重な研究がたっぷりなされることになるわけだけど――インフレ退治に価格統制を用いるのは避けるべきだ.

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