ノア・スミス「現代金融理論 (MMT) を詳しく検討してみると」(2019年3月31日; 2021年11月20日更新)

[Noah Smsith, “Examining an MMT model in detail,” Noahpinion, March 31, 2019; re-posted on November 20, 2021]

〔2021年11月20日に再投稿された記事の加筆部分を訳しました.〕

なじみがない人のために言うと,MMT 〔を主張している人たち〕とは,「政府はもっと借り入れてもっと支出しろ」と言ってまわってる結束の固い集団だ.MMT は「現代貨幣理論」(modern monetary theory) の略で,この名称をぱっと見たら,「ああ,経済の仕組みについての理論があるんだな」とふつうは思う.これまでのところ,経済学者たちが MMT の文献をじっくり調べてみても,ネットミームにとどまらないまとまった理論と言えるものはないという結論になってる――そこにあるのは,特定の政策を支持するあれこれの論証であって,経済の仕組みを十全に展開してはいない.(MMT を主張する人たちは〔意見がちがう人たちへの〕軽蔑がはげしくて,ソーシャルメディアでの攻撃がきつい.当然ながら,あたかも経済学者たちが MMT 文献をまじめに読んでいないかのように彼らはほのめかしてる.)

ともあれ,MMT は 2018年ごろにはずいぶんと興味関心を集めていた.あの頃は,アレクサンドリア・オカシオ=コルテスや「サンライズ・ムーブメント」〔気候変動対策に取り組む非営利団体〕が MMT の言い分に耳を傾けていた.でも,最近だと,MMT グループや彼らのアイディアへの関心は薄れはじめている:

この数ヶ月でインフレ率が上がってきて,MMT の信用は失われたと主張し出す人たちも一部にいる.なぜ信用が失われたって話になるかっていうと,MMT の人たちが総じて主張してることに,こんなのがあるからだ――「過剰な政府支出によって生じうるマイナスの影響はただひとつ,インフレだけだ.」 …で,まあその,アメリカはいっぱい政府支出をやって,そして,インフレが見えはじめているわけですよ.もちろん,MMT の人たちは「ちがう,そうじゃない」と言ってる.いはく,「インフレは一時的なものだ」「財政政策によって引き起こされたのではない」「これに対処するには,〔中央銀行による〕金利引き上げではなく,価格が上昇してる部門の市場に政府が直接に介入して当たるべきだ」(この3つ目の言い分が,MMT の前身に当たる機能的ファイナンス理論とちがうところで,機能的ファイナンス理論では財政緊縮こそインフレ制御の正しい方法だと主張する.)

ともあれ,以前のブログで MMT モデルを詳しく検討した記事を引っ張り出してくるのにちょうどいい頃合いだと思って,ここに再掲する.MMT では,計量的で具体的なモデルはあんまりつくらない――たいてい,言葉をふんだんに使った解説と政治色が濃厚なオンライン罵倒合戦との組み合わせに頼っている.ただ,たまにモデルを出すこともある.そして,MMT のモデルを眺めてみると,そのイデオロギーの要点をつかむ助けになってくれた.同時に,モデルを眺めて見たあとには,疑問点もたくさん残った.これは記事の最後で指摘している.

警告: この記事はちょっとばかりマニア向けになってるよ.

〔ここまでが2021年11月20日の追加分〕


現代金融理論〔または現代貨幣理論〕こと MMT ってなんだろう? アレクサンドリア・オカシオ=コルテス議員はこの異端の経済学理論にお熱になっているし,グリーン・ニューディール論議にも MMT は参入してきた.MMT に触発されてたくさんの論考や批判が登場している.MMT はどんなことを言っているんだろう? MMT がよい理論かダメな理論かみわけるにはどうすればいいんだろう?

どれも,すごく重要な問いだ.オカシオ=コルテスとグリーン・ニューディールのおかげで,このあいだまで誰も聞いたことがない異端のアイディアだった MMT は,あっという間に経済学でもとびきりの影響力と重要性をもちうる存在に変身を遂げた.

