Doug Ford has a policy idea, and it’s a bad one
Posted by Joseph Heath on October 1, 2014 | economy, elections, inequality
ニュースを追っていない人のために説明するが、トロント市長であったロブ・フォードが再選への出馬を取りやめたことで、彼の弟であるダグ・フォードが後任者としてトロント市長に就任した。市長が兄のロブから弟のダグに変わったことでどのような変化がもたらされるかは未知数だ。ダグとロブの間に本質的な違いはなく、似たり寄ったりであると言いたくなる人もいるかもしれない。〔だが〕この考え方は不正確だ。両者には「シュリミール」(schlemiel)と「シュリマーゼル」(schlemazel)ぐらいの違いがある [1] … Continue reading 。
いずれにせよ(「シュリミール」こと、弟の)ダグ・フォードは、「ポストトゥルース」の戦略にかなり忠実であり、「真理の規範」を完全に無視して、耳障りのいいことなら基本的になんでも口にする。ダグは昨日、正式な公約を発表したが、それはトロントの土地譲渡税を4年間、毎年15%ずつ減税するというものだった。土地譲渡税の減税は、兄の(「シュリマーゼル」こと)ロブ・フォードも4年前の選挙戦で公約に掲げていたが、その政策の実行については議会の十分な支持を集めることができなかった。ダグはしかし、議会を「動かす」のは何であるかを心得ており、ロブが失敗した減税を成功させられると確信している(ダグ自身はそう主張している)。
この政策はひどい代物だが、なぜひどいのかを説明したいと思う。このエントリで政策の欠点を〔わざわざ〕あげつらう主たる動機は、実のところ、私が何度でも繰り返し説明したいと思っているある考え方を取り上げるためだ。それは、「税の帰着」(tax incidence)という考え方である。この考え方が私の興味を引いたのは、課税と税政策に関するあらゆるポピュリスト的なアプローチの限界を明らかにしているからだ。税の帰着という考え方を説明するのは難しいことではない。これは単に、課税が行われるとき、政府に納税する主体が必ずしも税を負担する主体ではない、という考え方だ。なぜなら、人々はしばしば税のコストを他の人に転嫁することができるからだ。結果として、「〔最終的に〕誰に税が転嫁されたのか」、つまり実際に税を払ったのは誰か、を明らかにするために、少し調査が必要になることがある。
この最も典型的な例が、GST〔goods and service tax、連邦付加価値税〕とHST〔harmonaized sales tax、統一売上税〕だ。GST/HSTは、厳密には企業によって納税される税であり、たしかに実際に政府にGSTを納税しなければならないのは企業である。しかし、税の帰着という観点からみると、企業はGST/HSTを消費者に転嫁しており、実際に税を負担しているのは明らかに消費者だ。
これ〔実際の税負担者が誰か〕は、NDP〔カナダ新民主党。中道左派政党〕が企業に対する増税を訴え始める度に指摘される。NDPが企業への増税を言い始めると(近年はオウムのように繰り返しているが)、新聞は、企業の利潤への税が概して利潤から支払われず、労働者や消費者などに転嫁されると指摘するコラムニストの記事で溢れかえる。繰り返しになるが、鍵となる概念は「税の帰着」、つまり政府に納税する主体が必ずしも税を負担していないという考え方だ。
「税の帰着」という概念はかなり抽象的で、説明するには段階を踏んだ推論を行う必要があるため、「直感的」な、あるいはシステム1 [2] … Continue reading による認知では把握できないのが、重要なポイントなっている。それは本質的に理性的な洞察に基づいている。結果、「ポピュリスト」的なスタイルで選挙戦を行う政治家は、それを無視することになる。そして、選挙においてポピュリスティックな戦略を取る必要性が政策に影響してしまう限り、これはポピュリズムがほぼ必然的に筋の悪い税政策を生み出してしまうことを意味している(スティーヴン・ハーパー〔カナダ保守党の政治家(1959-)。第26代首相〕が、GSTを減税するため、代わりに予定されていた所得税減税を取り止めたことを思い出そう。あるいは、NDPが法人税増税をしつこく主張していることを思い出すのでもよい)。
