●Tyler Cowen, “Redesigning Sport to aid economic development”(Marginal Revolution, May 13, 2016)
本ブログの熱心な読者の一人である Oli Cairns から次のようなメールを頂戴した。
ここ最近ずっと考えていることがあります。それは何かというと、スポーツでの勝利が愛国心(patriotism)を高揚させる効果についてです。
私はイギリス人なんですが、冷笑的な友人だったり、同僚だったり、通勤電車に乗り合わせた人たちだったりが母国やお互いのことについて不平を漏らすのをやめるのは、イギリスの選手がテニスの試合で勝ったり、オリンピックでメダルを獲得したり、(最近はあまりお目にかかれなくなっていますが)サッカーの代表戦で相手の国をやっつける時くらいのものです。母国の選手が活躍するおかげで、愛国心が高揚するなりソーシャル・キャピタル(社会関係資本)が強化されるなりするのは結構なことだと少し前までは思っていたのですが、「世界」に視野を広げた場合にこれでいいのだろうかと疑問に思えてきたのです。
国際的なスポーツ大会の構造にメスを入れて、貧しい国々(の選手)が活躍できる余地を広げたらどうかと思うんです。例えば、サッカーのワールドカップを2回に1回はサブサハラ・アフリカ地域で開催するようにしたらどうでしょうか? ワールドカップへの出場枠の4分の1(25%)をサブサハラ・アフリカの国に割り当てたらどうでしょうか? ヨーロッパのトップレベルのプロサッカーリーグで、サブサハラ・アフリカ出身の選手を最低でも2人はスタメン入りさせるように義務付けたらどうでしょうか? オリンピックの競技も見直して、トラック・レース(自転車競技)、ボート、馬術の大半の種目を除外して、125m走だとか250m走だとか1万mのエリミネーションレース [1] 訳注;周回ごとにランナーの数が減っていく(一番後方を走るランナーが失格になる)レース。だとかを新設したらどうでしょうか?
このような感じで国際的なスポーツ大会のあり方が見直されたとしたら、(貧しい国々で愛国心が高揚するなり、ソーシャル・キャピタルが強化されるなりして)厚生の改善につながるでしょうか? 貴殿のお考えはいかがでしょうか?
このような観点からすると、(FIFAの元会長である)ゼップ・ブラッターも、悪人ではなくて、英雄のように見えてくるかもしれませんね。
References
↑1 | 訳注;周回ごとにランナーの数が減っていく(一番後方を走るランナーが失格になる)レース。 |
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