今後4年間、日本のコンテンツはアメリカ市場で厳しい状況に直面するかもしれない。
今週、私はある経済団体から招待され、一連のプレゼンを行ったが、その中で、アメリカの右傾化(というか、もっと正確には「トランプ化」)が今後の日本の文化製品の消費にどんな影響を与えるのかについて説明するように求められた。詳細は最後に回そう! まずは、プレゼンの最中に一番大きく感じた懸念について話そう。それは、少なくとも今後4年間、アメリカを支配するであろう「文化戦争(culture war)」に対して、日本はまったく準備ができていないことだ。
まず「文化戦争(culture war)」という概念自体が、ここ日本ではほとんど知られていない。確かに、日本語版ウィキペディアには「文化戦争」のページがあるが、この言葉が使われてるのを聞いたことはないし、アカデミアを除けば言及されているのを見たこともないし、いわんや日本国内のSNSで見かけることはない。日本では、この言葉が中国の「文化大革命」と似ていることに起因しているかもしれない。なので日本では「文化戦争」と聞くと、中国での文革の混乱を思い起こすが、アメリカ社会は(まだ?)そこまで崩壊していないので、あまり深刻に受け取られていない。
だからといって、日本人がアメリカで起こっている奇妙な出来事を知らないわけではない。〔トランスジェンダー問題を巡っての〕トイレの使用の犯罪化や、国内で有罪判決を受けたテロリストへの恩赦や、メキシコ湾の「アメリカ湾」への名称変更などは知られている。しかし、こうした措置が文化戦争の産物であること、つまり政策というより(特にイデオロギーに沿ってアメリカ国民を分断するために設計された)挑発行為であることを理解しないと、文脈を適切に理解することが事実上不可能となっている。
皮肉なことに、日本はネット空間が社会を分断するかもしれないことを最初に経験した国だ。1999年に悪ふざけの場として開設された匿名掲示板「2ちゃんねる」は、社会の諧謔的見解がインターネットを介して文化に流れ込み、現実世界の混乱や政治的過激主義へと変貌していく過程をいち早く示した。〔アメリカにおける2ちゃんねる〕4chnがアメリカ社会のインターネット化への道を切り開く10年以上前、日本の「ネット右翼」は、公共的言語空間に揶揄的な火炎瓶を投げ込んでいた。
するとなぜ日本はアメリカより先に「狂乱状態」にならなかったのだろう? 当時も今も、日本ではソーシャルメディアと主流メディアの間に「社会的ファイアウォール」のようなものが存在しているからだ。これは、プレゼン中に、参加者から以下のように質問がなされたことでもわかる。
「あなたの言う『文化戦争』というのは、インターネット上で起こってるみたいです。でも、そんなものが政治や政策に影響を与えるなんてありえないじゃないですかね」と。まあ、なんとも純粋な。
確かに、日本でもソーシャルメディアは普及しているが、アメリカのような「絶対的な存在」ではない。アメリカでは、ソーシャルメディアは、24時間365日垂れ流されるニュースの「楽屋裏」として機能している。この常時続くアテンション・エコノミー下では、強い影響力を持つ人が、軽率な投稿をしただけで、数分以内にニュースにテロップが流れ、ニュースのヘッドラインを飾ることになる。たくさんの「いいね」や閲覧数を獲得するだけで、文字通り全国的な有名人(あるいは悪名高い人)となることができるのだ。この扇状的なコンテンツへの絶え間ない需要は、奇怪で荒唐無稽な事実をプラットフォーム化し、過激な声をメインストリームに押し上げてしまい、リアリティ番組のスターを大統領に選ぶことでアメリカ政治をリアリティ番組にしてしまった。それも二度も。
一方、日本の放送局は「政治的公平性の原則」によって規律化されており、党派的なメディアの台頭を抑制している。また、日本には24時間365日放映されるニュース専門チャンネルは存在しない。このアプローチには、確かにプラスとマイナスがあるが、注目と怒りの経済を抑制していることは間違いない。むろん、日本にもオンラインは存在するが、日本のメディア環境のもう一つの特徴が、オンライン上の出来事はレガシーメディアや政治家にほとんど無視されてることだ。このアプローチにもプラスとマイナスがあるが、過激な作り話がメインストリームに載るのが難しくなってるのは間違いない。一方、アメリカでは、2016年のピザゲート、2020年のQアノン、2024年のペットを食べる移民といったデマが広がることとなった。
すると、こうした状況を踏まえた上で、日本の文化製品は今後4年間、アメリカではどうなるのだろう? 懸念材料はいくつかある。まず、中国からの輸入品に関税が課けられれば、〔漫画の多くが中国で印刷されているため〕日本の漫画の価格も確実に値上がりするだろう。デジタル配信で補完されると思うかもしれないが、アメリカのファンは昔から物理的なメディアを好む傾向があり、今回の選挙で物価の高騰が大きな争点になったことを考えると、漫画の値上がりが歓迎されるとは思えない。
さらに大きな懸念は、トランプ政権があらゆる形の多様性に反感を抱いていることだ。議論の余地はあるかもしれないが、日本は保守的な社会であり、「出る杭は打たれる」という諺もある。しかし、アニメや漫画産業はそうではない。アニメや漫画産業は、長い間、社会的マイノリティや反体制的な人による現状への嬉々とした異議申し立てを代弁してきた。まさにこのために、PTAや政治家といった権力者が、長年にわたって漫画やアニメをターゲットにしてきたのだ。
最近になってアメリカでも同じことが起こっている。保守的な学区が、特定の作品を図書館の棚から締め出す動きを見せている。アニメや漫画は長い間、アメリカ社会の分断を橋渡しして、あらゆる政治傾向の人々にファンを見出してきた。しかし、どんなに頑丈な橋でも耐える重さには限界がある。日本のイラスト・エンターテインメントのDNAには、多様性、抗議、クィアなどが深く組み込まれている。しかし、それらの概念は、今のアメリカの指導者らにとって、「禁句」に値するするものとなっている。なので、漫画やアニメ、そしてそれらの信じられないほと多様なファン層が、公的な監視に置かれるのは火を見るより明らかだ。他には、漫画やアニメが外国産であることが不都合な事実でもある。トランプ政権によって、今のアメリカで、外国由来の名前や外国語を使用するのがあまり良い時期でないことが露わになっている。
アメリカでの社会的混乱が、日本のコンテンツ制作側にどのような影響を与えるかについてなら、おそらくほとんど影響を与えないだろう、が答えだ。日本のコンテンツ制作者は、まず日本国内市場を第一に考え、海外消費者は二の次にしてきた。これこそが、世界中のファンが日本のコンテンツを新鮮で本物だと感じる重要な要素なのだ。しかし、日本のクリエイターがどんな選択をして、どんなファンタジーを生み出そうとも、二極化が進むアメリカでは、政治的なレンズを通して見られることは間違いない。『ドラゴンクエストIII HD-2D』をめぐる騒動で、もうそれを目の辺りにしている。今後数ヶ月、数年の間に、間違いなくもっと多くのものを目にすることになるだろう。
【著者紹介:日本のポップカルチャー研究家。1973年、米ワシントンDC生まれ。ウィスコンシン州立大学で日本語を専攻。1993-94年慶應義塾大学に留学。米国特許商標庁に翻訳家として勤務した後、2003年に来日。『新ジャポニズム産業史 1945-2020』が邦訳出版されている。】
〔本記事は、著者マット・アルト氏の許可の元に翻訳している。著作権等全ての権利はマット・アルト氏に帰属している。〕