ダロン・アセモグル, パスカル・レストレポ 『人間と機械の競争: 成長・要素分配率・職への示唆』 (2016年7月5日)

Daron Acemoglu, Pascual Restrepo, “The race between machines and humans: Implications for growth, factor shares and jobs” (VOX, 05 July 2016)


歴史に名を残す多くの経済学者も、技術進歩が労働市場に不可逆的損失を及ぼすだろうと予言した点では誤っていたことが今では明らかになっている。本稿では1970年から2007年の間に現れた新たなタイプの技能職に関する実証データを利用して、労働市場が、これまでのところは、資本による職の置換に常に順応してきたことを示す。機械による職のオートメイト化、対するは労働者が担う複雑な新タスクの創出。この2つの競り合いが均衡しているかぎり、労働市場が大きく衰退することは無いだろう。新たな技術の性質とそれが将来イノベーションの潜在的可能性に及ぼす影響は、労働の安定性に重要な意義をもっている。

デジタル技術・人工知能・ロボット工学による技術的不就労が世を覆い尽くす、といった懸念がいまや世を覆い尽くしている。最近の多様な労働市場トレンドは、合衆国における労働市場参加率の低下をはじめ、賃金格差や資本が国家所得に占める割合の上昇に至る幅広いものだが、これがいま 『新たな常識』 の先駆けだと目されている (例: Brynjolfsson and McAfee 2012, Akst 2014, Autor 2015, Karabarbounis and Neiman 2014, Oberfield and Raval 2014)。技術的不就労をめぐるこの種のよくある議論が抱える大きな瑕疵は、新技術の影響が今回これまでとは異なったものになるだろうと予測すべき明確な理由が実は全く存在しないところに在る。過去この方、新技術がそれ程の雇用縮減の蔓延を生みだした例はないのだ。

新技術がこれほど破局的なものになると予言されたのは何も今回に限った話ではない。1930年、ジョン・メイナード・ケインズは次のように述べた:

「私達はいま或る新たな病に掛かりつつあるのです。その病の名を耳にしたことのない読者も中にはいましょうが、これから数年のうちにその内実を嫌と言う程きかされることになるだろうもの – そう、技術的失業です」(Keynes 1930)

1965年、経済史家のロバート・ハイルブローナーはこう断言して憚らなかった:

「機械が社会をこのまま侵略し続け、ますます多くの社会的職務を担うようになるその暁には、人間的労働 – 少なくとも現在の我々が考えるような 『労働』 に関して言えば – 他でもないこの人間的労働こそが徐々に無用の長物と化す」 (Akst 2014での引用)

著名な経済学者であるワシリー・レオンチェフもまた同様に新しい機械のもつ意義について悲観的であった。馬を無用の長物に変えた20世紀初頭の技術とのアナロジーを用いつつ彼は未来の展望を述べる:

「労働はいよいよその重要性を失ってゆくだろう…ますます多くの労働者が機械に置換されるだろう。新たな産業が職を求める全て者に雇用を提供できるとは思えない」(Leontief 1952)

では、いま挙げた様なこれまでの不吉な予言が過去において現実のものとならなかったのは何故なのか? また、今回はこれまでとは違うはずだというのなら、それはどうしてなのか?

我々の最近の取組みはこれらの問いに答えようとするものだ (Acemoglu and Restrepo 2016)。我々の手法は2つの中核的考えに依拠している。一つ目は、殆どの時代で、それまで労働が担っていた職務が機械化およびオートメイト化されるというプロセスが絶え間なく進行しつつも、他方では時を同じくして労働の担う新たな雇用機会も創出されているのだ、という考え。二つ目は、新たな雇用機会は専ら、新しくしかもより複雑な、労働が資本に対し比較優位をもつような職務の登場に由来する、という考えである。斯くしてレオンティフ問題に対する我々の解答は見出された – 人間労働と馬の違いだが、人間には新しく、しかもより複雑な活動で比較優位が有るのである。馬にはそれが無かった。

