ポール・クルーグマンが過去20年のマクロ経済政策をふりかえって、彼じしんや他の誰が想像したのよりも1998年論文〔日本語版〕が物事を予見していたのを見出している。当時、観測筋の多くはこう想定していた。「中央銀行が――とくに日銀の面々が――物価水準を上げたければ、とにかくマネタリーベースを増やせばいい。」 こんな単純な話をしていたわけ。
たとえばケン・ロゴフはクルーグマンの1998年論文についてこう発言していた:
流動性の罠にあろうとなかろうと、日銀が全力で取り組めばインフレを起こすのになにか顕著な技術的問題に直面するなどと、誰もまともに信じるべきではない。たとえば、日銀が貨幣供給を25パーセント増やして政府の名目債務の4パーセントを買い戻すのに使えば、インフレ予想は上昇するだろう。
クルーグマンは1998年論文でこれに異を唱えている。彼はニューケインジアン・モデルを使って、多くの人が想像してるのよりももっと事態はややこしいのを示して見せた。貨幣注入が一時的なものとなるか恒久的なものとなるか、どちらが予想されているかで事態はちがってくる。1998年論文はこんな風にまとめられている(強調はぼくによるもの):
「貨幣を発行すれば必ず物価水準が上がる」という命題は間違いだ。あるいは、お好みなら「言葉が足りない」と言ってもいい:恒久的に貨幣を発行すれば物価水準は上がるだろう。だが、「これは一時的だな」「危機が過ぎ去った後には巻き戻されるだろう」と 民間部門が予想する貨幣拡大は、なんにもならない:マネタリーベースを追加しても、〔経済に循環せず〕そこにとどまるだけだ。さらに、流動性の罠にはまった経済においては、マネタリーベースを大規模に増やしたとしても、ひとたび危機が過ぎれば巻き戻されると予想されるならなんにもならない:マネタリーベースの追加分は、そこにとどまるだけだ。
クルーグマンはさらに論をすすめて、マネタリーベースの大規模拡張は一時的なものになると国民は予想すべきとも述べている。さもないと、政治的に許容できないところまで物価水準がありえないほど大ジャンプしてしまうことが含意される。たとえば、連邦準備制度による量的緩和のもとでアメリカのマネタリーベースが数百パーセント増えたのが恒久的なものと予想されたなら、それに比例して物価水準が数百パーセントも大ジャンプしてしまっていたことだろう。
クルーグマンが言うには、2001年〜2006年に日本で実際に行われた量的緩和の実績と連邦準備制度による量的緩和プログラムは、彼の予想を裏付けている。こうした大規模な資産購入プログラムは結局のところ一時的な金融プログラムだと証明された。
この点は重要だし、ぼくも自分の著作で強調している。誤解のないように言いそえると、「恒久的」というのはマネタリーベースの外生的な増加のことで、(1) 通常の貨幣需要の伸びに対応するのに必要な分を超えていて、しかも (2) 反転されると予想されていないものをいう。
この点を例証するために、以前のポストで示しておいたことをここでも繰り返したい。かつてのポストでは、2016年の SOMA 年次報告書から引いた連邦準備制度による2025年までの連銀保有資産の予想中央値を使って、連邦準備制度のバランスシートの見通しをつくった。この見通しには、通貨のトレンド成長経路と、「恒久的なマネタリーベース」とぼくが呼んでいる級数を2025年まで引き延ばしたものが示されている。後者の級数は、マネタリーベースから超過準備を引いたものだ。連邦準備制度のバランスシートの負債側を反映しているこの2つの数値は、連邦準備制度バランスシートの資産側の予想経路に沿ってプロットされている。
連邦準備制度の資産の予想中央値はやがて通貨のトレンド成長と合流する点に注意しよう。歴史をみると、通貨のトレンド成長はマネタリーベースの大半をなしている。結果として、マネタリーベースの恒久的な数値は通貨のトレンド経路をおおよそなぞっている。
このグラフからは、連邦準備制度バランスシートの予想は量的緩和プログラムのもとでの貨幣拡張の一時的な性質を確証していることが含意される。つまり、連邦準備制度は、2025年のマネタリーベースの恒久的な成長の大半が通常の通貨需要成長からくることになると予想しているわけだ。この外生的な貨幣成長は量的緩和がなくても起こっていただろう。マネタリーベースの外生的な恒久的増加のきざしはない。
クルーグマンが言っているもっと大きな論点は、過去10年間に名目需要を頑健に増加させるにはマネタリーベースの恒久的な増加が必要だった、ということだ。これは連邦準備制度でも欧州中央銀行でも起こらなかった。クルーグマンの考えによると、 日本ではアベノミクスのもとでそれなりに起こっている。そうかもしれない。ただ、ぼくは完全には納得していない。ぼくの見方では、過去10年間に、インフレ目標のいろんな足かせによって、大半の先進国中央銀行ではこうした恒久的な増加がとても難しくなってしまった。
じゃあ、実際には恒久的なマネタリーベース拡大はどんな風に見えるんだろう? ぼくの論文では、過去10年間のイスラエルの経験に着目するといいと論じている。もっといい例は、大恐慌から抜け出しつつあった時期のアメリカ経済から得られる。1940年代序盤にマネタリーベースが恒久的なジャンプをしているのが実にまざまざと見てとれる:
クルーグマンが「信用できるかたちで無責任になる」ことと言っているのは、こういうことだ。マネタリーベースのこの恒久的なジャンプを達成するのに、戦争が必要になってしまった。同じことを、名目 GDP 水準目標ならもっと効率的に、規則に近い方式でできる。ただ、信用できるかたちで名目 GDP 水準目標に移行するには、アメリカの金融政策に大幅な体制変更(レジームチェンジ)が必要になるだろう。これで、またしてもクルーグマンの論文に話は舞い戻る:
2パーセントインフレ目標を提唱したもともとの論拠が経験によってどんな風に弱まったか、そして経済危機の深刻さがどれほどのものかを考えると、いくらか修正がなされるものと予想する向きもあるだろうーインフレ目標を高くするとか、ほかの種類の目標(物価水準や名目 GDP 目標)を設定するとか、そういう修正を予想する人もいるだろう。だけど、そういう修正はいまのところ起きていない。(…)これはなかなかに目を見張ることだ。もしも1930年代以来最悪の経済危機ですらーー累積で GDP の20パーセント分も予想された産出を先進国が失った危機ですらーー金融政策の体制変更(レジームチェンジ)をもたらすのに足りないとすれば、いったいなにが起これば体制変更がなされるのか、なかなか想像しがたい。
〔体制変更に関する〕クルーグマンの悲観論は理解できる。とはいえ、前回のポストで述べたように、ぼくはもっと前向きだ〔日本語記事; 新FRB議長J.パウエルが就任にあたって物価水準目標を含む金融政策規則が有用と発言したことを取り上げている〕。ぼくらは進歩しつつある。会話の流れは変わった。これが第一歩だ。