「あらゆる社会問題は『住宅問題』に起因する」(2021年9月14日)

欧米諸国における住宅不足は、多くの人が自分の家を持つことを妨げるだけでなく、格差、気候変動、生産性の低下、肥満、さらには出生率の低下さえも引き起こしている。
Illustration by Kade Byrand for Works in Progress

欧米諸国が現在直面する問題として、コロナ禍だけでなく、低成長、気候変動、健康被害、金融不安、少子化などが挙げられる。これら長期的なトレンドは、我々が社会に対して感じる諦めにも似た倦怠感の一因となっている。これらの問題は一見関連性が薄いように見えるが、全てを悪化させるある一つの大きな要因がある。それは「住宅不足」だ。つまり、人々の住みたい土地に建設される住宅が少なすぎるのだ。そして住宅不足の解消は、我々が直面する一見すると無関係な様々な問題の解決につながる。

住宅の高額化による “目に見える” 影響

職場、休日の過ごし方、友人や隣人、どのタイミングで何人の子供を持てるか、そして病気になるリスクまで、住む場所というのは人生のほぼ全てに影響を与える。多くの人にとって最も価値のある財産は、なんといっても自分の家である。そして住宅は経済全体にとっても非常に重要である。なぜなら住宅は、「人」という最重要の「資源」の供給源を規定するからだ。

ほとんどの欧米諸国では、住宅価格は高すぎるのではないか、との意見がコンセンサスになりつつある。多くの場所で、新築住宅の価格は、その住宅の建設コストより圧倒的に高価になっている。所得が高くなる都市部には人が吸い寄せられる。高騰した賃金の一部は家賃に充てられるため、住宅価格が釣り上がる。信用供与の容易化と金利の低下は、借入コストの低下と他の投資からのリターンの減少の反映となっており、これもまた住宅価格の高騰に寄与している。ほとんどの財(船や飛行機などの非常に高価な耐久消費財も含む)は、所得が増加し金利が低下すれば、〔需要増により〕供給が増加し、高価格はずっとは続かない。しかし、都市とその周辺の住宅は、人気/需要が高いにも関わらず、その需要に対し供給が追いついていないのが現状だ。

これは、先進国全体にも言える。ダブリン、シンガポール、オークランド〔ニュージーランド〕、パリ、バンクーバー、ローマ、香港、バルセロナ、モスクワ、ケープタウン、チューリッヒ、その他多くの都市で、住宅価格は住宅の建設費に対して非常に高額化している。ソフトウェアや金融サービスなどの無形資本で経済が成り立っている地域では、住宅コストは特に高くなる。このような業種では人と人との距離が近いことのメリットが特に大きい。というのも、その方が生産的でイノベーティブになれるからだ。そのため、(おそらく欧米で最も生産性の高い場所である)サンフランシスコ・ベイエリアは、最も生活需要の高い地域である。そしてその需要の大きさに加えて、住宅建設が制限されているため、住宅価格が最も高額な地域の一つになっている。

この住宅のアフォーダビリティ [1]適正住宅費負担 の問題は、ここ40年間で深刻化の一途をたどっている。そしてこれは、機械やその他の物的資本ではなく、ソフトウェアや知的財産に基づく生産への移行という無形経済の成長と同時進行しており、部分的にはこの無形経済化に牽引されてもいる。1960年代には、アメリカやイギリスの中流階級の単身世帯であれば、当たり前に快適な住まいを購入することができた。

ある地域への居住希望者数が増えれば、その人たちのためにさらに住宅を建てるか、あるいは既にある住宅に無理やり住まわせるしかない。そのため、その地域の住宅相場は居住希望者によって釣り上がってしまう。欧米で最も需要のある都市では完全にこうしたメカニズムが働いていることが見てとれる。例えばロンドンでは、空き家はそのまま放置しておくとコストが嵩むため、現在では空き家は住宅全体の数%しかない。

住宅不足の最も劇的な証拠は、過去40年間の住宅価格の上昇に見受けられる。ニューヨークの都市部の平均住宅価格は1980年以降706%上昇している(これは米国の消費者物価指数の376%、米国賃金の326%増である)。サンフランシスコにいたっては932%の高騰である。ロンドンの住宅価格はこの間に2,100%以上高騰している(賃金と比較すると約1,500%増になる)。オーストラリアのシドニーでの価格1,450%上昇している(一方で時間当たりの賃金上昇率は480%である)。アイルランドでは特にダブリンの価格上昇に牽引される形で、この間に約800%の上昇を記録している。家賃に関しても同様の傾向が見られるが、金利の影響を直接は受けないため、ここまで極端なものではない。

