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ジョセフ・ヒース「少年とセックスと本とビデオゲーム」(2017年8月2日)

Boys, sex, books, video games
Posted by Joseph Heath on August 23, 2017 | gender

教育者のほとんどが気づいていることがある。それは我々の社会において男の子が本を読まなくなっていることだ。「文学の危機」とまで呼んでしまうのは少し大げさかもしれない。それでも、男の子が本を読まなくなっている現象は現在進行であり、問題でもある。私には12歳の男の子と13歳の女の子がいるので、親としてここ数年にかけて、この現象を注視してきた。おかげで文学の中でもYA(ヤングアダルト:若年層向け)文学分野で何か起こっているのかを、私の同世代の誰よりも精通することにもなったのである。よって以下、この分野におけるいくつかの観察事例だ。

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ベイ・チン, ダーヴィド・ストロンベルグ, ヤンフイ・ウー「電脳独裁制: 中国ソーシャルメディアにおける監視とプロパガンダ」(2018年5月25日)

Bei Qin, David Strömberg, Yanhui Wu, “E-autocracy: Surveillance and propaganda in Chinese social media“,  (VOX, 25 May 2018)


中国政府はソーシャルメディア上の情報を利用する監視システムに多大な投資を行ってきた。本稿では、これらシステムが、その最も単純な形態においてさえ、極めて効果的であることを示してゆく。政府の視点に立つと、ソーシャルメディアは、組織された社会抗議の潜在的アウトレットとして見れば食指の動くものではないが、抗議を監視し、地方の公務就任者を見張り、プロパガンダを流布するための手法としては有用である。

閉じられた扉の背後では、政治目的をもった企業や政治家がソーシャルメディアデータの発掘にいよいよ本腰を入れている。Cambridge Analyticaスキャンダルをふくみ、最近の幾つかの出来事はこのことを裏付けるとともに、果たしてソーシャルメディアは民主主義の機能を危うくするものなのかという点をめぐり、世界規模の議論を巻き起こしている。この議論と緊密に関連しているのが、非民主主義国におけるソーシャルメディアの役割をめぐる白熱した議論だ。アラブの春、そして汚職をした公務就任者がソーシャルメディア上の公論により失墜させられた数々の逸話に触発された学者のなかには (例: Shirky 2011)、ソーシャルメディアが権威主義的政府を説明責任から逃がさないでおく役割を果たしていると考える者もいる。そのような顛末を極力少なくしようと、権威主義体制はソーシャルメディアに自己防衛的な検閲を加えるかもしれないが1、それでも人々を完全に自らの支持に転じさせることはできない。Enikolopov et al. (2016) の提示するエビデンスはこの見解を裏付けるものだ。以上とは対照的に、ソーシャルメディアを監視とプロパガンダに利用することで、権威主義政府は体制の安定性を高め、権力を強化しうると主張する研究もある (例: Morozov 2012, Lorentzen 2014)。これら体制はこうした戦略の射程と効果性をどうやら十分知悉しているようだが、世間のほうは何も知らされぬまま暗闇の中に放り置かれているのだ。

こうした事情を明るみに出すため、我々は最近の研究のなかで (Qin et al. 2017a, 2017b) ソーシャルメディアをつうじた電脳独裁制の構築に関する活動とその効果性について、初めての大規模エビデンスを提示した。具体的には、中国ソーシャルメディアにおける監視の効果性とプロパガンダの広がりを調査した。本研究は、Sina Weibo – 中国で最も有名な小型ブログプラットフォーム – に投稿された132億件 (13.2 billion) のブログ投稿からなるデータセットに依拠しており、期間は2009-2013年をカバーする。

抗議と汚職の監視

結果 1: 抗議やストライキはソーシャルメディアコンテンツにより、1日前に予測可能であり、その正確性も申し分ない。

我々は、2009年から2012年にかけて中国本土で発生した545件の大規模集団行動イベントに分析を加えた。キーワード計上数に基づくシンプルな手法を用いてこれらイベントの予測を試みた。そのうえで予測にたいしAUROCによる評価も行っている。これはモデル予測力の正確性 (accuracy) の尺度としてよく使用されるものである2。我々が開発した監視ツールのAUROCは、ストライキの予測については0.87、反日イベントの予測については0.96の値を出したが、これは通例申し分なし (excellent) と見做される閾値0.9に近い、またはそれを超えるものとなっている。

以上は中国政府エージェンシーによって用いられている実際の監視システムの正確性の下限にあたると考えられる。というのもこれらエージェンシーは、ソーシャルメディア上の情報を利用した機械学習型監視システムの構築に多大な投資を行ってきたからだ。逆にいえば、監視手法の正確性は監視を意識した抗議者が沈黙を守れば損なわれる可能性がある。しかしながら本研究が示すところ、抗議を予測する投稿はしばしば、抗議者が作成したものでもなければ、予告された抗議に関するものと明示されたものでもない。これらの代わりに大量に見られるのが、傍観者によって公開された投稿や間接的に関連付けられた投稿である。機械学習型の手法ならばこのような傾向も利用できるのだ。

