Daron Acemoglu, James Robinson, “The economic impact of colonialism” (VOX, 30 January 2017)
今日の世界に観察される巨大な経済格差は、膨大な歴史過程を経て実現した経路依存的アウトカムであるが、そうした歴史過程の中でも一際重要なものに、ヨーロッパの植民地主義がある。最近のVoxebookから抜粋した本稿では、植民地主義が幾つかの根源的、しかし不均一な形で近代の格差を形成してきた、その経緯を検討する。
本稿の初出はVox eBook 『歴史に掛かる経済と政治の長影 (The Long Economic and Political Shadow of History)』 一巻。同書はこちらからダウンロード可能。
今日の世界に観察される巨大な経済格差は、一朝一夜にして出現した訳でないことは当然としても、前世紀に生じたものでもない。経済格差は膨大な歴史過程を経て実現した経路依存的アウトカムであるが、そうした歴史過程の中でも一際重要なものに、ヨーロッパの植民地主義がある。我々の来し方を500年ほど辿る、つまり植民計画の揺籃期にまで遡るなら、貧困国と富裕国との間にも然したる格差は無く差異も僅かである様が確認できる (恐らく差は4倍ほど)。現在はどうか。世界の最富裕国と最貧困国を比較すると、その差はいまや40倍を超える。さて、植民地主義はこの辺りの事情にどの様に関与していたのだろうか?
我々はサイモン・ジョンソンとの共同研究を通し、植民地主義が幾つかの根源的、しかし不均一な形で、近代の格差を形成してきた事を明らかにしてきた。ヨーロッパの地において、アメリカ大陸の発見や、そのアメリカ大陸にはじまりアジア、アフリカへと続く大々的な植民地計画の登場が制度的・経済的発展を刺激する潜在的契機となり、斯くして後に産業革命として結実する諸々を始動させるに至ったのである (Acemoglu et al. 2005)。しかしその影響の在り方はヨーロッパ内部の制度的差異により掣肘されていた。予てから君主に対する抵抗が議会や社会に優位を与えていた英国などの地では、アメリカ大陸の発見は商業・産業集団にいっそうの権勢をもたらすに至った。こうした集団はアメリカ大陸や、間もなくアジアからも、新たな経済機会を享受することができた。その結果が経済成長である。他方、初期段階における政治制度や権力バランスの異なるスペインなどの地では、その結果も異なった。これらの国では君主が社会や商業また経済機会を支配しており、結果として、政治制度は弱体化、経済も衰退した。『共産党宣言』 でマルクスとエンゲルスが述べた如く,
「アメリカの発見が、喜望峰の迂回が、新興ブルジョア階級に新たな足場を切り開いた」 のだった。
それは事実であったが、一定の条件下でのみ当て嵌まる事実であった。別の条件下では、同発見はブルジョア階級の立遅れに繋がった。結果から見れば、ヨーロッパの中には植民地主義により経済発展が加速した地域もあれば、逆にこれが停滞した地域もあったのである。
しかしながら植民地主義の影響は植民活動を行った社会の発展に留まってはいなかった。言わずもがなではあるが、植民地主義は植民地化された社会にも影響を及ぼしたのである。我々の研究 (Acemoglu et al. 2001, 2002) は、この点でも、またや、不均一な影響が見られたことを明らかにしている。これは植民地主義が様々な地で相異なる種類の社会を生み出すに至った為である。とりわけ植民地主義が世界の様々な地に残した制度的遺産は千差万別であり、経済発展の帰趨は著しく散開している。その原因は、種々のヨーロッパ列強がそれぞれ異なる制度を移植した – 換言すれば、北アメリカの成功はそれが継承した英国の制度に負うものであって、他方ラテンアメリカはスペインの制度を継承したが故に失敗した – からではない。実際の所、実証データは相異なる植民地宗主国の持っていた意図や戦略が極めて似通っていた様を示す (Acemoglu and Robinson 2012)。アウトカムが著しく異なったのは、植民地における初期段階条件にバラツキがあった為だ。例えば先住民の稠密な人口集団があったラテンアメリカでは、こうした人々の搾取を拠所にした植民地社会を建設することができた。そうした人口集団が存在しなかった北アメリカに、その様な社会は在り得べくもなかった。尤も、初めの英国植民者はそうした社会の建設を目指していたのだが。こうした状況に応え、初期の北アメリカ社会は全く別の方向に進んで行く: ヴァージニア会社といった初期の植民ベンチャー企業は、ヨーロッパ人の関心を惹き付け、開けたフロンティアをめざし走り去る彼らを引き留める必要を認識し、そこでこうした人達に対し労働と投資のインセンティブを与えることが必要になった。これを達成した制度、例えば政治的権利や土地利用権だが、こうした制度には植民宗主国におけるそれとの比較においてさえラディカルな差異が見られる。ラテンアメリカ類似地域、例えば南アフリカ・ケニア・ジンバブエなどを発見した際の英国植民者は、我々が 『収奪的制度 [extractive institutions]』 の名で呼ぶ諸々の敷設に掛けては万事抜かりなく、また大いに関心を寄せていた。この収奪的制度というものは先住民の管理と地代の収奪をその基盤とする。Acemoglu and Robinson (2012) では、人口集団の大半からインセンティブと機会を剥奪するこの収奪的制度が、貧困と関連している旨を論じている。今日アフリカにおけるこの種の社会がラテンアメリカ諸国と同じ程度の格差を抱えているのも、偶然ではないのである。
