デビッド・アルティグ(David Altig)の言い分によると、金融政策を司(つかさど)るセントラルバンカーは、エンジニアというよりも、庭師に近くて、「政策当局者には『園芸の才』も必要なのだ」とのこと。そう言えば、バーナンキ議長が2009年に出演したテレビ番組で語った発言を思い出す。「新芽」(green shoots)が芽吹き始めていて――景気回復の兆しが見えるという意味――、先行きに対する信頼が回復していると発言したのだ。結局のところ、新芽はすぐに萎(しお)れてしまったけれど。アルティグが言うように、「庭師は、日を照らす(日の照りを強める)ことなんてできない」のはその通りだが、私も含めて多くの人が2009年から今日に至るまでずっとFedにさらなる行動を求め続けているのは、「(植物の)成長にとってできる限り最善の環境を整える」ためにFedはさらに踏み込む必要があると考えてのことなのだ。
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“Scientists? Engineers? How about Gardeners?” by David Altig:
マクロ経済学者は、科学者に近いのか、それともエンジニアに近いのか。一体どちらに見立てるべきなのか。これはしばらく前にマンキュー(Greg Mankiw)が投げかけた問い [1] 訳注;svnseeds氏による訳はこちら。だが、 サイモン・レン=ルイス(Simon Wren-Lewis)とノア・スミス(Noah Smith)が最近になってマンキューの問いを再び取り上げている。マンキューの考えでは、科学者かエンジニアかという違いが明瞭になるのは、学問と政策が重なり合う地点――マクロ経済学者が象牙の塔を後にして、現実世界における問題の解決に立ち向かう時――においてだという。マンキュー本人の言葉を引用しておこう。
神がマクロ経済学者をこの地上に産み落したもうたのは、エレガントな理論を提唱させたり検証させたりするためではない。現実における実践的な問題を解決させるためなのだ。
サイモン・レン=ルイスもノア・スミスも「科学者/エンジニア」という区別に自分なりの意見を挟んでいるが、公共政策に関与するマクロ経済学者をエンジニアに見立てることには両者ともに多かれ少なかれ異論はないようだ。
私個人の意見としては、公共政策に関与するマクロ経済学者をエンジニアに見立てるのには賛成できない。なんと言うか・・・、ちょっと自惚(うぬぼ)れてる感じがするのだ。例えば、ごく最近のFOMC(連邦公開市場委員会)で第三弾の量的緩和に踏み出すことが決められた後のFed(連邦準備制度)高官の発言をいくつかご覧いただきたいと思う。まずは、バーナンキ議長の発言。
我々がこれまでに講じてきた一連の措置は、経済にプラスの効果を生んでいます。実体経済をいくらか下支えし、金融環境を緩和させ、失業を減らすのに役立ってきたのです。そうは言うものの、これまでにも何度も述べてきましたが、金融政策は万能薬ではありません。金融政策だけでは、あれやこれやの問題を解決できないのです。他の政策当局者にもそれぞれに任された役目を果たしてもらいたいと願っています。我々も我々に任された役目を果たして、 失業率を正しい方向に向かわせるべく努めますが、我々だけではこの問題を解決することはできないのです。
次に引用するのは、シカゴ連銀のエヴァンズ総裁の発言(2012年9月18日の講演での発言)。
景気回復の足取りは遅くて心もとないですし、遊休資源もまだまだたくさん残っています。大きなリスクにも直面しています。これらのことを踏まえると、経済の強靭性を高める必要があるのは明らかです。どこからか吹き付けてくるかもしれない逆風にも耐えられるようにしないといけないのです。先週のFOMCで金融政策のさらなる緩和が決定されましたが、経済の強靭性を高めるのに役立つ決定と言えるでしょう。
最後に引用するのは、アトランタ連銀のロックハート総裁の発言(2012年9月21日の講演での発言)。
FOMCの先日の決定を私が支持する主たる根拠は、経済を成長軌道に乗せて国内の失業率を徐々にではあれ着実に減らすのに役立つと考えるからです。とは言え、奇跡は期待していません。
直近のデータを見ますと、景気の下振れリスクが露(あらわ)になっていますが、FOMCの先日の決定は、下振れリスクを抑制し、我が国経済の今後の見通しを改善するのに役立ったというのが私の考えです。そういう意味で、FOMCが先日下した決定は、予防的な措置と言えるでしょう。とは言え、景気の下振れを予防するだけにとどまらず、それ以上の効果が表れることも期待しています。
3人の発言を見れば一目瞭然だが、3人ともにFOMCの先日の決定(第三弾の量的緩和)がよりよい結果を生むことに自信をのぞかせている。お望みならば、よりよい結果を「エンジニアする(設計する)」ことに自信をのぞかせているって表現してもいい。しかしながら、3人の発言には別の思想も表現されているように思える。 「下振れリスクを抑える」、「強靭性を高める」、「下支え(サポート)する」とかいう発言に特にそれが表れているように思える。
「エンジニアリング」というよりは「ガーデニング」に近い発想なんじゃないか・・・って指摘してくれたのは、同僚のマイク・ブライアン(Mike Bryan)だ――ブライアンによると、クリーブランド連銀の元総裁で我々二人の元上司でもあるジェリー・ジョーダン(Jerry Jordan)が「セントラルバンカーは庭師に近い」説の発祥らしい――。 腕利きの庭師は、植物を自分の手で意図的に成長させようとはしない。植物の成長にとってできる限り最善の環境を整えるのが自分の役目とわきまえている。庭師は、科学知識を動員して、日を照らす(日の照りを強める)ことなんてできない。植物の強靭性を高めるのを助けて、日が照るまで下支えしてやるというのが庭師にできることなのだ。
科学もエンジニアリングも重要なのは言うまでもない。しかしながら、政策当局者には「園芸の才」も必要なのだ。
〔原文:“Green Shoots and the Gardeners at the Fed”(Economist’s View, September 27, 2012)〕