高い予測正確性は関連性の有る投稿が大量にあったことの帰結である。本データにふくまれるソーシャルメディア投稿のうち、集団行動イベントについて議論しているものは数百万件も確認されている; その一部はイベントに先行し、さらには明示的に参加を呼び掛けるものさえある。これと対照的に、新聞はこれらイベントについて完全に沈黙を守っている。我々はこれらソーシャルメディア投稿にたいし、話題モデリング (表1を参照) を用いて特徴付けを行った。同様に、本データにふくまれるソーシャルメディア投稿のうち政府の汚職について議論しているものは、さらに大量に確認されている (こうした投稿のなかで最も人気のある話題については表2を参照)。

表 1 集団行動関連投稿でホットな話題

表 2 汚職関連投稿でホットな話題

抗議のケースと比べれば情報度は劣るものの、こうした投稿は汚職の監視に効果的だ。具体的には、我々は中国政府の高位公務就任者が関与した汚職事例200件に分析を加えている。比較の目的で、類似の政治的地位を保持していたが汚職による訴追はされていないという、対応的な480名の政治家からなる対照サンプルを構築した。シンプルな回帰モデルをとおし、1年後に汚職で訴追を受ける政治家がいずれかがソーシャルメディア投稿によりかなりの程度予測できることが明らかになった (但し、予測正確性は貧弱である; AUROC値は0.6未満)[訳註1]。主たる原因は、汚職で訴追された全ての公務就任者のうち、汚職関連投稿でともかく言及されたことのある者が、三分の一に過ぎなかった点にある。ソーシャルメディア上の議論の不在が示唆するのは次のいずれかだ。一、これら人物はともかくソーシャルメディアには気付かれないよう上手くやった。二、これら人物も対照サンプル中の公務員より汚職度が高いということはなく、訴追されたのは何か別の事情からだった。

結果 2: Sina Weiboはプロパガンダのために大々的に用いられている

2012年、Sina Weiboは政府省庁および個々の公務就任者により約50,000件のアカウントが運用されている旨を報告した。この数字の正確性を評価するため、我々は外部者によるものとしては初となる、ソーシャルメディア上の中国政府プレゼンスの推定値を提示している。我々はユーザーネームおよび本データ中の投稿のテキスト分析をつうじて政府アカウントの特定を行った。この推定に従うと、政府関係 (government-affiliated) アカウントは600,000件存在する。これには政府組織・大衆組織・メディア側ユーザーがふくまれる [訳註2]。したがって政府のプレゼンスはSina Weiboによって相当に過少報告されていたことになる。Sina Weibo上の政治経済的争点をめぐる全ての投稿のうち4%は、これらアカウントが寄与したものである。

政府アカウントが流布しているのは、中立的な情報 (例えばヘルスケアサービスに関するものなど) かもしれないし、プロパガンダかもしれない。プロパガンダを介した政治的感化が専らの動機であるなら、検閲が広く行われている地域や新聞の偏向度が高い地域ではより多くの政府ユーザーが確認されると予想できよう。中国の体制は感化の必要性が高ければあらゆる政治的感化手段を行使するだろうからだ。よく知られた分類アルゴリズム (サポートベクターマシーン) を用いつつ、我々は単語の頻度を用いることでユーザーが政府と関係 (affiliated) している確率の予測を試みた。結果、ソーシャルメディア投稿にたいし広く検閲を行っている地域や (Bamman et al. 2012)、また同じく、新聞がQin et al. (2018) で測定された党方針への恭順度の高い地域ほど、政府ユーザーの割合が高いことが判明した (図1を参照)。

図 1 省毎に見たSina Weibo上の政府ユーザー割合

結語

中国政府はソーシャルメディア上の情報を利用する監視システムに多大な投資を行ってきた。本稿が示すところ、これらシステムは、その最も単純な形態においてさえ、極めて効果的である。この結果は、北京の政治指導者が不意打ちリスクに曝されていないことを示唆する。なんとなれば、かれらはソーシャルメディアを用いることで、汚職公務員を効果的に監査しながら遠隔地域における抗議を予測することが出来るからである。加えて、ソーシャルメディア上の政府プレゼンスが公式に報告されたところより相当に大きくなっていること、しかもそのプレゼンスの地域による異なり方はプロパガンダが主目的であるとの解釈と整合的であることも判明した。監視とプロパガンダに向けたこのようなソーシャルメディア利用は、体制の安定性と権力を向上させるものといえよう。

本発見は 〈権威主義体制であれば、ソーシャルメディアにたいし徹底的な検閲をくわえ、その禁止にすら踏み切るだろう〉 というポピュラーな見解に意義を唱える。実際には、権威主義政府とソーシャルメディアの相互作用はもっと複雑であるようだ。政府の視点に立てば、ソーシャルメディアは組織された社会抗議の潜在的アウトレットとして見るかぎり食指の動かぬものだが、抗議を監視し、地方の公務就任者を見張り、プロパガンダを流布するための手法としては有用なのである。徹底的な検閲制は、監視とプロパガンダの目的にとってのソーシャルメディアの価値を減退させてしまうだろう。このことは、〈中国の新聞におけるプロパガンダの広がりは、政治的コントロールと経済的便益とのあいだのトレードオフにより律されている〉 というQin et al. (2018) における我々の発見とも軌を一にする。

参考文献

Bamman, D, B O’Connor, and N Smith (2012), “Censorship and deletion practices in Chinese social media”, First Monday 17(3).

