●Tyler Cowen, “Are books overwritten?”(Marginal Revolution, July 29, 2008)
・・・(略)・・・とは言え、だ。インターネット上で長時間過ごすのが日課になってからというもの――2002年あたりからだ――、それまでは大して気にもかけていなかったことが気になって気になって仕方なくなっている。「本であれ、雑誌の記事であれ、何でこんなにもくどくどと長ったらしいのだろうか?」と気になって仕方ないのだ。例えば、シーモア・ハーシュ(Seymour Hersh)が書く記事なんてどうだろうか? 疑いもなく、彼は一流の記者だ。しかし、彼の記事を半分の分量に縮めたとしても、内容面で何も損なわれはしないだろう。ハーシュをいびりたいわけじゃない。ハーシュが書く記事だけにとどらまず、雑誌に掲載されている記事の3分の2は、その分量を3分の1くらい(あるいはそれ以上)削っても内容的に大差ないように私には思われるのだ。雑誌の記事だけじゃない。多くの本に関しても同様だ。
・・・とケヴィン・ドラム(Kevin Drum)が述べている(全文はこちら)。多くの読者は、心を静める(リラックスする)ために、くどくどと長たらしい本を必要としているんじゃないかというのが私の見立てだ。ラジオから流れてくる単調で心地よいDJの声に身を委ねるのと同じように。
読者の皆さんにお聞きしたいが、多くの本はくどすぎる(無駄に長い)というドラムの意見についてどう思われるだろうか? 賛成? それとも反対? コメント欄で思うところを述べてもらえたら幸いだ。遠慮なんかしないで、くどすぎると思う作品の名前を具体的に挙げてもらっても構わない。私のイチオシのロック歌手であるHillelが諸君のコメントを参考にしてまたもや曲を作ってくれるらしいぞ。曲が出来上がり次第リンクを貼るつもりだ [1] 訳注;完成した曲はこちら。。「曲の質は諸君のコメントの質次第」(by Hillel)とのことだ。詩的たれ! 音を浮かべよ! お望みならば、くどくあれ!