ボー・ロススタイン(Bo Rothstein)は現在世界で最も影響力のある政治学者の1人である。本エントリは、ロススタインへのインタビューの前編にあたる。ロススタインは、国家の腐敗はいかにして減らせるか、北欧モデルはなぜ成功したのかなどについて論じている。
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金融市場、そして市場一般がどう運営されるべきかについては膨大な文献がある。しかし、市場においてゲームのルールを定めるフォーマル・インフォーマルな制度に関しては、それほど多くの文献はない。経済学を離れ政治学など他の分野に目を移しても、ほとんどの研究者は投票、政党、選挙、世論に注目しており、政府や規制の効率性・質についての議論は少ない。インフォーマルな制度は規制の質やインテグリティに信じられないほど強く影響する。そのため本サイトPromarketでは、今後数カ月、このテーマについて政治学者にインタビューしていこうと考えている。
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ボー・ロススタインはスウェーデンの政治学者だ。彼は最近、ヨーテボリ大学(University of Gothenburg)からオックスフォード大学のブラバトニック公共政策大学院(Blavatnik School of Government)に移った [1] … Continue reading 。ロススタインは、北欧モデル、腐敗、政府について何十年も研究を続けている。他の研究者の多くと違い、ロススタインは政治、投票、政党、哲学にそれほど関心がなく、実践志向の人である。彼の研究は、「政府の質」、つまり政府の仕事の結果に焦点を当てている [2]原注:Rothstein, Bo. 2009. “Preventing Markets from Self-Destruction. The Quality of Government Factor.” University of Gothenburg, QoG Working Paper series 2009:2 。そして政府の質への関心から、汚職の果たす役割 [3]原注:Persson, Anna, Bo Rothstein, and Jan Teorell. 2013. “Why Anticorruption Reforms Fails: Systemic Corruption as a Collective Action Problem.” Governance, an International Journal of Policy … Continue reading 、QOL、汚職をいかに減らせるか [4]原注:Rothstein, Bo. 2007. “Anti corruption: A Big Bang Theory.” Göteborg University, QoG Working Paper series 2007:3 、納税者はこれらの問題をどう認識しているか [5]原注:Rothstein, Bo. 2013. “Corruption and Social Trust: Why the Fish Rots From the Head Down.” Social Research vol. 80, no. 4 、といった問題に目を向けることとなった。
ロススタインは世界でも最も著名な政治学者の1人であり、今年の初めにはスティグラー・センター [6]訳注:本エントリが掲載されたサイトPromarketの主催団体。 の客員教授を勤めていた。オックスフォード大学に移る前、彼はヨーテボリ大学のAugust Röhss教授職に就いており、そこで「政府の質研究所(Quality of Government Institute)」を立ち上げた。この研究所は、「質の高い政治制度がいかに創出され維持され得るかに関する、理論的および経験的問題」を研究している。彼の視点は、スウェーデンという地、そして北欧諸国と福祉国家に関する研究を基盤にしている [7]原注:Rothstein, Bo, Marcus Samanni and Jan Teorell. 2011. “Explaining the Welfare State. Power Resources versus the Quality of Government.” European Political Science Review, Volume 4, Issue … Continue reading 。『政府の質(The Quality of Government)』(University of Chicago Press, 2011)〔未邦訳〕という著書でロススタインは、競争的な市場経済が機能する上で強力な制度が果たす役割を検討し、不偏性(impartiality)は質の高い政府にとって重要な条件だと主張している。
スウェーデンとデンマークは、経済政策の観点からすると、世界で最も興味深い国々だ。両国は普通、「社会民主主義」国と見なさている(この言葉は、バーニー・サンダースがアメリカ大統領選に登場して以来、頻繁に用いられるようになってきた)が、実態はそのステレオタイプと大きく異なってる。
