●Stephen Hansen and Michael McMahon, “Mark Carney and first impressions in monetary policy”(VOX, August 11, 2013)
イングランド銀行の新しい総裁に就任したばかりのマーク・カーニーの「タカ派度」を探るヒントを求めて、カーニーの一言一句に注目が集まるだろう。我々の研究によると、金融政策委員会のメンバーは、着任して間もない頃はタカ派色を強めがちで、経験を積むにつれて――例えば、金融政策決定会合に18回以上参加すると――ハト派色を強めがちになるようだ。真の選好がハト派寄りであるほど、その傾向が強いようだ。
現代の金融政策では、「インフレ期待の管理」に重きが置かれている。中央銀行の独立性を確保するのもそう。インフレ目標を採用するのもそう。フォワード・ガイダンスに訴えるのもそう。いずれもインフレ期待を管理することの重要性を反映しているのだ。中央銀行の上層部の刷新――例えば、新たな議長や新たな総裁の任命――は、インフレ期待を安定化させる上でとりわけ重要な出来事になりがちだ。新任の議長・総裁(ないしは、政策委員)がどんな選好の持ち主なのかよくわからないために、どういう政策スタンスが採用されそうかをめぐって――それに加えて、インフレ期待にどんな影響が及びそうかをめぐって――多くの憶測が飛び交う。イングランド銀行の新しい総裁に就任したばかりのマーク・カーニーが「タカ派」(‘hawk’)なのか、「ハト派」(‘dove’)なのかという議論(Cottle 2012)もその一例だ。
イングランド銀行の新しい総裁となったカーニーの今後の振る舞いについてどんな予測を立てられるだろうか? 彼が5年間の任期の後半に採用する政策を前もって予測するための頼りになる指針を得ることはできるだろうか? これからの数カ月の言動に照らして、カーニー総裁をハト派と断じたり、反対にタカ派だと言い放つ声が聞かれるようになるのは間違いないが、カーニー総裁の本音――カーニー総裁の真の選好――が実際の行動を通じて明らかになるまでにはかなりの時間を要するかもしれない。それはどうしてかというと、経済学の分野で「シグナリング」と呼ばれているアイデアが関わってくる。
着任して間もないセントラルバンカーがインフレ期待に影響を与えるために戦略的に振る舞う可能性があることを「シグナリング」のアイデアを使って分析している学術的な研究は、かなりの数にのぼる――例えば、Backus&Driffill (1985a, 1985b)、Barro (1986)、 Cukierman&Meltzer (1986)、Vickers (1986)、Faust&Svensson (2001)、Sibert (2002, 2003, 2009)、King&Lu&Pasten (2008) を参照されたい――。どんなことが明らかになっているかというと、着任したばかりのセントラルバンカーは、自らの本音――以下では、真の選好と呼ぶことにしよう――よりもタカ派色を強めてインフレに対してタフな態度で臨む傾向にあるという。その理由は、正真正銘のインフレファイターであるという評判を勝ち取るためだという。しかしながら、タフさを誇示した後は軟化して、真の選好に沿ったスタンスに転じるようになるというのだ。
金融政策委員会を対象にした最新の研究
真の選好がハト派寄りであるほど、インフレに対するタフさを誇示しようとしがちというのがこれまでの先行研究で強調されていることだが、セントラルバンカーの真の選好が国民に知られていない場合にセントラルバンカーがどのように振る舞いそうかを検討しているのが我々の最新の研究 (Hansen&McMahon 2013)である。どんなことが明らかになっているかというと、インフレ期待が高まるのを防ぐことが課題になっているようなら、真の選好がハト派寄りであろうとタカ派寄りであろうと、着任して間もないセントラルバンカーは真の選好よりもタカ派色を強めてインフレに対してタフな態度で臨む傾向にあって、時が経つにつれてハト派色を強めていくことが見出されている。「遅れてやってくるハトっぽさ」(“delayed dovishness”)――あるいは、「先んじてやってくるタカっぽさ」(“early hawkishness”)――とでも形容できる結果が見出されているのだ。どんな選好の持ち主であっても、着任したばかりだと真の選好よりもタカ派色を強めようとするのは変わらないが、真の選好がハト派寄りであるほど、タカ派色を強めようとするインセンティブが強いようだ。
「シグナリング」のアイデアを使って金融政策に分析を加える学術的な研究の歴史は何十年にも及ぶが、イングランド銀行に設置されている金融政策委員会(Monetary Policy Committee;MPC)――その議長を新たに務めるのが、マーク・カーニー――のメンバーの振る舞いを対象にして「シグナリング」モデルの実証的な妥当性を裏付けているのは我々の研究がはじめてである。MPCのメンバーは、経験を積むにつれて(具体的には、MPCの会合に18回以上参加すると)、ハト派色を強める傾向にあることが見出されている。さらには、真の選好がハト派寄りであるほど、着任して間もない頃にタカ派色を強めがちであることも見出されている。
カーニー総裁の真の選好がハト派寄りで、それでいてタフなインフレファイターであるという評判を確立したいと望んでいるようなら、当初のうちはタカっぽさを誇示しようとするだろうというのが我々が見出した結果から示唆されることである。つまりは、イングランド銀行の総裁に着任したばかりのカーニーは、真の選好よりもタカ派色を強める可能性があるわけだ。