これらの価格は、同等の仕様の新築住宅の建築費用の約2倍から4倍になる。建築費用と住宅価格の間にあるこの楔(くさび)は、新規建築の制限によってどれほどの追加費用が発生しているのかを示すおおよその指標になる。

対称的に、他のほとんどの生活用品は〔同時期に〕高品質かつより安価になった。1975年の頃と比較して、アメリカの平均的な労働者がテレビを買うために必要な労働時間は1975年に60時間だったのが2013年では7時間に、冷蔵庫を買うには1975年に65時間だったのが2013年では20時間に、トレッドミルを買うには1975年に18時間だったのが2013年では6時間に、洗濯機を買うには1975年に67時間だったのが2013年では30時間に減少した。自動車ですら平均時給で換算した労働時間で言えば1964年の3倍も”安くなった”のである。そしてこれらの試算はいずれも、製品が1975年当時に比べてどれほど高品質になったのかまでは考慮していない。

つまり、住宅を除く耐久消費財は安価になる一方で、住宅価格は高騰したのだ。所得が増えても、大都市のまともな一戸建てを買うには、夫婦で共働きをしなければならないのが当たり前であり、人々は住める場所を求めて都心からさらに離れていき、それに伴い通勤に時間とお金を費やさなければならなくなっている。

つまり、住宅の高額化がもたらす目に見える影響とは、人々が自宅の賃貸または購入に多額のお金を費やすことが当たり前になり、他のことに使えるお金が少なくなってしまう現象だ。特に欧米の最も裕福な都市やその周辺に住んでいる場合はなおさらだ。そしてこの問題はさらに深刻さを増している。

住宅の高額化による “目に見えない” 影響

生産性:

多くの人々が注目するのは、「人々が住宅以外に費やすことのできるお金が減ってしまう」という住宅の高額化による“目に見える”影響だが、それはこの問題のほんの一部分に過ぎない。なぜなら住宅の高額化は人々の行動をも変化させるからである。そしてこの“目に見えない”影響こそが最も重要なのだ。

上述した通り、雇用条件が良くなることで住宅価格が押し上がるのは、住宅の追加建設が困難な場合である。しかし同様に、次のような場合も考えられる。生産性の高い地域で住宅が不足する場合、住宅価格は全くもって手が出せないほどに高騰し、雇用条件が良いエリアに移り住むことができない人が出てくる。

つまり、生産性の高い地域に移り住むことが困難なこの状況は、多くの人を生産性が高い場所に移り住めばできるだろう仕事よりも、実際には生産性の低い仕事に従事させてしまっている。〔生産性の低い場所に住む人は〕賃金も生産性も低くなってしまい、生産性の高い企業もそうした人を雇うのが難しくなる。これは、生産性の高い場所に住めた人の生産性を、本来のものより低下させることにもなる。なぜなら彼らは、自分達のスキルと、〔住宅価格の高騰のために〕生産性の低い地域に住まざるを得ない生産性の高い人々のスキルを組み合わせることで、その相乗効果からさらに高い生産性を発揮できたはずだからだ。

そのため、多くの企業では、高い技術を持つ従業員への支援が放置されており、彼らは他の人でもできるような仕事に時間を割かれ、彼らのパフォーマンスを最大限発揮できる仕事にかける時間が減ってしまっている。これは社会生活の中でも起きている。例えば、人々は、水道管の水漏れを修理する際、水道業者の価格高騰によって業者を呼ばず、自分で何時間もかけて直そうとするのが常となっている。この価格高騰は、地価の上昇によって業者網を配備するコストが上がったことに由来する。

平均して、大都市の労働者は小規模の都市にいる同程度の技能や教育を受けた労働者よりも生産性が高い傾向がある。しかし、都市の規模だけが重要なわけではない。労働者間の補完性の方がより重要である。熟練のソフトウェアエンジニアはメキシコシティ(人口2,100万人)よりもベルリン(人口440万人)に移住した方がより高い収入を得る可能性が高い。しかしながら、その他の条件が同じである場合、規模は大きければ大きいほど良いという議論には強い実証的エビデンスがある。スペインで行われたある調査では、人は小規模都市から大規模都市に移住すると、移住による賃金プレミアムを獲得し、時間の経過とともに良質の経験を蓄積している。そうした経験は大規模都市を離れてからも影響し、より高い給料という形で持続した。

