マーク・ソーマ 「社会保険の無い世界」(2005年3月16日)

●Mark Thoma, “Lest We Forget: Life After the Great Depression”(Economist’s View, March 16, 2005)


こちらのエントリー〔拙訳はこちら(の前半の記事)〕では、(経済面のリスクから身を守る仕組みとして)社会保険の必要性を抽象的な観点から論じた。今回のエントリーでは、個別具体的なエピソード(パーソナルストーリー)に焦点を合わせる。アメリカで社会保険という仕組みが産声を上げたのは、1935年。まずはじめに紹介する「失業に関する事例研究」(Case studies of unemployment)サイトでは、社会保険が導入された1935年よりも前のアメリカ社会における庶民の生活実態について数多くのエピソードが集められている。その中の一つを以下に引用するが、社会保険を提供する役目を民間に委ねようとしてもうまくいかない「市場の失敗」の事例が他にも多数報告されている。

食費の切り詰め(Cutting Down on Food)

日々の暮らしを襲う逆風がその勢いを増すにつれ、せっせと節約が図られる。ニューヨーク市に住む主婦のカルダニ氏は語る。「詳しく語らなくても、おわかりになりますよね? 家賃を払うと、手元にお金はほとんど残りません。となると、何をするかおわかりになりますよね? 真っ当に生きるつもりなら、何をするかおわかりになりますよね?」。母親の言わんとしていることが相手にうまく伝わっていないと思ったのだろう。カルダニ夫人の幼い娘が口を挟む。「ご飯の量を減らしているのよ。私たちはそうしているの」。ボストン市に住むツォーシス家は、「(空腹感を紛らすために)ベルトをきつく締めて」いる。マディソン市に住むジャイモス家の食卓では、ポテト、パン、豆くらいしか子供たちに振る舞う余裕がないという。ニューオーリンズ市に住むモントレー家の子供たちは、廃棄されている肉や野菜の残りを市場(いちば)で漁って食べている。アトランタ市に住むバートリー家には4人の子供がいるが、1週間の食費を5ドル以下に抑えて一冬を過ごしたという。1日2食だけで、トウモロコシパン、塩漬け肉、乾燥豆を食べてしのいだという。バートリー夫人がたびたび失神の発作に襲われたので仕方なく病院に連れて行くと、「栄養失調」と診断されたという。

フィラデルフィア市に住む二つの家族がどうやりくりしているかについては、両夫人の口から直接語ってもらうとしよう。

まずは、ホワイト夫人の言。「ハリーとジョアンの二人が飢え死にしかかっている姿を見ているしかありませんでした。二人が通う学校から『栄養失調』と書かれたカードをはじめて受け取ったのは、夫が週給25ドル [1] 訳注;原文では「25ドル」としか語られていないが、大恐慌当時の週給のデータ(pdf)を踏まえて「週給25ドル」としておいた。 の職を失って新たに週給21ドルの職を見つけてきたばかりの時でした。夫はこの冬にまた職を失ってしまったのですが、そのタイミングで再び学校からあのカードを受け取ったのです。ハリーとジョアンの二人が『栄養失調』であることを伝えるカードを。子供たちにお肉を食べさせてあげられる機会なんて滅多にありません。どうにかこうにかして、日曜日にお肉を食べさせてあげられるかどうか。デザートなんて、とてもとても・・・」。

次に、カーク夫人の言。「うちの子たちは、食事抜きの生活に慣れていますので、食卓に料理が並ぶ機会があってもそんなにたくさんは食べられません。多くは語りませんが、我が家には何もないことがわかっているんだと思います」。

それぞれの世帯レベルで試みられている自衛策の一つが「食費の切り詰め」である。聞き取り調査をした世帯の3軒に1軒の割合で、調査官という立場を忘れて親身になって相談に乗らざるを得なかった。あまりに過酷だったからだ。次々に語られる「栄養失調」のエピソード。栄養失調で免疫力が落ちているせいで、病気がちな日々を送らざるを得ない例も枚挙に暇がない。失業を防ぐために必要な痛みだ [2] … Continue readingなんて理屈を持ち出して、見過ごすわけにはいかない現実だろう。