Chen, X and P H Ang (2011), “Internet police in China: Regulation, scope and myths”, in D Herold and P Marolt (eds), Online Society in China: Creating, Celebrating, and Instrumentalising the Online Carnival, Routledge, pp. 40-52.

Egorov, G, S Guriev and K Sonin (2009), “Why resource-poor dictators allow freer media: A theory and evidence from panel data”, American Political Science Review 103(04): 645-668.

Enikolopov, R, A Makarin and M Petrova (2016), “Social media and protest participation: Evidence from Russia”, Universitat Pompeu Fabra, Available at SSRN 2696236.

Fu, K, C Chan and M Chau (2013), “Assessing censorship on micro blogs in China: Discriminatory keyword analysis and the real-name registration policy”, Internet Computing, IEEE 17.3: 42-50.

King, G, J Pan and M E Roberts (2013), “How censorship in China allows government criticism but silences collective expression”, American Political Science Review 107(2): 1-18.

King, G, J Pan and M E Roberts (2014), “Reverse-engineering censorship in China: Randomised experimentation and participant observation”, Science345(6199): 1-10.

Lorentzen, P (2014), “China’s strategic censorship”, American Journal of Political Science58(2): 402-414.

Morozov, E (2012), “The net delusion: The dark side of internet freedom,” Public Affairs, 28 February.

Qin, B, D Strömberg and Y Wu (2017a), “Why does China allow freer social media? Protests versus surveillance and propaganda”, Journal of Economic Perspectives 31(1): 117-40.

Qin, B, D Strömberg and Y Wu (2017b), “Why does China allow freer social media? Protests versus surveillance and propaganda”, CEPR Discussion Paper 11778.

Qin, B, D Strömberg and Y Wu (2018), “Media bias in China”, American Economic Review, forthcoming.

Shirky, C (2011), “The political power of social media: Technology, the public sphere, and political change”, Foreign Affairs, January/February.

Zhu, T, D Phipps and A Pridgen (2013), “The velocity of censorship: High-fidelity detection of micro blog post deletions”, arXiv preprint arXiv:1303.0597.

原註

[1] Bamman et al. (2012), Chen and Ang (2011), Fu et al. (2013), King et al. (2013, 2014), and Zhu et al. (2013) を参照。

[2] AUROC measures the area under the ROC curve. A ROC curve shows the tradeoff between type 1 and type 2 errors in prediction and was first employed in WWII to evaluate methods that analysed radio signals used to identify Japanese aircrafts for example. The reported AUROC is based on Figure 2 in Qin et al. (2017b).  AUROCは、ROC曲線より下の面積を計ったものである。ROC曲線は、予測における第一種過誤と第二種過誤のトレードオフを示す。第二次世界大戦のさいに、例えば日本の航空機を特定するといった目的で無線信号を分析する手法に評価を加えるため使用されたのが始まりである。本稿に掲載したAUROCはQin et al. (2017b) の図2に依拠する。


訳註 [1] インターネット上で閲覧できる論文等を参考にしたかぎりでは、AUROC値の格付けは次のようになっている:

excellent=.90-1

good = .80-.90

fair = .70-.80

poor = .60-.70

fail = .50-.60

 

 

本稿該当箇所は原文で “(with poor predictive accuracy however; AUROC below 0.6)” と表記されている。ここで poor が単に 「貧弱な」 などの意味で用いられている可能性もふくめ、念のため記しておく。

訳注 [2]  Qin et al. 2017aの関連個所を以下に引用する:

ソーシャルメディア上に投稿されたプロパガンダは多くのばあい、政府関係ユーザー; 公共部門の一部をなす学校・病院・産業連合といった大衆組織; 国家所有のメディアによって作成されたものである (注意すべきは、規制のため、政治的内容の公表を許可された情報一般メディアは全て、政府の所有に掛かるとともにその監督を受けている点である)。

Propaganda posted on social media is largely generated by government-affiliated users: government departments; mass organizations, such as schools and hospitals and industrial associations that are part of the public sector; and state-owned media (note that, per regulation, all general-interest media that are allowed to publish political content are owned and supervised by the government).