さて、土地譲渡税に対して以上の議論を適用したらどうなるだろうか? 最も重要な論点は、土地譲渡税が住宅購入者によって納税されるとしても(それゆえに住宅購入者からこの税が「憎まれる」としても)、実際に税を負担するのは住宅購入者ではないという事実である。現在、トロントの住宅市場では、土地譲渡税を負担しているのは、住宅の売り手である。つまり、税は住宅の売り手に帰着しているのだ。トロントで売られているほぼ全ての住宅に複数の入札者がいる〔それゆえ住宅購入希望者の間で競争が発生する〕ということを思い出せば、その理由は明らかである。
住宅購入を希望している人は、どのようにして入札価格を決めるのだろうか。購入希望者はまず、色々な人に話を聞いて予算(つまり、どれくらいの費用を出すつもりがあるか)を決める。最も重要なのは、銀行の住宅ローンの専門家のところに話を聞きに行くということだ。住宅ローン専門家は、住宅購入希望者の収入や出費を全て調べ、月々の住宅ローンの返済額を見積もり、金利を計算し、銀行が貸し出してもいい総額を推定する。この総額には、言うまでもなく土地譲渡税も含まれている。
銀行は購入希望者に80万ドルを貸し出す意思があり、また〔落札できたとしたら〕その住宅売買で生じることになる土地譲渡税が、例えば2万ドルになるとする。このとき銀行は、住宅購入希望者に、あなたが支払えるのは78万ドルまでですよと言うことになる(簡便化のために、住宅購入者が手付金を自分の貯蓄から出す事実は無視する)。これは、この購入希望者が入札合戦に巻き込まれた際、提示できる最高の入札価格が78万ドルであることを意味する。そして、この購入希望者が本当に住宅を購入したがっているとすれば、〔出し惜しみして落札できなかったという事態は避けたいはずだから〕78万ドルで入札するだろう。他の購入希望者も、各々の銀行が提示する、可能な最高入札価格で入札を行うだろう。もし最初の購入希望者が落札すれば、住宅は78万ドルで売れることになる。銀行は住宅購入者に80万ドルを貸し出し、そのうち78万ドルは売り手に、2万ドルは政府に行く。
さて、土地譲渡税が完全に0になったと仮定しよう。これはどういった影響をもたらすだろうか? 事態はもっと単純になる。銀行は住宅購入希望者に対して、あなたが支払えるのは80万ドルまでですよと言う。しかしもちろん、他の銀行も同じことをする。土地譲渡税を支払わなくてよくなったので、全ての銀行が購入希望者の予算を増やそうとするだろう。結果として、78万ドルで住宅の入札合戦を勝ち抜くことはもはや不可能になる。他の購入希望者がもっとたくさんの額を積んでしまうからだ。それゆえ、購入希望者は自らが出せる最大額、80万ドルで再び入札しなければならなくなる。そして再び落札できたら、銀行は80万ドルを貸し出すだろう。しかし今度は、全てのお金が売り手に行き、政府にお金は入ってこない。
この推論の連鎖を辿っていけば、土地譲渡税が存在する第1のシナリオにおいて、住宅の売値が下がるという形で、住宅の売り手に土地譲渡税が帰着していたことが容易に理解できる。そして土地譲渡税を減税した場合、〔減税によって生じる〕全ての利益は既存の住宅所有者〔住宅の売り手〕のものになる。住宅所有者は、自分の持っている住宅の売値が上昇するという形で全ての利益を手に入れる(よく使われる表現を用いれば、税は「資産計上」される)。住宅購入者は全く利益を得ない(住んでいた家を売る場合は例外である)。
よって本当の問題は、既存の住宅所有者は大規模な減税を受けるにふさわしいか(ダグ・フォードが提案する土地譲渡税の減税政策は、実質的にはこういうことだ)、である。私は、トロントで不動産を所有している人々は既に棚ぼたの利益を得ているという単純な理由から、これに「No」と言いたい。トロントの不動産所有者の多くは、自分の所有する住宅の価値が過去10年で2倍から3倍に膨れ上がったことを知っている。彼ら彼女らに対する減税は本当に必要だろうか? 更に、密度規制を含む様々な規制のおかげで、トロントにおける住宅資産の所有者は著しい経済的レントを得ている。レント(経済学の専門用語における意味で)に対する課税は、〔インセンティブを〕歪めない点で、効率性の観点から見れば最も優れた形の税である。それゆえ、土地譲渡税は効率的かつ公正であり、理想的な税に近いものである。
