ノア・スミス「ロバート・ルーカスとは何者で何を残したのか:追悼 彼の世代で最も影響力をもったマクロ経済学者」(2023年5月16日)

ルーカスの強みは、成長理論の時でもそうだったように、優れた質問を投げかけ、人々にその解決先を見つけさせようとすることにあった。

20世紀後半に最も影響力があったマクロ経済学者として知られるロバート・E・ルーカス・ジュニアが、今日85歳で逝去した。ジョン・メイナード・ケインズやミルトン・フリードマンに比肩する偉大な学者だったが、アカデミア以外でその名はあまり知られていない。

私にとってルーカスは、マクロ経済学の授業を初めて受けたときから、魅力的な人物であり、ある意味で謎めいた人物だった。ルーカスは、現在では「DSGE」と呼ばれる高度に形式化された数学的モデルに専門家を誘ったが、彼の最も影響力をもった論文では、シンプルな数学と論理的な考察しか行われていない。彼の自前の理論は、現在ではほとんど使われておらず、マクロ経済学者もあまり信用していないが、経済理論の行い方(そして行ってはならない方法)についての彼の考察は、マクロ経済学分野での基礎となった。

ルーカスによる間違いなく最も有名な研究は、1995年にノーベル賞を受賞した研究「景気後退との戦い方について」である。1976年に発表された記念碑的な論文「計量経済学的政策の評価:批判」の中で彼は、当時のマクロ経済学者が推奨していた政策は、人々の期待の変化を考慮していないため、意味をなさないと主張した。

過去50年のマクロ経済の歴史を見て、インフレ率が高いときにはいつも失業率が低いことに気づき、「よし! この事実を利用して、不況になった時に中央銀行がインフレ率を上げれば、常に失業率悪化を抑えられるはずだ!」と考えたとしよう。一聴すると正しいように聞こえるが、このロジックは人間の合理性を考慮していないため、欠陥を抱えている。企業は4%のインフレを好景気のシグナルとして、雇用を増やしていたとするなら、中央銀行がこうした新しい政策を行うようになると、4%が標準インフレ率になってしまう。なので、中央銀行は企業に好況だと思わせ、雇用を増やさせるために、インフレ率を6%に引き上げる必要に立たされる。すると、6%が新たな標準インフレ率となる。このプロセスは永遠に続く…。最終的に、ハイパーインフレになるか、失業率は変わらないままに標準インフレ率が高止まりするかのどちらかに落ち着いてしまう。どちらも良い帰結ではない。

このルーカスの主張が、1970年代に反響を呼んだ理由はわかってもわえると思う。

なので、どんなものであれ、人間の行動を操作しようとする政策が当事者によって見越されているとするなら、どうすればよいのだろう? ルーカスは、基本的に以下の3つを行うべきだとした。

1.人は経済で何が起ころうともすぐに理解し、それに応じて期待を調整すると仮定しなければならない(これは「合理的期待」と呼ばれている)。

2.テクノロジー、人々の選好、資源制約等、政策によって容易に変更できないものに基づいた経済モデルを構築しなければならない。

3.政策立案者は、その場しのぎの裁量ではなく、決められたルールに従って政策を行い、経済学者が過去のデータを参照して政策の効果を分析できるようにならなければならない(政策が一定であることが分かるようになるため)。

この3つのアイデアは、いずれもルーカスのオリジナルではなく、他の経済学者も同じような批判を行っていた。しかし、ルーカスはその全てをまとめ上げた。彼は、「経済理論は全て間違えている」とする明解で強力な論理的主張と、経済理論を正しくするための全てが出揃った政策プログラムを組み合わせたのである。これは前人未到な行為だった。

そして、このルーカスの3つの提言は、瞬く間にマクロ経済学の専門家たちに全面的に受け入れられ、合理的期待は、ほとんど全てのマクロ経済理論の基礎となった。経済の「構造的」モデルの探求は、現在「動学的確率的一般均衡モデル(DSGE)」と呼ばれるものとなっている。そして、金融政策は裁量ではなくルールで行われるべきだとする考えは、DSGEモデルの重要な特徴となった。

つまり、ルーカス以降のマクロ経済学はルーカス派となり、今に至るまでほとんど変わっていない。ルーカスによってマクロ経済分野の絶対的なコンセンサスが形作られたわけではない。マクロ経済学者のほとんどは、ルーカスの基本的な3つのアイデアのうち、少なくとも1つに何らかの問題があり、人によっては3つ全てに問題があると考えている。しかし、信頼できる代替案の登場にはまだ至っていない。この間にルーカスと、共同研究していたマクロ経済学者達(特にトーマス・サージェントとエドワード・プレスコット)は、1980年代にルーカスのマクロ経済学を、マクロ経済学分野の誰もが扱えるパラダイムとして確立させるために多くの研究を行った。結果、ルーカスは、同時代で最も影響力のあるマクロ経済学者として地位を確立した。