過去数十年の間、スウェーデンとデンマークは市場志向、競争志向の政策を採用してきた。デンマークの労働市場は、世界でも有数の柔軟性を持つ [8]原注:Andersen, Torben M.; Svarer, Michael. 2007. “Flexicurity: labour market performance in Denmark.” CESifo working paper, No. 2108 。スウェーデンは、政府活動の多くを民営化したり外注したりしている。保守系シンクタンクのヘリテージ財団(Heritage Foundation)は、2014年の経済自由度指数で、デンマークをアメリカよりも上位にランクづけている。下の表は、ほとんどのパラメーターにおいて、2つの小国がアメリカに匹敵していることを示している。
![](https://i0.wp.com/econ101.jp/wp-content/uploads/2025/02/image-2.png?resize=451%2C1024&ssl=1)
バーニー・サンダースとドナルド・トランプはともに、地域の製造業を国際競争から保護すると支持者に約束している。デンマークとスウェーデンの政策はその正反対だ。両国は国内市場を競争に開いており、貿易の自由度においてアメリカよりもランクが高い。
スカンジナビア諸国の高いQOL、経済成長率、不平等度の低さ、高い税金は、国民の文化や同質性に帰されがちだ。ノーベル経済学賞受賞者のケネス・アローは、次のように発言している。「ほとんどどんな商業取引も、その中に信頼の要素を含んでいる。……世界における経済的後進性のほとんどは、相互信頼の欠如で説明できる、という主張は説得的だろう」 [9]原注:Arrow, Kenneth. 1972. Gifts and Exchanges, Philosophy and Public Affairs, (1), pp. 343-362 。
スウェーデン、デンマーク、フィンランド、ノルウェーはその格好の例だ。欧州委員会のユーロバロメーターなどの調査によると、北欧諸国は世界的に見て信頼のレベルがトップクラスである。ロススタインはこの要因を、政府の質に見出している [10]原注:Rothstein, Bo, Persson, Anna. 2015. “It’s My Money: Why Big Government May Be Good Government.” Volume 47, Number 2; pp. 231-249 。
水不足の原因は行政の質の低さ
ロススタインがキャリアの初期に研究していたのは、国によって寛大な福祉政策をとる度合いが異なる理由だった。だが当時の彼は、人々が福祉をどう受け取るかには目を向けていなかった。当時の彼の研究は、国家と巨大な利益集団の相互作用に焦点を当てていた。つまりロススタインは当初、政策がなぜ制定されるのかに注目しており、その政策が実際に効果を上げるかどうかには関心を向けていなかったのだ。
ロススタインが政策の実施プロセスに目を向け始めたきっかけは、アフリカに関する偶然の経験だった。「15年くらい前、アフリカ諸国の水資源管理を研究している博士課程の学生を指導していました。その学生の仲介で、工科大学に勤める水文地質学者〔地下水についての研究者〕と連絡をとりあうようになりました。彼らの話は非常に陰鬱なものでした」。
「まず当時(今もそうだと思いますが)、世界では安全な水にアクセスできなかったり、公衆衛生が欠如していたりするせいで、毎日15,000人もの人々が死んでいました。彼らはこう言いました。『問題は自然水が足りないことではないんです。それだけではこの問題は全然説明できません』」。
「彼らは続けてこう言いました。『私たちはエンジニアで、工科大学の出身です。過去50年、国際援助団体や地域開発団体を説得して、途上国に様々な技術設備を導入してきました。下水道、水処理場、浄水場、用水路、ポンプ、なんでもです』。」
「『ですがそれらは大して役に立ちませんでした。理由は2つあります。1つは、そうした国の調達システムは大抵腐敗しているので、機械が数年で壊れてしまうこと』。」
「『もう1つは、人々が水道設備にお金を支払うのを拒むことです。お金は盗まれるだろうと考えているから、払おうとしないのです。だから、水道設備を管理する立場にあって、誠実に、本気で水道システムを維持し続けたいと考えている人はわずかながらいるのですが、それを実行するのに十分な資源を持っていないんです』。」
「彼らは言いました。『ようするに、水問題は実際には物理的なインフラの問題じゃないんです。政治学や行政学の問題なのです。基本的な問題は汚職です。腐敗をなんとかする必要があります』。私はこの議論を否定できませんでした。政治学者の同僚のほとんどは、政治のゲームに関心があります。誰が選挙に勝つか、誰が大統領になるか、政党はどのように形成されるか、国際交渉はどう進んでいくか、といったことです。」
「それはそれで結構ですが、私は、人間のウェルビーイングを従属変数にした研究がしたいと思いました。つまり政治ではなくて、国家は人間のウェルビーイングを高めるために何ができて、何をすべきなのか、ということを研究しようと思ったのです。実のところ、政治を説明することにはそんなに興味がありません。」
