ブランコ・ミラノヴィッチ「今や人類に希望は存在しない?」(2022年7月15日)

今日の世界状況が、第二次世界大戦後において最悪であるという事実は、過剰表現でもなく、私だけが言っているわけでもない。

Hopelessness?
Posted by Branko Milanovic on Friday, July 15, 2022

今日の世界状況が、第二次世界大戦後において最悪であるという事実は、過剰表現でもなく、私だけが言っているわけでもない。今や我々は、核戦争の危機に瀕している。これを万人に納得させるのに、多くの言葉は必要とされていない。

問題となっているのは、なぜこうなってしまったのか? そして解決策はあるのだろうか? ということだ。

我々がどのようにして現状に至ったのかを理解するには、冷戦の終結まで立ち返る必要がある。西側諸国は、冷戦の集結を、対ロシアにおける全面的な勝利と解釈した。一方、ロシアは、資本主義と共産主義とのイデオロギー間闘争の集結と解釈した。ロシアの視点では、我らは共産主義を放棄しただけで、資本主義国家として他国と並んだだけに過ぎない、ということになる。

今日の対立の根源は、この誤解にあるのだ。この件については、既に多くの本が書かれており、これからもっと大量に書かれるだろう。しかし、原因はこの件だけにあるのではない。1990年代にヨーロッパとアメリカが悪い状況へと向かったのは、(旧)西方諸国と(旧)東側諸国が共に好ましくない方向へと舵を切ったからである。西側諸国は、内政では規制緩和を推し進める新自由主義的な政策を採用した。さらに、外交では軍事ブロックを必要としない世界を構想し、社会主義の根絶を目的に好戦的な拡張主義政策を展開した。(旧)東側諸国は、経済では民営化と規制緩和を受け入れる一方、国家的独立を果たしたことで排他的なナショナリズムである国家主義的イデオロギーを受け入れた。

こうした東西の極端なイデオロギー化は、善意の人々の理想とは真逆のものであった。西側諸国による植民地戦争や準植民地戦争、ソ連による侵略が終わった後、善意の人々は、二つの体制は収斂し、両陣営は温和な社会民主主義国家となり、戦争の原因となる軍事同盟は解体され、軍国主義の終焉する世界を望んだ。全てが叶わなかった。一方の体制が片方の体制を全て飲みこんだのである。社会民主主義は死亡するか、富裕層に取り込まれ堕落した。冒険的な体外侵略と、NATOの拡大を通じた軍国主義が新たなる規範となった。旧第三世界では、西側の勝利によって、植民地主義との闘争が再解釈された。結果、旧第三世界での進歩的な要素が全て排除されたのである。このため、植民地支配から開放された国々での、大規模な腐敗が助長された。

「トリビアリスト(矮小主義者)」〔細かいことは気にしない論者〕と呼ばれる一部の知識人は、洞察力の欠如と、関心への利害関係の混在によって、1989年の革命を、自由主義・多文化主義・民主主義による革命だと宣言した。彼らは、革命が多文化主義や寛容に基づいているなら、〔ユーゴスラビア等の〕多元国家の解体は必要とされていないことに気づかなかった。それどころか結果的に、〔多文化主義や寛容の名の元での〕多元国家の解体は、多文化主義と真逆のものとなった。こうして、ナショナリズムと民主主義の混同が行われたのである。
〔訳注:冷戦終結後東欧等で、民主主義・多元主義・民族自立の名の元に、多元国家が解体され、新しい民族国家が創出された事例を指していると思われる〕

トリビアリストらは、第二次世界大戦後の進歩を覆すことに成功した。彼らにとって、発展と進歩とは、市場(資本主義)経済と社会主義の最良の組み合わせや、世界情勢における権力政治を排除や、国連による規則の遵守を意味していなかったのだ。トリビアリストによる新しい歴史認識の元での進歩とは、内政では野放しの市場経済、外交では不平等的な権力による「自由な国際秩序」、イデオロギー的には独自の「野卑(ペンセ)」を意味していた。

「進歩」は平和的な社会民主主義的資本主義ではなく、新自由主義と同義となり、反対する全ての勢力への戦争が許容されるようになった。内政での社会主義と資本主義の穏やかで無難な混合、外交でのあらゆる国家の対等化に代わって、内政では富裕層が厚遇され、外交では大国に便宜が図られるようになった。準植民地支配への奇妙な回帰である。最初の「自由主義の勝利」の時にも同じ現象が起こった。

しかし、今から振り返ると、これら冷戦後の展開はほとんど宿命付けられていたように見える。1989年の革命を煽った東欧の凶暴なナショナリズムは、最終的にその地域の最強国家をも飲み込んでしまった。ロシアである。どの国でも、外国人排斥主義は同じ姿を見せる。エストニアでもセルビアでもウクライナでもロシアでもアゼルバイジャンでも変わらない。しかし、国が大きければ大きいほど、それはより不安定となり、帝国主義的となる。東欧から始まった民族主義革命は、今やロシアで鎖を解き放たれ、究極の民族主義革命となった。東欧での「開放」、ロシアでの「失地の回復」。これは、同じイデオロギーに基づいた運動である。

内政での富裕層の厚遇・外交での権力者支配が、イデオロギーとして定着し、改善の希望は見えない。国家間・経済的平等への希望も見通しが立っていないのが現状である。この悲惨な現状への責任の多くは、不平等という悪質なイデオロギーを定義・推進・擁護した知的エリート「トリビアリスト」達にある。絶望は、人類の一部が絶滅の危機に瀕している現在だけにあるのではない。未来をも包んでいる。進歩的な思想は、汚され、改造され、消滅してしまった。「自由」の名の下に、中世の闇が降りてきている。

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