社会保険の必要性に疑問を感じる人がいるようなら、「失業に関する事例研究」サイトを細かくチェックしてみるといい。胸を刺されるような多数の実例を通じて、「社会保険の無い世界」というのがどんなだったかを詳しく知れるだろう。

(追記)[こちらのエントリーからの転載] 次に紹介するのは、アメリカ議会図書館のサイトにアップされているエピソード――大恐慌に見舞われた一人の庶民へのインタビュー――だ。ジョージ・R.(George R.)がそれまで長年勤めてきた会社を解雇されたのは、71歳の時。以下に引用するインタビューが行われたのは、解雇されてから2年後。彼が語るエピソードは、自己保険(自衛)が抱える問題を露(あらわ)にしている。

アメリカ生活史(連邦作家プロジェクトの文字起こし原稿、1936年~1940年)

ジョージ・R.(73歳、独身)のケース

インタビュアー:フランシス・ドノバン
インタビュー場所:コネチカット州トマストン
インタビュー協力者:ジョージ・R.(73歳、独身)

「大丈夫じゃよ。喋る暇ならたんまりある。時間のほうが余っとるくらいじゃ。カネよりもな。日増しにそうなってきとる感じじゃのう。まあ、時間があっても何していいかわからんがのう。字も読めんし。どっちの眼も白内障でな。散歩くらいかのう。やれることといったら。町を歩いとったら、周りの奴らによく言われるもんじゃ。『危ないところでしたよ。もう少しで車に轢かれるところでしたよ』ってな。するとな、こう返すんじゃ。『大丈夫じゃ。失うものなんて大してないからのう』ってな。そうなんじゃ。失うものなんて大してないんじゃ。お前さんもわしみたいな老いぼれになって、家族もいなけりゃ身寄りもないってなりゃわかるじゃろうが、楽しみなんて大してありゃせん。来世に賭けるかのう」。

「そうじゃ。来世はあるって信じとるよ。この世が最高の場所だとは、どうも思えんのう。年々悪くなっとる。わしがお前さんくらいの年の頃は、この世も悪くなかったんじゃがのう。戦争もなかった。やりたい仕事をしとったし、静かで平和な暮らしに満足しとった。誰もがな。家の外でラジオがガンガン鳴っとるなんてこともなかったのう。毎年3万人が車に轢かれて死ぬなんてこともなかった。すべてを変えちまったんじゃ。車がな。車があの手この手でこの国をダメにしたんじゃ。ケツの青いガキどもが週に15ドル稼ぐためには、車を買わにゃならん。仕事するのに必要じゃからな。そんで、稼いだ金のほとんどが車を買うために持ってかれるわけじゃな。その先はどうなっとるか知っとるか? でっかい石油会社がありがたく頂戴するんじゃ。石油会社がカネを総取りするんじゃ。そこでカネの流れが止まるんじゃ」。

「そうじゃよ。あの店で47年働いとった。2年前にお役御免じゃ。わしみたいな老いぼれ連中を一斉にクビにしたんじゃ。年金も少しはくれとるが、そのうち貰えなくなるっちゅう話じゃ。年金が貰えなくなったら、どうしたらいいかわからんのう。そう言えば、何年か前に役所から女の役人がやって来たのう。生命保険を解約する気があるなら、老齢年金が貰えるとか何とか言っとったのう。『お断りじゃ』って言ってやったもんじゃ。『立派な葬式を開くチャンスをあきらめさせようとでも思うとるんか? 立派な葬式を開くのが、わしの唯一の楽しみなんじゃ』って言ってやったわい。すると、その女の役人は答えたもんじゃ。『なるほど。しかし、私はそのようには考えませんね』。そこで、わしは言ったんじゃ。『なるほどのう。でも、わしの考えはそうなんじゃ』とな」。