米国では、都市の規模が倍になるにつれて、労働者一人当たりの生産性が2%それ以上向上する傾向がある。この都市の規模と生産性の関係は、その都市に優秀かつ高い教育を受けた労働者が含まれる場合にのみ見られることから、この効果の主要因は、非常に優秀な労働者たちの間で行われる「知識の伝播」と「分業」であることが示唆される。非エキスパートな労働者が大部分を占める大都市圏では、たとえ都市の規模が大きくなろうとも生産性自体は向上しない。

今日アメリカやその他の西洋諸国で最も栄えている都市は、歴史上あるいはグローバルな基準で〔繁栄した/している都市と〕比較してみると、驚くほどに人口がまばらで、スプロール化 [2]急速な発展により都市の市街地が無秩序かつまばらに広がる現象 している。パリのオスマン様式、バルセロナのガウディ様式、ロンドンのジョージアン様式やビクトリア様式 [3]これらはすべて過去の歴史上の大都市における都市計画 は、〔現在の〕サンフランシスコ・ベイエリアのほぼ全ての地区や、マンハッタンを除くニューヨーク都市圏の大部分よりもはるかに人口密度が高い。

この主要因は、都市の土地を有効利用するような建築を禁止する規制にある。経済学者のジル・デュラントンとディエゴ・プーガは、ニューヨークが過去の歴史的で一般的だった水準まで人口密度の上昇を認めれば、家賃と住宅価格は建設費に見合った価格にまで下がり、都市の人口は少なくとも2倍の4000万人以上になるとしている。サンフランシスコ・ベイエリア、ボストン、ロサンゼルス、およびそのほかの米国における「スーパースター都市」でも、過密化が許容されれば同様の事態が起こるだろう。つまり、どちらも信じられないほどに人口が密集している(そして住むのに非常に好条件な場所でもある)パリ中心部やバルセロナのような景観になる可能性を意味している。

こうした〔建築〕規制によるスプロール化に伴う代償は、米国では甚大なものとなっている可能性がある。ある調査によれば、ニューヨーク、サンノゼ、サンフランシスコの3都市が、高密集住宅の建設に対する規制を全米平均の水準に緩和しただけで、何百万人もの人々が自分のスキルを最も活かせる仕事に転職できるようになり、米国のGDP総額も8.9%増加するという。これによりアメリカ全体での平均賃金が年間8,775ドル上昇するかもしれない。デュラントンとプーガはさらに踏み込んでおり、住宅規制が緩和されれば、〔アメリカ全体の〕平均収入は約25%、つまり一人あたり年間約16,000ドル増加すると推定している。

この〔GDPの〕9%という数値は、パンデミックとロックダウンによる経済停滞で収縮した2020年第2四半期の米国経済の収縮額とほぼ同じである。そして、一人あたり年間16,000ドルの増収は、ギリシャやハンガリーの人々の全年収に相当する額であり、放っておくわけにはいかない大金だ。

イノベーション:

ほとんどすべてのイノベーションは都市で起こり、今もなお起きている。都市には膨大な労働力があり、労働者が自分のスキルに合った仕事を見つけやすいのと同様に、イノベーターたちが協力して新たなアイデアをひらめきやすい環境でもある。17世紀のアムステルダム、18世紀後半から19世紀前半のエディンバラやロンドン、19世紀後半のクリーブランド、20世紀初頭にはウィーンやデトロイト、そして今日のサンフランシスコのように、都市は世界を変えるイノベーション発祥の地なのだ。

例えば、シリコンバレー、サンフランシスコを含めたサンフランシスコ・ベイエリア(人口750万人)は、時価総額10億ドル以上のハイテクベンチャー企業の本拠地であり、ヨーロッパ全体(人口7億5000万人)よりも多くのハイテクベンチャー企業を抱えている。2007年の米国10都市は、コンピューターサイエンス関連の特許総数の70%を、半導体関連では特許総数の79%を生み出しているが、これらの都市の人口は米国全体の10%に満たない。

その理由の一つとして、アイデアの伝播と結合には、地理的な近さが特に重要であることが挙げられる。なにより型破りなアイデアは、それが最も活きる組み合わせを事前に知ることは概して不可能であり、個々の要素の偶然の相互作用や混合に左右される可能性が高い。

