●Tyler Cowen, “Welfare and warfare”(Marginal Revolution, March 24, 2017)
・・・(略)・・・それと同時に、歴史にまつわる問いでもある。すなわち、アメリカ以外の地域において、福祉国家が戦争と足並みを揃えるかのようにして発展を遂げたのはいかにしてか、という問いだ。ヨーロッパにおける福祉国家の誕生は、19世紀後半のプロイセンに遡るが、そのきっかけは、フランスを相手とする普仏戦争(1870~1871年)を戦い抜く上で大量の人員(一般市民)を動員する必要に迫られたことにある。また、イギリスにおける福祉国家の起源は、ボーア戦争中に明るみになった、とある発見に遡る。従軍を志願した男性の多くが健康面に問題を抱えている(それゆえ、兵士として不適格である)ことが兵役検査で判明したのだ。とは言え、第二次世界大戦がはじまる前までは、政府が保健医療サービスの提供に乗り出すというのは、市民のプライベートに対する不当な介入にあたるという意見がイギリス国内のリベラル陣営の間でも支配的な見解だった。風向きが変わるのは1945年以降。公的な医療保険制度は、戦争で傷ついた面々のための正当な報酬と見なされるようになったのである。
その一方、アメリカにおいては、戦争と医療制度との間の関係はヨーロッパにおいてとは異なる展開を辿ることになる。アメリカのこれまでの歴史の中で、兵役適齢の男性のうちで従軍した人の割合が一番高い値を記録したのは南北戦争時のことだが(その値は13%)、その当時は国営の保健医療制度を立ち上げるには早すぎた(まだ機が熟していなかった)。その代わりに連邦政府が打った手というのが、退役軍人とそれ以外の国民を区別するという策であり、それに伴って、医療分野における(全国民を対象とする)ユニバーサルサービスと戦争との間に存在するかに思われたつながりが断ち切られることになった [1] … Continue readingのであった。退役軍人庁が設置されたのは1930年。第一次世界大戦に従軍した退役軍人向けに保健医療サービスを提供する目的で設置され、最終的には、「公営の医療施設+単一支払者制度」という――多くのアメリカ人の目には「ヨーロッパ流の社会化された医療制度」と映るであろう――保健医療サービスが退役軍人向けに提供されるに至る。アメリカの医療分野で全国民を対象とするユニバーサルサービスが導入される直前までいったのは、ベトナム戦争中――またもや、大勢の男性が徴兵された時期――のこと。1974年に、(当時の大統領であった)リチャード・ニクソンが議会に対して国民皆保険導入案を提出したのである。ウォーターゲート事件が起こっていなければ、その法案はもしかしたら議会を通過していたかもしれない。
・・・と語るのはエコノミスト誌。
References
↑1 | 訳注;ヨーロッパの国々では、戦争に踏み出されるのに伴って、医療分野におけるユニバーサルサービス(全国民を対象とする公的な保健医療サービス)の導入が進む傾向にあったが、アメリカではそうはいかなかった(全国民を対象とするのではなく、退役軍人だけを対象とした公的な保健医療サービスが真っ先に導入されることになった)、という意味。 |
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