「国から年金を貰う権利があるかどうかはわからんのう。あるような気もせんでもないが、調べてみにゃならんのう。給料からいくらか差し引かれとったのは知っとる。何かしら貰わんといかん気がしてきたのう」。

「・・・(略)・・・貯金なんかできたとは思わんのう。うちの家には貯金なんて無かったはずじゃ。わしもだいぶ稼いどったが、カネはどこかに消えて無くなっちまったみたいじゃ。家事は、姉ちゃんがしてくれとった。6年前までな。姉ちゃんは、6年前に死んじまったんじゃ。姉ちゃんは金遣いは荒くなかったが、貯金するようなタイプじゃなかったのう。カネがどこに消えちまったかはわからん。姉ちゃんと二人で映画に行くのが、唯一の娯楽じゃった。映画館に週に2回は通ったかのう。1ドルしかかからんかったのう」。

「わしの政治的な立場なんか知ってどうする気なんじゃ? じゃあ、クイズじゃ。わしがどの政党を支持しとるかわかるか? そうじゃ。ご名答じゃ。共和党じゃ。『共和党員よ、誇りを持て』。わしの親父がよく言ってたもんじゃ。『共和党員よ、誇りを持て』。 ・・・(略)・・・共和党から鞍替えせにゃならん理由なんて思い付かんのう。民主党のいいところなんて見つからんのう。何もかもをメチャクチャにした前科がないってことくらいかのう。民主党のいいところと言えば。まあ、これはあくまでもわしの意見じゃ。尋ねられたから、答えただけじゃよ」。

・・・(中略)・・・

「労働組合は信用しとらん。わしがあの店を辞めた後に、労働組合ができたって話は聞いとらんのう。昔は、ダミーの労働組合ならたくさんあったのう。すぐにも賃上げを勝ち取れるかもしれんと当てにして、組合員になった連中もいたのう。でも、1年経っても2年経っても給料は前と変わらずじまいで、いつの間にか労働組合も消滅じゃ。これは覚えとかないかんが、店側は組合員を法廷に連れ出すんじゃ。トラブルを起こしたって理由でな。労働組合ができるたびに、店側はその組合を煽るんじゃ。労働組合に入っても、状況は良くならないんじゃ。むしろ、悪くなるんじゃ。裁判でカネを持ってかれるからのう」  。

最後に紹介するのは、大恐慌が起こる直前に行われた聞き取り調査の結果をまとめたレポートだ。「失業のリスク」に保険をかけることの必要性が感じ取れるだろう。繰り返しになるが、以下に引用するレポートが書かれたのは、大恐慌が起こる直前だ。大恐慌が襲来した後には、もっと酷い状況が待っていたのだ。

繁栄と倹約:クーリッジ時代とコンシューマー・エコノミー(1921年~1929年)

貯蓄

第一の自衛手段は、貯蓄である。その中でも筆頭は、貯金(現預金)だ。聞き取り調査を行った世帯の多くは、小額ながらも貯金があったが、安定した生活を送るために十分な貯金ができるだけの高収入を継続して得た試しがあるという例は皆無だった。経済学者らの調査によると、アメリカ国民の4分の3は、収支がほぼトントンで――毎月の収入と支出(生活費)の差がほとんど無く――、緊急時に備えて貯金をする余裕はほとんど無いか、一切無いという。聞き取り調査を行った世帯の5軒に1軒は、蓄えてあった貯金をすべて使い果たしてしまっていた。ボストン市に住むディペサス家のように、15年かけて700ドル貯めても、失業してしまうと一冬で貯金が底をついてしまう。失われるのは、700ドルの貯金だけではない。同じ気持ちで一からやり直せるわけではないのだ。聞き取り調査を行った世帯の10軒に1軒――とりわけ、親が季節労働に従事していたり、子供の数が多かったり、親に既往症があったりする世帯――は、「雨の日」(緊急時)への備えができていない。あるいは、調査対象者の一人が口にした言葉を借りると、「雨が降ってばかり」いる。