タイラー・コーエン 「電子書籍は紙の本に比べて内容が記憶に残りにくい?(その1)」(2012年3月19日)

●Tyler Cowen, “Do we remember less well when we read from computer screens?”(Marginal Revolution, March 19, 2012)


マイア・サラヴィッツ(Maia Slalavitz)が次のように述べている。

しかしながら、電子書籍は紙の本に比べると空間的な手がかり(spatial landmarks)が少ない。特に初期のKindleなんかで作品を読む場合には上から下にひたすらスクロールして読み進める格好になるが、ページ数は表示されない。全体の何%を読み終えたかを知らせてくれるに過ぎない。「ページ」には終わりがなくどこまでも果てしなく無限に続くかのように感じられる。ふと眩暈に襲われるなんてこともあり得る話だ。一方で、紙の本は(ページ数だとか本の厚みだとかをはじめとした)物理的な目印(手がかり)に恵まれている。一体どこまで読み終えたかという感覚は本の内容に関する記憶の一部を形作ることになるが、電子書籍だと紙の本に比べて自分の現在位置を見定めにくいところがある。

インターネットの「ユーザビリティ」(使いやすさ)研究の専門家でニールセン・ノーマン・グループの代表を務めるヤコブ・ニールセン(Jakob Nielsen)氏も電子書籍端末を通じた読書は紙の本を読む場合とは異なるタイプの記憶形成を伴うと語る一人。電子書籍は紙の本に比べて「内容が記憶に残りにくいというのはその通りだと思います」とニールセン氏。「その点について直接計測したわけではありませんが、私も一員として参加した二つの研究が傍証になっています。タブレット端末で本を読む場合と紙の本を読む場合とで行動面でどんな違いがあるか? そしてパソコンで文章を読む場合はどうか? その二つの研究ではそのあたりのことについて詳しく検証しています」。

その研究結果によると、タブレット端末の画面(ないしはパソコンの画面)が小さいほど読書の内容が記憶に残りにくい傾向にあったという。「端末の画面が大きいほど被験者は読んだ内容を忘れずに覚えている傾向にあったんです。それとは反対に、端末の画面が小さければ小さいほど読んだ内容は記憶に残りにくい傾向にありました」とニールセン氏。「一番印象的な例は携帯電話で読書する場合です。携帯電話で読書していると文章の流れを見失ってしまいがちなんです」。

お気に入りの一文もついでに引用しておくとしよう。

「心理学専攻で経済学に関する予備知識ゼロの苦学生に経済学のテキストを読んでもらってその内容について質問攻めしてやったんです」。ケイト・ガーランド(Kate Garland)氏はそのように語る。

あくまでも「暫定的」な結論として受け止めるべきだろうが、検討する価値のある興味深い疑問ではある。全文はこちらだ。

サイモン・レン=ルイス「ユーロの悲劇」(2018年6月2日)

[Simon Wren-Lewis, “A Euro Tragedy,” Mainly Macro, June 2, 2018]

「イタリアがユーロ圏の活断層だろう」――最近の危機について述べた文章から引いた一節ではない.出典は,アショカ・モウディの『ユーロ悲劇:9幕の戯曲』だ.アメリカではちょうど刊行されたところで,イギリスでも7月に刊行される.
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タイラー・コーエン 「図書館の電子図書館化」(2012年1月15日)/「『影の図書館』 ~図書館、海賊版、社会主義経済計算論争~」(2016年4月24日)

●Tyler Cowen, “Eventually, p = 0 catches up to you”(Marginal Revolution, January 15, 2012)


ゆくゆくは需要も満たされる(供給が需要に追いついて需給の不一致も解消される)ことだろう。消費者が家に持ち帰りたいと望んでいる品がタダ同然で提供(供給)できるとなればなおさらそうだ。

(バージニア州の)フェアファックス郡ではどうなっているかというと、公共図書館が所蔵する電子書籍の数は2010年から2011年までの間に実に倍以上も増えており、その数は1万冊を超えるに至っている。しかしながら、同じ期間に電子書籍に対する需要(予約)は3倍近くも増えており、望みの作品を借りるには平均3週間は待たないといけない状態が続いているという。ハードカバーであれペーパーバックであれ紙の本であっても予約が多くて順番が回ってくるまで長く待たねばならない作品は勿論あるにはあるが、その多くはベストセラー中の新作に限られており古めの作品であれば概して待たずにすぐに借りられるという。

それとは対照的に、(フェアファックス郡全域の公共図書館に購入図書の選別に関するアドバイスを送るコーディネーターを務める)エリザベス・ローズ氏が語るところによると、電子書籍に関しては大抵はどの日も全体のおよそ80%~85%が貸出中となっているという。iPadやNook Color、Kindle Fireといった電子ブックリーダーで電子書籍を借りて読めるようになった直後には図書館が所蔵する電子書籍全体の実に98%が貸し出されるに至ったということだ。

全文はこちら

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●Tyler Cowen, “Libraries, piracy, and the socialist calculation debate”(Marginal Revolution, April 24, 2016)


今回紹介するのはバラージュ・ボド(Balazs Bodo)の手になる2015年の論文(pdf)だ。題して “Libraries in the post-scarcity era”(「ポスト稀少性時代における図書館」)。アブストラクト(要旨)を引用しておくとしよう。

