マーク・コヤマ「制度変化において個人はどんな役割を果たすか:宗教改革におけるルターの役割」(2024年4月29日)

実現可能な均衡が複数存在するなら、個人は大きな影響力を持ち得る。個人は、社会が特定の結果や制度編成にコーディネートすることを可能にすることができるのだ。

社会科学研究ネットワーク(SSRN)の”the Handbook of New Institutional Economics”『新制度派経済学ハンドブック』に収録される、制度変化について扱った章を、ディシリー・ディシエルト(Desiree Desierto)との共著で書き上げた。

制度分析は個人を強調しない傾向にある。14世紀終盤から15世紀序盤にかけてのイングランドにおける農奴制の終焉といった展開は、農奴や貴族など一個人の行為や思想に左右されたものではなかった。産業革命は、ジェームズ・ワットやリチャード・アークライトを歴史から取り除いても生じただろう。制度分析の根底には、一個人よりもはるかに重要な、深層的・構造的要因が存在する、という前提がある。

重要な個人を無視するのは、経済史研究だけではない。英雄史観(Great Man Theory of History)は、学術の世界ではとっくの昔に廃れている。それを引き合いに出すことすらクリシェとなってしまうかもしれない。

しかし、歴史に甚大な影響をもたらした個人は存在するように思える。アレクサンダー大王は明らかにそのような個人の例だ。父のフィリッポス2世は、もし生きていれば、ペルシャ帝国を侵略しただろう。だがあらゆる証拠の示すところでは、フィリッポス2世はアナトリアのギリシャ都市を「解放」するだけで満足していただろう。フィリッポス2世が生きていれば、いくつかの戦いに勝った後、ペルシャ皇帝から巨額の富を受け取って撤退し、ギリシャの諸国家に対する覇権を享受した可能性が高い。アレクサンダー大王のユニークなパーソナリティ特性こそが、ヘレニズム帝国をインドにまで拡張させた原因だと思われる。

マルティン・ルター:歴史を変えた男

同じように歴史に決定的な影響を与えた人物が、マルティン・ルターである。最近、歴史家のトム・ホランド(Tom Holland)とドミニク・サンドブルック(Dominic Sandbrook)によるポッドキャスト”The Rest is History”の、ルターについて扱ったシリーズを楽しく聞いた。2人は、ルターの影響が決定的なものであり、歴史においてとりわけ重要な個人であるということをほとんど疑っていなかった。エピソード1のサブタイトルは「歴史を変えた男」で、彼らの評価ではルターはトップ5に入る(「マルクスより偉大」)。

ルター研究者は普通、もっと慎重だ。ルター研究者は、強い反事実的主張(例えば「ルターがいなければ宗教改革はなかった」)を控える。そしてもちろん、ある個人がこの意味で本当に決定的な影響を及ぼしたかという問題は、恐らく答えるのが不可能だ。しかし、ルターの影響を示す証拠をより詳細に評価するためのツールやデータを私たちは持っている。

私とディシエルトは、個人は制度分析においてある役割を果たし得ると論じている [1]原注:この点を全面に打ち出すよう助言してくれた匿名の査読者に感謝する。 。あるいは少なくとも、個人がもたらした影響を分析的に考える1つの方法を提示している。私たちの見解では、個人は2つの異なる仕方で制度変化に影響を及ぼす。その2つの仕方とは、(1)社会のなんらかのパラメータ(例えばテクノロジーや選好)を外生的にシフトさせることと、(2)コーディネーション問題を解決することである。ルターが傑出しているのは、明らかにこの両方を行ったからだ。

このポストでは主に(2)について論じるが、(1)について簡単に述べておこう。ルターはヴィッテンベルク大学の神学教授だった。ピーター・マーシャル(Peter Marshall)のような歴史家が強調するように、ヴィッテンベルク大は権威ある大学ではなかったし、ルターも1517年以前には広く知られた著名な神学者ではなかった。しかしルターはある意味で、ふさわしい時代に生きた「ふさわしい人」であった(あるいは神学的見解によっては、間違った時代に生きた間違った人であるのかもしれない)。ルターは、免罪符の販売について大論争が勃発した時期に、思想的議論に参加した。そしてルターの著作によって、人々が自身の宗教的信念を再検討するようになったのは確かだ。

ヨハン・テッツェルは、マインツとマクデブルクの大司教(Archbishop)であったアルブレヒトから、免罪符の販売を委託されていた。マーシャルは次のように言う。

アルブレヒトの宮廷神学者たちは、説教師向けに説教を上手く行う方法を示した解説書、『指導要綱』(Instructio Summaria)を作成した。これは、新しく発行される免罪符によって、以前に付与された免罪符の全てが、以降8年間無効になるということを確認するものだった。それ以前に本当に誠実な思いで免罪符を購入していた人々がこれに腹立たしく思ったのも理解できる。一般的に言って、『指導要綱』は免罪符の力や効果について大袈裟なことを書いていた。最も悪名高いのは、免罪符の効き目は「死者の愛と、生者の貢献」によって決まるので、死者に代わって免罪符を購入した人は、告解も改悛も行う必要がない、と論じていたことである。(Marshall, 2017, p 29)

マーシャルによれば、これは少なくともいかがわしいもので、テッツェルは「金庫でコインがチャリンと鳴ると、魂が天国へ飛び上がる」というスローガンすら使っていたかもしれないという。