こういった複雑な新タスクの重要性を見事に例証するのが第二次産業革命期を通してみられた技術的・組織的変化で、そこでは鉄道による駅馬車の置換、蒸気船による帆船の置換、クレーン機器による手作業港湾労働者の置換のみならず、新たな労働集約的タスクもまた観察されていたのである。こうした新たなタスクは、エンジニア・機械技師・修理工・車掌や近代的な経営者・金融業者など、新たな技術の導入と運用に関わりをもつ人達からなる新たな階層の担う職を創出したのだった (例: Landes 1969, Chandler 1977, Mokyr 1990)。

複雑な新タスクの重要性は近年の合衆国労働市場の動向からも確認できる。雇用関連の諸数値は、既存の労働集約的職種のオートメイト化だけでなく、新たな業種の隆盛も記録しており、エンジニアリングやプログラミング職をはじめオーディオヴィジュアル専門職・役員秘書・データアドミニストレータ/データアナリスト・ミーティングプランナー・コンピュータサポート専門職など幅広い。じっさい、過去30年を通して、新タスクおよび新役職は合衆国の雇用成長に大きな割合を占めてきた。我々はこの事実を実証するにあたり、新たな役職 – これら役職では労働者はより従来的な職種で雇用されている者と比べて相対的に新しいタスクを取り行っている – が各業種内部に占めるシェアを計測したLin (2011) のデータを利用した。2000年には、コンピュータソフト開発者 (当時100万人の雇用を生み出していた業種である) として雇用されている労働者の約70%が新役職に就いていた。同様に、1990年には放射線技師が、また1980年には経営アナリストが、それぞれ新役職であった。

図1  十年間での雇用成長率に対し330業種について各十年開始時の新役職シェアをプロットしたもの

原註: 1980年から1990年までのデータ (濃い青)、1990年から2000年 (青)、2000年から2007年 (薄い青、10年変化に再スケール化)
出典: Acemoglu and Restrepo (2016)

図1は、1980年以降の何れの十年間をみても、より新しい役職をもった業種ほど雇用成長率が大きかったことが示されている。同回帰直線は、各十年間の始まり時点で新役職の10%分多い業種は続く10年の間に5.05%早い成長を遂げていることを示している (標準誤差 = 1.3%)。1980年から2007年までに、合衆国における総雇用数は17.5%成長した。この成長の約半分 (8.84%) は、新役職をもたないベンチマークカテゴリに対する、新役職をもつ業種における追加的雇用成長によって説明される。

これら2つの重要要素は、先進国経済における近代的労働市場の動向が、次の2つの技術的動力の競り合いによって特徴付けられるものと捉えるべきことを示唆する: すなわち一方には機械によるオートメイト化が在り、他方には人間による複雑な新タスク創出が在る、という構図となっているのだ。オートメイト化というのが、他の事情に変わりがなければ、労働から職を奪い去る進行中のプロセスであるのは確かだが、複雑な新タスクの創出もまた進行中のプロセスであり、こちらは労働が担う新たな職を生み出すものなのだ。第一の動力が第二の動力を追い越すのなら、国家所得に労働が占めるシェアの減退および技術的不就労が生じてくるだろう。第二の動力が第一の動力を追い越すならば、その真逆が起きるだろう – 国家所得に労働が占めるシェアは増加し、雇用率も高まるだろう。タスクに基づく我々の枠組みはさらに、技術改良と相応しGDPを上昇させるものだとはいえ、オートメイト化には労働者が国家所得に占めるシェアのみならず、彼らの実質賃金をも引き下げてしまう可能性が有ることを示している。この最後の研究結果は、新技術が賃金に及ぼす影響をめぐる諸問題の1つの中核を解明するさいに関わってくる。というのも、一般的にいってこの点は既存のモデル (そこでは技術更新はつねに賃金を上昇させるものとされる) と上手く馴染まないものなのである。

我々の理論フレームワークから見ると、ケインズやレオンチェフを含み、過去の状況を体現しているようにみえる評者が結局のところ正しくなかった理由は、機械対人間の競争における第二の動力があらゆる面で第一の動力の等価物となっていたからだ、となる。未来に目を向けると、新技術の波及が労働に終末をもたらすか否かという点も同じく、この第二の動力が第一の動力の早まった足並みに付いて行けるかどうかに掛かってくるだろう。

しかしこのフレームワークを用いつつ、オートメイト化と複雑な新タスクの創出の進展率を外生的のままにしておくのは不十分だと言わざるを得ない。同フレームワークが上記の動力の働きを解明するうえで役に立つのは確かだが、それはまた1つの同じくらい深遠なる問いを提起する: すなわち、過去においてこれら2つの動力が結局均衡していたのは何故なのか? 今日の技術進歩から同様の結果を予測すべき理由は何もないのだろうか?