形式的モデル基盤の理論 vs. 導師(グル)基盤の理論

いまどき,たいていの経済学理論は数理モデルの集合体になっている.この理論はどんなことを言ってるんだろうと知りたくなったら,そこに出てくるモデルを腑分けして自分で確かめればいい.ニューケインジアンの理論がなにを言っているのか知りたければ,わざわざマイク・ウッドフォードに質問しにいかなくていい.リアル・ビジネスサイクル理論がなにを言っているのか知りたければ,べつにエド・プレスコットに教えを請わなくてもすむ.ニューケインジアンのモデルなりリアル・ビジネスサイクル理論のモデルなりを読んで,自分で知ればいい.

そこが MMT はちがう.MMT の背後にあるあれこれの概念を饒舌に説明してくれたり MMT が推奨する政策案を教えてくれたりする人は大勢いるし,そういう動画もたくさんある.でも,それは経済の形式的モデルがあるのとはちがう.MMT を批判して,トーマス・パリーはこう書いている:

経済政策に関して決定的に重要な問いはこれだ――赤字支出をまかなう能力は,政府が物価を安定させつつ完全雇用をすすめられるかどうかにどう影響するのか? この問いに答えるには,赤字支出をまかなう能力を理論的モデルのなかに位置づけて,そこから得られる含意を検討するしかない.(…)MMT を提唱する人々には,[単純な数理的]モデルを提示して自分たちの主張の論理と独創性を理解・評価しやすくする専門家としての義務がある.だが,[MMT を提唱するエリック・ティモーニュと L.ランドル・レイは]またもモデルを産み出せていない(…).MMT論者がモデルを生み出せたなら諸々の問題は透明になるだろうと私は確信しているが,同時に,読者がそのとき目にするのは「そこにはそこが無い」〔=実質がない〕ということだろう.

さて,経済学の数理モデルを批判するのが好きな人たちは多い.たしかに,数理モデルには欠点がある.ときに,数理モデルの精密さに入れあげすぎて数学を現実世界につなげる必要があるのを忘れてしまう経済学者もいる.また,数学を駆使するのが難しくてモデルを単純にしすぎてしまう場合もある.

もっと言うと,パリーはあまりに厳格に数学を要求しすぎているところも少しある.形式的なモデルは方程式でなくても英語やグラフでだって表現できる.

ただ,形式的モデルには重要な長所がある.1つ挙げると,よい形式的モデルは計量データとつきあわせてそれがうまくいってるのか失敗しているのか調べられる.形式的モデルは検証しやすい予測を立てられる.

形式的モデルの第二の長所を挙げると,えらい導師(グル)に聞かなくても自分で考えられる.なにか欠点を見つけたと思ったときにも必ず導師にその理論が言っていることを問い合わせなくてはいけないとしたら,懐疑派や部外者の立場からその理論を客観的に評価するのはほぼ不可能になってしまう.

MMT を取り扱うときには,この後者の問題がしょっちゅう出てくる.最近のポストで,この理論がいかにもとらえがたいことにブラッド・デロングがいらだちをあらわにしている:

「機能的ファイナンス」はアバ・ラーナーにさかのぼる考え方だ(…).「機能的ファイナンス」が MMT の核心部分にあると言ったら,すぐさまこの導師たちの1人にとがめられてしまった(…).ぼく(や James montier)が「MMT はラーナー説+だ」と言うと[L.ランドル・]レイがをそうじゃないとはねつけたがる理由は,たぶん,社会学的なものなんだろう.おそらく,MMT はモデル基盤(「IS 曲線がほぼ垂直になった IS-LM」)でもなくアイディア基盤(「機能的ファイナンス」)でもなくて導師(グル)基盤なんだろう.(強調は引用者)

MMT を機能的ファイナンスとひとくくりにしたのは,デロングと Montier だけじゃなかった.Aryun jayadev と J.W.Mason も MMT を評価しようとして同様のことを書いて,そこから,Josh Barro が MMT を独自に批判して同じことをしている.Mason, Jayadev, Barro は,増税してインフレを制御するのは政治的にとても難しい点をあげて MMT を批判した.増税によるインフレ制御は機能的ファイナンスではせざるを得ないことで,MMT 提唱者の一部はこれが必要なのに同意している人たちもいる.

