●Willem Buiter, “The wonderful world of negative nominal interest rates”(VOX, June 4, 2009)
中央銀行にマイナス金利(マイナスの名目金利)の設定を求める声が幾人かの経済学者の間から上がっている。本稿では、名目金利のゼロ下限制約を乗り越えるための三つの手段――①現金の廃止、②現金への課税、③新通貨を導入して、(通貨が果たす諸機能のうち)計算単位としての機能と交換手段としての機能を切り離す――の検討を通じて、マイナス金利をめぐる基本的なポイントの説明を試みる。
私は、つい先頃までヨーロッパ中央銀行(ECB)の本店があるフランクフルトに滞在していた。フランクフルトを訪れた理由は、マイナス金利(および、名目金利のゼロ下限制約)がテーマの講演(pdf)の依頼を受けたからだった。どういうわけだか、マイナス金利をめぐる議論は、オバマ大統領を批判するのと同じくらい熱気のこもった感情的なリアクションを呼び起こすようだ。この話題については私も過去に論説のかたちで論じたことがあるのだが、その際に読者から寄せられたリアクションを踏まえて、今後この話題について論じる時には「この文章を読むと、健康を害する恐れがあります」との警告文を添える必要があるのではないかと考えたほどだった。その熱気や感情的なリアクションの原因は、マイナス金利に関する初歩的なロジックがびっくりするほど理解されていないせいだと思われるので、まずは基本的なポイント [1] 原注;ロバート・ホール(Robert Hall)らによるこちらの論説でもマイナス金利について取り上げられている。あわせて参照されたい。 から説明をはじめることにしよう。
本稿の目的は、金融政策に内在する非対称性――馬鹿げた非対称性――を取り除くための処置を論ずることにある。名目金利がゼロ%の現金なるものが存在するために、それ以外のあらゆる金融資産の名目金利はゼロ%以下にはなり得ない(実際のところは、現金の持ち運びにはコストがかかるので、銀行預金などの金融資産の名目金利は少々であればマイナスになり得る。しかし、この点はあくまで二次的な問題なので、以下では無視することにしよう)。その結果として、金融政策に非対称性が持ち込まれてしまうのである。どういうことか? インフレが過熱しそうであれば、中央銀行は自らが適当だと判断する水準にまで政策金利を引き上げて対処することになる。政策金利には、上限はない 。その一方で、デフレに陥りそうだったり、景気が悪化しそうなおそれがあると、中央銀行は政策金利を引き下げて対処するだろうが、政策金利はゼロ%までしか引き下げられない。政策金利には、ゼロ%という下限が存在するのである。政策金利がゼロ%まで引き下げられた後はというと、量的緩和や信用緩和をはじめとした非伝統的な金融政策(unconventional monetary policy)の出番ということになる。
名目金利と実質金利を混同しないように注意してもらいたいと思う。インフレの影響を除去した実質金利(=名目金利-インフレ率)が事後的にマイナスを記録した例は、これまでに何度もある。金融資産から得られる収益(名目金利)がインフレ率を下回ったためである。特にアメリカに言えることだが、今後インフレが起きて実質金利がマイナスを記録する可能性は十分にあるだろう。
もう一点だけ注意してもらいたいことがある。私としては、通貨やそれ以外の資産の名目金利なり実質金利なりをいつまでもマイナスにとどめておけと提唱するつもりはない。本稿の目的は、中央銀行が短期のリスクフリー(無リスク)金利――政策金利――を操る能力に内在している非対称性を取り除くための三つの手段について論じることにある。三つのうちのどれか一つでも採用されたら、マイナス金利への道が開かれることになろう。しかしながら、実際に政策金利をマイナスにまで引き下げるべきかどうかは、あくまでも実証的な問題である。ところで、FRBのスタッフがアメリカ経済の計量経済モデルに依拠して行ったいくつかの研究によると、ゼロ下限制約が存在しないとしたら(名目金利をマイナスにまで引き下げることが可能だったとしたら)、テイラー・ルールからはじき出されるFF金利(政策金利)はマイナス5%――FF金利をマイナス5%にまで引き下げるのが望ましい――との結果が得られている。もしも名目金利をマイナスにまで引き下げることが可能だったとしたら、主要な中央銀行は例外なく――Fedも、ECBも、イングランド銀行も、日本銀行も――、景気後退からの脱却を目指して疾(と)うに政策金利をマイナスにまで引き下げていたろうと思われるのだ。
ゼロ下限制約を乗り越えるための三つの手段
名目金利のゼロ下限制約を乗り越えるための手段としては、以下の3つが考えられる。
- 現金の廃止
- 現金への課税