ルーカスの立場を最も逆説的なものとしていたのが、彼の最も有名な研究は景気循環に関するものだったが、実際に最も関心を抱いていたのは景気循環ではなかったことだ。彼は、キャリアを重ねるうちに、経済成長論に関心を移していった。そして、2003年、ルーカスは、「中央銀行は経済を安定させるために十分な能力を持つようになったことで、景気後退の被害が本質的にまったく問題にならないくらい小さくなった」と主張した

マクロ経済学は、大恐慌への知的対応の一環として、(…)その経済的災禍の再発を防ぐ[ために]1940年代に新しい分野として誕生しました。この講義での主張骨子は、この本来の意味でのマクロ経済学は成功を収めた、というものです。つまり、不況の再発防止というマクロ経済学の中心的な問題は、あらゆる実用的目的によって解決され、実際に数十年かけて解決されてきたのです。財政政策による福祉の改善という重要な課題はまだ未解決ですが、これは、人々の労働と貯蓄への良質のインセンティブを提供することで達成されるべきであり、[マクロ経済学による]ファインチューニングでは達成できないと私は主張します。過去50年間のアメリカの実績をベンチマークとすると、長期的な供給側政策による改善が福祉を向上させるポテンシャルは、短期の需要管理のさらに改善することでのポテンシャルをはるかに上回っているのです。

「不況の再発防止というマクロ経済学の中心的な問題は解決された」というこの一節は、世界同時不況のわずか5年前に発表されたため、ルーカスは自らの銘に釘を打ったとみなされている。しかし、この主張は、ルーカスの根本的な経済観を示している。基本的に、長期的な経済成長下では、景気後退は副次的な問題となり、経済システムが崩壊するほど深刻な事態が生じなければ、景気後退は起こり得ない、と彼は考えていたのだ(2018年のタイラー・コーエン著作『頑固な執着(Stubborn Attachments)』で、このルーカス的な見解が再提唱されている)。

こうした考えは、説得力ある論拠に基づいている。1873年の恐慌とそれに続く大不況は、興味深い歴史的事態であり、見舞われた一部の人にとっては間違いなく痛ましく恐ろしいものだっただろう。しかし、究極的にはそれは、技術・経済の成長物語の中では脚注に過ぎず、生活水準の上昇という右肩上がりのグラフの上では、一瞬の出来事に過ぎない。

ルーカスは、マクロ経済学の最優先事項は、グラフの小さなく屈折や凹み、ジグザグを全て取り除くことにあるのではなく、(特に貧しい国々のために)曲線をより右肩上がりにする方法を見つけることにあると考えたのだ。彼は1988年の論文で以下のように書いている。

インド政府が、自国経済をインドネシアやエジプトのように成長させるためにどういった手段を取ればいいのだろう? 可能だとするなら、具体的には何をすればいいのだろう? もし不可能となっているなら、どのような「インドの本質」が不可能としているのだろう? こうした問題による人間の福祉への影響は、単純に驚異的である。一度考え始めると、他は些事となる。

韓国のような、貧困状態から工業化に成功した国で、生活水準が奇跡的に向上したのを見ると、ルーカスのこの着眼点に異論はないだろう。

しかし、ルーカスはそのキャリアの後半において、こうした大きな疑問に答えるにあたって、ごくわずかな知的貢献しかできなかった。1988年の論文で彼が開発した成長モデルは、成長理論の専門家にとっては特に有用なものだとは見なされなかった。この論文でのルーカスの主たる結論は、人的資本を蓄積し続ければ(最終的には人は教育とスキルを最大限発揮でき)無限の経済成長が可能である、とするもので、これは単に信憑性に欠けるものだった。(ルーカスの弟子でノーベル賞を受賞した)ポール・ローマーのような後発の成長理論の専門家は、新規アイデアへの研究投資こそが中核にあるとする、より現実的なモデルを導入した。しかし、これらモデルでも実証的な検証は困難となっており、研究投資が逓減効果をもたらすかどうかという問題は未解決のままとなっている

身も蓋もない言い方をするなら、ルーカスを景気循環の分野でスーパースターにした分析は、経済成長の問題に取り組む際にはあまり有効ではなかったのだ。ルーカスが最も得意としていたのは、経済理論の背後で仮定されているものを、シンプルで力強い論理で批判することにあった。この種の知的営為は、枯れ木を取り除き、より新しく、(願わくば)より良きものへの方向性を示すことができる。長期的な経済成長理論の構築は、まったく別の挑戦であり、そこで理論を検証するために必要とされていた厳密な実証研究は、ルーカスの得意分野ではなかった。幸いなことに、彼はローマ―のような一部の教え子を、この問題に導くことに成功した。

2000年代後半から2010年になって、ルーカスは関心を、30年前に自身が革命を起こした景気循環理論の分野への引き戻しを余儀なくされた。大規模な景気後退(世界同時不況)が生じ、これはルーカスや彼の同朋や弟子たちが到達した景気後退のメカニズムを覆すように見えたからだ。世界同時不況は金融危機によって生じ、エドワード・プレスコットによる景気後退は技術によって主導されるとするリアルビジネスサイクル理論とは矛盾していたのだ。世界同時不況は、1930年代の大恐慌以降、最大規模の景気後退であり、金融政策では対処できず、「景気後退の予防という問題は解決された」とするルーカスの信念に水を指した。ルーカスと共同研究者たちが何年もかけて考案・推進してきたDSGEモデルは、危機の可能性を予見できず、政策担当者が危機と戦う手段としても柔軟性に欠け、不明瞭なものだった。

