●Tyler Cowen, “Is it bad to become like your parents?”(Marginal Revolution, July 21, 2007)
本ブログ(および拙著)の熱心な読者の一人から次のような質問を頂戴した。
私は、母親を死ぬほど愛しています。それと同時に、私もゆくゆくは母親みたいになるんじゃないかと思うと、死ぬほど怖いです。率直に言って、母親も同じく似てほしくないという意見なんじゃないかと思います。どうすべきでしょうか? 「何もしないでいい」という答えだけはご勘弁ください。というのも、自分なりにあれこれ考えた挙句に、「何もしない」でいるときっと母親みたいになってしまうに違いないという結論に達したからです。それだけ母親は「モデル」(お手本)としてあまりに強烈な印象を私に及ぼしているんです。「さっさと命を絶ってしまえ。そうすれば、母親に似ないで済むだろう」という答えもご勘弁ください。そのような解決策は、私だけでなく私の母親も嫌うでしょうから、社会厚生にマイナスの影響を及ぼすように思うのです。母親の方に変わってもらうことはできないと想定するなら、私はどうすべきでしょうか? アドバイスいただきありがとうございます、と前もって感謝の言葉を述べさせていただきます。
母親にこう尋ねてみればいい。「ねえお母さん、お婆ちゃんみたいにならないためにどんなことした?」
あなたが悩まされているのとまったく同じ問題――「母親みたいにならないためには、どうしたらいいか?」――にぶつかった経験のある人間と言えば、あなたの母親以外に誰がいるだろうか? 母親の答えをそっくり実行すればいいのだ。
あるいは、こうも考えられるだろう。あなたは、もう既に母親に似ているのかもしれない。今の母親にはそんなに似ていないとしても、どこかの時点の(今よりも若い時分の)母親にはきっとそっくりに違いない。
「若かりし頃のあなたの母親」がタイムマシーンに乗って「2007年(未来)の自分の姿」を目にしたとしたら、「若かりし頃のあなたの母親」はその姿(年老いた自分の姿)を見てどう感じたろうか? 「私もゆくゆくは母親みたいになるんじゃないかと思うと、死ぬほど怖いです。率直に言って、母親も同じく似てほしくないという意見なんじゃないかと思います」というコメントから推測すると、そんなに愉快じゃなかったことだろう。
つまりは、母親から遠ざかる(母親に似なくなる)ということは、タイムマシーンに乗った「若かりし頃の母親(今のあなたと同じくらいの年齢の時の母親)」が「未来の(年老いた)自分の姿」を目にして抱いたであろう感情から遠ざかることを意味するのだ。
言い換えると、こういうことだ。母親に似るのを喜んで受け入れ給え。
冗談じゃなく、本気でそうすべきなのだ。