でも,こうした批判に対して返ってきたのはこんな話だった:「いや,MMT による財政政策へのアプローチはただの機能的ファイナンスとはちがうよ.ぜんぜんちがう.」 MMT インサイダーの Rohan Grey は Twitter でこう発言している:MMT には,インフレをおさめるのに財政政策以外のツールがある.MMT インサイダーの L.ランドル・レイはブログでこう書いた――MMT が物価安定に使う主なツールは連邦政府の《雇用保障》だ (Job Guarantee; JG) :

そう,MMT には物価安定を維持するツールが他にもある.完全雇用への JG アプローチがそれだ.これまでずっと,JG は MMT の中核要素をしめてきた.Mason が述べたような,機能的ファイナンスの単純すぎるバージョンに依拠したことは一度も無い.5分ほど調べ物をすればこの点はわかるだろう.

実に見事な反論だ.いつでも理論は誤解されてしまうものだ.Mason, Jayadev, Barro, Montier, デロングがそろって MMT を機能的ファイナンスとひとくくりにしたのは大間違いだったという話は完璧にありうることではあるし,5分ほど調べ物をすればそれがわかるというのも完璧にありうる.

でも,5分の調べ物ってなんの調べ物なんだろう? MMT の物価安定政策が機能的ファイナンスとどうちがうのか知りたいときには,なにに目を向ければいいんだろう? レイのブログを信頼する? それとも,グレイのツイート? あるいは,ウェブ上のあれこれの解説? それとも解説動画? それとも MMT を提唱する人たちが書いたたくさんある論文のどれか? じゃあどの論文?

MMT には形式的モデルが含まれていない場合が多いので,インフレが起こる仕組みを MMT がどう考えているのかって疑問は自分で答えようにもすごく難しい.同じことは,他の疑問にも当てはまる.たとえば,MMT の《雇用保障》が物価を安定させつつ完全雇用をどう実現するのかといった疑問がそうだ.MMT の人たちに尋ねてみるしかない.

とはいえ,「形式的モデルがめったにない」のは「形式的モデルがひとつもない」のとはちがう.たまに,MMT の人たちも経済がどう機能しているか(あるいは機能するかもしれないか)について形式的な記述を書き表すことがある.その一例は Pavlina R. Tcherneva の「独占貨幣:価格設定者としての国家」だ.

MMT モデルの一例を検討する

独占貨幣:価格設定者としての国家」では,《雇用保障》がどう機能するのかの考えを解説している.形式的モデルの話は p.130(PDF の7ページ目)からはじまっている.

「概念的枠組み」のモデルがこれだ:

【概念的枠組み】
まずは,政府が支払う各種の価格と民間部門から政府が受け取るモノの量の基本的な関係を示そう [n.2].これは,Mosler による分析「ソフト通貨経済学」(Soft Currency Economics) で概観されている次の因果関係にもとづいている:

#1. 政府は実物の財 (goods) とサービス (services) を必要とする (g&s).
#2. 政府はドルで課税する.ドルを必要としてそれとひきかえに実物の g&s を提供する売り手をつくりだすのがその目的だ.
#3. 政府は望まれる g&s を購入する.
#4. 政府は通貨の独占的な発行主体だ.したがって,政府は g&s にみずからが支払う価格を決定する最終的な力がある.すなわち,価格は外生的だ.

政府は人々に税金をドルで支払うように要求する.そのドルを手に入れるには,人々は政府のためにはたらくしかない.そこで人々は政府のためにはたらく.なにしろ,税金を払うにはそれしか手がないからだ.

