ブラッド・デロング 「ケインズはナチスを支持していた? ~『一般理論』のドイツ語版序文を精読する~」(2011年5月2日)

●Brad DeLong, “Daniel Kuehn: Keynes’s Foreword to the German Edition of the General Theory”(Grasping Reality, May 02, 2011)


ダニエル・キューン(Daniel Kuehn)のブログエントリーより。

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Facts & other stubborn things: Keynes’s Foreword to the German Edition of the General Theory” by Daniel Kuehn:一つの学派の一員としての自覚を持って結集している面々としては「そんなの論じる価値もない」と思っているのに、その学派に批判的な陣営(以下、「批判陣営」と略)にはどうしても見過ごせないように感じられてならない話題というのが稀(まれ)にある。溝に落っこちている落とし物みたいなものだが、批判陣営にはそれが「金塊」に見える。批判陣営は、その「金塊」を誰にも見咎められずに拾い上げると、がっしりと掴(つか)んで何が何でも手放すまいとする。その「金塊」に対して批判陣営なりに解釈を加えるが、その解釈にはこれといって反論も寄せられない。批判陣営と対立しているもう一方の側――一つの学派の一員としての自覚を持って結集している面々――としては、相手にするまでもないと思っているからだ。反論されずにいる間にあちこちに肉付けを施されながら、批判陣営の仲間内で瞬く間に広まっていく「金塊」にまつわる解釈。ケインズが『一般理論』のドイツ語版に寄せた序文が辿った運命がまさにそれだ。反ケインズ主義陣営――ケインズ学派に批判的な陣営――によると、『一般理論』のドイツ語版に寄せられた序文は、ケインズが密かにナチスを支持していた隠れファシストだったことを裏付ける確たる証拠だというのだ。・・・と言われても初耳だろうが、今こうして耳にしてみてどう感じるだろうか? 多くの人は、「そんなわけない!」と否定することだろう。イギリス自由主義の擁護者がナチスを擁護していただって? あまりに馬鹿げてる。そんな解釈は、「分析」の名に値しない。「戯言(たわごと)」に過ぎない。「ケインズは、ナチスの支持者じゃなかった」なんていうあまりにわかりきったことを証明するためにわざわざ腰を上げるなんていうのは、時間の無駄だ。

・・・なんて感じで切って捨てるのも、どうかとも思う。というのも、戯言と言い切るわけにはいかないからだ。「まずい」分析ではあっても、分析であることには違いないのだ。誤りを正すには、その誤りに真正面から立ち向かうのが一番だ。というわけで、ケインズが『一般理論』のドイツ語版に寄せた序文の内容を私なりに順を追って検討してみるとしよう。

ケインズが『一般理論』のドイツ語版(独訳版)のために序文を物(もの)したのは、英語で書かれた初版が刊行されてから数か月後の1936年9月のことだ。英語版の序文だとはっきりと明言されているが、ドイツ語版の序文に少し目を通すだけでも、ケインズが(同業者たる)経済学者を主たる読者として想定していることがわかる。ドイツ語版の序文では、イギリスにおける経済思想の歴史を辿ることから話が始められている。(ケンブリッジ大学で教えを受けた師であり、同じ職場の先輩でもあった)マーシャルには、マクロ経済学的な視点が欠けていたという。

現代のイギリスで経済学を生業(なりわい)としている誰もがお世話になった『経済学原理』の著者であるアルフレッド・マーシャルは、自分とリカードとの間にある思想面でのつながりに注意を促すために一方ならぬ骨を折りました。マーシャルは、リカード以来の伝統に限界原理と代替原理を接ぎ木するために多大な労力を費した一方で、一定の総産出量の下での生産と分配に関する理論とは別個に、総産出量(経済全体としての産出量)と総消費量(経済全体としての消費量)の決定に関する理論を発展させるまでには至りませんでした。そうした理論の必要性をマーシャルが感じていたかどうかはわかりませんが、総産出量の決定に関する理論は、マーシャルの後継者や弟子たちによって形作られた正統派の教義のどこを探しても見当たりませんし、必要だと思われていないことも確かです。私は、正統派の教義を学生として頭に叩き込まれるだけでなく、教師として次代を担う学生たちの頭に叩き込んでもきましたが、正統派の教義にどこかおかしいところがあるのに気づいたのはここ10年くらいのことです。その違和感との私なりの格闘の成果をまとめたのが本書なわけですから、イギリス古典派(あるいは、正統派)の伝統に対する反動の書とならざるを得ません。イギリス古典派の伝統からの転向の書イギリス古典派の伝統への訣別の書とならざるを得ません。いきおい、広く認められている教義との違いが強調されることになるわけですが、本書を読んだイギリスの一部の界隈からは、あまりに好戦的すぎやしないかと思われているようです。しかし、ちょっと考えてもみてください。正統派の教義を教え込まれ、その教義を伝道する司祭まで務めた人物がプロテスタントにはじめて転向しようとしているのですいくらか好戦的にならずにいられましょうか?

