サイモン・レン=ルイス「2004年に労働党が EU移民について下した決定は間違いだったか」

[Simon Wren-Lewis, “Was Labour’s decision on EU immigration in 2004 a mistake?” Mainly Macro, March 6, 2018]

当時新たに EU に加盟したばかりだった東欧・中欧のA8諸国の人々が2004年から自由にイギリスに出入りできるようにする決定をかつて労働党政権が下した。他の加盟国の大半は、こうした A8諸国との間での自由移動が許される時点を遅らせた。その結果として、ポーランドその他の国々からの移民の大量移入が2004年からはじまることになった。

これはとてつもない失策だったというのが世間では信じられている。ジャック・ストローはこれを壮観な失敗と呼んだ。エド・ミリバンドは、政府は考え違いをしていたと語った。イアン・ジャックの発言が思い出される。先日、彼は『ガーディアン』紙でイギリスが EU離脱にいたることになった8つの理由を提示した。そのうちの1つは、労働党によるこの決定だとされている。彼はこう書いている:

「移民問題は政治案件としてはすでに死に始めていたが、EU加盟直後の東欧・中欧8カ国にイギリス労働市場を開放すると2004年にトニー・ブレア政権が決定するとそれが変わった。」

下に掲げるのは、イギリスの移民に関するデータと、移民問題を重要問題だと思う人がどれくらいいるかを調べたIpsos-Mori による世論調査だ。(他のさまざまな問題に関するデータも含めて、こちらで参照できる。)

なるほど移民問題は1990年代後半になって重要問題だと思われなくなった(青い線)のは事実だ。だが、移民問題の重要度が劇的に上昇したのは2004年以降ではなくて、2004年以前のことだ。2004年から2008年にかけて、移民問題の重要度はほんの少し上昇しているものの、そのあとは経済状況をめぐる懸念が舞台の中央におどりでたのにともなって重要度を下げていっている。

有権者たちが2004年の決定を見こしていたというのなら話は別だが、死んでいた問題が2004年に EU からの移民流入によって息を吹き返したというジャックの筋書きは、この事実と合致しない。「労働党が政権についたあとに起きた EU外からの移民流入の大幅増加に有権者は反応していたのだ」という筋書きの方がまだしもありえそうに思える。以下のチャートに見てとれるとおりだ。

だが、それすらもありそうにない:人々がそれに気付くまで本当に数年かかったのだろうか。移民問題の重要度上昇とわずかに先行しつつタイミングが相関している変数を1つ、ここで提示している:それは、移民に関するニュースだ。この2つには因果関係があると示唆する証拠ならたくさん挙げられる:移民に関する新聞報道(大半の新聞が声を揃えて否定的に伝えていた)によって、「移民問題は重要問題だ」と人々が言うようになったのだ。

人々の態度に影響する重大な原因としての役割を新聞が担うのをひとたび許すと――ここで述べたように現にそうした役割をになったというよい証拠がある――2004年の決定が大失敗だったという話のありさまがちがって見えてくる。我々に言えるのは、こういうことだ:90年代後半に大勢の移民が流入したことで新聞はイギリス国内に移民が溢れかえっているという記事を書けるようになり、2004年の決定によって2004年以後に EU移民について同じ話を語れるようになった。だが、だとすると、2004年の決定が失敗だったというのは、たんに、新聞がそれを攻撃材料にしたからでしかない。

彼の信義のために言添えれば、ジャックも EU離脱にいたった8つの理由の1つにイギリスの新聞を挙げているし、ここで私が述べたのと同じように、イングランドとスコットランドでの投票のちがいは、イングランドにおける「はるかに過激な」新聞報道になにか関わりがあるのではないかとも述べている。イギリスの「過激な」右派系新聞は、いつでもことあるごとに EUの移民を攻撃材料にしようとした。労働党が A8からの移民流入を遅らせるにしても、2011年までが限界だっただろう。その場合にも、2016年の国民投票まで、右派系新聞が EU移民について否定的な記事をあれこれと書く時間はたっぷりとあっただろう。現実でも、もちろん彼らはそうしてみせた。2004年から2011年にかけての EU からの移民流入は、イギリス生まれイギリス育ちの人々に経済的な便益をもたらした見込みが大きいわけで、2004年の決定がそもそも失敗だったというのは自明でない。

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