さて,人々が政府のためにはたらいて税金を払う仕組みがどうなっているか,その正確なところを見てみよう:

【モデル】

各項目と条件は次のように定義される:

人口 (Population; M):10人.
T: 経済の課税額.
P_L: 消防士1人あたりに政府が支払う賃金.
Q_L: 消防士として政府のためにはたらく労働力の量
0<Q_L<M, ただし Q_[L, M] はこの経済の最大キャパシティとする(M=10人).
G: 政府支出.
Gd: 政府債務.
I: 総投資.
S: 総貯蓄.
H(nfa): この経済で税金の支払いに求められる通貨建て〔e.g.ドル建て〕の正味の名目貯蓄

【仮定】
#1. T〔課税額〕は固定されている(固定資産税はその好例).
#2. 課税期間は1つしかない.

このモデルは次の会計等式から出発する:

G + I = T + S
(政府支出 + 総投資 = 課税額 + 総貯蓄)

この等式を書き換えるとこうなる:G =T + (S – I), ここで (S – I) = H(nfa)=Gd.
〔政府支出 = 課税額 +(総貯蓄 – 総投資),(総貯蓄 – 総投資)=正味の名目貯蓄=政府債務〕

【事例1】
#1. この経済はただひとつのサービスすなわち消火活動だけを生産する.⇦
#2. 政府の唯一の支出項目は消防士の賃金の支払だ.
#3. H(nfa)=0(本稿のモデルでは政府債務には引当金はないと仮定する.)
#4. T=$10――社会全体に請求される税金の総額.
#5. 労働力は分割できない(雇える消防士は1人,2人,3人だ〔2.4人とかそういうのはダメ〕
#6. 労働時間は分割できない.どの労働者も,課税期間全体にわたってフルタイムで雇用される.
#7. 会計の最小単位は $1.00 とする.
#8. P_L すなわち労働力の価格は政府によって設定される.

すでに,このモデルの潜在的な問題が見えてきている.この経済全体のみんなが死んでしまうという問題だ.

赤い矢印をつけている部分に注意してほしい.この経済は1つのサービスしか生産しない.消火活動だ.でも,消火活動でおなかはふくれない.だから,文字通りにこの経済で人々がやることが消火活動だけだとしたら,みんな飢え死にしてしまう.

www いやまあ,これはきっと意地悪すぎるよね.たぶん,この経済の人々はモデルにない部分でなにか他のこともやっているんだろう――農業とか製造業とか,いろいろと.なにしろ,Tcherneva は T〔課税額〕が「資産税」でありうると述べていて,しかも,このモデルには資産は含まれていない.そこで,モデル外に他のモノもあるのだと仮定しておこう.人々が飢え死にしたり凍え死んだりしないように.

でも,それでもまだ疑問は残る.そもそも,どうして政府は消防士を必要とするんだろう.火事がひとつもなかったとしたら? もし,実際に消火活動に当たるのに必要となる以上に消防士の人員を雇ったなら,たんに資源の無駄遣いにしかならない――人々に無益な労働をさせて,自給農業かなにかの仕事から遠ざけてしまう.無用の消防士を政府が雇えば雇うほど,この経済の一人一人が貧しくなっていく.(極端な場合を言えば,みんなが政府のために非生産的な仕事に労力と時間を注ぎ込まなくてはいけないときには,みんなしてほんとに飢え死にすることになる)

ともあれ,モデルの話を続けよう.

この式から外挿すると,税金で T ドルを手に入れるためには,民間部門は QL =T/PL サービスを政府に売らなければならないことになる.Figure 1 を見てもらうと,点 A, B, C, D は対応する賃金水準 (PL) で民間部門から政府に移転された労働の数量 (QL) を示している.つまり,課税総額が10.00ドルのとき,さまざまな賃金ごとに消防士として自分の労働を売る人々の数を示している.