マイホームを手に入れるという願望を持たない家庭を見つけるのは難しい。家も一旦手に入ると(あるいは、ローンを組んで購入すると)、貯蓄の一つとなる。マイホームを求める本能は、不動産価格が不穏な動きを見せたところで、萎(な)えたりしない。我が国の移民の多くは、祖国の手狭な土地に何世代も長らく住み続けてきた人たちを先祖に持っている。マイホームを求める彼らの本能は相当根強くて、マイホームを手に入れるためなら壮絶な試練に耐えるのも厭わない。その試練の実態を理解し尽くすためには、間近でじっくりと観察しなければならない。聞き取り調査を行った多くの世帯に言えることだが、身を粉にして手に入れたマイホーム――安定した生活を送るための自衛手段の象徴だったはずのマイホーム――が収入減に伴って厄介な重荷になってしまう例は珍しくない。ローンの返済が滞りがちになり、利息の返済さえもままならなくなる。差し押さえられるマイホームも出てくる。ミネアポリス市に住むレフィブレ家は、3500ドルの住宅ローンを組んでマイホームを購入したが、2000ドルしか返済できなかった。手元に残ったのは、1100ドルかけて揃えた家具一式だけ。そこへ、知らせが届く。差し押さえられていた家の買い手がついたという。こうしてレフィブレ家はマイホームを失った。家具一式もすべて売り払った。その後のレフィブレ家に待っていたのは、家族5人に対して部屋が一つだけという暮らし。その部屋に足を踏み入れた時の5人の心持ちを推察するには大して想像力はいらないだろう。

家具も貯蓄の一つだ。売られることもあるし、ボストン市に住むボラン家のピアノのように、ローンの取り立て人に持ち去られることもある。ボラン家から持ち去られたのは、ピアノだけではない。客間にあった家具もだ。ピッツバーグ市に住むデ・マシオス家は、ローンの取り立て人に家中を漁られた。持ち去られずに済んだのは、マットレスに、壊れた椅子に、ホットプレートの三点だけ。1500ドルかけて買い揃えた家具一式。1500ドル貯めるのに5年かかった。そんな家具一式が合計200ドルで買い叩かれたのだ。1300ドルのマイナスだが、デ・マシオス家が失ったものはそれだけではない。家具を失うということは、家具が用意してくれる機会を失うことでもある。家具は、称賛と繁栄を手にするのを助けてくれるツールとして機能する。客間を飾る役目を果たすだけではない。客間を飾ることにより、一家がコミュニティーに溶け込むための機会を用意してくれる。友人と交わる機会を用意してくれる。娘たちがボーイフレンドとデートする機会を用意してくれる。

大事な宝物が手放されることもある。ボストン市に住むドロシー・ドゥハンシーは、結婚指輪を質に入れた。家賃、保険料、労働組合費、ローンの元利を払うためにである。クリーブランド市に住むベンダーズ家は、売れるような家具を持っていなかった。そのため、妻の婚約指輪が質に入れられた。ソルトレイクシティ市に住むジェームズ家は、妻の結婚指輪と夫の腕時計を質に入れた。サペリス家は、妻の歯の治療費を捻出するために、小さな娘のアンティークリングを質に入れた。サペリス夫人は30歳になったばかりだったが、娘の指輪を質に入れても治療費を賄(まかな)いきれないと知ると、歯をすべて抜いてもらう決意をした。

References

References
1 訳注;原文では「25ドル」としか語られていないが、大恐慌当時の週給のデータ(pdf)を踏まえて「週給25ドル」としておいた。
2 訳注;失業を防ぐためには、貧窮や空腹といった痛みも必要という考えがある。「失業すると、貧しくてひもじい生活が待っている」というのが脅しになって、仕事を辞めるのが抑止される(あるいは、一旦失業してもすぐに職を探すように駆り立てられる)というのである。
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