ジョナサン・ポーツと私が執筆した記事が『プロスペクト』誌に掲載されている。財政規則に関する私たちのディスカッションペーパー(これやこれを参照)を短く要約した記事だ。このポストでは、この論文を使って、政治と経済の相互作用について2点ばかり所見を述べたい。
ジョナサンと私には、財政緊縮に反対しているということで政治的あるいは半ば政治的な理由から非難が向けられることがよくある:「レン=ルイスやポーツは、緊縮を押し付ける政府を嫌っているか、あるいは公共支出を増大させたがっているかのどちらかなんだろう、それで、金利がゼロ下限にあるなかで政府投資を一時的に増やすことを提唱することでこの目的を達成できると思っているんだろう」というわけだ。もしそれが本当なら、きっと私たちはこの政権によって形成されたいかなる財政規則も却下するだろうし、もっと一般的に言えば、公的債務や赤字に対するいかなる種類の規律にも反対するだろう。
そう考えている人が読むと、今回の『プロスペクト』誌記事やディスカッションペーパーには頭を抱えてしまうにちがいない。財政規則の背後にある諸原則の細かい分析(この件は後述)のあとに、私たちは連立政権〔保守党と自由民主党が連立したキャメロン政権〕による現在の財政義務の形はおおむね正しいと結論を下している。制度運用の標的に債務ではなく赤字を設定するのは理にかなっているし、つねに5年先を見越した赤字を標的にするのも理にかなっている。
これにはひとつ、大きな但し書きが付く。この形の規則が適切なのは、金利がゼロ下限にあったりゼロ下限に達すると予想されていない場合にかぎられるのだ。先日のポストで概略を述べたように、私たちの論文で推奨したことはそうした状況で生じるべきだが、言うまでもなく(〔緊縮財政が開始された年の〕2010年以降)一連の政権はこの助言に沿う行動をとってこなかった。〔その結果からわかるように〕このように、現行の形の財政義務が支持されるのは、通常どおりに金融政策が機能できる場合にかぎられるのだ。
また、私たちの論文では、現在のイギリス政府によるもうひとつのイノベーションも支持している:それは予算責任局 (OBR) の創設だ。支持するにとどまらず、さらに追加の義務も予算責任局に与えるべきだと私たちは提案している。このように、財政義務と予算責任局という2つの制度上の変更が連立政権によってなされたのは、ともに肯定的なイノベーションだった。悲劇だったのは、この財政義務が(一時的に)放棄されるべき状況に適用されてしまったことだ。
もちろん、5年スパンの赤字を目標とした実際の数字とは財政義務の形は異なっている。この点については後日のポストで語ろう。また、規則を改善するささやかな案もいくつか提案している:たとえば、金融政策が正常に機能しているなかで5年スパンの赤字を目標にしている場合には、この標的は景気循環で調整する必要がなく、現在の収支の均衡ではなく(実際の赤字であれ予算上の赤字であれ)赤字を目標にしつつ、GDP に占める公的投資の割合についても別途の目標を設けることを提案している。
私たちの論文が経済と政治の相互作用を直接取り上げているのには2つ目の意義がある。財政規則について考え始めたときに私がとった方法は、総じてマクロ経済学者が考える標準的な方法だった:「〔架空の存在として仮定する〕善意の政策担当者が採用するだろう最適な政策に、私たちの財政規則はどれくらい近いのだろうか?」と問うたのだ。これは完璧に分別のある問いではあるものの、財政政策にとっては、それ自体では絶望的に不完全だ。というのも、〔現実の〕政治家たちがおうおうにして善意の人々ではないこともわかっているからだ。「善意の人々ではない」とは、社会全体の利益ではなく自分じしんの利害関心のために行動する、という意味だ。その結果として、べつにこれだけが理由ではないが、赤字財政になりやすいバイアスが生じる。財政規則の役割は、そのかなりの部分が、この善意によらない行動を抑制することにある。
たとえば、現在のイギリスの財政義務を考えてみよう。これに向けられる自明な批判はこういうものだ――「つねに5年スパンでの赤字を目標にすることで、この目標の達成に必要な調整を政府が先送りし続けられるようになってしまっている。」 つまり、政府はこんな風に言うかもしれない:「赤字が目標を上回っているのは気にしないでいただきたい、5年後には目標に合わせますから。」 そして、5年後にはまたしても同じことを政府は言うかもしれない。ディスカッションペーパーでは、わたしたちはこう述べた――この規則には「実施へのインセンティブ」が欠落している。
「じゃあこうしましょう、目標に固定した期限を設定すればいいじゃないですか。」 その種の規則の難点は、その期限が近づくにつれて、最適からかけ離れた行動を生み出してしまいうるところだ。私たちのマクロ経済学理論によれば、赤字はショック吸収材となるべきであって、どんなショックが経済を襲おうとも固定した期限に目標を達成しなくてはならないとなると、期限間近に予想外のショックが生じたときにその規則は有害なものとなってしまう。想像してみてほしい。もしも、2015年に財政均衡を達成しなくてはならなかったとしたら、ただでさえひどい緊縮があとどれほどひどいものになっていたことだろう。
したがって、財政規則には、〔政治事情を捨象した理念上の政策にどれだけ近いかという〕最適性と善意によらない行動や赤字バイアスを防止する実効性のトレードオフが関わっている。後者は、政策担当者に関する政治的な判断に左右される。イギリスの場合、過去の証拠からも、現在の行動からも、赤字バイアスは大問題ではなさそうに思える。だからこそ、5年スパンの赤字目標が機能しうるわけだが、他の国々では事情がちがうかもしれない。この面で、強化された予算責任局のような財政諮問機関が非常に有用となりうる。
政府の責任を強化してもなお、今日支出して将来にコストを移転する仕組み(たとえばイギリスの民間資金主導 (PFI) のような仕組み)に誘惑される。「運用目標」(i.e. 政権がその在任期間中に達成を試みうる目標)を備える一方でこうした抜け穴をふさぐ財政規則を考案するのは非常にむずかしい。独立の機関・組織によって実行・評価される長期的な財政予測を立てる重要な理由がこれだ。そうした長期予測ではこうした方式のコストが明瞭になる。だが、これだけでは足りない。予算責任局のような財政諮問機関は、そうした抜け穴が利用されているときに国民にはっきりと警報を発する責務も担うべきだ。それに加えて、目標の融通がきいて実施のインセンティブが弱いとき(イギリスの財政義務のように5年スパン目標を設けている場合など)には、財政諮問機関は国民の側に立って、目標達成を延期する理由が正当化しうるものかどうかを判断すべきだ。
このように、財政規則の選択と財政諮問機関の責務には、必ず、経済問題とならんで政治問題も絡む。とはいえ、この政治面の要点は政府の透明性と説明責任であって、イデオロギーの絡んだ左翼 vs. 右翼の対立ではない。