本文でも繰り返されるが、「我は、反古典派なり」との立場が表明されているわけだ。とは言え、やはり本文でもあちこちで繰り返し言及されるが、古典派の一員であったことも慎重に付け加えられている。ところで、ドイツの読者が『一般理論』を読むことでどんな見返りが得られるのだろうか?

しかし、本書は、ドイツの読者にはいくらか違った受け取られ方をするんじゃないかと想像する次第です。というのも、19世紀のイギリスで大いに栄えた正統派の教義も、ドイツの思想界にはそこまで強い影響を及ぼしてこなかったからですドイツの経済学界では、古典派の理論に対して懐疑的な目が絶えず向けられてきました古典派の理論は、現実の出来事を分析するのに役に立たないと思われてきたのです。マンチェスター学派にしても、マルクス主義にしても、実はリカードを祖としていますが――こう言われて、物事の表面だけをなぞって済ませている人はびっくりしてしまうでしょうが――、ドイツでは、マンチェスター学派にもマルクス主義にも与(くみ)しない勢力が常に多数派を占めてきたのです。

ドイツの経済学界についてのケインズなりの観察はさらに続く。ドイツの経済学界の特徴はというと?

では、古典派に対抗する理論が打ち立てられたかというと、口ごもらざるを得ません。というか、新たな理論を打ち立てようと試みられたことさえないのです。ドイツの経済学界で支配的な地位にあった勢力は、懐疑的で現実主義的な傾向が強く、歴史的・記述的な手法を武器に具体的な事実を記録するだけで満足していて、形式的な分析を忌み嫌っていました。正統派に属さない理論家の中でもとりわけ重要な一人にヴィクセルがいますが、ヴィクセルの本はドイツでも手に入りました(イギリスでは最近まで手に入りませんでした)。彼の著作の中でも最も重要な一冊は、ドイツ語で書かれてもいるのです。そうであるにもかかわらず、ヴィクセルの後を継いだのは、主にスウェーデン人やオーストリア人でした。オーストリアでは、ヴィクセルの発想がオーストリア学派の理論に組み込まれ、気付いたら古典派の伝統に合流していた・・・なんて結果が待っていました。それはともあれ、ドイツの経済学界では、その他の学問分野とは違って、代表的と呼べるような広く認められた理論がどこにも見当たらない状態が一世紀も続くことになったのです。

「懐疑的で現実主義的な傾向が強く」て、「歴史的・記述的な手法を武器に具体的な事実を記録するだけで満足」しており、「形式的な分析を忌み嫌っていた」勢力というのは、ドイツ歴史学派〔山形浩生氏による訳はこちら〕のことを指しているのは言うまでもない。歴史学派の中でも一番有名なのは、グスタフ・シュモラーだ。マックス・ヴェーバーも後期歴史学派の一人に数えられることがあるが、シュモラーほど闘争心むき出しでも頑固でもなかった。ドイツの経済学界における歴史学派の地位は常に盤石だったわけではなく、浮き沈みを経験している。歴史学派が容赦なく冷や水を浴びせられた出来事と言えば、1880年代にカール・メンガーを筆頭とするオーストリア学派の面々を向こうに回して繰り広げられた「方法論争」だ――詳しくは、ミーゼスの“The Historical Setting of Austrian Economics”(「オーストリア学派の歴史的背景」)を参照されたい。短文だが、よくまとまっている――。話を本筋に戻すと、ドイツの経済学界はイギリスの経済学界とかなり様子が違っているというのがケインズの見立てだ。歴史学派が長年にわたって支配的な地位にあったこともあり、ドイツでは古典派が入り込む余地がなかった。新古典派が歴史学派の優位を多少は掘り崩したものの、新古典派はスウェーデンおよびオーストリアを起源とする外来の教義だった。マーシャルの威光――イギリスの経済学界の王道を歩んできた優等生の一人が1936年になってやっとのことで抜け出せた伝統――も未だ届かずにいる。・・・という事情をドイツは抱えていたわけだ。引用を続けるが、かなり楽観的な見通しが述べられている。

