●Lars Christensen, “A Hayekian coup in Egypt?”(The Market Monetarist, July 12, 2013)
(おことわり:今回のエントリーは、金融政策とは一切無関係のネタを扱っている。その点、ご注意いただきたい)
チリの独裁者であるアウグスト・ピノチェト(Augosto Pinicohet)に関するハイエクの見解をめぐって、ブログ界で非常に興味深い――ハイエクのファンにとっては不愉快な――論争がしばらく前から継続中だ。事の始まりは、およそ1年前(2012年7月)に書かれたコリィ・ロビン(Corey Robin)――左派寄りの観点から、保守派やリバタリアン陣営に対してかねてから批判を加えている論者の一人――のこちらのブログエントリー。コリィ曰く、「フリードリヒ・ハイエクは、アウグスト・ピノチェト率いる血なまぐさい体制の熱烈な支持者だった」とのこと。
白状しなければならないが、1年前にコリィのエントリーをはじめて読んだ時は、きちんとした証拠に裏付けられた説得力のある主張だと感じたものだ。ハイエクの長年のファンを自認している身としては、正直言って愉快な気はしなかった。その後、コリィの主張をめぐってかれこれ1年間にわたってブログ界で論争が繰り広げられた。私もその論争を折々は追ってはいたが、じっくりと腰を据えてというわけでもなければ、論争の過程で持ち上がってきた個々の争点のすべてに対して自分なりの意見を固める努力をしてきたわけでもない。
コリィに対しては、リバタリアンの陣営から数多くの批判が寄せられている。そのうちの一人がケビン・ヴァリエ(Kevin Vallier)で、彼による最新の(コリィに対する)反論――“Hayek and Pinochet, A Discussion Deferred For Now”――がBleeding Heart Libertariansブログに投稿されたばかりだ。ピーター・ベッキー(Pete Boettke)もこちらの大変優れたエントリーで関連する話題を論じている。
この論争には数多くの学者が参戦しているが、残念なことに誰も論争のまとめ役を買って出てはくれていないようだ。いや、私がその役目を引き受けようというわけじゃない。正直なところ、誰が正しくて誰が間違っているのかと問われても、私は何の意見も持ち合わせていない。それならなぜわざわざこの論争に触れたのかというと、「ハイエクとピノチェトの交わり」にまつわるあれこれがエジプトで現在進行中の出来事(シシ将軍率いる軍事クーデター)と密接な関わりがあるように感じられて、そのことについて少々触れておきたいと思ったのだ。
シシ将軍はハイエクの『法と立法と自由』を読んだか?
「ハイエクとピノチェトの交わり」について、コリィ・ロビンが新たなエントリーを物している。それを読んだのは、エジプトで軍事クーデターが勃発した直後のことだった。コリィのエントリーを読みながら、「ハイエクは、エジプトでの軍事クーデターについてどういう意見を持ったろうか?」とふと考えさせられた。
コリィは、件のエントリーでハイエクの(チリの日刊紙のインタビューに応じた際の)発言を引用している。
「長期的な政体」としての独裁には、もちろん反対です。しかしながら、独裁というのは、過渡期において一時的に必要となるシステムなのかもしれません。何らかのかたちの独裁権力が必要となる場合が時としてあります。ご理解されていると思いますが、独裁者が自由主義の精神に反することなく国を統治するという場合もあり得ますし、その一方で、民主政を採用しているのに自由主義の精神が見失われてしまっているという場合もあり得ます。個人的な好みとしては、「リベラリズム(自由主義)を欠いた民主政」よりも、「リベラルな(自由を重んじる)独裁者」に票を投じたいところです。個人的な印象を述べさせてもらうと、・・・(略)・・・今後のチリでは「独裁的な政府」から「自由な政府」への移行が進むと予想されますが、・・・(略)・・・その間の過渡期においては何らかの独裁権力が保たれる必要があるかもしれません。
コリィは、さらに以下のように書いている。
ハイエクは、自分の秘書に頼んで、執筆中の本の草稿の一部をピノチェトのもとに届けさせたのである。ピノチェトの手に渡ったのは、後に『Law, Legislation and Liberty』の第3巻(邦訳『法と立法と自由 Ⅲ』)の第17章――“A Model Constitution”(「立憲政体のモデル」)――として結実することになった箇所である。その中では「国家緊急権」(“Emergency Powers”)についても一節が割かれていて、自由社会の「長期的な存続」が危ぶまれるような場合に限っての一時的な独裁が擁護されている。「長期的」というのはどうとでも取れる曖昧な表現だが、ハイエクが「自由社会」というのを自由民主主義(liberal democracy)という意味で使っていないことだけははっきりしている。「自由社会」という表現には、もう少し特殊で癖のある意味合いが込められている。「政府による強制的な権力(権限)が行使される範囲が、正しい行為の一般的なルール(universal rules of just conduct)を執行することだけに限定されていて、政府による強制的な権力が具体的な目的を達成するためには利用できないようになっている」社会というのが、ハイエクが考える「自由社会」である。「政府による強制的な権力が具体的な目的を達成するためには利用できないようになっている」という最後のフレーズが肝だ。例えば、政策的に富の再分配を図ることは「具体的な目的を達成」しようとする行為に含まれるというのがハイエクの考えだった。つまり、自由社会への脅威となるのは、他国との戦争や内戦だけに限られるわけではないかもしれないわけである。
昨今のエジプトでも、ムルシー大統領の出身母体であり支持基盤でもあるムスリム同胞団と対立する陣営――(広義の)「リベラル」陣営――から似たような議論が持ち出されている。ムルシー大統領が民主的な選挙を通じて選ばれたのは確かだが、途中で反民主主義の方向に舵を切ってしまった。軍部が圧力をかけて、ムルシー大統領(および、ムスリム同胞団の一味)を権力の座から引き摺(ず)り下ろすのは、国民のためになるばかりでなく、自由を守ることにもつながる、というのだ。このたびの軍事クーデターは、エジプトの地において民主主義を守り抜くためにも必要だったのだ・・・なんて声もそのうち聞こえてくるかもしれない。
私の代わりに誰か!
