イギリスによるナイジェリア植民地支配は60年ほど続いた(…).当初,イギリスはナイジェリア統治を安上がりにすませようと模索した.このため,間接統治が好まれることとなった.植民地統治の実務の多くは,伝統的なアフリカの権威と共同作業でなされた.中央集権化された支配・整然とした武力・専門的な行政職員を創出することに,イギリスは労力をほとんど注がなかった.イギリスがつくりあげてナイジェリアに残した国家の質は,かなりおそまつなものだった(…)
イギリスは,植民地国家の運営に用いる主な歳入として輸入税に頼っていた.こうした最小限の歳入のうち,(輸出可能な換金作物をのぞいて)農業の改善に費やされた分はわずかで,技術や産業の発展促進に費やされた分となるといっそう少なかった.イギリスがナイジェリアを去ったときにも,農場を耕すのに主に使われていた農具は片手持ちの鍬のままだった.
イギリスはかなり低い税率ですませていた:両大戦間の時期,税収は GDP のわずか 2~3パーセントでしかなかった.同じくらい重要な点は,そうした歳入の 60パーセント近くが貿易への課税からもたらされていたことだ.直接税を集めるのに比べて,こうした税はずっと容易だった.
1900年から1930年まで,ナイジェリアの一人当たり平均所得は年率およそ 0.5パーセントで成長し,戦後まで基本的に停滞していた.
上記は,Atul Kohli 著『帝国主義と途上国:イギリスとアメリカはいかにしてグローバル周縁諸国を形成したか』からの抜粋.なかなかの好著だ.
全体として,その歴史を知れば知るほど,イギリス帝国主義に関するぼくの評価は下がっていくのがわかった.