そういうわけですから、ドイツの読者は、正統派の伝統から重要な点で逸脱することになる理論――総雇用量(経済全体としての雇用量)および総産出量(経済全体としての産出量)の決定に関する理論――に対して、イギリスの読者ほどには抵抗を感じないのではないかと予想されます。本書を読んでもらえたら、ドイツの経済学界に根強く定着している不可知論から抜け出せるでしょうか? 本書を読んでもらえたら、形式的な分析は、現実の出来事を解釈する上でも、政策を形作る上でも、大いに役立つってことに気付いてもらえるでしょうか? 理論には目がないのがドイツ人の国民性です。それなのに、一世紀も理論なしでやってきたのです。さぞや飢えていることでしょう。さぞや乾いていることでしょう。〔ドイツ人が抱える「理論を求める欲望」を満たすために〕私なりにできるだけのことをやってみる価値はありそうです。本書では、アングロサクソン諸国が置かれている固有の状況を念頭に置いて、議論の大部分が展開されています。それゆえ、ドイツが置かれている固有の状況に適合した理論を仕上げる仕事はドイツの経済学者の手に委ねられねばなりませんが、そのためのちょっとした手助けができたら私としては満足です。

ドイツの多くの経済学者は、依然として歴史学派の残滓(ざんし)をいくらか引きずっているというのがケインズなりの評価のようだ。残念ながらドイツの経済思想史についてはあまり詳しくないので、ケインズの評価が妥当なのかどうかを判断することはできない。ともあれ、これまでのところに関する限りは、ケインズがどんな目的を抱いてこの序文を書いているのかについても、一体誰のためにこの序文を書いているのかについても、あまりに明らかだ。ケインズは、自らの理論と、古典派および新古典派の理論(とりわけ、マーシャルのそれ)とを対比させている。そして、イギリスにおける正統派の伝統に反旗を翻していることをはっきりと自覚した上で、「私の反逆行為は、かくかくしかじかの理由で、あなた方にも興味を持っていただけるはずですよ」とドイツの経済学者に向けて語りかけている。さて、いよいよだ。反ケインズ主義陣営に標的にされている箇所に差し掛かる。

本書で提示されるのは、総産出量(経済全体としての産出量)の決定に関する理論です。この理論は、自由競争とかなりの自由放任が成り立っている状況での(一定の総産出量の下での)生産と分配に関する理論――正統派の理論――よりも適用できる範囲が広くて、全体主義国家が置かれている状況にずっと適合させやすいのです。だからこそ、「一般」理論と名付け得るのです。本書で提示される理論は、正統派の理論よりも置かれている前提条件が少ないので、正統派の理論よりも多様な状況に適合させることができます。本書では、アングロサクソン諸国が置かれている固有の状況――依然としてかなりの自由放任が成り立っている状況――を念頭に置いて議論があれこれ展開されていますが、本書で提示されている理論は、国家(政府)が経済活動に深く関与(介入)している状況にも応用することできます。消費と貯蓄に関する心理法則にしても、借入支出が物価や実質賃金に及ぼす影響にしても、金利が果たす役割にしても、本書で提示される理論の根幹となる道具立てですが、本書で提示される理論を国家(政府)が経済活動に深く関与(介入)している状況に応用する場合もやはり欠かせない道具立てとなることでしょう。

