サイモン・レン=ルイス「ユーロの悲劇」(2018年6月2日)

[Simon Wren-Lewis, “A Euro Tragedy,” Mainly Macro, June 2, 2018]

「イタリアがユーロ圏の活断層だろう」――最近の危機について述べた文章から引いた一節ではない.出典は,アショカ・モウディの『ユーロ悲劇:9幕の戯曲』だ.アメリカではちょうど刊行されたところで,イギリスでも7月に刊行される.

書名を見てわかるように,本書では〔ユーロについて〕いいところと悪いところを列挙して評価してはいない.著者はユーロを明らかな失策として扱っている――初歩的な経済学に対して欧州統合の政治的理念が勝利した過ちとして扱っている.著者は,その誕生いらいの経緯を明快に解説している.ユーロの理念がとくにフランスのエリート層のあいだで政治をめぐる言説を支配するにいたった経緯がどのようなもので,ドイツの指導者たちは自分たちがその設計を決定する条件についてどうやって合意するにいたり,危機以前の時期に警戒すべき兆候がいかに無視され,ギリシャのデフォルトによるリスクがいかに誇張されて2009年と2010年に間違った政策が採用されるにいたったか,その後の対応によってドイツによる制度設計に潜んでいた民主制の弱点がいかにして露わになり,欧州各地でポピュリスト運動の台頭を促すにいたったか――こうしたことを,経済学者以外の人たちにも理解できるかたちで著者は解説している.(イギリスの読者には,これはユーロ圏の話であって EU の話ではない点を強調しておきたい.)

こうした事情は,このブログをずっと読んでいる人たちにはおなじみの話だろう.だが,おなじみの物語とはいえ,本書ではIMF 欧州部局の副局長として事態を間近に見てきた人物ならではの知識と権威によって語られているところがちがう.ギリシャ危機について述べたセクションは,ギリシャをめぐる「公式」説明を固守している人たちにこそ読まれるべきだろう.必要な良薬を頑として飲み込まなかったがためにギリシャは危機(過剰債務)を災厄に変えてしまったのだといまなお信じている人たち全員に読まれてほしい.現実には,著者が述べているとおりで,急進左派連合スィリザが求めた債務猶予は承認されるべきだった.著者はこう記している:「この要求には,経済学の学術研究でも経済政策の実践でも多大な支持があった.債務超過――「過剰債務」――によって投資の能力もインセンティブも低下し経済成長が減速し低インフレひいてはデフレをもたらし,結果として債務の返済がいっそう難しくなることは,何十年にもわたって研究者たちが強調してきた点だ.

また,それより前の箇所で著者が記しているように,こうした債務は主にギリシャ政府がユーロ圏の他国に負う義務に移されるよりも,2009年/2010年にこうした債務からデフォルトにつながるべきだった.なるほどヴァルファキスは非伝統的なことを言っていたかもしれないが,彼の提案の多くは,債務返済をGDP成長と関連づけて考えることも含めて,「経済学的に頑健」だった.

それどころか,著者は私よりもさらに踏み込んでいる.国民投票後に,スィリザ政権とユーログループ財務相会合の交渉は膠着状態となっていた.その末期に,債務救済の切迫具合について IMF はますますどぎついノイズを公に発するようになったが,ドイツは――納税者からの反発をおそれて――頑として態度を変えようとしなかった.著者はこう書いている:「IMF は,ギリシャが自分たちに負っている債務を免除することもできた.そうやって劇的に姿勢を変えていれば,ドイツをはじめとする欧州の債権国たちになすべきことをなすよううながす国際的な圧力が生まれていただろう.IMF には,そうした劇的な対処をする道義的な義務があった.この悲劇に関与したつぐないだけでも,十分な理由になる.最初の救済措置がなされた2010年5月,IMF の管理により,ギリシャ政府は民間債権者への債務不履行ができなかった.民間債権者への債務不履行はギリシャの債務負担を軽減するのに不可欠の措置だったことは,IMF 理事会のメンバー数名や外部の分析の圧倒的多数が当時から認めていたし,後年になってもそう考えていた.

本書は,ユーロ圏の創設からその後の実績の歴史を包括的かつ鮮明に描き出している.大半の箇所で「そのとおり」とうなづきながら私が通読した数少ない本の1冊でもある.(Martin Sandbu の『欧州のみなしご』もそういう本だ.) 興味深い細部や分析の数々は,ブログ記事1本だけで紹介しようとしてもとうてい正当に扱えないほどだ.本書とは少しばかりちがう物語を語れそうな領域は,2つしか思い浮かばない.ときおり,ユーロはまともに機能しないだろうことをあたかも経済学者たちが共通して理解していたかのように著者は書いている.私見では,少なくとも欧州に限って言えば,そう理解してはいなかった大学の経済学者たちのグループが2つある.第一のグループはこう考えていた:「もしかするとユーロは機能するかもしれないが,それもユーロ体制で国内経済の安定化装置として財政政策が金融政策にとってかわることができる場合にかぎられるだろう」 「安定・成長協定」が公表されてすぐに読んで,どれほどびっくりしたかいまだに覚えている.協定では,財政政策のこの決定的に重要な役割が事実上無視されていた.もう一方のグループは,ユーロをもっと無条件に支持していた.もっとも,ユーロの利点を本当に信じて支持していたのか,それとも政治的に避けようがないと見て支持していたのかは,区別しがたいのだが.

本書で十分に強調されていない2つ目の物語は,2000年代序盤にドイツの賃金切り下げが果たした役割だ.Peter Bofinger が論じているように,あの賃金切り下げはドイツの実質為替レートをユーロ圏内で切り下げようとする意図的な試みだった.これは2つの理由で重大だ.第一に,これが一助となって,ドイツは金融危機を乗り越えてフランスその他の国々よりも経済的に強い位置につくことができた.さらに,このことがその後の出来事に経済的・政治的な影響を強く及ぼした.第二に,EU内でもっとも強い国のドイツがゲームのルールを守っていくつもりがないこともこの切り下げは示していた.

とはいえ,いまの話はたんに強調点がちがうだけだ.悲劇をこれ以上続けるのをやめたければ進路を変えねばならないという点について,私は諸手を挙げて著者に賛同する.著者によれば,

「本書で示した根拠は,ユーロ圏の機能を改善するための具体的な方策を一貫して指し示している.そうした方策には次のようなものがある:財政ルールの廃棄,債務国と彼らに債権を持つ国の双方にいっそうの規律を育てるべく予想しやすく秩序だった公的債務の放棄を行う仕組みの創設,物価維持と並んで失業率の低下も金融政策の目標とするように欧州中央銀行の責務を変更すること.」

残念ながら,現時点で,ユーロ圏はその方向に進んでいない.〔この論文が論じているように〕「危機のたびにユーロ圏は前につんのめりながらさらなる統合へと前進しているのだ」といまなおユーロ圏は信じている.統治エリートが頭脳で人民が両足だとすれば,両足が動かずユーロ圏がつんのめったまま顔面から倒れ込むことこそが大いなる危険だ.

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  1. 当たらずとも遠からずだが、ポイントがズレている。ECMを介してECB融資(配分)の通貨発行益で各国は市場の政府債務を償還を優先せよというルールに、ギリシアが国内財務支出優先しただけ。

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