- 新しい通貨(ルド)を導入するのと引き換えに、既存の通貨(ドル)を廃止する。そうして、計算単位(ニュメレール)と交換手段(支払い手段)とを切り離す。新たに導入されるルドが交換手段として用いられるようになる一方で、ドルはそのまま計算単位として機能し続けることになろう。加えて、政府によって、ドルとルドとの間に交換レート(為替レート)が設定されることになろう。ドルはもう交換手段ではなくなるので、ドルで測った名目金利に関してはゼロ下限制約は存在しなくなるだろう。その一方で、新たに交換手段となるルドで測った名目金利に関してはゼロ下限制約が存在することになるだろう。中央銀行が政策目標を達成するためにドルで測った名目金利をマイナス(例えば、マイナス5%)に設定する必要が生じたとしても、中央銀行が将来的にドルをルドに対して増価させる(今よりも5%だけドル高ルド安の方向に向かう)旨を宣言してそれが信頼されるようなら、ルドで測った名目金利はゼロ%を下回らずに済むだろう。
まず1番目の手段に関して言うと、政府が発行する現金が廃止されても、民間の支払い手段(銀行口座宛ての小切手、クレジットカード、デビットカード、デジタル通貨)を使って取引の決済のほとんどを行うことができる。(民間の銀行だけではなく)一般市民も中央銀行に預金口座を持てるようにするという手もある。その口座を使って決済する時は、日頃から付き合いのある商業銀行なり貯蓄銀行なり郵貯なりが代わりに相手側の口座に振り込んでくれることだろう。口座に残高がある場合は、その時々の経済情勢に応じて、プラスの金利が支払われたり、マイナスの金利が課せられたりするだろう。
現金に課税するという2番目の手段にまつわる主要な問題は、名目金利をマイナスにまで引き下げる必要が出てきた時に、現金の保有者にいかにして金利(税金)を支払わせたらいいか、という点である。紙幣に発行日時が記載されているようなら――大抵の紙幣はそうなっているが――、紙幣が法定通貨として通用する期間(満期)を発行日時ごとに定めて、告知すればいいだろう。そして、手持ちの紙幣が満期を迎える前に中央銀行に足を運んで金利(税金)を支払うようにさせればいい。満期前にきちんと金利(税金)が支払われた紙幣には、スタンプを押すか、何らかの印を付けるようにすればいいだろう(スタンプが押されているか、何らかの印が付いている紙幣に限って、その後も法定通貨として通用するようにする)。
つい最近のことだが、グレッグ・マンキュー(Greg Mankiw)が自らのブログで、紙幣に満期を設けるためのよく練られた案を紹介している。マンキューによると、学生の発案らしい。チャールズ・グッドハート(Charles Goodhart)も長年にわたって同じような案を唱え続けている。この案のポイントをまとめると、以下のようになる。
①どの紙幣にも、末尾が0から9のいずれかの整数で終わるシリアル番号(記番号)が記載されているのはご存知の通り。
②どの紙幣にも、印刷された年度を記載するようにする。
③1年に1度、あらかじめ決められた日に、中央銀行が0から9のいずれかの整数をランダムに選ぶ。
④その年あるいはそれ以前の年に印刷された紙幣のうちで、シリアル番号の末尾の整数が③でランダムに選ばれた整数と一致する紙幣は法定通貨としての地位を失う。その紙幣を中央銀行に持って行っても、同額の現金や何か他のものと交換してもらえなくなる。
⑤10分の1の確率で紙幣が無価値になるわけだから、紙幣(現金)の期待名目金利はマイナス10%ということになる。デフレに断固たる決意で立ち向かおうとする中央銀行に行動の余地を与えるには十分だろう。
この案は、イギリスで発行されている割増金付き公債(British Premium Bond)――利子も支払われず、キャピタルゲインも得られないが、抽選で賞金が当たる公債――のマイナス金利バージョンということになろう。
ただし、この案には一つの問題がある。マンキューやグッドハートは気付いていないようだが、ある紙幣が法定通貨としての地位を失ったからといって、その価値に影響が生じる(無価値になる)とは限らないのである。不換紙幣(fiat money)の価値は、人々の信念――人々がその紙幣にどのくらいの価値があると考えるか――に依存している。法定通貨としての地位を失った紙幣の価値が――マンキューやグッドハートが予想するように――ゼロとなる可能性(無価値の紙切れに化す可能性)も勿論ある。しかし、不換紙幣がいくらか価値を持つためには、法定通貨としての地位は欠かせないわけじゃない。抽選の結果として法定通貨の地位を剥奪された紙幣が同じ額面の紙幣――法定通貨の地位にとどまっている紙幣――とその後も変わらず同等であり続ける――等価物として交換され続ける――可能性も残されているのである。
となると、法定通貨としての地位を剥奪するだけではなく、法定通貨としての地位を失った紙幣を押収する可能性を仄めかしたり、その紙幣の所有者に何らかの罰金やペナルティーを科す可能性を仄めかしたりする必要もあるかもしれない。現金への課税は、個人の資産に対する過度な侵害行為と感じられるかもしれないし、実務的にも手間がかかって面倒かもしれない。その一方で、現金への課税に魅力を感じる為政者もおそらくいることだろう。
どれが価値の貯蔵手段に選ばれる?