まずは、自分が打ち立てた理論がどんな理論なのかについて語られている。それは、「総産出量の決定に関する理論」であり、(序文の冒頭で使われていた表現によると)「マーシャルの後継者や弟子たちによって形作られた正統派の教義のどこを探しても見当たりませんし、必要だと思われていないことも確か」であったマクロ経済理論だという。ここまでは、誰も異を唱えないだろう。問題は次だ。「この理論は、自由競争とかなりの自由放任が成り立っている状況での(一定の総産出量の下での)生産と分配に関する理論――正統派の理論――よりも適用できる範囲が広くて、全体主義国家が置かれている状況にずっと適合させやすい」という。反ケインズ主義陣営に標的にされている箇所ということもあって、「お前の読み方は間違っている!」と異を唱えられる可能性があるわけだが、冷静になって読めば、「全体主義国家が置かれている状況にずっと適合させやすい」とされているのは、総産出量の決定に関する「理論」であって、(いわゆるケインズ政策と呼ばれるような)「政策」じゃないことがわかる。まだ納得できないようなら、後続の文章を読むといい。「本書で提示される理論は、正統派の理論よりも置かれている前提条件が少ないので、正統派の理論よりも多様な状況に適合させることができます」。正統派の理論で想定されている前提条件は、全体主義国家たるドイツが置かれている状況と食い違っているので、正統派の理論はドイツの経済学者にはあまり役に立たないだろう。その一方で、我が「一般」理論は、正統派の理論よりも置かれている前提条件が少ないために、正統派の理論よりも多様な状況に適合させることができるので、ドイツの経済学者にも大いに役立つだろう・・・というのだ。果たしてケインズの言う通りに、彼の理論を全体主義国家たるドイツに応用できるかどうかについては意見が分かれるだろうが、いわゆるケインズ「政策」については一言も言及されていないことは確かだ。言及されているのは、あくまでもケインズ「理論」だ。全体主義を擁護している様子も見られない。ケインズは、我が理論こそが全体主義社会における経済の運行を説明するためにうってつけの理論だと考えて、お手製の理論を売り込んでいるに過ぎない。個別の事象の特殊性(異質性)に興味津々な「歴史学派」の流れを汲む面々にとっては、大層魅力的に感じられる理論かもしれない。

序文の締め括りで述べられている謝辞も見逃せない。

この場をお借りして、並々ならぬ努力を払って本書を翻訳していただいたヴェーゲル氏に謝意を表したいと思います(ヴェーゲル氏が巻末に用意してくださった用語集が、本来の用途としてはもちろん、思いがけないかたちでも読者の役に立てばと願っています)。ならびに、ダンカー&フムブロット社にも感謝いたします。貴社は、本書の出版だけでなく、16年前に『平和の経済的帰結』の出版も引き受けてくださいましたが、私がドイツの読者と長年にわたって接触を保ち続けられたのも、進取の精神に富んだ貴社のおかげなのです。

ドイツでも好評を博した『平和の経済的帰結』の中で、ケインズは次のように述べている。

それでもなお、中欧の窮乏化をあえて狙うつもりなのだとしたら、その先には復讐が待っていると予言しておこう。反動へと誘う力と、革命を求める絶望を伴うひきつけとが正面衝突して、最終戦争が引き起こされる日がそう遠くないうちにやって来てしまうことだろう。その最終戦争を前にしては、先の大戦が喚起した恐怖など、ものの数にも入らないだろう。軍配がどちらに上がろうとも、我々世代が築いてきた文明も進歩も破壊されずにはいられないだろう。思い通りの結果が得られなくとも、いくらか淡い期待を抱いて前に進むべきではなかろうか? 一国の繫栄と幸福は、別の国の繁栄と幸福を導くと信ずべきではなかろうか? 人類の連帯は決して夢物語なんかではなく、どの国も他の国を仲間として遇せるだけのゆとりを今もなお備えていると信ずべきではなかろうか?

ドイツ国内で「反動」勢力および「革命」勢力が台頭するのを防ぐためにも、ドイツに手を差し伸べねばならぬ。『平和の経済的帰結』の中でそのような評価を下(くだ)しているからこそ、ケインズはドイツで人気を得たのだ。(『平和の経済的帰結』を紐解く限りだと、ケインズとしては、「反動」勢力が躍進するよりは、「革命」が起こる可能性の方が高いと踏んでいたようだ)。

(『一般理論』の)最終章でファシズムが批判されている本の序文でファシズムが擁護されているなんてことがあり得るだろうか? 中欧での「反動」勢力の台頭を防ぐ意図を込めて書かれた旧著について言及されている同じ序文でファシズムが擁護されているなんてことがあり得るだろうか? 「あり得ない」ってことは序文を詳しく読まずともわかるだろう。序文に何が書いてあるかというと、方法論の話だ。ドイツの経済思想の流れを踏まえた上で、ケインズが自ら打ち立てた理論の方が古典派の理論よりもドイツの経済学者にとって役に立つかもしれない理由が語られているだけだ。

『一般理論』のドイツ語版の序文を実際に読んでみて、感じるままに信じるがいい。私としては、極めて明瞭で、極めて穏健な内容だと思う。「ケインズが隠れファシストだった証拠」とかいうのをはじめとしたその他のありとあらゆる解釈は、序文に書かれてある内容に反するだけでなく、ケインズの人物像(ケインズの性格やケインズが抱いていた価値観)にもそぐわないのだ。

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