そのため、トランジスタや太陽電池のような画期的な新技術を発明した伝説的な研究開発機関である「ベル研究所」は、誰しもがどこかのタイミングで他の人と遭遇するよう設計されている。同様に、スティーブ・ジョブズはピクサーのアニメーションスタジオを設計した際、共同スペースを中央に配置した。ロンドン証券取引所も、ロイズ・オブ・ロンドンも、17世紀にコーヒーハウスとして始まった。コーヒーハウスは、意図的にせよ偶然にせよ、人々が習慣的に出会う場所だった。

2000年から2010年にかけて出願された60万件以上の米国の特許記録によると、人口密度の低い地域であっても専門知識を持つ集団の維持はできるが、既存の枠を超えたイノベーションは人口密度の高い都市環境から起こることが示唆されている。ソフトウェアのようなアイデア重視の産業では、人口密度の高い立地による効果は10マイル圏内にとどまり、広告のようなよりアイデア重視の業界では半マイルほどで消失してしまう。小規模のクラスターからより大規模なクラスターに移ったイノベーターほど特許取得の生産性が増加する傾向にある

つまり、サンフランシスコ・ベイエリアのような場所の住宅数を制限し、住める人の数を限定してしまえば、共同で仕事をする人の数を制限して生産性を損なうという直接的な影響に留まらず、社会を前進させ、私たちの生活を劇的に向上させるような新しいアイデアを見過ごすことになっているかもしれないのだ。

格差:

住宅は、その供給が制限されたことで、冷蔵庫や自動車のような耐久財ではなく、債券や美術品、貴金属のような「希少資産」となった。これは、現代の私たちが当たり前と思い込んでいるだけで、1920年代以前の東京やソウルやニューヨークのような、開発業者が簡単に住宅を増やせるような場所では起こり得ない。こうした場所では、〔住宅の〕需要が増加すれば、単に価格が上昇するのではなく、供給の増加ももたらされる。 [4] … Continue reading

住宅の供給が固定化されれば、人々の総所得の上昇は往々にして地主に不均等に流れていく。人々の増加した所得の一部で住宅価格が上がるからだ。これを根拠に、経済学者のヘンリー・ジョージが「地価税」を提唱した。ジョージは新しい公園や衛生環境の改善など、地域の〔居住環境の〕改善も地主に利益をもたらすことに着目した。公園が新たに作られれば、人々はその近くに住みたがり、その地域の住宅価格も上昇し、既存の土地所有者はその公園から生まれる価値の多くを手にすることになる。

こうした効果は、ジェントリフィケーション [5]地域住民の社会階層が上がることで、地域全体の質や住宅価格が向上し、低所得層の居住が困難になること をめぐる論争において如実に表れている。賃金が上がった銀行員やハイテク労働者は、都市の貧しい地域に集住し、その地域の家賃を競り上げ、家賃はさらに高騰する。低所得者層の多くは、こうした家賃の高騰、富裕層向けの店舗・サービスの変化により、引っ越しを余儀なくされ、低所得者層のコミュニティは崩壊してしまうの。現在の住民にとっての最大の懸念は、地域の改善ではなく、自宅やコミニティから立ち退きを余儀なくされるリスクだ。

しかし別の道も考えられる。住宅や商業施設の供給を増やし、それが既存住民の利益となれば、このゼロサムの状況を、誰もが得をするように変えることができるだろう。これを実現するには、例えば、人口密度の増加に関して住民投票を行い、その恩恵を投票者が直接受けられるようにするのも良いだろう。新たな需要にも応えられ、既存住民は立ち退きすることなく、開発からの経済的利益を共有できる。

住宅供給の過度の制限によって、欧米のほとんどの国では経済成長の果実の土地所有者への分配の加速と、それ以外の人への分配の減少という影響が、集計レベル、国レベルで生じている。経済学者のトマ・ピケティは、国民所得の流入割合が、労働者ではなく、資本の所有者に向かって増加していることを示したことで有名である。しかし、住宅価格の高騰によって地主に流れる〔国民〕所得の増加とその影響が、住宅の増設を厳しく制限している州で特に顕著であることは、少なくとも米国ではあまり広く認識されていない。

ピケティの示した不平等の拡大の主要因は、ある経済学者の言葉を借りれば、住宅不足による「金のなる家」だった。このことは欧米諸国全体にも当てはまり、ほとんどの欧米諸国では貧富の格差の大きさを規定するのは、所得格差ではなく「住宅格差」となっている

取り残された地域と地域格差:

住宅不足は地域格差にもつながっている。先ほど、低スキルの人材の不足により、本来ならそのような安価な人材にやらせる方がいい仕事が優秀な社員に割り当てられるいると述べたが、この話にはもう一つの側面がある。高い給料を得られない人が、高所得都市に移ることを、完全なまでに不可能にしている。

アラバマに住む清掃員の例を考えてみよう。その人が1960年にニューヨークへ移り住めば、賃金は今より84%も高くなり、家賃を差し引いても70%の増収となる。2010年のニューヨークであれば、28%生産性が向上し、28%高い賃金を得ることができる。そのうえ、故郷の労働者余剰を減らし、賃上げを要求させることもできる。ところが、今だとこの人が移住したとしても、住居費もはるかに跳ね上がるため、、手取りと生活水準は低下し、移住は割に合わないだろう。配管工や受付スタッフといった、他人を得意分野に専念させ代わってDIYや電話応対などの雑務に従事する時間を減らせれるような職業にも同じことが言える。一方で、一流弁護士であれば1960年はもちろんのこと、家賃が高騰した2010年であっても、移住のコストに見合う十分な賃金の上昇がある。

経済学者のピーター・ダノンとダニエル・ショアグは、総じてこうした影響が、米国の貧しい州が豊かな州に追いつく勢いを減速させた直接の原因だと結論づけている。1880年から1980年の間に、米国の貧しい州は豊かな州に年2%の割合で迫っていたが、以降その速度は年1%程度と半減している。以前はあらゆるレベルの所得やスキルを持つ人々がより豊かな地域に移り住んでいたが、現在では所得トップ層だけが移住し、労働力の余っている地域には恵まれなかった多くの人々が取り残されてしまっている。

欧米諸国の多くには、このように経済的に最も生産性の高い人々が移住することで、取り残された低スキル労働者が限られた低賃金の仕事をめぐって競い合うため、賃金がさらに引き下げられてしまう地域がある。そして「一流都市」では住宅が不足し物価も高いため、ある地域が不況に陥った際には、最も優秀な人々だけが都市に去っていく。このような地域経済に「正の波及効果」をもたらしていた人々が去ってしまうと、景気はさらに悪化する。これとは対称的に歴史上、不況が訪れた際にその地域を離れるのは、一般的には所得の低い人々だった。

優秀な人材の流出を食い止め、取り残された地域の損失を最小限に抑える試みにはこれまで多くの関心が向けられてきた。しかし、そうした試みはほとんど成功していない。解決策は〔人材流出の食い止めるよりも〕むしろ、あらゆるレベルの所得やスキルの人材が、仕事のために〔都市へ〕移動するという歴史的に見れば標準的であった状況の実現を促すことにあるかもかもしれない。こうした流動性がなければ、多くのコミュニティでは同じ低賃金の仕事を求めて競争する人々が不健全に混在し、より良い生活を提供できるはずの地域から完全に締め出されてしまう。

家族:

住宅価格は居住地だけでなく、住宅の種類すらも規定する。そしてひいては、家族形態にまで影響を及ぼし、子供を持つ時期とその人数をも左右する。

寝室の増設に伴う費用が高くなるほど、より多く(あるいは全て)の子供を持つ費用は高くなる。住宅の高額化は、人々に子供を持つことを躊躇させ、いざ授かった時にはより安価な郊外への引っ越しを余儀なくされる。これにより、都市生活における数多くの恩恵は喪失し、通勤時間のは増加し、そしておそらくだが雇用機会の減少にも見舞われる。

先進国全体では、女性の実際に持つ子供の数は、希望する人数を遥かに下回っている。ある最近の研究によると、住宅価格の10%の増加は、他の要因を調整したうえで、出生総数の1.3%の減少と関係していることがわかった。過去40年間に見られた住宅費の大幅な増加と照らし合わせると、これは西側諸国全体での出生数の大幅な減少の原因になっている可能性を示唆している。ある報告では、1996年から2014年にかけての英国の住宅費の増加は、その期間だけで出生数を15万7000人減少させた可能性があると推定されている

こうした影響と、高所得者の方が育児や住宅に費用をかけられるので子どもを持つのが容易であるという事実の組み合わせは、希望よりも出生数が低いという状況に大きく寄与しているかもしれない。これにはもちろん財政的なコストもあるが、基本的には兄弟姉妹が減る、祖父母と過ごす時間が減る、子供の存在が両親の人生に与える意味が損なわれるといった個人的かつ人間的なコストの存在が大きい。

肥満:

1960年代初頭に10%だったアメリカの肥満率がなぜ35%になった理由は特定されていない。所得が増えたことも考えられるが、同時期に日本の所得はさらに増えているものの、肥満率は5%以下に留まり殆ど変化していない。所得の増加は確かに肥満につながるかもしれないが、必ずしも肥満をもたらすわけでもない。

もちろん、日米の差や、〔米国内での〕時間の経過と共にある増加を、単一の要因に還元はできない。技術革新によって加工技術が上がり、口当たりの良い食品が増えたことも一因となっているかもしれない。また、脂肪や糖分など、特定の栄養素の摂取量が増えていることも一因かもしれない。欧米で食欲を抑制する作用のある喫煙が減少したことも、肥満増加の大きな要因となっている可能性が高い

日本人の加工食品の摂取量はアメリカ人の約半分であり、またオメガ3脂肪酸の摂取量も飛躍的に多い。タバコの禁煙率も日本はアメリカよりもやや高い。しかし、日本人とアメリカ人の生活習慣にはもう一つ、目に見えた劇的な違いが存在する。それは、都市設計だ。

日本における土地の利用規制は緩い。最も厳しいもので、3階建てビルの建設に、土地全体の使用許可を認めている。そのため、日本の超一流都市はアメリカの都市よりもはるかに高密度に発展し、アメリカの都市よりもはるかに多くの人口を包摂している。日本のこうした都市環境は、自転車や電車や自動車が普及する以前の世界各地の伝統的な都市形態と似ていて、道路が狭く、都市区画が細かく整理されており、非常に”歩きやすい”。もちろん現代日本の都市はそれほど密な結び付きの強いコミュニティではないため、自動車や自転車といった交通手段のためのスペースはある。とはいえ、道路が極端に狭いうえに駐車料金も高く、主要道路は通行料をとられ、歩行者が他の道路利用者よりも優先されることがほとんどである。

こうした都市形態ゆえ、日本の大都市に住む人々はアメリカの人々に比べて滅多に車を運転をしない。東京と大阪では自家用車による移動はわずか12%から13%であるのに対し、ロサンゼルスでは85%、シカゴでは77%、ヒューストンでは91%、フェニックスでは87%である。アメリカのほとんどの都市は、徒歩や自転車、あるいは公共交通機関で移動するにはあまりにも人口が分散しているため、効率的な移動を実現するには〔日本のように〕人口がより密集する必要があるのだ。

このような都市生活は、アメリカ人よりも日本人の方がはるかに多く経験している。北米最大のニューヨーク大都市圏には2,370万人が住んでおり、その人口は34,500平方キロメートルに広がっている。このうち、徒歩や自転車、交通機関の運用に十分な人口密度がある地域は、ほんの一部である。一方で日本の首都圏の人口は3,810万人とはるかに多く、さらにたったの8,500平方キロメートルに人口が集まっているため、人口密度は〔アメリカの〕4倍である。つまり、ほとんどの人が自動車に頼らない生活を送ることができている。日本の第二都市である大阪も人口は1,930万人であり、日本の人口の45%以上がこの2大都市圏で生活している。他方で米国では、広く見積もっても、大都市に住む人口は全体の12%程度である。

これが肥満に与える影響は明らかである。平均的な日本人は平均的なアメリカ人に比べて、毎日何千歩も多く歩いている。さらに、日本人のほぼ全員が徒歩移動であるのに対し、アメリカの多くの都市では、「運動熱心な人」と「どこに行くにも車で移動する人」に二分され、その生活習慣はかなり異なる。この違いこそが米国内と日米間の両方で肥満の格差を引き起こしていると、何十万台ものスマートフォンの歩数計から得られたデータは示している。アメリカで最も人口が密集し、最も”歩きやすい”都市であるニューヨークでは、肥満の割合も最も低く、国全体のおよそ半分の率である。最新の研究では、マンハッタンでの割合はさらにその半分となり、全米平均4分の1であることがわかっている。

つまり、人口密集化よりもスプロール化を優先するような政策による住宅不足が、健康、平等、平均資産、子供の数に悪影響を与えている可能性があるのだ。この中でも特に、住宅の密集化よる健康への好影響は、無視される傾向にある。

気候変動:

ウォーカブルシティ [6]公共交通機関が充実していて治安が良く”歩きやすい”都市 の重要性は、肥満対策だけにとどまらない。2018年の日本人の平均的なCO2排出量は10.3トンであり、アメリカ人は17.6トンと74%も多い。このことは、交通機関に着目すると、日本がより人口密度が高く、交通機関が充実しており、より「歩きやすい都市」であることから説明ができる。2016年における交通機関のCO2排出量は日本が1.63トンであるのに対し、アメリカは5.22トンと3倍以上である。

イギリスアメリカの東海岸の地図を見ると、都市であるニューヨーク、フィラデルフィア、ロンドンといった人口密集地の一人あたりの炭素排出量が、周囲のスプロール化した地域に比べていかに少ないかがよくわかる。イギリスの「センター・フォー・シティーズ」は、都市の外に住む人々は都市圏内に住む人々よりも炭素排出量が50%多いと推定している

2020年、カリフォルニア州の人口は、記録開始以来初めての減少を記録した。これは、新型コロナウイルスの世界的な大流行によって、人々をカリフォルニアのような温暖で物価の高い都市(サンフランシスコのように公共交通機関が発達し、住宅が比較的密集している都市もある)から、アトランタやフェニックス、ダラスといった、〔住宅価格を含む〕物価は安いが自動車と電力消費の激しいエアコンなしには生活できないようなサンベルトの都市へと移らせた直近の要因に過ぎない。この20年間でアトランタの人口は50%近くも増加した。ヒューストンは今やアメリカで3番目か4番目に人口が多い都市である。フェニックスは1950年の人口99位から、現在では5位になっている。しかし、自動車とエアコンへの依存は、着実に環境破壊を促進している。

新築住宅は古い住宅に比べ断熱性に優れている。ドイツ〔発祥〕のパッシブハウス [7]一定の性能基準を満たした省エネ住宅 は、追加エネルギーを使わずに適温を保つよう設計された住宅で、冷暖房費は月に数ドルに抑えられる。オレゴン州にあるパッシブハウスは、近年の熱波時には、エアコンなしで室内の気温を外気温より約-1℃低く保っていた。また、一戸建てよりも集合住宅の方が外気に触れる部分が小さく熱の出入りが少ないので、環境にもやさしい。また、新築住宅は森林再生などの環境改善策への取り組みにより、建築時の炭素排出量を実質ゼロにすることもできる。つまり、新築住宅は環境保全に大きく貢献することができる。

所得の増加により、人々はより巨大な住宅を求めるようになった。二部屋しかない長屋に家族8人が詰め込まれた1900年の生活に喜んで戻る人は殆どいないだろう。ウォーカブルシティが新築住宅を禁止すれば、そこの住民はアトランタのようなもっと手頃な場所に移り住むんでしまうだろう。そしてアトランタに移り住んだ人々は、より巨大で炭素排出量も多い住宅を建て、本来住みたかった場所に住んでいた場合よりもはるかに大量の炭素を排出することになってしまう。

総括:

住宅不足が肥満、出生率、不平等、気候変動、賃金上昇のような全くもって無関係のようなものにも影響を及ぼすことがわかれば、その影響は身近にあふれていることがわかる。例えばスコット・サムナーとケヴィン・アードマンは2008年の金融危機に先立つ「住宅バブル」を、結局のところバブルなどではなかったと論じている。実際、住宅価格が合理的に上昇していたのは人々が最も引っ越したい場所に建設される住宅が少なすぎたからであり、不合理な投機が原因ではなかったと彼らは指摘した。FEDが「このバブルを終わらせてしまおう」と見当違いの利上げをおこなったため、その後に危機〔リーマンショック〕が起こった。危機は、住宅問題の誤診によって引き起こされたのである。このサムナー&アードマンの見解を裏付けるように、現在の住宅価格はバブル期のピークを再び上回り、下落の兆候は見られない。

住宅不足の問題はコロナ禍をさらに悪化させた可能性もある。過密状態のために同じ家に人々が押し込められると、コロナを含む感染症のリスクを高めてしまうからだ。しかしある意味で、〔住宅政策によって〕人口密度が高くなれば住宅の数を増やす余裕が生まれるため、過密状態は緩和されるだろう。断言するのは時期尚早だが、今回の新型コロナウイルスの世界的な流行で、過密が起きている都市部ほど感染流行が悪化したことは、住宅供給の影響力の甚大さが分かるかもしれない。

