ジェームズ・ハミルトン 「電子メールの経済学」(2006年3月6日)

●James Hamilton, “The economics of email”(Econbrowser, March 6, 2006)


先週のことだが、以下のようなメールを受け取った。同じメールを受け取った人は、他にもいるんじゃないかと思う。

いかがお過ごしでしょうか? お忘れになっていないことを祈るばかりですが、MarlvinSomtochukwuです。しばらく前に連絡させていただいた際には、裏金――ナイジェリア政府を相手とする契約で水増し請求をして作った裏金です――をナイジェリア国外へ持ち出す手助けをしていただけないかとお願いさせていただいたわけですが、貴殿にご助力いただいたにもかかわらず、残念ながら思うようにいきませんでした。しかし、ここで朗報があります。パラグアイにいる協力者のおかげもありまして、裏金を無事に国外に持ち出すことができたのです。

私は今、韓国にいます。国外に持ち出した裏金を元手にして投資プロジェクトを手掛けている最中なのですが、貴殿にご助力いただいたことがこの間ずっと忘れられずにいました。貴殿も我々の仲間だと思っています。そこで、貴殿のために25万ドルの小切手を用意しました。

おお、MarlvinSomtochukwuさんではありませんか。あなたの存在を忘れるなんてことがあり得ましょうか? 25万ドルをいただける機会なんてそうあるものじゃないですからね。45分に1回は、あなたのことを思い出さずにはいられませんでしたよ。

・・・なんておふざけはこのくらいにしておいて、この種のメールがひっきりなしに届くのは、ナイジェリアで奇妙な迷信が蔓延(はびこ)っているせいなんだろうってずっと思っていた。でっち上げの儲け話を愚かなアメリカ人に持ち込めば、持ち金を全部奪えるらしいという迷信がナイジェリアのあちこちでまことしやかに囁(ささや)かれているんだろうってずっと思っていた・・・わけだが、どうやら迷信とは言い切れないようだ。というのも、でっち上げの儲け話に引っかかるおっちょこちょいがちょくちょくいるようなのだ。超億万長者らしいルイス・A・ゴットシャルク博士もそのうちの一人だ。ロサンゼルス・タイムズ紙によると、「世界的に有名な精神科医」でもあるゴットシャルク博士は、「アフリカの銀行口座に預けてある大金の一部を差し上げますとの電子メールの誘いに乗って、10年間で合計300万ドルもの前払金を支払った」らしい。

精神科医? 精神科医っていうのは、人が時に馬鹿げた行為に及ぶのはどうしてなのかに通暁(つうぎょう)している専門家のはずじゃ?

ナイジェリアの銀行口座に預けてある大金を餌にしてこちらを引っかけようとするメールというのは、私が日々受け取る何百という無価値なメールの大群のごく一部に過ぎない。ちょっと愉快なのも中にはあるが、大半は害悪でしかない。本文を読んで返信するところまでいくことはほとんどないものの、迷惑メールフォルダを確認して件名(タイトル)をチェックする手間は少なくともかけさせられてしまう。

スパムメールに付きまとう問題を経済学の枠組みで解釈すると [1]訳注;スパムメールの問題に経済学の観点から切り込んでいる研究として、例えば次の論文を参照されたい。 ●Justin M. Rao&David H. Reiley, “The … Continue reading、どうなるだろうか? メールの送り手が被るコスト(メールを送信するために要するコスト)と、メールの受け手が被るコスト(メールを処理するために要するコスト)を比べると、後者の方がずっと大きい。言い換えると、「生産者」が負担する私的費用(私的限界費用)が社会的費用(社会的限界費用)を下回るわけであり、そのせいで 「財」が過剰に供給されてしまうことになる。外部不経済(負の外部性)の典型例というわけだ。

生産者に税金を課すというのが、外部不経済に対処するための正攻法だ。メールを送信する側(「生産者」)に税金を課して、メール1通あたり0.1セントの支払いを求めるようにしたら、MarlvinSomtochukwu氏もメールを打つ手を止めるに違いない。

AOL社が有料でのメール配信保証オプション――スパムフィルター(迷惑メールフィルター)に引っかからずに、確実に相手にメールを届けるサービス――を導入する予定であることが発表されると、スパム業者がそのオプションを利用する可能性があるということで、毛色の異なる方々(ほうぼう)の陣営から抗議の声が殺到した。しかし、少し冷静になって考えてみれば、メールを送る側に料金の支払いを求めるというのは正しい解決策であることがわかるはずだ。受け手の側に思い思いに料金を決めさせて、メールを受け取る対価としてその額が(送り手から受け手へと)支払われるようにしたら、言うことないだろう。私であれば、メール1通あたり1セントはいただきたいところだ。メールサービスを提供している業者も手数料――例えば、メール1通あたり0.5セント――を課すようにしたら、メールを1通送るために支払わねばならない料金は1.5セント(=1+0.5)ということになる。メールの送り手は、1.5セントを支払ってまでメールを送るべきか否かを決めなくてはいけない。例えば、スパム業者が「1.5セントくらいなら払ってもいいが、2セントは払いたくない」と考えるようであれば、2セントを下回る対価の支払いを求める受け手にだけスパムメールが送り付けられることになるだろう。

メールを受け取るのと引き換えに1セントの対価が私の懐(ふところ)に入ってこないようであっても(1セントがメールサービスを提供している業者の懐に入るようであっても)、今よりはマシだろう。あなたが1セント(メールサービスを提供している業者が課す手数料も含めれば、1.5セント)を払ってまで私にメールを送る価値はないと判断するようなら、そもそもそのメールには大して値打ちがない――メールの件名をいちいちチェックするだけの手間を私にかけさせるだけの値打ちはない――ってことになるだろうからね。

メールを1通送るたびに1セントを支払わなければならないとなったら、誰に対する牽制(けんせい)になるだろうか? おそらくは、2,500万人にメールを送り付けているような輩(やから)に対する牽制になるだろうね。2,500万×0.01ドル(1セント)だから、合計25万ドルだ。大勢のメールボックスを埋め尽くすためだけのために25万ドルも支払う価値があるんだろうかって考え直すに違いないだろうね。

References

References
1 訳注;スパムメールの問題に経済学の観点から切り込んでいる研究として、例えば次の論文を参照されたい。 ●Justin M. Rao&David H. Reiley, “The Economics of Spam”(Journal of Economic Perspectives, vol. 26 (3), Summer 2012, pp. 87-110)
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