いっそう根源的なこの問いに答えるため、我々は本フレームワークの完全版を構築したのだが、そこではオートメイト化と複雑新タスク創出の進展率は内生化され、これら2つの活動の何れであれより利潤の上がる方に反応するようになっている。例えば、資本が安価になればなるほどオートメイト化の利潤が高まり、これが相対的に出費の嵩む労働を安価になった資本で置換する動きに繋がる、といった具合だ。本モデルのこの内生的技術バージョンでは、こうした利潤性の高まりがさらなるオートメイト化の引き金となる。本理論構造は2つの互いに関連した理由から有用だと言える。一つ目は、安定化要因として働く動力の特定に役立つ点 – つまり、ひとたびオートメイト化が新たな労働集約的タスクを上回るや、新タスク創出の加速を誘発するような経済的動力が現れてくるはずだ。二つ目は、我々が現在目の当たりにしている新たなオートメイト技術の奔流が自己修正を行わず、したがって労働の展望に対し長期的にみて悪影響をもたらすことになるのはどの様な状況なのかを画定するのに役立つ点もある。

本モデルにおいて安定化要因となる動力は 『価格効果』 に由来する。オートメイト化には労働への支払いを減少させる傾向が有るので、さらなるオートメイト化との比較で、複雑新タスク創出の利潤性を上昇させることにもなる。この安定化動力は、急速なオートメイト化も未来のイノベーション創出や多種多様な研究開発に役立つ技術が不変に保たれている環境で生ずる限りは、自己修正的に働く傾向が有ることを示唆している。経済は窮極的にはこれらオートメイト技術が登場する前の状況に帰還することになるだろう。もしそうなら、新たな技術を前にした労働者が現在被っている苦境が在るにせよ、労働の未来はそれほど暗澹たるものではないのかもしれない。とはいえこの安定化動力は、あらゆる種類の変化が必ず自らの進行方向を逆転させるとまでは示唆しない。変化したのが未来のイノベーションを創出する為のテクノロジーであった場合、とりわけオートメイト化関連のイノベーションが新タスクの創出よりも容易となった場合には、我々がいま目にしている新たなオートメイト化技術の波及も、労働展望の悪化を伴った新たな長期的均衡状態へと経済が安定してゆく過程の第一段階に過ぎないだろう。全体的に言って、技術的不就労の増加をめぐる懸念の正しさがこの先どれほど証明されるのかは、いま我々が直面しているのが新たなオートメイト化技術の急速な発見期であるのか、それとも未来の技術を生産する我々の能力の根源的なシフトであるのか、この点に掛かっている。

我々はまた本理論構造から得られる市場均衡の効率性に関しての新たな示唆にも光を当てている。外生的技術というものを取り入れたモデルが、市場支配力をもつ企業   (典型的には新製品や新技術を市場に導入した企業がこれに該当する) の押し付ける独占的マークアップに由来する非効率性の様々な要因を備えていることは良く知られている。こうした良く知られた非効率性の原因に加え、我々は新たなタイプの非効率性を特定しているが、これは行き過ぎたオートメイト化や創出される新技術があまりに少な過ぎるといった状況に繋がるものである。こうした非効率性が生じるのは、オートメイト化というのが企業の賃金支払い節約を可能とするものであるために、高賃金に反応するからである。労働者への賃金支払い増化の一部がレント分である時 (例: 効率賃金または労働市場摩擦によって生じた準レント)、社会計画者が望ましく考えるところを超えたオートメイト化が進行することになるだろう。そして技術は労働の置換に向かう非効率的なバイアスを帯びて来る。

