先週,7000語もの長文で,『技術革新と不平等の1000年史』書評を書いた.同書では,AI による自動化で中流階級が一掃されそうだと主張されている.この主張をうまく立証でいているとは,ぼくは思わない.ただ,AI によって中流階級が空洞化する可能性は除外できないのも事実だ.そういうことは起きるかもしれない.
それでも,この点について希望をもつ理由はあると思ってる.生成 AI に関していろんな実験を経済学者たちがやりはじめるやいなや,信じられないほど一貫したパターンが見出されている:AI によって,高技能労働者と低技能労働者の生産性格差が狭まるというパターンだ.これは,去年の記事で指摘した:
たとえば,Brynjolfsson, Li, & Raymond による新論文を見てみよう.この研究では,AI ツールが顧客サポート労働者の生産性におよぼす効果を計測している.(…)AI ツールは技能が高い労働者よりも低い労働者の助けになっている.(…)すでに仕事をうまくこなせている顧客サポート人員の場合には,AI がもたらした便益はほとんどないか,ゼロだった.だが,通常は自らの業務がかなり下手な人員や,業務をはじめたての人員の場合には,AI ツールによって彼らの技能はものすごく増強されている(…)
ここでほんとに興味を引くのは次の点だ――このパターンを見出したのは,この研究が初めてじゃないんだ.Noy & Zhang (2023) の研究でも,大学生の文章作成タスクでまったく同じことを観察している――AI によって得られた向上は,最上位層の学生よりも最下層の方がずっと大きかった.さらに,Microsoft Research のチームも,GitHub Copilot によって生じたコーディング成績の向上がより年配の開発者や経験の浅い開発者ほど大きくなっているのを見出している.
どうやら,あるパターンがだんだん現れ始めているらしい.デキる人たちよりも成績最下層の人たちの方を生成 AI は一貫して持ち上げるようだ.
こういう研究結果を見ると,生成 AI がテクノロジー方面での「凡人の逆襲」をもたらすかもしれないと思わされる.ソフトウェア開発や財務管理やビジネスコミュニケーションの達人たちは AI による補佐があってもほんのわずかな助けにしかならないかもしれないのに対して,その他大勢の凡人たちは AI の補佐で自分の仕事が〔ずっとうまく〕できるようになる.
さて,自動化と格差に関していくつか重要な研究をしてきた MIT の経済学者デイヴィッド・オータも,似たことを言っている.最近の論稿で,彼はこう主張してる――コンピュータ活用の進展で,「中程度の技能」の仕事は自動化されて消え去り,これが中流階級の空洞化に一役買ったけれど,AI はこの流れを逆転させるかもしれないとオータは言ってる:
AI によって,人類に独特な機会が与えられる.それは,コンピュータ活用の進展で始まったプロセスを押し戻す機会だ――人間の専門知識の意義・範囲・価値をより広範な労働者たちにまで拡大する機会だ.人工知能は,獲得した経験に情報とルールを紡ぎ合わせて意思決定を支援できる.これにより,必須の基礎訓練を受けた労働者たちというより大きな集団が,より利害の大きい意思決定を実行できるようになる.すなわち,医者・弁護士・ソフトウェア開発者・大学教授といったエリート専門家たちによっていま現在は行われているたぐいの意思決定タスクを,そうした労働者たちが行えるようにあるのだ.ようするに,アメリカの労働市場において自動化とグローバル化によって空洞化の進んできた中程度の技能をもつ中流階級を再興する助ける役目を,AI は――うまく利用すれば――果たしうる.
基本的には,オータが述べている論は,精神の工作機械としての AI についてぼくがこれまでに言ってきたのと同じだ.工業時代の工作機械は,熟練の紡績職人や鍛冶職人の仕事をまるごと自動化しつくさなかった.工作機械は,たんに,ほどほどの技能を持つ平均的な人たちにも専門家たちと同等の仕事を,ずっと大量にできるようにしただけだ.情報技術の助力を得た低技能労働者によって高技能労働者を置き換えるのは,仕事の「自動化」と同じじゃない.たんに,その仕事を大衆にも開放しているにすぎない.
