アダム・トゥーズ「チャートブック122:何がインフレを引き起こすのだろう?」(2022年5月17日)

物価の高騰が相変わらず新聞の見出しを賑わせている。物価高騰の影響を一番強く感じているのは、裕福でない人たちだ。生活費の危機が叫ばれ、公衆衛生にも影響を与えている。 一方、金融政策では、インフレの持続・加速への懸念が支配的な課題となっている。中央銀行は資産の買い入れを終了し、金利を引き上げている。 しかし、実際に何が現在のインフレを引き起こしているのだろうか? 大西洋の両岸では、アナリストたちが物価上昇の原因を突き止めようと躍起になっている。分析の結果は驚くべきものだ。

Chartbook #122: What drives inflation?
Posted by Adam Tooze on May 17, 2022

物価の高騰が相変わらず新聞の見出しを賑わせている。物価高騰の影響を一番強く感じているのは、裕福でない人たちだ。生活費の危機が叫ばれ、公衆衛生にも影響を与えている。

一方、金融政策では、インフレの持続・加速への懸念が支配的な課題となっている。中央銀行は資産の買い入れを終了し、金利を引き上げている。

しかし、実際に何が現在のインフレを引き起こしているのだろうか?

大西洋の両岸では、アナリストたちが物価上昇の原因を突き止めようと躍起になっている。分析の結果は驚くべきものだ。

アメリカについてだと、経済政策研究所(Economic Policy Institute)のジョシュ・ビベンズが、1970年から2019年間の、様々な財の価格を上昇させた要因と、2020年第2四半期以降のアメリカでのインフレの要因を比較している。

情報源:経済政策研究所(Economic Policy Institute)

最近の数十年では、物価上昇の62%が単位労働コスト(賃金/生産性)を占めており、企業利益分は11.4%に過ぎず、残りは非労働投入コスト(エネルギー等)が占めている。しかし、2020年のCOVIDショック以降、アメリカの物価上昇率に占める賃金の割合は8%未満となり、企業利益が54%近くを占めるに至っている。エネルギー等の〔非労働〕投入コストは38%となっている。

こうしたデータは、2021年以降、アメリカの実質賃金(インフレ調整後の名目賃金)が低下している事実と整合的だ。

ユーロ圏でも、実質賃金は伸び悩んでいる。

ユーロ圏における実質賃金の急低下

ヨーロッパ中央銀行の〔次期専務理事〕イザベル・シュナーベルは、最近、興味深い概要発表を行って、経済政策研究所のデータと非常に一致するデータを示した。

ユーロ圏でも、2021年以降、単位〔企業〕利益が、単位労働コストよりもはるかに大きく物価上昇に寄与するするようになっている。2021年第3四半期は、ヨーロッパで真性のインフレが加速した瞬間である。

この〔インフレに占める賃金低下&企業利益増の〕不均衡が変化する何らかの可能性はあるのだろうか? 最近の四半期で観察される〔企業〕利益へのシフトを埋め合わせるような賃金のスパイラルの上昇が起こる可能性はあるのだろうか?

今、アメリカではアマゾンやスターバックで労働組合運動が成功したと騒がれている。しかし、マクロ経済の観点ではどうなっているのだろう?

国際決済銀行(BIS)のフレデリック・ボイッセイ、フィオレラ・デ・フィオール、デニス・イガン、アルバート・ピレス-テヤダ、ダニエル・リースらからなる研究チームは、タイムリーなワーキングペーパーでこの問いに取り組んでいる。ワーキング・ペーパーのタイトルは「主要先進国は、賃金スパイラルに瀬戸際にあるのだろうか?」だ。

彼らは、ベルギー、カナダ、デンマーク、スペイン、フランス、英国、イタリア、オランダ、ポルトガル、米国のデータを元に、近年の労働者の組織化による〔労働者の〕交渉力の著しい上昇シフトをあらゆる証拠によって示した。

労働組合の組織率は、先進国全体で低下している。過去30年間、〔企業の〕利益取り分が上昇する一方、賃金と物価の相関関係(これは賃金-物価スパイラルの一応の証拠となる)は、ゼロもしくは、マイナスにまで落ち込んでいる。

BISの研究チームは以下のように言及している。

…過去の賃金スパイラルに拍車をかけた物価スライド契約やCOLA(生計費調整)契約 [1]訳注:COLA(生活費調整)条項。物価上昇分を賃金に上乗せすることを労使間で約束する条項。主に1970~80年代のスタグフレーション期に導入された は、もはや一般化していない。ユーロ圏では、賃金規定にインフレを正規に対応する契約を結んでいる民間従業員の割合は、2008年の24%から、2021年には16%にまで低下している(Koester and Grapow (2021))。※2 アメリカでのCOLA契約の普及率は、1960年代には25%前後で推移していたが、1970年代後半から1980年代前半のインフレ期に約60%まで上昇し、1990年半ばには20%まで急激に低下している。※3

https://www.bis.org/publ/bisbull53.pdf

しかし、こうした安定性は続くのだろうか? 利益率や物価の高騰が引き金となるかもしれない。興味深いのは、BISの研究チームが、賃金と物価のスパイラルが実際にアメリカで生じているかどうかに関わらず、金融市場ではそうしたメカニズムが作用することを期待しているように見える、と指摘している事実だ。