ルーカスは、自身が生み出したパラダイムの正当性を擁護するのに相当の時間を費やした。2009年のエコノミスト誌のゲスト投稿で、ベン・バーナンキをはじめとする金融政策担当者が迅速な行動で危機の深刻化を軽減できたのは、彼らが自身のマクロ経済理論の信奉者だったからだと述べている。

バーナンキもミシュキンも、エコノミスト誌の概説で引用されている批評家が「マクロ経済学の暗黒時代」と呼ぶ主流派に属している。バーナンキもミシュキンも、[DSGE]モデルの提唱者であり、創造的な構築者であり、この「著しく役立たずな」ツールを、直接、あるいは業界基準となった教科書を通じて、何世代にもわたって学生たちに教えてきたのだ。過去2年間、彼ら(および他の多くの優れたマクロ経済学者)は、1930年代以降で最も困難なアメリカ経済の危機への対応に中心的に関与してきた。彼らは、予測可能なものを予測し、予測不可能なショックが発生した場合に使用できるような、緊急時対応計画を策定してきた。また、彼らは理論モデルを最近開発するにあたって、使えると判断すれば、何でも採用してきている。そこでは、1930年代のケインズ、1960年代のフリードマン&シュワルツ、その他多くの人々によるアイデアや研究が参考にされている。

この投稿で、ルーカスは以前の見解を大幅に穏健化している。ルーカスは、何十年にもわたって、最も辛辣否定的な言葉で、ケインズ経済学を死んだパラダイムだとしてきたが、2009年になってバーナンキはケインズのアイデアを取り入れたと称賛したのである。2008年にはタイム誌の電子メールインタビューで「皆して、塹壕の中のケインズ主義者だ」と述べた。そして、ウォール・ストリート・ジャーナル紙のインタビューで、極めてケインジアン的な言葉を使って、金融・財政の両面での刺激策を支持したのである。

バーナンキが1兆ドルを投じて素晴らしい仕事をしたと想定する以上、政府が1兆ドル投じるのも悪いことでないはずです。景気後退期にマネーを投じ、歳出が低下しすぎないようにするのは、不適切な処置ではない。そして、そうした処置が行われていたのです。

これは、ルーカスが、自身を有名にしたアイデアに対しても、オープンマインドで懐疑的であり続ける能力を持っていたことを示している(僕の経験上、こうした人は珍しい)。同時期のインタビューでは、ルーカスは、「何が景気後退を引き起こすのか?」という非常に根源的な問題について、自身の考えが変わったことも認めた。

フリードマン&シュワルツの研究から、[大恐慌]が貨幣的要因から生じたのは間違いないでしょう。(…)理論の導出において、あらゆる景気後退の起源をまず貨幣的なものとするのは良い出発点であると結論付けるようになりました。(…)エドワード・プレスコットは、当初からこのアプローチに懐疑的でしたが。(…)現在でも、第二次世界大戦後の景気後退(現在の世界同時不況は含みません)については、エビデンスから実物ショックのほうが圧倒的に重要であると信じています。しかし、1930年代〔大恐慌〕と、2008年以降の数年間〔世界同時不況〕については金融ショックが重要だったと確信しています。つまり、これは、景気循環は全て同じようなものであるとする見解を放棄しなければならないことを意味しているのです!

シニカルな人は、これを読んで、そもそもルーカスの研究プログラムを包括的に推し進めた価値はあったのだろうか、と思うはずだ。ルーカスによる70年代から80年代にかけてやっていたシンプルで論理的な考察は、経済についてなんら信頼できる結論を産んでいないじゃないか? と。ルーカスのフォロワーだった優秀なマクロ経済学者たちは、何十年も理論構築に携わったのに、大きな景気後退が生じれば、古臭いケインズ主義にすげ替えるしかなかったのなら、時間の浪費だったのだろうか? と。

こうした疑問はもっともだ。そして、ルーカスとその信者達は、70年代から80年代にかけて、過去との決別を示すために、あまりにも自信過剰で、あまりに攻撃的だったんだと思う。もし彼らが、ケインズ主義の一掃と、新たな船出に固執しすぎていなかったなら、ルーカス一派の理論は、危機が生じた時に有用性を示せていたかもしれない。

とはいえ、マクロ経済学は、関連する現象の複雑さと、実証データの過小さを考慮すれば、多くの困難さを抱えている学問だと僕は思う。ルーカスによる、1976年以前の経済政策への批判は、辛辣だったが、正当なものだった。ルーカスの強みは、成長理論の時でもそうだったように、優れた質問を投げかけ、人々にその解決先を見つけさせようとすることにあった。知識が乏しく、無知が蔓延している場合、最も重要となっているのは、探求を促すことにあるからだ。

[NOAH SMITH, “Thus passes Robert Lucas” Noahpinion, 15 May, 2023
写真:Ahmed Yaaniu on Unsplash]
Total
0
Shares

コメントを残す

Related Posts