●Tyler Cowen, “Switching conventions”(Marginal Revolution, March 5, 2004)
有用な社会的慣習の例として、「右側通行か? それとも左側通行か?」という車道の慣習を引くというのは経済学者のお決まりのやり口〔拙訳はこちら〕だ。右側通行と左側通行のどちらが「均衡」として選ばれるかというのは、恣意的な面を備えている。というのは、みんなが同意しさえすれば、右側通行であろうと、左側通行であろうと、どちらでも構わないからである。
ところで、つい最近知って驚いたのだが、車道の慣習が世界各地で次第に似通ってきている――右側通行に収斂する傾向にある――ようだ。以下に、具体的な例を挙げよう。
1. 最新のデータによると、左側通行が採用されているのは、面積で測ると世界全体の17%、人口で測ると世界全体の32%に過ぎない。具体的には、インド、インドネシア、パキスタン、日本、バングラデシュなどが左側通行の国。
2. カナダは右側通行の国だが、もとからそうだったのはケベック州とオンタリオ州だけ。ブリティッシュ・コロンビアをはじめとするその他の州は、もともとは左側通行だったのである。カナダ国内で右側通行に変更する動きが盛んになり始めたのは1920年代に入ってから。ニューファンドランド・ラブラドール州はその動きにだいぶ遅れをとり、カナダに併合される直前の1947年になってようやく右側通行に変更された。
3. 旅行ガイドブックであるベデカー(Baedeker Guide)の1903年版には、次のような解説がある。「イタリアでは、地域ごとに交通ルールが異なります。ローマ近辺の交通ルールは、イングランドと同じです。前方から対向車が来た場合は左側に寄り、前の車を追い抜く場合はその車の右側を通るようにしましょう。しかしながら、ローマ以外の大半の地域では、これとは逆になります」。
4. オーストリアの大半の地域では左側通行が採用されていたが、1938年のアンシュルス(ナチス・ドイツによるオーストリア併合)を機に右側通行に変更になった。チェコスロバキアとハンガリーももともとは左側通行だったが、同じくヒトラーの手によって右側通行に変更された。
5. フォークランド諸島では左側通行が採用されているが、1982年にアルゼンチン(右側通行の国)に占領された際に一時的に右側通行を採用した。
6. ミャンマー(ビルマ)はもともとは左側通行だったが、1970年に右側通行に変更した。その背後には、イギリス(左側通行の国)の植民地だった時代の名残を払拭しようとの意図があった。パナマでは1943年に右側通行に変更された。パン・アメリカン・ハイウェイ(南北アメリカ大陸を縦貫する高速道路)が開通されたのがその主たる理由。
7. 最近になって右側通行に変更された国を挙げると、以下の通り(国名の後の数字は、右側通行に変更された年を表わしている)。中国、台湾、韓国(1946年)、ベリーズ(1961年)、エチオピア(1964年)、アイスランド(1968年)、ナイジェリア(1972年)、ガーナ(1974年)、南イエメン(1977年)。
8. 島国では右側通行に変更されるケースが少なく、変更されるとしてもかなり遅れてそうなる傾向にある。
以上の例は、クリス・マクマナス(Chris McManus)の『Right Hand, Left Hand: The Origins of Asymmetry in Brains, Bodies, Atoms, and Cultures』(邦訳 『非対称の起源――偶然か、必然か』)から引っ張ってきたもの。
雑感:慣習は思った以上に簡単に変わるみたいだね。それに、慣習が変わるのはそんなに珍しい現象でもないようだ。ところで、イングランドとか、ニュージーランドとか、オーストラリアとか(といった左側通行の国々)を訪れるたびに、ロータリー(円形交差点)に進入した際に一体どの車に優先権があるのかわからずによくまごつくものだ。早いとこ、しっかりとした慣習が確立されてくれないものかね。
いつも翻訳楽しみにしてます。蛇足ながら、東アフリカ共同体(ケニア、ウガンダ、タンザニア、ルワンダ、ブルンジ)では旧英領があらゆる面で圧倒的に優勢なので、仮に域内で統一する場合には左側通行派の牙城となってくれそうです。
左側通行が続くかどうかが国内の権力バランスを測る指標になりそうですね。もしかしたら私もその中のいずれかの国を将来訪れる可能性もあるかもしれませんので、それまでは左側通行派に踏ん張って欲しいものです(そもそも日本国内でも車はあんまり運転しないんですけども)。