政治のアウトプット
ガイ・ロルニク(インタビュアー):政治学者の多くが制度に注目しており、ルール、法、憲法、手続きに目を向けているという点はお認めになりますか? 「野獣のはらわた(belly of the beast)」の中で実際に何が起こっているのか、つまり政府が実際にどう機能しているのかについての研究はほとんどなされていませんよね。
ボー・ロススタイン:はい。私と私の同僚たちとの違いもここにあるのかもしれません。私は政治を、インプット面(行動、世論、政治動員)ではなく、アウトプット面から、つまり国家の行政能力の面から考えます。私の関心は常に行政の側にあります。実際に政府の仕事がどう行われているのか、に関心があるのです。
もう1つの点は、ダグラス・ノースの議論まで遡ります。彼に言わせると、学者はフォーマルな制度に強く焦点を当てがちですが、インフォーマルな制度にももっと注目すべきなのです。
私が社会的信頼の問題に強い関心を持つようになった理由の1つはこれです。社会的信頼(そして不信)というのは基本的に、社会におけるインフォーマルな制度です。そういうのは文化研究が扱う領域なんじゃないかと言われるかもしれませんが、私からするとインフォーマルな制度は文化というよりむしろ「標準作業手順(standard operating procedures)」のようなものです。
研究セミナーを例にしましょう。セミナーをどう運営すべきかについては、様々な制度ごとに異なる標準作業手順があります。誰もがそれを知っていますが、明文化されることはありません。例えば、どんなセミナーでもまず講演者に話をしてもらってその後に質問の時間をとるべし、と規定する文書など存在しません。
あるいは、講演者が話している最中にどんどん質問をして対話していく方がよいタイプのセミナーもあります。これも明文化はされていません。これらは言うまでもなく、インフォーマルな制度です。
自由選挙には行政能力が不可欠
ロルニク:ロススタインさんは民主主義、政治制度、政府に関して、インプットよりもアウトプットの方に関心がある、と言ってしまってよいのでしょうか? 政治学者のほとんどはインプットに目を向けますよね、投票とか政党とか世論とか。そこであなたは、「何が起こっているのかを本当に知りたいなら、インプットに目を向けても大して役に立たない。アウトプットに注目しよう」と言っているわけですか?
ロススタイン:そうです。例を挙げましょう。自由で公正な選挙は一般に、非常に重要なことだと考えられています。様々な国に自由で公正な選挙を導入させるべきだと。
問題は、自由で公正な選挙を計画し運営するのは、非常に複雑で多大な行政活動が必要となることです。行政能力が非常に低い国は、たいてい腐敗の度合いも高く、自由で公正な選挙を計画・運営することができません。
政府が隅から隅まで腐敗しているなら、選挙は正統性を持たないでしょう。それなりに行政能力のある国でなければ、自由で公正な選挙を行うことなど不可能です。仮に選挙をしても、その結果は何の役にも立たないでしょう。
これはフランシス・フクヤマの言っていることですが、西洋人は、イラクとアフガニスタンで選挙を行えば、全てが上手くいくだろうと考えていました。もちろんそうはなりませんでした。イラクとアフガニスタンは、国家行使能力(state capacity)、あるいは私の言う「政府の質」が非常に低かったからです。議会はたくさんの決定を行えますが、それを実行する行政能力が欠けていれば、現実には何も起こりません。そして人々は民主主義に失望するでしょう。
考えてみください。医療、普遍的教育、インフラ、社会保険、予防接種。どれもこれも、膨大な行政活動が必要です。こうした政策を実行するには、国家が非常に高い行政能力を有してないといけません。そんな必要はない、請負業者を雇えばいいじゃないかと言うかもしれません。でも、請負業者を監視するのはそれだけでも大変な仕事です。政府に一定の能力がなければ、監視もできません。
人々は、法律を読んで公共政策を経験するわけではありません。医療専門職の従事者や、社会保険制度の支援員、公立学校の教師などと接触することで、公共政策を経験するのです。
ロルニク:政治学者や経済学者は、投票や政党に関しては大量の利用可能なデータを持っており、たくさんの研究を行えます。しかし、重要なプロセスは、社会の不透明な部分で進行しているのかもしれません。
ロススタイン:私は、投票や政府の意思決定が重要でないと言っているわけではありません。ですが、私の同僚である政治学者たちの多くが考えるほどには重要ではないのです。他にも重要なことはたくさんあります。
まず、強力で組織化された利益集団の存在があります。教育を例にとると、教職員組合は大きな役割を果たしています。同じことは農業や医療にも言えます。
そして、大学、専門職、業界団体が確立してきた専門職規範〔職業倫理〕があります。そしてもちろん、途上国の多くでは、影響力を持つべきでないたくさんの要素が影響を及ぼしています。公共セクターの腐敗、賄賂、縁故主義などです。途上国だけの話ではないですが。
ロルニク:政府の質にとって、特殊利益集団の研究はどれくらい重要なのでしょう?
