●Tyler Cowen, “The cookbook theory of economics”(Marginal Revolution, June 25, 2013)
「経済発展に関するレシピ本理論」というタイトルでフォーリン・ポリシー(Foreign Policy)誌に記事を寄稿したばかりだ。内容の一部を以下に引用しておこう。
まずはじめに、世界的に広く知られているメキシコ料理や中華料理について考えてみることにしよう。この頃は、(アメリカ国内にある)どの書店にも、メキシコ料理や中華料理の優れたレシピ本が何冊か置かれていることだろう。それはどうしてなのだろう? アメリカ人がワカモレや炒め物に目がないというのもあるが、他にも理由はある。ここには開発経済学の話題が大きく関わっているのだ。それぞれの社会が商業化や大規模生産、生産プロセスの標準化に向けてどの程度歩みを進めているかをグルメの観点から照らし出した指標、それがレシピ本だと言っても過言ではないのだ。「商業化、大規模生産、生産プロセスの標準化」というのは、それぞれの社会が経済発展を果たすためのレシピ(秘訣)に他ならないのだ。
もう少しだけ引用しよう。
料理がどのような順を追って活躍の場を広げていくことになるかを考えてみよう。出発点は言うまでもなく家庭だが、しばらくするとレストランへと足をのばし、やがてはレシピ本の世界へと歩を進めることになる。その過程では、料理のレシピは、「家庭の中だけの口伝」から「市販用の商品」へと姿を変えることになる。
家庭の中では、料理のレシピは、祖母から母へ、あるいは、父から息子へと教え込まれる――あるいは、単に料理の様子を眺めたり、手伝いをしたりすることで、代々受け継がれていくことになる――。例えば、メキシコの片田舎に立ち寄った際にこの目で確かめたのだが、とある家で姉が妹にトルティーヤの正しいこね方を実演しながら事細かに教えていたものだ。しかしながら、社会が豊かになるにつれて、料理に特化したレストランがその姿を現すことになる。職業の特化が進むわけだ。・・・(略)・・・レストランでは、赤の他人――新たに雇われたコック――に料理の作り方を教えなければならない。誰でも容易に――それも、必要な時にいつでも――調理できるように、料理の調理法や料理に使う材料は可能な限り単純化・標準化されねばならない。そのためには、レシピを記録する(書き留める)ことが必要となる。
かくして料理が商業の世界で花開くことになれば、次に出番を控えているのはレシピ本だ。
記事の最後は次のように結ばれている。
アダム・スミスの言う通りになっているかどうかを確かめたいなら、近所の店でカホクザンショウや(タイ)バジルを手にとってみればいい。そう、それこそが正真正銘の国富に他ならないのだ。
そうそう。料理の話題と言えば、拙著である 『An Economist Gets Lunch: New Rules for Everyday Foodies』(邦訳『エコノミストの昼ごはん――コーエン教授のグルメ経済学』)もお買い忘れなく。