… インフレ期待が上昇して不安定する兆候が見られる。これは、中期的な期待指標では最も明確となっている。専門家の予測では、以後2年間間でのインフレ率はヨーロッパの大部分とアメリカで4.5%以上、他のアジア諸国でも3.5%以上と予測されている。アメリカのように労働市場が最も逼迫している国では、求人倍率が金融市場での中期的なインフレ期待の原動力として存在感を増してきている(グラフ2の4枚目のパネル)。求人倍率は、賃金インフレを予測する上で大きな影響力を占めていることから、〔金融〕市場参加者による期待インフレには、将来の賃金上昇を織り込まれている可能性が高い。※4

https://www.bis.org/publ/bisbull53.pdf

実際の、賃金・物価のスパイラルは〔労働市場の〕どこに端緒があるのだろう?

外食産業や飲食店のようなサービス業セクターで働く人の大部分は、急速なインフレを経験している。ニュースレターOvershootでマット・クラインは、最近のアメリカのインフレ率について非常に鋭い分析を行っている(もし余裕があれば彼のニュースを定期購読することを勧める)。クラインは、マクロ経済の予測において、飲食店の食事代への注目が極めて重要であることを強調している。

飲食店で食事するコストは、経済全体の縮図となっている。従業員は、耐久性ある調理器具と腐敗しやすい材料を組み合わせて、食品を作り、注文を受け、掃除をする。オーナーは厨房のある店舗を借り、当局による該当地域での規制・義務に従わないとならない。また、飲食店を利用する顧客の多くは、外食を贅沢と考えているため、消費意欲(とチップ)は、顧客の財政状況や将来見通しによって敏感に変化する。

よって、「サービス込み食事・軽食」の物価指標は、物価指標全体のごく小さな構成要素であるにもかかわらず、中央銀行当局者が好む基調的なインフレ指標との間に、極めて密接な関係がある。しかし、〔飲食関係の〕物価指標の見通しはあまり良好となっていない。

逼迫する台所事情

密接な関係がある一方で、クラインが続けて指摘しているように、飲食店労働者の賃金は、2021年上半期に30%急騰した後、5%の上昇率に落ち着いているようである。

〔飲食店〕賃金の伸びは、恒久的に加速しているというより、職のリスクや他の職で得られる機会費用の変化に応じた一度限りの再調整のようだ。そして、飲食店の賃金は、飲食店の価格の上昇に先んじて上昇したので、この賃金上昇データは、飲食店の価格上昇がすぐにストップするかもしれないとの考えを裏付けている可能性がある。

BIS論文の著者らは、特定のセクターでの賃金上昇が、経済全体にどのように波及するかを比較するいくつかの時系列テストを行っている。これはクラインの分析と整合的だ。

歴史的に見ると、娯楽・サービス業における賃金上昇は短期的で、上昇賃金の他部門への波及効果は限定的である(グラフ3の1枚目のパネル)。小売業での賃金上昇からの、他部門への波及はやや持続的だが、それでも小さい(2枚目のパネル)。※5 製造業での賃金上昇は、歴史的に大きな波及効果があったため、最近の製造業での賃金上昇はより大きな危険性をもたらす可能性がある。※6

https://www.bis.org/publ/bisbull53.pdf
アメリカにおける製造業賃金からの複数セクターへの波及効果

製造業での賃金上昇は持続し、経済の他の部門にも波及するが、主要なサービス業セクターでの賃金上昇はそうならない傾向がある。BIS論文の著者たちが指摘しているように、アメリカ経済で最も組合組織率が大きい公共セクターを見る限り、〔最近の賃金上昇は〕労働者によって良いニュースとは言えない。

アメリカでは、民間セクターと公共セクターの賃金格差は、パンデミック以前から実際に拡大を続けている(Morrissey and Sherer(2022))。

https://www.bis.org/publ/bisbull53.pdf

現状のこの興味深い問題は―-やや学問的に言うなら―-ここ数十年で計測された持続的な低インフレを特徴とする統計的関係が、今後は急速な物価上昇を伴う時期に転じるのだろうか? というものだ。私たちは、権力関係が劇的に転換し、新たな歴史が作られる局面にいるのだろうか? 労働組合を組織しようとするクリスチャン・スモールズのようなカリス的な人物への熱狂の背後には、たしかに〔歴史が転換するかもしれないとの〕希望が潜んでいるのだろう。
〔訳注:クリスチャン・スモールは、2022年にアメリカのアマゾンで初の労働組合を結成した人物。〕