形成された社会のタイプに関わっていたのは諸先住民集団の稠密性だけではない。Acemoglu et al. (2001) で我々が明らかにした様に、潜在的なヨーロッパ入植者の直面する疾病環境も重要だった。北アメリカの植民地化を鼓舞したのは何か、それは比較的恵まれた疾病環境であった。これがヨーロッパ移住を保全する制度創設戦略を促進したのである。西アフリカにおいて収奪的制度の創出を鼓舞したのは何か、それは西アフリカが 『白人の墓場』 であったという事実だった。これが 『包摂的経済制度 [inclusive institutions]』 タイプの創設を遠ざけたが、これこそ北アメリカにおける定住と発展を促した制度にほかならない。こうした包摂的制度は、収奪的制度と対照的に、膨大な人口集団へのインセンティブと機会を、確かに創出した。
植民地社会の相違の一原因として疾病環境に注目したのは、この種の社会が持つ性質の相違の源泉として、この点が唯一のものであるとか、さらには主要な原因であると考えたからでさえない。或る具体的な科学的理由が在ったからだ: ヨーロッパ人にとっての疾病環境、したがって特定植民地への移住性向に影響力を持った歴史的要因も、それ自体は今日における経済的発展の相違の重要な源泉ではない、これを主張する為だった。よりテクニカルな表現をするなら、これはヨーロッパ人定住者死亡率の歴史的な計測値が、経済的制度からの (一人あたり所得として計測した) 経済発展への因果的影響を推定する操作変数として利用できる可能性を意味する。このアプローチの主要な問題は、歴史上ヨーロッパ人死亡率に影響を持ったファクターが持続的なもので、今日における所得にも、例えば健康度や期待余命への影響を介して、影響を持っている可能性がある点だ。とはいえ、これが杞憂かもしれない理由が幾つか存在する。一、植民地におけるヨーロッパ人死亡率に係る我々の計測値は200年ほども前の、近代的医学の確立、熱帯病の理解解明以前のものである。二、これらは熱帯病に免疫の無いヨーロッパ人が直面した死亡率の測定値であるが、こうした死亡率は先住民が今日直面している死亡率とは極めて性質が異なる。そしてこれらの国々の現在の経済発展に関係が有るのは後者のほうだと推察される。念には念を、我々はマラリア感染リスクや平均余命など、様々な近代的健康測定手法を用いた計量経済学的調整に対しても本研究結果が頑健である旨も明らかにした。
斯くして、ヨーロッパ内部の発展に不均一な影響をもたらしたのとまさに同じ様に、つまり英国などの地では経済促進的に、スペインでは経済停滞的に働いた様に、この植民地主義なるものは植民地においても非常に不均一な効果をもたらしたのである。北アメリカをはじめとする一部の地における植民地主義は、大本の植民宗主国におけるものより遥かに包摂的な制度を備えた社会を生み出し、同地域に現在みられる大いなる繁栄の種を蒔いた。ラテンアメリカ・アフリカ・南アジアなどその他の地では、植民地主義は極めて貧弱な長期的発展アウトカムに帰着する収奪的制度を生み出した。
植民地主義が一定の文脈では発展にポジティブな影響を持った事実は、そこに先住民の人口集団や社会への破滅的かつネガティブな影響が無かった事を意味しない。実際そうした影響が在ったのである。
近世・近代における植民地主義が不均一な影響を持った由は、他にも数多くの実証データから信憑性を得ている。例えばPutnam (1994) は、ノルマン人による南イタリアの征服こそ、同地域における 『社会資本』 の欠乏をもたらした物、すなわち信頼や協調能力の欠けた社会に帰着した相互連帯的生活 [associational life] 缺欠の元凶だったのではないかと問う。だがノルマン人はイングランドも植民地化しているが、こちらは後に産業革命を産み出す一社会の誕生に繋がったのだった。この様にノルマン人の植民活動も不均一な影響を持ったのである。
植民地主義が社会の発展に大きな意味を持ったのは、それが様々な社会における制度を形成したからである。しかしそうした影響を及ぼしたものは他にも沢山あったし、少なくとも近世・近代においては、植民地主義から首尾よく逃げ果せた地もかなり存在する。幾つか例を挙げれば、中国・イラン・日本・ネパール・タイなどがこれに当るが、こうした国々の間でも発展アウトカムにはかなりのバラツキが有る。ヨーロッパ内部の巨大な差異は言わずもがなだ。こうした訳で、その他のファクターと比較したときヨーロッパの植民地主義は、定量的に見て、どの程度重要だったのか、この点に疑問が生ずる。Acemoglu et al. (2001) では、同論文の推定値に従うと経済的制度の差異は世界の一人あたり所得の差異のおよそ3分の2を占めると算定している。他方Acemoglu et al. (2002) も独自に、歴史的に見た定住者死亡率、および1500年時点での先住民人口密度が、今日の世界における経済制度のバラツキの約30%を説明する旨を明らかにしている。歴史上1500年時点に見られた都市化も植民地社会の性質のバラツキを説明する力を持っているのだが、その分を加算するならバラツキの50%超が説明されてしまう。これが事実だとすると、今日の世界における格差の3分の1は、様々な社会にヨーロッパ植民地主義が及ぼした一様ならぬ影響を以て説明できる。かなりの大きさではないか。
