●Tyler Cowen, “Did Keynes favor planning?”(Marginal Revolution, May 1, 2011)
「ケインズ vs ハイエク」のラップバトル(第二ラウンド)動画をきっかけに、「ケインズは『中央による計画』を支持していたか?」という問いに注目が集まっている。バークリー・ロッサー〔拙訳はこちら〕 とブラッド・デロングの両人の答えは「ノー」とのことだが、「中央による計画」というのをどう定義するかによっても、どんな文脈で語られた発言かによっても、答えは違ってくるだろう。ロッサーはどうにか言い繕(つくろ)おうとしているが、ケインズが『一般理論』の中で語っている「やや広範にわたる投資の社会化」っていうのはどう解釈したらいいだろうか? 「やや」っていうのは何ともずるい言い回しだが、1920年代あたりにソ連で試みられた計画とは別物と考えていいだろう。とは言え、ラップバトル動画内での「中央による計画」という言い回しには、これといって問題はないと思う。私なりに数えたところでは、「中央による計画」という表現が出てきたのは10分の間に1回だけだが、何よりも注目すべきなのは、ケインズが「そちらが推奨する『中央による計画』のおかげなんかじゃなくて云々」というハイエクの発言に取り合わずに、支出(総需要)をどうやって増やしたらいいかが論点なのだと切り返しているところだ。 動画内での二人(ケインズ+ハイエク)の発言のどれもこれが的確だと思う必要はないし、議論が何だか噛み合ってないように思えるなら実際にもその通りだったんだから仕方がない。
ついでながら、ケインズが『一般理論』のドイツ語版に寄せた序文の中の以下の記述についてはどう考えたらいいだろうか?
本書で提示されるのは、総産出量(経済全体としての産出量)の決定に関する理論です。この理論は、自由競争とかなりの自由放任が成り立っている状況での(一定の総産出量の下での)生産と分配に関する理論――正統派の理論――よりも適用できる範囲が広くて、全体主義国家が置かれている状況にずっと適合させやすいのです。
いくつかの反論が考えられる。a) (正統派の理論よりも)自分の理論の方が当時のドイツの体制と相性がいいと思ってはいたが、だからといって、ケインズが当時のドイツの体制に好意を寄せていたというわけじゃなさそうだ。b) ナチス政権は「中央による計画」には乗り出していなかった。c) この序文は1936年に書かれている。計画にまつわる面であれ、その他の面であれ、ナチスが重大な過ちを犯すよりも前の時期に書かれているのだ。
いちいちもっともな反論だが、ケインズが活躍していた時代には、社会主義的な計画を熱烈に支持する声は珍しくも何ともなかった。ケインズもそんな時代の空気に同調していた。少なくとも1930年代の一時期はね。ケインズがよしとした計画は、当時出回っていた過激なアイデアと比べると穏やかではあったが、そんなケインズと、計画に強く反対したハイエクとを対比させても不当とは言えないだろう。ケインズが『一般理論』のドイツ語版に寄せた序文みたいな文章をハイエクが書いてるところを想像できる? 私には、想像できないね。
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●Tyler Cowen, “Keynes on planning, coda”(Marginal Revolution, May 2, 2011)
昨日のエントリーで、「ケインズは『中央による計画』を支持していたか?」という問いに対する私なりの考えを述べさせてもらったが、(「ケインズ vs ハイエク」のラップバトル動画の制作者の一人でもある)ラッセル・ロバーツも遂に参戦だ。ところで、昨日のエントリーのコメント欄でローレンス・ホワイトが次のように指摘している。
ケインズがハイエクに向けて『隷従への道』の感想を綴った手紙を書き送ったことはよく知られていますが、ケインズはその手紙の中で――計画を拡大すれば、経済の効率性はむしろ高まるだろうと述べた後に――次のように書いています。
「そういうわけですから、貴殿とは大いに異なる結論を導かなければなりますまい。計画なしで済ませるのでもなければ、計画を縮小するのでもなく、計画をさらに拡大すること。おそらくはそれこそが求められているのです。ただし、リーダーも含めて国民の多くが貴殿の説く道徳を共有している限りにおいて、という条件を付けるべきでしょう。穏やかな計画の担い手が正しい道徳観念の持ち主であるようなら、何の危険もないでしょう。
失言なんかじゃなくて、本心だ。ケインズ(を含めて、ケインズの同時代人のその他多数)は本気で上のように信じていたのだ。近年のケインジアン――数理的なケインジアン・モデルを奉じている経済学者――とは違って、ケインズらは、投資は極めて激しく変動すると見なしていて、荒ぶる投資を宥(なだ)めるためには、かなりラディカルな処方箋を練る必要があると考えていたのだ。ケインズのモデルと、MIT(マサチューセッツ工科大学)あたりで教えられていたケインジアンのモデル――いわゆる「新古典派総合」のモデル――とは同じじゃないのだ。ちなみに、ケインズが思い描いた処方箋の中には含まれていなかったようだが、投資の不安定性に立ち向かうために20紀前半によく取り沙汰された処方箋がある。カルテルの取り締まりがそれだ。
ところで、ブラッド・デロングが次のように述べている。
ケインズもフリードマンも似たり寄ったりというのがハイエクの評価だった。二人とも、総需要の安定化を図るためにマクロ経済政策を通じて金融市場に積極的に働きかけるのをよしとしていた、というのがその理由だ。ところで、タイラー・コーエンの評価によると、ケインズは「中央による計画」を支持していたとのことだ。ハイエクの評価とコーエンの評価を組み合わせると、フリードマンは――ケインズと似たり寄ったりのフリードマンも――「中央による計画」を支持していたという話になる。
ケインズからの手紙を受け取ったハイエクはどう思っただろうね? 「あれ? これは誰からの手紙だろう? もしかしたらフリードマンからかな?」って一瞬でも思ったろうかね?(そんな感じでハイエクが惑うには、フリードマンにもう少し早く生まれてもらわなければならないけれど)。ハイエクには、手紙の差出人が誰なのかもう一度確かめてもらわないといけなそうだ。