ルターの著作があれほどの影響力を持てたのは、こうした熱狂的で充満した雰囲気が既に存在した時代だったからなのかもしれない。1517年におけるルターの立場はほぼオーソドックスなものだった、と歴史家は強調する。ルターは、免罪符の廃止ではなく制限を望んだのであり、煉獄という観念を受け入れていた。しかし免罪符に対する反対と、95箇条の論題の出版によって、彼は有名になった。

こうしたルターの著作の影響は、選好のシフトとしてモデル化できる。しかし私見では、これだけでは、宗教改革と呼ばれる一連の重大な出来事においてマルティン・ルターのような個人が果たした役割を十分に捉えていない。

ルターのもたらした影響を理解するためには、宗教的エスタブリッシュメントに反対する動きをコーディネートする上で彼が果たした役割も考えなければならない。ルターは重要な神学者だったが、ただの神学者ではなかった。彼は知的起業家であり、政治のベテランであった。

宗教改革のコーディネーションにおいてルターのネットワークが果たした役割

幸運にも、(2)を理解する上でうってつけの論文がある。サッシャ・ベッカー(Sascha Becker)、ユアン・シャオ(Yuan Hsiao)、スティーヴン・パフ(Steven Pfaff)、そして『「経済成長」の起源』の共著者であるジャレッド・ルービン(Jared Rubin)たちが2020年に「アメリカ社会学レビュー」(American Sociological Review)で発表した論文である。著者たちは、ルターが自身の個人的ネットワークを通じて自らのアイデアを拡散する上で果たした役割を研究している。

宗教改革の普及において印刷が果たした役割はよく知られているが、ルターの個人的ネットワーク(特に手紙と訪問)もまた決定的な役割を果たしたと著者たちは論じている。著者たちは、ルターが「特殊なタイプのオピニオン・リーダー、つまり説得と例を通じて多くの人の考えを揺さぶることのできた、『非常に影響力ある』個人」(Becker et al. 2020, p. 860)だったと述べている。この仮説は下の図1に表現されている。

図1:初期宗教革命における拡散のメカニズムの要約

著者たちは、1517年から1522年にかけてルターが手紙、訪問、教え子といった形で個人的な影響力を及ぼしていた都市は、1530年までにプロテスタントになっていた割合が高いということを発見した。同様に、1517年から1522年にかけてルターが個人的な影響力を強く及ぼしていた都市ほど、プロテスタンティズムを採用する可能性は高くなった。これは、下の二変量解析を見ればハッキリと分かる。

もちろん、この論文で著者たちは、回帰分析を用いて、宗教改革の採用に影響した他のたくさんの要因をコントロールしても、このパターンが維持されることを検証している。この論文をまだ読んでいない読者は、チェックすることをおすすめする。

***

経済史における個人の役割の話に戻ろう。上の分析は、歴史において決定的に重要な役割を果たした個人について考えるための方法を提供してくれる。

1940年において、チャーチルは決定的に重要な人物だっただろうか? 多くの歴史家はイエスと答える。1517年から1522年の時期において、ルターは決定的に重要な人物だっただろうか? これにも歴史家はイエスと答える。それは、既に山火事寸前の空気が存在しており、中世の教会の諸側面に関してラディカルな人々の多くが不満を持っていたとはいえ、ルターのように実際に山火事を起こすことのできた人物が他にいたと想像するのは難しい、という意味においてである。

他のラディカルな神学者でも、学術界か一般民衆のどちらかのオーディエンスを獲得できていたかもしれない。ルターの際立った貢献の1つは、ヨーロッパのドイツ語圏において、エリートと、より広範な識字能力のある公衆の双方に影響を及ぼせたことである [2] … Continue reading

コーディネーション・ゲーム対囚人のジレンマ

この分析が示すのは、人々をコーディネートした個人は、制度変化の理解において決定的に重要な人物になり得るということだ。

可能な長期的均衡が1つしか存在しないなら、個人の役割はさまつなものとなる。例えば、イングランドでは1400年前後に農奴制が末期的衰退にあったしよう。労働の価値の高まりは、農奴制の終焉が唯一の実現可能な均衡であることを意味した。この場合、個人の果たす役割は限定されているだろう。個人がどんな行動をとったにせよ、農奴制は終わったのだ。

しかし実現可能な均衡が複数存在するなら、個人は大きな影響力を持ち得る。個人は、社会が特定の結果や制度編成にコーディネートすることを可能にすることができるのだ。

裏を返すと、社会の置かれた状況が囚人のジレンマに近いものなら、個人の役割は限定されている。しかし状況がコーディネーション・ゲーム(例えば「男女の争い」)に近いなら、個人は真に重要な役割を果たす可能性があるのだ。

[Mark Koyama, Do Individuals Matter in Institutional Economic History?, How the World Became Rich, 2024/4/29]

References

References
1 原注:この点を全面に打ち出すよう助言してくれた匿名の査読者に感謝する。
2 原注:ルターの成功にとって決定的に重要だったのは、ザクセン選帝侯であるフリードリヒ賢明公に影響を及ぼしたことだった。フリードリヒは、ローマ教皇レオ10世が選出した「反ハプスブルク」の神聖ローマ皇帝の候補だった。そして、遺物収集でも有名だった。しかしルターが異端の罪で告発されたとき、フリードリヒは彼を保護した。歴史において決定的に重要な人物はフリードリヒだったのかもしれない。
Total
0
Shares

コメントを残す

Related Posts