人々はあれこれの活動時間をそろえることがよくある.たいていの人の勤務時間は朝9時から午後5時までで,午後10時から朝6時までではない.ひとつには,9時5時が日中だからという理由もあるけれど,それだけでなく,他のみんなもこの時間帯にはたらいているからという理由もある.じぶんと同僚が同じ時間にオフィスにいる方が,共同作業しやすい.さらに言えば,他の人たちもオフィスにいた方がはたらいていてたのしい.
(…)もっと一般的に言えば,多くの経済活動が同じ時間にかたまる(クラスタをなす)のは,他の人たちと調整して経済行動を合わせるのが割に合うからだ.すると,他の人たちが投資したり生産したり売ったりしてるのと同じ時間に,じぶんも投資したり生産したり売ったりしたがるようになる.ようするに,経済活動がちょうど空間でクラスタをなすのと同じように,時間でもクラスタをなす傾向をもつわけだ.(空間における経済活動のクラスタをなんて呼ぶ? 都市だ.)
労働時間を調整して合わせたいという欲求はショックを増幅する.そのため,景気循環に寄与しうる(そこで,ぼくらが書いた『経済学原理』教科書では伝送・増幅メカニズムの1つとして時間のかたまりを論じている.上記の引用はこの教科書の一節だ.)
人々は,「同じ時間にパーティをやりたがるし,他の人たちといっしょに映画やコンサートを鑑賞したがる」ので,はたらく時間だけでなく余暇でも調整して合わせたいという欲求がある.この余暇の調整が,ヤングとリムによる卓抜な論文の主題だ.論文のタイトルは「ネットワーク財としての時間:失業と標準労働時間からの証拠」で,Sociological Science に掲載されている (PDF).
アブストラクトから引用しよう:
本稿では,100万人以上の回答者による2つの独立したデータセットを参照し,次の点を示す.すなわち,勤労者でも失業者でも,週末に情動的な幸福 [well-being] が顕著に類似した上昇を示し,平日がはじまるとともにこれが同じように低下する.失業者も,週末を楽しみに待つ点は勤労者とよく似ている.その理由の大半は,勤労者でも失業者でも社交時間は週末に急激に増加することにある.週末の幸福 [well-being] は休暇そのものによるのではない.これは,社会で広く共通して自由時間が週末に当てられていることから派生して集合的にうみだされた社交財〔social good; 「社会善」〕である.他の人々が仕事に行っている平日に,失業者がはたらかない時間から得る便益は比較的に小さい.
同論文から引用した図2をみれば,基本的なストーリーはわかる.失業者と比べて勤労者の方がプラスの情動をより多く報告し(上図),マイナスの情動をより少なく報告しているが(下図),勤労者も失業者も週末の方がより幸福でストレスが小さい.
このように,自由時間そのものよりも調整した余暇の方に値打ちがあるわけだ.
調整の便益は,もっと長い時間の尺度でもあらわれる.今週,ジョージメイソン大学は春休みで,妻もぼくもいくらか自由時間がある.とはいえ,ざんねんながら,ジョージメイソン大学の春休みはフェアファックス郡立学校の春休みと調整されてはいないので,家族旅行のい計画は立てられないんだけどね.2週間後には,事情は逆転する.やれやれ.
ジョージメイソン大学が従業員たちの多くにとって春休みの値打ちを高めるには,フェアファックス郡立学校と調整すればいい――無料で教職員の給与を高める方法だ.どっかの天使さまがこれを可能にしてくれさえすればいいんだけど.
調整した余暇の便益を考えてみると,国民の休日が1日ある場合と,いわゆるフレックスタイムで誰もが1日休めるけれどその日付はバラバラになるかもしれない場合では国民の休日の方に値打ちがあるだろうとわかる.8月にみんなそろって休んでしまうフランス並みにしようとまでは言わないけれど,アメリカでは冬場にたくさん休日があって夏場には1日しか休日がないのはおかしい.ここはぜひとも調整して夏に国民の休日をつくりたいところだ.夏に3連休があれば,きっとみんなの幸福が高まる.