アダム・グリ「『発明』を発明する:ブラッドフォード・デロング『20世紀経済史:ユートピアへの緩慢な歩み』書評」(2022年11月21日)

「20世紀経済史」を提示するというデロングの野心的な宣言は、本書の内容の豊かさからするとやや控えめですらある。

19世紀、世界の一部の地域(「グローバル・ノース」)が豊かになり始めた。成長はゆっくりと始まったが、19世紀終盤には急加速し始めた。科学、技術、生産能力の拡大は想像を絶するもので、当時の人々の一部はさらにその先を想像し始めた。この物質的成長のトンネルの先に人々が見たのは、人間の持ち得るあらゆる欲求が充足され、余暇の時間もたっぷりと残された、真のユートピアであった。

それから1世紀半経ったが、ケインズの想像した余暇の有り余る社会にも、ましてマルクスの無階級社会、あるいはヴィクトリア期に生まれ育ったユートピア主義者たちの思い描いた地上の楽園にも、私たちは到達できていない。ユートピアに到達しようとする人類の試みの中で成功の見込みがあったのは、1914年から1991年までの「短い20世紀」、すなわちソ連が勃興し失墜するまでの期間だけであった、と歴史家のエリック・ホブズボームは論じている。これに直接応答する形で、経済学者のブラッドフォード・デロングは「長い20世紀」を提唱している。長い20世紀は、経済成長が決定的な閾値に達したとデロングが考える1870年から、グレート・リセッションに見舞われた2010年までを指す。長い20世紀の間、人類がユートピアに全力で向かっているように思えた時期もあるが、その全期間を通じて、また今に至るまで、私たちはせいぜいのところ、ユートピアへと「緩慢」に向かってきたとしか言えないだろう。

デロングは自著『20世紀経済史:ユートピアへの緩慢な歩み』“Slouching Towards Utopia: An Economic History of the Twentieth Century”について、本書はお堅い学術的分析ではなく「大きな物語」である、と自ら述べている。デロングは本書で強い主張を提示している。これは、マーク・コヤマとジャレッド・ルービンの共著『「経済成長」の起源』“How the World Became Rich”とは対照的だ。『「経済成長」の起源』では、近代的経済成長に関するたくさんの競合する主張を長々とサーヴェイした後で、ようやく著者らが自身の見解を提示している。デロングの著書『20世紀経済史』はこの点で、ロバート・ゴードンの『アメリカ経済 成長の終焉』“The Rise and Fall of American Growth”の方に近い。どちらの著書〔『20世紀経済史』と『アメリカ経済 成長の終焉』〕も、一般読者と専門家の双方が、扱われている時期の一般的な経済史を深く理解できるような内容であると同時に、専門家の間で論争の的になり続けているような強い仮説を提示している。

近代的成長が始まった正確なタイミングに関しては、経済史研究者の間で未だに議論が割れている。古典的な見解では、全ては18世紀後半のイングランドにおける産業革命とともに始まったとされる。現在では、産業革命期に近代的成長が始まったという見解を擁護する論者すら、産業的製造業で起こった具体的な事象を持ち出すような単純な議論を行うことはあまりない。創意工夫やイノベーションのブレークスルーは、当時様々な領域で生じていたからだ。そして、近代的成長はいつ始まったにせよ、19世紀後半に大きく加速し始めたという点にはほぼ全ての論者が同意している。

デロングの描く物語は、こうした様々な議論が前提とする、確立された知見に異議を唱えるものではない。デロングの歴史記述の大部分は、経済史研究者のコンセンサスによって支持されたものである。

1870年から2010年にかけての1年あたりの技術的・経済的な進歩と変化は、1500年以前の期間における50年間よりも、1500年から1770年までの期間における12年間よりも、1770年から1870年間までの期間における4年間よりも大きなものだった。 [1]原注:DeLong, J. Bradford. Slouching towards Utopia: An Economic History of the Twentieth Century. New York: Basic Books, 2022. 82.

この本でデロングは、こうした比較的議論の余地のない概説にとどまらず、〔近代的成長の開始の〕タイミングや因果について、非常に強い仮説を主張している。

1870年以後に変化したのは、最も発展した北大西洋の経済圏が、「発明を発明した」ことだ。この経済圏は、繊維機械や鉄道だけでなく、産業研究所(industrial research lab)や官僚制も発明した。これによって大企業が勃興した。産業研究所による発明はその後、一国規模、また大陸規模で利用できるようになった。

(…)単に発明がなされたのではなく、発明の方法が体系的に発明されたのだ。単に個々の大規模組織が生まれたのではなく、組織化の方法が組織化されたのだ。統合された、中央計画による指令とコントロールを行う大企業が生み出されるためには、このどちらも不可欠だった。 [2]原注:Ibid, 62.

