How the World Became Rich (Part I)
Posted on January 31, 2022 by Jared Rubin
世界は豊かになった。むろん、歴史的な基準でも、現代の基準でも、誰しもが豊かなわけではない。それでも、世界はかつてないほど豊かになった。世界人口のうち、悲惨なまでに貧困状態にある人の割合はかつてないほど小さくなっている。そして、現行世界における最悪レベルの貧困のほとんどが、一世紀以内に根絶されるだろうと信じられるだけの合理的根拠が存在している。
信じ難いかもしれない? 以下の2つの地図を見てほしい。一枚目は、(一人当たりGDPで)1900年のアメリカより豊かな現代の国を示したものだ。二枚目は、1800年イギリスとの比較である。国家レベルでは、世界の大部分が含まれる。1900年のアメリカと、1800年のイギリスは、当時それぞれ、世界で最も豊かな国だった。まだ長い途上にあるが、それでもほとんどの国が、ほんの1~2世紀前に世界で最も裕福だった国よりも豊かになっているという事実は、驚くべき成果である。
世界が豊かになったことを説明する5つの理論
世界は、なぜ、そしてどのようにして豊かになったのだろう? 私はマーク・コヤマと共著で出版予定の本『世界はどのようにして豊かになったのか:経済成長の歴史的起源(How the World Became Rich: The Historical Origins of Economic Growth)』(予約受付中!;上記の地図はこの本の冒頭の2つの図となっている)〔『「経済成長」の起源』のタイトルで邦訳されている〕で、この疑問に答えようとした。これに解答するのは簡単ではない。1世紀以上にわって多くの優秀な学者を悩ませる問題となってきている。取っ掛かりはどこにあるだろう?
我々の本の前半では、近代経済の成長の起源を解き明かそうと試みている5つの主要な理論の分類を試みた。このエントリでは、この5つどれにも深入りしない。詳細については、以後の記事で説明する予定だ。私とマークは、主要な理論を以下の5つのカテゴリーに分類した。
地理
ジャレド・ダイアモンドが『銃・病原菌・鉄』で提唱したような地理的要因に基づいた理論である。この理論では、経済成長は、国家の地理的な側面が長期的な発展に結び付けられる。海外へのアクセス、特定天然資源へのアクセス、疾病環境、大陸の位置、家畜化・栽培可能な動植物へのアクセス、大地の起伏、気候、天候の変動性などが俎上に載せられる。この理論の肯定的要素とは? 〔この理論では、経済成長における〕障害はどのように克服されるのだろう? (自著の宣伝ではないが、興味があるなら購読してみてほしい。もしくは、次回の記事までお待ちあれ)。
制度
ダグラス・ノースが、経済成長の研究において制度を中心に位置づけようと試みて以来、経済史の文献では、制度が大きな関心を集めてきた。様々な理論で、制度――法制度(およびその起源)、政治的制度(特に、行政権力の抑制、および/またはその広範にわたる包括化)、経済的制度(例えば、商人ギルド、銀行)などに焦点が当てられている。こうした制度は、財産権の保護、経済的自由、政治的発言権、国家財政、紛争などに影響を与える。地理的影響とは異なり、制度は人が作り出したものであり、時間とともに変化する可能性がある。しかし、制度は、長期の経済成長のどのような意味をもたらすのだろう?
文化
近年、さまざまな文化的属性と長期的な経済成長を結びつける研究が多数発表されている(私は、本サイトBroadstreetの最初の投稿でこの研究をいくつか紹介している)。「文化」とは、ジョセフ・ヘンリックのような文化人類学者の言葉を借りれば、「何世代も継承可能な、学習された一連の行動ルール」である。どのような労働が地位となるか、人種規範、民族規範、ジェンダー規範、教育の重要性、宗教的価値観(こことこことここで説明している)、部外者への信頼、家族構成、近親相姦のタブーなど、さまざまな文化的属性が経済的影響を与えるとされる。文化が長期的な経済成長に大きな影響を与える理由の一つが、文化の永続性である。こうした研究で示されているものの一つが、文化的規範は(どのような理由であれ)一旦形成されると、変容が困難になる、という事実だ。しかし、こうした文化的規範は、異なる社会の異なる経済成長の変遷にどのように反映されるだろう?