最後に我々は本フレームワークを利用し、格差にオートメイト化が及ぼす影響を調査した。異なる労働者ならば異なる量の技能を保持しているという時には、オートメイト化と新タスク創出はともに格差の拡大に繋がり得る – 前者の場合、低技能者ほど機械との競争がより重く圧し掛かってくる為で; 後者の場合、複雑な新タスクにおいては高技能者労働者の方が低技能労働者よりも多くの比較優位を手にするからである。しかしながら、継時的に見たとき、タスクが規格化され、低技能労働によっても容易に取り行われるようになるのならその限りで (例えばAcemoglu et al. 2010での議論の様に)、複雑な新タスクの導入はこうした労働者にも高技能労働者と並んで恩恵をもたらすことを我々は明らかにしている。この規格化プロセスの進行速度に依るが、経済がオートメイト化技術のもつこうした格差効果に対し自己修正的に働く強い力を生み出す場合も、或いは在るかもしれない。

我々は今回の論文を、資本と労働に対し異なった作用をする多様な技術変化の体系的調査に向けた第一歩と位置付けているが、この路線で殊に有望であるように見受けられる研究領域が幾つか在る。第一に、効率性への影響、およびこれが労働市場の不完全性 (労働の機会費用と賃金のあいだに歪 [wedge] を発生させるものである) とどの様な相互作用するのか、という点についてのより体系的な研究が、この先の重要な取組み領域となる。第二に、複雑性分布の様々な部分でオートメイト化が進む種々のタスクに対するより細やかな分析も重要な研究領域であり、殊に近い未来にはオートメイト化が低技能労働者のみならず高技能労働者に対してもますます大きな影響を振るうようになる旨を伝える多くの実証データに照らせば、なおのことだ。第三に、オートメイト化および新タスク創出能力に関わる技術には産業間で大きな差が在るだろうから (例: Polanyi 1966, Autor et al. 2003)、こうした差がどの程度制約的要因になってくるのかの調査が必要だ。最後に、そして極めて重要な点だが、オートメイト化とロボット工学が雇用に及ぼす作用についての実証研究データが、大いに必要とされている。実際、急速なオートメイト化が本当に複雑新タスク創出の誘発要因として機能するのかこそ、取りも直さず本論で展開したフレームワークにさらなる実証的内実を与えるにあたっての最重要点なのだ。

参考文献

Acemoglu, D, and P Restrepo (2016), “The Race Between Machine and Man: Implications of Technology for Growth, Factor Shares and Employment”, NBER working paper No. 22252

Acemoglu, D, G Gancia and F Zilibotti (2010), “Competing Engines of Growth: Innovation and Standardization”, Journal of Economic Theory, 147 (2), 570–601

Akst, D (2013), “What Can We Learn From Past Anxiety Over Automation?”, Wilson Quarterly

Autor, D H, F Levy and R J Murnane (2003), “The Skill Content of Recent Technological Change: An Empirical Exploration”, The Quarterly Journal of Economics, 118 (4), 1279–1333

Brynjolfsson, E, and A McAfee (2014), The Second Machine Age: Work, Progress, and Prosperity in a Time of Brilliant Technologies, W W Norton & Company

Chandler, A D (1977), The Visible Hand: The Managerial Revolution in American Business, Harvard University Press, Cambridge, MA

Karabarbounis, L, and B Neiman (2014), “The Global Decline of the Labor Share”, The Quarterly Journal of Economics, 129 (1), 61–103

Keynes J M (1930), “Economic Possibilities for Our Grandchildren,” in Essays in Persuasion, New York, Norton & Co.

Landes, D (1969), The Unbound Prometheus, Cambridge University Press, New York

Leontief, W (1952), “Machines and Man,” Scientific American

Lin, J (2011), “Technological Adaptation, Cities, and New Work”, Review of Economics and Statistics, 93 (2), 554–574

Mokyr, J (1990), The Lever of Riches: Technological Creativity and Economic Progress, Oxford University Press, New York

Oberfield, E, and D Raval (2014), “Micro Data and Macro Technology”, NBER working paper No. 20452

Polanyi, M (1966), The Tacit Dimension, New York, Doubleday

原註                                                                                 

[1] 1980年・1990年・2000年のデータは合衆国国勢調査による。2007年のデータはアメリカン・コミュニティ・サーベイから。Acemoglu and Restrepo (2016) の補遺B [Appendix B] に本データおよび我々が用いたサンプルに関するさらなるデータを示した。そこでは図1に描出した関係性の頑健性についても詳述している。

 

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