ロススタイン:ほとんどの国において、政策は国民の意志以外の様々な要素に大きく影響されています。おっしゃる通り、組織化された利害、特殊利益集団、専門家集団などが影響力を行使しています。その中には悪いものもありますが、良いものもあります。というのは、それがあるおかげで政府の能力が大きく向上するようなものもあるからです。
こうした集団はたくさんの知識を持っています。もちろん、集団は公共利益のためだけにロビー活動を行うわけではありません。集団自体の特殊利害もあります。民主主義国の中には、経済学者の言うレントシーキングの蔓延に陥っていない国もあれば、特殊利益集団の餌食になって大きな問題を抱えている国もあります。
公務員の質を保つには
ロルニク:情報や専門性の持つ力、そして規制当局と業界の関係について目を向けると、利害の集中している集団がほぼ常に勝利を収めるのではないかと思えてしまうのですが。
ロススタイン:そうかもしれませんが、それが社会科学の鉄則だとは思いません。まず、独立した専門職を上手く利用できている国もあります。そうした国は、専門家委員会や公聴会を開いて、優秀な研究者や政策志向の研究者に参加を頼んでいます。
体系的なバイアスのかかっていない知識を得るための仕組みは存在します。次に、有能な人を公務員にリクルートするのに長けた国もあります。そうした国は、優秀な人材に政府で働いてもらうことが何より重要だと思っています。だから高額の報酬を支払います。そうした国では、上級公務員は高い地位を得ています。
私は専門家による支配(rule by experts)を正当化しているわけではありません。最終的には、選挙で選ばれた政治家が決定権を持つべきです。ですが、専門家を用いた支配(rule through experts)には大賛成です。国家は様々なやり方で、特殊利害に汚染されていない情報を得るためのチャンネルを作ることができます。
ロルニク:そうしたことができている国は数えるほどしかないように思いますが。
ロススタイン:確かに多くはありません。国内に優秀な人材が足りない場合は、国際的な専門家を迎え入れることができます。場合によっては、現地の専門家はみな、例えば現地の医療産業に雇われてしまっており、国外に目を向けなければならなくなります。例えばスウェーデンのような小国では、専門家はみんな国外からやってきます。
ロルニク:市場経済において国家の果たす役割には、単なる公共財供給だけでなく、市場の規制も含まれます。市場経済がもたらす結果の1つは、賃金格差の増大です。特に、規制当局の官僚と、規制されている側の業界にいる最優秀層との間の賃金の差は莫大です。金融が良い例でしょう。民間セクターの給料が規制当局のトップ層の給料より大きすぎると、いわゆる「回転ドア」問題 [11]訳注:回転ドア(リボルビング・ドア)とは、人材が官民の間で流動に行き来する状況を指す語。官民の癒着などの問題を生むとされる。 が生まれます。
ロススタイン:その可能性は大いにあります。不平等の拡大は問題です。ですが私の規範的立場からすると、社会をより平等にする必要は必ずしもありません。誰もが一定水準以上の生活を享受できるのが望ましい、というのが私の規範的立場です。
極貧状態にある人々を放置すべきではありません。そうした人々の面倒は見るべきです。ですがどこかに限度があるはずです。私が望むのはそういう社会です。ある閾値を超えていれば、一部の人が巨額を稼いでいようと、きちんと誠実なやり方で、自身の能力と才能によって稼いでいるお金であるなら、私は特に気にしません。
次に、多くの人にとってお金は最も重要なことですが、そうでない人もたくさんいます。非常に能力のある学生が人文学を学んだり、図書館の司書やソーシャル・ワーカーになったり、あるいは政治学を学ぶなんてこともあるのです。
そういう学生は、自分が非常に賢いことを知っています。ビジネスの世界に行けばもっとたくさんのお金が稼げるのに、そうしないのです。少なくとも若者にとっては、お金以外にも非常に重要に思えることがあるのです。ビジネススクールに行く学生はたくさんいますが、他の分野の大学院でもきちんと人を集められているところはたくさんあります。学生はそうしたところに向かいます。非常に賢く、ビジネススクールや医学部にも簡単に入れるのにです。
それと、これは個人的な経験にすぎないかもしれませんが、お金が全くかかっていないのに人生の質が大きく向上するようなことはあります。少なくとも、何年も前に私はそういう状況を経験しました。
ロルニク:それはあなたがスウェーデン出身で、〔アメリカと〕文化が違うからだったりしませんか?