デジタル時代の到来に伴って電子書籍のコピーがあちこちに蔓延るに至っている。そのために本は最早稀少な資源とは言えなくなっており、図書館は熾烈な競争に晒されているのが現状である。知識への低コストでのアクセスを可能にする図書館のライバル(競争相手)は数多いが、そのうちの一つが「影の図書館」(shadow libraries)――著作権で保護された作品の海賊版電子ファイル(不正コピー)を大量に集めたネット上のサイトで世界中のすべての人々に大抵は無料でファイルの閲覧(とダウンロード)を許している――である。「影の図書館」はまだ決して普遍的な形態とは言えないが、いくつかのサービスの質にしても利用者の数にしても使い勝手の良さにしても大方の公共図書館や研究図書館を凌駕している。本の愛好者が自分たちで好きなように図書館を作れる手段を手にしたとしたら、通常の図書館が従っている制約(法的、組織的、経済的な制約)に縛られることなく自分たちで好きなように図書館を作れるとしたら、一体どんな図書館が出来上がるだろうか? 本稿ではその疑問への答えの手がかりを得るためにインターネット上にある最大手の(科学書専門の)「影の図書館」の一つに焦点を定めてその沿革と内幕にメスを入れる。図書館の未来の姿については色々な可能性が考えられるが、そのうちの一つが「影の図書館」であり本の読者が電子版の書籍の保存方法・管理方法・配布方法についてどんな期待を抱いているかについて21世紀版の海賊行為(著作権侵害)から学べることは多いというのが本稿の主張である。

論文ではロシアにある分権的でデジタル化された「ゲリラ」図書館――特に海賊版サイトの「Aleph」――についての話題が大半を占めているが、本の読者が心の底で本当に求めているものが何なのかを知る上で「ゲリラ」図書館からどんなことが学べるかが探られている。目の付け所が鋭くて実に独創的な論文だ。

件の論文はMichael Rosenwald経由で知ったものだ。感謝する次第。

タイラー・コーエン 「公営の工具図書館?」(2008年9月16日)/「公共図書館に『入学』して高校卒業資格を取得?」(2014年1月10日)

●Tyler Cowen, “Public libraries for tools?”(Marginal Revolution, September 16, 2008)


本ブログの読者であるNoahから次のようなメールを頂戴した。

貴殿のブログの大ファンです。ところで、疑問に思っていることがあります。公共図書館で貸し出されるのは本だとか音楽作品(レコードとかCDとか)だとかに限られていますが、それはなぜなんでしょうか? たまたま最初に貸し出されたのが本とかCDとかでそれが今日まで続いているだけという以外に何か特別な理由でもあるのでしょうか? 本は公益性を備えているから政府が補助金を出して買い揃えて無料(タダ)で貸し出すべきだという議論はその通りだと思います。でも、です。本と同じく公益性を備えていて貸し出し可能なモノって他にもあると思うんです。例えば、滅多に使う機会の無い工具とかです。機械に強い市民を育むというのは社会全体にとって利益になる一種の公共財ということにならないでしょうか? もしそうなら公営の「工具図書館」をはじめるのも正当化されるんじゃないでしょうか? 工具図書館の他にこんな図書館もあったらいいという貴殿なりのお考えはおありでしょうか?

何だか備蓄倉庫みたいだね。公営ということになったら(返却期限が過ぎても工具を返さない場合に科せられる)延滞料を徴収するのもたぶん途中で止めになりそうだね1。紛失時の罰金(借りた工具を紛失した場合に科せられる罰金)でさえもそのうち徴収されなくなるかもしれないね。ところで、マーク・ソーマが政府によるAIGの救済についてその是非を論じているようだ。

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●Tyler Cowen, “Can public libraries offer high school degrees? (hi future)”(Marginal Revolution, January 10, 2014)


ロサンゼルス公共図書館がさる木曜日に発表したところによると、オンライン教育サービスの提供を手掛ける民間の会社と協力して高校中退者を対象とした高校卒業資格取得プログラムを開始する予定とのこと。米国では初となる試みではないかとのことだ。

デジタル時代の到来に伴って公共図書館のあり方も変わりつつある。単なる本の集積所から必要な機能が完備した教育機関へ。今回の計画はその方向へと歩みを進める新たなる一歩だ。そう語るのはロサンゼルス公共図書館で館長を務めるジョン・スザボ(John Szabo)氏。

スザボ氏がロサンゼルス公共図書館の館長に就任したのは2012年のこと。公共図書館と地域社会との結びつきを改めて強めることを目標に掲げ、そのために数々の新たな取り組みを矢継ぎ早に導入。ロサンゼルス公共図書館では計850に及ぶオンラインでの生涯学習講座をはじめ、移民が米国市民権を取得する際に受ける必要のある筆記テストに合格できるよう支援する教育プログラムも提供されている。

初年度は150名の成人を受け入れる予定とのこと。高校卒業資格取得プログラムのために投入する予算は計15万ドルに上るという。現状でも数多くの公共図書館が高卒認定試験の一つとして通用しているGEDテストの受験生を支援するプログラムを提供したり、GEDテストの実施主体となっている。