欧米の多くの国で繰り広げられている政治・文化闘争も、その根源は住宅不足にあるのではいか、と最近の『エコノミスト』誌のレポートで論じられている。英語圏の選挙では、都市とその近郊に住む比較的豊かで教育水準の高い市民と、農村部や経済的に落ち込んだ町に住む人々の間での二極化がますます進んでいる。後者の人々は、社会システムが既に裕福である人々〔つまり前者の人々〕にとって有利になるよう仕組まれている、という認識から憤慨している。住宅価格が低迷する地域に住むイギリス人とフランス人はそれぞれブレクジット〔イギリスのEU離脱賛成派〕と国民戦線〔フランスの極右政党〕に投票する傾向が強かった。

若者の多くが家庭を持つタイミングを遅らせざるを得ず、文化的にも魅力的な都市部で暮らすために家賃や生活費に四苦八苦するような低賃金での不安定な職に就くことを余儀なくされている。彼らは機会を制限されており、将来の展望にも期待できない。一方で古い世代はゼロサム思考に陥り、自分達が支払った金額の何倍もの価値がある住宅地に居座り、住宅を増やすことよりも自分達の住む地域の保護に重きを置きがちだ。このような状況下で、高齢者や欧米の経済システムそのものに憤りを憶える若者を責めることなどできるだろうか。

もしこれらの問題全てに何らかの解決策があるとしても、ゼロサムな政治的「綱引き」によってうまくいく可能性は低いように思われる。欧米諸国は住宅不足に対処することで何兆ドルもの利益を得ることができる。うまく設計された解決策であればその利益は十分に広く行き渡り、生活をさらに悪化させかねない住宅の増築に対して反対する人々を含む全員の生活をより豊かにすることができる。

我々は先にある一つの可能性を提示した。それは、それぞれの街の〔住民〕投票によって人口密度を決めるような完全に地域化(ローカライズ)された民主主義である。住民の過半数が選ばないような場所には住宅は建設されることはないが、投票によってより高い人口密度が支持された街は非常に価値が高くなり、需要の大きい地域の住宅所有者が人口密度を高めることに投票するインセンティブが大きくなる。

しかし、どのアプローチが最善策かということは重要ではない。重要なのは、住宅不足は現代が直面する最大の問題であり、その解決は全ての人にとっての最優先事項となるべきである、ということだ。同時に、この問題を分断を生む政治論争にさせないことも重要だ。米国におけるコロナワクチンの悲惨なまでの政治利用は、その危険性を明らかにしている。ゼロサムゲームをプラスサムゲームに変えるような、なんらかの創造的で、目立たない解決策であればうまくいく可能性が高いだろう。綱引きのように張り詰めたロープであれば、その張力で意外にもずっと遠くに行くことができるのだから。

我々の考えが正しければ、住宅不足の問題を解決できれば、人々の生活を想像以上に豊かなものにすることができだろう。単に住宅が安くなるだけでなく、より良い仕事、より高い生活の質、より結束力のあるコミュニティ、より大きな家族、より健康的な生活を人々に提供することができる。そしてそれは、欧米世界の将来に対して希望を持つ理由を新たに与えることにもつながる可能性すらあるのだ。


著者紹介:
サム・ボーマンはWorks in Prigressのエディター兼、International Center for Law and EconomicsのCompetition Policy ディレクターである。彼のTwitterアカウントはこちら
ジョン・メイヤーズは、イギリスのLondon YIMBYならびに、YIMBY Allianceの共同創業者である。彼のTwitterアカウントはこちら
ベン・サウスウッドはWorks in Progressのエディターであり、最近までPolicy ExchangeのHousing, Transport, and Urban Spaceの責任者を務めた。彼はEmergent Venturesから2つの助成金を受けている。彼のTwitterアカウントはこちら

イラスト提供:ケイド・バイランド
バイランドは現在ロードアイランド州プロビデンスを拠点とし、アーバニズムとリベラリズムに特に関心を寄せている。彼の作品の詳細はこちら

The housing theory of everything
Words by Sam Bowman & John Myers & Ben Southwood
by Works in progress Issue 5, 14th September 2021

References

References
1 適正住宅費負担
2 急速な発展により都市の市街地が無秩序かつまばらに広がる現象
3 これらはすべて過去の歴史上の大都市における都市計画
4 住宅の需要が高まろうとも、住宅建設が容易な地域では供給が需要をすぐに上回るため、結果として住宅価格は上昇することなくむしろ低下する、ということ
5 地域住民の社会階層が上がることで、地域全体の質や住宅価格が向上し、低所得層の居住が困難になること
6 公共交通機関が充実していて治安が良く”歩きやすい”都市
7 一定の性能基準を満たした省エネ住宅
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