また、ピケティ―が『21世紀の資本』で提起した観点からこの問題を考えてみよう。私を含む多くの人々が、銀行預金といったものを含む全ての資産に対して「富裕税」を課すべきだというピケティの提案に懐疑的だった。しかし〔富裕税に賛同する〕多くの人の心情に同意するなら、富裕税にかなり近いのは、資産税だ(一般的に、地方自治体による固定資産税は、現存している税制では最も累進的な税制度となっている。賃貸住宅における税の帰着に関する重要な例外があるとは言え)。だから、土地譲渡税は、部分的な富裕税という役割から、平等主義を根拠としても支持することができる。
いずれにしろ疑いえないのは、ダグ・フォードの陣営の誰も、こうしたことを一切考えていないということだ。ダグの政策は、人々の怒りの対象に対する〔ポピュリストの〕お決まりの反射的なリアクションに過ぎない。土地譲渡税の減税から恩恵を得ると思っている人々(住宅購入者)は単に混乱しているだけであり、一方で土地譲渡税を実際に負担している人々〔住宅所有者、住宅の売り手〕は恩恵に気が付いておらず、よって気にもかけていない。冷徹かつ合理的な目ではっきりと、経済的利益の在処を見抜いているグループが1つだけある。不動産業者だ。〔不動産業者が土地譲渡税の利益を目敏く見抜いている理由は2つある。〕1つ目は、不動産業者は税金分を除く住宅の売値に応じて手数料を取るからである。土地譲渡税の減税に応じて住宅の売値は上昇する〔よって手数料も高くなる〕ので、不動産業者は土地譲渡税減税の利益を受ける立場にある。2つ目は、不動産業者は不動産取引によって稼いでいるため、住宅市場の回転率が上がればさらなる利益を得るからだ。それゆえ不動産業者は取引の数を最大化したいと考えており、業者は、それを達成するために、〔土地譲渡税含む〕他の全ての取引コストを取り除く必要があると考えている。
トロント不動産委員会(実質的には、不動産業者のロビー団体)が、この件について実に活発な動きを見せているのはこのためだ。委員会は、土地譲渡税の撤廃を求めるアストロターフィング [3] … Continue reading を始めたり、土地譲渡税は不動産市場に莫大な被害を与えると主張するばかばかしい研究を発表したりしている(その間、カナダ政府を含む世界中の人々は、トロントの不動産市場が危険なほど過剰に評価されていることを示す明らかな兆候に戦々恐々としている)。不動産業者の利害は、住宅所有者および住宅購入者の利害とは別問題であるため、それを真剣に気に掛ける人は多くない。しかし不動産業者は、自分たちの主張を信じるほど単純な人間を1人、見つけてしまったようだ。ダグ・フォードのことである。
法人税が最終的には企業によって支払われているわけではないという理由で、NDPの法人税増税の訴えを非難していたコラムニストたちが、この件でもメディア上でダグ・フォードを批判し騒ぎ立てて、なぜ土地譲渡税が最終的には住宅購入者によって支払われているわけではないのかを説明してくれればよいのだが、これが過大な要求だということも重々承知している。
References
↑1 | 訳注:1976年からアメリカで放映されたシットコム「ラバーン&シャーリー」の各話の冒頭で、主人公2人が歌っている歌に登場する言葉。イディッシュ語に由来し、風刺のニュアンスで使われることもある。schlemielは「ドジ」、schlemazelは「不運な人」というような意味。 |
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↑2 | 訳注:心の二重過程論によれば、人間の思考のプロセスは、自動的で高速なシステム1と、明示的でのろいシステム2に区別できる。システム1は直感に、システム2は理性に、しばしば重ねられる。 |
↑3 | 訳注:人工草の根運動。「アストロターフ」という人工芝の商品名に由来する言葉で、利益団体などが草の根運動を装ってオピニオン発信などを行うことを指す。 |