しかしながら、公共図書館が成人に対して公認の高校卒業資格そのものを授与するというのは米国でも初の試みなのではないかとはスザボ館長の言。ロサンゼルス公共図書館が開設する高校卒業資格取得プログラムに参加する学生はオンライン講座を受講することになるが、補講を受けたり同級生と交流するために図書館に集う機会も設けられる予定になっているという。

全文はこちら。情報を寄せてくれたRobert Tagordaに感謝2

  1. 訳注;アメリカでは公共図書館でも本が返却期限を過ぎても返ってこない場合に延滞料を科すところがあるが、ここ最近は延滞料の徴収を止めるところもちらほら出てきているようだ。万が一本の返却が遅れた場合に延滞料を払わねばならなくなることを恐れて図書館の利用を控えるという動きが広がるのを防ぎたい(貧富の差を問わず誰もが気軽に自由に本を読める。そのような環境を維持したい)というのが主な理由のようだが、公営の工具図書館が仮にできたとしたら同様の理由で延滞料の徴収が途中で止めになるかもしれない。 []
  2. 訳注;2016年1月に計28名に上る初の卒業生を輩出したようだ。 []

タイラー・コーエン 「図書館が大量の蔵書を(誰かにあげちゃえばいいのに)廃棄してしまうのはなぜ?」(2011年10月15日)

●Tyler Cowen, “Libraries destroy books carrying costs exceed liquidity premia no free disposal edition”(Marginal Revolution, October 15, 2011)


廃棄してしまわないで貧しい人たちに譲ればいいのにどうしてそうしないの? 彼らも本を欲しているだろうに。譲るんなら囚人でもいいし、病気の子供でもいい。経営状態が悪くてもがいてる個人経営の本屋でもいい。本を譲るのにコストなんてかからないでしょうに。そうでしょ?

・・・というのが図書館の本を廃棄処分することに対して真っ先に寄せられる反論だが、図書館が置かれている状況というのは古着だとか不要になったポルノだとかを救世軍に寄付するのに比べるといくぶん複雑なのだ。図書館の本にはスタンプが押されていたり、バーコードシールだとかICタグだとか分類ラベルだとかが貼り付けられている。そのおかげでその本が図書館のものだという証になるわけだが、その本を誰かに譲ったり売ったりするとなると本に貼られているシールだとかラベルなんかをきれいさっぱり剥がさなきゃならない。図書館から本を譲り受けた(あるいは買い取った)人が決してその本を図書館の書架からこっそり盗んだわけじゃないということを証し立てるためにはそこまでしなきゃならないのだ。嘘なんかじゃないよ。シールとかラベルとかが貼られたままだと、図書館が一旦手放した本をどういう経緯でか手に入れた人が親切にもその本を図書館までわざわざ届けてくれることがあったりするんだから。

(一冊、二冊とかいうちんけな数じゃなくて)膨大な数の本が問題になっているということも忘れちゃいけない。それも膨大な数の本を短期間のうちに急いで処分しなきゃならないのだ。あなたが図書館の経営者だと想像してもらいたい。お抱えの会計士がやってきて次のように通告してきたとしよう。「10万冊。それだけの蔵書を処分してください。急いでください。1週間。1週間で全部処分してください」。あなたが取り得る選択肢は二つ。専門家を呼び寄せて蔵書を片っ端から鑑定してもらうというのが一つ目の選択肢だ。歴史的な価値だとか資料としての重要性だとかいう基準に照らして一冊一冊入念に鑑定してもらうのだ。そして専門家による鑑定で評価が低かった本を順番に次々と書架から引っ張り出してきて誰かに譲渡するなり売ったりする準備を整える。10万冊に及ぶ本一冊一冊に根気強く除籍スタンプを押したり一冊一冊に貼り付けられているシールやラベルをきれいさっぱり剥がしていくのだ。次に二つ目の選択肢。まずは図書館のコンピュータにお伺いをかけて蔵書の貸出回数のデータを調べる。そして貸し出された回数が少なかった本を順番に次々と書架から引っ張り出してきてシュレッダーに放り込む(廃棄する)。

二つ目の選択肢の方が一つ目の選択肢よりもずっと手早くて安上がりだ。紙のリサイクル工場に廃棄する本を古紙としてまとめて売り捌いてしまうという手もある。そうすれば本を廃棄するのに伴って差し引きしてプラスの儲けを手にすることだってできる。「紙のリサイクル工場に売るだって?」と誰もがしかめっ面をするだろうが、致し方ない。あなたの親友がゾンビに今にも噛み付かれようとしている。銃を持っているのはあなた一人だけ。図書館員はまるでそのような差し迫った状況に置かれているかのようなのだ。

二つ目の選択肢にも欠点はある。歴史的に見て貴重な本が他の本と一緒くたにされて廃棄されてしまう可能性がそれだ。しかしながら、後世に残すべき貴重な本を見つけ出すためにはゴミ同然の大量の本の山の中に分け入らなきゃいけないということを忘れちゃいけない。極めて価値のある本が他の本と一緒にゴミ箱に捨てられてしまう(廃棄されてしまう)のは避け難いことであり、そうならないように抗おうにもできることは少ない。『白鯨』の(ボロボロの)初版と2011年に出た(ピカピカの)再版とが同じ棚に並んでいたとしたらどっちを借りるだろうか? 初版を借りる人なんていないだろう。貸出回数のデータが詰まった図書館のコンピュータには初版と再版の違いはわからないのだ。