労働者と賃金は分割できないので〔整数でないといけないので〕,Figure 1 のグラフは連続的な曲線ではなく個別の点で成り立っている.たとえば,冒頭の仮定〔最小単位は 1.00ドル〕のもとでは政府は消防士 1.5人を雇うわけにいかないし,労働への対価として 2.5ドルを払うわけにもいかない.

点 A が示すのは,消防士1人当たり政府が10ドルを提示した場合に雇えるのは1名だけだということだ.点 B, C, D からは,賃金がそれぞれ 5ドル,2ドル,1ドルだったとき,雇用される消防士は2人,5人,10人となるのが見てとれる.これら以外に点はない.H(nfa)=0 だからだ.

政府は10ドルで消防士を1人雇ってもいいし,1ドルで消防士10人を雇ってもいいわけだ.(この世界にセントは存在しないとのことなので,1人当たり 2.50ドルで消防士4人を雇ったりはできない.奇妙だけどよしとしよう.)

すると,こんな疑問もわいてくる:このモデルでは,どうして消防士としてはたらいてもいいと思う人が現れるんだろう? Tcherneva によると,人々は税金をドルで支払う必要があるんだという.でも,その税金を払うのは誰なんだろう? Tcherneva は「社会全体に」請求される税額は 10ドルだとまでは具体的に言っている.でも,その請求された税金はどうやって支払われるんだろう? 社会全体がひとまとめに納税するんだろうか?

政府が消防士を1人だけ雇うことに決めたとしよう――この消防士をスーザンと呼ぼうか.スーザンは,消防活動に従事して10ドルを受け取る.他のみんなは0ドルだ.政府は,スーザンに10ドル課税して他の全員は税金ゼロにするんだろうか? どうやらそうするらしい.スーザンが10ドルもっていて他の全員は文無しなんだから,政府が10ドル手に入れるにはスーザンに10ドル課税するしかない.

じゃあ,そもそもどうしてスーザンは消防士なんかやろうと思うんだろう.消防活動には労力がかかる.そんなことせずに,他の9人と同じく消防士の仕事をやらないことにすれば,スーザンはくつろいでネットフリックスを見てもいいし畑で食料をつくってもいいし,とにかくこのモデルで消火活動をしないときに人々がやるようなことをやっていればいい.スーザン以外の誰かがドルを手に入れて税金を払ってくれるだろう.だって,消防士の仕事をしないでいれば税金はゼロなんだよ.課税しようにもドルなんてもってないんだもの.

というわけで,このモデルでは課税があまり意味をなしていない.このモデルでは誰が実際に税金を払うのか説明してないからだ.そこんところがわからないと,消防活動に政府が提示する対価・価格を人々がどうして受け入れるのかが理解しがたい.

でもまあ,いいや.とにかく人々がはたらくなんらかの理由はあるにちがいない.もしかすると,政府はみずからが提示する価格で人々をはたらかせるのかもしれない.この場合,人々は実質的に政府のために奴隷労働をやっているのにひとしい.

それって…ひどい話に聞こえない? ちょっとばかり植民地主義っぽく聞こえるよね.かつて,ヨーロッパ各国が自国の軍隊をアフリカやラテンアメリカやインドにおくりこんで宗主国の主人たちのために現地住民をはたらかせていたっていうアレだ.

ここまで読んだところで,こんな風に思ってる人もいるだろう,「ノア,おまえクソだな.MMT のアイディアを植民地主義に結びつけて MMT の人たちを中傷するなんてどういうつもりなんだよ.フェアじゃないだろ!」 でも,植民地主義になぞらえたのにはそれなりの理由があるんだよ:この論文の前の方で,Tcherneva 当人がそうしてるんだもの.アフリカにおけるヨーロッパの植民地主義は「税駆動の通貨」(Tax-Driven Currency) のうまくいった事例として明示的に示されている.

