Scott Sumner ”Shaming” The Money Illusion, January 11, 2019
私はTwitterを利用していないが,誰々は政治的に正しくないと告発するツイートについて議論するニュースを時折目にすることがある。こうしたツイートについてどのように考えればいいだろうか。原則的には,告発は攻撃的なコメントや振る舞いを抑えるという大事な公的機能がある。しかし,政治的に正しくないスピーチを告発することは効果的ではないように思える。どうしてか。
真正面から解釈すれば,告発ツイートは様々なレイシスト(民族差別的)あるいはミソジニスト(女性差別的)的なコメントに対する罰だ。これは真実かもしれないが,現実にあまりうまく当てはまるようには見えない。実際のレイシストないし性差別主義者は,彼らを罰しようとする告発ツイートによって打撃を受けていない。対照的に,一般的に打撃を受けるのはレイシストや性差別主義者ではない人たちだ。告発はドナルド・トランプやスティーブ・バノンとっては痛くも痒くもない。実際,バノンは自身の熱狂的支持者たちの前で,「レイシスト」のラベルを勲章として着けるよう主張している。その一方で,こうした類の〔告発ツイートによる〕攻撃は,凝り固まった考え方をしていないラリー・サマーズのような人たちに対してかえって悪影響を与える。レイシストないしミソジニスト的な言説を意図的に行う人々は,まさに表立った告発が彼らにとって痛くもないからこそそうしたことを行うのだ。
ツイッター告発に関して高校モデルを考えてみよう。高校では非リア充には守ることのできないルールをリア充が作り出していたことを思い起こそう。非リアがうまくできなかったときにはからかわれた。これは今日のTwitterではなかろうか。
自身の集団が高いレベルの政治的正しさを備えた人々だけから構成されることを確保したいと考えているとしよう。ひとつの方策は,ほとんどの人たちはついていけないほどに厳しいルールを作り上げることだ。だからこそ,ケイティ・ペリーは芸者のように着飾ることが日本人を侮辱することだと知らなかったのだ。なぜ知らなかったか。それはケイティ・ペリーが芸者のように着飾ることは実のところ日本人を侮辱することではないからだ。実際,彼女の行為は光栄であると日本人は感じた。そうでなければ,どうやったら「コスプレ」が日本文化の大きな一部になりえようか。政治的正しさをこうした現実離れしたものにするならば,ほとんどの人にとってはついていくことが困難だろう。
中国の文化大革命においても同じ力が働き,紅衛兵はイデオロギー的純粋性について段々と過激な要求を行った。実のところ,この技術は歴史を遥か前にさかのぼる。ケヴィン・シムラーとロビン・ハンソンの新刊は,この逸話を古代中国から持ってきている。
趙高は権力者であり,更に権力を高めるのに貪欲であった。ある日彼は皇帝や多くの高官との会議に鹿を連れてきて,この鹿を「駿馬である」とした。趙高を偉大な師であると考え,したがって彼を完全に信頼していた皇帝はそれが馬であることに同意し [1] … Continue reading ,そして多くの官吏も同様だった。それ以外の人々はしかしながら,沈黙するか異見を述べた。これこそ趙高が自らの敵をあぶり出すやり方だった。その後すぐ,彼は鹿を馬と呼ぶのを拒んだ官吏すべてを殺害した。
(少なくともジェフ・フレーク [2]訳注;トランプを強く批判して引退した上院議員の人 は殺害されてない!)
ラリー・サマーズよりもはるかに左にいる人々ですらネット上で炎上している。2016年の選挙運動の最中,バーニー・サンダースは「すべての命は大切(all lives matter)」と発言して問題となった。彼の年代(1960年代生まれ)にとっては,この発言がなぜ攻撃的なのかはっきりしない。つまるところ政治的正しさ主義というのは,内側の人たち,リア充だけしか告発を免れることができないほどに物事を複雑にすることなのだ。サンダースはすべての命は大切と発言することが,黒人の命は大切(Black Lives Matter)運動を暗に批判するもの(時々そうであることもあるが,サンダースの場合は違う)だと見なされるとは気づかなかった。バーニー・サンダースはかつてリア充であると考えられていたが,彼の年齢,ジェンダー,人種がやがて彼に追いつき,老いた白人男性ではない誰かに取って代わられることだろう。2019年においては,その多くがトランプに投票したブルーカラー労働者のために立ち上がることはもはやリア充行為ではないのだ。
私が間違っており,実際にツイッター告発は攻撃的な言辞を罰するものであるとしてみよう。主要メディアにおける過去一年で最も攻撃的な言辞について考えてみよう。私の一票は以下のブルームバーグの記事に投じる:
人民日報が参照した人口学者のうちの1人,何亚福はブルームバーグに対し,1,500万人という出生数は1949年に中華人民共和国が建国されて以来3番目に低いものだと述べた。この数字より下は,中国が自然災害と飢饉による被害を受けた1960年と1961年しかない。
ボブ・ドールが言ったかどうかはともかく,「怒りを感じないのか」というところだ。1959年から61年にかけての大躍進は,人類史上最悪の犯罪の2指か3指に入る。そしてほか〔の最悪の犯罪〕と異なり,これは私が生きている間に起きた。おそらくは3,000万人が毛沢東によって強いられた残虐な政策によって亡くなり,数えきれない多くの人が筆舌に尽くしがたい苦しみを受け,毛沢東は彼の行動が破滅的な結果をもたらすと警告されてさえいた。この犯罪が「自然災害」であると示唆すること以上に攻撃的なことなどあるだろうか。
ここでの問題は,人種,性別,ジェンダーについての見方がそれほど極端ではない人々を排斥することが目標である場合,「すべての命は大切」と言ったり,芸者風に着飾ることを告発することは,大躍進に対する無視を告発することなど及びもつかないほど効果的であるということだ。
告発のよくある形態のひとつは,論理的には直接的には攻撃ではないが無神経に見える言辞を批判することだ。こうした類の言辞を行いがちな人々は,しばしば高校で「オタクっぽい」と見られていた種類の人々とまったく同一であったりする。皮肉なことに,彼らに対する抑圧者の一部もまた元オタクであり,学校で被ったあらゆる悲惨な目に報復する機会をようやく手に入れた人々なのだ。
追記:この記事の考えは部分的に,隠れた動機に関するシムラー&ハンソンの本に着想をえたものだと言っておく必要がある。しかし彼らの理論を私が間違って使ったとしても彼らが非難される(あるいは告発される)べきではない。
追追記:ブルームバーグの引用部分は自然災害と飢饉となっているなどと指摘するのはやめてほしい。そんなことは分かっているが,ほどんどの読者に対してこの一文が明らかに意味するところはなんだろうか。飢饉を引き起こした自然災害だろう。