ロススタイン:そんなことはないと思います。恐らく私が、そこそこ楽しく快適な生活を送る中産階級の人間だからでしょう。新しいメルセデスを買ったり、大きなヨットを買ったり、とんでもない額のワインを買ったりしても、私は1セントほども幸せになれないでしょう。それは人生の質を向上させません。私の人生の質を高めるのは、お金以外のことなのです。
多くの人(特に学術の世界にいる人)にとって重要なのは、自身の尊敬する同業者から賞賛を得ることです。
ロルニク:これは興味深い論点です。特殊利害集団が政治家や規制当局、学術機関の専門家を「虜」にする [12]訳注:規制される側の組織が規制当局などをコントロールする状況を「規制の虜(Regulatory Capture)」と呼ぶ。 際、評判メカニズムがよく用いられます。特殊利益集団が専門家の威信や評判に影響力を行使するやり方には、繊細で複雑です。例えば研究やカンファレンスの資金を出して、専門家の評判に影響力を行使しています。
ロススタイン:ことはそれほど単純ではありません。利益集団はそうしたことを試みるでしょう。ですが、その研究は利益集団の資金で汚染されていると同業者に見なされれば、それは研究者にとって死刑宣告となります。学術の世界では生き残れないでしょう。とはいえあなたの言いたいことは分かります。それはもちろん問題ですし、製薬業界には実際存在する話です。私はこの点でロマンチックなのかもしれません。しかしだからこそ、私は学問の自由を強く擁護してきたのです。社会にはバランスが必要だと私は考えています。
私は市場の熱烈な支持者です。市場は非常に良いものです。しかし、市場とは異なる様々な要素によってバランスをとらないといけません。例えば法の支配、独立した研究、出版の自由などです。全てを「市場化」すれば道を踏み外してしまいます。
インフォーマルな制度の重要性
ロルニク:インフォーマルな活動に話を移しましょう。規制当局において、インテグリティやプロ意識の文化を育むインフォーマルな制度についてです。この点について何かお話しいただけますか?
ロススタイン:非常に難しい質問ですね。自然な(生物学的な、と言うべきかもしれませんが)本能に従えば、権力の座についた人はそれを利用して、自分や自分の友人、家族、氏族、部族、派閥の人間に便宜を図りたくなるものです。つまり党派的になるんです。
そうならないためには訓練が必要です。専門職規範や職業倫理を身に着けて、慎みや不偏性といった規範に従わないと同業者に尊敬されなくなるだろうと認識する必要があります。いつもバイアスのかかった判断ばかりしていれば、尊敬されなくなるでしょう。
スポーツの比喩で考えてみたいと思います。多くの人は試合を見に行って、ひいきのチームを応援します。それを見て私が「どうして審判を応援しないんですか?」と聞いたら、バカなんじゃないかと思われるでしょう。
そこで私はこう言います。「ひいきをしない(impartial)審判が少なくとも何人かはいないと、そのゲームにはなんの価値もなくなってしまう、というのは分かりますよね。そうじゃないと試合全体が崩壊してしまいます」。例えば相手チームが審判を買収していると考えれば、こちらも審判に賄賂を贈ろうとするでしょう。
サッカーのフィールドには、22人の選手と3人から4人の審判がいます。こうした人々がいるから試合が機能するんです。審判は完璧じゃありません。ミスもします。ときには自分の地元チームをひいきしてしまうかもしれません。
それでも全体としては安定しています。しかし、審判が実際にチームからお金をもらっていたり、一方のチームの熱狂的なサポーターだったりしたことが分かったら、私たちはそれを受け入れないでしょう。こういうメカニズムを私は支持しているのです。
市場におけるプレイヤーはサッカーチームに見立てることができます。チームは勝利を目指します。勝つためには何でもやるでしょう。しかしチームが一線を超えて、審判を買収したり賄賂を送ったりしだすと、試合全体が崩壊してしまいます。だから私はこんな言い回しを好んで使います。「あらゆるものは市場で売り買いできる。なんでも市場で売り買いさえしなければ」。
審判をお金で買えるようになれば、試合(ここでは市場の比喩です)は崩壊してしまうでしょう。
適切性の論理
ロルニク:審判の例は面白いですね。この点を踏まえて次の質問に行きましょう。サッカーは結局のところ、非常にシンプルです。ほとんどのファンはルールを知っていて、試合を観戦し、その目はボールを追っています。
一方で規制や行政の仕事は非常に複雑なだけでなく、納税者からはほとんど見えません。評判は市場においては強力な道具になりますが、政治家や規制官僚は、よい結果を生まないのに自身の評判だけは高めるような行為をとることが多いです。
ロススタイン:どんなシステムも完璧ではありません。あなたが述べたような短所はどれも確かに存在しますが、悪いリンゴがそれなりの数あるからといって、全てのリンゴが悪いとは限りません。そういう風に私は考えています。ここには葛藤があります。このテーマについて学生を教えているのはこのためです。市場におけるルールと、公共サービスにおけるルールの区別を学ぶのは非常に重要です。
例を挙げましょう。私が裁判官だとします。私が個人として自分の家を売りに出し、最高額を提示した人にそれを売るというのは、何も間違ったことではないでしょう。全く問題ありません。あるいは私が家にいるとき、自分の子どもや友人、家族に特別目をかけたとしても、それを間違っていると言う人はいないでしょう。これも問題ありません。