植民地時代のアフリカ: 税駆動の通貨の例示

アフリカの植民地経験を研究する歴史家たちは,ヨーロッパの植民者たちがどうやって新通貨を確立させ,これに価値を与え,この通貨と引き換えにアフリカ人たちに財とサービスを提供させることができたのかをしばしば述べている.

[マラウイでは]1896年に植民地全体に小屋への税金として3シリングを年1回支払うことが義務化された.北部地域にとって,これは高額だった.[シリングで払ってくれる仕事を見つけるための]労働移住がさらに刺激されたのは疑いない.だが,マラウイ南部では,アフリカ人たちは(商品を売って)税に対応する方を好んだ.このため,南部の(ヨーロッパ人)植民者たちは労働が不足し,さらに高い課税を余儀なくされた.1901年に税額が6シリングに引き上げられ,しかも,最低1ヶ月間はヨーロッパ人のために働いたと証明できる場合には3シリングの免除が認められた.この「労働税」はすぐに効果をもたらした.南部の労働市場は人があふれかえった(…).このように,十分に高ければ課税は人々を賃金就労に追い込めるのだ (Stichter 1985, 26-28).

課税してヨーロッパの通貨で税金を支払うよう求めることで,アフリカ経済は貨幣化された.税金の支払がそれまでアフリカで未経験だったわけではない.新しかったのは,税金をヨーロッパの通貨で支払うようにとの要求だった.ヨーロッパ通貨での納税義務は賃金労働の普及と並んでアフリカ経済の貨幣化にとっても決定的に重要な方策だった (Ake 1981, 33-34).

アフリカのなかでも,アフリカ人が土地を所有していた地域では,植民地政府は価格がどうであろうと換金作物の栽培をアフリカ人に強制した.そのために好まれた方法は課税だった.貨幣による納税はさまざまな物品に導入された――牛・土地・住宅・そして人間そのものにもだ.人々は換金作物を育てたりヨーロッパ人の農場・鉱山で働いたりして,税金を支払うための貨幣を入手した[Rodney 1972, 165, 強調は原文のもの].

課税は労働者を〔賃金労働市場に〕引きずり出す方法にはなったが,課税では現金のさまざまな出所は区別されなかった.大半のアフリカ人たちは,税金を支払うには[指定された価格でヨーロッパ人に]作物や家畜をただ売るしかなかった.だが,アフリカ人たちが売れる物品に事欠いていたり市場が遠かったりしていた地域では,課税は労働者を生み出すことができた (Stichter 1985, 26).

植民地アフリカの事例は,いかにして課税が新通貨の立ち上げを推進する役目を果たしうるかを例示している.植民地化以前には,アフリカ人たちの地域社会は自給農業や内部での交易に従事していたため,ヨーロッパの通貨をほぼ必要としなかった.アフリカを植民地化したあと,ヨーロッパ人たちは課税にもとづく制度を採用して新通貨に多大な価値をもたらした.植民地政府は換金作物や賃金労働といった現実の財やサービスを必要としていたので,住民たちにヨーロッパ通貨での納税義務を課した.課税によって地域社会の人々は,納税義務を果たすために,財および/または労働を植民者たちに売って引き換えに通貨を手に入れざるを得なくなった.課税は,アフリカ人たちを換金作物やみずからの労働を売るように強制する非常に効果的な手段なのがわかった.

論文 p.135(PDFの12ページ目)で,Tcherneva ははっきりこう述べている――政府が消防士への対価を設定した事例は「アフリカの例だ.」 というわけで,そう,政府が価格を設定するモデルでは,その数量も政府が設定することになっている.つまり,政府が人々を強制的にはたらかせるわけだ.

あまりぼく個人の意見の表明を前面に出したくはないけど,でも,「アフリカの例」はマズそうに思える.強制労働は――ことによるとジェノサイドにいたりうる強制労働は――ぼくがのぞむタイプの「雇用保障」ではなさそうだ.