二つ目の選択肢には他にも欠点がある。廃棄するにしても元の姿がどんなだったかわからないように滅茶苦茶にした上で廃棄しなきゃならないのだ。本をそのままの姿でゴミ箱に捨てちゃダメだ。誰もいない隙を見計らって下衆野郎にゴミ箱の中身をこっそり持ち去られてしまうのがオチだ。本をゴミ箱に捨てるのであれば誰も欲しがらないように細かく裁断してから捨てるか、あるいはゴミ箱を洗剤まみれにする必要がある。誰だってゴミ箱をセール品が詰まったカゴみたいにはしておきたくはないだろう。(本を元の姿のままで廃棄してしまったために)ゴミ箱に人が殺到するなんてことになったら危険で汚いだけだ。

全文はこちら

タイラー・コーエン「ノーマン・ロックウェルを売ってしまえ」(2017年11月17日)

Tyler Cowen, “Let them sell the Norman Rockwells“(Marginal Revolution, November 17, 2017)

そう、バークシャー美術館のことだ。彼らは40枚の絵画をサザビーズで売却する予定で、そのうちの2枚はとても特別なノーマン・ロックウェルの絵画だった。だが、直前になって、裁判所が中止命令を出した。絵画の売却は美術館の信頼を害するものであると、(不十分な正当性のみで)主張した。以上が私のブルームバーグコラムの設定で、以下がその抜粋だ。

悲しい事実は、バークシャー美術館の運営陣は単にアメリカ美術をあまり大切にしなくなったということだ。少なくとも組織的観点ではそうだ。その現実を踏まえ、重要な美術品を彼らに任せないほうが実際のところ良い。

裁判所の決定は12月に再審議されるが、(美術館が所蔵品に対して)完全で明瞭な権利を有するとして所蔵品の売却を成し遂げるのが難しくなったことをこれは意味する。不確実さと周囲のネガティブな世論の両方が買主を怖がらせて退散させてしまうし、これから長い期間マーケットをダメにするかもしれない。

リンク先のコラムにはもっと詳細を書いている。もちろん売却に反対する理由としては、売却が頻繁に行われる世界では美術館は寄贈者が納得いく拘束約定を締結することが難しくなることだ。寄贈者は自分が寄贈した美術品をマーケットで売却されて再利用されたくなんてないという場合が多い。しかし、売却ゼロの均衡はアートの世界にとって価値を相当破壊する。この問題は時間が経つにつれ大きくなっていき、所蔵品の数と美術館の過去の不適切なコミットメントは積みあがっていく。少なくとも、遅かれ早かれ破綻状態が始まる。錆びは眠らない。などなど。

教会は停滞しているアメリカの主要都市に、あれ程の土地を全部、本当に所有しておくべきだろうか?

タイラー・コーエン 「図書館の本の延滞料不払いにより逮捕」(2008年8月22日)/「図書館による延滞料の徴収に反対!」(2008年8月18日)

●Tyler Cowen, “Library fines, part II”(Marginal Revolution, August 22, 2008)


アメリカに住む女性が延滞料の不払いが原因で警察に逮捕されて手錠までかけられるに至った。何の延滞料かというと本の延滞料。件の女性は返却期限を過ぎた図書館の本(計二冊)に対する延滞料1の支払いに応じなかったのである。

その女性とはウィスコンシン州のグラフトンに住むハイジ・ダリボル(Heidi Dalibor)。図書館から再三にわたり電話と書面での(本の返却と延滞料の支払いを求める)催促があったが、いずれも無視したという。

延滞料を支払うか、さもなくば現地の裁判所に出廷せよと迫る通知も届いたがそれも無視したという。

そんな彼女もまさか警察が自宅にやって来ようとは思いもしなかったらしい。

全文はこちら2。ところで、件の女性は図書館に対して延滞料を支払った上にさらにそれにいくらか上乗せして二冊とも買い取ったらしい。

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●Tyler Cowen, “The power of competition, or should there by library fines?”(Marginal Revolution, August 18, 2008)


イギリスから届いたニュースだ。

「テレビに雑誌にインターネットに電子書籍。図書館はそんな相手と競争しなければなりません。それにもかかわらず、本の返却が少し遅れたくらいで罰金(延滞料)を科すなんていう時代遅れで馬鹿げた考えにいつまでも固執している始末です」。そう語るのは図書館コンサルタントとして働くフランシス・ヘンドリックス(Frances Hendrix)。図書館員向けのオンラインフォーラムで巻き起こった論争で気炎を上げた一人だ。「延滞料を徴収したって何もいいことなんてありません。プロフェッショナルなやり方でもないし、能率的でもありません。図書館までが一般の営利企業を真似して顧客の疎外に邁進する必要なんて無いんです」とヘンドリックス。(読書の楽しみを広めることを目的とする)慈善団体のThe Reading Agencyでプログラム・ディレクターを務めるリズ・ダバー(Liz Dubber)も与して語る。「図書館の賞味期限はもう過ぎたというのが私の考えです。その理由というのは時代遅れの図書館像をいつまでも引きずっているからです。現に図書館が置かれている客観的な状況とも追い求めるべき理想像――寛容で鋭敏で柔軟で刺激的な図書館――ともあまりにかけ離れている時代遅れの図書館像に囚われてしまっているんです」。