植民地主義が植民地における歴代の制度を形成したというのは、事に依れば至極当然なのかもしれない。例えば1570年代のペルーでは、スペイン人総督フランシスコ・デ・トレドによりポトシ銀山の採掘に係る強制労働の大規模体制が確立された。しかしこの体制、ポトシミタ制度 [Potosí mita] も、ペルーとボリビアが独立する1820年代に入り、廃止される。この種の制度、さらに敷衍するなら世界中で植民地権力が創設した制度一般が、今日の発展にも影響を及ぼしているのだとの主張、これは即ち、植民地主義が右制度を直接存続させるか、さもなければ経路依存的な遺産を残すか、そのいずれかの形を取って、これら社会の政治経済に及ぼした影響の在り方についての主張に他ならない。諸般の先住民に課された強制労働は少なくとも1952年のボリビア革命までは直接存続していたが、『ポンゲアヘ [pongueaje]』 の名で知られる体制が廃止されたのはこの時である。Acemoglu and Robinson (2012, Chapters 11 and 12) およびDell (2010) ではより一般的に、以上の様な事態を発生させた可能性の有るメカニズムを数多く検討している。
最後になるが、本実証成果が新たな比較発展理論に向けた重要な示唆を持っている点にも言及して置く価値が有る。長期的な発展パターンは地理的差異により専ら説明されるとの趣旨が一部から主張されている。これに反し、我々は、ひとたび制度の役割を考慮に入れるや、地理的ファクターは発展アウトカムと何ら相関を見せなくなる事を明らかにした。例えば、不羈性 [latitude] と地理との間には一定の相関が在るといった事実は、因果的関係を示すものではない。右の事情はヨーロッパ植民地主義の生み出した或る種の型の制度群が不羈性と相関していたという事実によって惹起されたに過ぎない。この点を考慮に入れるや、地理的変数は何ら因果的働きを持たなくなる。他方、文化的差異こそ最強の発展推進力であるとの主張も存在する。しかし我々が幾つかの手法で計測した限りでは、文化的差異の働きは全く確認されなかった。第一に、様々な人口集団における宗教的構成。第二に、我々の強調してきた所でもあるが、植民地権力のアイデンティティ。第三に、一国の人口にヨーロッパ人の末裔が占める割合。合衆国やカナダがヨーロッパ人で溢れているのは確かだが、我々の主張ではこれはこれらの国が優れた制度を備えていた事実に由来するアウトカムである。ヨーロッパ人の末裔たる人々が今日有する数的支配性が発展を牽引している訳ではない。
参考文献
Acemoglu, D, S Johnson and J A Robinson (2001), “The Colonial Origins of Comparative Development: An Empirical Investigation”, American Economic Review, 91, 1369-1401.
Acemoglu, D, S Johnson and J A Robinson (2002), “Reversal of Fortune: Geography and Institutions in the Making of the Modern World Income Distribution”, Quarterly Journal of Economics, 118, 1231-1294.
Acemoglu, D, S Johnson and J A Robinson (2005), “The Rise of Europe: Atlantic Trade, Institutional Change and Economic Growth”, American Economic Review, 95, 546-579.
Acemoglu, D and J Robinson (2012), Why Nations Fail, New York: New York.
Dell, M (2010), “The Persistent Effects of Peru’s Mining Mita”, Econometrica, 78, 1863-1903.
Putnam, R H (with R Leonardi and R Y Nanetti ) (1994) Making Democracy Work, Princeton: Princeton University Press.