冒頭でも触れた私の論説には実に色んなコメントが寄せられたが、その中でも最も早とちりしたコメントはおおよそ次のようなものだった。「名目金利がマイナスになれば、みんなこぞって別のかたちで価値を貯蔵しようとする――現金の代わりに、新たな価値の貯蔵手段を探すようになる――だろう」。マイナス金利の狙いは、まさにそこにあるのだ。みんなが現金(あるいは、名目金利がマイナスの短期金融資産)の代わりに、それ以外の資産――望むらくは、実物資産やコモディティ(一次産品)――の取得に向かうよう促すことが狙いなのだ。ぴったり狙い通りにはいかないかもしれないが、ほぼほぼ狙い通りにはなるだろう。この点について、以下でもう少し突っ込んで論じるとしよう。
上で掲げた三つの手段のうちのどれが採用されたとしても、名目金利がマイナスになる時には、現金が価値の貯蔵手段として選ばれることはないだろう。1番目の手段では、そもそも現金は廃止されている。2番目の手段では、現金の(期待)名目金利はマイナスなので、価値の貯蔵手段として好ましいとは言えない。3番目の手段では、ルド(新しい通貨)の名目金利はゼロ%以下にはならないが、ドルがルドに対して増価するので、名目金利がマイナスのドル建て債券よりもルドの方が価値の貯蔵手段として優れているとは言えない。
価値の貯蔵手段としてコモディティが選ばれることはあるだろうか? 非耐久財のコモディティが価値の貯蔵手段として選ばれるようなら、消費(コモディティ消費)が急伸するということになろう。耐久財のコモディティが価値の貯蔵手段として選ばれるようなら、話を単純にするためにそのコモディティから得られる限界的な便益(使用価値)がずっと変わらないとすると、裁定の結果として [2] 訳注;すべての資産の収益率が均等化する結果として そのコモディティの価格は名目金利と同じ割合で低下する――名目金利がマイナスx%なら、毎期ごとにx%ずつ低下する――ことになるだろう。
価値の貯蔵手段としておそらく一番優れているのは、名目金利がマイナスの債券ということになろう。名目金利がマイナスであっても、民間の銀行は依然として利潤を稼ぐことができるだろう。というのも、銀行の利潤は、金利の絶対的な水準ではなく、貸出利率と借入利率の差に依存するからである。例えば、民間の銀行が中央銀行からマイナス5%の金利で資金を借り入れて、その資金をマイナス2%の金利で誰かしらに貸し出せば、金利5%で借り入れて金利8%で貸し出す場合と同額の利潤が生じることになる(ただし、二つのケースで取引金額が同じであれば)。
貯金を拠り所にして生計を立てている人は、マイナスの名目金利にどう対処したらいいだろうか? まずは、実質金利をチェックする必要があろう。かなりのデフレが起きていて、名目金利がマイナスでも実質金利はプラスになるようなら、貯蓄家は悠々とやり過ごせるだろう。その一方で、名目金利ばかりでなく実質金利もマイナスになるようなら、貯蓄家は資本(capital)を取り崩して生きていかざるを得ないだろう。そうこうしているうちに貧困に陥ったり、社会問題に発展したとすれば、詰め寄るべき先は財務省や社会保健省(Ministry of Social Affairs)である。中央銀行に詰め寄って困らせるようなことがなきよう。
中央銀行の掌中に「マイナスの名目金利」という手段が握られている未来――さぞや素晴らしき未来――に向けて、いざ踏み出そうではないか。