●Alex Tabarrok, “War Politics”(Marginal Revolution, April 14, 2004)
あれは、1995年のこと。経済学の世界で最も権威のある学術誌であるアメリカン・エコノミック・レビュー誌に一篇の論文が掲載された。その論文とは、“War Politics: An Economic, Rational-Voter Framework”。著者は、グレゴリー・ヘス(Gregory Hess)&アタナシオス・オルファニデス(Athanasios Orphanides)の二人。アメリカン・エコノミック・レビュー誌の長い歴史の中でも、一二を争うくらい物議を醸した論文の一つだ。
「国内経済の舵を取る能力」に、「戦争を指揮する能力」。有権者は、その二つのマネジメント能力を行政府の長(大統領)に求める。本論文では、そのようにモデル化されている。二期目を狙う現職の大統領が再選を果たすためには、「国内経済の舵を取る能力」と「戦争を指揮する能力」の二つのマネジメント能力の面で、挑戦者(対立候補)よりも秀でていることを有権者に納得してもらわなければならないというわけだ。
シンプルなモデルだが、その含意たるや、あまりに重大だ。一期目の任期中に国内の景気が好調であれば、現職の大統領は「国内経済の舵を取る能力あり」と判断されて一歩リード。「戦争を指揮する能力」に関してはこれといった証拠が無い限りは、現職の大統領も挑戦者も五分五分と判断される可能性が高い。となると、勝利するのは誰かと言うと、現職の大統領。無事再選というわけだ。その一方で、一期目の任期中に国内の景気が不調であれば、どうなるか? 「戦争を指揮する能力」に秀でていることを示す具体的な証拠を用意できない限りは、現職の大統領に勝ち目は無い。ここが重要なポイントなのだが、「戦争を指揮する能力」に秀でていることを示すには、実演してみせるしかない。戦争に打って出るしかないのだ。つまりはどういうことかというと、一期目の任期中に国内の景気が不調で、現職の大統領が二期目も狙っているとすれば、一期目の任期中に開戦の決断が下される(戦争が起きる)可能性が高いと予測されるわけだ。
戦争とは、「武力衝突を伴う国際的な危機のうちで、米国が直接的な軍事活動を通じて関与しているもの」。本論文では、そのような定義が採用されており、国際危機行動プロジェクトが収集しているデータを用いて、ケースごとに戦争の発生頻度(確率)が比較されている。具体的には、1953年~1988年の期間を対象にして、一期目の任期中に不況が発生した(国内の景気が不調である)ケースと一期目の任期中に不況に見舞われなかった(国内の景気が好調である)ケースとの間、および、一期目の任期中に不況が発生した(国内の景気が不調である)ケースと二期目の任期中 [1] … Continue readingとの間で、戦争の発生頻度に違いがあるかどうかが検証されている。戦争がランダムに起きるようなら、発生頻度に違いは無いはずである。ところがどっこい、だ。一期目の任期中に不況が発生したケースで戦争が起きる確率は60%。それに対して、一期目の任期中に不況に見舞われなかったケース(および、二期目の任期中)において戦争が起きる確率は30%。実に倍近い違いが確認されたというのだ。たまたまそうなる可能性というのは、およそ5%に過ぎないという。統計的な検証手法にあれやこれやの拡張だったり修正だったりが施されているが、同様の結果が得られている。
余計な付け足しかもしれないが、本論文のモデルは、これまでのところ(1988年以降の期間に関しても)高い予測力を誇っているようだ。
References
↑1 | 訳注;米国の大統領の任期は、最長で2期までと決められている。それゆえ、二期目の大統領には、再選を目指すインセンティブはない(=再選することを目的として、「国内経済の舵を取る能力」および「戦争を指揮する能力」を誇示する必要は無い)ことになる。 |
---|