Cynicism or stupidity? the eternal questionPosted by Joseph Heath on January 25, 2015 | environment, politics
先日ダボスで、財務大臣のジョー・オリバーはカナダは均衡財政を維持する決意を表明した。オリバーは、均衡財政を世代間の公平性に関したよくある言い回しの「道徳的的問題」として説明してみせた。「我らの子供ら、孫らに、今日の我らが負っている歳出を負担させることは、間違えていると皆さんも考えているでしょう…」
しかしながら、学があるほとんどの人がご存じなように、これは経済的誤謬である。一家総出でレストランで食事して、食べ終えてから、親は勘定をばっくれて、子供たちに支払わせるようなものではない。政府がお金を借りた場合は、〔会計上の金融〕資産と負債が共に生み出され、このどちらもが将来世代に引き継がれることになる。つまり「我らの子供らや孫ら」を含めても状況はそのままなのだ(例えば、ある人がカナダの貯蓄債権を相続したとする。するとその人は〔債権から〕歳入を受け取る。一方で、別の誰かがその歳入への支払いに応じねばならない税負担を相続することになる)。これは、同一世代内での分配効果を持つことになるが、世代を跨いでの分配効果は持たない。唯一の世代を跨いだ問題は、我々が、今貯蓄するか、それとも消費すべきにあり、金利がゼロに近い場合は、この問いに答えるのはそれほど難しくない。
一方、読者は、本物の道徳的問題が提起されている案件を存じだろうか? 世代間の公平性における本当の問題だ? 気候変動である。私は、我らの子供らや孫らに、今日の我らが生成している炭素排出を負担させるのは間違えている、と思っている。そう、我々の会計的慣習によって将来世代に負担をかけているように見えるだけの政府債務と違い、大気汚染はリアルな将来世代への負担だからだ。おまけに、大気汚染では、我々は今の消費のコストを全て負担せずに、将来の世代に付けを回している明白な事例となっている。すると、オリバーの発言はどう解釈すればよいのだろう? 現政府は、世代間の公平性を含む「道徳的」問題に対して、即座に、しかも信念に基づいて行動することを約束している。そしてそれでいて、〔その政府を代弁する〕オリバーが関心を示している「道徳的」問題は、ほぼ完全に政府の会計的慣習による虚構にすぎないのだ。一方で、政府の一員であるオリバーは、我らの時代における世代間の公平性の最も差し迫った問題〔気候変動〕を完全に無視しているわけである。いやそれどころか、オリバーは、水面下でひたすらこの問題の解決策のあらゆる可能性を破棄することに邁進すらしている。
確実なのは、将来世代は、ほぼ間違いなく我らを呪うだろうし、もしかしたら我らの墓に唾を吐きかけたりさえするかもしれない。しかしながら、どうしてこんなことになっているのだろう? 将来世代を怒らせる可能性が高いのは、我らが残した財政赤字だろうか? それとも我らが、将来世代が幸せで生産的な生をこの惑星上で送るのが難しくなるように地球の大気組成を変えてしまうことだろうか? どちらなのだろう? この疑問が、ハーパー政権の行動とコミュニケーション戦略を熟考する時に、重要な論点として私に関心を向けさせることになり、いつも自問自答することになっている。オリバーは愚かなのだろうか?――つまり、彼は本気で公的債務の最も基礎的な特徴を理解していない可能性だ。それとも、オリバーは冷笑的なだけだろうか?――例えば、彼は、自身が文字通り真実でないことを話していることを理解しているが、ほとんどの人がそれを真実だと考えているので、こうするのが自身の立場を守る良い方法だと理解している可能性だ。
