経済学101は主に皆様の寄付によって賄われています。温かい支援をお待ちしています

ダイアン・コイル 「経済学者にお薦めの古典小説」(2018年9月2日)

●Diane Coyle, “Classics for Economists”(The Enlightened Economist, September 2, 2018)


オックスフォード大学に籍を置くエリザベス・ボールドウィン(Elizabeth Baldwin)に言われて思い出したのだが、経済学者が読んでおくべき古典小説のリストを数年ほど前に本ブログで紹介したことがある。自分でもすっかりその存在を失念してしまっていたのだが、我ながらなかなかの出来のリストなんじゃないかと図々しくも自負していたりする。そんなわけで、以下にその(なかなかの出来の)リストを再掲することにしよう。

早速本題に入りたいところだが、その前にリストは改善の余地ありということは断っておくとしよう。私がもまれてきた文化的な環境の基準に照らすと、ロシアの文豪の作品については読書量が足りていないというのが正直なところだ。ロシアの文豪のうちで経済学と関係が深い作品を残しているのは誰だろうか? ヘンリー・ジェイムズとかディケンズとかは個人的に好きじゃないのだが(学校で課題図書として強制的に読まされたのがその理由)、(ディケンズの)『リトル・ドリット』なんかはリストに入れてもいいんじゃないかとは思う。アフリカ文学だとかインド文学、はたまた中国文学の古典なんかはどうだろうね? 現代の古典――例えば、カート・ヴォネガットの『プレイヤー・ピアノ』とか――も加えた方がいい? 何かお薦めの小説があれば是非ともお教え願いたいところだ。 [Read more…]

アレックス・タバロック「FBIは取り調べを録画していない」(2018年12月24日)

Alex Tabarrok, “Why doesn’t the FBI videotape the interviews?“ (Marginal Revolution, December 24, 2018)

マイケル・ラパポート氏は、ロー・アンド・リバティー誌で次のように書いている。

取り調べ中に取り調べを受けている人物が嘘をついていると思ったら、政府に対して偽証したとしてFBIはその人物を起訴することができる。刑罰はかなり重い。合衆国法典第18編第1001条のもと、連邦政府に対するいかなる偽証も5年間の実刑の対象とされている。随分と長い刑期だ。

FBIはどうやって偽証を証明しているのだろうか?ビデオ録画していると思われるかもしれない。録画は偽証をしているかどうか証明するのに最高の証拠だ。だが、あなたがそう思っているとしたら、とんでもない間違いだ。

FBIは取り調べを録画していない。取り調べの録画を禁止するFBIガイドラインがあるらしいのだ。代わりに、FBIはもうひとり捜査官を取り調べに立ち合わせる。そして立ち会った捜査官は、取り調べ中に自分が取ったノートをもとに、第302書式Form 302)というレポートを提出する。

ここでは何が起こっているのだろうか?なぜFBIは録画を禁止して、代わりに取り調べの概要に頼るのだろうか?最も明らかな理由はFBIを贔屓してはくれないものだ。取り調べを録画していないなら、FBI捜査官は取り調べ対象の人物が偽証しているというFBI独自の見解で議論することができる。(被告人が法廷で証言したとしても)被告人よりもFBI捜査官のほうが信用されやすいので、この取り調べのやり方はFBIにとって有利である。逆に録画があると、裁判官や陪審員は偽証があったかどうかを自分で判断できてしまう。

現行法においてこれは憲法違反だという意見を持つひともいる。正当な法の手続き条項(the Due Process Clause)の解釈を巡って争われたマシューズ対エルドリッジ事件では、より正確な判断をもたらし、費用をかけるに値する別の方法があるならば、〔録画なしの取り調べは〕違憲であるとしている。録画の費用の低さを考えれば、正確さのために録画するのは便益が費用を上回るのは明白だろう。

バービー・シルバーグレイト氏のこちらの素晴らしい記事も参照されたし。

ビル・ミッチェル「マンキューの『原理』は洗脳だ」(2009年12月29日)

Bill Mitchell, “Do not learn economics from a newspaper“, – billy blog, December 29, 2009.
(訳注:10年前のエントリで、リンクはいろいろ切れていますがそのままにしています。また、原題は「新聞で経済学を学ぶな」という感じですが、著者が別エントリでこの文書を次のように紹介していることからタイトルを変えています。
Do not learn economics from a newspaper – for more discussion on why these principles are just an ideological brainwashing exercising.)