BIS論文の著者たちは以下のように指摘している。

…重要な問題は、低インフレ下で観察された経験的な規則性が、インフレが上昇しても持続的するかどうかである。〔コロナによって〕2021年に失われた購買力を埋め合わせようとする声が高まっているのは事実だ。例えば、イギリスでは労働組合が約10%の賃上げを要求し、フランスでは労働組合の一部が最低賃金の25%引き上げを要求している。アメリカでは、2021年後半のストライキを受けて、大企業の複数が、複数年賃金契約にCOLA(生活費調整)条項を盛り込むことに同意し、組合決済を求める声が高まっている。インフレ率は依然として上昇しているため、アメリカでは、最低賃金を2022年に既に引き上げたいくつかの州に追随して、最低賃金引上げの圧力が高まる可能性がある。公的セクターでの賃金は、国によっては団体交渉で決まっており、COLA条項が設けられてる傾向にある。よって、公的セクターでの賃金上昇は、民間セクターでの交渉の基準となる可能性がある。そして、もしこうした賃金上昇が実際に起これば、他の部門の賃金や物価への波及効果は、インフレ率が低かった〔少し前の〕時期よりも現在の方が大きくなる可能性がある。

https://www.bis.org/publ/bisbull53.pdf

むろん、忘れてはならないのは、波及効果を生み出すかもしれない主体は、労働者だけでない事実だ。利益率に関するデータが示しているように、企業や経営者は怠けていたわけではない。コロナの余波の中で、彼らは明らかに利益機会を察知し、利益を上げている。問題は、社会の他の影響力主体も同じようにできるかどうかにある。

このことを考えると、〔ヨーロッパ中央銀行次期専務理事〕シュナーベルの以下のような指摘を歓迎すべきだろう。

これまでのところ、名目賃金の伸びは鈍化しており、労働者はインフレ・ショックの矢面に立たされている。しかし、2021年後半にインフレ率が大幅に上昇し始めて以降、比較的小規模な賃金契約の再交渉が見られる。賃金チャンネルの強さは、労働者の相対的な交渉力に依存する。そして、交渉力は間違いなく強化されている。

シュナーベルがここで「労働者の交渉力」について率直に語っているのは印象的だ。彼女は、労働市場を、〔労働者を〕細分化された原子の集積として見なす〔経済学の〕理想化された見解に立っていない。雇用条件は、権力が関与する変数である集団的闘争によって決定されるとの見解を示しているのである。

自著『暴落 金融危機は世界をどう変えたのか』と『世界はコロナとどう闘ったのか? :パンデミック経済危機』に影響を与えた基本的な考え方の一つが、「中央銀行が過去20年にわたって享受してきたような権力を保持できたのは、中央銀行は著しく不平等な階級支配の世界で活動してきたことにあった」というものだ。「中央銀行の独立性」という現代のモデルは、1970年代の階級闘争〔による資本家の勝利〕と賃金・物価のスパイラル上昇から生まれた可能性がある。まさに、BISのデータが証明しているように、1990年以降になって、中央銀行は、様々な力を死滅させた世界を闊歩するようになった。労働組合主導の賃金・物価のスパイラル上昇や、選挙で選ばれた政治家による過度な財政出動の実施リスクがなかったからこそ、中央銀行は冒険的な金融政策を行えたのである。

コロナショックからの回復における第一段階での利益の急増は、私たち社会の状況が著しい不均衡である事実を裏付けている。インフレと賃金・物価の悪循環上昇に関する現在の議論は、多かれ少なかれそれは公然の、現在の階級格差的均衡が変化しようとしているかどうについての議論と同義である。もしそうだとすれば、今の変化は単に一過的なもの(例えば、労働市場の一時的な逼迫の影響にすぎない)のだろうか? それとも、新世代の労働組合組織のエネルギーの一部が物価上昇を突き動かし、より持続的な新しい均衡に至らせるのだろうか?

新しい均衡に至る可能性はありえないよう思える。しかし、こうした問いの提起自体に意味があるのは確かだ。分配の問題が、単なるドルやセントの問題ではなく、社会的権力の問題として提起された時、それははるかに重大かつ急進的なものとなる。つまり、経済の主軸を担っているテクノクラートの自立性への挑戦という本質的な意味を意味しているからである。テクノクラートからなる政策立案者達がどのような分配結果を選ぼうと(そしてその選択が多かれ少なかれ進歩的であろうと)、こうした問題提起はテクノクラートへの支配力と彼らが最適と信奉する結果への追求能力への挑戦となる。

BIS論文の著者たちは、〔自身らテクノクラートへの挑戦を〕無意識に感じ取り以下のように結論付けている。

政策立案者は、インフレ期待の変化と、過去に賃金・物価のスパイラル上昇を引き起こした制度的構造を復活させる潜在的な圧力に注意しなければならない。

https://www.bis.org/publ/bisbull53.pdf

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1 訳注:COLA(生活費調整)条項。物価上昇分を賃金に上乗せすることを労使間で約束する条項。主に1970~80年代のスタグフレーション期に導入された
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