ところで、これまでの先行研究では、セントラルバンカーがインフレに対するタフさを誇示するのは、インフレが過熱しないようにするためであると想定されている。インフレに対するタフさを誇示して、インフレ期待が高まらないようにしていると想定されているのだ。1997年にMPCが設立されて以降の大半の期間に関しては、そのように想定しても特に問題はなかっただろう。しかしながら、景気が弱々しかったり、「流動性の罠」に陥ったり、政策当局者がインフレ期待を高めたいと望んでいたりするケースもあるかもしれない。そういうケースでは、セントラルバンカーの振る舞いについて正反対の予測が導かれるだろう。MPCのメンバーは、着任して間もない頃に真の選好よりもハト派色を強めて、経験を積むにつれてタカ派色を強めると予測されるのだ。そうすればインフレ期待が高まって、実質金利(期待実質金利)が低下するからである。実質金利が低下すれば、投資(設備投資)――The Economist (2013) でも論じられているように、イギリスでは投資の勢いが弱い――や消費が刺激される。日本銀行総裁に任命されたばかりの黒田東彦は、だいぶハト派寄りと目されていて、積極的な金融緩和に対するコミットメントを明らかにしている。黒田新総裁の振る舞いも「シグナリング」モデルを使ってうまく説明できるかもしれない。
着任して間もないイングランド銀行総裁の振る舞いについて、イギリス経済が置かれている困難な現状に照らして導かれる予測と、インフレファイターとしての評判を確立したいと願うセントラルバンカー特有の本能に照らして導かれる予測は、大きく食い違う。カーニー総裁がタカ派なのかハト派なのかを判別するのは相当に難度が高くなりそうだし、カーニーを総裁に選んだのが正しかったのかどうかを判断するにはだいぶ長い時間がかかるだろう。カーニー総裁の前途には、前任の総裁たちが担ったよりも厄介な仕事が待ち構えている。インフレ目標の達成が求められているだけでなく、マクロプルーデンス政策や金融規制の面でもやらないといけない仕事がたくさんあるのだ。カーニー総裁の真の選好を見極めるのはタフな仕事になるだろうが、カーニー総裁の前途に待ち構えているのはそれ以上にタフな仕事だ。あちらこちらで上がる数え切れないほどの火の手を鎮火しないといけないのだから。
<参考文献>
●Backus, D and J Driffill (1985a): “Inflation and Reputation”, The American Economic Review, 75(3), 530-38.
●Backus, D and J Driffill (1985b), “Rational Expectations and Policy Credibility Following a Change in Regime”, Review of Economic Studies, 52(2), 211-21.
●Barro, R J (1986), “Reputation in a model of monetary policy with incomplete information”, Journal of Monetary Economics, 17(1), 3-20.
●Cottle, D (2012), “So, Mr. Carney, Hawk or Dove”, 27 November 2012, last accessed 04 April 2013.
●Cukierman, A and A H Meltzer (1986), “A Theory of Ambiguity, Credibility, and Inflation under Discretion and Asymmetric Information”, Econometrica, 54(5), 1099-1128.
●Faust, J and L E O Svensson (2001), “Transparency and Credibility: Monetary Policy with Unobservable Goals”, International Economic Review, 42(2), 369-97.
●Hansen, S and M McMahon (2013), “First Impressions Matter: Signalling as a source of policy dynamics(pdf)”, mimeograph.
●King, R G, Y K Lu and E S Pastén (2008), “Managing Expectations”, Journal of Money, Credit and Banking, 40(8), 1625-1666.
●Sibert, A (2002), “Monetary policy with uncertain central bank preferences”, European Economic Review, 46(6), 1093-1109.
●Sibert, A (2003), “Monetary Policy Committees: Individual and Collective Reputations”, Review of Economic Studies, 70(3), 649-665.
●Sibert, A (2009), “Is Transparency about Central Bank Plans Desirable?”, Journal of the European Economic Association, 7, 831-857.
●The Economist (2013), “On a wing and a credit card” July 6th 2013.
●Vickers, J (1986), “Signalling in a Model of Monetary Policy with Incomplete Information”, Oxford Economic Papers, 38(3), 443-55.