先週末、 [Read more…]

タイラー・コーエン 「ピカソ、リヒター、ポルケ ~変幻自在な『概念的イノベーター』~」(2006年2月19日)

●Tyler Cowen, “The versatility of conceptual innovators”(Marginal Revolution, February 19, 2006)


デビッド・ガレンソン(David Galenson)の論文のアブストラクト(要旨)より。

パブロ・ピカソにゲルハルト・リヒターにジグマー・ポルケ。いずれも現代美術を代表する重要な画家であり、三人ともに画風(作品のスタイル)を幾度も――時にガラリと――変えたことで知られている。その変幻自在ぶりは美術史家の間で悩みの種となっているが、ピカソ研究者にしてもリヒター研究者にしてもポルケ研究者にしても研究対象である画家の変幻自在ぶりをその画家だけ(ピカソだけ/リヒターだけ/ポルケだけ)に備わる特異な特徴として見なそうとする傾向にある。三人の変幻自在ぶりの背後に控える「共通の根」を捉え損なってしまっているのだ。実のところ、変幻自在さというのは「概念的イノベーター」によく見られる特徴なのだ。「概念的イノベーター」の対極にいるのが「実験的イノベーター」だ。「概念的イノベーター」は個別具体的な目標(課題)を掲げてそれが解決されたと自覚されると新たな目標(課題)へと切り替えを図る傾向にある一方で、「実験的イノベーター」が掲げる目標(課題)は抽象的で解決するのが難しい。そのため、「実験的イノベーター」は生涯を通じて一つのスタイルに固執する傾向にある。一つのスタイルに囚われずに次々と革新を続ける「概念的イノベーター」は20世紀アートの世界に屹立する重要な存在である。その原型とも言えるのがピカソであり、その後にはマルセル・デュシャンからダミアン・ハーストへと至る数々の顔ぶれが続く。変幻自在ぶりは画家の中の「概念的イノベーター」(「概念的な画家」)だけではなく、アートのその他の分野における「概念的イノベーター」にもさらには学者の中の「概念的イノベーター」にも備わる特徴である。「概念的イノベーター」の変幻自在ぶりの背後に控える「共通の根」を認識することを通じて人間の創造性についての理解が深められることになろう。

(学者の中の「概念的イノベーター」の例として)「ケネス・アロー」の名前が脳裏に浮かぶが、同じくって人はいるかな? ライプニッツなんかはどうだろうね? こちらの本では「万物を知悉せし最後の男」(トマス・ヤング)について詳しく掘り下げられている。ガレンソンの論文はこちらだ。

アレックス・タバロック「2018年の記事ベスト10」

Alex Tabarrok “The Top Ten Marginal Revolution Posts of 2018” Marginal Revolution, December 20, 2018


ページビュー数で測った場合,本ブログMarginal Revolutionの記事で今年最も人気があったのは,警官とそれ以外の人たちでは違った法律が適用されているという話だ。「刑務所釈放カード(Get Out of Jail Free Cards)」

2位は「タイラー・コーエンの人生のための12のルール(Tyler Cowen’s 12 Rules for Life)」だ。7番目のルールの「自らを傷つけるものから学ぶ術を学びなさい」に今日は目を引かれたが,リスト全体を通して多くの知恵に溢れている。

3番目に人気があったのは,タイラーでも私でもゲスト投稿者ですらない本ブログの読者からのコメントだ。「主要IT企業で働くことに関してとある頭の良い人の見解(One smart guy’s frank take on working in some of the major tech companies)」