再度強調しておくべきだろうが、ピノチェトに関するハイエクの見解について一家言――あるいは、少なくとも口を挟むだけの資格――を持っているわけでもなければ、ハイエクがエジプトでの軍事クーデターについてどう考えたかについてもこれといった言い分があるわけでもない。しかしながら、民主的な手続きを通じて選ばれた政府を打ち倒すだけの「権利」が軍部にあるのかどうかという問題について哲学的な観点から徹底的に論じることは、エジプトで進行中の出来事の意義を理解する上で極めて重要だと思われたので、問題提起をするつもりで筆を執ったのだ。
ご存知のように、本ブログの9割は、金融政策絡みの話題で占められている。しかしながら、ちょうど休暇中ということもあって、気分転換がてらに少しばかり哲学的な雰囲気に浸ってみたくもある。そこでお願いだ。ハイエクがエジプトでの軍事クーデターについてどう考えたと思われるかについて、誰かが私の代わりに検討してみてくれないだろうか? 単に知りたいだけなのだ。「ハイエクとピノチェトの交わり」についてであれ、エジプトの現状についてであれ、「私の意見はこうだ」と持論を展開する気なんてさらさらないのだ。
単に疑問を投げかけているに過ぎないのだ。私なんかよりもずっと「ハイエクの哲学」に詳しいどこかの御仁が助け舟を出してくれるのを待ち望むとしよう。
(追記)金融政策絡みの話題だけではなくて、その他の政治だとか経済だとかの話題もたまには取り上げてほしかったりするだろうか? 読者が望むようであれば、頻繁に取り上げる気はないが、これまでよりは少し多めに取り上げてもいいかなとは思っている。
(追々記)政治哲学の方面に関しては、自分のことをハイエキアンだとは思わないし、これまでもそう思ったことはない。オーストリア学派の経済学者の中で政治哲学の方面で影響を受けた――その内容を受け入れているかどうかは別として――人物を探すと、マリー・ロスバードってことになるだろうか。個人的には、ハイエクの『法と立法と自由』よりも、ロスバードの『The Ethics of Liberty』(邦訳『自由の倫理学』)にずっと強い影響を受けている。とは言え、ロスバーディアンかというと、そうじゃないのも確かだ。
(追々々記)「ハイエクとピノチェトの交わり」については、ファラント(Andrew Farrant)&マクフェール(Edward McPhail)&バーガー(Sebastian Berger)の三人が2012年に共同で著(あらわ)している “Preventing the “Abuses” of Democracy:Hayek, the “Military Usurper” and Transitional Dictatorship in Chile?”が絶対に外せない必読文献だ。
(最後の追記)匿名の人物がウォール・ストリート・ジャーナル紙の記事から以下の抜粋を送って寄こしてくれた。
エジプトの新しい指導者となった将軍(シシ将軍)がチリのアウグスト・ピノチェトの例――国内が混沌としている最中に権力を掌握し、その後に経済の自由化を指南するアドバイザーを雇うだけでなく、チリに民主主義を打ち立てる仲立ち役を務めもしたピノチェトの例――に倣(なら)うようであれば、エジプトの民には幸運が訪れるだろう。その一方で、シシ将軍の狙いがムバラク時代への逆戻りを果たすことにあるようなら、シシ将軍の行く手にはムルシー大統領が辿ったのと同じ運命が待ち構えていることだろう。