人口動態
人口動態による理論は、トマス・マルサスから始まる。マルサスは、「人類の厚生は一時的に改善されても、最終的には人口増加によって食いつぶされてしまう」と主張したことで有名だ。この主張は、マルサスが生きていた時代には、一定の説得力があった。しかし、こうした理論では、世界がなぜ豊かになったのかを説明できない。世界は急速な人口増加の渦中に経済成長を遂げたのである。すると、人口動態理論は、何か示唆を与えてくれるのだろうか? ひとつは、黒死病のような大規模な人口動態的なショックが経済的帰結にどのような影響を与えるかについて、ある程度の洞察を提供してくれる。また、女性が労働力としてどのタイミングで働き始めるのか、出生率、出生率の社会による違いについても、明らかにしてくれる。人口動態の変化――子供の「量」は少なくなるが、「質」は高くなる(つまり高学歴化)の推移が、少なくとも部分的には高所得化を維持する要因となったことが分かる。しかし、人口動態的影響は、世界が豊かになった理由を十分に説明できているだろうか?
植民地化
経済成長は、単にヨーロッパの植民地事業による搾取の帰結だったのだろうか? 奴隷貿易、先住民の大量殺戮、資源搾取等、植民地時代は、暗黒に包まれている。植民地化が、植民する側と、される側との格差の作成に大きな役割を果たしたことは否定できない。しかし、この理論で、植民地化以前の格差を説明できるだろうか? 工業化の開始を説明できるだろうか? 植民地支配は、植民化された地域の人々にどのような影響を与えたのだろう? 世界が豊かになっていく中(あるいは、まだ貧しいままの地域もある)、植民地支配はどのような役割を果たしたのだろう?
どの理論が、近代経済の出現を最もよく説明しているのだろう?
我々の本の後半では、近代的な経済成長が始まった時期と場所を最もよく説明できる理論を特定するために、理論の包括化を行った。満足できる答えを出すにには、北西ヨーロッパが最初に豊かになった理由を、ある程度説明できていなければならない。
後日の論説で、さらに詳しく説明する予定だが、簡単に言うなら、世界が豊かになった理由を理解するには、上記の5つの理論の一つだけに着目するだけでは不十分である、ということだ。鍵となっているのは、これらの理論が、どのように相互作用しているかにある。イギリスやオランダでは、いくつかの制度的な変化が鍵となったが、これは特定の文化的背景においてのみ習熟可能となっていた。19世紀後半に始まった日本や東アジアの虎、現代の中国など、最終的にキャッチアップに成功した非ヨーロッパ諸国でも、同じ説明が可能となっている。
制度や文化と同じく、地理的な要因も、政治的・経済的な制度を形成する上で、社会の長期的な経済的軌跡に重要な役割を果たすことが多い。植民地時代における過去とそれによる現代の成果の関係も、文化、制度、人口動態によって繋がり合っている。
このように、我々の本の後半では、様々な要因が相互作用した結果、世界が豊かになった、というストーリーを示している。歴史は、複雑怪奇なものである。特に、非常に長い期間について考慮すると、要因が単一であることはほとんどない。しかし、これは、説明不可能であることを意味しない。我々の本によって、さまざまな社会的特徴が相互作用することで、ある場所ではうまくいったことが、別の場所ではうまくいなかった理由について理解を深まる一助となることを願っている。
著者:ジャレッド・ルービン
チャップマン大学経済学部教授。経済史家として、中東と西ヨーロッパの経済が、長い期間をかけて「逆転」した事実において、キリスト教とイスラム教が果たした役割を追いかけている。著者『支配者・宗教・富:西欧は豊かになり、中東はならなかった理由(Rulers, Religion, and Riches: Why the West got Rich and the Middle East Did Not)』(Cambridge University Press, 2017)では、この問題を扱っており、複数の賞を受賞している。マーク・コヤマとの共著『世界はどのようにして豊かになったのか:経済成長の歴史的起源(How the World Became Rich: The Historical Origins of Economic Growth)』( Polity Press, 2022)では、近代の経済成長がいつ、どこで起こったかについての多くの説を検討している。チャップマン大学の宗教・経済・社会研究所(IRES)の共同所長、宗教・経済・文化研究協会(ASREC)の会長、多数の編集委員を努めている。スタンフォード大学で経済学の博士号を、ヴァージニア大学で学士号を取得。
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