大英帝国とその近隣諸国や植民地の一部が、1770年から1870年にかけて未曽有の速度で成長したことは間違いない。しかしデロングによれば、この時期の経済成長は、それ以前の時代における一時的な成長やイノベーションの加速と同様、終焉する運命にあった。トマス・マルサスが明解な論理で示したように、1人当たりの資源量が増加しても、それが文字通り食べ尽くされるところまで人口が増加するからだ。1870年以後の世界がそれまでと違ったのは、最先端の経済圏が永続的な繁栄への道を見つけたことだった。すなわち、こうした経済圏は「発明を発明した」のである。

デロングはこの浩瀚な書籍で、自身の仮説を擁護するのに驚くほど少ないページ数しか割いていない。産業研究所と企業が、本書で詳述されている世界史的変化をいかにして可能にしたのか、という基本的なメカニズムについて具体的に述べている部分すら非常に少ない。本書の冒頭でデロングは、「ある人々は、経済成長を加速させるためにエンジニア集団を集め、また別の人々は、イノベーションの果実を利用するために技能者集団を組織した」 [3]原注:Ibid, 12. と述べている。その後、デロングはこれを具体的に説明している。トマス・エジソンやニコラ・テスラのような発明家が影響力を持てたのは、産業研究所と企業が「資金調達から人的資源管理に至るまで、それ以前の発明家が行わなければならなかった、発明以外のたくさんの役割」を引き受けたからだ。「この仕事は企業が引き継いだ。これは重大な影響をもたらした。発明された技術を、合理的・ルーティン的・専門的に発展させることが可能となり、またその技術を、合理的・ルーティン的・専門的に展開することが可能となったのだ」 [4]原注:Ibid, 35.

発明の合理化と、イノベーションの大規模な拡散のルーティン化。デロングの描く大きな物語において、産業研究所と企業が果たした役割の背後にある基本的な論理はこれである。しかし、それらがいかに合理化されルーティン化されたかについては、例えばエジソンとテスラの「電流戦争」が「電力の進歩をもしかすると5年から10年ほどずらし」、「経済をそれまでとはやや異なる方向へと永久にシフトさせてしまったかもしれない」 [5]原注:Ibid, 70. 、といった話に比べると、全然深く掘り下げられていない。

だが、産業研究所と企業は実際どのようにして、発明家たちが大きな業績を達成するのを促したのだろう。そして、1870年以前に誰も「経済成長を加速させるためにエンジニア集団を集め」ようと考えなかったのはなぜなのだろう。こうした問題に答えることは残された課題だと思われる。

とはいえ、デロングの仕事はそれでも価値あるものだ。本書は、なぜこうした現象が生じたのかについてのデロングの理論を確認した後、数千年間にわたる停滞から、緩慢な上昇軌道を上っていく「長い20世紀」へ、という未曽有の転換によって、実際に何が生じたのか、世界はいかに変化したのか、という話題に移っていく。

「20世紀経済史」を提示するというデロングの野心的な宣言は、本書の内容の豊かさからするとやや控えめですらある。デロングは、交流と直流について詳細な科学的説明を行った後、両者の違いが都市や町に電力を提供する費用の点で何を意味したかの説明へと、やすやすと移っていく。第二次世界大戦の序盤と終盤の事例を用いてドイツの戦略的・組織的な強みを述べたと思ったら、アメリカの戦時生産が枢軸国全体よりも圧倒的な優位性を持っていたという話題へと飛んでいく。大恐慌、大インフレ期、グレート・リセッションについて詳細に診断し、いかに対処すべきだったかについて積極的な処方箋を提示しながら、当時の政策立案の中心人物たちが直面していた実際の知識状態や不確実性もかなりの程度理解している。

デロングは読者に対して、市場の驚異性に関するフリードリヒ・ハイエクの見解と、市場の危険性に関するカール・ポランニーの見解という、相対立する2つの道徳的視点を常に意識して、本書で語られる膨大な事象を(片方の観点からではなく)より広い視野で評価するよう勧めている。本書を読み終わって、知識や視点が広がらなかったという読者を見つけるのは難しいだろう。本書で扱われている話題の幅広さは驚異的である。

デロングは「長い20世紀」の惨状にも、私たちが未だに直面している困難にもたじろがず、穏当な楽観論のトーンを採用している。本書で詳述されている人類の未曽有の達成を考えれば、どうして悲観論をとれるだろうか。私たちは、グローバル・ノースにおける停滞や、不可避的な気候崩壊という悲観的な物語を受け入れるのではなく、デロングの「大きな物語」をお手本にして、前進のためにとるべき手段を考え始めるべきだ。その歩みが緩慢にしか進まないのだとしても、最終的にユートピアに到達することはないのだとしても。

[Adam Gurri, Inventing Invention: Brad DeLong’s Slouching Towards Utopia, Liberal Currents, 2022/11/21]

References

References
1 原注:DeLong, J. Bradford. Slouching towards Utopia: An Economic History of the Twentieth Century. New York: Basic Books, 2022. 82.
2 原注:Ibid, 62.
3 原注:Ibid, 12.
4 原注:Ibid, 35.
5 原注:Ibid, 70.
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