私は毎度、「冷笑・利己主義」こそが相応しい解釈とする考えに引き寄せられることになる。もしかしたら、こんな結論に至るのは、私が慈悲深いだけかもしれない。一方で、これがどれだけ並外れて冷笑・利己的なのか考えてるみるべきだ。オリバーは、世代間の公平性という観点では、政府の赤字は関係ないことを知っているわけである。 実際にオリバーにあるのは,政府を小さくすることを志向する確固たる決意だ。なので、政府の歳入が低下すれば、歳出をカットすることで、政府の規模を小さくする機会をオリバーに与えることになる。「赤字は不道徳」という考え方は、「小さな政府」論(これはアピールするのが難しい)を唱えることなく、政府規模の縮小を大衆にアピールする便利な手段になっているのだ。
これはすっかり当たり前のやり方になってしまっている。 非常に皮肉なのが、我々が実際に深刻な世代間公平性の問題に直面していることだ。気候変動という形で。 ハッキリ言おう。気候変動という形態を取った深刻な世代間の公平性の問題に、我々自身が向き合っている有り様のことである。我らは、 気候変動問題において子供らの為に正しい行いを行うのに失敗しているだけでなく、正反対なことをしてしまっている。 すなわち、我々の将来世代の厚生に関する道徳的関心が、ハーパー政権にとって何の重要性にもなっていないことは明白だ。もし我々が関心を持っているのなら、連邦政府の新しい炭素税によって産み出された全歳入をどう使うべきかについて議論をすることになっているだろう。これこそが、オリバーの凡庸な冷笑的発言を、より深い領域の冷笑性に至らしめているものである。
最後にちょっとした楽しい頭の体操。世の中には、気候変動について我らは特に心配しなくてよいと示唆している言説が多く存在している――そういった言説はどういうわけか物事は(何もしなくても)勝手にうまくいく、とされている。 「気候変動に対して何もしなくてもよい」との言説を何か1つ選んで、同じ理屈で「政府の赤字を無視してもよい」と言えてしまわないものを見つけてみよう。
お疲れ様です。飲み会帰りなので自信ないですが,タイポ警察としてパッと見で気づいたのは以下箇所です
パラ2
「我らの子供らや孫ら」に関する限り→「我らの子供らや孫ら」まで含めるのであれば,というニュアンスですかね。先々まで含めれば,ということでしょうから。
パラ2
Reがついてないので再分配効果は分配効果のほうが良いのでは
パラ3
real and tangibleは自明(=明らか)というよりは現実のといったニュアンスではないでしょうか。
政府代弁する→政府を代弁する
パラ4
将来世代を怒らせるのは→将来世代を怒らせる
コミュニケーション戦力→コミュニケーション戦略
煩悶→相当する表現がないようです
パラ5
オリバーの実際の関心は、政府を小さくことを目的とした毎度の優先事例にある。→実際にオリバーにあるのは,政府を小さくすることを志向する確固たる傾向だ,くらいのニュアンスかと。
オリバー与える→オリバーに与える
パラ6
私が思うに、我々自身もより冷笑・利己的存在になってしまっているのだ。→非常に皮肉なのは,我々は実際に深刻な世代間公平性の問題に直面しているということだ。気候変動という形で。
つまるところ、我々の気候変動における将来世代の厚生に関して道徳的に無関心なことが、ハーパー政権がこの問題を全く重要視しないことに繋がっている、これは自明の事実だ。→すなわち,将来世代の厚生に関する道徳的関心がハーパー政権にとって何の重要性もないことは明らかだ。
ありがとうございます。またご指摘いただけると幸いです。
para3
「将来の世代に付けを回ししている」→「付けを回している」or「付け回ししている」
para6
「我々自信が」→「我々自身が」
para7
「「気候変動に対して何もしなくてもよい」との言説を何か1つ選んで、その言説は、「政府の赤字を無視してもよい」との言説とは同じでない、との答えを見つけてみよう。」
→「「気候変動に対して何もしなくてもよい」との言説を何か1つ選んで、同じ理屈で「政府の赤字を無視してもよい」と言えてしまわないものを見つけてみよう。」
OKです。ご指摘ありがとうございます。また何かあると指摘してくれると幸いです。