延滞料の徴収=図書館の利用者を「疎外」する行為。延滞料の徴収に批判的な論者の間ではそのような声もあるようだ。ところで、延滞料の徴収の代わりとなるような有効な手って何かあるんだろうか?

図書館員の一人は大昔にいくつかの修道院で実践されていた制裁を復活させたらいいと提案した。中世の修道院では本を盗んだ僧侶に呪いがかけられたのである3。旧ソ連のやり方を真似て本の返却が遅れた人物の名前を新聞に掲載したらいいという提案も上がった。そうすれば恥ずかしさのためにすぐにでも本を返却するだろうというのだ。ちなみに来週のことだが、ニュージーランド北島にあるパーマストンノースで本の返却が遅れた利用者と図書館員との間で延滞料の支払い免除をかけたゲーム対決が行われる予定になっている。本の返却が遅れた利用者が音楽ゲームの「ギター・ヒーロー」で見事勝利を収めれば延滞料の支払いが免除されるのだ。

延滞料の徴収を一切やめるというのではなく延滞料に差をつけたらいいというのが私の提案だ。新作で人気のある本とか頻繁に貸し出される参考書とかの返却が遅れた場合にはそれ以外の本に比べて高めの延滞料の支払いを求めればいい。

  1. 訳注;アメリカ(だけに限らないが)では図書館で借りた本を返却期限が過ぎても返さないと罰金として延滞料が科される場合がある。 []
  2. 訳注;リンク切れ。代わりに例えばこちらを参照。 []
  3. 訳注;おそらくブックカースのことを指しているものと思われる。 []

タイラー・コーエン 「世界の美しい図書館」(2007年9月8日)/「住まい兼職場としての図書館」(2016年7月8日)

●Tyler Cowen, “Library appreciation day”(Marginal Revolution, September 8, 2007)



こちらの記事で世界中にある美しい図書館がたっぷり紹介されている。すんばらしい写真付きだ。ちなみに、上の画像に写っているのはかの有名なグラスゴー美術学校の図書館(マッキントッシュ図書館)だ1。意外にもポルトガルとかブラジルとかに美しい図書館が多いようだ。ところで、『ベルリン・天使の詩』の中に出てくるベルリンの図書館なんてどうよ?

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●Tyler Cowen, “Library apartments, the culture that was New York”(Marginal Revolution, July 8, 2016)


20世紀の初頭から半ばにかけてのことだが、ニューヨーク市にある図書館の大多数は住み込みの管理人を抱えていた。今でもあちこちのマンションでよく見かける住み込みの管理人と同じように、管理を任された建物(図書館)の中で働きつつその内部で暮らしてもいたわけである。書架で占められた空間の背後に回ると、食事が作られ、シャワーで一日の汚れが落とされ、子供を寝かしつけるために夜な夜なおとぎ話が読み聞かされている。そのような職住一体の営みが何十年にもわたって続けられていたのだ。そうそう。図書館を住まいとしていた管理人一家は閉館後に書架から自由に本を取り出すことも許されていた。ありがたいおまけだ。というのも、子供を寝かしつけるために読み聞かせる本が急遽必要になってもすぐに用意できたのだから。

ついでにもう一丁引用。

ニューヨーク・ソサエティー図書館を住まいとしたソーンベリー一家。1945年にはテレンスが生まれ、ローズ・マリーに弟ができることになる。ソーンベリー一家は(一家の主である)パトリック・ソーンベリーが管理人を辞める1967年までニューヨーク・ソサエティー図書館を住まいとすることになる。ソーンベリー一家が住まいとした空間は現在では「閉架庫」(稀覯本が納められた書架のある部屋。普段は鍵がかかっている)となっている。稀覯本を傷めないためという理由で閉架庫は今では日光から遮断されているが、ソーンベリー一家がニューヨーク・ソサエティー図書館を住まいとしていた当時は閉架庫にあたるスペースは日の光が燦々(さんさん)と降り注ぐ活気に溢れた空間だった。とは言え、ソーンベリー一家は図書館の内部にある居住空間に閉じこもっていたかというと決してそうではなかった。図書館の外にあるペントハウス並みの庭も満喫したし、閉館後には書架や広い資料室を存分に利用したのである。

全文はこちら(写真もたくさんあり)。情報を寄せてくれたTed Gioiaに感謝。

  1. 訳注;2014年5月にグラスゴー美術学校で火事が発生し、その際にマッキントッシュ図書館もかなりの損傷を被ってしまったらしい。 []