●Tyler Cowen, “The fear of death”(Marginal Revolution, August 26, 2005)
ロビン・ハンソン(Robin Hanson)が小論(pdf)を物している。以下にアブストラクトを引用しておこう。
ヒトは、「死」というものについて考えることが大分苦手なようだ。遺書を書くのをズルズルと先延ばししたり、生命保険に加入するのを渋ったり、風変わりな治療法なり宗教なりに興味を持ったりするのも、「死への恐れ」が一因となっていると語れることが多いが、「死への恐れ」が引き起こす問題は、多くの人が想像しているよりもずっと厄介なのだ。「死への恐れ」は、我々の所得の実に15%を健康面で大して(あるいは、まったく)効果のない医療行為に費やさせる働きをしている一方で、エクササイズのような健康面で大きな見返りのある事柄に目を向けさせなくする働きをしているのだ。
こちらの論文でも同じ話題が取り上げられているが、その概要についてハンソンが件の小論の中で紹介しているので以下に引用しておこう。
Soloman&Greenberg&Pyszczynski(2000)によると、遺体安置所のそばに立つなどして死を身近に感じるようになった人は、英雄を称える傾向が強まる一方で、売春婦を見る目が厳しくなる傾向にあるという。それだけではない。死を身近に感じるようになると、自分が信じる宗教だったり自分の祖国だったりを称える論者にも、自分が信じてはいない宗教(異教)だったり異国だったりを批判する論者にも、甘くなる(好意的な評価を寄せる)傾向が強まるという。さらには、国旗や十字架をぞんざいに扱うのを嫌がるようにもなる。「自分は車の運転がうまい」って思うようにもなれば、他人が自分の意見に同意してくれる可能性を高く見積もるようにもなる。自分の意見が風変りだったり、自分が所属する集団の評判が悪かったりすると、その意見なり集団なりから目を逸(そ)らそうと必死になる。超自然的な存在(神など)を信じる傾向が強まる。以上の一連の効果は、自尊心が高い人ほど表れにくいとのことだ [1] … Continue reading。
この件については、私もブライアン・カプラン(Bryan Caplan)と意見を戦わている最中だ。カプランは伝統的な経済学の立場に立って、「人は、重大な決断が迫られる場面では、大抵は合理的に振る舞う――決断の重要性が高ければ高いほど、人が合理的に振る舞う傾向は強まる――ものだ」と宣(のたま)う。「君の言う通りだけど、しかし重要な例外がある」っていうのが私の立場だ。人は何か重大な決断を迫られると、緊張して固まってしまったり、やたらと教条的(頑固)になったり、注意散漫になったり、自己欺瞞に陥ったりすることが多いのだ。とは言え、医療への支出が健康に及ぼす効果についてはハンソンほどには懐疑的じゃないけどね。
(追記)こちらの論文(pdf)では、死を拒絶しようとする試みが経済行動としてどのようなかたちをとって表れるかがテーマになっている。あわせてご覧あれ。
References
↑1 | 訳注;自尊心には不安を和らげる働きが備わっているため(自尊心が高い人は、不安に対する耐性が強く、それは「死への恐れ」が引き起こす不安に対しても同じ)、というのが理由の一つとして挙げられている。 |
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乙です&お久しぶりです!
引用部の最後” People with high self-esteem are mostly immune to these effects”は意味が逆になってしまっているようです。自尊心が高いほど効果が薄い、ということかと思いますが、単に元々そういう傾向のある人たちだからというだけな気がしますね。
お久しぶりです。
仰る通り、意味が真逆になっちゃってますね。お恥ずかしい限りです。
Soloman&Greenberg&Pyszczynski(2000;pdf)を読むと、自尊心は不安を和らげる働きがあって、それゆえに自尊心が高いほど効果が薄いって結果になってるんじゃないかって結論付けられてるみたいですね。自尊心が高い人は、不安に対する耐性が強くて、それは「死への恐れ」が引き起こす不安に対しても同じ、ってことなんでしょうね。