〔医学系学術誌〕『ランセット』の汚染と健康に関する委員会から,10数名の傑出した共著者たちが執筆した権威あるレビューが出ている.汚染物質(とくに鉛)が IQ に及ぼす影響について,異例なほど率直に記している.そこに出てくる数字のなかには,大きすぎるように思えるものもある(とくに第3パラグラフ)けれど,方向は間違いなく正しい.
神経に害を及ぼす汚染物質は,子供たちの認知発達を阻害することで生産性を下げうる.鉛その他の金属(水銀やヒ素)の接触・摂取は IQ の低下という数値で計った認知能力を低下させる.
認知能力の低下・喪失は,学業や労働力参加での成功に直接影響し,間接的に生涯所得に影響する.アメリカでは,1920年代から1980年ごろまで加鉛ガソリンが広く使われていた結果,何百万人もの子供たちが過剰濃度の鉛を体内に取り込んだ.使用量がピークに達した1970年代に,ガソリンに使用されたテトラエチル鉛の年間消費量は10万トン近くに及んだ.
これによって生じた無症状の鉛中毒によって,傑出した知能(IQ スコア130ポイント以上)をもつ子供の数を50パーセント以上減らしえただろうと推測されている.また,これにともなって,IQ スコア 70以下の子供たちの数も 50% 以上増加することとなったとも推測される(図 14 参照).
鉛が原因となって認知能力が低下した子供たちは学業がふるわなかったり,特別な教育やレメディアル・プログラムを必要としたり,成人後に社会に十分に貢献できなかったりした.
グロスと共同研究者たちの報告によれば,神経に害を及ぼす汚染物質によって IQ スコアが 1ポイント下がるごとに,平均生涯所得は 1.76% 低下する結果となる.さらに,サルケヴァと共同研究者たちは,この分析を拡大して IQ が学業に及ぼす影響も含めて検討している.彼らの報告によれば,IQ が 1パーセントポイント低下すると,平均生涯所得が 2.38% 低下する.2000年代にアメリカのデータを用いてなされた研究群は,それまでに発見を支持しているが,IQ 1ポイントの低下ごとに所得に生じる悪影響は 1.1% だと主張している.鉛摂取と IQ 低下のつながりの分析からは,鉛の血中濃度が 1μg/dL 増えるごとに,平均生涯所得がおよそ 0.5% 低下することが示唆されている.2015年にチリで行われた研究では,汚染地域で鉛を摂取した子供たちを追跡調査して,この影響はそれよりずっと大きいと主張している.ミュエニグによる2016年の分析では,幼い時期に鉛を摂取したために生じる経済的な損失は,たんに認知的な障害によって生じるコストだけにとどまらず,後に鉛を摂取した子供たちによる社会福祉サービスの利用が増加することで生じるコストや〔精神病院などに〕収監される確率の上昇も含んでいると主張している.