さらにオータはぼくよりもずっと細かいところまで検討を進めて,AI によって普通の人たちの精神的な技能が正確にどれくらい補完されて,それによって知的エリートとどれくらい競合できるようになりそうなのかを提示している.彼は,YouTube 動画の喩えを語っている:
AI がバケツ満杯の専門知識を安く供給できるのであれば, あとに残る小さじいっぱいほどの人間の専門知識は要らない余り物になるのだろうか? これには,比喩で答えよう:YouTube に喩えてみる.(…)我が19世紀の住宅にあるヒューズボックスを,20世紀のブレーカーで置き換えたいと私が思っているとしよう.架空の話として,私はこれまでに電子工作用プライヤーに触ったこともなければ,電気絶縁グローブを持ち合わせてもいないと仮定する.だが,土曜に自由な時間があいていて,近所にホーム・デポの店舗もある.
「やればできる」と自信満々で,私は YouTube を検索して出てきた数十,数百ものハウツーもの動画から1つを視聴してみて,作業に取りかかる.当然ながら,しばらくやってみると,どうやら我が19世紀製ヒューズボックスは動画に出てきたものといくぶんちがっているのがわかる.作業をやめて元の状態にもどすにせよ,蛮勇をふるって作業を進めるにせよ,感電リスクか電気系統からの出火のリスクか,どちらかに直面する.(…)
無料の専門知識を活用するには,基礎的な専門知識が必要だったのだ:すなわち,高電圧回路を扱う手順の知識,手引きにない事態に出くわしたときの問題解決をはかる専門的な判断力が欠かせなかったのだ.そうした専門知識を備えていれば,YouTube 動画はまさしく私が必要としていたものだったかもしれない.
ここでの要点:専門知識が不必要になるどころか,各種のツールによって専門知識は効力と射程範囲を拡大することでいっそう価値を高めることも多い.
ホワイトカラー専門職にとって,AI は YouTube と別格ではあるものの,専門家たちのさまざまな能力を拡大する役割は卓越している.たとえば,大半の医療手順はしっかり規定された一連の手順を追っていく.だが,そうした手順を実行するには,自らの手でやってみる練習や,それにともなって暗黙に獲得される専門的な判断力が必要になる.
おそらく,熟練の医療従事者ならば,AI による手引きを得て,新型カテーテルなど新しい医療装置の使用法を身につけたり,緊急時に不慣れな対応手順を実行したりできるだろう.訓練を受けたことのない大人でも,YouTube で「ハウツー」ものの動画による手引きに従えば,患者(あるいは本人)に首尾よくカテーテル挿入できるかもしれない.だが,いざその対応手順で手引き書にない事態に出くわしたときには,専門的な医療判断の出来る人物が処置に当たった方がいいだろう.
一般に,人工知能は,カテーテル挿入のような利害の大きいタスクを[自動化]しないだろう.だが,AI は,しかるべき専門知識の基礎を備えている労働者のレベルを向上させられる.AI は,よくできた基礎工事のうえに幾層もの建物をたてることで,専門知識のおよぶ範囲を拡大できる.
実は,AI を利用する技能を増強する用意をアメリカ人に調えさせるために教育者たちが教える内容を転換しつつあるという心強い兆しをわずかながらぼくはすでに目にしている.
さて,技能にもとづく格差だけが格差じゃないのは間違いない.他にも,物理的な資本にもとづく格差もある.かつての金ぴか時代に工作機械を所有していた人たちが他のみんなに大きな差をつけたのと同じように,AI 時代の富も,Nvidia や TSMC や Microsoft に偏って流れ込むのかもしれない.もしそうなったら,ぼくらはその事態に対処しないといけなくなる.おそらくは,資本課税の税率を上げることによって.
ともあれ,オータの論稿は長文だけど,ぜひとも終わりまで目をとおすのを強くおすすめする.これは,「AI によってみんなの仕事が奪われる」という人口に膾炙した不安論に対する有用な解毒剤だ.
[Noah Smith, “At least five interesting things for the middle of your week (#29),” February 28, 2024]