お気に入りの記事のうちの一つが4位に入った。「”The Profit”からの教訓(Lessons from “The Profit”)」 The Profitの新シーズンが始まったが,いまだに面白い。産業組織論の経済学者なら必見だ。

5位もお気に入りの一つだ。 [Read more…]

タイラー・コーエン 「『フランコの夢と嘘』」(2006年2月17日)/「9・11がテーマのアートの名作」(2011年9月6日)

●Tyler Cowen, “The dream and lie of Franco”(Marginal Revolution, February 17, 2006)


裏返しになってる・・・わけじゃないのでご注意を。ピカソの手になる本作は二枚組(もう一枚はこちら)で詩(こちら)も書き添えられている。戦争に対するピカソなりの(作品の制作を通じた)応答の例についてはこちらのページにまとめられている。「ビジュアルアートの分野における『戦争』と『平和』」がテーマのデビッド・ハート(David Hart)の論考の草稿はこちら。お薦めだ。こちらのページでは古典的自由主義者を自任している御仁の興味を引くであろうアート作品の一覧が、こちらのページでは戦争に懐疑的な御仁の興味を引くであろうアート作品の一覧がそれぞれ紹介されている。

——————————————————————————————————-

●Tyler Cowen, “Has there been a great 9-11 work of art?”(Marginal Revolution, September 6, 2011)


ゾーイ・ポロック(Zoë Pollock)がこちらのエントリーで「これまでにアートの世界で9・11(米同時多発テロ事件)をテーマとする名作は生み出されているだろうか?」との質問を投げかけている(関連するあれやこれやの議論もあわせて紹介されている)。私ならジョン・アダムズ作曲の『On the Transmigration of Souls』(「魂の転生」)を第一候補に挙げるだろう。YouTubeだと例えばこちらの動画をお試しになるといいかと思うが、高性能のステレオで聴けば一層感動的に響くことだろう。生演奏ならなおよしだ。

ケヴィン・グライアー 「戦後ドイツのアーティスト ~ポルケ、リヒター、キーファー、ボイス~」(2007年5月27日)

●Kevin Grier, “German Postwar Artists”(Marginal Revolution, May 27, 2007)


ニューヨーク・タイムズ紙の日曜版にジグマー・ポルケ(Sigmar Polke)に関する長文の記事が掲載されている。近々(2007年6月10日から)開催予定のヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展のために目玉となる新作を用意しているらしい。以下の画像はそのうちの一つだが、何とも魅力的な作品だ。風変わりな素材を使って描かれているとのことだ。

ポルケはゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter)と比較されることが多い。個人的にはポルケ・・・ではなくリヒターに軍配を上げたいところ。現役の画家の中で一番偉大なのはリヒターというのがかねてからの持論なのだ。

戦後ドイツのアーティストの中だと、アンゼルム・キーファー(Anselm Kiefer)だとかヨーゼフ・ボイス(Joseph Beuys)だとかもザ・アーティストと呼ぶにふさわしい存在だ。戦争の後遺症(第二次世界大戦がその後のドイツに残した傷跡)に思いを馳せるアーティストという共通点を持つ二人。キーファーの作品は哀愁が漂っていて崩壊の予感に満ちている。陰鬱で物悲しい雰囲気に包まれている。それに対してボイスは人体の脆さや破茶滅茶さに眼目を置いているように見受けられる。

ワシントンD.C.に住む人間が羨ましくてならないことがある。それは何かというと、少し出歩けば(ナショナル・ギャラリー・オブ・アートだとかハーシュホーン美術館だとかに足を運べば)キーファー(例えば、こちらこちら)やリヒターの作品(こちらこちらを参照)を無料で鑑賞できるということだ。

スコット・サムナー「人々はどこに移住してる? そのワケは?」(2018年12月21日)

[Scott Sumner, “Where are people moving? And why?” TheMoneyIllusion, December 21st, 2018]