「Tcherneva はなにか他の選択肢を提示してないの?」 してる.彼女の論文 p.134(PDF の11ページ目)に出てくる「事例2b」(“case 2b”) で,Tcherneva は強制労働の仮定をゆるめて,労働者たちの価格が(したがって同時にその数量も)市場によって設定されるようにしている.また,Tcherneva は労働組合が労働者たちを組織して税金のドルとひきかえに彼らが提供する労働の数量を減らすかもしれない可能性の余地も用意している:

このモデルでは,政府が確保する労働者の数量や労働者それぞれが手にする対価の額を政府は決定できない.政府が決められるのは,労働力に支払うドルの総額だけだ.それどころか,Tcherneva が示唆しているように,ほんのわずかな労働で政府のドルすべてを労働者が手に入れられるように労働組合が動くことすらありうる――労働者にとってはいいことだけど,ほんとに火事が起きたときにはわるいニュースになる.

ともあれ,この新しいモデルはさっきほどおそろしげな感じはしない.でも,根本的な問いにはまだ答えてくれてない――「どうしてこの消防士たちが必要なのか」「正確なところ,こうした税金を支払うのは誰なのか」といった問いが未解決だ.ただ,少なくとも,税金の支払に必要となるお金と引き換えに政府のためには人々がやらざるをえなくなる無用かもしれない労働の数量は,市場の力か組織された労働者たちのどちらかがこれを最小限にとどめることができる.植民地時代アフリカではあっても労働組合はあるという状況だ.

(Tcherneva はもっと他にもいろんな事例を述べている.たとえば,政府が公園のベンチを購入する事例やのぞまれる正味の貯蓄がゼロでない事例だ.でも,そうした事例のどれひとつとしてさっきの基本的な問いのどれにも答えていない.ただ,ぼくの言葉を信用してすませずに論文を確かめてみてほしい.)

ともあれ,この形式的モデルはとても有用だ.これのおかげで,MMT のいろんなアイディアを注意深く精密かつ明示的に分析できるようになるんだもの.このモデルのおかげで,MMT の潜在的な問題点を突き止められるようになる.たとえば,雇用保障が非生産的な苦役となるのかどうか,ぼくたちが社会としてのぞむようなものなのかどうかといった問いをはっきり考えやすくなる.

MMT へのさらなる疑問点

まだまだ,MMT について理解したいと思ってるけどわからないことはたくさんある.

たとえば,政府が雇用保障を実施して,物価安定を実現するのにふさわしい水準に債務・信用政策その他もろもろを設定したものの,所得や富の格差がまだまだのぞましい水準をこえていたとしよう.このとき,物価安定や完全雇用の目標をさまたげることなく格差を減らすのに使える政策はどんなものだろう?

また,MMT を実証的に検証する方法も知りたい.マクロ経済の各種総量その他の数量について,MMT はどういう具体的な予測を立てるんだろう.そういう予測がなされれば,たとえばオールド・ケインジアンの IS-LM モデルや金融摩擦をとりいれた ニューケインジアンのモデルに比べて MMT が経済をよりよく記述しているかどうかを判断できるようになるだろう.

また,MMT は経済の生産性をどうモデル化するんだろう? 火事がおこらないのに消防士を大勢雇うのは生産性を下げる影響を及ぼし生活水準を低下させそうに思える.MMT は生産性は外生的だと仮定するんだろうか,生産性の低下はいつでも完全雇用の重要性に比べれば二次的な関心事だと仮定しているんだろうか,それとも,生産性への打撃となり得るものに対処する他の方法がなにかあるんだろうか?

L.ランドル・レイのブログ記事やウェブ上の長文の解説や饒舌な MMT 論文を読んでも,こうした問いや他の重要な問いに自力で答えられる自信はない.上記の Tcherneva モデルみたいに具体的で形式化されて十分に限定されたモデルが読めて,ぼくが自分でこういう問いに答えられたらいいのにと思う.その点は,MMT 以外の経済学も同様だ.

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