あるいは、私が例えば環境保護団体のメンバーであるとしても、何も問題ないでしょう。そうした団体のメンバーになる権利が私にはあります。ですが、裁判官である私が買収されるようなことがあれば、誰もがそれを間違っていると考えるはずです。
つまり、あるときはこの帽子を被って、また別のときは別の帽子を被っているわけです〔私人としてのふるまいと裁判官としてのふるまいは異なるという意〕。これは「適切性の論理(logic of appropriateness)」と呼ばれてきました。ある状況では許容可能な行動も、境界や敷居を超えれば完全に許容不可能なものになるのです。
つまり、自分の行為がどんな状況に位置づけられているのかを理解するということです。私が裁判官で、息子が裁判にかけられることになったら、私は「いいやダメだ、私は裁判を欠席すべきだ」というべきです。これは当然のことです。ですが制度が腐敗している場合、裁判官は「私は彼のことを一番知っている。私が裁判官をつとめるべきだ」と言うでしょう。これは私たちの考え方とは違いますよね。
(後編へ続く)
〔本エントリは、当インタビューを掲載しているウェブサイトPromarketの編集部の許可に基づいて翻訳・公開している。見出しは適宜追加、ないし語句を修正している。〕
[Guy Rolnik, ProMarket Interview: Bo Rothstein on the Role of Government in Market Economies, Promarket, 2016/5/22.]References
↑1 | 訳注:その後、同大学院に設立資金を提供しその名称の由来となった投資家、レオナルド・ブラバトニックがドナルド・トランプに資金提供していた件を受けて、オックスフォード大を辞職。現在はヨーテボリ大学に戻っている。 |
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↑2 | 原注:Rothstein, Bo. 2009. “Preventing Markets from Self-Destruction. The Quality of Government Factor.” University of Gothenburg, QoG Working Paper series 2009:2 |
↑3 | 原注:Persson, Anna, Bo Rothstein, and Jan Teorell. 2013. “Why Anticorruption Reforms Fails: Systemic Corruption as a Collective Action Problem.” Governance, an International Journal of Policy Administration and Institutions 26; pp 449-471 |
↑4 | 原注:Rothstein, Bo. 2007. “Anti corruption: A Big Bang Theory.” Göteborg University, QoG Working Paper series 2007:3 |
↑5 | 原注:Rothstein, Bo. 2013. “Corruption and Social Trust: Why the Fish Rots From the Head Down.” Social Research vol. 80, no. 4 |
↑6 | 訳注:本エントリが掲載されたサイトPromarketの主催団体。 |
↑7 | 原注:Rothstein, Bo, Marcus Samanni and Jan Teorell. 2011. “Explaining the Welfare State. Power Resources versus the Quality of Government.” European Political Science Review, Volume 4, Issue 01; pp. 1-28 |
↑8 | 原注:Andersen, Torben M.; Svarer, Michael. 2007. “Flexicurity: labour market performance in Denmark.” CESifo working paper, No. 2108 |
↑9 | 原注:Arrow, Kenneth. 1972. Gifts and Exchanges, Philosophy and Public Affairs, (1), pp. 343-362 |
↑10 | 原注:Rothstein, Bo, Persson, Anna. 2015. “It’s My Money: Why Big Government May Be Good Government.” Volume 47, Number 2; pp. 231-249 |
↑11 | 訳注:回転ドア(リボルビング・ドア)とは、人材が官民の間で流動に行き来する状況を指す語。官民の癒着などの問題を生むとされる。 |
↑12 | 訳注:規制される側の組織が規制当局などをコントロールする状況を「規制の虜(Regulatory Capture)」と呼ぶ。 |