Econlog の方に投稿したポストで,アメリカの人口増加が減速しているという話を書いた.2018年現在は 0.6% という伸び率になっている(1937年いらいもっとも鈍い伸びだ).『ウォールストリートジャーナル』の記事にも,アメリカの州別にみた人口増加に関する面白いデータが掲載されている:
[Read more…]

アレックス・タバロック「スポーツ選手のタトゥーの著作権は誰のもの?」

Alex Tabarrok, “Athletes don’t own their tatoos“(Marginal Revolution, December 28, 2018)

ニューヨークタイムズ紙の記事有形的表現媒体に固定されている」創造的イラストは如何なるものも著作権を有している。アメリカ合衆国著作権局によれば、これはひとの皮膚上にインクで表示されたものも含む。しかし、法律専門家が指摘するように多くのひとが誤解しているのは、タトゥーの著作権はタトゥーをしているひと本人ではなく、タトゥーアーティストのものだということだ。

タトゥーアーティストの中には著作権を企業に売却した者もおり、それら企業はゲームに出てくるスポーツ選手のタトゥーがそっくりに表示してあるとしてゲーム制作会社を現在訴えている。

Solid Oak Sketches社は、3人のバスケットボール選手から5つのタトゥーの著作権を取得した、レブロン・ジェームズ選手の肖像と市内局番1 も込みで。NBAオフィシャルゲームソフトであるNBA2Kシリーズにこれらタトゥーが〔無断に〕使用されているとして2016年に訴訟を起こす前のことである。
この企業は訴訟前に過去の著作権侵害について81万9500米ドル、将来の使用料として114万米ドルの取引を試みていた。
このような脅しを回避するために、現在ではスポーツ選手たちはタトゥーを入れる前にタトゥーアーティストからライセンスをあらかじめ得るようにと忠告されている。
  1. 訳注:ジェームズは出身地の番号を自身の出生の表現として使用している []

タイラー・コーエン 「難解さの過大評価?」(2003年12月30日)

●Tyler Cowen, “Do we overvalue the difficult?”(Marginal Revolution, December 30, 2003)


とある実験によると、詩をはじめとするアート作品に対する鑑賞者(被験者)の評価はその作品が完成されるまでに長い時間を要したと伝えられると高まる傾向にあるとの結果が得られている。その実験結果をまとめた(4名の心理学者の手になる)論文はこちら(pdf)。制作するのに多くの「努力」が払われていると知るとその作品の評価は高まるというわけだが、その効果は「質」を判断するのが難しい作品ほど大きいとのことだ。難解な作品(理解するのに時間や労力を要する作品)ほど鑑賞者から高く評価されがちという結果を得ている別の研究もある。

以上の話はアートなるものについて一体どのようなことを意味しているだろうか? 我々はハイカルチャーに括られる難解な作品を過大評価しがちな一方で、とっつきやすい(大衆受けしやすい)作品を過小評価しがち。そのように言えるかもしれない。言い換えると、『となりのサインフェルド』はみんなが思っているよりも出来の良い作品なのだよ。

冒頭でリンクを貼った論文ではジャクソン・ポロック(Jackson Pollock)にまつわるエピソードも紹介されている。ポロックが描く絵に対する同時代の評価として「あんな絵は誰にでも描ける」という批判があったというが、ポロックの絵は長い時間をかけて制作された血と汗の結晶であって誰でも真似できるような代物なんかではないというのが本当のところなのだ。「ポロックは作品の制作に多大な努力を注いでいるのだ」というポロック擁護論も散見されるくらいなのだ。一つの作品を仕上げるのに数ヶ月にわたる重労働を要することもあったというのだ。 ・・・てなことを伝えられると「ポロックなんて嫌いだ!」という御仁も考え直すんじゃないかな。

ところで、今回のエントリーなんだけどね、書き上げるまでにそりゃもうたんまりと時間がかかってるんだよ。